カテゴリー別アーカイブ: 美術品・骨董品

東京都港区高輪にて富本憲吉の鉄描皿、作家物の陶器、着物、反物。

東京都港区高輪にて富本憲吉の鉄描皿、作家物の陶器、着物、反物をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お着物や陶器をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は人間国宝 富本憲吉の鉄描皿二点、近藤悠三の花瓶など作家物の陶器、訪問着や大島紬などの反物。当社の得意とするお品ばかりでございました。富本憲吉が制作された作品の場合、底部や高台内の描き銘(サイン)の違いを見分ける事でその作品が制作された年代を特定することができます。描き銘から本作品は氏の初期作品であることがわかります。一点は高台内に描き銘「憲」、安田茂郎識箱に納められております。もう一点は高台内に描き銘「富」、伊藤竹香堂の額にて額装されております。前作ではありますが、どちらも状態の良い作品でしたので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。素晴らしい作品をお譲りいただき、誠に有難うございました。

富本憲吉(とみもとけんきち)1886(明治19)-1963(昭和38)
1886年 奈良県生駒郡安堵町に生まれ。幼少より絵を学ぶ
1908年 大学卒業前にロンドンへ私費留学。(留学中に卒業)
1911年 ロンドンから帰国。来日していたバーナード・リーチと出会い、交友を深めてゆく
1913年 故郷の裏庭に簡単な窯を作り、楽焼作りを始める
1926年 奈良から世田谷に住まいを移し、窯を築く。(以降を東京時代ともいう)
1944年 東京美術学校教授になる
1946年 美術学校および芸術院会員を辞し、家族とも別れ、京都へ移る。
1949年 京都市立美術大学教授
1955年 重要無形文化財技術指定保持者(人間国宝)に認定される。
1961年 文化勲章受章
1963年 死去

埼玉県川越市にて加藤孝造の花入、若尾利貞の花入、徳利、火鉢など。

埼玉県川越市にて加藤孝造の花入、若尾利貞の花入、徳利、火鉢などをお売りいただきました。

本日は三件の出張買取。一件目は埼玉県狭山市にてお着物のお片付け整理でお呼びいただきました。お着物や帯、反物など、たくさんのお品をお売りいただきました。シミや汚れなどあるものもございましたが、全て買い取らせていただきました。二件目はさいたま市北区へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は木彫りの置物や贈答品など。たくさんのお品をお売りいただきました。岩谷堂箪笥がございましたが、運び出しが出来ない状況でしたので、来週またお呼びいただくこととなりました。来週も宜しくお願い致します。三件目は業者様のご紹介で、川越市へお引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は加藤孝造の花入、若尾利貞の花入、徳利、火鉢など。火鉢は欅材の関西火鉢。とてもしっかりとした良い火鉢です。陶器や贈答品などございましたが、加藤孝造や若尾利貞など、当社で買取強化中の作家作品もあり、お客様にご満足いただける査定額で買取することができました。加藤孝造は岐阜県出身の陶芸家。5代目加藤幸兵衛に陶芸の指導を受け、岐阜県可児市に窯を開き独立します。地元である美濃陶芸の道を志し、桃山時代の志野・瀬戸焼の再現に取り組んでいた荒川豊蔵(「志野・瀬戸黒」人間国宝)に師事します。平成22年には、重要無形文化財「瀬戸黒」の技術保持者(人間国宝)に認定されます。お売りいただいた志野花入は人間国宝となる前の作品で、近年制作された作品であったり、国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された技法である「瀬戸黒」ですと、査定金額・買取金額は、高額となってきます。若尾利貞もまた岐阜県出身の陶芸家。現代の美濃(多治見)を代表する陶芸家の一人で、特に鼠志野の第一人者と言われています。2003年に岐阜県重要無形文化財に認定され、現在も活躍されております。お売りいただいた作品は、織部の花入、志野の徳利。共箱ありで保管状態も良かったです。お売りいただいたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名いただき、誠に有難うございました。

加藤孝造(かとうこうぞう)1935年(昭和10)~
1935 岐阜県端浪市に生まれる
1953 日展(洋画)初入選、陶芸家・五代加藤幸兵衛に師事
1955 岐阜県陶磁器試験場工芸科主任技師就任
1966 日本工芸会正会員
1969 第1回東海伝統工芸展最高賞受賞
1995 岐阜県重要無形文化財「志野・瀬戸黒」保持者に認定
1998 中日文化賞受賞
2007 紫綬褒章受賞
2010 重要無形文化財「瀬戸黒」の保持者(人間国宝)に認定

若尾利貞(わかおとしさだ)1933年(昭和8)~
1933 岐阜県多治見市に生まれる
1960 中部美術展入選、ニュークラフト賞受賞
1961 岐阜県総合デザイン展受賞
1963 朝日陶芸展初入選
1965 日本伝統工芸展初入選
1968 初個展開催
1970 日本工芸会正会員
1971 日本陶芸展入選、海外選抜展出品
1972 美濃新人賞受賞
1973 中国国際陶芸展入選
1976 スウェーデン、ストックホルムにて個展開催
2003 岐阜県重要無形文化財認定

千葉県船橋市にて中田一於の花入、鈴木爽司の徳利、反物など。

千葉県船橋市にて中田一於の花入、鈴木爽司の徳利、反物などをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は千葉県千葉市中央区へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。タンスをご処分されたいとご連絡いただき、出張買取させていただきました。タンスは府中家具の婚礼タンスのセット。残念ながらこちらのタンスは当社で現在買取が厳しくなっているお品で、ご期待に添えることが出来ませんでした。たんすの他、ウエッジウッドの食器セットをお売りいただきました。ハミングバードというシリーズの食器で、全て未使用品でした。降雨入後、一度も使用せずに大切にされていたお品、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名くださり有難うございました。二件目は船橋市へ、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お引越しがあるため急ぎで出張買取へ来てほしいとご連絡いただき、即日対応させていただきました。お売りいただいたお品は、中田一於の釉裏銀彩花入、鈴木爽司の色絵梅文徳利、染付柘榴図徳利、結城紬や大島紬、丹後ちりめんなどの反物など。中田一於は、石川県出身の釉裏銀彩の技法を確立させた九谷焼の陶芸家。釉裏銀彩とは下地を塗って焼成をした素地に銀箔を切って膠で貼り付けて、透明釉をかけて焼成をするといった中田一於独自の技法であり、金箔を貼り付ける釉裏金彩は人間国宝に認定された吉田美統が確立していたのに対して、九谷焼の技術者が酸化による変質を嫌うことから使用していなかった銀箔で作品を制作することに成功しました。季節ごとに色味の違う作品も作り出していることから女性にも人気のある作家であります。鈴木爽司は京焼の作家として活躍しております。父親も陶芸家として活躍していたため、鈴木家の伝統である磁器型物の技法と絵付師としての花鳥画の伝統を受け継ぎ、京焼らしい雅な作品を作り続けております。白い肌に品良く描かれた色絵に金彩・銀彩をともに施す色絵金銀彩という技法を確立し、現在も活躍されております。陶器は全て共箱あり、反物は全て証紙がございましたので、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただくことが出来ました。お喜びいただけて良かったです。お売りいただいたお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。お忙しい中、お呼びいただき有難うございました。

中田一於(なかだかずお)1949年~
1949年 石川県に生まれる。
1974年 一水会に入選する。
1982年 日本伝統工芸展にて日本工芸会奨励賞を受賞する。
1990年 日本伝統工芸展にて日本工芸会奨励賞を受賞する。
1993年 「釉裏銀彩壷」がワシントン・スミソニアン機構サックラー美術館の永久保存作品に選ばれる。
2002年 石川県指定無形文化財保持者に認定される。
2010年 日本伝統工芸展にて日本工芸会保持者賞を受賞する。
2011年 紫綬褒章を受賞する。
2012年 小松市文化賞を受賞する。

鈴木爽司(すずきそうじ)1939年~
1939年 京都府 鈴木清の長男として生まれる。
1967年 京都市立美術大学へ進学。在学中に人間国宝で陶芸家の富本憲吉や六代目・清水六兵衛から薫陶を受ける。
1968年 日展初出品入選(~81年まで連続して入選)
1973年 京都国立近代美術館「現代工芸の俯瞰展」に出品する。
1974年 「京都府工芸美術展」第1回新人賞を受賞。
1977年 兵庫女子短期大学教授に就任する。

東京都豊島区にて藤本能道の花壷、和太鼓、桐箪笥、着物など。

    

東京都豊島区駒込にて藤本能道の花壷、和太鼓、桐箪笥、着物などをお売りいただきました。

不動産業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。桐たんすや着物、和太鼓などをご処分されたいとご連絡いただき、出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、人間国宝 藤本能道の花壷、和太鼓、桐箪笥、着物など。桐箪笥は伝統工芸品 春日部桐箪笥。砥粉落ちや傷などあるものの、まだまだリサイクル可能なタンスでございました。着物は紬や訪問着、帯、和装小物など。シミの出てしまっているものもございましたが、全て買い取らせていただきました。太鼓はやや小ぶりの和太鼓(長胴太鼓)。太鼓の山慶のもので、欅材のしっかりとした和太鼓であります。撥や台などの付属品も併せてお売りいただきました。また、人間国宝 藤本能道の赤絵面取り花壷など陶器や贈答品などもお売りいただきました。藤本能道は富本憲吉、加藤土師萌に師事(共に重要無形文化財「色絵磁器」保持者)し、二人の色絵技術を継承し写実的で情緒ある独自の表現を追求し続けた色絵磁器の巨匠。本人もまた重要無形文化財「色絵磁器」保持者(人間国宝)となりました。本作は赤絵面取り花壷。お引越し先に飾る場所がなく、今回泣く泣くのご売却とのこと。査定を頑張らせていただきました。大切にされていたお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。本日は六角堂のご指名、たくさんのお品をお売りいただき有難うございました。

藤本能道(ふじもとよしみち)大正8年(1919)1月10日〜平成4年(1992)5月16日
1919年 東京に生まれる。
1931年 東京美術学校工芸科図案部を卒業。文部省技術講習所に入所。
1938年 技術講習所の臨時職員として富本憲吉の助手を務める。
1946年 日展・国展にて初入選。
1956年 日本陶磁協会賞受賞。京都市立美術大学講師に就任。
1965年 ジュネーブ国際陶芸展にて銀賞を受賞。
1970年 東京芸術大学助教授に就任。
1985年 東京藝術大学学長に就任。
1986年 重要無形文化財「色絵磁器」保持者に認定。
1992年 死去。

東京都品川区にて反物、服部製純銀花瓶、山田宝生、小西洋平など茶注(急須)。

   

東京都品川区旗の台にて反物、服部製純銀花瓶、山田宝生、小西洋平など茶注(急須)をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は東京都大田区南馬込へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は掛け軸や茶道具など。掛け軸は日本画二本。茶道具はお稽古用のものでしたが、全て買い取らせていただきました。ご家族の大切にされていたお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。二件目は品川区旗の台へ業者様のご紹介で出張買取させていただきました。お父様のご遺品をご処分されたいとご連絡いただき、出張査定させていただきました。お売りいただいたお品は結城紬などの反物、服部製純銀花瓶、山田宝生、小西洋平など茶注を多数。純銀花瓶は服部製のもので大変重厚感ある花瓶。松竹梅が彫られており、美幸刻と銘がございます。共箱の欠品、スレ、変色などございましたが素晴らしい作品ですのでお客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。また常滑焼や萬古焼などの煎茶道具をたくさん集められていたようで、茶注(急須)や宝瓶、湯呑などございました。徐々にご処分されるとのことで、本日は20点ほどご売却いただきました。人気作家の山田宝生の他、小西洋平、村越風月、村田益規、二代 間野舜園、間野弥平などたくさんの作家作品をお譲りいただきました。来月か三月に残りの煎茶道具をお売りいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。本日はお忙しい中、六角堂をご指名くださり誠に有難うございました。
六角堂では常滑焼の山田常山・山田宝生・吉川雪堂・吉川壺堂・沢田昭邨・吉川房夫(壺堂)・白道・吉川秀樹・間野舜園・岩瀬弘二・伊奈長三・杉江寿門・磯村白斎、萬古焼の笹岡秦山・山本広巳・堀友直・川村又助・山中忠左衛門・人見洞永・水谷寅次郎(碧山)・大塚斉家(香悦)・田中徳松(東錦堂)・岸園山・笹岡春山など煎茶道具の作家作品を強化買取しております。ご不要の作品がございましたら、是非お問い合わせください。

山田宝生(やまだほうしょう)1950年~2016年
山田宝生は端整でこだわりを持ったもの造りをすることでも有名な作家で、その作品は主に急須が多くございます。柔らかな曲線のフォルムに非常に精緻に彫刻をされています。完成度の高い、洗練された気品漂う美しい作品が多くございます。
1950年 愛知県常滑市生まれ。
1969年 愛知県立常滑高校窯業科卒業。
1971年 宝生陶房設立。
1977年 第一回現代煎茶具展出品。以後数回出品。
1983年 陶業振興展市長賞。
1984年 陶業振興展議長賞。
1986年 東海伝統工芸展入選。長三賞工芸展入選。長三賞陶業展奨励賞。
1987年 第一回日本煎茶工芸展文部科学大臣奨励賞。第二回国民文化祭出品。第三賞陶芸展入選。
2001年 世界陶磁器エキスポ2001大韓民国出品。
2016年 逝去。

東京都練馬区桜台にて伊勢崎淳の備前四方花生、桐箪笥、着物、反物。

  

東京都練馬区桜台にて人間国宝 伊勢崎淳の備前四方花生、桐箪笥、着物、反物をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。桐箪笥、お着物などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、人間国宝 伊勢崎淳の備前四方花生、桐箪笥、着物、反物など。桐箪笥は伝統工芸品春日部桐箪笥で、厚みのあるたんすであります。着物は振袖や留袖、作家物の訪問着など。反物は大島紬、友禅など。状態に難あるものもございましたが、全て買い取らせていただきました。他にも信楽焼や備前焼など。備前焼は人間国宝である伊勢崎淳の四方花生。剽げた形姿と黒備前や陶壁を手掛けられている作者ならではの鮮やかな窯変が調和した現代備前の秀逸な花生。伊勢崎淳らしい制作に手間をかけた作品であります。こちらは買取強化中の作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。お客様の思い出のお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日はお忙しい中、当社をご指名くださり誠に有難うございました。
六角堂ではただいま金重陶陽、伊勢崎淳、藤原啓、 藤原雄、山本陶秀、安倍安人、森陶岳、中村六郎、中村真、原田拾六、隠﨑隆一、藤原楽山、金重道明、金重素山、山本雄一、伊勢崎満、伊勢崎陽山など、備前焼、の作家作品を強化買取りしております。備前焼以外にもたくさんの陶磁器を探しております。たくさんの御見積お待ちしております。

伊勢崎淳(いせさきじゅん)1936年(昭和11)~(現在)
1936年 岡山県で生まれる。
1959年 岡山大学特設美術科を卒業。
1960年 兄とともに姑耶山古窯跡に中世の半地下式穴窯を復元。
1966年 日本工芸会正会員となる。
1978年 岡山大学特設美術科の講師をつとめる。
1981年 金重陶陽賞を受賞。
1987年 田部美術館茶の湯の造形展優秀賞を受賞。
1993年 岡山県文化奨励賞を受賞。
1996年 山陽新聞文化功労賞を受賞。
1997年 フランスの備前焼千年の伝統展に出品。
1998年 岡山県重要無形文化財保持者に認定される。
日本工芸会理事、日本工芸会中国市支部幹事長に就任。
2002年 新首相官邸の陶壁を作成。
2003年 岡山大学創立50周年記念の陶壁を作成。
2004年 重要無形文化財(人間国宝)に認定される。
三木記念賞を受賞。
2006年 アメリカのボストンで「一門展」を開催。
2007年 イギリス大英博物館の展覧会に出品。
2013年 県重要無形文化財保持者5人による秀作展に出品。

東京都渋谷区上原にて李朝白磁筆筒、八雲作家 柴崎重行の木彫り熊、和家具。

東京都渋谷区上原にて李朝白磁笹文筆筒、八雲作家 柴崎重行の木彫り熊、時代箪笥、桐たんすなどをお売りいただきました。

解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。骨董品や時代家具などを御処分されたいとお電話いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は李朝白磁笹文筆筒、八雲作家 柴崎重行の木彫り熊、時代箪笥、桐たんすなど。李朝陶磁器は白磁の筆筒。笹の透かし彫りでやや大振りな筆筒であります。口縁にソゲなど多少の傷みはありますが全体的に状態の良い筆筒です。1392年、高麗に代わり李成桂が立てた国号が「朝鮮」であり、その時代の王朝を日本では李朝と呼んでおります。朝鮮半島では古くから仏教が主流をなしていましたが、儒教(朱子学)の伝来により次第に宗教的世界観が変化し、生活にも浸透していくことで、陶器の好みにも変化がみられるようになりました。清楚さ・潔癖さ・純粋さをイメージする白が宗教的にも重要視されるようになり、陶磁器においても白磁が隆盛をみるようになりました。李朝陶磁器は戦国時代からすでに日本人の間で人気が高く、現在も収集家が多く存在します。私達美術商の間でも人気は高く、六角堂でも李朝陶磁器の買取を強化しております。熊の木彫りは八雲熊の代表的作家「柴崎重行 」の作品。ガラス目が可愛らしい小振りの熊です。スレなど多少の傷みはあるものの、全体的に良い状態です。熊の木彫りは厳しいと思われておりますが、本品のような八雲系のものや旭川アイヌ系のものは大変人気が高く、高価査定となる作品が多くございます。作家では、柴崎重行の他、伊藤政雄、十倉金之(兼行)、松井梅太郎、茂木多喜治、引間二郎、鈴木吉次、上村信光、根本勲、藤戸竹喜などが高価査定となる作家であります。時代家具は仙台箪笥、明治期の桐たんすなど。傷みが全体的にありましたが、全て買取させていただきました。ご家族が大切にされてきたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、素晴らしい骨董品などをお売りいただき有難うございました。

柴崎重行(しばざきしげゆき)1905年~1991年
号:他化志 別号:志化雪
1905年 八雲町鉛川で生まれる。
1930年 東京に於いて、帝国工芸会主催、観光地土産品展覧会が開催。出品した作品で、根本勲(画号土龍、一陽会彫刻部会員)に見いだされる。
1932年春、家業の酪農を父と弟にまかせて、彫刻の本質を探究するべく、手斧を背に根本氏と共に放浪の旅に出た。旅の途中、詩人・更科源蔵の庵を訪ね生涯忘れ得ぬもてなしを受ける。旅の途中で「手斧による一刀彫り柴崎熊」の方向性を決定づけた。柴崎重行には一般的にいうアトリエはなく、住家の近くの樹間で、切り株を制作台として彫る。
1981年 NHK「原野に彫る」が北海道一円に放映。全国的にファンが拡大し、「幻の熊」と呼ばれるようになる。
1991年10月17日 逝去。
民芸運動で著名な陶芸家、バーナード・リーチも柴崎熊を愛し、セント・アイビスにある工房に所蔵される。

東京都台東区柳橋にて沼田一雅、葛明祥製、安藤七宝の花瓶、鬼の木彫など。

 

東京都台東区柳橋にて沼田一雅の鋳銅猿花瓶、葛明祥製の海鼠釉花瓶、安藤七宝の枝垂桜文花瓶、鬼の時代木彫像、古い陶磁器、能面などをお売りいただきました。

先日お呼びいただきましたお客様から、再度出張買取でお呼びいただきました。今回は前回積みきれなかったお品が多くあり、車両二台でお伺いしました。お売りいただいたお品は、沼田一雅の鋳銅猿花瓶、葛明祥製の海鼠釉花瓶、安藤七宝の枝垂桜文花瓶、鬼の時代木彫像、古い陶磁器、能面など。本日もたくさんのお品をお売りいただきました。沼田一雅は、フランスのセーヴル陶磁器製造所で働くことを許された最初の日本人です。日本陶彫の父であり、日本陶彫会の創始者であります。作品のほとんどが、関東大震災時に焼失されており、現存が少なく希少価値は高くなっております。葛明祥造の陶器は中国から日本に数多く輸入されていました。旧家や骨董を趣味で収集されているお客様の家からよく出てきます。中国骨董の人気が高まっている現在、こちらも注目されているお品の一つであります。安藤七宝の花瓶は昭和七年、帝都復興完成記念の際に造られたお品。枝垂桜の見事な七宝花瓶。永田青嵐の和歌も彫り込まれております。鬼の木彫り像は昭和初期のもので、「鬼面仏心」とあります。鬼面仏心(きめんぶっしん)とは表面は怖そうだが、内心はとてもやさしいこと。鬼面とは鬼の顔、または鬼の様な面構えを意味し、仏心は仏の慈悲心のことをあらわしています。大変造りの良い木彫り像です。他にも古伊万里など古い陶磁器、能面などをお売りいただきました。二度にわたり当社をお呼びいただき、誠に有難うございました。ご家族の思い出のお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。
帰りに台東区にある「洋食 大吉」さんで食事をしました。あの松坂牛が格安で食べれるとのことで寄らせていただきました。初めて食べる松坂牛のビフテキはなんとも絶品でした。ハンバーグも美味しいお店のようですので、また寄りたいと思います。

沼田一雅(ぬまたいちが)1873~1954年
本名 沼田勇次郎
明治6年 5月5日福井市木田新町に生る。
明治15年 大阪府立北野学院卒業。
明治24年 彫刻修業のため上京、美術学校教授故竹内久一に師事。
明治27年 東京美術学校鋳造科蝋型助手。
明治29年 4月、東京美術学校助教授。
明治34年 1900年仏国巴里開催の万国大博覧会の鋳銅の「猿廻し置物」を出品、1等金牌受領。
明治36年 海外窯業練習生として渡仏、6月巴里市アカデミー・ヂュリアンに入所、11月国立セーヴル陶磁器製作所に入所、同所の彫刻家サンドーズ氏の指導を受け、原形より石膏形成法、押型法仕上げ法、窯詰法、焼成法を研究、同所の希望により純日本風俗等の彫刻原型数種製作、記念として寄贈。
明治38年 8月、彫刻並に陶磁彫刻研究のため、白、和、独、伊4ケ国を旅行、9月再度セーヴル製作所に入所、引続き陶磁器彫刻研究。同所技芸員に石膏薄肉彫刻の指導を受け、ドワット氏にパートアップレカションの手法を習い、同時にロダンにつき彫刻研究。
明治39年 5月、仏国出帆。7月帰国、9月東京美術学校雇員となる。
明治42年 東京美術学校教授、農商務省工業試験所陶磁器部嘱託。
明治43年 仏国政府より「アカデミー・ドゥ・オフィシヱ」勲章授与。
大正10年 3月再度渡仏、セーヴル製作所に入所、彫刻物焼成法と釉薬調合法につき研究、同年5月摂政宮殿下(今上陛下)御外遊中同所へ御成り、奨励のお言葉を賜る。彫刻陶磁製作技法研究のため、英国、デンマーク、コペンハーゲン、独のハンブルグ、ローゼンタール、ベルリン等各製陶所を1ケ月にわたり見学、帰仏後セーヴル製陶所の極秘法「パート・ドゥ・ヴェール」の製作法を探知。
大正11年 8月帰朝。
昭和2年 仏国政府よりセーヴル製陶所にて製作の原型に対し「オフィシエ・ドゥ・ランストリュクシヨン・レピュブリック」勲章受領。
昭和3年 11月大礼記念章授与せらる(表面、高御座の図彫刻)仏国政府より「シュバリェ・ドゥ・ラ・レジヨン・ドゥヌール」勲章受領。10月、帝展第三部、第四部推薦。
昭和3年 11月、京都高等工芸学校講師嘱託。
昭和7年 勅任教授。
昭和8年 9月帝展審査員、10月正4位勲4等、東京美術学校教授退官、講師を命ぜらる、11月奉職在勤41年により感謝状受領。
昭和9年 大阪府立工芸展審査員。
昭和12年 3月京都市美術展審査員、9月文展審査員。
昭和13年 3月京都市美術展審査員、9月文展審査員。
昭和14年~16年 東京美術学校、京都高等工芸学校、商工省京都陶磁器試験所の彫刻指導。
昭和21年 10月愛知県瀬戸市に陶彫研究所創設、所長となる。
昭和26年 4月日本陶彫会結成、会長となる。10月神奈川県工芸協会第一部会長となる。
昭和29年 5月恩賜賞授与せらる。6月5日没。

埼玉県鶴ヶ島市にてボンボニエール、勲章、蒔絵硯箱、銀瓶、茶道具、掛軸など。

 

埼玉県鶴ヶ島市にてボンボニエール、海外勲章、太刀掛、漆器、蒔絵硯箱、銀瓶、茶道具、掛軸などをお売りいただきました。

ボンボニエールや茶道具、骨董品などを御処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、昭和天皇御成婚記念の紫檀六角形ボンボニエール三点、天賞堂の櫃形ボンボニエール、日英同盟記念ボンボニエール(宮本謹製)、玉屋謹製の八稜鏡形鳳凰文ボンボニエール、服部製の香合形ボンボニエール、雅楽兜形のボンボニエール(三越製)、雅楽大太鼓形のボンボニエール(服部製)、天皇家御下賜品菊紋入り蒔絵硯箱、皇室御用金工師【吉岡宗雲斎】の桐紋銀製三重盃、大禮記念の桜橘蒔絵会席膳、蒔絵の入った太刀掛、松林桂月など掛軸、尚美堂の純銀製湯沸(銀瓶)、茶道具、海外勲章など。たくさんのお品をお売りいただきました。「ボンボニエール」は、フランス語でボンボンと呼ばれる小さな砂糖菓子を入れる器。 日本では明治時代から、天皇のご即位をはじめ、お子様のご誕生やご結婚式などの皇室・宮家の慶事の度、金平糖が詰められたボンボニエールが祝宴の記念品として招待された人々に贈られてきました。ボンボニエールは、今なおコレクターさんが多く存在し、市場でも高額で取引されるものが多くございます。パーツの欠品や傷み、銀製品特有の変色などございましたが、ボンボニエールは当社で買い取りを強化しているため、お客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。昭和天皇御成婚記念の紫檀六角形ボンボニエールは付属品もあり、状態も良かったので高額査定となりました。蒔絵の硯箱は残念なことに目立つ蒔絵の剥がれがあり、状態に難がございました。状態良ければ数十万の買取となったお品だけに、大変残念でした。掛軸は日本画や書など。松林桂月の山水画は大幅の良い作でした。銀瓶は尚美堂の作品。共箱などはございませんでしたが、良い状態でした。他にも時代の茶道具や陶器、海外の勲章などたくさん買取させていただくことが出来ました。ご家族の大切にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名くださり、誠に有難うございました。

松林桂月(まつばやしけいげつ)1876年(明治9年)~1963年(昭和38年)
1876年 山口県生まれ。
1893年 上京し、野口幽谷に師事する。
1898年 松林家の養子となる。
1902年 環翠会画塾(後の天香画塾)を設立する。
1906年 山岡米華らと日本南宗画会を結成。
1907年 文展開設にあたり旧派の正派同士会に評議員として参加する。
1919年 帝展審査員となる。
1932年 帝国美術院会員となる。
1937年 帝国芸術院会員となる。
1939年 ニューヨーク万博へ「春宵花影」を出品。
1944年 帝室技芸員となる。
1947年 日中文化協会理事となる。
1948年 日本美術協会理事となる。
1949年 日展運営会常任理事となる。
1958年 文化勲章受章。文化功労者、日展顧問。
1960年 日本南画院の設立にあたり会長に就任する。
1963年 死去。死後従三位勲二等旭日重光章受章。

東京都台東区にてバーナードリーチの合子、唐木家具、中国陶磁器など。

  

東京都台東区柳橋にてバーナードリーチの合子、炉均釉灰皿や茶葉末釉水盤など中国陶磁器、蒔絵入鼈甲小箱、網代扉の唐木家具、パイプなどの喫煙具、オーディオなどをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お家にある不要品をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、陶芸家バーナード・リーチの合子、炉均釉灰皿や茶葉末釉水盤など中国陶磁器、蒔絵入鼈甲小箱、網代扉の唐木家具、パイプなどの喫煙具、オーディオなど。たくさんのお品をお売りいただきました。現在人気の中国家具や中国陶磁器、バーナードリーチなど当社で買い取りを強化している人気作家の作品もあり、高価査定で買取させていただくことが出来ました。バーナードリーチといえば民芸運動に参加されたことで有名でございます。大正末期、柳宗悦が一般庶民の日常生活に必要な雑器の中に美しさがあると唱え、この思想に浜田庄司、河井寛次郎、バーナードリーチら陶芸家が賛同し大きな民芸運動に発展しました。日本民芸館を設立する際、バーナードリーチは柳宗悦に協力をしています。作品は1920年、セント・アイヴス窯にて作られた合子。共箱などはありませんでしたが、バーナードリーチらしい良い作品です。パイプは汚れ等使用感がありましたが、ダンヒルなど人気のパイプがたくさんございました。たくさんのお品があり、車に積みきれない為、来週またお呼びいただくこととなりました。来週は二台でお伺いさせていただきます。本日は六角堂のご指名、良い作品をお売りいただき有難うございました。
帰りに台東区にある「リトルヤミー」さんで食事をしました。欧風カレーとオムライスでテレビにも数多く紹介されている人気店でございます。わたしがいただいたのは人気メニューの牛すじチーズオムカレー。トロトロの卵に牛すじをじっくり煮込んだスープから作られたカレーは絶品でした。また寄りたいと思います。

バーナード・リーチ(Bernard Howell Leach)1887~1979年
1887年、香港に生まれ日本で幼少期を過ごす。1903年、ロンドンのスレード美術学校に入学、1907年からロンドン美術学校でエッチングの技法を学ぶ。その頃、高村光太郎と出会う。1909年、日本に戻り東京・上野に居を構える。生涯の友となる柳宗悦をはじめ白樺派の青年達と知り合い、1917年、我孫子にて版画指導を行う。陶芸家の富本憲吉の影響で茶道具に惹かれ、1912年に6代尾形乾山に陶芸を学び、1917年、我孫子の柳の家に窯を開いて陶芸家としての一歩を踏み出す。後に7代乾山の名を免許された。陶芸家の濱田庄司と友人になり、1920年に濱田庄司とともにイギリスのセント・アイヴスに移り日本の伝統的な登り窯を開き、1922年には「リーチ・ポタリー」(Leach Pottery)という名の窯を開いた。1963年に大英帝国勲章(Order of CBE)を受章し、1974年、に国際交流基金賞を受賞する。1979年5月6日、没。