千葉県鎌ケ谷市にて岩谷堂箪笥(和箪笥・小箪笥)の出張買取。

千葉県鎌ケ谷市にて岩谷堂箪笥(和箪笥・小箪笥)をお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。和箪笥をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきましたお売りいただいたタンスは岩手県の民芸家具「岩谷堂箪笥」の下四大洋和箪笥、小箪笥の二点。和箪笥に目立つ色ヤケがございましたが、強化買取中のお品ですので、買取させていただきました。大変素晴らしい箪笥、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、誠に有難うございました。
岩谷堂箪笥は欅の木目を美しく引き出す漆、南部鉄の豪華な金具が特徴です。堅牢さと重厚さの中にも、華麗な繊細さを秘めた岩谷堂箪笥は現代の住空間の中でも、強烈な存在感を保っています。岩谷堂箪笥は永い年月を経て多くの職人たちの手によって研究・開発されてきました。江戸時代後期の岩谷堂箪笥を現在の岩谷堂箪笥のデザインと比較すると質素な印象を受けます。岩谷堂の種類は、三尺、三.五尺の整理たんすを基本としていますが現在では、洋服・衣裳・整理タンスの三点セット、茶箪笥、書棚、小箪笥、座卓など多くの箪笥が生産されております。珍しいたんすとしては、階段にも利用されたという上面が段々になった階段箪笥、船に積み込んで金庫の代わりを果たしたという頑丈な舟箪笥、火事などの非常時に移動しやすいように車がついている車箪笥などその種類は多く、見るだけでも興味のそそられるタンスがあります。モダンなデザインの家具が多くなった今、200年の伝統を誇る岩谷堂の持つ温もりと存在感は、大変魅力的です。当社でも岩谷堂箪笥は長年買い取り続けている買取強化中のタンスです。岩谷堂をお売りの際は、和家具・骨董品の専門店「六角堂」をご指名ください!

東京都目黒区にて初代 久保田一竹の辻ヶ花 袋帯、土田友湖の帛紗。

  

東京都目黒区にて初代 久保田一竹の辻ヶ花 袋帯、作家物のお着物、土田友湖の帛紗(表千家家元十三代 即中斎宗匠自筆)をお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理で、お着物を出張買取をさせていただきました。お売りいただいたお品は、初代 久保田一竹の辻ヶ花 袋帯や作家物のお着物、土田友湖の帛紗など。お着物は作家物が多くございました。帯もまた初代 久保田一竹の作品の他、龍村平蔵など作家物が多くございました。良いお着物が多く、一点一点丁寧に査定し、全て買い取らせていただきました。初代久保田一竹は20歳の時に東京国立博物館で辻が花と出会い、感銘を受け生涯をその研究にささげることを決意されました。太平洋戦時での召集などの困難を乗り越え、手描き友禅を生活の糧としながら、研究を続け、60歳にして初めて「辻ヶ花」を完成させます。これが「一竹辻ヶ花」と命名された逸品の始まりです。一竹の着物はファンも多く、特に初代のアイテムは非常に高値で取引をされているため、高額査定で買い取らせていただくことが出来ました。土田友湖(つちだゆうこ)は千家十職の袋師。千家十職とは茶道の三大流派の表千家、裏千家、武者小路千家の三千家好みの茶道具の制作を行っている金物師(中川浄益家)表具師(奥村吉兵衛家)や茶碗師(楽吉左衛門家)塗師(中村宗哲家)釜師(大西清右衛門家)土風炉・焼物師(永楽善五郎家)一閑張細工師(飛来一閑家)指物師(駒澤利斎家)竹細工・柄杓師(黒田正玄家)袋師(土田友湖家)の十の職業、十の家のことを言います。こちらの帛紗は、表千家家元十三代 即中斎宗匠自筆で寿字が描かれております。茶道をされていたようでしたが、お道具はすでにご友人方に分けられておりました。茶掛けが数点残っておりましたので、こちらも買取させていただきました。素晴らしいお着物や茶道具をお売りいただき、有難うございました。大切に次へと橋渡しさせていただきます。

初代 久保田一竹(くぼたいっちく)1917年(大正6年)10月7日~2003年(平成15年)4月26日
1916年 10月7日 神田に生れる
1931年 友禅師小林清師に入門
1948年 辻が花の研究に着手
1961年 独自の染色法一竹染を創業
1983年 パリ・チェルニスキー美術館にて「一竹辻が花展」
1984年 ニューヨーク・ダラスにて「一竹辻が花 光・風・音展」
1985年 ベルギー・ブリュッセルにて「一竹辻が花 光・風・音展」
1988年 バチカン宮殿にて上演された創作能「イエズスの洗礼」の衣装制作
1989年 ヨーロッパ主要都市にて個展
1990年 フランスよりフランス芸術文化勲章シェヴァリエ章を受賞
1993年 文化庁長官賞受賞
1994年 久保田一竹美術館(河口湖町)開館
1996年 ワシントンD.C.スミソニアン国立自然史博物館にて個展
2003年 逝去(享年86歳)

表千家家元十三代 即中斎宗匠
即中斎(そくちゅうさい)明治34年(1901)〜昭和54年(1979)。表千家13代。12代惺斎の次男に生まれる。兄不言斎の逝去により、昭和13年(1938)に家元を襲 名。第二次世界大戦の最中、昭和17年に千家同門会を発足させ、昭和24年(1949)には財団法人不審菴を設立。現代における茶の湯普及と伝統の保持と いう組織機構の基礎を築いた。

東京都豊島区にて先崎栄伸の大日如来像、晝間弘の弘法大師、木彫の仏像。

東京都豊島区要町にて先崎栄伸のブロンズ彫刻「大日如来」、晝間弘のブロンズ彫刻「弘法大師」、木彫の仏像、仏画などの掛け軸をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。仏像や掛け軸などをご処分されたいとご連絡いただき、出張買取させていただきました。お売りいただきましたお品は先崎栄伸のブロンズ彫刻「大日如来像」、晝間弘のブロンズ彫刻「弘法大師」、木彫の仏像、仏画などの掛け軸など。先崎栄伸は弱冠18歳にして帝展入選という歴史的大記録を打ち立てました。その後、文展、日展、正統木彫家協会展など、数々の受賞歴を重ねていきます。寺社に納められているものも多く、總持寺(説法釈迦)や大圓寺(聖観音、千手観音)を手掛けるなど、数々の作品が各地の寺院に存在します。お売りいただいたお品は、大日如来像のブロンズ彫刻。共箱などの付属品はございませんでしたが、六角堂の強化買取中の作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。晝間弘(昼間弘)は昭和に活躍した彫刻家。初期の頃は木彫を中心に制作活動を行っていましたが、塑像、ブロンズ像へと領域を広げていき、堅実な写実力で独自の造形力を追い求めました。北村西望に師事し、日展で受賞を重ねます。日展理事、常務理事に就任し、日展の重鎮として活躍しました。また、朝倉文夫・加藤顕清・本郷新らが中心となり結成された日本彫刻家連盟の後身である日本彫塑会の理事にも就任されております。お売りいただいたお品は弘法大師のブロンズ彫刻。高さ67センチの堂々たる造りの作品です。共箱あり、状態も良いです。他にも木彫りの観音菩薩や地蔵菩薩、大黒天、仏画などたくさんのお品をお売りいただきました。ご家族が大切にされていた仏像など、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名くださり、誠に有難うございました。

先崎栄伸(せんざきえいしん)1917(大正6)-1986(昭和61)
1917年 福島県に生まれる。
1931年 阿井瑞岑に師事。
1935年 18歳の若さで帝展に初入選。
1954年 仏教美術協会の設立にも携わる。
1976年 文部大臣賞受賞。
1985年 第一回彫玄会展を主催。
1986年 逝去。

晝間弘(ひるまひろし)1916(大正5)-1984(昭和59)
1916年 東京都で生まれる。
1939年 東京美術学校彫刻科木彫部を卒業。
1947年 東邦彫塑院展で特選。
1952年 日展審査員となる。
1958年 日展会員となる。
1962年 日展評議員となる。
1964年 日展で文部大臣賞を受賞。
1970年 日本芸術院賞を受賞。
1972年 日本彫塑会理事となる。
1976年 筑波大学教授となる。
1977年 日展理事となる。
1980年 日展常務理事、日本芸術院会員となる。
1984年 逝去。

東京都新宿区北新宿にて平野千里の木彫、伊藤國男のブロンズ、着物など。

  

東京都新宿区北新宿にて平野千里の木彫「七福神弁財天」、伊藤國男のブロンズ「馬」、着物や反物などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お人形など彫刻やお着物をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は平野千里の木彫「七福神弁財天」、伊藤國男のブロンズ「馬」、着物や反物など。平野千里は日本近代木彫界の巨匠「平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)」の彩色を担当していた彩色木彫の第一人者・「平野富山(ひらのふざん)」の次男として生まれる。20 歳でイタリアへ留学し、西洋彫刻の技術を学んだ後、帰国。帰国後は父、平野富山に極彩色の教えを受け、日本の伝統技術である極彩色技術を今に伝える唯一の彫刻家であります。お品は芸能の神様、七福神紅一点の女神の弁財天。気品あるお顔、平野千里の彩色の華麗さが漂う弁財天です。残念ながら底にシミが出てしまっておりましたが、当社で買取強化中の作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。伊藤國男のブロンズ像はまるで生きているかのような表情でとても精巧に造られております。さすが生涯全てを馬像制作に捧げたといわれる作家の作品でございます。当社で良く扱う作家作品ですが、こちらは幅約50cmと大振りの作品でなんとも迫力がございます。お着物は訪問着や帯など。証紙付きのものや作家物の着物が多く、高価査定で買取することが出来ました。お売りいただいたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。良い彫刻作品、お着物をお売りいただき有難うございました。

平野千里(ひらのせんり)
1948年 東京で彩色木彫の第一人者である父・平野富山の次男に生まれる
1966年 都立小石川高等学校卒業。ローマ・アカデミア美術学校彫刻科入学。ペリクレ・ファツィーニに師事する。
1972年 ローマ・アカデミア美術学校彫刻科卒業。
1988年 日本へ帰国し、父・富山に師事。
1989年 父・平野富山逝去。第21回日展初入選。
1990年 第20回日彫展入選。第22回日展入選。第86回大平洋展で大平洋美術会賞受賞。
1991年 大平洋美術会会友となる。第21回日彫展奨励賞受賞。第23回日展入選。
1992年 第22回日彫展奨励賞受賞。
1993年 第23回日彫展日彫賞受賞。大平洋美術会会員となる。
1996年 日彫会を退会し、彩色木彫に専念する。
1998年 平野富山、千里親子展開催。第94回大平洋展にて、文部大臣奨励賞と会員秀作賞受賞。
2001年 写真家西宮正明氏による写真集「極彩」出版。以後、全国百貨店にて毎年、個展を開催。

伊藤國男(いとうくにお)
1890年に岩手県生まれの彫刻家。10人兄弟で家計を助けるためにある彫刻家の内弟子となり、その頃に馬と関ったことがきっかけで馬像を彫るようになりました。騎兵学校や御料牧場を訪ねては馬像の制作に励み、やがてその作品は天皇陛下の元にも置かれるようになりました。モデルとなった馬たちが次々と戦争で命を落とすことに心を痛め、全財産を費やして戦没馬慰霊像を制作しました。生涯の全てを馬像制作に捧げたといわれている作家でございます。

埼玉県本庄市にて般若純一郎の座牛笛吹童子、宮竹一清の聖観音菩薩。

埼玉県本庄市にて般若純一郎の座牛笛吹童子、宮竹一清の聖観音菩薩立像をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は本庄市へリサイクル業者様のご紹介で出張買取させていただきました。お父様のご遺品整理とのことで、ブロンズ、仏像、掛軸などをお売りいただきました。ブロンズは般若純一郎の座牛笛吹童子。重量が10キロ近くある大振りのブロンズ像で、大変造りの良い作品でございます。共箱など付属品はありませんでしたが、ブロンズ彫刻作品は買取強化中ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。仏像は宮竹一清の木彫り「聖観音」。こちらは高さ45cm(光背・台座含む)、共箱あり。造りの良い聖観音菩薩立像であります。他にも日本画、仏画の掛け軸をお売りいただきました。お父様の大切にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。お忙しい中、お呼びいただき有難うございました。二件目は埼玉県富士見市へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらではお着物や茶托などをお売りいただきました。お着物はシミの出てしまっているものもございましたが、全て買い取らせていただきました。大切に次へと繋げさせていただきます。本日は六角堂をご指名くださり有難うございました。
本庄市の買取後、リサイクル業者の方に昼食へ連れてっていただきました。「川魚料理 ふじ井」という老舗の鰻屋さんで、うな重をいただきました。注文後に捌き、備長炭でじっくり丁寧に仕上げられた国産の鰻、とってもとっても美味しかったです。お客様をご紹介いただき、鰻までご馳走になってしまい、有難うございます。

般若純一郎(はんにゃじゅんいちろう)1931~1989
1931年富山県生まれ。
高岡工芸高校卒業後、米治一氏に師事し彫塑技術を習得。
1965年高岡市展市長賞高嶺賞。
その他、県展・市展10回入選、日展初入選(以後数回入選)

長野県松本市にて山田常山の茶器、中川浄益、大西清右衛門など茶道具。

 

長野県松本市にて山田常山の茶器、中川浄益、大西清右衛門、和田美之助など茶道具、着物、贈答品などをお売りいただきました。

長野県松本市へ、お蔵の整理でお呼びいただきました。お茶の先生をされていたお母様のお着物や茶道具などをご処分されたいとご連絡いただき、出張させていただきました。遠距離出張の為、前日より長野県松本市へと入らせていただきました。お客様が先に蔵からお家の方に並べていただいておりましたので、スムーズに査定することが出来ました。お着物はシミや汚れなどあるものもございましたが、全て買い取らせていただきました。茶道具は100点弱。たくさんのお道具がございました。三代 山田常山の茶器揃、中川浄益の淡々斎好 南鐐銀杏真鍮火箸、大西清右衛門極め名越浄味の釜環、和田美之助の万代屋釜、龍彫りの鉄瓶、釜師 壽兵衛造の喚鐘の他、茶碗、水差、棗、茶入、香合、蓋置、建水、風炉、花入、茶杓、皆具、菓子皿、煙草盆、茶棚、炉縁、茶掛け軸など、たくさんのお道具をお売りいただきました。多数ございましたが、一点一点丁寧に査定し全て買取させていただきました。お稽古用や箱のないお道具もございましたが、こちらも全て買い取らせていただきました。ご家族の大切にされていたお着物やお道具、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名いただき、誠に有難うございました。
画像は前日夜の松本城、松本駅、松本駅そばの「蕎麦居酒屋 蔵のむこう」さんでは信州そばや馬刺しなどをいただきました。お昼の松本城。大変素晴らしいお城でした。天気も良く、アルプスも見えました。ご飯が美味しく、景色が良い、松本市とても良かったです。

三代 山田常山(やまだじょうざん)1924年~2005年
愛知県常滑市に生まれる
昭和16年 愛知県立常滑工業学校窯業科卒業、在学中より祖父・初代 山田常山に師事
昭和21年 父・二代 山田常山に師事
昭和33年 第5回日本伝統工芸展初入選、ブリュッセル万国博覧会にてグランプリ受賞
昭和34年 第7回生活工芸展 第一席 朝日賞受賞
昭和36年 三代 山田常山襲名
昭和38年 財団法人 日本工芸会正会員(~現在)
昭和45年 日本万国博覧会出品
昭和48年 フランス 第3回ビエンナーレ国際陶芸展名誉最高大賞受賞/渡欧
昭和49年 日本陶芸巨匠大展 出品
昭和50年 常滑「手造り急須」の会 会長(~現在)
平成 2年 「心と技ー伝統工芸名品展」、北欧巡回展及び帰国展招待出品(東京国立近代美術館・朝日新聞主催)
平成 5年 平成5年度日本陶磁協会賞受賞
平成 6年 愛知県指定 無形文化財保持者認定「陶芸ロクロによる手造り朱泥急須技法」
平成8年 勲五等瑞宝章受賞
平成10年 常滑焼(急須)で国指定重要無形文化財保持者認定(人間国宝)、日本工芸会参与、東海テレビ文化賞受賞
平成16年 旭日小綬章受賞
平成17年 10月19日 永眠

中川浄益(なかがわじょうえき)
千家の流れを汲む茶の湯の道具を、代々にわたって制作する「千家十職」の一つ「金物師」。 中川家当主が代々襲名する名称である中川浄益。 もともとは越後国で、甲冑(かっちゅう)や鎧(よろい)などの武具を作っていたが、千家の依頼により茶道具を手掛け、薬鑵(やかん)を作ったのが家業のはじまりといわれている。 中川家は錺師(かざりし)とも言われ、金工の技を伝承してきた家でもある。 鋳物(いもの)や鎚物(うちもの)、彫金、象眼、七宝など、また用いられる金属素材も金、銀(南鐐)や銅を中心に青銅、真鍮(しんちゅう)、砂張(さはり)と豊富。その名跡は代々継承されており、現在は11代目が継いでおります。

大西清右衛門(おおにしせいえもん)
大西清右衛門は、千家十職の釜師。大西家は、室町時代後期から400年以上続く京釜師の家。四代目当主が清右衛門をなのり、六代目以降九代目をのぞき、代々の当主は清右衛門という名を継いだ。京都市中京区の三条釜座(かまんざ)に工房があり、「大西清右衛門美術館」も併設されている。現在は十六代清右衛門が当主。十五代の長男として京都に生まれ、大阪芸術大学美術学部彫金科卒業。父が隠居の後、1993年に十六代清右衛門を襲名した。

和田美之助(わだみのすけ)
江戸時代から続く釣鐘鋳造師でその当主が代々受け継ぐ名前です。
初代は京都三条釜座に居を構え、座衆取締役として活躍し、釜や釣鐘を鋳造して天下一釜師の号を拝受されました。
10代の時に茶釜の制作を行うようになり、12代は炉釜・風炉釜・風炉・花入・燗鍋・火箸・釜環・五徳など斬新な作品を手掛け、現在は13代が当主となっています。

埼玉県和光市にてカシニョール、岩橋英遠のリトグラフ、菱屋善兵衛の袋帯

埼玉県和光市にてカシニョール、岩橋英遠のリトグラフ、菱屋善兵衛の袋帯、着物をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は埼玉県川越市へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、置物や中国の工芸品、掛軸など。掛け軸は仏画一点。当社で買取を強化中のお品ですので、高めに査定させていただきお売りいただきました。お忙しい中、お呼びいただき有難うございました。二件目は和光市へお引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、絵画やお着物など。絵画はカシニョールや岩橋英遠のリトグラフ。ジャン・ピエール・カシニョールは、現代フランス画壇を代表する⼈気作家の⼀⼈。シャルパンティエ・アカデミー、パリ美術学校で学び、日本、フランス、アメリカを中心に多くの展覧会を手がけ精力的な活動をつづけています。 アンニュイで優雅な雰囲気は世界中で愛されております。岩橋英遠は北海道生まれの日本画家。洋画の手法も取り入れつつ、独自の自然観照による写実的でありながら幻想的でもある印象のある絵画世界を創造し続け、享年まで日本画壇の重鎮として活躍されました。お着物は西陣織の老舗、菱屋善兵衛の袋帯二点、訪問着や留袖など。「菱屋善兵衛」を屋号とする木野織物は、創業200年を超える老舗。創業当時から存在する蔵に所蔵されていた古代裂地を復刻した袋帯を中心に、図案、配色、織物組織から素材まで全てにおいて吟味を重ね、訪問着、小紋、また紬などの洒落物用まで、現代のニーズに合わせた締め心地の良い帯を創作されております。一点は未着用、もう一点も一度締めたのみの美品でした。当社買取強化中の作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。お喜びいただけて良かったです。お忙しい中、六角堂をご指名いただき、誠に有難うございました。

ジャン・ピエール・カシニョール 1935年~
1935年 フランス・パリに⽣まれる
1952年 パリで初の個展を開催
1954年 シャルパンティエ・アカデミー校(フランスの美術専⾨学校)に⼊学
1959年 「サロン・ドートンヌ」の会員に推挙される
1967年 初めてのリトグラフ(石版画)作品を作成する
1970年 東京で⼤規模な個展を開催たことをきっかけに初来⽇
1990年 ⼤阪で⾏われた「国際花と緑の博覧会」の公式ポスターを制作

岩橋英遠(いわはしえいえん)
1903 北海道滝川市で生まれる。
1924 上京、日本画家山内多門に師事
1934 院展に初入選(’50、’51美術院賞)
1953 日本美術院同人
1953 芸術選奨文部大臣賞
1968 東京芸術大学教授(’70まで)
1970 道庁からの依頼により開拓記録画、「阿寒湖畔の松浦武四郎」を制作
1972 日本芸術院賞
1981 日本芸術院会員
1989 文化功労者
1994 文化勲章
1999 7月12日 神奈川県相模原市にて逝去。享年96。

東京都豊島区にて藤本能道の花壷、和太鼓、桐箪笥、着物など。

    

東京都豊島区駒込にて藤本能道の花壷、和太鼓、桐箪笥、着物などをお売りいただきました。

不動産業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。桐たんすや着物、和太鼓などをご処分されたいとご連絡いただき、出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、人間国宝 藤本能道の花壷、和太鼓、桐箪笥、着物など。桐箪笥は伝統工芸品 春日部桐箪笥。砥粉落ちや傷などあるものの、まだまだリサイクル可能なタンスでございました。着物は紬や訪問着、帯、和装小物など。シミの出てしまっているものもございましたが、全て買い取らせていただきました。太鼓はやや小ぶりの和太鼓(長胴太鼓)。太鼓の山慶のもので、欅材のしっかりとした和太鼓であります。撥や台などの付属品も併せてお売りいただきました。また、人間国宝 藤本能道の赤絵面取り花壷など陶器や贈答品などもお売りいただきました。藤本能道は富本憲吉、加藤土師萌に師事(共に重要無形文化財「色絵磁器」保持者)し、二人の色絵技術を継承し写実的で情緒ある独自の表現を追求し続けた色絵磁器の巨匠。本人もまた重要無形文化財「色絵磁器」保持者(人間国宝)となりました。本作は赤絵面取り花壷。お引越し先に飾る場所がなく、今回泣く泣くのご売却とのこと。査定を頑張らせていただきました。大切にされていたお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。本日は六角堂のご指名、たくさんのお品をお売りいただき有難うございました。

藤本能道(ふじもとよしみち)大正8年(1919)1月10日〜平成4年(1992)5月16日
1919年 東京に生まれる。
1931年 東京美術学校工芸科図案部を卒業。文部省技術講習所に入所。
1938年 技術講習所の臨時職員として富本憲吉の助手を務める。
1946年 日展・国展にて初入選。
1956年 日本陶磁協会賞受賞。京都市立美術大学講師に就任。
1965年 ジュネーブ国際陶芸展にて銀賞を受賞。
1970年 東京芸術大学助教授に就任。
1985年 東京藝術大学学長に就任。
1986年 重要無形文化財「色絵磁器」保持者に認定。
1992年 死去。

東京都品川区にて反物、服部製純銀花瓶、山田宝生、小西洋平など茶注(急須)。

   

東京都品川区旗の台にて反物、服部製純銀花瓶、山田宝生、小西洋平など茶注(急須)をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は東京都大田区南馬込へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は掛け軸や茶道具など。掛け軸は日本画二本。茶道具はお稽古用のものでしたが、全て買い取らせていただきました。ご家族の大切にされていたお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。二件目は品川区旗の台へ業者様のご紹介で出張買取させていただきました。お父様のご遺品をご処分されたいとご連絡いただき、出張査定させていただきました。お売りいただいたお品は結城紬などの反物、服部製純銀花瓶、山田宝生、小西洋平など茶注を多数。純銀花瓶は服部製のもので大変重厚感ある花瓶。松竹梅が彫られており、美幸刻と銘がございます。共箱の欠品、スレ、変色などございましたが素晴らしい作品ですのでお客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。また常滑焼や萬古焼などの煎茶道具をたくさん集められていたようで、茶注(急須)や宝瓶、湯呑などございました。徐々にご処分されるとのことで、本日は20点ほどご売却いただきました。人気作家の山田宝生の他、小西洋平、村越風月、村田益規、二代 間野舜園、間野弥平などたくさんの作家作品をお譲りいただきました。来月か三月に残りの煎茶道具をお売りいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。本日はお忙しい中、六角堂をご指名くださり誠に有難うございました。
六角堂では常滑焼の山田常山・山田宝生・吉川雪堂・吉川壺堂・沢田昭邨・吉川房夫(壺堂)・白道・吉川秀樹・間野舜園・岩瀬弘二・伊奈長三・杉江寿門・磯村白斎、萬古焼の笹岡秦山・山本広巳・堀友直・川村又助・山中忠左衛門・人見洞永・水谷寅次郎(碧山)・大塚斉家(香悦)・田中徳松(東錦堂)・岸園山・笹岡春山など煎茶道具の作家作品を強化買取しております。ご不要の作品がございましたら、是非お問い合わせください。

山田宝生(やまだほうしょう)1950年~2016年
山田宝生は端整でこだわりを持ったもの造りをすることでも有名な作家で、その作品は主に急須が多くございます。柔らかな曲線のフォルムに非常に精緻に彫刻をされています。完成度の高い、洗練された気品漂う美しい作品が多くございます。
1950年 愛知県常滑市生まれ。
1969年 愛知県立常滑高校窯業科卒業。
1971年 宝生陶房設立。
1977年 第一回現代煎茶具展出品。以後数回出品。
1983年 陶業振興展市長賞。
1984年 陶業振興展議長賞。
1986年 東海伝統工芸展入選。長三賞工芸展入選。長三賞陶業展奨励賞。
1987年 第一回日本煎茶工芸展文部科学大臣奨励賞。第二回国民文化祭出品。第三賞陶芸展入選。
2001年 世界陶磁器エキスポ2001大韓民国出品。
2016年 逝去。

東京都三鷹市にて中村岳陵の掛軸、服部織物謹製 青々庵の袋帯、着物。

  

東京都三鷹市にて中村岳陵の掛軸、服部織物謹製 青々庵の袋帯、訪問着など着物をたくさんお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お着物や掛け軸などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、中村岳陵の掛軸、服部織物謹製 青々庵の袋帯、訪問着などお着物、反物など。たくさんのお品がございましたが、一点一点丁寧に査定し、お客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。掛軸は日本画家 中村岳陵の鯉の図。二重箱に収められております。所々にシミが出てしまっておりましたが、買取強化中の作家作品ですので買取させていただきました。画像の袋帯は京都・西陣の老舗、服部織物。服部織物は創業1788年から脈々とその卓越した技術力と創作性で親しまれてきました。天明の昔から、京都・西陣に帯を織りつづけて200有余年。服部織物は名匠の心と技を今に受け継ぎ手づくりの帯の美をひろめています。色彩の美しさ、確かな技術をもって生み出される緩やかな曲線は他に類を見ない西陣ならではの帯姿です。あるデザイナーの色選びから始まった「青々庵」。おしゃれな女性が無言で個性を語れる色無地を。色あいは渋くて派手。着こなし次第で地味にも派手にもなる。色無地の常識を破ったダークな三十色のきものからスタートしました。状態は締めてはおりますが、特に目立ったシミ汚れなどもなく大変良い状態です。他にも作家物の訪問着や紬などをお売りいただきました。また、反物や和装小物なども併せてお売りいただきました。茶道具がたくさんあり、ご処分される際にまたお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。ご家族の思い出のお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。本日は六角堂をご指名いただき、誠に有難うございました。

中村岳陵(なかむらがくりょう)明治23年(1890)-昭和44年(1969)
伝統的な大和絵の技法に近代西欧絵画の描法を取り入れ、情緒・格式・理論が調和する独特の世界を拓く。毎日芸術大賞、朝日文化賞受賞。文化勲章受章。日展顧問、帝国芸術院会員、文化功労者。
1890年 静岡県下田市に生まれる。本名恒吉。
1902年 はじめて野沢堤雨に師事、光琳派を学ぶ。
1904年 土佐派の川辺御楯に師事する。
1908年 東京美術学校(現:東京芸術大学)日本画選科に入学。紅児会に入る。
1912年 東京美術学校を卒業。同年第6回文展に≪乳糜供養≫を出品し、入選。
1914年 今村紫紅、速水御舟らと赤耀会を創立。
1915年 再興日本美術院の同人に推された。
1921年 第8回院展の平家物語に取材した≪輪廻物語≫や、≪浮舟≫、≪竹取物語≫、
1927年 第14回院展の白楽天の詩を取材した≪貴妃腸浴≫など、古典に取材した作品を発表する。
1928年 日本美術学校教授となる。
1930年 福田平八郎、山口蓬春らと六潮会を創立。
1935年 帝国美術院改組に際して参与になり、以後新文展、日展に出品した。
1947年 帝国芸術院会員、日本芸術院会員となる。
1948年 彩交会を結成。
1950年 日本芸術院脱退、日展へ移る。
1961年 朝日文化賞、毎日芸術大賞受賞。
1962年 文化勲章を受章した。
1969年 逝去。