京都府京都市にて河井寛次郎(山岡山泉 画)の茶碗、水指、お茶道具、お着物などをお売りいただきました。
お着物やお茶道具をご処分されたいとご連絡いただき、京都府京都市へ出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、河井寛次郎(山岡山泉 画)の茶碗、水指、お茶道具、訪問着や紬などのお着物。河井寛次郎の作品は鐘渓窯時代のもので、友人である山岡山泉が絵付けされたもの。お売りいただいた作品は「呉須松竹梅 茶碗」、「呉須観瀑山水 水指 」の二点。二人の合作は大変希少なものであり、お客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。他にも清水六兵衛の茶碗、棗、茶入、香合、花入、茶杓、菓子皿など茶道具一式、訪問着や大島紬、結城紬など買い取らせていただきました。大変素晴らしいお品に出会えて、京都までの出張疲れも全くございません。お売りいただきましたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。お呼びいただき有難うございました。
帰りに仏像の勉強を兼ねて、三十三間堂へ寄りました。ほの暗い本堂内に整然と並んだ1001体の千手観音像が黄金色に輝き、なんとも幻想的な雰囲気であります。お堂の外の庭園も見事で、しばらくブラブラ散歩させていただきました。帰宅時には富士山を見ることが出来、良い出張買取となりました。
河井寛次郎(かわいかんじろう)1890(明治23)年~1966(昭和41)年
明治23年 島根県安来市に生まれる。
大正 3年 東京高等工業学校窯業科卒業、京都市 陶磁器 試験場へ入所。
大正 9年 京都五条坂の窯を購入し作陶を開始。工房を「鐘渓窯」とする。
中国や韓国の古陶磁を参考にした作品を制作する。
大正11年 東京での個展が好評を博し、注目を浴びる。
大正13年 スリップウェアに感激し、作風が一変。簡素な形にオリジナル図案を施した作品を制作する。
大正15年 柳宗悦、濱田庄司らと民芸運動を起こす。
昭和 2年 柳宗悦、富本憲吉、濱田庄司、バーナード・リーチ、黒田辰秋と「上賀茂民芸協団」を創立。
昭和12年 パリ 万国博覧会 でグランプリを受賞。
昭和24年 自由奔放で個性豊かな作品を制作する。
昭和30年 文化勲章、人間国宝、芸術院会員を辞退。
昭和41年 逝去、76歳。
山岡山泉(やまおかさんせん)1871(明治4)年~1943(昭和18)年
本名を千太郎といいます。
実業家として活躍し、1916(大正5)年の引退後は焼物を始める。
河井寛次郎に絵を学び、それが高じて古画の模写を行うようになったという経歴の画家です。
特に雪舟に傾倒した事で知られています。