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東京都台東区浅草橋にて、十二世 伊東久重 木彫御所人形「孝丸」

東京都台東区浅草橋にて、十二世 伊東久重 木彫り御所人形「孝丸」、振袖をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。東京都台東区へ出張させていただきました。一件目は、台東区駒形へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、桐たんす、イギリス製のアンティーク食器を買い取りさせていただきました。桐たんすは砥粉落ち、シミ汚れなどございましたが、大切にされていた思い出のお品でしたので、引き上げさせていただきました。次に繋げたいというお客様の思い、六角堂で責任もって次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名くださり、ありがとうございました。二件目は台東区浅草橋へ、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、お客様が成人式で使われた振袖のセット。大切に保管されておりましたので、良い状態でした。また、お子様が生まれたときにお父様から頂いたという有職御人形司 十二世 伊東久重 木彫り御所人形「孝丸」を併せてお売りいただきました。江戸時代から高貴な人々に愛される人形を作り続けてきた京都の伊東家。その伝統引き継ぐ有職御人形司(ゆうそくおんにんぎょうし)十二世伊東久重(ひさしげ)。伊東家は、江戸・享保年間(1716~36)、当時の当主、桝屋庄五郎が人形司として身を立てたのが始まり。67年に三代目庄五郎が、後桜町天皇から宮廷出入りの御所人形司として「有職御人形司 伊東久重」の名を賜りました。以降、代々久重を名乗っております。伊東久重の造る人形の素材は、ひび割れを防ぐため、30年以上もの間、自然乾燥させた桐材を使用します。子どもの姿を彫り、古い和紙を貼る。貝殻から作る白い顔料胡粉(ごふん)を50回ほど塗り重ね磨き上げることにより、透き通るような白い光沢が生まれる。そこに顔を描いていきます。西陣織を使う衣装作りは、代々の母や娘らが担ってきました。年間に作れるのは約30体で、数年かける作品もあるようです。御所人形は、白い肌の三頭身が特徴で、子供の遊びや、喜びに満ちた姿、様子を主題にしております。江戸時代にはその特徴から「頭大人形」や「三つ割人形」などと呼ばれておりましたが、明治時代になって、宮廷や公家、門跡寺院といった高貴な人々の間で愛されたことから「御所人形」と呼ばれるようになりました。宮中の慶事や出産、結婚など、様々な祝事の際に飾られてきた由緒ある人形です。本品は桐を使用したガラスケースに納められており、大変状態の良いお人形さんでした。大変素晴らしいお人形をお売りいただき有難うございました。ご家族の思い出のお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。
買取終了後、墨田区にあるペッパーランチ吾妻橋店で食事をしました。近くへ買い取りに来た際にはよく寄らせてもらってます。本日はお肉たっぷりビーフペッパーライス、熱々でとても美味しかったです。

有職御人形司 十二世 伊東久重(いとうひさしげ)
昭和19年 有職御人形司 伊東家の長男として生まれる。
昭和53年 十二世 伊東久重を継承する。
昭和60年 科学万博・日本歴史館にて「伊東久重 御所人形の世界」展。
昭和60年 高島屋京都店美術画廊にて個展。
平成12年 京都にて「十二世 伊東久重 御所人形の世界」展。(京都新聞主催)
平成12年 静岡にて「十二世 伊東久重 御所人形の世界」展。(朝日テレビ主催)
平成17年 福岡にて「十二世 伊東久重 御所人形の世界」展。(北九州市主催)
平成21年 佐川美術館にて「宮廷の雅 伊東久重 御所人形の世界」展。
平成22年 北村美術館四君子苑にて「十二世 伊東久重展」。(同23、24年)
平成26年 高島屋京都店美術画廊にて「十二世 伊東久重 ・ 建一展」を開催する。
平成30年 静岡県駿河平に「十二世伊東久重美術館」を開館。
平成30年 高島屋京都店グランドホールにて「有職御人形司 十二世伊東久重の世界」展。(朝日新聞社・京都新聞主催)
平成30年 日本橋高島屋S.C.本館8階ホールにて「有職御人形司 十二世伊東久重の世界」展。(朝日新聞社主催)
(財)表千家不審菴理事、(財)金剛能楽堂財団顧問、(財)伝統文化保存協会理事長を務める。

埼玉県桶川市にて石橋古鈴の木彫 恵比寿・大黒天像「招福」、佐野宏采の鼠置物、反物。

埼玉県桶川市にて石橋古鈴の木彫彩色 恵比寿・大黒天像「招福」、佐野宏采のブロンズ鼠置物、反物をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、遺品整理でお呼びいただきました。お遺品である久米島紬の反物の他、彫刻家石橋古鈴(いしばしこすず)の木彫彩色 恵比寿・大黒天像「招福」、佐野宏采のブロンズ鼠の置物などをお売りいただきました。彩色に色落ちなどございましたが、石橋古鈴の彫刻作品は買取強化作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取りさせていただきました。また、高岡銅器の名工、佐野宏采の鼠の置物も併せてお売りいただきました。共箱の欠品、緑青が出たりと難がございましたが、大変造りの良い作品でしたので、こちらも買い受けさせていただきました。佐野宏采といえば香炉の作品で有名ですが、こちらのような干支の置物なども作られております。ご家族の大切にされていたお品々、大切につぎへと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、誠にありがとうございました。
帰宅途中、さいたま市桜区にある「くるまやラーメン」さんで食事をしました。くるまやラーメンさんのねぎ味噌らーめんは辛ねぎが絶品ですね。美味しかったです。

石橋古鈴1909~1994 三重県出身の彫刻家
文展、帝展で活躍し、帝展無鑑査となり、戦後は日展委員などをつとめました。日本木彫会の創立に参加した中野桂樹、日本芸術院会員として活躍した内藤伸に師事。中野桂樹、内藤伸いずれも木彫作家として知られており、仏像を手掛けている事から石橋古鈴も師の影響を受け、仏像制作に取り組み、独自の作風を築き上げていきます。石橋古鈴は仏像制作を得意とした彫刻家として知られ、文展、日展作家として活躍しており、同展で受賞も重ねています。日本彫刻会会員でもあり、独自の優美な姿が特徴の作品が多く、細部にまで丁寧に表現された完成度の高い木彫作品に定評があります。平成6年(1994)9月10日没。

佐野宏采(さのこうさい)
日本金工界を代表する高岡金工の名匠。
昭和19年 高岡市生まれ。
昭和42年 伝統工芸富山展支部賞受賞
昭和43年 日本伝統工芸展初入選 以後28回入選
昭和45年 日本伝統工芸金工展入選 以後13回入選
昭和46年 伝統工芸富山展 北日本新聞社賞受賞
昭和49年 伝統工芸富山展 日本工芸会賞受賞
昭和49年 日本工芸会 正会員認定
平成04年 日本伝統工芸富山展芳春賞受賞
平成09年 高岡物産振興協会表彰
平成13年 日本伝統工芸富山展 高岡市長賞受賞
平成17年 伝統工芸高岡銅器振興協同組合表彰
平成18年 伝統工芸富山展 日本伝統工芸会賞受賞
平成22年 高岡市民功労者賞受賞

千葉県鎌ケ谷市にて吉野民芸箪笥三竿、松戸市にて北川民次の版画。

 

千葉県鎌ケ谷市にて吉野民芸の箪笥三竿、松戸市にて北川民次のリトグラフをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目はお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は吉野民芸の箪笥三竿、オットマン付きチェアなど。吉野民芸は、福岡県大川市の家具。吉野民芸家具には、木目が美しく堅くて摩耗に強い国内産のケヤキを使用。引出しは釘を使わない頑丈な蟻組み工法で、調湿効果の高い桐材を採用しております。厚みのあるしっかりとしたタンスです。整理箪笥を二竿、階段箪笥(右下がり)を一竿お売りいただきました。所々に小傷、引き出し内側にシミや汚れなどございましたが、素晴らしいタンスですので全て買い取らせていただきました。階段五階からの搬出で時間が掛かってしまいましたが、お客様にお手伝いいただきましたのでスムーズに終えることが出来ました。最近運動不足気味でしたので、良い運動が出来ました。本日は六角堂のご指名、誠に有難うございました。二件目は、松戸市へお引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、北川民次のリトグラフ、掛軸、反物など。北川民次らしい作風の蘭の花のリトグラフ。北川民次はメキシコ美術に影響を受けた太く力強い描線と鮮やかな色彩で、メキシコの独特の気風や人々を描いております。デフォルメされた独特な画風で、生気あふれる作品を多く残されました。残念ながらシミ汚れが多数ありましたが、当社で買い取りを強化している作家作品ですので、買い取らせていただきました。お引越し準備でお忙しい中、当社をお呼びくださり、有難うございました。
帰りに、松戸市にある「中華厨房ゆうえん」さんで食事をしました。こちらはわたしが15年前ほど前に近所に住んでおり、良く通ったお店です。当時よく食べていた麻婆麺をいただきました。当時から味も変わらず、とっても美味しかったです。また近くに来た時には、寄りたいと思います。

北川民次(きたがわたみじ)明治27(1894)年1月17日~平成元年(1989)年4月26
1894年 静岡県に生誕。
1910年 早稲田大学予科に入学。絵画を描き始める。
1914年 早稲田大学を中退し、カリフォルニア在住の伯父を頼り、渡米する。
1917年 ニューヨークでジョン・スローンに師事する。
1921年 アート・スチューデンツ・リーグ卒業。学友には、国吉康雄がおりました。
1923年 アメリカ南部諸州を放浪し、キューバを経てメキシコへ。
1924年 メキシコのサン・カルロス美術学校に通う。メキシコ革命後の美術運動に参加。
1925年 トラルパムに開設の野外美術学校に勤務。
1931年 タスコの野外美術学校校長となる。
1933年 藤田嗣治の訪問を受ける。
1936年 日本へ帰国する。
1937年 藤田嗣治の推薦を受けて第24回二科展に出品、会員となる。
1943年 愛知県瀬戸市に疎開。
1949年 名古屋動物園美術学校を開き、1951年まで小学生に絵画指導を行う。
1951年 名古屋市内に児童美術研究所を開設。
1952年 中日文化賞受賞。
1955年 メキシコ再訪。
1961年 本間美術館で藤田・北川展開催。
1964年 現代日本美術展優秀賞受賞。
1968年 第6回現代日本美術展佳作賞受賞。
1973年 画業60年回顧展開催。
1974年 飯田画廊で個展を開催。
1978年 東郷青児の死去に伴い、二科会会長に推されるも同年辞任。
1979年 二科会脱会。
1989年 肺線維症のため愛知県瀬戸市の陶生病院で死去。享年97歳。

東京都武蔵野市で、11代田原陶兵衛萩茶碗、福生市で民芸調和箪笥。

     

東京都武蔵野市にて、十一代田原陶兵衛の萩茶碗など茶道具一式、福生市で民芸調和箪笥三竿をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は解体業者様のご紹介で、解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでお売りいただいたお品は、お茶道具や市松人形など。茶道具は十一代田原陶兵衛の萩茶碗をはじめ、水差 、棗、茶入、香合、花入、茶杓、釜など一式買い取らせていただきました。共箱のないものも多数ございましたが、茶道具は当社で買い取りを強化しておりますので全て買い取らせていただきました。十一代 田原陶兵衛は十代陶兵衛の長男で、本名を忠太郎といいます。卓越した技術で1943年に技術保存窯に指定されるも、1956年に若くして亡くなり、以降、弟である十二代陶兵衛がその名跡を継ぎ、窯の火を守っていきました。本品は十二代田原陶兵衛の識箱、塗箱に納められております。紐は保管時に切れてしまったようです。鹿背(御本)がほんわかと出ており、素敵な萩茶碗となってます。お客様の大切にされていたお道具、大切に次へと橋渡しさせていただきます。まとめてのご売却、誠に有難うございました。二件目は東京都福生市へ、遺品整理でお呼びいただきました。親戚が大切に使われていたという民芸調の箪笥、和箪笥、洋箪笥、整理箪笥の三竿。欅材の張地に中桐、黒塗り鉄金具の装飾素敵なたんすでした。近年タンスのリサイクルが厳しくなっておりますが、当社ではまだまだ買取可能となっております。ご親戚の大切にされていたタンス、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、ありがとうございました。
帰宅途中、武蔵村山市にある「江川亭 武蔵村山店」で夕食をいただきました。のり麺にニャン玉ごはん、とっても美味しかったです。今日は私の誕生日、良い一日となりました。

田原陶兵衛系譜
初代 赤川助左衛門
二代 赤川三左衛門
三代 赤川忠兵衛
四代 赤川佐々エ門(佐兵衛、左々ヱ門)
五代 赤川忠兵衛(喜右衛門)
六代 赤川喜右衛門
七代 赤川忠兵衛
八代 赤川喜代蔵
九代 田原陶兵衛 – 幕末、喜代蔵の嫡男謙治が田原姓を名乗り田原陶兵衛を称する。
十代 田原高麗陶兵衛 1880年-1939年
十一代 田原高麗陶兵衛 1956年没 十代陶兵衛の長男。1943年技術保存窯指定。
十二代 田原陶兵衛 1925年-1991年十代の二男。1956年(昭和31年)12代田原陶兵衛を襲名。日本工芸会正会員。 1981年 山口県の無形文化財保持者に認定。
十三代 田原陶兵衛 1951年- 現当主。十二代の長男。中里重利に師事。1992年に父の死去により十三代を襲名する。

東京都国分寺市にて青柳翠峰の水指、茶道具、川島織物の袋帯、作家物の着物。

 

東京都国分寺市にて青柳翠峰の高取菱形水指(前大徳藤井誡堂書付)などお茶道具一式、川島織物の袋帯や作家物の着物などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お引越しすることとなり、お茶道具やお着物を減らしたいとのことでご連絡いただきました。お売りいただいたお品は、青柳翠峰の高取菱形水指(前大徳藤井誡堂書付)などお茶道具一式、川島織物の袋帯や作家物の着物など。
青柳翠峰(あおやぎすいほう)は大正五年生まれ、上野焼の作家 であります。口が四方(菱形)で 底は丸形の高取水指。三層の釉薬が掛分けられており、綺麗な景色を作っています。共箱蓋裏に前大徳藤井誡堂の書付がございます。
川島織物は西陣でも龍村と双璧をなす名門。選び抜いた絹糸を用い、西陣最高峰の技術を駆使して製織される帯の数々は、その美しさに加え締め心地の良さにも評価が高く、多くの方から支持され続けています。
たくさんあるお品の中から今回ご処分されるお品を分けながら、一点一点査定させていただきました。買い取りを強化している作家作品があり、お客様にご満足いただける査定額で買い取りさせていただくことが出来ました。またお着物やお茶道具をご処分される際にお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。本日は六角堂をお呼びいただき、有難うございました。
倉庫へ戻る途中、所沢市にあるお蕎麦屋さん「玉川」で食事をしました。本日のランチセットは天丼とおうどんのセット。とても美味しくて、お得なセットでした。

藤井誡堂(ふじいかいどう)1898年(明治31)~1984年(昭和59)
大徳寺515世管長、大徳芳春院二十二世、大徳寺塔頭三玄院住職
戦後より大徳寺の復興に瑞巌、雲窓らと共に尽力を示す。
特に茶陶に深い造詣を持ち、京焼陶工を指導して、江戸時代の紫野焼復興に功績を残す。
自作の茶碗、茶杓、茶掛書も数多く製作、茶席では大徳寺歴代管長の中でも人気の高い一人。

東京都杉並区阿佐谷南にて、岩崎洋 春日部桐箪笥、中野区にて雨竜蒔絵 印籠。

東京都杉並区阿佐谷南にて、岩崎洋 春日部桐箪笥、IDC大塚家具のソファ、中野区野方にて雨竜蒔絵 印籠、掛軸をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は、東京都杉並区阿佐谷南へ、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は伝統工芸士岩崎洋の春日部桐箪笥、IDC大塚家具のソファ。お売りいただいた桐たんすは、埼玉県春日部市で作られている伝統工芸品春日部桐箪笥、四方丸下三大洋和箪笥という形のたんすで、当社でも数多く取り扱う高級桐たんすになります。前飾りには四君子(蘭、竹、菊、梅)が彫金されており、金石刻の銘があります。伝統工芸士である岩崎洋の作。数か所砥粉落ち、小傷などございましたが、全体的に状態の良いタンスでした。春日部桐箪笥の歴史は、江戸時代初期頃、日光東照宮の造営のため全国から集まった腕利きの工匠の一部が、桐が豊富にあった春日部の地に住み桐を材料とした指物や小物を作り始めたのが始まりであると伝えられています。昭和54年に歴史と伝統ある春日部桐箪笥が国から認められ、経済産業大臣指定「伝統的工芸品」の認定を受けました。現在も、伝統技術や職人の誇りを引き継いだ伝統工芸士が丹念に「桐たんす」を造られております。春日部桐箪笥の伝統工芸士には、山田章、田口順一、向佐孝、仙波久善、荒井兼次、飯島勤、岩﨑洋がございます。いずれも当社で買い取りを強化している作家さんでございます。桐箪笥の他、IDCのレザーソファも併せてお売りいただきました。搬出に多少時間が掛かってしまいましたが、最後までお付き合いくださり有難うございました。また着物などをご処分される際には、是非六角堂をご指名ください。本日二件目は、リサイクル業者様のご紹介で中野区野方へお呼びいただきました。お父様のご遺品をご処分されたいとのことで、掛け軸や煙管、印籠などを見積りさせていただき、お客様にご満足いただける査定額で全て買い取らせていただきました。掛け軸は工芸品のものが多くございましたが、全て買い受けさせていただきました。印籠は雨竜の蒔絵に内梨地、根付は柘植で老人を彫ったもの、緒締は瑪瑙製。銘はございません。少々傷みがございましたが、こちらも買取させていただきました。捨てようとされていたお品にもお値段が付き、お客様にお喜びいただけました。お父様の大切にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、誠に有難うございました。
帰りに、荻窪駅にある「ステーキのくいしんぼ」さんで食事をしました。ステーキのくいしんぼさんは25年ほど前、学生時代によく通っており、久々の来店でした。本日は豚焼肉&ハンバーグをいただきました。こちらのお店はご飯がおかわり自由ですので、当時はたくさんおかわりしておりましたが、やはり四十代になると食べれないですね。少し歳を感じました。

東京都文京区目白台にて十三代酒井田柿右衛門の深皿、首里花織、着物など。

東京都文京区目白台にて人間国宝十三代酒井田柿右衛門の錦花鳥文深皿、首里花織などのお着物をお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。数社相見積でしたが、査定後に当社へお売りいただくこととなりました。本日お売りいただいたお品は、首里花織や大島紬などのお着物、作家物の帯など。当社の得意とするお着物が多くあり、お客様にご満足いただける査定額で全て買取することが出来ました。お着物は全体的に丈が少々短いものの、保管状態よくシミなどはありませんでした。また、証紙のあるものが多くあり、高価査定と繋がりました。当社査定額にお喜びいただけて良かったです。併せて贈答品なども買取させていただきました。贈答品の中には十三代酒井田柿右衛門の錦花鳥文深皿などもあり、全て買取させていただきました。お片付けでお忙しい中、六角堂をご指名くださり誠に有難うございました。
帰宅途中、豊島区にある「東池袋大勝軒 本店」さんで食事をしました。誰もが知っている人気の名店。大好きなワンタンメンをいただきました。伝統を受け継いでいる豚骨魚介系のスープがとても美味しいです。さすが名店でございます。

13代 酒井田柿右衛門(さかいだかきえもん)1906(明治39)年~1982(昭和57)年
13代酒井田柿右衛門は12代酒井田柿右衛門の長男として佐賀県に生まれました。本名を渋雄といいます。
1947年(昭和22年)頃から濁手の復活を目標とする。1953年(昭和28年)、第12代柿右衛門とともに、「濁手」を復興。1955年(昭和30年)、濁手の製作技術は、国の無形文化財に指定。 1963年(昭和38年)、日本伝統工芸展に入選。 1964年(昭和39年)、日本工芸会正会員となる。1970年(昭和45年)、佐賀県陶芸協会会長となる。 1971年(昭和46年)、濁し手の技法で国の重要無形文化財に総合指定。柿右衛門製陶技術保存会会長となる。1975年(昭和50年)、西日本文化賞などを受賞。
個人作家として新しい柿右衛門の確立を目指した13代は、伝統を墨守し続ける頑固な父の方針に不満を持ち、お互いの方向性の違いから親子喧嘩が絶えなかった事でも有名です。
この父より受け継がれた職人気質を基礎に現代様式の柿右衛門を創造すべく、日本画家、彫刻家、芝居役者、政治家、実業家等のあらゆる分野の人々と交流を深め、近代的な独自の新意匠を取り入れた新境地を築き上げました。
頻繁に全国各地の野山へ出掛けては膨大な量のスケッチを取った事でも知られており、こうして図案化されたものが濁手素地の上に彩られました。
芸術作家としての柿右衛門の評価は13代の出現で不動のものとなりました。

首里花織(しゅりはなおり)
沖縄県那覇市首里産地の織物。先染めの紋織物。士族以上の着衣として用いられました。織地に経糸の一部が緯糸に組合わされずに、経糸と経糸の間に緯糸がはさまれて紋柄を織りだし、両面とも経糸が浮いています。王朝時代は主に男性衣でありましたが、近年はその織の特性を生かして帯や飾布、小物類などもつくられています。首里花織の種類は両面浮花織、緯浮花織、経浮花織、手花織がありますが、両面浮花織はとくに人気があります。両面浮花織とは、平織組織より誘導された織で、平織の地の一部が経糸と緯糸が組合わずに浮いている形で紋柄を織りだし、片面は緯糸が浮き、裏面は経糸を浮かします。柄は幾何学的な紋柄単位を四角形や菱形に展開したもの、市松模様などがあります。配色は黄金色、水色、薄緑などの無地、また、赤や黄、藍などの多色配色の格子柄があります。