月別アーカイブ: 2017年2月

埼玉県所沢市にて、桔梗屋仁常作総桐箪笥(和たんす)や着物、和装小物、松本民芸家具の文机など。

埼玉県所沢市にて、桔梗屋仁常作総桐たんす(和箪笥)や着物、和装小物、松本民芸家具の文机などをお譲りいただきました。

お引越し前のお荷物整理にてお呼びいただきました。正面にシミ汚れがございましたが、人気の和たんすでしたのでお客様にご満足いただける価格にて買い受けさせていただきました。こちらは天丸の下三大洋というスタンダードのタイプのもので六角堂でも数多く取り扱う桐たんすになります。

六角堂では、桐箪笥の買取りを強化しております。桐タンスには、和たんす(衣装たんす)、洋服たんす、整理たんす(昇りたんす)、小袖たんす、チェストなどがございますが、六角堂では全て買取対象となっております。また、新潟県の加茂桐たんす、埼玉県の春日部桐箪笥、愛知県の名古屋桐タンス、大阪府の泉州桐箪笥、和歌山県の紀州桐たんすなどのブランド桐タンスを強化買い取りしております。ブランド桐タンスに関しましては、高価買い受けさせていただきますので、お早めにご相談ください。他にも和家具、民芸家具をはじめ、デザイナーズ家具、各種ブランド家具まで、幅広く買い取りしておりますので、ご売却をお考えの際には、六角堂をご指名ください。

六角堂出張買取地域
東京都23区
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神奈川県
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千葉県
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埼玉県
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山梨県、栃木県、群馬県、茨城県、福島県、長野県、新潟県、静岡県
その他、箱根、伊豆方面や軽井沢にも無料にて出張致しております。お茶道具や骨董品に関しては全国出張致します。お気軽にご相談ください。

東京都世田谷区玉川田園調布にて、ペルシャ絨毯、ラリックの花瓶、萄雅彦の油彩画「闘牛士」。

東京都世田谷区玉川田園調布にて、ペルシャ絨毯、ラリックのフラワーベース、萄雅彦の油彩画「闘牛士」をお譲りいただきました。

お荷物を断捨離されるとのことでお呼びいただきました。今回ははじめてのお取引でしたので、数ある美術品の中から、ペルシャ絨毯、ラリックのフラワーベース、萄雅彦の油彩画「闘牛士」をお譲りいただきました。徐々に絵画などをご処分されるとの事で、また何かございましたら、お呼びください。本日二件目の杉並区へ向かう途中、甲州街道沿いにある麵屋参壱さんというお店へ寄りました。いつもは隣にある長浜らーめんさんへ寄らせて頂いておりますが、ずっと前より気になっておりましたので、寄らせていただくことにしました。豚骨ねぎ味噌ラーメンをいただくことにしました。こちらのお店、一般的な街の中華屋さんの作り方で違うのは、刻んだニンニクが大量に入っていることです。ニンニク好きの方にはたまらないお店です。わたしも替え玉してしまいました!!

六角堂では「萄雅彦」の作品を探しております。
ご所蔵の作品(版画、陶額も高額買受致します。)がございましたら、
無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。
萄雅彦作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!
絵画をお見積りの際には、詳しい鑑定士が査定させていただきます。他にもアンティーク家具、絵画、骨董・美術品をご処分の際には、六角堂までお問い合わせください。

萄雅彦(どう・まさひこ)
1930年 東京都青山に生まれる。
1960年 レリーフ創作に入る。
1975年 木版画創作に入る。
1976年 渡欧。
1977年 新日本美術院展特賞受賞。
1981年 日仏現代美術展入選、 パリ、グランパレ国立美術館出品。
1982年 個展開催、  国際アジア現代美術展版画部入賞、  国際芸術文化振興会、会長賞受賞、  亜細亜美術展海外選抜賞。
1983年 スペイン美術賞展トリエンナーレ入選、 パリ・サロン・ド・メ選考委員会賞。
1984年 オーストラリア美術展最優秀賞受賞。
1985年 パリインターナショナルサロン招待出品。  講談社より萄雅彦版画集出版。
1986年 東京大学に作品収蔵(版画・レリーフ) モントリオール日本芸術祭参加、 カナダ首相ブライアン・マローニ功労賞受賞。
1987年 サロン・インターナショナル・ド・パリ  グランプリ受賞。
≪作品収蔵≫
スペイン近代美術館、 クイーンズランド芸術大学、東京大学など。

東京都目黒区祐天寺にて、和たんす、掛け軸、華道具、二代徳田八十吉の九谷焼 干支 甲寅 酒盃。

東京都目黒区祐天寺にて、和たんす、掛け軸、薄端などの華道具、二代徳田八十吉の九谷焼 干支 甲寅 酒盃を買取させていただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。画像の盃は代々九谷焼を守り続けているその名工、徳田八十吉、二代目の作品です。当社では徳田八十吉の陶芸作品を探しております。人間国宝をはじめ、作家物の陶器工芸品を中心に取り扱いしてますので自信があります! 作家物の壷、花瓶、茶碗、皿、鉢、香炉、ぐい呑、徳利、湯呑、水滴、急須、盃などはおまかせください!

帰りにいつもお世話になっている杉並区の画商の方に、高円寺駅にある串揚げ屋さんに連れて行っていただき、大好物のカツ丼をいただきました。いつもご馳走様です。

代 徳田八十吉(とくだやそきち) 1907(明治40)年~1997(平成9)年

2代徳田八十吉は石川県に生まれました。
本名を雲戸外次、号を魁星・百吉といいます。
1923(大正12)年、初代徳田八十吉の養子となり陶技の修業を始め、「魁星」と号しました。
1926(大正15)年、石川県工芸奨励会会員となりました。
1927(昭和2)年、石川県立小松中学校を卒業しました。
1929(昭和4)年、小松町産業研究生として京都国立陶磁器試験場に派遣されました。
1938(昭和13)年より富本憲吉の指導を受けました。
1951(昭和26)年、日展で特選および朝倉賞を受賞しました。
1956(昭和31)年、2代徳田八十吉を襲名しました。
1958(昭和33)年、ブリュッセル万国博覧会でグランプリを受賞しました。
1976(昭和46)年、石川県九谷陶磁器商工業協同組合連合会の相談役・名誉理事に就任しました。
1978(昭和48)年、小松上絵工業組合顧問に就任しました。
1982(昭和57)年、九谷焼技術保存会の会長に就任しました。
1988(昭和63)年、長男・正彦に家督を譲って隠居し、「百吉」と号しました。
初代の伝統的な九谷焼の上絵付け技法を継承する一方で、
異なる二種類の色粘土を練り込んで轆轤成形した後に上絵付けを施す「涌象」等、
新技法の開発にも尽力して堅実さと斬新さを兼ね備えた独自の作風を展開しました。
石川県指定無形文化財に認定され、
日展会員、日本窯業協会評議員、小松市美術文化協会理事等を歴任しました。

千葉県匝瑳市にて、掛け軸やアンティーク置時計、火鉢、唐木の玉獅子置物、船橋市にて石川泰行作ナマハゲのお面。

千葉県匝瑳市にて、掛け軸やアンティーク置時計、火鉢、唐木の玉獅子置物、船橋市にて石川泰行作ナマハゲのお面をご売却いただきました。

本日は千葉県匝瑳市への出張で、遠距離でしたので、前日より富里市の漫画喫茶へと前乗り致しました。匝瑳市では、掛け軸やアンティーク置時計、唐木の玉獅子置物などを買い受けさせていただきました。玉獅子の置物は、足が折れてしまってましたが、人気の唐木を使っているお品でしたので、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けました。査定中に、ジュースを頂いたり、お品を運んでいただいたりとお気遣いいただき有難うございました。お客様のお家から歩いて30秒くらいの場所が九十九里浜でしたので、海を眺めに寄らせていただきました。まだ寒かったですが、サーファーがたくさん波乗りしておりました。釣りをしている方もおり、羨ましかったです。お昼を食べに九十九里でお店を探しているときに急遽船橋市へと出張のご依頼をいただきましたので、食事は船橋市へ向かう途中でいただくことにしました。寄らせていただきましたのは、千葉市にある「食事処よかった」です。はじめ名前につられて入りましたが、入ってみると午後3時半にも関わらず満席でした。注文して納得、こちらの海鮮丼、このボリューム、ネタの多さで980円、小アジのから揚げはこの大きさで350円。安いしとっても美味しかったです。ここに寄って「よかった」、また寄りたいお店リストに登録しました。船橋市では、油彩画、絨毯、お面などをお譲りいただきました。秋田県男鹿市の生はげ面彫師の石川泰行(いしかわたいこう)作ナマハゲ面は迫力と威厳に満ちた作品で、お客様の思い入れのあるお品でしたので、頑張り査定額で買い受けしました。石川泰行さんは石川なまはげ工房の初代で、現在は息子さんで二代目の石川千秋(いしかわ せんしゅう)さんが継いでおられます。平成25年10月に地域伝統芸能大賞支援賞を受賞されております。なまはげは秋田県で大晦日に行われる伝統行事で、登場する神の使いで、「悪い子はいねがー」「泣ぐコはいねがー」と奇声を発しながら街を練り歩き、家に入って怠け者、子供や初嫁を探して暴れ、家の主が家族がその年一年間にしでかした日常の悪事を釈明するなどした後、酒やご馳走などを振舞って、送り返す伝統的行事です。こちらのお面を見てうちの子達も怖がってました。少しは大人しくなるかな・・・

六角堂では、お面や木彫りのお着物、火鉢などの古道具や、古民具などを探しております。ご不要の際は、是非お問い合わせください。

東京都荒川区東尾久にて、水屋箪笥、時代和家具、お茶道具、田中柏陰筆楓画、十二代坂倉新兵衛造の萩茶碗。

東京都荒川区東尾久にて、水屋箪笥、時代和家具、お茶道具、日本画家田中柏陰筆楓画、十二代坂倉新兵衛造の萩茶碗をお譲りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。こちらのお茶碗は、日本画家田中柏陰が絵付けし、十二代坂倉新兵衛の窯で焼いた萩茶碗となっており、割高台と大変珍しい萩茶碗になります。当社でも強化買取り作家のお品でしたので、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けました。出張帰りに、くるまやラーメン新座野火止店へと寄らせていただきました。こちらではいつも野火止店限定のごまみそネギらーめんを頂いております。濃い目の味噌スープがたまらなく美味しく、10年以上前から時々寄らせていただいております!本日、千葉県柏市のお客様よりお電話をいただきました。わたしの買取事例を見て頂いてるとの事、とても嬉しいです。残念ながら、今回はお伺いに行けませんでしたが、また何かありましたら是非ご連絡ください。同じ2月生まれのようで、大変光栄です!今日はこれから九十九里の方へ前乗りします。眠いですが、安全運転で行ってきます!明日は美味しい海鮮丼食べれるかな??

六角堂では、茶碗、水差 、棗、茶入、香合、風呂、釜、花入、茶杓、菓子皿、銀瓶、鉄瓶、 茶棚、炉縁などのお茶道具を強化買取りしております。裏千家、表千家、武者小路千家、裏千家久田家、表千家堀内家、藪内家、遠州流、宗偏流、松尾流、江戸千家、大日本茶道学会などのお道具、作家物からお稽古用まで、お茶道具に関して幅広く取り扱っております。お茶道具の専門スタッフか、お見積もりに伺います。ご不要になりましたお茶道具がございましたら、六角堂までお問い合わせください。六角堂は、東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。是非ご利用ください。

田中柏陰 (たなかはくいん)生:慶応2年(1866年)4月2日、駿河国(現静岡県)生まれ 没:昭和9年(1934年)、享年69歳

本姓は中川、通称は啓三郎。別名を馨、字を淑明、号は柏陰・静麓(せいろく)・柏舎主人・柏樹子・弧立・空相居士。 明治16年(1941年)、17歳のとき京都に出て田能村直入に師事し、田能村竹田系の南画の画風を受け継ぎ、濃彩の山水画を得意とした。 京都では田能村直入が開いた「私立南宗画学校」で校員として後進の指導にあたった。 明治33年(1900年)結婚後、妻の実家である山口県防府市右田の田中家へ養子として入って田中柏陰を名乗り、画塾・画禅堂を開き多くの弟子を教授した。 のち関西南画界の重鎮となった。 主な弟子に、長松秀鳳(ながまつ・しゅうほう)・植木華城(うえき・がじょう)・藤本木田(ふじもと・ぼくでん)・大庭学僊(おおば・がくせん)・藤井小陰(ふじい・しょういん)などがいる。 同時に田能村竹田系作品鑑定の第一人者でもあった。 昭和9年(1934年)6月3日、療養先の静岡県興津において亡くなった。享年69歳。

坂倉新兵衛(12代) さかくら-しんべえ 1881-1960 明治-昭和時代の陶芸家。

明治14年9月1日生まれ。11代坂倉新兵衛の長男。明治30年12代をつぐ。31年から9代高麗左衛門(こうらいざえもん)に萩(はぎ)焼をまなび,家業を復興。昭和23年萩焼美術陶芸協会会長。32年選択無形文化財保持者。萩焼の販路拡大に尽力し,萩焼中興の祖とされる。昭和35年12月3日死去。79歳。山口県出身。幼名は平吉。

神奈川県川崎市川崎区にて、濱田庄司の鉄絵湯呑、福原達朗の柿天目茶碗、成良仁の鉄絵ぐい吞など、益子焼多数。

神奈川県川崎市川崎区にて、浜田庄司の鉄絵湯呑、月江窯 福原達朗の柿天目茶碗、成良仁の鉄絵ぐい吞など、益子焼をたくさん買い受けさせていただきました。

益子焼は栃木県芳賀郡益子町周辺で生産される陶器。1979年に通商産業省により、伝統的工芸品に指定されております。六角堂ではご不用の民芸陶器・益子焼の買い取りをしています。陶芸家作品から窯元作品まで幅広く取り扱いしています。ご処分をお考えの益子焼がございましたらお気軽にご相談くださいませ。益子焼の査定経験の豊富な専門スタッフが細かく丁寧に査定させていただきます。濱田庄司、佐久間藤太郎、木村一郎、村田元、島岡達三、田村耕一、濱田晋作、須藤武雄、秋山一夫、濱田友緒は、益子焼きの強化買取作家です。

浜田庄司 (はまだしょうじ)1894(明治27)神奈川~1978(昭和53)

神奈川県橘樹郡高津村(現在の川崎市)溝ノ口の母の実家で生まれる。東京府立一中(現東京都立日比谷高等学校)を経て、1913年(大正2年)、東京高等工業学校(現東京工業大学)窯業科に入学、板谷波山に師事し窯業の基礎科学面を学ぶ。1916年(大正5年)同学校を卒業後は、学校が2年先輩の河井寛次郎と共に京都市立陶芸試験場にて主に釉薬の研究を行う。またこの頃柳宗悦、富本憲吉やバーナード・リーチの知遇を得る。 1920年(大正9年)、イギリスに帰国するリーチに同行、共同してコーンウォール州セント・アイヴスに築窯する。1923年(大正12年)にはロンドンで個展を開催、成功する。 1924年(大正13年)帰国、しばらくは沖縄・壺屋窯などで学び、1930年(昭和5年)からは、それまでも深い関心を寄せていた益子焼の産地、栃木県益子町で作陶を開始する。 殆ど手轆轤のみを使用するシンプルな造形と、釉薬の流描による大胆な模様を得意とした。戦後、1955年(昭和30年)2月15日には第1回の重要無形文化財「民芸陶器」保持者(人間国宝)に認定。また1964年(昭和39年)に紫綬褒章、1968年(昭和43年)には文化勲章を受章する。 柳宗悦の流れをうけて民芸運動に熱心であり、1961年(昭和36年)の柳の没後は日本民藝館の第2代館長にも就任する。また1977年(昭和52年)には自ら蒐集した日本国内外の民芸品を展示する益子参考館を開館。1978年(昭和53年)益子にて没。享年83。

1894 神奈川県川崎市で生まれる。生家は東京で文房具店経営。本名象二
1916 東京高等工業学校(現、東京工業大学)窯業科卒
1918  河井寛次郎と沖縄へ、壷屋を訪問
1920 バーナード・リーチに同行し、渡英。
1937 日本民芸館の理事に就任
1942 益子に大型登窯築窯
1949 第1回栃木県文化功労賞受賞
1953 昭和27年度芸術選奨文部大臣賞受賞
1956 民芸陶器で重要無形文化財保持者認定
1964 紫綬褒章受章
1968 沖縄タイムス賞受賞。文化勲章受章
1969 益子名誉町民となる
1974 日本民芸協会会長就任
1976 川崎市文化賞受賞
1977 益子参考館開館 館長に就任
1978 死去

東京都台東区竜泉にて、古い和家具や掛け軸、上村松園のシルクスクリーン版画「序の舞」。

東京都台東区竜泉にて、古い和家具や掛け軸、上村松園のシルクスクリーン版画「序の舞」をお譲りいただきました。

上村松園は明治の中ごろに現れた天才女流画家です。こちらのシルクスクリーン版画は、生涯究極の美人画を追及した松園の傑作『序の舞』です。能の舞の1つ「序の舞」を踊る女性の姿が描かれています。穏やかなのに力強く、華やかなのに静謐な空気を湛えた女性の姿は、まさに“凛とした”という表現に相応しい佇まい。息を呑む程の美貌や官能美はありませんが、不思議な美しさを湛えています。

上村松園絵画作品を、出張にて査定・鑑定・高価買い取りを致します。
六角堂では日本画作品を探しております。
秋野 不矩、池上 秀畝 、池田 蕉園、池田 遙邨、伊東 深水、稲田 和正、今村 紫紅、入江 波光、岩橋 英遠、上村 淳之、上村 松園、上村 松篁、梅津 道雄、大橋 翠石、大山 忠作、岡 信孝、小川 芋銭、奥田 元宋、奥村 土牛、小倉 遊亀、小野 竹喬、尾竹 国観、小茂田 青樹、片岡 球子、堅山 南風、加藤 栄三、加藤 東一、金島 桂華、狩野 芳崖、鏑木 清方、加山 又造、川合 玉堂、川端 龍子、菊池 契月、北野 恒富、吉川 霊華、木村 武山、工藤 甲人 、小泉 淳作、小杉 放庵、児玉 希望、小林 古径、小松 均、郷倉 和子、郷倉 千靱、酒井 三良、榊原 紫峰、佐藤 太清、柴田 是真、下田 義寬、下村 観山、杉山 寧、千住 博、高山 辰雄、竹内 栖鳳、竹久 夢二 、田中 一村、土田 麦僊、寺島 紫明、徳岡 神泉、富岡 鉄斎、冨田 溪仙、堂本 印象、堂本 元次、中島 千波、中村 岳陵、中村 貞以、中村 不折、西村 五雲、橋本 関雪、橋本 雅邦、橋本 明治、浜田 昇児 、濱田 台児、林 功 、速水 御舟、東山 魁夷、菱田 春草、平川 敏夫、平福 百穂、平松 礼二 、平山 郁夫、福井 爽人、福王寺 法林、福田 平八郎、堀 文子、前田 青邨、牧 進、松尾 敏男、松岡 映丘、松林 桂月、宮廻 正明、三輪 良平、武藤 孤舟、村上 華岳、森田 りえ子、守屋 多々志、安田 靫彦、山口 華楊、山口 蓬春、山本 丘人、山元 春挙、横山 大観、横山 操、渡辺 省亭
など、ご所蔵の作品がございましたら、無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。
日本画の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂まで!

上村 松園(うえむら しょうえん、明治8年(1875)4月23日~昭和24年(1949)8月27日没)
本名:上村 津禰(つね)常子(つねこ)ともいう。
女性の目を通して「美人画」を描いた日本画家。
同じく日本画家の上村松篁(しょうこう)は息子、上村淳之(あつし)は孫にあたる。

1875年 京都下京四条通御幸町の葉茶屋「ちきり屋」の次女として生まれる
1887年 京都画学校に入学、四条派の鈴木松年に師事
1990年 第3回内国勧業博覧会に「四季美人図」を出品、一等褒状受賞
1893年 幸野楳嶺(こうのばいれい)に師事
1895年 竹内栖鳳に師事
1902年 息子信太郎(松篁)が誕生
1914年 間元町竹屋町に画室竣工。金剛巌に謡曲を習い始める
1941年 帝国芸術院会員
1945年 奈良平城の唳禽荘に疎開
1948年 文化勲章受賞(日本人女性として初)
1949年 8月27日逝去。従四位に序せられる。享年74。寿慶院釈尼松園

東京都品川区八潮にて、総桐箪笥、お着物、人間国宝金城次郎の魚文花瓶をお売りいただきました。

東京都品川区八潮にて、総桐たんす、お着物、人間国宝金城次郎の魚文花瓶をお譲りいただきました。

不動産屋さんのご紹介で、お引越し前の整理処分でお呼びいただきました。いつも当社をご指名くださり有難うございます。旧家からマンションへお引越しするとの事で、桐たんすをはじめ、まとめてご不要のお品をお売りいただきました。本日はわたくしの誕生日で、昨晩オークション志木という古物市場の仲間たちと志木市にある味道苑という焼肉屋さんへ行き、本日は富士見市ららぽーとにあるスイーツパラダイスへ家族で御飯に行きました。子供たちに誕生日祝いで靴下とパンツをいただき幸せいっぱい、お腹いっぱいの一日でした♪♪

当社では金城次郎の陶芸作品を探しております。人間国宝をはじめ、作家物の陶器工芸品を中心に取り扱いしてますので自信があります! 作家物の壷、花瓶、茶碗、皿、鉢、香炉、ぐい呑、徳利、湯呑、水滴、急須、抱瓶などはおまかせください!

金城次郎 (きんじょう じろう、1912年(大正元)~2004年(平成16))
伝統の琉球陶器の再現を目指す中で浮彫技法による抽象化された魚、海老などの意匠を用いた
独自の温かみある陶芸を創始、用と美を兼ね揃えた作品を展開し現代沖縄陶芸の先駆者として高い評価を持つ。 子の須美子、孫の宮城三成も陶芸家。

1925年(大正12)新垣栄徳の製陶所に入門、壷屋の製陶に従事。
1945年(昭和20)沖縄戦終結。
1946年(昭和21)那覇市壺屋に築窯。濱田庄司、河井寛次郎らの指導の元で壺屋焼を守り発展に努める。
1972年(昭和47)沖縄本土復帰。読谷村に移住。
1985年(昭和60)4月13日、人間国宝に認定、沖縄県功労章受賞。
1993年(平成5)勲四等瑞宝章受賞。
2004年(平成16) 没。享年92。

東京都福生市にて桐工芸士鈴田誠人?の加茂総桐箪笥、町田市にて伝統工芸士 田澤謙介の加茂桐たんす、神奈川県相模原市にて加茂総桐タンス。

東京都福生市にて桐工芸士鈴田誠人?の加茂総桐箪笥、町田市にて伝統工芸士田澤謙介の加茂桐たんす、神奈川県相模原市にて加茂総桐タンスをお譲りいただきました。

本日は、朝より東京都福生市にて桐工芸士鈴田誠人?の加茂総桐箪笥(和たんす)、町田市にて田澤謙介の加茂桐たんす(和たんす)、神奈川県相模原市にて加茂総桐タンス(整理たんす)と、嬉しいことに一日加茂桐箪笥漬けの日々でした。福生市から町田市へと向かう途中、すき家さんで牛丼を、相模原市から埼玉県の倉庫へ戻る途中に松屋さんでカレーぎゅうを、本日は加茂桐箪笥、牛丼の日となりました。

加茂桐箪笥は、新潟県加茂市で作られる最高級の桐たんす。六角堂でも探し求めている桐箪笥の一つになります。加茂市で「桐たんす」が作られるようになったのは、およそ200年以上前(天明年間)と言われており、現在では日本全国の約70%の桐たんすが加茂で作られています。桐たんすと言えば「加茂」と言われるほど、その技術と品質は全国的に高い評価を受けています。数々の逸品を生み出してきたその技は脈々と受け継がれ、その伝統と優れた品質が評価され、1976(昭和51)年、通商産業大臣から伝統的工芸品「加茂桐箪笥」の指定を受けました。木肌のぬくもり、絹に例えられる白い艶や、柾目の色合いは、家具の最高級品の名にふさわしいものです。この高い技術を生かしたものとして、近年では桐材のもつ優れた特性を生かした桐製家具や結露しない木製の「加茂サッシ」建具など、現代のライフスタイルにあった製品の開発・製造に取り組み高い成果を上げています。

六角堂では、桐箪笥の買取りを強化しております。桐タンスには、和たんす(衣装たんす)、洋服たんす、整理たんす(昇りたんす)、小袖たんす、チェストなどがございますが、六角堂では全て買取対象となっております。また、新潟県の加茂桐タンス、埼玉県の春日部桐タンス、愛知県の名古屋桐タンス、大阪府の泉州桐タンス、和歌山県の紀州桐タンスなどのブランド桐タンスを強化買取しております。ブランド桐タンスに関しましては、高価買い受けさせていただきますので、お早めにご相談ください。他にも和家具、民芸家具をはじめ、デザイナーズ家具、各種ブランド家具まで、幅広く買い取りしておりますので、ご売却をお考えの際には、六角堂をご指名ください。

桐たんす、和たんすなどの和家具をはじめ、骨董品、お茶道具、掛け軸、絵画、お着物などがございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。また骨董品・美術品のお見積もり・出張は、全国対応しております。ぜひご利用ください。

東京都港区白金にて、シャガール「シメオン族」エルサレムウィンドウ・1962年・リトグラフ(本人直筆サイン)や、外国人作家の油彩画、アンティーク家具をお売りいただきました。

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東京都港区白金にて、シャガール「シメオン族」エルサレムウィンドウ・1962年・リトグラフ(本人直筆サイン)や、外国人作家の油彩画、アンティーク家具をお譲りいただきました。

お引越し前の片付け整理にてお呼びいただきいただきました。こちらのシャガール作品は、ヤケや額の傷み等ございましたが、人気作品ですので、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けさせていただきました。お忙しい中、日程調整していただきありがとうございました。

マルク・シャガール (Marc Chagall) 絵画作品の高価買い取り、査定・鑑定・出張買取りを致します。
六角堂では「マルク・シャガール」の作品を探しております。
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エルサレムのステンドグラスのためのリトグラフ・・・この作品はエルサレムから数キロはなれたシナゴーグ(ユダヤ教会)の12面ステンドグラスの作画を依頼されたシャガールが下絵として制作した「エルサレムのための12枚のステンドグラス」リトグラフ作品。創世記の12部族をタイトルに壮大な宗教叙事詩を表現したシャガールの傑作として今もなお人気あるお品です。 こちらは本人直筆サインの為、希少価値がございます。

マルク・シャガール (Marc Chagall) 1887~1985
独自の色彩によって幻想世界を描きだした20世紀を代表する巨匠。1887年,ロシアで熱心なユダヤ教徒の家庭に生まれ,おもにフランスで活躍。
1985年に死去するまで,数々の名作を生みだした。1910年に芸術家を目指してパリへと旅立ち,以来20世紀という時代を放浪するように世界中を飛び回りながら自らの精神世界観を表現した。画中に描かれた恋人たちや,動物・花などの生き物たちは,見るものをシャガールの夢の中に引き込むような暖かい愛に満ちあふれている。戦争や迫害,宗教観,愛する妻との永遠の別れ,といった深いテーマとも取り組んだ彼の作品は,いまもなお世界中の人々に大きな感動を与えている。
1887年 7月7日,ヴィテブスク(白ロシア)のユダヤ人地区に,9人兄弟の長男として生まれる
1907年 サンクト・ペテルブルグの王立美術学校に入学
1908年 学校を辞め,レオン・バクストの教える美術学校に入学
1914年 デア・シュトルム画廊(ベルリン)で,最初の個展開催
1918年 芸術人民委員に任命される
1936年 ピカソと親交を深める
1946年 ニューヨーク近代美術館で,回顧展
1950年 パリのフェルナン・ムルロー版画工房での制作を始める。刷り師,シャルル・ソルリエと親交を結ぶ
1964年 パリのオペラ座の天井画が完成
1973年 ニースに,国立マルク・シャガール聖書のメッセージ美術館が開館
1977年 レジョン・ドヌール最高勲章授与。ルーブル美術館で展覧会開催
1985年 3月28日,死去 享年97歳