旧年中は格別の御厚情を賜り、厚く御礼を申し上げます。
本年もお客様に喜んでいただけるように努めて参りますので、一層のご愛顧を賜わりますようお願い申し上げます。
六角堂では、一月三日までお休みをいただいており、四日よりお見積り、出張買取を開始させていただきます。
本年もたくさんのご依頼をお待ちしております。

旧年中は格別の御厚情を賜り、厚く御礼を申し上げます。
本年もお客様に喜んでいただけるように努めて参りますので、一層のご愛顧を賜わりますようお願い申し上げます。
六角堂では、一月三日までお休みをいただいており、四日よりお見積り、出張買取を開始させていただきます。
本年もたくさんのご依頼をお待ちしております。
今年も残すところあと僅かとなりました。
今年一年、六角堂が無事に一年を過ごせましたのも、 皆様の多大なご支援のおかげでございます。
今年お会いしましたたくさんのお客様、仕事関連の皆さまには大変感謝しております。
来年はさらなるサービス向上に向け、気持ちを新たに取り組んでまいりますので、変わらぬご愛顧のほど心よりお願い申し上げます。
新年もまた、たくさんのお客様とお会いできますことを楽しみにしております。
皆様、よいお年をお過ごしください。
京都へ新年の挨拶、京都ゑびす神社の十日えびすへ行ってまいりました。
いつもお世話になっている方へ新年の挨拶で京都へ行き、六角堂の商売繁盛を願って、本年も十日えびすへと行ってまいりました。昨年に続き、今年も新型コロナウイルスが心配ですので、長居するのを辞め、車での日帰り旅となりました。骨董業界の先輩方に挨拶回りをし、ゑびす神社の十日えびすへ寄らせていただきました。十日えびすへ通うようになってから、もう五年以上となりました。昨年までは仕事の影響で11日の「残り福」へ行っておりましたが、今年は10日の「本えびす」へ行くことが出来ました。今年も新型コロナウイルスの影響か、人数が例年の数分の一程度でしょうか。なんとも寂しいものです。早く状況が落ち着き、例年のにぎやかな十日ゑびすであってほしいです。祇園にある「かっぱ」さんで夕ご飯を食べ、祇園の白川にかかり辰巳大明神の近くにある巽橋の周りを散歩し、今朝方帰宅しました。このような状況ではありますが、密を避けて先輩方に新年のご挨拶、ゑびす神社で商売繁盛祈願をすることが出来て良かったです。
旧年中は格別の御厚情を賜り、厚く御礼を申し上げます。
本年もお客様に喜んでいただけるように努めて参りますので、一層のご愛顧を賜わりますようお願い申し上げます。
六角堂では、一月三日までお休みをいただいており、四日よりお見積り、出張買取を開始させていただきます。
本年もたくさんのご依頼をお待ちしております。
今年も残すところあと僅かとなりました。
今年も新型コロナウイルスの影響で大変な一年でしたが、六角堂が無事に一年を過ごせましたのも、 皆様の多大なご支援のおかげでございます。
今年お会いしましたたくさんのお客様、仕事関連の皆さまには大変感謝しております。
来年はさらなるサービス向上に向け、気持ちを新たに取り組んでまいりますので、変わらぬご愛顧のほど心よりお願い申し上げます。
新年もまた、たくさんのお客様とお会いできますことを楽しみにしております。
皆様、よいお年をお過ごしください。
神奈川県小田原市より、平野千里の福寿七福神の宅配買取させていただきました。
平野千里の七福神をご売却されたいとお問い合わせいただき、宅配にて買取させていただきました。当社から少々距離があり、お品も一点のみでしたので、郵送していただき買取させていただきました。お売りいただいたお品は、彫刻家 平野千里の福寿七福神。平野千里は日本近代木彫界の巨匠「平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)」の彩色を担当していた彩色木彫の第一人者・「平野富山(ひらのふざん)」の次男として生まれました。20 歳でイタリアへ留学し、西洋彫刻の技術を学んだ後、帰国。帰国後は父、平野富山に極彩色の教えを受け、日本の伝統技術である極彩色技術を今に伝える唯一の彫刻家であります。お売りいただいた「福寿七福神」は小振りの作品ではあるものの、大黒天(だいこくてん)、毘沙門天(びしゃもんてん)、恵比寿天(えびすてん)、寿老人(じゅろうじん)、福禄寿(ふくろくじゅ)、弁財天(べんざいてん)、布袋尊(ほていそん)、いずれも平野千里の見事な極彩色が施された素晴らしい作品であります。シミの出てしまっている七福神もございましたが、当社で買い取りを強化している作家作品ですので精一杯の査定額で買い取らせていただきました。大切にされていた作品、当社で責任持って次へと橋渡しさせていただきます。お問い合わせ時からお取引終了までお付き合い下さり、誠に有難うございました。
平野千里(ひらのせんり)
1948年 東京で彩色木彫の第一人者である父・平野富山の次男に生まれる
1966年 都立小石川高等学校卒業。ローマ・アカデミア美術学校彫刻科入学。ペリクレ・ファツィーニに師事する。
1972年 ローマ・アカデミア美術学校彫刻科卒業。
1988年 日本へ帰国し、父・富山に師事。
1989年 父・平野富山逝去。第21回日展初入選。
1990年 第20回日彫展入選。第22回日展入選。第86回大平洋展で大平洋美術会賞受賞。
1991年 大平洋美術会会友となる。第21回日彫展奨励賞受賞。第23回日展入選。
1992年 第22回日彫展奨励賞受賞。
1993年 第23回日彫展日彫賞受賞。大平洋美術会会員となる。
1996年 日彫会を退会し、彩色木彫に専念する。
1998年 平野富山、千里親子展開催。第94回大平洋展にて、文部大臣奨励賞と会員秀作賞受賞。
2001年 写真家西宮正明氏による写真集「極彩」出版。以後、全国百貨店にて毎年、個展を開催。
京都府京都市にて河井寛次郎(山岡山泉 画)の茶碗、水指、お茶道具、お着物などをお売りいただきました。
お着物やお茶道具をご処分されたいとご連絡いただき、京都府京都市へ出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、河井寛次郎(山岡山泉 画)の茶碗、水指、お茶道具、訪問着や紬などのお着物。河井寛次郎の作品は鐘渓窯時代のもので、友人である山岡山泉が絵付けされたもの。お売りいただいた作品は「呉須松竹梅 茶碗」、「呉須観瀑山水 水指 」の二点。二人の合作は大変希少なものであり、お客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。他にも清水六兵衛の茶碗、棗、茶入、香合、花入、茶杓、菓子皿など茶道具一式、訪問着や大島紬、結城紬など買い取らせていただきました。大変素晴らしいお品に出会えて、京都までの出張疲れも全くございません。お売りいただきましたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。お呼びいただき有難うございました。
帰りに仏像の勉強を兼ねて、三十三間堂へ寄りました。ほの暗い本堂内に整然と並んだ1001体の千手観音像が黄金色に輝き、なんとも幻想的な雰囲気であります。お堂の外の庭園も見事で、しばらくブラブラ散歩させていただきました。帰宅時には富士山を見ることが出来、良い出張買取となりました。
河井寛次郎(かわいかんじろう)1890(明治23)年~1966(昭和41)年
明治23年 島根県安来市に生まれる。
大正 3年 東京高等工業学校窯業科卒業、京都市 陶磁器 試験場へ入所。
大正 9年 京都五条坂の窯を購入し作陶を開始。工房を「鐘渓窯」とする。
中国や韓国の古陶磁を参考にした作品を制作する。
大正11年 東京での個展が好評を博し、注目を浴びる。
大正13年 スリップウェアに感激し、作風が一変。簡素な形にオリジナル図案を施した作品を制作する。
大正15年 柳宗悦、濱田庄司らと民芸運動を起こす。
昭和 2年 柳宗悦、富本憲吉、濱田庄司、バーナード・リーチ、黒田辰秋と「上賀茂民芸協団」を創立。
昭和12年 パリ 万国博覧会 でグランプリを受賞。
昭和24年 自由奔放で個性豊かな作品を制作する。
昭和30年 文化勲章、人間国宝、芸術院会員を辞退。
昭和41年 逝去、76歳。
山岡山泉(やまおかさんせん)1871(明治4)年~1943(昭和18)年
本名を千太郎といいます。
実業家として活躍し、1916(大正5)年の引退後は焼物を始める。
河井寛次郎に絵を学び、それが高じて古画の模写を行うようになったという経歴の画家です。
特に雪舟に傾倒した事で知られています。
東京都中野区中野にて皆川繁之の加茂桐箪笥、着物、沈寿官の酒器、マイセンなどをお売りいただきました。
お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。桐箪笥や着物、陶器などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、伝統工芸士 皆川繁之の加茂桐箪笥、訪問着などお着物や帯、十五代 沈寿官の白薩摩酒器揃、マイセンのフラワーベースやアイリッシュドレスデンのフィギュリンなど。たくさんのお品をお売りいただきました。お売りいただいた桐たんすは、新潟県加茂市で作られている伝統工芸品加茂桐箪笥、天丸下三大洋和箪笥という形のたんすで、当社で数多く取り扱う高級桐たんすになります。伝統工芸士である皆川繁之の作。同じ型の桐箪笥を二竿お売りいただきました。多少のシミや砥粉落ちなどございましたが、買取強化中のタンスですので二竿とも買い取りさせていただきました。お着物は作家物の訪問着や帯など。多少シミの出てしまっているものもございましたが、全て買い取らせていただきました。白薩摩の酒器揃は15代沈寿官窯の作品。酒瓶、徳利、盃などのセットです。いずれも未使用、共箱付。マイセンのフラワーベースは金彩の入った素晴らしい花瓶です。ケースなどはありませんでしたが、大切にされておりましたので良い状態です。お客様の大切にされていたお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。雨で搬出作業が遅くなってしまいましたが、最後までお付き合いいただき有難うございました。他にも絵画や家具などがあり、次回またお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。
15代沈壽官(ちんじゅかん)
1959年 薩摩焼の宗家として名高い沈壽官窯の当主第14代沈壽官の長男として生まれる。
1983年 早稲田大学卒業
1984年 京都市立工業試験場修了
1985年 京都府立陶工高等技術専門校を修了
1988年 イタリア国立美術陶芸学校のファエンツァ校専攻科を卒業
1990年 大韓民国 京畿道の金一萬土器工場で修業
1999年 400年の沈家の歴史の中で、初めて先代(14代)の存命中に、第15代沈壽官を襲名
2000年 大韓民国 明知大学 客員教授就任
2001年 大韓民国 京畿道にて「世界陶磁器エキスポ2001」出品
2002年 米国 ニューヨーク アジアソサエティミュージアムにて「NEW WAY OF TEA」透彫香爐出品
2003年 韓国 ソウル 錦湖美術館にて「現代韓日陶芸展」参加 錦湖美術館買上
2000〜2010年 全国の有名百貨店、美術画廊にて「15代沈壽官展」を開催
2010年 フランスパリ三越エトワールにて「CHIN─沈家歴代展」を開催
東京都港区西新橋にて人間国宝 島岡達三の陶芸作品、人形師 野田芳正の日本人形、お茶道具などをお売りいただきました。
お人形や島岡達三の作品をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、人間国宝 島岡達三の陶芸作品、人形師 野田芳正の日本人形、お茶道具など。数社相見積もりでありましたが、精一杯の査定で当社にお売りいただくこととなりました。島岡達三の作品は皿や花瓶、陶板、水滴、湯呑など。たくさんお品がございましたが、全て共箱なし。湯呑、皿数点にカケあり。陶印「タ」なしの前作品などもございましたが、当社で買取を強化している作家作品ですので、全て買い取らせていただきました。茶道具は茶碗、香合、鉄瓶など。他、煎茶器揃や信楽焼、備前焼などの陶器をお売りいただきました。人形師 野田芳正の作品は共箱のある作品、共箱のない作品全てお売りいただきました。他にも人形師 岡本玉水の作品も多数ございましたが、共箱が別宅にあるとのことで、こちらは次回お売りいただくこととなりました。お客様のご家族の思い出のお品、大切に次へと橋渡しさせていただきます。お忙しい中、六角堂をご指名くださり、誠に有難うございました。
帰りに日比谷公園で散歩をしました。所々に紫陽花が咲いており、目の保養が出来ました。30分程度の散歩でしたが、運動不足のわたしには良い運動となりました。
島岡達三(しまおかたつぞう)1919年~2007年
1919 東京都に、三代続いた組紐師 島岡米吉の長男として生まれる。
1938 府立高等学校 (旧制)在学中に日本民藝館を訪れ、河井寛次郎や濱田庄司の作品に影響し、民芸の美に目ざめる。
1939 東京工業大学窯業学科に入学。翌年夏、益子に濱田庄司を訪れ一夏滞在。
1941 東京工業大学窯業学科卒業。
1946 濱田庄司門下となる。同じ益子の土を用いながらも自らの作風を確立すべく試行錯誤を続ける。
1950 栃木県窯業指導所に勤務。白崎俊次の古代土器標本複製の仕事に協力する。ここで縄文土器からヒントを得た縄文象嵌文様によって独自の装飾を生み出す。
1954 益子に築窯。
1964 日本民芸館賞受賞。
1980 栃木県文化功労章受章。
1994 日本陶磁協会賞金賞受賞。
1996 5月10日 民芸陶器(縄文象嵌)で国指定の重要無形文化財保持者(人間国宝)認定。
1999 勲四等旭日小綬章受章。
2007 12月11日没。享年88
東京都八王子市にて着物、人間国宝 芹沢銈介の卓布、マキ・ヨウイチの油彩画などをお売りいただきました。
本日は二件の出張買取。いずれも東京都八王子市への出張買取でした。一件目はリサイクル業者様のご紹介で、刀剣の買取。刀、脇差、短刀、槍などをお売りいただきました。ご家族が大切にされていた刀剣、大切に次へと橋渡しさせていただきます。二件目はお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お着物や絵画などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、訪問着や紬など着物や反物、人間国宝 芹沢銈介の型絵染いろは文卓布、マキ・ヨウイチの油彩画「裏街のカフェ」、リトグラフなど。たくさんのお品をお売りいただきました。芹沢銈介は静岡市生まれで、静岡市名誉市民。文化功労者。重要無形文化財「型絵染」の保持者(人間国宝)であります。20世紀日本の代表的な工芸家として内外から高く評価されており、民芸運動の主要な参加者でもありました。オリジナリティあふれる作品群を生み出したほか、本の装丁など商業デザインも手がけました。東北地方、ことに仙台の街や鳴子温泉を愛したことでも知られてます。お売りいただいた卓布は高島屋150周年の際に販売された作品で、およそ40年前の作品となります。所々にシミが出てしまっておりましたが、当社で買い取りを強化している作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取りさせていただきました。マキ・ヨウイチは佐伯祐三や荻須高徳の系譜を継ぐフランス仕込み本格的洋画家。お売りいただいた油彩画は、荻須高徳の作品を彷彿とさせる素晴らしい作品であります。サイズは八号、保管状態良好。こちらもお客様にご満足いただける査定額で買い取りすることが出来ました。お売りいただいたお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。本日は六角堂のご指名、誠に有難うございました。
帰りに「煮干鰮らーめん 圓」さんで食事をしました。こちらは八王子駅にほど近い住宅街の中にひっそり佇むお店で、食べログランキング東京1位を獲得したこともある鰮の煮干しラーメンの名店。わたしは薄口煮干鰮ネギらーめんをいただきました。卵をたくさん使用した自家製麺に、煮干し醤油の優しいスープがよく絡んでとても美味しかったです。次回は濃口の煮干鰮らーめんを食べたいと思います。
芹沢銈介(せりざわけいすけ)1895~1984年
1895年 静岡市の呉服卸商の次男として生まれる
1916年 東京高等工業学校を卒業する
1924年 ろうけつ染めを始める
1928年 御大礼記念国産振興博覧会にて沖縄の紅型に出会い影響を受ける
1929年 国画会、国画奨学賞受賞
1931年 民藝運動の同人雑誌『工芸』の装丁を担当する
1935年 東京都の浦田に工房を構える
1939年 沖縄で紅型の技法を学ぶ
1955年 有限会社芹沢染紙研究所を設立
1956年 「型絵染」で重要無形文化財保持者認定
1976年 パリの国立グラン・パレ美術館で「芹沢銈介展」を開催
1977年 サントリー美術館でパリ帰国展「芹沢銈介展」を開催
1981年 静岡市立芹沢銈介美術館開館
1983年 フランス文化功労章授与
1984年 死去。88歳
マキ・ヨウイチ1951~2011年
1951年 大分県別府市生まれ。
1979年 初渡仏。(この年以降毎年渡仏)
1999年 サロン.ナショナル.デ.ボザール初出品、フランス.メリット勲章メダイユ.ダルジャン受章。
2000年 サロン.ナショナル.デ.ボザール、外国人作家佳作。ノルマディー地方にて個展開催。
2003年 語圏国際ビエンナーレ、グランプリ受賞。
2005年 サロン.アンテルナショナル.デ.クレアトゥール.デュ.シエクル、メダイユ.ドール受章。
2006年 ル.サロン.ド.カンシー、メダイユ.ドール受章。第二回フランス、イタリア国際トリエンナーレ、一等賞。サロン.アンテルナショナル.デ.クレアトゥール.ドュジュール.ドゥイ、一等賞。
2007年 サロン.アンテルナショナル.デ.クレアトゥール.デュ.シエクル、一等賞。グラン.コンクール.アンテルナショナル2007年展、メダイユ.ド.ヴェルメーユ受章。
2008年 第六回リヨン.ビエンナーレ、プリ.ド.プレシティ —ジュ受賞。サロン.デ.ザルティスト.デュ.サンキエーム春のサロン、パリ市章。サロン.ナショナル.デ.ボザール絵画部門、メダイユ.ダルジャン受章。
2009年 サロン.ナショナル.デ.ボザール2009年展特別賞。
2010年 サロン.ナショナル.デ.ボザール、サロン名誉賞。
2011年 永眠。