月別アーカイブ: 2020年9月

東京都品川区にて唐木蒔絵蓋の硯、世田谷区にて下村観山の掛軸など。

   

東京都品川区東五反田にて唐木蒔絵蓋の硯、ダイニングセット、アンティーク家具、陶器など、世田谷区深沢にて下村観山、中村不折、藤井達吉の掛軸をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は先日お呼びいただいた品川区のお客様宅へ、前回積み残した家具などの買取でお呼びいただきました。お売りいただいたお品はドローリーフテーブルのダイニングセット、大正期のアンティーク箪笥、唐木蒔絵蓋の硯、陶器など。唐木蒔絵蓋の硯は小学校の卒業記念で、大正時代に天皇家よりいただいた御下賜品。天皇家とのお付き合いがあるお客様で、ボンボニエールなど多くの御下賜品がございました。陶器はヨーロッパ各地の古陶磁器など。ヨーロッパに住んでいらっしゃる時に骨董市などで集められたお品です。大変貴重なお品や思い出のお品を当社にお売りいただきました。二度にわたりご指名いただき有難うございました。また、お客様をご紹介いただいた不動産業者様、今回もまたお付き添いいただき有難うございました。梱包までお手伝いいただき、とても助かりました。本日二件目の世田谷区のお客様は品川区のお客様のご友人で、お荷物を整理されたいとのことでご紹介いただきました。絵画や陶器などたくさんの美術品がございましたが、本日お売りいただいたお品は掛け軸。下村観山の対幅「双鶴」、中村不折の「鍾馗」、藤井達吉の「富士」など、たくさんの掛軸をお売りいただきました。下村観山は横山大観とともに、近代日本画の発展に尽力した画家。狩野派に学び、大和絵の流麗な線描と色彩を熱心に研究、そこにさらに欧州での西洋画の見聞成果を加え、穏やかで優美な作品を描きました。お売りいただいた作品は「双鶴」。共箱、二重箱。所々にシミが出てしまっておりますが、当社で買い取りを強化しているですので、高価査定で買い取らせていただきました。他にも素晴らしい作品を併せてお売りいただきました。お客様の思い出のお品、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日はお荷物の整理に当社をお呼びいただき、誠に有難うございました。

下村観山(しもむらかんざん)明治6年(1873)~ 昭和5年(1930)
明治6年 和歌山県和歌山市で生まれる。本名は晴三郎。
明治13年 上京する。
明治13年 狩野芳崖に師事する。
明治18年 橋本雅邦に師事する。
明治21年 東京美術学校日本画科に一期生として入学する。
明治26年 卒業と同時に助教授となる。
明治28年 日本絵画協会第1回共進会で下村観山『仏誕』が銀牌を受賞する。
明治30年 日本美術院創立に参加する。正員となる。
明治34年 東京美術学校に教授として復職する。
明治35年 文部省留学生としてイギリスで水彩画などを研究する。
明治38年 横山大観、菱田春草、木村武山らと北茨城の五浦に移住する。
明治39年 第1回文展に下村観山『木の間の秋』を出品する。
大正3年 日本美術院の再興に参加する。
大正4年 第2回再興院展に下村観山『弱法師』を出品する。
大正6年 帝室技芸員となる。
大正8年 帝国美術院会員に推されるが辞退する。
昭和3年 フランス政府からコマンドール・カムボージュ勲章を受章する。
昭和5年 神奈川県横浜市で歿。

中村不折(なかむらふせつ)慶応2年(1866)〜昭和18年(1943)
慶応2年 東京に京橋生まれる。
明治20年 上京し、高橋是清の館に住み込みながら小山正太郎に師事し絵を学ぶ。
明治29年 正岡子規とともに日清戦争に記者として従軍して中国に渡り、書に興味を持つ。
明治34年 渡仏して、ラファエル・コランやジャン・ポール・ローランスらから絵の指導を受ける。
明治38年 帰国後、明治美術会の後身である「太平洋画会」に所属し主に歴史画の分野で活躍する。
昭和9年 太平洋美術学校校長に就任。
昭和11年 中国の書を収集し、台東区根岸の旧宅跡に書道博物館を開館。
昭和18年 脳溢血の為、死去。

東京都中野区にて桐箪笥、三代徳田八十吉(正彦)の香炉、藤倉守正の訪問着。

 

東京都中野区野方にて桐たんす、人間国宝 三代徳田八十吉(正彦)の彩釉香炉、藤倉守正の本塩沢お召訪問着やお着物、帯など、新宿区西新宿にてお着物、毛皮、柿右衛門窯の花入、贈答品などをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は中野区野方へお引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お着物をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、桐たんす、三代徳田八十吉(正彦)の彩釉香炉、藤倉守正の訪問着やお着物、帯など。桐箪笥は当社で買取強化中の伝統工芸品 名古屋桐箪笥。徳田正彦の香炉は人間国宝になる前の作品ですが、大変状態良く当社で買い取りを強化している作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。藤倉守正の訪問着は本塩沢になります。本塩沢は緯糸に強撚糸を使い、さらりとしたシボを演出したお召織物です。他にも大島紬や牛首紬のお着物、作家物の袋帯なども併せてお売りいただきました。本日は六角堂をご指名いただき、有難うございました。二件目は新宿区西新宿へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでお売りいただいたお品は、ブランド洋食器、13代柿右衛門窯の花入、和食器などの贈答品、お着物、ミンクの毛皮など。贈答品は箱と中の違う物などございましたが、良いお品もあり全て買い取らせていただきました。お着物はシミ汚れなどございましたが、こちらも全て買い受けさせていただきました。毛皮も現在は買取が厳しくなっておりますが、ミンクで良い状態のお品でしたので、こちらも買い取らせていただきました。まとめてのご売却、誠に有難うございました。大切に次へと繋げさせていただきます。
最後の画像は、帰宅途中に埼玉県朝霞市で見た夕日。真っ赤に染まる空がきれいでした。

三代徳田八十吉(とくだやそきち)1933年(昭和8)~2009年(平成21)
1933年 石川県小松市で生まれる
1954年 祖父について絵付けなどの修業をはじめる
1963年 日展初入選
1971年 日本伝統工芸展NHK会長賞
1977年 同展で日本工芸会総裁賞
1986年 日本伝統工芸展で保持者選賞
1986年 三代徳田八十吉を襲名
1991年 日本陶芸展秩父宮賜杯
1993年 紫綬褒章
1994年 日本工芸会理事
1997年 重要無形文化財「彩釉磁器」保持者に認定
2009年 8月26日逝去。従五位に叙位される。

東京都国分寺市にて着物、今右衛門の額皿、東久留米市にて沢野ひとしのエッチング。

   

東京都国分寺市にて和田光正の金彩友禅黒留袖、作家物のお着物、帯、反物、12代今泉今右衛門の額皿など、東久留米市にて沢野ひとしのエッチング、着物、和装小物などをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は国分寺市へお引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お着物をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は和田光正の金彩友禅黒留袖、作家物のお着物、帯、反物、12代今泉今右衛門の額皿など。お着物はシミ汚れの出てしまっているものもございましたが、当社で買取強化している作家作品もあり、お客様にご満足いただける査定額で全て買い取らせていただきました。今右衛門は共箱なく窯作品ではありますが、珍しい絵柄の作品でしたのでこちらも高価査定で買い取らせていただきました。お忙しい中、お呼びいただき有難うございました。二件目は東久留米市へ、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、沢野ひとしのエッチング、着物、和装小物など。お着物に数点シミなどございましたが、全て買取させていただきました。また、帯締めなどの和装小物も併せてお売りいただきました。イラストレーターである沢野ひとしさんのエッチングの他、大徳寺の短冊なども買い取らせていただきました。ご家族の大切にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、誠に有難うございました。

和田光正(わだみつまさ)
昭和15年京都市に生まれ、見習い終了後、昭和37年独立して工房を持つ。 昭和45年光映工芸株式会社設立。昭和56年に社団法人日本染織作家協会正会員となる。 以後作品発表会や競技会などにおいて、多数の賞を受賞する。 横綱千代の富士関や横綱貴乃花関などの金彩友禅化粧廻しを制作する。 昭和62年に伝統工芸士に認定され、世界で活躍されています。
昭和60年 ドイツ・オルデンブルグより栄誉賞受賞
平成13年 京都府伝統産業優秀技術者「京の名工」 表彰
平成15年 京都手描友禅協同組合設立。顧問に就任、現在に至る。
平成15年 厚生労働省より「現代の名工」 表彰
平成24年 秋の叙勲に際し、瑞宝単光賞 受賞 など

十二代 今泉今右衛門(1897〜1975)
昭和23年(1948)襲名。本名は今泉平兵衛。
祖父である十代、父である十一代のもと専ら家業に打ち込み、近代色鍋島の復興に生涯を捧げる。 昭和27年に無形文化財の指定を受け、昭和46年には色鍋島技術保存会代表として、国重要無形文化財総合指定を受ける。
1967年、紫綬褒章
1968年、今右衛門古陶磁参考館を設立。
1972年、勲四等旭日小綬章

さわのひとし (沢野ひとし 本名、沢野 公)
イラストレーター、エッセイスト、絵本作家。
1944年12月18日 愛知県名古屋市生まれ。
児童出版社勤務を経て、イラストレーターとして独立。
書評誌「本の雑誌」の表紙、イラストを創刊号より担当。
椎名誠の著書の挿絵を担当。
児童書のさし絵の仕事に「なつのしっぽ」「きんいろの木」(以上講談社)、「みちこのダラダラ日記」(理論社)がある。
絵本の仕事は「だんごむしのダディダンダン」「みんな なにが すき?」(以上福音館書店)がある。
第22回講談社出版文化賞さし絵賞受賞。

東京都江東区にて岩谷堂箪笥、チーク家具、板橋区にて松尾敏男のリトグラフなど

  

東京都江東区白河にて岩谷堂箪笥、チーク家具、着物など、豊島区上池袋にて松尾敏男のリトグラフ「春輝」、反物など、埼玉県富士見市にて掛軸をお売りいただきました。

本日は三件の出張買取。一件目は先日お呼びいただいた江東区白河のお客様のお宅へ、前回積み残した家具や着物などを買取にお伺いしました。岩谷堂箪笥は岩手県の伝統工芸品であり、こちらは三段の横長整理箪笥になります。欅材に南部鉄器の飾りと、とても雰囲気の良いたんすになります。残念ながら数か所にヤケによる変色、引き出し部にインク汚れなど汚れなどございましたが、大変素晴らしい箪笥ですので、買い取らせていただきました。他にもチーク製のドレッサーやワゴンなどもお売りいただきました。また、お着物や道明の帯締めなども併せてお売りいただきました。二度にわたり当社をお呼びいただき有難うございました。また、ご紹介いただいた不動産業者様、今回もお付き添いいただき誠に有難うございました。二件目は豊島区上池袋へ、遺品整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、松尾敏男のリトグラフ「春輝」、大島紬や結城紬、ちりめんなどの反物。反物は何点かシミの出てしまっているものがありましたが、証紙もあり良い反物でしたので買い受けさせていただきました。松尾敏男のリトグラフにも数か所シミが出てしまっておりましたが、六角堂の買取強化作家作品ですので、買取させていただきました。お母様の大切にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。三件目は埼玉県富士見市へ、掛け軸のご処分でお呼びいただきました。以前にもご連絡いただきましたが予定が合わず、ようやくお伺いすることが出来ました。お時間をご調整いただき、有難うございました。お売りいただいた掛け軸は日本画や書のものなど。シミ汚れの出てしまっているものが多くございましたが、まだまだ次へと繋げることのできる作品、買取させていただきました。ご家族の大切に保管されていた掛軸、大切に次へと繋げさせていただきます。お呼びいただき有難うございました。本日は三件の出張買取で忙しい一日でありましたが、良いお客様に、お品に出会えて素晴らしい一日でした。明日からも出張買取、頑張ってまいります!

松尾敏男(まつおとしお)大正15(1926)年3月9日~平成28(2016)年8月4日
1926 長崎県長崎市に生まれる。
1943 堅山南風に師事。
1949 『埴輪』が院展初入選。
1962 院展奨励賞(以後4年連続)・白寿賞受賞。
1966 日本美術院賞(大観賞)受賞(同68,70年)。
1971 日本美術院同人に推挙。
1975 第60院展にて文部大臣賞受賞。
1978 日本美術院評議員に任命される。
1979 日本芸術院賞受賞。
1988 多摩美術大学教授に就任。
1994 日本芸術院会員推挙。
2009 平山郁夫の後任として日本美術院理事長。
2000 文化功労者となる。
2012 文化勲章受章。
2016 逝去。
「花の松尾敏男」とも称されるほど、花鳥画に定評がある。

東京都目黒区東山にて岡本太郎のブロンズ像「若い夢」、洋銀製の馬置物。

東京都目黒区東山にて岡本太郎のブロンズ像「若い夢」、洋銀製の馬置物をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お家に閉まったままの置物や絵画などをご処分したいとのことでご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、岡本太郎のブロンズ像「若い夢」、洋銀製の馬置物、リトグラフなど。「芸術は爆発だ!」の名言で知られている岡本太郎さんの作品「若い夢」は、当社で買い取りを強化している作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。付属品も全て揃っており、状態の良いお品でした。「若い夢」は日本青年館新館建設基金募集のため、多くの芸術家に呼びかけを行った際、第1回を担当した岡本太郎が制作した作品であります。「人生は夢だ。夢見るものは永遠に若い。にっこり笑ってこの世のすべての空しさと闘い、挑みそれをのり越える。その瞬間にこそ若い夢がひらくのだ。」頬杖をつき、無邪気な笑顔を浮かべ未来を見つめるその眼差しは、私たちに明日を生きる前向きな活力を与えてくれるような気がします。佐賀県にある「川崎電気」という配電盤メーカーの工場の敷地内に作品が置かれております。馬の置物は洋銀製のもの。馬の置物はブロンズ製、木彫りのものなど多々ございますが、人気がありますので高額査定で買取させていただきました。素晴らしい作品をお売りいただき、有難うございました。
当社では岡本太郎の油彩画や、リトグラフ、シルクスクリーンなどの版画作品、オブジェなどの立体作品を幅広く買取しております。ご不要の作品がございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。高額査定で買取させていただきます。

岡本太郎(おかもとたろう)明治44(1911)年2月26日~平成8(1996年)1月7日
1911年 2月26日、母の実家である神奈川県橘樹郡高津村二子/現在の川崎市高津区二子に生まれる。
1929年 慶應義塾普通部を卒業、東京美術学校(現・東京藝術大学)洋画科入学半年後中退。父のロンドン軍縮会議取材に伴い渡欧。
1931年 ソルボンヌ大学哲学科で、哲学・心理学・民俗学を学ぶ。
1940年 パリ陥落に伴い帰国。
1942年 海外に在住していたために延期されていた徴兵検査を31歳にして受け甲種合格。召集され、中国にて自動車隊の輜重兵として軍隊生活を送る。
1946年 復員、東京都世田谷区上野毛にアトリエを構える。
1947年 後に養女となる平野(旧姓)敏子と出会う。
1948年 花田清輝、埴谷雄高らと「夜の会」結成。
1954年 アトリエを青山に移し「現代芸術研究所」を設立、「今日の芸術」初版刊行。
1956年 旧東京都庁舎(丹下健三設計)に「日の壁」「月の壁」など11の陶板レリーフを制作。
1970年 大阪の日本万国博覧会のシンボル「太陽の塔」制作。
1973年 岡本太郎デザインの飛行船レインボー号が空を飛んだ。スポンサーは積水ハウス。
1984年 芸術文化勲章受章(フランス)。
1989年 芸術文化勲章受章(フランス)。
1996年 1月7日逝去、享年84歳。
マスコミ出演も多く、「芸術は爆発だ!」の名言で知られております。

東京都江東区にて森田曠平、中山正のリトグラフ、板橋区にて高村光雲の銀製置物。

    

東京都江東区白河にて森田曠平の銅版画(エッチング、アクアチント)「舞い子(弥生)」、中山正の木版画「絵馬」、北欧家具、板橋区小茂根にて高村光雲の銀製置物「恵比寿大黒天」をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は不動産業者様のご紹介で江東区白河へ、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、森田曠平の銅版画「舞い子(弥生)」、中山正の木版画「絵馬」、ノルウェー製のレザーソファなど。絵画はタトウ箱などの付属品はありませんが、状態の良い作品でした。ノルウェー製のレザーソファは使用感があり状態に難がございましたが、人気の北欧家具ですので買取させていただきました。処分しようと諦めていた家具がリサイクルされることとなり、お客様にお喜びいただきました。修復され次に大切にしていただける方へ繋がると思います。他にも岩谷堂家具など素晴らしい家具がございましたが、積みきれず来週またお呼びいただくこととなりました。来週もまた、よろしくお願い致します。本日は良いお品をお売りいただき有難うございました。また、お客様をご紹介いただいた業者様、誠に有難うございました。本日二件目は板橋区小茂根へ遺品整理でお呼びいただきました。こちらでは高村光雲の銀製置物「恵比寿大黒天」、木彫りの仏像などをお売りいただきました。高村光雲の銀製置物「恵比寿大黒天」は大変状態良く、付属品も全て揃っておりました。銀900の刻印あり。現在銀の価格が上がっており、高価査定となりました。仏像は近年のものですが、造りの良い木彫り仏でしたので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。お父様が大切にされていた仏像など、大切に次へと繋げさせていただきます。本日は六角堂のご指名、誠に有難うございました。

森田曠平(もりたこうへい)1916年~1994年
1916年 京都に生まれる。
1932年 関西美術院で伊谷賢蔵に師事。石膏と人体素描、油絵を学ぶ。
1935年 第1回京都市展に洋画で入選。
1940年 小林柯白に師事し、日本画を学ぶ。
1943年 第30回院展に初入選。小林柯白が死去。
1944年 安田靫彦に師事。
1956年 第41回院展で奨励賞受賞。
1965年 第50回院展で日本美術院賞受賞。
1968年 第53回院展で日本美術院賞受賞。院展同人に推挙される。
1973年 第58回院展で内閣総理大臣賞受賞。
1982年 第67回院展で文部大臣賞受賞。国立能楽堂鏡板の「松」が完成。
1994年 死去。享年78才。

中山正(なかやまただし)1927年~
1927年 新潟県に生まれる。
1947年 多摩美術大学油絵科中退
1951年 日本美術会アンテパンダン展出品、アメリカ、イタリアで木版画展
1958年 第1回東京国際版画ビエンナーレ出品(第3回まで)
1959年 リトグラフ画集『ラッパ手』限定自家出版
1962年 ヨーロッパ、ギリシャ、トルコ、インド旅行、ミラノに滞在(翌年まで)
1963年 リトグラフ集『騎士のない馬』限定出版(パガーニ画廊/ミラノ)
1964年 バース・アカデミー・オブ・アート(イギリス)で木版画の講師を務める
1982年 木版画集『Tadashi Nakayama,His Life and Work』刊行(ヘンドリックス・アート・コレクション)
2000年 6月30日~7月6日、銀座和光ホールにて中山正木版画自選集展
東京国際版画ビエンナーレ、クラコウ国際版画ビエンナーレ、ノースウェスト国際版画展、日本アンテパンダン展などに出品。

高村光雲(たかむらこううん)1851年~1934年
1851 江戸・浅草北清島町に生まれる。
1863 仏師・高村東雲の弟子入りする。
1874 11年間の修行を終え、東雲より光雲の号を授かる。
1877 第1回内国勧業博覧会において「白衣観音」で龍紋賞を受賞する
1889 「矮鶏」が天覧に浴し、お買い上げとなり金賞を受賞する。
1890 東京美術学校の教授を務める。帝室技芸員拝命
1893 「老猿」をシカゴ万博に出品。
1900 「山霊訶護」をパリ万博に出品。
1908 文展審査員を務める
1919 帝国美術院会員
1925 聖観音菩薩製作をする。
1926 東京美術学校を退職し、名誉教授。
1929 国宝保存会委員
1934 東京で死去。享年83歳

東京都渋谷区にて桐箪笥、加藤卓男の酒杯、品川区にて唐木家具、銀製品など。

東京都渋谷区大山町にて桐たんす、人間国宝 加藤卓男の赤絵酒杯、ボンボニエール、勲章、反物など、品川区東五反田にて花梨製高足卓、純銀香炉やボンボニエール、瑪瑙銀製文鎮などの銀製品、イタリア家具などをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は渋谷区へお引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。昨日ご連絡いただき、お引越しで時間がないとのことでしたので、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は桐たんす、加藤卓男の赤絵酒杯、ボンボニエール、勲章、反物など。桐箪笥は当社で買取強化中の加茂桐箪笥。赤絵の酒杯は人間国宝である加藤卓男の作品。当社でも買い取りを強化している作家作品です。銀製丸形鳳凰文ボンボニエールは上皇陛下が平成2(1990)年11月に即位された時に配られた引出物のボンボニエールです。ボンボニエールは金平糖を入れる器であります。もともとはヨーロッパで子供の誕生や結婚式などの祝事の際に砂糖菓子(bonbon)が配られ、その砂糖菓子を入れる容器をボンボニエール(Bonbonnière)と呼ぶことから、日本の皇室の引出物も「ボンボニエール」と称されるようになりました。ボンボニエールはコレクターの方が多く、中には100万円近くするものもございます。銀製特有の変色はございましたが、当社の買取強化商品、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。本日二件目は、不動産業者様のご紹介で品川区東五反田へお呼びいただきました。お売りいただいたお品は花梨製高足卓、純銀香炉やボンボニエール、瑪瑙銀製文鎮などの銀製品、イタリア家具など。高足卓は中国唐木の花梨製。天部には葡萄杢がくっきりと出ており、大変造りの良い唐木家具でしたので10万円で買取をさせていただきました。純銀製の香炉は戦前の山縣製のもので彫りの素晴らしい香炉であります。本日二つ目のボンボニエールやシガレットケース、瑪瑙のついた銀製の文鎮など銀製品を多くお売りいただきました。イタリア家具は象嵌のワゴンやキャビネット。他にもたくさんのお品がありましたが、トラックに積み切れず。近日またお呼びいただくこととなりました。本日は素晴らしいお品々をお売りいただき、誠に有難うございました。次回もまたよろしくお願い致します。

加藤 卓男(かとう たくお)1917年~2005年
1917年 岐阜県多治見市に生まれる。家は江戸時代から続く窯元幸兵衛
1935年 多治見工業学校を卒業する
1954年 第10回日展に入選
1961年 フィンランド政府の招聘で、フィンランド工芸美術学校へ留学
1963年 第6回新日展で特選・北斗賞受賞
1964年 「美濃陶芸協会」設立、初代会長に就任。岐阜県芸術文化顕彰受賞
1965年 第8回新日展にて北斗賞受賞
1976年 東京大学イラン・イラク遺跡発掘調査団に参加
1980年 イラク文化省よりバクダッド大学に客員教授として招聘を受ける
1983年 多治見市無形文化財保持者認定、同岐阜県重要無形文化財保持者認定
1988年 紫綬褒章受章
1989年 正倉院に二彩鉢の復元作品を納める
1991年 美濃陶芸協会名誉会長となる
1995年 重要無形文化財「三彩」保持者認定
1996年 岐阜県名誉県民となる
2005年 1月11日死去

静岡県伊東市にて表千家茶道のお道具やお着物をお売りいただきました。

  

静岡県伊東市にて表千家茶道のお茶道具やお着物をお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。遠距離出張でしたので、昨日伊豆のビジネスホテルへ泊まり、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、着物、和装小物、茶道具、レコードなど。お着物は残念ながらシミ汚れの出てしまっているものが多くございましたが、全て買い受けさせていただきました。お茶道具はお客様のお母様が表千家茶道の師範をされておりましたので、たくさんの良いお道具がございました。十五代坂倉新兵衛の萩茶碗は表千家14代家元而妙斎の書付がございます。表千家13代家元即中斎の自作茶杓は黒田正玄下削で銘「松風」とあります。千家十職 中村宗哲 哲工房の六角香合には而妙斎の花押が入っております。釜師 和田美之助の釜は肩霰釜。市川準斎の銀唐松大棗は即中斎の書付があり、二重箱に収められております。帛紗(ふくさ)は千家十職 土田友湖のもの。他にも茶碗、水差、棗、茶入、香合、蓋置、建水、風炉、釜、花入、茶杓、皆具、菓子皿、鉄瓶、煙草盆、茶棚、炉縁、茶掛け軸など、たくさんのお道具をお売りいただきました。お稽古用のものも多くございましたが、全て買い取らせていただきました。お茶道具だけでもトラック一台埋まってしまうほどたくさんございました。お母様が大切にされていたお着物やお茶道具、当社で責任もって次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、誠に有難うございました。
帰りに伊東マリンタウンへ寄り、伊豆高原ビールさんでまぐろ&うに&いくら丼をいただきました。海を前に食べる海鮮丼は最高でした。

十五代 坂倉新兵衛(さかくらしんべえ)
1972年 東京藝術大学美術学部彫刻科 卒業
1974年 同大学院陶芸専攻 修了
1978年 十五代坂倉新兵衛を襲名
1984年 日本工芸会正会員
1993年 ロサンゼルス日米文化会館に於いて個展
1997年 ニューヨークで萩焼深川窯グループ展
1998年 明治村茶会にて野点席、立礼席担当、及び歴代展
2000年 パリで萩焼四百年展に出品
2012年 28年まで日本工芸会理事就任。28年まで日本工芸会山口支部幹事長
2013年 県指定無形文化財萩焼保持者に認定を受ける
2014年 佐川美術館に於いて「新兵衛の樂・吉左衛門の萩」展開催
2019年 旭日双光章受章

表千家家元13代 即中斎宗匠 即中斎(そくちゅうさい)明治34年(1901)〜昭和54年(1979)
表千家13代。12代惺斎の次男に生まれる。兄不言斎の逝去により、昭和13年(1938)に家元を襲 名。第二次世界大戦の最中、昭和17年に千家同門会を発足させ、昭和24年(1949)には財団法人不審菴を設立。現代における茶の湯普及と伝統の保持と いう組織機構の基礎を築いた。

表千家家元14代 而妙斎宗匠 而妙斎(じみょうさい)昭和13年(1938)生まれ。
表千家14代家元。13代即中斎の長男で、昭和42年に大徳寺の方谷浩明老師より「而妙斎」の号を与えられて宗員となる。昭和54年に即中斎が逝去し、翌55年2月28日に14代宗左を襲名した。平成2年(1990)には利休400年忌を迎え、法要をいとなみ茶事を催している。平成30年2月28日、代を譲り、隠居名の宗旦を名乗る。

千家十職 千家の流れを汲む茶の湯の道具を、代々にわたって制作する人たちを「職家」と呼びます。現在、「千家十職」と呼ばれる人々です。奥村吉兵衛(表具師)、黒田正玄(竹細工・柄杓師)、土田友湖(袋師)、永楽善五郎(土風炉・焼物師)、楽吉左衞門(茶碗師)、大西清右衛門(釜師)、飛来一閑(一閑張細工師)、中村宗哲(塗師)、中川浄益(金もの師)、駒澤利斎(指物師)の十人の職家をいいます。

山梨県甲府市にて奥村土牛、藤曲和の絵画、井上萬二の壷、唐木衝立など。

         

山梨県甲府市にて奥村土牛の「くわい」、藤曲和の「舞妓」、井上萬二の壷、唐木衝立、茶道具、贈答品、化石などをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。山梨県の遠距離出張でしたので、前日からビジネスホテルへ泊まり午前中にお伺いさせていただきました。お売りいただいたお品は、現代日本を代表する日本画家 奥村土牛(おくむらどぎゅう)の「くわい」、藤曲和(ふじがねかず)の「舞妓」、三尾公三(みおこうぞう)のリトグラフ、人間国宝 井上萬二(いのうえまんじ)の白磁彫文壷、唐木衝立、茶道具、贈答品、化石など。一点一点丁寧に査定し、たくさんのお品をお売りいただきました。ご家族が絵画がお好きだったようで、たくさんの絵画がございました。保管されるお品、ご処分される絵画を分けながら、買取させていただきました。残される絵画にも素晴らしものが多くございました。大切にされてください。本日はお忙しい中、六角堂をご指名くださり誠に有難うございました。
帰りに甲府駅にある武田信玄公の銅像を見て、ほうとうで人気のお店「小作」さんへ行きました。甲府に来たからにはほうとうを食べない訳にはいきませんね。野菜がたくさん入っており、とっても美味しかったです。

奥村土牛(おくむらどぎゅう)1889~1990年
1889年 東京の京橋に生まれる。本名は義三。
1905年 梶田半古の門に入り、塾頭の小林古径に師事。
1907年 東京勧業博覧会に「敦盛」を出品し入選。
1911年 約5年間、逓信省貯金局統計課に勤務してポスターなどを描く。
1920年 あらためて小林古径の画室で指導を受ける。
1923年 中央美術社第5回展で「家」が中央美術賞受賞。
1927年 第14回院展に「胡瓜畑」を出品し初入選。
1929年 第16回院展に「蓮池」を出品、日本美術院院友に推挙される。
1932年 日本美術院同人に推挙される。
1935年 帝国美術学校(現在の武蔵野美術大学)日本画科教授に就任。
1936年 第1回帝展で「鴨」が推奨第1位。
1947年 帝国芸術院会員となる。
1959年 日本美術院理事となる。
1962年 文化勲章受章。文化功労者に顕彰される。
1978年 日本美術院理事長に就任。
1990年 死去。享年101歳。

井上萬二(いのうえまんじ)1929年~
1929年 3月24日 佐賀県有田町生まれ
1945年 十二代酒井田柿右衛門の元で働き始める。
1952年 奥川忠右衛門門下生となり白磁や轆轤の技法を学ぶ。
1958年 酒井田柿右衛門窯を退社し、県立有田窯業試験場の技官として勤務。
1969年 ペンシルバニア州立大学から有田焼の講師。
海外での活動はドイツなどでの個展や2002年3月のモナコ国王の在位45年記念の展覧会など。
1968年 第15回日本伝統工芸展で初入選。
1977年 全国伝統的工芸品展通産大臣賞。
1987年 第34回日本伝統工芸展で文部大臣賞を受賞。
1995年 5月31日に重要無形文化財「白磁」保持者(人間国宝)に認定。
1997年 紫綬褒章を受章。
2003年 旭日中綬賞受賞。
現在、日本工芸会参与、有田町名誉町民。

東京都世田谷区祖師谷にて煎茶道具、脇田和の絵画、掛け軸、古伊万里など。

       

東京都世田谷区祖師谷にて煎茶道具、茶道具、脇田和の絵画、掛け軸、古伊万里などをお売りいただきました。

先月末、ご実家のお蔵から出たお品の見積りでお呼びいただいたお客様宅へ、出張買取でお呼びいただきました。当社がお呼びいただく前に数社見積もりに入ってましたが、査定の上、当社にお決めいただきました。お売りいただいたお品は、煎茶道具、茶道具、脇田和の絵画、掛け軸、古伊万里、漆器など。たくさんのお品をお売りいただきました。煎茶道具は、全利老店、津田栄製、窯高琴永點銅の錫製茶托、林克瑞製の錫製茶壷、釜や鎖道具、大明成徳年製銘の古銅瓶掛火鉢、平安春峰の煎茶碗、白泥漢詩文水注、朱泥急須、白泥涼炉、香合、茶合、茶入、ボーフラ、湯さまし、水注、涼炉、火炉、炉台、宝瓶、建水、瓶敷、瓶座、硯屏、炉屏、茶櫃、巾筒など。唐物煎茶道具も多くございました。絵画は脇田和のシルクスクリーン「ビレッジの人々」。掛軸は谷文晁、酒井抱一、中村不折、佐久間象山、長沢芦雪、駒井源琦の日本画や頼山陽の書など。他にも古伊万里など古陶磁器や漆器、茶道具などをお売りいただきました。古いものも大切に保管されていたようで、良い状態で残っているものがたくさんございました。ご家族の大切にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。作業しやすいようにお手伝いいただいたり、お茶をいただいたりお気遣いいただき誠に有難うございました。

脇田和 (わきたかず) 1908~2005
1908年 東京に生まれる
1923年 青山学院中退、ベルリンに渡航。ドイツ帝室技芸員マックス・ラーべスに師事
1930年 ベルリン国立美術学校から金メダルを贈られて卒業。帰国する
1936年 猪熊弦一郎・小磯良平ら8人の仲間と共に新制作派協会を結成。今日まで「新制作協会」として続く
1943年 フィリピンのマニラ陸軍報道部勤務
1944年 内地連絡のため帰還
1945年 アトリエが戦災で消失。戦前の作品の大部分を失う
1949年 神奈川県相模湖付近に集団疎開
1949年 世田谷のアトリエ付き住居に本居を移す
1951年 第1回 サンパウロ・ビエンナーレ出展
1952年 パリのサロン・ド・メ,ピッツバーグ国際展参加
1955年 第3回 日本国際美術展で「あらそい」が最優秀賞を受賞
1956年 第28回 ヴェネチア・ビエンナーレ出展。第1回 グッゲンハイム国際美術賞で「あらそい」が日本国内賞に選ばれる
1956年 東京藝術大学で後進の指導にあたる
1962年 長男を伴いインド・中近東・アフリカ・欧州・米国等回遊
1964年 東京芸術大学助教授就任
1968年 東京芸術大学教授就任
1966年 渡米、メキシコを回遊
1970年 吉村順三設計による軽井沢のアトリエ山荘が完成 (脇田美術館の前身)
1970年 東京芸術大学を退官
1973年 世田谷のアトリエを改装
1977年 静養のためハワイ滞在し、79年に心臓バイパス手術を受ける
1986年 脇田和展 (神奈川県立近代美術館・群馬県立近代美術館)
1987年 ダラス、ニューヨークを経てパリ・ベルリン・ミュンヘン等を訪問
1991年 軽井沢に「脇田美術館」開館。勲四等朝日小勲章受賞
1995年 日比谷の第一生命ビル本社に脇田和作品の常設ギャラリーが開廊
1998年 文化功労者に選ばれる
1999年 東京藝術大学名誉教授に就任
2001年 脇田和展開催 (資生堂アートハウス)
2002年 脇田和展 (世田谷美術館)
2003年 脇田和展 (石川県立美術館)
2004年 卆寿を生きる作家展 (あさご芸術の森美術館)
2005年 脇田和展 (space TRY)・詩画集「女のひとと鳥」発刊。第69回「新制作展」出展
2005年 11月27日、永眠。叙位 従四位を追賜せられる