東京都目黒区東山にて岡本太郎のブロンズ像「若い夢」、洋銀製の馬置物。

東京都目黒区東山にて岡本太郎のブロンズ像「若い夢」、洋銀製の馬置物をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お家に閉まったままの置物や絵画などをご処分したいとのことでご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、岡本太郎のブロンズ像「若い夢」、洋銀製の馬置物、リトグラフなど。「芸術は爆発だ!」の名言で知られている岡本太郎さんの作品「若い夢」は、当社で買い取りを強化している作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。付属品も全て揃っており、状態の良いお品でした。「若い夢」は日本青年館新館建設基金募集のため、多くの芸術家に呼びかけを行った際、第1回を担当した岡本太郎が制作した作品であります。「人生は夢だ。夢見るものは永遠に若い。にっこり笑ってこの世のすべての空しさと闘い、挑みそれをのり越える。その瞬間にこそ若い夢がひらくのだ。」頬杖をつき、無邪気な笑顔を浮かべ未来を見つめるその眼差しは、私たちに明日を生きる前向きな活力を与えてくれるような気がします。佐賀県にある「川崎電気」という配電盤メーカーの工場の敷地内に作品が置かれております。馬の置物は洋銀製のもの。馬の置物はブロンズ製、木彫りのものなど多々ございますが、人気がありますので高額査定で買取させていただきました。素晴らしい作品をお売りいただき、有難うございました。
当社では岡本太郎の油彩画や、リトグラフ、シルクスクリーンなどの版画作品、オブジェなどの立体作品を幅広く買取しております。ご不要の作品がございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。高額査定で買取させていただきます。

岡本太郎(おかもとたろう)明治44(1911)年2月26日~平成8(1996年)1月7日
1911年 2月26日、母の実家である神奈川県橘樹郡高津村二子/現在の川崎市高津区二子に生まれる。
1929年 慶應義塾普通部を卒業、東京美術学校(現・東京藝術大学)洋画科入学半年後中退。父のロンドン軍縮会議取材に伴い渡欧。
1931年 ソルボンヌ大学哲学科で、哲学・心理学・民俗学を学ぶ。
1940年 パリ陥落に伴い帰国。
1942年 海外に在住していたために延期されていた徴兵検査を31歳にして受け甲種合格。召集され、中国にて自動車隊の輜重兵として軍隊生活を送る。
1946年 復員、東京都世田谷区上野毛にアトリエを構える。
1947年 後に養女となる平野(旧姓)敏子と出会う。
1948年 花田清輝、埴谷雄高らと「夜の会」結成。
1954年 アトリエを青山に移し「現代芸術研究所」を設立、「今日の芸術」初版刊行。
1956年 旧東京都庁舎(丹下健三設計)に「日の壁」「月の壁」など11の陶板レリーフを制作。
1970年 大阪の日本万国博覧会のシンボル「太陽の塔」制作。
1973年 岡本太郎デザインの飛行船レインボー号が空を飛んだ。スポンサーは積水ハウス。
1984年 芸術文化勲章受章(フランス)。
1989年 芸術文化勲章受章(フランス)。
1996年 1月7日逝去、享年84歳。
マスコミ出演も多く、「芸術は爆発だ!」の名言で知られております。