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東京都足立区にてクメール美術古銅仏頭、村上華岳の木版画、茶葉末釉の水盤。

東京都足立区にてクメール美術カンボジアの古銅仏頭、村上華岳の木版画「観世音菩薩像」、茶葉末釉の水盤をお売りいただきました。

業者様にご紹介いただき、遺品整理でお呼びいただきました。仏像や絵画などをご処分されたいとご連絡頂き、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、クメール美術カンボジアの古銅仏頭、木彫りの仏像、村上華岳の木版画「観世音菩薩像」、茶葉末釉の水盤など。お父様がご趣味で集めていらっしゃったお品になります。クメール王朝とは9世紀から15世紀ごろまで現在のカンボジア王国からタイにまで及ぶ一帯にあった王朝国家です。お売りいただきましたお品は、クメール王朝期につくられた銅製の仏頭。古い仏像ですので所々に破損がございますが、当社で買取強化中の仏像ですのでお客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。村上華岳は、大正から昭和期にかけて活躍された、日本を代表する画家のひとりであります。初期は写生風と洋風の交じり合った画風で、油彩画にも挑戦されました。独学で仏教美術・ルネサンス絵画・インド美術を学び、生涯のモチーフとなった山水や仏画を主題とした作品を多く描き、東西の様式を吸収。次第に神秘的要素から宗教的要素へと移行しました。お売りいただいたお品は、木版画の「観世音菩薩像」。タトウ箱に納められ、大変状態の良い作品でしたので、高額査定となりました。茶葉末釉(ちゃようまつゆう)は中国の陶磁器で、茶葉の粉末の色のように見えるため、その名が付いたといわれております。緑色と黄色が混ざった釉薬は蕎麦の実のようにも見えるため、日本では蕎麦釉(そばゆう)と呼ばれております。高台にカケがございましたが、人気の中国美術ですのでこちらも買い取らせていただきました。お父様の大切にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名いただき、誠に有難うございました。

村上華岳(むらかみかがく)明治21(1888)年7月3日~昭和14(1939)年11月11日
1888年 7月3日、大阪天満松ヶ枝町に生まれる。本姓武田、甲州武田氏の末裔。本名震一。
1895年 神戸市神戸尋常小学校に入学。叔母村上千鶴子の婚家、村上五郎兵衛方に寄居する。
1903年 京都市立美術工芸学校へ入学。
1904年 村上家を嗣ぐ。
1907年 京都市立美術工芸学校卒業。
1911年 京都市立絵画専門学校卒業。
1916年 京都市東山高台寺円徳院に住む。
1917年 洛北衣笠に転居。この頃仏画に筆を染め、静物、風景等を多く描く。
1918年 土田麦僊・小野竹喬らと、国画創作協会(国展)を結成する。
1923年 京都を去り、神戸に帰り、芦屋に隠棲。
1925年 タゴール翁と識する。「タゴール像」を素描す。国展第五回に「松巒雲煙」出品。
1926年 久邇宮家の献上画を制作。
1927年 神戸花隈の旧居に帰る。この頃より画壇を遠ざかる。
1934年 華岳作品の憧憬者が集り、各自その収蔵作品を持より東京永楽倶楽部に於て展列を行う。
1935年 帝国美術院第一部無鑑査となる。
1936年 京都美術倶楽部に於て、友人達が作品百余点を展示する。
1939年 11月11日、永眠。享年51才。

東京都渋谷区広尾にて初代 久保田一竹の訪問着、帯、東山魁夷の木版画。

東京都渋谷区広尾にて初代 久保田一竹のぼかし染め訪問着、辻が花帯、東山魁夷の木版画「青い峡」をお売りいただきました。

お着物をご処分されたいとお電話いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は初代 久保田一竹のぼかし染め訪問着、辻が花帯、作家物のお着物、東山魁夷の木版画「青い峡」など。初代久保田一竹は20歳の時に東京国立博物館で辻が花と出会い、感銘を受け生涯をその研究にささげることを決意されました。太平洋戦時での召集などの困難を乗り越え、手描き友禅を生活の糧としながら、研究を続け、60歳にして初めて「辻ヶ花」を完成させます。これが「一竹辻ヶ花」と命名された逸品の始まりです。一竹の着物はファンも多く、特に初代のアイテムは非常に高値で取引をされているため、高額査定で買い取らせていただくことが出来ました。残念ながら若干ヤケやシミが出てしまってはおりましたが、当社で買い取り強化している初代久保田一竹作品、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。他のお着物もシミ汚れの出てしまっているものもございましたが、当社で買取強化している作家作品もあり、全て買い取らせていただきました。絵画は日本画の巨匠「東山魁夷」の木版画「青い峡」。京都の山をモチーフにされた作品です。こちらもまた社で買取強化している作家作品、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。お客様の大切にされていたお着物、絵画など、大切に次へと繋げさせていただきます。良いお品を多数お売りいただき有難うございました。

初代 久保田一竹(くぼたいっちく)1917年(大正6年)10月7日~2003年(平成15年)4月26日
1916年 10月7日 神田に生れる
1931年 友禅師小林清師に入門
1948年 辻が花の研究に着手
1961年 独自の染色法一竹染を創業
1983年 パリ・チェルニスキー美術館にて「一竹辻が花展」
1984年 ニューヨーク・ダラスにて「一竹辻が花 光・風・音展」
1985年 ベルギー・ブリュッセルにて「一竹辻が花 光・風・音展」
1988年 バチカン宮殿にて上演された創作能「イエズスの洗礼」の衣装制作
1989年 ヨーロッパ主要都市にて個展
1990年 フランスよりフランス芸術文化勲章シェヴァリエ章を受賞
1993年 文化庁長官賞受賞
1994年 久保田一竹美術館(河口湖町)開館
1996年 ワシントンD.C.スミソニアン国立自然史博物館にて個展
2003年 逝去(享年86歳)

東山魁夷(ひがしやまかいい)1908~1999年
1908年 横浜市に生まれる。
1929年 第10回帝展に「三国の秋」を出品し初入選。
1931年 東京日本美術学校日本画科卒業。結城素明に師事し、魁夷と号する。
1934年 第1回独文化交換学生としてベルリン大学入学。
1939年 第1回日本画院展で「冬日」が日本画院賞第一席となる。
1969年 文化勲章受章。文化功労者として顕彰される。
1979年 「日本東山魁夷絵画展覧会」が開催され訪独。
1980年 「第二期唐招提寺障壁画展」が開催される。
1995年 米寿記念「唐招提寺障壁画と画業60年の歩み、東山魁夷展」開催
1999年 死去。勲一等瑞宝章受章。
2005年 ⾹川県に「東⼭魁夷せとうち美術館」が開館

栃木県栃木市にて結城紬や大島紬、紅型などの反物、帯など。

 

栃木県栃木市にて結城紬や大島紬、紅型などの反物、帯などをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。結城紬の反物を多数ご処分されたいとご連絡いただき、出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は結城紬や古代草木結城の反物、正絹大島男物亀甲絣の反物、琉球紅型やちりめんの反物、帯など。反物は全て未仕立てもの。帯は西陣織など。締めているものでしたが良い状態でした。お問い合わせいただいていたように結城紬の反物が多くございました。お売りいただいた結城紬は、通称”紬”マークと呼ばれる、証紙のものです。本場結城紬の「結」印ではなく、「紬」印のこちらは本場結城紬と名乗ることができない結城紬になります。結城紬は旧結城藩の地域(結城市内とは異なる)で織られたものだけで、産地の他に①糸は全て真綿より手紡ぎされたもの。②模様(絣)をつける場合は手括りによるもの。③地機で織られたもの。という3つの条件があります。この条件を満たし検査に合格すると「本場結城紬 地機」というラベルが付きます。残念ながら「紬」印の結城紬はこの3つの条件をクリアできていないものとなります。「紬」印のものは本場のものに比べ、どうしても査定額も低くなってしまいます。全て「紬」印のものでしたが、木箱に納められ状態の良い反物でしたので、精一杯の査定額で全て買い取らせていただきました。まとめてのご売却、有難うございました。
栃木県に来たらやはり宇都宮の餃子を食べて帰りたくなります。いつも行く宇都宮の餃子店は現在テイクアウトのみとなってましたので、美味しい餃子店をネットで検索し「平塚ラーメン 二代目 」へ向かいました。ラーメンと餃子を注文しましたが、ラーメンのチャーシューと餃子のボリュームがなんともすごかったです。極厚の肩ロースチャーシューが絶品でした。また寄らせていただきます。

東京都杉並区桃井にて三味線、琴、着物、世田谷区上馬にて高沢圭一の油彩画。

      

東京都杉並区桃井にて三味線、琴、お着物、世田谷区上馬にて高沢圭一の油彩画、能面をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は東京都杉並区桃井へ和楽器、お着物の出張買取でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は綾杉彫り、金細の三味線、お稽古用の三味線、くり甲、子持ち綾杉彫り、玉縁包みの演奏用琴、お稽古用の琴、お着物など。お着物はシミ汚れの出てしまっているものもございましたが、全て買い取らせていただきました。和楽器はお稽古用のものもございましたが、買取強化中のお品ですので全て買い取らせていただきました。ご親戚の大切にされていたお品、大切に次へと橋渡しさせていただきます。遠方よりお越しいただき、誠に有難うございました。二件目は不動産業者様のご紹介でお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、高沢圭一の油彩画「亜子(娘)の肖像」、能面など。高沢圭一の描く美人画は、女性の淑やかさと艶かしさを表現し、まるで命を吹き込まれたかのようであります。美人画で有名となった高沢は、個展を開催する傍ら、戦後は「週刊小説」、「週刊朝日」、「婦人公論」など、様々な雑誌の表紙絵も手がけております。お売りいただいた作品もまた娘を描かれた美人画。1963年に描かれた15号の作品。所々にひび割れが出てしまっておりますが、強化買取り中の作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。当社査定額にお喜びいただけて良かったです。本日は六角堂のご指名、誠に有難うございました。
お昼に西荻窪駅の側にある沖縄料理屋「星の浜食堂」さんでソーキそば、グルクンの唐揚げを食べました。こちらのソーキそばのお肉はプルプルで絶品でした。沖縄料理は久々でしたがとても美味しかったです。

高沢圭一(たかさわけいいち)1914~1983年
1914年 群馬県に生まれる。
1936年 日大技術学科中退。
1937年 陸軍上海報道部に勤務する。
1939年 聖戦美術展に「突撃路」(100号)出品、朝日新聞社賞受賞。
1974年 パリのヴァンドーム画廊でパリ展「花と蝶」を開催。
1975年 「紅」でフランスのル・サロン展受賞。
1976年 婦人公論の表紙絵を担当する。(1982年まで)
1977年 第一回日本随筆家協会賞
1983年 神奈川県秦野市で逝去。

東京都杉並区で松本民芸家具、着物、古道具、中野区で田崎広助のリトグラフ。

   

東京都杉並区久我山にて松本民芸家具のローテーブル、着物、黄八丈の反物、和装小物、古書、一刀彫人形など、中野区沼袋にて桐箪笥、田崎広助のリトグラフ「朱富士」をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は杉並区久我山へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、松本民芸家具のローテーブル、着物、黄八丈の反物、和装小物、古書、一刀彫人形など。松本民芸家具はミズメザクラを主原料としてます。ミズメザクラは日本にしか生えてない日本固有の木で生産量が少なく入手も困難ですが、堅く、粘り強く、狂いにくい木材のため長年の使用に耐え、強くて丈夫で美しいミズメザクラに職人たちはこだわっております。裏面に「六」の刻印がございます。松本民芸家具は、作品の裏に職人の銘を刻みこみます。裏に刻まれる銘は、その職人の『長く使ってほしい』という想いと『仕事に責任を持つ』という誓いの証だそうです。お着物は全体的にシミ汚れの出てしまっているものが多くございましたが、全て買い受けさせていただきました。反物は本場ではありませんが、黄八丈のものなどございました。和装小物は帯留めや櫛、簪など。帯留めは陶製のものや螺鈿のものなどあり、櫛、簪には蒔絵が施されていて素敵なお品でございます。簪には「玉芳」の銘あり。古書は浮世絵のものなど、一刀彫人形は奈良人形や朝鮮風俗人形など。風鎮は緑石のものや陶製のものなど様々。たくさんのお品をお売りいただきました。ご家族の思い出のお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。お忙しい中、六角堂をご指名いただき有難うございました。本日二件目は、業者様のご紹介で中野区沼袋へお引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、伝統工芸に指定されている春日部桐箪笥、田崎広助のリトグラフ「朱富士」。桐箪笥は数か所砥粉落ち、側面にアタリなどございましたが、当社の買取強化商品ですので買取させていただきました。人気洋画家 田崎広助(たさきひろすけ)の作品も当社の買取強化商品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。お喜びいただけて良かったです。良いお品をお売りいただき有難うございました。

田崎広助(たさきひろすけ)明治31年(1898)~昭和59年(1984)
1898年 福岡県に生まれる。本名は廣次。坂本繁二郎、安井曾太郎に師事。
1920年 画家を志して上京。本郷駒本小学校の図画教師となる。
1926年 第13回二科展に「森の道」「山百合」「京都吉田山」3点が初入選。
1937年 練馬区豊玉にアトリエを構える。第一回一水会展に出品入選。
1949年 日展審査員となる。
1958年 改組日展の評議員、審査員となる。東京都美術館参与となる。
1967年 芸術院会員となる 日展常任理事となる。
1968年 勲三等瑞宝章受章。
1971年 文化庁買上作品選考委員を委嘱される。
1973年 東郷青児、田崎廣助らが中心となり、日伯現代美術展を開催ブラジル政府から、グラン・クルーズ賞、コメンダドール・オフィシアール賞(最高名誉文化賞)を受ける。
1975年 日本橋高島屋にて初の回顧展開催。文化勲章受章。
1984年 死去。享年85歳。

東京都稲城市にて原田泰治の木版画、大田区にて松澤登美雄の木彫り彫刻。

    

東京都稲城市にて原田泰治の木版画、大田区にて農民美術作家 松澤登美雄の木彫り彫刻をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は東京都稲城市へ絵画のご処分でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、原田泰治の木版画を二種、計七点。額装されていない版画のみで七枚のうち六枚が同作品。メールでお問い合わせいただいた際に査定させていた金額で、全て買い取らせていただきました。シミ汚れ等なく、保管状態の良い作品でした。お忙しい中、当社をお呼びいただき有難うございました。二件目は業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。桐箪笥やお着物、置物などをご処分されたいとご連絡いただき、お伺いしました。桐箪笥は残念ながら現在買取が厳しいたんすでしたが、お着物、反物はシミなどあるものの全て買い取らせていただきました。置物は木彫りの人形や、農民美術作家 松澤登美雄の木彫り彫刻「割烹着」、「棟梁」をお売りいただきました。農民の手工芸品として始まった「農民美術」は、大正から昭和初期にかけて全国に広がり、現在は長野県上田地域の伝統的工芸品として定着し、白馬・大町などで作られております。信州の風土を背景にした生活の中より生まれる奔放な作品が多くございます。すべて手作り品のため、同じ作品がなく、そこが魅力のひとつであります。松澤登美雄氏の作品も長野発祥の木端人形がルーツの農民芸術であります。お売りいただいた作品のように、温かい温もりを感じる作品を現在も作られております。多少スレなどございましたが、全体的に状態良く、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。本日は六角堂をご指名くださり、誠に有難うございました。
昼食で、世田谷区にある「長浜らーめん」さんへ行きました。コロナ禍で外食を控えておりますが、久々寄らせていただきました。とんこつ味噌にタマネギをトッピング。ゴマをたくさん入れるのが私流です。久々の長浜らーめんはとても美味しかったです。収束しましたら、以前のようにたくさん通いたいと思います。

原田泰治(はらだたいじ)1940年~
1940年 長野県諏訪市上町で生まれる。
1960年 武蔵野美術大学洋画科に入学、油彩画を学ぶ。翌年、商業デザイン科に再入学する。
1963年 武蔵野美術大学商業デザイン科卒業。デザイナーとして活動する。
1980年 第29回小学館絵画賞受賞
1982年 朝日新聞日曜版に「原田泰治の世界展」を連載開始/並行して全国で個展開催
1989年 アメリカ合衆国各地で展覧会を開催
1997年 長野冬季オリンピック競技大会での文化芸術祭に参加
1998年 諏訪湖のほとりに諏訪市原田泰治美術館がオープン
2000年 日本の全国各地20か所で「日本の童謡・唱歌100選展」開催
2008年 上田電鉄1000系電車のラッピング車輌「自然と友だち」のデザインを担当
2009年 日本グラフィックデザイナー協会会員
2009年 クロアチア共和国ナイーブ美術協会名誉会員中国・上海金山農民画協会会員を務める
現在、日本グラフィックデザイナー協会会員、クロアチア共和国ナイーブ美術協会名誉会員、中国・上海金山農民画協会会員。

松澤登美雄(まつざわとみお)1948年~
1948年、長野県白馬村生まれ
木彫家・尾澤千春氏に入門(農民美術家)
岐阜高島屋、横浜高島屋、池袋西武、池袋東武、ギャラリーにて個展多数
木彫フォークアートおおやにて大衆賞、銀賞、山田洋次記念賞受賞

山梨県富士吉田市にて作家物のお着物や帯、洋食器、木彫り雛人形など。

昨年お着物や茶道具などのご処分でお呼びいただいたお客様から、残りにお着物などをご処分されたいとご連絡いただき、山梨県富士吉田市へ出張買取させていただきました。遠距離出張でしたので、昨夜より近くのビジネスホテルへ泊まり、本日お伺いさせていただきました。お売りいただいたお品は、おだに武士(天才)の友禅、大脇一心の西洞院辻が花名古屋帯、正倉院模様裂訪問着、置賜紬 紅泥染の袋帯、久保田一竹工房の和装バッグ、松尾春海の木彫り雛人形、ロイヤルコペンハーゲン フローラダニカのピクルスディッシュオーバル、クリストフルのカトラリーセットなど。今回もまたたくさんのお品をお売りいただきました。お着物はシミや汚れなど出てしまっているものもございましたが、全て買い取らせていただきました。お昼の休憩で、炊き込みご飯にけんちん汁をわたしたちにご用意してくださいました。前回お呼びいただいた時には、おいなりさんを作っていただきました。お料理が上手なお客様で、とっても美味しかったです。ご馳走様でした。来年もまた、加茂桐箪笥のご処分でお呼びいただくこととなり、楽しみにしております。お怪我された足が早く治るよう祈ってます。お体を大切に、健康でいてくださいね。
画像は昨夜夕飯で寄った「冨士天ぷら いだ天」さんの吉田のうどん。吉田のうどんはとても硬く、非常にコシが強いのが特徴です。この硬さがクセになります。天ぷらも揚げたてで美味しかったです。帰りにはふじやま温泉へ寄り、ほうとうをいただきました。野菜やキノコがたくさん入っており、美味しかったです。温泉もとても気持ちよく、疲れがとりました。

大脇一心(おおわきいっしん)
1939年 名古屋で生まれる。
1958年 吉村春吉に師事し、染色の世界に入る。
1971年 より高次元の創造的活動を求め、同社を退社。
1971年 「西洞院辻が花」を発表。
(渡米し、約5年間ニューヨークに在住)
1981年 東京歌舞伎座大緞帳「辻が花賛歌」製作。
1987年 全国日本学士会より「アカデミア文化賞」を受賞。
1990年 歌舞伎座大緞帳「高山麗花」制作。

東京都東村山市にて東山魁夷のリトグラフ、平山郁夫の工芸画、薩摩切子など。

東京都東村山市にて東山魁夷のリトグラフ「月唱」、平山郁夫の工芸画「ユーフラテス河 朝陽」、尚古集成館監修 復元薩摩切子の猪口、琴、薩摩琵琶などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。絵画などを整理されたいとお電話いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただきましたお品は、東山魁夷のリトグラフ「月唱」、平山郁夫の工芸画「ユーフラテス河 朝陽」、尚古集成館監修 復元薩摩切子の紅被せガラス切子猪口、琴、薩摩琵琶などの和楽器。東山魁夷、平山郁夫といえば現代⽇本画家の中でも最⾼峰の画家とされております。東山魁夷の作品はリトグラフ(新復刻画)でタイトル「月唱」。著作権者である東山魁夷夫人の監修のもと、限定制作された複製リトグラフです。北海道の然別湖を取材して描いた作品。湖畔の水面に対岸の山が倒影された様子を描いています。深い青の世界にぽっかりと浮かぶ月はやわらかく輝き、照らされた世界は清澄な空気が流れ、水面に映る月との対比が美しい作品であります。平山郁夫の作品は大塚巧藝社の工芸画でタイトルは「ユーフラテス河 朝陽」。こちらも平山郁夫らしい素晴らしい作品となっております。どちらもタトウ箱あり、多少のシミはございます。当社買取強化中の作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。切子の猪口は人気の薩摩切子。復元薩摩切子は、島津家28代・薩摩藩主島津斉彬の時代に製造された薩摩切子を収蔵・展示している尚古集成館が監修しております。作品にはSHIMADZUのサインがあります。島津家自ら復元、創作したものであり、他で製造・販売されている品物と区別する意味も含めて、SHIMADZUマークの彫刻が施されています。こんな素敵なお猪口で呑むお酒は、さぞかし美味しいのでしょう。他にも演奏用のお琴や薩摩琵琶や撥なども併せてお売りいただきました。お引越し先に保管場所がなく、泣く泣くのご処分とのこと、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日はお忙しい中、当社をご指名いただき誠に有難うございました。

東山魁夷(ひがしやまかいい)1908-1999
1908年 横浜市に生まれる。
1929年 第10回帝展に「三国の秋」を出品し初入選。
1931年 東京日本美術学校日本画科卒業。結城素明に師事し、魁夷と号する。
1934年 第1回独文化交換学生としてベルリン大学入学。
1939年 第1回日本画院展で「冬日」が日本画院賞第一席となる。
1969年 文化勲章受章。文化功労者として顕彰される。
1979年 「日本東山魁夷絵画展覧会」が開催され訪独。
1980年 「第二期唐招提寺障壁画展」が開催される。
1995年 米寿記念「唐招提寺障壁画と画業60年の歩み、東山魁夷展」開催
1999年 死去。勲一等瑞宝章受章。
2005年 ⾹川県に「東⼭魁夷せとうち美術館」が開館

平山郁夫(ひらやまいくお)1930-2009
1930年 広島県で⽣まれる。
1945年 学徒勤労動員先にて被爆する。
1947年 東京美術学校(現・東京藝術⼤学)⽇本画科へ⼊学。
1952年 ⽇本画科を卒業後、前⽥⻘邨(まえだせいそん)に師事する。
1953年 第38 回院展に出品した「家路」が⼊選する。
1962年 第47 回院展出品作品「受胎霊夢」が⽇本美術院賞(⼤観賞)を受賞。ヨーロッパへ留学する。
1964年 第49 回院展出品作品「仏説⻑阿含経巻五」が⽂部⼤⾂賞受賞。
1974年 バチカン宮殿内現代宗教美術コレクションに「古代東⽅伝教者」を寄贈。
1974年 ローマ法王より、聖グレゴリオ騎士銀褒章を受章。
1976年 全国6 都市でシルクロード展を開催。
1978年 第63 回院展出品作品「画禅院⻘邨先⽣還浄図」が内閣総理⼤⾂賞受賞。
1981年 日本美術院理事となる。
1988年 東京藝術⼤学第6代学⻑に就任する。
1991年 フランス国立ギメ東洋美術館で「平山郁夫シルクロード展」開催。フランス政府よりコマンドール勲章を授与される。
1992年 中国日中国交正常20周年会議に出席。早稲田大学名誉博士となる。
1997年 「平⼭郁夫美術館」開館。
1998年 ⽂化勲章を受章。
2009年 逝去。

東京都台東区千束にて時代水屋箪笥、桐箪笥、宮田雅之の切り絵、木版画。

東京都台東区千束にて時代水屋箪笥、桐箪笥、宮田雅之の切り絵、木版画をお売りいただきました。

不動産業者様のご紹介で、解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。古い和家具や桐箪笥、絵画などを処分したいとお問い合わせいただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、時代水屋箪笥、桐箪笥、宮田雅之の切り絵、木版画など。水屋箪笥は明治期の時代箪笥で、二段重ねのものでしたが上段と下段を分けて使用されておりました。下段にはガメ戸や引き出しの渋みを増した装飾金具など時代を重ねた風合いがございます。水屋は今でいう台所で、水屋箪笥とは食器棚のことをいいます。衣装箪笥と違い、いくつかの引出しや戸棚がついているのが特徴で、昔は食器や調理道具等、台所用具を水屋箪笥に収納していました。大切にされておりましたので、良い状態の箪笥でした。桐箪笥も明治期の時代箪笥で、金具装飾が多く入った素晴らしい箪笥です。他にもお父様が集めていらっしゃった、宮田雅之の切り絵や木版画なども併せてお売りいただきました。以前、骨董商よりまとめて購入されたようです。切り絵が16点、木版画が2点、額装されていなかった為、多少傷みやシミの出てしまっているものもございましたが、当社で買取強化中の作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。お客様が生まれる前より前からあったご家族思い出の箪笥、お父様が大切にされていたコレクション、当社で責任もって次へと繋げさせていただきます。本日は六角堂をご指名いただき、誠に有難うございました。

宮田雅之(みやたまさゆき)1926~1997年
ブックデザイナーをしていた宮田雅之は、文豪 谷崎潤一郎に見出され挿絵画家となります。刀勢画と呼ばれる独自の技法を確立し、繊細、力強く美しい作品は国内外で注目を集めます。1995年には日本人初の国連公式認定画家となります。
1926年 東京生まれ。
1960年 全米ブックジャケットコンテスト入賞。
1972年 講談社出版文化賞。
1973年 ハワイ日米文化センター主催「紙による日本の芸術展」特別出品。
1974年 ギリシャで「The World of Masayuki Miyata」開催。
1975年 ブラジルで「The World of Masayuki Miyata」開催。
1976年~各地で個展開催。
1991年 パリ・ビェンナーレ100年展特別出品。
1995年 日本人初の国連公式認定画家
1996年 北京中央工芸美術学院、上海大学、上海師範大学客員教授。
1997年 上海からの帰国の途中、機内において急性脳梗塞に見舞われ逝去。
2003年 北京・故宮博物院にて日中平和友好条約締結25周年記念「刀勢画・宮田雅之芸術展」を開催。

東京都千代田区にて加茂桐箪笥、帯、和装小物、八代亜紀の油彩画など。

東京都千代田区平河町にて伝統工芸士 中沢和夫の加茂桐箪笥、西陣 小森織物や北尾織物匠の袋帯、道明新兵衛の帯締め、八代亜紀の油彩画「まなざし」、家具、贈答品などをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。桐たんすをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、伝統工芸士 中沢和夫の加茂桐箪笥、西陣 小森織物や北尾織物匠の袋帯、道明新兵衛の帯締め、八代亜紀の油彩画「まなざし」、家具、贈答品など。本日お売りいただいた桐たんすは、新潟県加茂市で作られている伝統工芸品加茂桐箪笥、胴丸下六大洋和箪笥という形のたんすで、当社で数多く取り扱う高級桐たんすになります。前飾りには、峯生刀の銘あり。伝統工芸士である中沢和夫の作。多少の傷みはありましたが、全体的に状態良くまだまだ次へと繋げていける箪笥でございます。また、西陣の名門織匠やである小森織物の「古綾錦 縫箔全通袋帯」や北尾織物匠の「道長彩懐紙文 袋帯」、未使用の道明新兵衛の帯締めも併せてお売りいただきました。帯に多少の使用感があるものの、まだまだ次へと繋がるお品でございます。八代亜紀の油彩画は人気の猫をモチーフにした作品「まなざし」。八代亜紀は、永年にわたり歌手として活躍してまいりました。 余技としてはじめた絵画を、感性豊かな繊細な筆到と独特の超現実主義の表現で、画家としての世界も着実につくりあげてきました。フランス画壇の登竜門「ル・サロン」展へも5年連続入賞を果たし、永久会員となっております。アーティストとしての活動も積極的に行っております。他にも北谷家具のチェストや贈答品など、たくさんのお品をお売りいただきました。点数が多くお時間が掛かってしまいましたが、最後までお付き合いいただき有難うございます。ご親戚の大切にされていたお品々、大切に次へ繋げさせていただきます。本日は六角堂のご指名、有難うございました。