月別アーカイブ: 2017年8月

東京都杉並区にて、和家具、着物、秋田木工のスタッキングスツール、白薩摩焼廣田窯の急須。

東京都杉並区和泉にて、桐箪笥、茶箪笥、お着物、座卓、秋田木工のラタン張りスタッキングスツール、白薩摩焼廣田窯の急須をお売りいただきました。

薩摩焼とは鹿児島県内で作られる焼物で堅野系、龍門司系、苗代川系の窯が現在でも残っており、豪華絢爛な「白もん(白薩摩)」と大衆向け雑器とされる「黒もん(黒薩摩)」に分ける事が出来ます。同じ薩摩焼でも一般人には使用禁止であった白薩摩は苗代川系、竪野系が焼いており、象牙色の肌に金、赤、緑、黄、紫などで絵付けに繊細な金襴手で豪華に装飾された多くの優品を作り出しています。一方、黒薩摩は3系統の窯で茶器から日用品まで作られていますが、3系統の窯の中でも龍門司系が日用品を得意としており、黒釉、褐釉、蕎麦釉を掛け鉄分を多く含む土を高温で焼き締め、素朴で頑丈な仕上がりとなり庶民の器として愛されており、焼酎をお燗する土瓶型の「黒茶家(くろじょか)」や徳利の一種である「カラカラ」などが代表的です。
六角堂では、薩摩焼の他にも、各地陶磁器の買取りに力を入れております。
流氷焼、小久慈焼、堤焼、楢岡焼、平清水焼、会津本郷焼、大堀相馬焼、笠間焼、益子焼、小砂焼、無名異焼、九谷焼、大樋焼、珠洲焼、越前焼、美濃焼、志戸呂焼、瀬戸焼、常滑焼、萬古焼、伊賀焼、信楽焼、膳所焼、湖南焼、京焼、楽焼、清水焼、朝日焼、御室焼、丹波立杭焼、明石焼、出石焼、赤膚焼、布志名焼、備前焼、虫明焼、萩焼、大谷焼、砥部焼、江山焼、上野焼、小石原焼、高取焼、唐津焼、伊万里焼、吉田焼、波佐見焼、三川内焼、小代焼、小鹿田焼、薩摩焼、壺屋焼、李朝時代の陶磁器、中国古陶磁器など幅広く探しております。ご自宅にお持ちの陶磁器のご売却をお考えの際は、是非お気軽にご相談下さい。陶磁器に詳しい専門スタッフが出張見積もりさせていただきます。
わたくしたち六角堂は長年の実績と確かな専門知識で、数多くの品々を取り扱って、現在に至っております。特にお客様との信頼関係を大切にいたしております。
質量にもよりますが、骨董品・茶道具・絵画は全国出張対応させていただいております。たくさんのお問合せお待ちしております。
和家具、美術品、骨董品、茶道具、掛軸、絵画、工芸品、陶磁器、古道具、蔵整理のご売却整理は、是非六角堂にお任せ下さいませ。

これから京都府へと出張してまいります。お茶道具や骨董品の勉強を兼ねていってきますので、一回り成長して戻ってきます。出張買取は、9月4日より再開させていただきます。京都出張中もご予約は随時承っておりますので、何かございましたらお電話またはお問い合わせ欄からメールにてご連絡ください。

東京都立川市にて、総桐タンス、長火鉢、金沢桐漆工芸「桐峰」の金沢蒔絵桐花生、宝香斎?在銘輪島塗沈金蒔絵花器。

 

東京都立川市にて、総桐たんす、長火鉢、金沢桐工芸「桐峰」の金沢蒔絵桐花生、宝香斎?在銘輪島塗沈金蒔絵花器をお譲りいただきました。

六角堂では蒔絵などの漆芸作品の買取りに力を入れています。ご自宅にお持ちの蒔絵・漆芸作品について、売却をお考えの際はお気軽にご相談ください。豊富な知識と鑑定経験をもつスタッフが、一つ一つ丁寧に最大限の正当評価をさせていただきます。衝立や座卓、書棚、飾り棚などの蒔絵家具や印籠・棗・硯箱・手箱などのほか、椀・皿・お盆・屠蘇器・重箱など日用品にも価値のあるものが多くあります。蒔絵は日本はもちろん、海外にもコレクターの方が数多くいらっしゃいます。作者が不明のお品でも高額となる場合がございますので、気になるお品がございましたら、お気軽にお問い合わせください。蒔絵・漆芸作品に詳しいスタッフが一点一点丁寧に査定させていただきます。
以下が強化買取り蒔絵・加飾、漆芸作家となります。
高野松山、柴田是真、山本春正、原羊遊斎、神坂祐吉、植松包美、植松抱民、川之邊一朝、池田泰真、白山松哉、飯塚桃葉、沢田宗沢斎、松田権六、赤塚自得、大場松魚、寺井直次、田口善国、室瀬和美、中野孝一、音丸耕堂、前大峰、前史雄、三谷吾一、的場晃昌、磯井如真、磯井正美、太田儔、赤地友哉、増村益城、磯矢阿伎良、塩多慶四郎、大西勲、小森邦衞、増村紀一郎、北村昭斎、黒田辰秋、太田抱逸、岡本康伸、天野文堂、藤井観文、山崎覚太郎、竹園自耕、佐藤貞一、井波喜六斎、張間禧一、勝田静璋、天野策地、張間麻佐緒、堆朱楊成、一后一兆、辻石斎、箱瀬淳一、服部峻昇、金城一国斎
上記作家以外ののお品でも高額となる場合がございますので、気になるお道具がございましたら、六角堂までお問い合わせください。

出張帰りに、同業の仲間と一緒に三芳町にある、「台湾料理 香琳坊」さんへと寄りました。こちらのお店は、安くて美味しい、量もボリュームもたっぷりと大食いのわたしにはもってこいのお店です。唐揚げと定食がお勧めのお店です!

金沢桐工芸(かなざわきりこうげい)
加賀百万石の伝統文化が今も息づく城下町・金沢が生んだ全国に類を見ない独自の伝統工芸。雪国なればこその良質の桐材と、ろくろ木地師の技、そして加賀蒔絵の伝統が、金沢桐工芸の基礎を作り上げました。古くは江戸から昭和初期まで、暖房の実用調度として多くの利点を持っていた桐火鉢より発祥しています。1988年1月21日、石川県指定伝統工芸品に認定されました。

沈金(ちんきん)
沈金は漆芸の加飾(装飾)技法であり、漆の塗面に文様を彫り、漆を摺り込んで金箔や金粉などを窪みに埋めるものである。中国では鎗金【そうきん】(創金)と呼ばれ宋代から行われていた技法で、室町時代にはわが国でも始められたと考えられており、近世以降、特に石川県輪島では高度な発達をされました。
彫刻技法には線彫、点彫、片切【かたぎり】彫、コスリ彫等の種類があり、刻文には箔置き、粉入れ等を施すほか、素彫りのままで仕上げるものもございます。彫刻には、沈金刀【とう】(沈金鑿【のみ】)と呼ばれる彫刻刀が用いられ、沈金刀にも表現に応じて工夫が加えられます。従来は線彫を主とする技法でありましたが、近現代には片切彫、点彫などの手法が考案され、筆意や立体感、ぼかしなどの多彩な表現が行われるようになりました。現在、各種の彫刻技法を組み合わせた、芸術性豊かな表現が行われております。沈金は、芸術上価値が高く、工芸史上重要な地位を占める漆芸技法といえます。

東京都中野区南台にて、和たんす、お着物、伝統こけし、山下清のリトグラフ「長岡の花火」。

東京都中野区南台にて、和たんす、着物、伝統こけし、山下清のリトグラフ「長岡の花火」をお譲りいただきました。 

不動産業屋さんのご紹介で、引越し前の整理にてお呼びいただきました。いつもお呼びくださり有難うございます。お見積り前に、ご不要のお荷物をまとめといてくださったので、スムーズに見積り、搬出することが出来ました。お気遣いいただきありがとうございました。今日も、出張帰りに志木市場の仲間たちとデニーズで食事会をしました。古物商仲間たちと仕事の会話をしているとなんだか楽しいです。リサイクル業界も時代の流れで相場の変動が激しいようです。わたしの取り扱う骨董品も相場の移り変わりが激しく、常に今の相場を把握していないとつとまりません。日々、勉強しなければです・・・

六角堂では「山下清」絵画作品の高価買い取り、査定・鑑定・出張買取りを致します。
ご所蔵の作品(リトグラフ、陶額も高額買受致します。)がございましたら、
無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。
山下清作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!
絵画をお見積りの際には、詳しい鑑定士が査定させていただきます。他にも時代家具、古道具、骨董・美術品をご処分の際には、六角堂までお問い合わせください。
絵画・骨董品買い取り地域 全国対応致します。(内容や荷量によっては伺えませんので、ご了承ください)
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山下清(やましたきよし)
1922年  大正11年3月10日 東京・浅草区中町に生まれる 。3歳の時に重病を患い軽い言語障害、知的障害になる。
1928年  昭和3年、浅草の「石浜小学校」に入学する。
1934年  昭和9年、 千葉県の養護施設「八幡学園」に入園。独自の技法による貼絵をはじめた。
1939年  昭和14年、 銀座「青樹社」での作品展で梅原龍三郎・安井曽太郎らの賞賛を受ける。
1940年  昭和15年11月18日突然、 放浪の旅を始める。
1954年  昭和29年 鹿児島にて放浪生活を終える。
1959年  昭和34年 ヨーロッパ九ヵ国を訪問する。
1960年  昭和35年 全国名勝絵葉書コンクールに「新東京十景」が選ばれる。 貼り絵の他・油絵・水彩画・陶磁器の絵付などの制作も手がける。
1971年  昭和46年7月12日他界、 49歳にて東京で歿 。

東京都足立区梅田にて、茶箪笥、座卓、ちゃぶ台などの古家具、今泉堂純銅製鎚起銅器茶器揃え。

東京都足立区梅田にて、茶箪笥、座卓、ちゃぶ台などの古家具、今泉堂純銅製鎚起銅器茶器揃えをお譲りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。和家具や鎚起銅器をお売りいただきました。鎚起銅製の作品は当社で買い取りを強化しておりますので、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けました。お忙しい中、当社のご指名有難うございました。
六角堂では、今泉堂、金寿堂、尚美堂、竹影堂、松栄堂、金賞堂、天賞堂、金美堂、金晴堂、金匠堂、銀川堂、生秀堂、呉杉堂、雲色堂、青龍堂、祥雲堂、光玉堂、純古堂、金龍堂、泰山堂、三龍堂、純幸堂、精金堂、皆川堂、秀峰堂、玉川堂、松栄堂、山川堂、海玉堂、清雅堂、秀峰堂、金星堂、富貴堂、上彬堂などの茶器(湯沸、水注、急須、茶筒、茶托、茶合)や酒器(銚子、猪口、ぐい呑)、花器(花瓶、一輪生)、皿(菓子器、銘々皿、盆)などの製品を探しております。ご不要のお品がございましたら、出張専門高価買取六角堂までお問い合わせください。

六角堂出張地域
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山梨県、栃木県、群馬県、茨城県
その他、箱根、伊豆方面や軽井沢にも無料にて出張致しております。数量が多い場合、他にも美術品・骨董品などの鑑定物がある場合は全国出張可能です。 お気軽に、ご相談ください!!

鎚起銅器(ついきどうき)とは、一枚の銅板を大小さまざまな金鎚、木槌で打ち延ばし、打ち縮め、茶器などの器を作りあげる金属工芸技術。新潟県燕市の燕鎚起銅器は江戸時代後期、仙台の渡り職人が燕に鎚起銅器の基礎となる製法を伝えたとされます。燕で鎚起銅器が確立、発展したのは近郊の弥彦山から優良な銅が産出され、素材の入手が容易であったことが背景にあり、経済産業大臣より「伝統的工芸品」に指定されております。素材の銅は殺菌作用があり、熱伝導率が高く保温性にも優れています。そして銅器は、貴重な実用品として使われ、現在では美術工芸品としての価値も評価されています。

千葉県柏市にて、時代船箪笥、二代鈴木長翁斎の純銀製芋頭式銀瓶、煙草入、煙管、お茶道具など、東京都文京区目白台にて、お着物、掛け軸、小倉右一郎のブロンズ像「弘法大師」。

              

千葉県柏市にて、時代舟箪笥、二代鈴木長翁斎の純銀製芋頭式湯沸、煙草入れ、煙管、お茶道具など、東京都文京区目白台にて、着物、掛軸、小倉右一郎のブロンズ像「弘法大師」をお譲りいただきました。

本日は、千葉県柏市、市川市、松戸市、東京都文京区と四件の出張買取でした。ハードスケジュールで、朝から夜まで時間が掛かり、先程帰宅ました。
一件目は柏市へと遺品整理にて伺いました。古いものを集めるのがご趣味だったようで、時代船箪笥をはじめ、明治期の時代箪笥、煙管、煙草入れ、提げ物、お茶道具など多数ございました。また、銀製品がお好きだったようで、銀瓶や煙草入れ、煙管も金工師在銘の純銀製のものが多くございました。画像はほんの一部ですが、とてもたくさんの煙草入れやお道具がございました。まだお若かったご主人ですが、大切に保管しておりとても大事にされていたお品かと思います。大切に集めておられた貴重なお道具たち、六角堂で責任を持って大事に繋げせていただきます。
二件目の市川市は、いつもお呼びくださる回収業者様のご紹介で、リフォーム前のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、コレクションボード、洋食器や置物、リヤドロのフィギュリンなどをお売りいただきました。
三件目の松戸市は、時代家具や掛け軸の見積もりでお伺いしました。年末にお家を解体されるとの事で、11月頃お引越しされるときに全てお売りいただくこととなりました。その時には、またよろしくお願いいたします。
四件目は東京都文京区、到着時間が夜になってしまいましたが、お時間のご調整をいただきとても助かりました。こちらはリフォームされるとの事でお片付け処分でお呼びいただきました。掛け軸、屏風、置物は合い見積もりでしたが、全て当社で買い受けさせていただくこととなりました。お着物はアンティークの物が多く、全て買い受けさせていただきました。お客様にご先祖のお着物を次へと繋げられて嬉しいと喜んでいただけました。当社は、新しいお着物、アンティーク着物全て買い取りしております。古いものだからとご心配されてるお客様が多いですが、ご安心ください。アンティーク着物も買い取ります!絵画がお好きとのことで、ギヤマンの油彩画、ビュッフェ、中川一政など、大変素晴らしい絵画を見させていただきました。どれもとても素敵ですね。来月、家具などお譲りいただくこととなりましたので、その時にはまたよろしくお願いいたします。
本日は四件の出張の為、帰宅が十時を回ってしまいました。暑さもだいぶ落ち着いてきましたので、また明日も頑張ります!

鈴木長翁斎(すずきちょうおうさい)
初代鈴木長翁斎 天明7年~慶応3年10月9日(1787?-1867)
錺師(かざりし)。名、長次郎。別号、長二斎。打ち物師家城源七(いえきげんしち)に師事。80余歳。
二代鈴木長翁斎 文政7年7月14日~明治32年4月14日(1824-1899)
錺師(かざりし)。名、岩五郎。父、初代鈴木長翁斎(二男)。76歳。門下に鈴木長翁斎(竹次郎)・須藤倉太郎・川島長秀斎ら。

小倉右一郎(おぐらゆういちろう)明治14(1881)年6月9日~昭和37(1962)年7月15日
出生地香川県 学歴〔年〕東京美術学校彫刻科〔明治40年〕卒
香川県立工芸学校から東京美術学校彫刻科に進学し、同卒業後の明治41年に「指導」で文展初入選を果たす。大正2年大正博覧会に出品した「霹靂」で二等銀牌を獲得して以来、官展で入賞を重ね、5年の第10回文展では「闇路の人々」が特選となった。9年にフランスへ渡り、同地近代彫刻の巨匠ロダンに師事。10年に帰国した後は滝野川彫刻研究所を設立して後進の指導に当たった。戦後は郷里香川県に戻り、昭和23年高松工芸高校校長に就任。その他にも香川県工芸美術総合展の審査員を務めるなど、香川の美術興隆に大きく寄与した。ブロンズ彫刻を得意とし、「三土忠造像」「弘法大師像」などの肖像で本領を発揮したが、木彫・石彫もこなし、「靖国神社忠魂碑」などの碑や仏像・静物・裸婦像などにも傑作が多い。

東京都大田区南馬込にて、伝統工芸士 田澤謙介の加茂桐箪笥(和たんす)、天童木工の座卓、座椅子、三鷹市中原にて、明治期の庄内閂箪笥、お着物。

 

東京都大田区南馬込にて、伝統工芸士田澤謙介の加茂桐箪笥(和たんす)、天童木工の座卓、座椅子、三鷹市中原にて、明治期の庄内閂箪笥、お着物をお譲りいただきました。

本日一件目は、大田区へお引越し前の片付け整理でお呼びいただきました。伝統工芸士田澤謙介の加茂桐箪笥(和たんす)は砥粉落ち、シミがございましたが、伝統工芸士田澤謙介の作品でしたので買い受けさせていただきました。こちらの伝統工芸士田澤謙介のたんすは、わたしが初めて出張で買取させていただいた加茂箪笥で、上部と下部の角の四方が丸い桐たんす「四方丸」という最高級の桐たんすになります。他にも、天童木工へオーダーメイドで作られた欅材の座卓、座椅子、脇息を買い受けさせていただきました。作業途中、運びやすいようにスペースを作っていただいたりお気遣いくださり有難うございました。二件目の三鷹市中原へ向かう途中、いつも寄らせていただいている世田谷区にある長浜ラーメンさんへと行きました。次が控えておりましたので、本日替え玉は我慢。近くを通らないとなかなか寄れないお店ですので、たくさん噛み締めました。二件目の三鷹市は、トランクルームで大事に保管されていた明治期の庄内箪笥、残念ながら大事な閂(かんぬき)が不足しておりましたが、大切に保管されていたたんす、きちんと次へと橋渡しさせていただく事にしました。閂(かんぬき)とは、門や建物の出入り口の扉を閉ざすための横木のこと。左右の扉につけた金具に通して扉が開かないようします。閂箪笥とは、その錠の技術を箪笥に応用したものです。箪笥の場合、閂は縦に使われ、引き出しをロックする錠前として使われています。閂は鍵としてはとてもシンプルで、古典的なものに分類されています。またとても歴史的に伝統があり、長く親しまれてきた箪笥ですので、使い勝手も考えられたものになっております。庄内箪笥の産地は、山形県酒田市・鶴岡市で、桐、杉などの黒漆塗と、欅の拭き漆仕上げの2種類が有名。 黒漆箪笥は、蕨手で、松竹梅鶴亀などの打出しの装飾金具が多く付いており、鉄部は赤みがかっている。 欅箪笥は、金具は分厚く抽象的な図柄、引手も角手が多いのが特徴です。黒漆塗りが前面だけにほどこされた箪笥のほうが、作りもよく高価といわれているようです。お客様のご実家が山形県の酒田市との事、きっと代々伝えられてきた箪笥かと思われます。六角堂で責任を持って大事に次へと繋げさせていただきます。明日は朝早くから四件の出張買取、千葉県三件、東京都一件です。頑張ります!

六角堂では、新潟県の加茂桐箪笥、埼玉県の春日部桐たんす、愛知県の名古屋桐たんす、大阪府の泉州桐箪笥、和歌山県の紀州桐たんす等の、ブランド桐たんすの他、山形県庄内の庄内箪笥、山形県米沢の米沢箪笥、宮城県仙台の仙台箪笥、長野県地方の松本箪笥、岩手県地方の岩谷堂箪笥、福井県三国の三国箪笥、滋賀県近江の近江水屋箪笥、新潟県佐渡の佐渡箪笥、福島県二本松の二本松箪笥など、産地の時代和箪笥を強化買取りしております。伝統ある貴重なたんすをご処分される際には、是非六角堂をご指名ください。

庄内箪笥(しょうないだんす)
庄内地方では酒田と鶴岡で優れた箪笥が作られていた。北前船の寄港地、酒田は船箪笥の三大産地の一つとして有名で、その他にもケヤキを用いて拭き漆を塗った帳場箪笥や衣裳箪笥に立派なものがある。引手は角手で、錠前などの金具は、分厚い鉄板に抽象的な図柄を平打ちしたのが特徴。一方、鶴岡地区では衣裳箪笥が多く作られ、主に桐や杉を用いて黒塗りに仕上げ(桐の素木のものもある)、松竹梅や鶴亀などを浮き出させた金具を沢山付けて飾ったものが特徴。金具は、漆にベンガラを混ぜて焼き付けてあるので赤みを帯びる。

東京都荒川区町屋にて、時代たんす、お着物、反物、端渓硯ほか書道具、黒漆に唐草蒔絵裏梨地の文箱。

東京都荒川区町屋にて、時代タンス、着物、反物、端渓硯ほか書道具、黒漆に唐草蒔絵裏梨地の文箱をお譲りいただきました。

お引越し前の片付け整理にてお呼びいただきました。出張続きの為、訪問日時の調整・変更で、お客様にはとてもお気遣いいただきました。事前のご相談から当日のご対応までご親切に頂き感謝いたします。ご先祖の代から大事に受け継がれてきていたというお道具たち、六角堂できちんと責任をもって次へと繋げていきます。お忙しい中、ご指名ありがとうございました。

漆器に金粉などを蒔きつけることで、漆器に装飾を施す手法が蒔絵です。蒔絵には種類があり、どのような製法によって制作されているかによっても、その価値は変わってきます。大きく分けて研出蒔絵(とぎだしまきえ)、平蒔絵(ひらまきえ)、高蒔絵(たかまきえ)の3つがあります。

☆研出蒔絵(とぎだしまきえ)
日本で蒔絵を行うようになったのは奈良時代で、当時行われた手法が研出蒔絵(とぎだしまきえ)という手法です。
蒔絵を行うときに金粉や銀粉を付けたい場所に漆を塗ります。その後、漆が乾かないうちに粉を蒔きつけます。漆が十分に固まった後に余分な粉を払いのけると、そこには漆を塗った箇所に沿って金や銀などの装飾が施されるようになります。
当時は金粉などが粗く、漆を塗った箇所に粉を蒔いても光沢がありませんでした。また、漆器に対し強く付着しないという欠点がありました。そこで、粉を蒔きつけた後に漆を薄く塗り、木炭などで金や銀が表れるまで削るという作業を行うようになりました。これが、研出蒔絵です。このような工程を経ると、単に粉を振りかけたときに比べて金銀の光沢が出て、漆器に対して強固に付着するようになります。こうした研出蒔絵の手法が進化して、他の蒔絵が考え出されるようになります。

☆平蒔絵(ひらまきえ)
昔は金粉の形が揃ってなく粗かったものの、これをふるいにかけるなどして均一にする方法が開発されました。細かい金粉を作れるようになると、「漆を塗った後に金粉を蒔きつけ、乾燥させた後に磨き上げる」という手法が行われるようになります。これを、平蒔絵(ひらまきえ)といいます。
研出蒔絵では、金粉の上にさらに漆を塗り、これを磨く作業が必要でした。ただ、平蒔絵の場合は「金粉の上に漆を塗る」という作業を省略し、いきなり磨き上げます。
金粉や銀粉の製造技術が進歩することにより、蒔絵を行う工程が非常に簡単になったといえます。

☆高蒔絵(たかまきえ)
平蒔絵の場合、金粉は薄く平らです。一方、金粉を蒔きつける場所だけを高くした蒔絵手法として高蒔絵(たかまきえ)が考え出されました。
漆を何度も塗り重ねると、その部分だけ盛り上がります。また、炭の粉末と漆を混ぜて使うことで、盛り上げる方法も存在します。いずれにしても、これら盛り上げた部分に粉を蒔きつけることで、立体的な作品に仕上がります。

他にも、研出蒔絵と高蒔絵を合わせた肉合蒔絵(ししあいまきえ)という手法もあり、いくつかの蒔絵を組み合わせることもあります。

六角堂では蒔絵などの漆芸作品の買取りに力を入れています。ご自宅にお持ちの蒔絵・漆芸作品について、売却をお考えの際はお気軽にご相談ください。豊富な知識と鑑定経験をもつスタッフが、一つ一つ丁寧に最大限の正当評価をさせていただきます。衝立や座卓、書棚、飾り棚、花台、香炉台などの蒔絵家具や印籠・棗・硯箱・文箱・文庫・手箱などお道具のほか、椀・皿・お盆・屠蘇器・重箱など日用品にも価値のあるものが多くあります。蒔絵は日本はもちろん、海外にもコレクターの方が数多くいらっしゃいます。作者が不明のお品でも高額となる場合がございますので、気になるお品がございましたら、お気軽にお問い合わせください。蒔絵・漆芸作品に詳しいスタッフが一点一点丁寧に査定させていただきます。

埼玉県さいたま市桜区にて、アンティークのチェスト、中国段通、エコーネスのストレスレスチェア。

埼玉県さいたま市桜区にて、アンティークチェスト、中国段通、北欧家具EKOERNESのストレスレスチェアをお譲りいただきました。

お引越し前の片付け整理にてお呼びいただきました。運びやすいように道を作っていただいたりとご協力いただき、お陰様でスムーズに作業が出来ました。お忙しい中、当社をお呼びいただき有難うございました。出張帰りに、埼玉県朝霞市にあるスシローさんへと寄りました。早くて安くて美味しい三拍子揃ったお店で、志木の市場の仲間たちと良く行くお店です。出張買取が重なって時間がない時など、急ぎで食べれるのでとても助かります。画像の三点が私の大好きなものです。濃厚海老味噌冷やし麺はパクチーがとても美味しく、鰻入り茶碗蒸しは鰻に大振りのホタテがとても美味しく、三つもいただいてしまいました。北海道ミルクレープメルバは、大好物のミルクレープにアイス、イチゴがかかっていてやみつきになります!どれもお寿司ではありませんが、とても美味しかったです!

エコーネスは、1934年にノルウェーのJ.E.エコーネスにより設立され、当初はマットレスやソファベッドの製造を行い、1971年発売の「ストレスレスチェア」のヒットを経て北欧最大のブランド家具メーカーとなりました。
エコーネスの人気ブランド「ストレスレス」には、1人掛けリクライニングチェア・2人掛けシート・3人掛けソファ・オットマン・オフィスチェアがあり、「グライドシステム」「360度回転式ベース」「プラスシステム」などの機能を備えた究極の座り心地とスタイリッシュで高級感のあるデザインで、世界50カ国以上のセレブ・ビジネスマンに愛用されています。
当社は和家具や骨董品専門店と思われがちですが、Cassina(カッシーナ)/B&B ITALIA(B&Bイタリア)/arflex (アルフレックス)/HermanMiller(ハー マンミラー)/Poltrona Frau(ポルトローナ・フラウ)/Fritz Hansen(フリッツハンセン)/FLOS(フロス)/de Sede(デセデ)/EKORNES(エコーネス)/THE CONRAN SHOP(ザ・コンランショップ)/eames(イームズ)/corbusier(コルビジェ)/arne_jacobsen(アルネ・ヤコブセン)/isamu_noguchi(イサム・ノグチ)など人気の高級デザイナーズ家具・北欧家具などの買い取りもしております。当社提携の専門会社がございますので、高価買取が可能となっております。ご不要になりましたデザイナーズ家具・北欧家具などがございましたら、お問い合わせください。もちろん桐タンスや和家具等、併せてのお見積もり、買い受けも対応させていただきます。和家具・デザイナーズ家具、北欧家具などをご処分の際には、是非六角堂をご指名ください!

東京都板橋区大山西町にて、和箪笥、お着物、掛け軸、美濃陶祖12代加藤景秋の志野湯呑、鼡志野湯呑。

東京都板橋区大山西町にて、和箪笥、お着物、掛軸、美濃陶祖十二代加藤景秋の志野湯呑、鼡志野湯呑をお譲りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。生前お母様が大事にされていたお着物、お道具をまとめてお譲りいただきました。思い出のお品、大事に次へと繋げていきます。お忙しい中、有難うございました。出張の帰りに、「大戸屋」さんへと寄りました。最近、らーめん、焼き肉と食生活が乱れてきておりましたので、たまにはヘルシーなものをと、ばくだん丼をいただきました。納豆・おくら・アカモク・とろろのネバネバが、ご飯とよく合います。ヘルシーで栄養ある食材で夏バテ対策完了です!明日も二件の出張買取、頑張ってきます!!

志野焼は岐阜県土岐市の付近一帯で焼かれた陶器で白い長石釉を厚く施した柔らかみのある雅趣に富んだ焼物。室町時代の茶人・志野宗信が美濃の陶工に命じて作らせたのが始まりとされており、後にその製造方法が途絶え、荒川豊蔵によって復興した事をきっかけに、今では加藤孝造、加藤唐九郎、北大路魯山人、川喜田半泥子、豊場惺也など多くの志野焼を手掛ける陶芸家が作陶に励んできました。
志野焼の特徴は厚く掛けられた釉薬にあり、無地志野、鼠志野、赤志野、紅志野、絵志野、練り上げ志野、志野織部などの種類に分けられています。
当社では志野焼の陶芸作品を探しております。人間国宝をはじめ、作家物の陶器工芸品を中心に取り扱いしてますので自信があります! 作家物の壷、花瓶、茶碗、皿、鉢、香炉、ぐい呑、徳利、湯呑、水滴、急須、盃などはおまかせください!
加藤景秋をはじめ、荒川豊蔵、加藤唐九郎、加藤孝造、林正太郎、加藤高宏、北大路魯山人、川北半泥子、月形那比古、鈴木蔵、玉置保夫など志野焼作家物を強化買受けしております。
作家物の他、室町時代・桃山時代・江戸時代の古い志野焼も買い取り実績豊富な六角堂まで!
また、志野焼以外にもたくさんの陶磁器を探しております。たくさんのお問い合わせお待ちしております。

加藤景秋(かとう かげあき)岐阜県生まれ。(1899〜1972)
生涯を通して美濃桃山陶の再現を目指して研鑚しました。志野、織部を中心に作陶した。
1899年  (明治32年)美濃(みの)焼の陶祖12代の次男として岐阜県に生まれる。本名は壮一。兄は林景正。
1916年   (大正5年)17才で陶業に従事し始める。
1950年  (昭和25)美濃陶祖12代を継承する。
1955年  (昭和30年)日本伝統工芸展に入選する。翌年昭和31年も入選。
1958年  (昭和33年)岐阜県重要無形文化財保持者に認定される。
1972年   (昭和47年)8月6日永眠。73歳。

板橋区出張地域は、相生町 赤塚 赤塚新町 小豆沢 泉町 板橋 稲荷台 大原町 大谷口 大谷口上町 大谷口北町 大山金井町 大山東町 大山西町 大山町 加賀 上板橋 熊野町 小茂根 幸町 栄町 坂下 桜川 清水町 志村 新河岸 大門 高島平 東新町 常盤台 徳丸 中板橋 仲宿 中台 仲町 中丸町 成増 西台 蓮沼町 蓮根 氷川町 東坂下 東山町 富士見町 双葉町 舟渡 本町 前野町 三園 南町 南常盤台 宮本町 向原 大和町 弥生町 四葉 若木

埼玉県入間市にて、桐箪笥、お着物、和装小物、本場琉球絣の反物をお売りいただきました。

埼玉県入間市にて、桐箪笥、お着物、和装小物、本場琉球絣の反物をお譲りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。琉球かすりにはおよそ600種という多彩な図柄があり、これら爽やかな涼感をさそう幾何学模様の図柄は、琉球王府時代から伝わる「御絵図帳(みえずちょう)」をもとに、職人たちが現代の感覚を取り入れて、オリジナルを作り上げております。この図柄をもとに、糸を染め上げる時、少しずつ束ねた糸を計算された間隔で、模様の部分を1カ所ずつ手括りで締め上げていくという大変手間のかかる方法で、独特の絣模様をつくります。織は、緯糸を経糸の間に投げ込んでおっていく昔ながらの技法で、1日せいぜい1~2メートルぐらいずつを丹念に織り上げております。大変貴重で、人気のお着物となってます。出張が終わり帰宅途中に、仕事関係の先輩からお電話をいただき、近所に来ていて飯でもおごるから会おうといわれましたので、ふじみ野市にある焼肉屋さん「さんあい」さんで合流しました。おごりとのことでしたので、肉、肉、肉とご飯を食べずにひたすらお肉をいただいてしまいました。締めにいただいた那須千本木牧場のストロベリーアイスがとても美味しかったです。ご馳走様でした!

ご自宅でずっと眠っている反物や、なかなか日の目をみない着物、をお持ちの方は着物買取に経験豊富な六角堂をお呼びください。当社では本場大島紬、本場結城紬、加賀友禅、西陣織首里織、琉球絣、越後上布、小千谷紬、琉球紅型、えぞ織、長井紬、牛首紬、伊那紬、天蚕紬、群上紬、大石紬、丹波布、出雲絣、久留米絣、綿さつま絣、八重山上布、宮古上布、芭蕉布、琉球紬、能登上布、読谷山花織、本場黄八、本場塩沢などの産地作品や龍村平蔵、久保田一竹、松井清々、百貫華峰、羽田登喜男、由水十久、志村ふくみ、北村武資などの有名作家物など高級着物や反物の買い取りを強化しております!査定のみでも結構ですので、たくさんのご依頼お待ちしております!東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。数量が多い場合、他にも美術品・骨董品などの鑑定物がある場合は全国出張可能です。

本場琉球絣(ほんばりゅうきゅうかすり)
琉球かすりの多くには「イチチマルグムー」や「トゥイグワー」など、琉球独自の図柄が織りこまれています。図案通りに織れるよう計算して、糸の部分部分を色分けして先に染めておいたうえで、タテ・ヨコの糸を織り上げます。糸の染め方・織り方の加減によって、図柄のエッジがわずかにかすれたようになることから「かすり」と呼ばれます。手織りならではの微妙な味わいのある模様や色彩が浮かび上がるところが「かすり」の魅力となっています。織り上がった布を後から染める「後染織物」とは異なる点です。
遠くインドに源を発し、東南アジア各地に広がった絣が、琉球王府の大交易時代の波に乗って、沖縄に入ったのが14~15世紀ごろ。それ以後、中国・日本や東南アジアの影響を受けながらも、琉球の気候・風土にマッチした独自の絣が沖縄各地でつくられ、その絣が、海を越え、薩摩絣、久留米絣、米沢琉球絣、伊予絣など日本の絣のルーツとなりました。
琉球王府時代から絣の主産地として知られた南風原は、たえまぬ技術導入・改良と職人たちの努力を、営々と積み重ね、現在では「琉球かすり」のほとんどが南風原町でつくられています。「琉球かすりの里」として、代々受け継いだ伝統と時代にマッチした感覚で、永く愛される絣をつくり続けております。