月別アーカイブ: 2019年10月

東京都渋谷区東にて、岩谷堂箪笥を二竿、桐箪笥、お着物など。

   

東京都渋谷区東にて、岩谷堂箪笥を二竿、桐たんす、お着物などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたタンスは岩手県の民芸家具「岩谷堂箪笥」の整理箪笥二竿、相徳の桐箪笥、お着物や反物など。たくさんのお品をお売りいただきました。岩谷堂箪笥といえば欅の木目を美しく引き出す漆、南部鉄の豪華な金具が特徴です。堅牢さと重厚さの中にも、華麗な繊細さを秘めた岩谷堂箪笥は現代の住空間の中でも、強烈な存在感を保っています。
岩谷堂箪笥は永い年月を経て多くの職人たちの手によって研究・開発されてきました。江戸時代後期の岩谷堂箪笥を現在の岩谷堂箪笥のデザインと比較すると質素な印象を受けます。岩谷堂の種類は、三尺、三.五尺の整理たんすを基本としていますが現在では、洋服・衣裳・整理タンスの三点セット、茶箪笥、書棚、小箪笥、座卓など多くの箪笥が生産されております。珍しいたんすとしては、階段にも利用されたという上面が段々になった階段箪笥、船に積み込んで金庫の代わりを果たしたという頑丈な舟箪笥、火事などの非常時に移動しやすいように車がついている車箪笥などその種類は多く、見るだけでも興味のそそられるタンスがあります。モダンなデザインの家具が多くなった今、200年の伝統を誇る岩谷堂の持つ温もりと存在感は、大変魅力的です。当社でも岩谷堂箪笥は十年以上探し続けている強化買取り中のタンスです。岩谷堂をお売りの際は、和家具・骨董品の専門店「六角堂」をご指名ください!
本日は志木市場の開催日でしたので、買い取り終了後に向かいました。市場近くにある幸楽苑さんで昼食をいただきました。野菜たんめん、初めて食べてみましたがとても美味しかったです。

神奈川県横浜市港南区にて、野間仁根の油彩画「龍宮城」の出張買取。

 

神奈川県横浜市港南区にて、野間仁根の油彩画「龍宮城」(8号)をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、野間仁根の油彩画「龍宮城」や絵画数点。まとめてご売却いただきました。他社で査定をしたところ、査定額がご希望額に届かず、当社に任されました。野間仁根は当社で買い取りを強化している作家さんですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただくことが出来ました。お喜びいただけて良かったです。野間仁根(のまひとね)は、愛媛県生まれの洋画家。本作のように鮮やかな色彩と骨太な筆触で、ユーモラスで幻想的な独特の画風を展開されました。「風景を描くなら故郷を描け」といったように晩年は瀬戸内海を題材にした生命力あふれる作品を数多く残されました。本日は大変良い作品をお売りいただき有難うございました。
本日は横浜で中国オークションが開催されており、たくさんの骨董屋仲間が全国から集まっておりました。わたしも横浜での出張買取でしたので、仲間たちと中華街で合流しました。京華楼というお店へ行き、中華料理をいただきました。大阪の古美術商の先輩にご馳走していただけるとのことで、四川風の麻婆豆腐や上海蟹など食べさせていただきました。美味しい食事、ご馳走様でした!

野間仁根(のまひとね)
1901年 愛媛県に生まれる。
1923年 伊藤廉らと童顔社結成。
1924年 中央美術展、光風会展などに出品。第11回二科展に初入選。
1925年 東京美術学校卒業。
1928年 柘榴社入会。第15回二科展で「夜の床」が樗牛賞受賞。
1929年 第16回二科展で「The Full Moon」が二科賞受賞。
1933年 二科会会員となる。
1952年 日展改組に審査員として参加。
1955年 一陽会結成に会員として参加。
1967年 田崎広助、鈴木信太郎と三人展開催。
1979年 死去。享年78歳。

東京都八王子市にて中島裕子の油彩画「碧い夢」、茶道具。

東京都八王子市にて中島裕子の油彩画「碧い夢」、茶道具をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたのは絵画や茶道具など。絵画は中島裕子の油彩画の他、美人画など。女性を描いた絵画が多数あり、お引越しで不要となった絵画を数点お売りいただきました。中島裕子は、1944年、京都府舞鶴市生まれの画家。東京女子美術大学(短期)を卒業後、1967年に第52回二科展に初入選し、以降連続入選しております。1970年には第55回二科展デンマーク賞を受賞され、その後渡仏しました。帰国後、1973年に二科会会友に推挙され、1996年には会を離れました。独特の色遣いで女性を表現し、女性の気高さ、美しさを描かれている人気作家です。お売りいただいた作品は、会友時代に描かれた作品でございます。茶道具はお稽古用でしたが、茶碗や水指、棗などまとめてお売りいただきました。お引越しで泣く泣くのご処分とのこと、大切に次へと繋げさせていただきます。
帰りに、八王子市にあるカレーそば専門店「大河」さんへ寄りました。出汁がしっかり効いたカレーつゆがそばにしっかり絡みつく、少しスパイシーなカレーそば、とても美味しかったです。

東京都世田谷区成城にて、銀座越後屋の訪問着や帯など。

東京都世田谷区成城にて、銀座越後屋の訪問着や帯など、お着物をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は東京都板橋区大山西町へ、お着物、茶道具、掛け軸、贈答品、海外のデザイナーズ家具などの見積もりへ行きました。江戸千家茶道の先生をされていたお客様でしたので、多数のお着物や掛け軸(茶掛け)などございました。本日は台風の影響もあり、別日に再度買取へ伺うこととなりました。後日また、よろしくお願い致します。二件目は世田谷区成城へお着物の買取でお呼びいただきました。お売りいただいたお着物は、呉服の老舗銀座越後屋さんのお着物や帯など、訪問着、留袖、和装小物などまとめてお売りいただきました。多少シミや汚れのあるものもございましたが、良いお着物でしたので全て買い取らせていただきました。銀座越後屋は宝暦5年(1755年)初代が呉服店を創業して以来、260年以上もの間老舗呉服店として知られております。1755年に京橋南伝馬町において暖簾などを染める藍染屋を始め、のちに名を甚右衛門と改め、太物(木綿物)から呉服(絹物)へと広げてまいりました。その後2代目の時に現在の銀座2丁目に店舗を移し、今日まで同じ場所で商いを致しております。6代目の時には関東大震災によって店が全焼してしまいましたが、現在も同じ場所で営業を続けております。2007年8月には老朽化に伴う全面建て直しを開始し、2010年に現在の新店舗が完成しました。銀座越後屋はどの時代においても銀座という「ちょっとお洒落をして出掛けたい街」に似合う着物を提案し続けてます。古きものを大切にし、そこに新しい血を取り入れた「銀座のきもの」を紹介する呉服店として今も昔も変わらないスタイルを貫き通しています。六角堂では、銀座越後屋をはじめ、むら田・ますいわ屋・やまと・銀座きしや・銀座越後屋・ゑり善・銀座もとじ・銀座志ま亀・銀座伊勢由・銀座ちた和・銀座もとじ・青山みとも・紬屋吉平・岩田屋など、有名老舗呉服店のお着物を強化買取りしております。タトウ紙など、老舗呉服店で購入したと証明できるものを、着物と一緒にお出しいただけると、査定時に金額がアップしますので併せてお出しください。本日は素敵なお着物をお売りいただきありがとうございました。
本日の昼食は、板橋区大山町にあるお蕎麦屋さん「田中屋」さんへ行きました。肉南蛮そばをいただきましたが、とても美味しかったです。こちらではうどんも麺にコシがあり、とても美味しいようです。次はうどんを食べにまた寄りたいと思います。明日は台風のため、一日お休みいただきます。大型の台風のようですので、皆様気を付けてお過しください。

東京都杉並区成田東にて、棟方志功の書「花深処」、日本画など。

 

東京都杉並区成田東にて、棟方志功の書「花深処」、日本画などをお売りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。
本日お売りいただいたお品は青森出身の人気版画家「棟方志功(むなかたしこう)」の三字書などの掛軸、日本画など。棟方志功の書には「花深処(はなふかきところ)」とあります。志向が好んで用いた言葉に花深処無行跡(はなふかきところぎょうせきなし)がありますが、こちらの三文字をとったものとなります。花深処無行跡とは自分がどんなに偉い人であろうと、金持ちであろうと、この大自然の中では、私たちは皆とても小さく、私たちの足跡などすぐに消されてしまうもの。という意。志功作品には「花深処」のつく作品が数多く残されております。
棟方志功は、版画作品が有名でですが、書、油絵、倭画、詩歌など版画以外にも多くの傑作を残しております。棟方志功は、ゴッホの作品に衝撃を受けて「わだばゴッホになる」と本格的に画家を志したと言われています。極度の近眼が原因となり、遠近感の表現や描写に悩まされ、版画の道へといきました。眼鏡が板につくほどの距離に顔を近づけての制作⾵景は有名であります。棟⽅志功は、板の声を聞き板の⽣命を彫り起こすという意味を込めて⾃⾝の版画を「板画」と称しました。また、中国の古法で和紙の裏から⾊付けする、裏彩⾊の技法も取り⼊れました。
六角堂では、棟方志功の作品を買取強化しています。版画・倭画・書を問わず、お持ちの志功作品の価値が知りたい・ご売却をお考えの際は是非六角堂へご相談ください。詳しいスタッフがお伺いし、丁寧に査定させていただきます。
本日はお父様の大切なお形見、当社にお売りいただきありがとうございました。大切に次へと橋渡しさせていただきます。
帰りに高円寺駅にある中華食堂一番館さんへ行き、スタミナとんこつに麻婆丼のセットをいただきました。こちらはとてもリーズナブルで美味しく、大好きなお店です。駅周辺の駐車場代が高いのが少し残念。

棟方志功(むなかたしこう)
1903年 青森県青森市の刀鍛冶職人である棟方幸吉とさだの三男として生まれる。
1924年 東京へ上京。
1928年 第9回帝展で出品した「雑園」(油絵)が入選。
1930年 文化学院で美術教師を務める。
1932年 日本版画協会会員となる。
1936年 柳宗悦、濱田庄司、河井寛次郎ら民芸運動の人々と交流する。
1938年 第2回新文展で特選。
1941年 第5回佐分賞受賞。
1945年 戦時疎開のため富山県に移住。
1952年 第2回ルガノ〈白と黒〉国際展で受賞。
1956年 ヴェネツィア・ビエンナーレの版画部門で日本人として初の国際版画大賞を受賞。
1960年 アメリカ各地で個展を開催。
1969年 青森市から初代名誉市民賞を授与する。
1970年 文化勲章受賞。
1975年 9月13日、肝臓癌のため逝去。享年72歳。青森市に棟方志功記念館が開館。

千葉県市川市にて、伝統工芸士 東樹義明の加茂桐箪笥、和装小物。

 

千葉県市川市にて、伝統工芸士 東樹義明の加茂桐箪笥、和装小物、雑貨などをお売りいただきました。

千葉県市川市へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。本日は加茂桐箪笥やお着物、帯締めなどの和装小物を買い取らせていただきました。お売りいただいた桐たんすは新潟県加茂市で作られている伝統工芸品加茂桐箪笥、天丸の大洋下一和箪笥という形のたんすで、当社でも数多く取り扱う高級桐たんすになります。伝統工芸士である東樹義明の作。着物専門店の「きもののさが美」さんで造られた桐たんすようで、さが美創作のシールがございます。本丸盆を10枚内蔵し、帯用の板盆、小物を収める小引き出しと、使い勝手の良いたんすに仕上がっております。前飾りには喜悦刻の銘、四君子の彫金があります。四君子(しくんし)とは、蘭、竹、菊、梅の4種を、草木の中の君子として称えた言葉。それらを全て使った図柄、模様を指します。正面下部に砥粉落ち、シミ、所々に小傷などございましたが、当社で買い取りを強化している桐たんすですので、買い取らせていただきました。お客様の思い出の桐たんす、大切に次へと繋げさせていただきます。本日は六角堂のご指名、ありがとうございました。
帰り道、市川市新浜にある「らあめん葫(にんにく)」さんへ寄りました。こちらは食べログで受賞されているお店で、以前から行きたいお店でした。全部入り味噌ラーメンをいただきました。噛み応えあるチャーシューに白髪ねぎ、玉子、海苔が入って、とろみのあるスープに麺がよく絡みとても美味しかったです。次は塩ラーメンを食べてみたいです。

加茂桐箪笥(かもきりたんす)新潟県加茂市で作られる最高級の桐たんす。六角堂でも探し求めている桐箪笥の一つになります。加茂市で「桐たんす」が作られるようになったのは、およそ200年以上前(天明年間)と言われており、現在では日本全国の約70%の桐たんすが加茂で作られています。桐たんすと言えば「加茂」と言われるほど、その技術と品質は全国的に高い評価を受けています。数々の逸品を生み出してきたその技は脈々と受け継がれ、その伝統と優れた品質が評価され、1976(昭和51)年、通商産業大臣から伝統的工芸品「加茂桐箪笥」の指定を受けました。木肌のぬくもり、絹に例えられる白い艶や、柾目の色合いは、家具の最高級品の名にふさわしいものです。
『加茂桐箪笥伝統工芸士』(物故作家含む) 東樹義明 田澤謙介 石川鬼千 吉沢昭次 頓所芳男 皆川新司 番場堅介 中山昌二 坪谷哲男 三本和好 山本隆 鈴木浩市 水科政明 皆川繁之 横山松雄 番場堅 大橋勉 金井国男 鈴木進 神保良雄 石井克彦 高橋浩人 高橋聡 高橋研二 野本光男 藤田隆二 坂井昭兵 阿部健 斉藤敬二  江部雅之 大関正 堀正和 小柳幸太郎 小池茂次 坂内純一 長谷川進之助

東京都板橋区常盤台にて、由水十久監修の袋帯、無月製泥染絣のショールなど。

 

東京都板橋区常盤台にて、初代由水十久(ゆうすいとく)監修長嶋成織物瀞金錦「一鼓」本金箔袋帯、無月製本場奄美泥染絣ショールなど、お着物を多数お売りいただきました。
お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。着る機会がなくなり箪笥にしまったままのお着物を処分されたいとのことでお呼びいただきました。訪問着や留袖、紬、帯、和装小物など、多数まとめて買い取らせていただきました。なかでも初代由水十久(ゆうすいとく)監修長嶋成織物瀞金錦「一鼓」本金箔袋帯、無月製本場奄美泥染絣ショールは状態も良く、当社で買い取りを強化しているお品でしたので、お客様にお喜びいただける査定額で買い取らせていただきました。帯は昭和23年、創業者である長嶋成介の名を取り創業された【長嶋成織物】謹製、「瀞金錦」の袋帯でございます。本金箔を用いた高度な織技法を駆使して織り上げる独自の技法は、漆芸の蒔絵の一手法「瀞金」を織物の世界に再現した本金引箔の最高峰。実に柔らかな光沢、地風が表現された逸品です。お柄には、本加賀友禅作家【初代・由水十久】監修による「一鼓」が配されました。織柄の精緻さ、幽玄とも評される細やかな色合い…洗練された古典美を追求した確かな存在感があり、その帯を締めた後ろ姿には、ながしま帯ならではの品格の高さが感じられます。ショールは雑誌美しいキモノでもおなじみ、「無月」のお品です。刺繍糸には極上の大島泥染絣糸を用いています。こちらは未使用のお品でした。大切にされておりました素晴らしいお着物をお売りいただき有難うございました。
本日も市場へ戻る途中、志木市にある中華料理屋「五番」さんへ行きました。本日は炒飯に大好物の麻婆豆腐。とっても美味しかったです。

初代 由水十久(ゆうすいとく)大正2年~昭和63年
初代 由水十久は金沢に生まれ、京都で京友禅の修行を積んだ後、再び金沢に戻った加賀友禅の作家。写実的なモチーフを好む加賀友禅の世界では、異色の作家として、中国風の童子の図案で、不動の地位を確立しました。最も扱いにくい題材とされる人物画を好み、童子に対する思い入れは独自の世界感があります。昭和52年には伝統工芸士に認定されております。加賀友禅協会が認める加賀友禅の現在を築いた巨匠たちの9人のうちの1人である初代 由水十久は、亡きあとも加賀友禅を代表する人気作家でございます。初代 由水十久の亡きあとは、初代の息子が二代を引き継いでおります。初代のたぐいまれなる技と精神を受け継ぎ、「由水十久」の代名詞ともいえる童子など人物画を加賀友禅に取り入れ、そこに現代的なセンスも加えつつ、独自の美の世界観を確立しました。

長嶋成織物(ながしませいおりもの)
京都西陣織の名門。昭和23年創業。
長嶋成織物の帯は、通称ながしま帯と呼ばれ、最大の特徴は織柄の精緻さと言われております。
工房では糸染以外のすべての作業を行えるようになっており、2万5千色以上もの絹糸が用意され、新柄に合う糸がなければその都度新しく追加してます。瀞金・瀞金錦・瀞銀など様々な商標登録や特許を取得するなど、自社の織物製作に関わる保護に努めております。