月別アーカイブ: 2019年1月

東京都世田谷区奥沢にて、中里重利の絵唐津ぐい吞や鳥羽絵(春画)巻物など。

東京都世田谷区奥沢にて、中里重利の絵唐津ぐい吞や鳥羽絵(春画)絵巻物などをお売りいただきました。

本日は一件の見積もり、一件の出張買取となりました。一件目は、練馬区石神井町へ時代箪笥や時代蒔絵香炉、掛軸、アンティークスタンドライトなどの見積りへ行ってまいりました。近日お売りいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。二件目は世田谷区奥沢へ、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、唐津焼の巨匠中里重利の絵唐津ぐい吞や鳥羽絵(春画)巻物などをお売りいただきました。中里重利は人間国宝・中里無庵氏の三男として生まれ、実力作家として活躍されている。絵唐津・朝鮮唐津・斑唐津、黒唐津・黄唐津など、その仕事は多彩です。熟練された轆轤技術には定評があり、伝統的な古唐津の茶陶を基本に瀟洒で洗練された完成度の高い作陶を展開し、唐津焼の重鎮として高い評価を受けております。叩きの技法を駆使した壷を得意としました。鳥羽絵(春画、戯画)絵巻物は江戸~明治期のもの。印刷ではなく、当時の肉筆のものになります。鳥羽絵(とばえ)とは江戸時代に流行した戯画の一種。《鳥獣戯画》の筆者に擬せられる平安後期の僧、鳥羽僧正(覚猷(かくゆう))にちなんでこう呼ばれております。略画的タッチで人物や動物などを滑稽に描く。大坂の狩野派の大岡春卜筆といわれる《軽筆鳥羽車》3冊本(1720)は古例に属する。鳥羽絵はまず大坂で流行し、《絵本水や空》(1780)や《絵本古鳥図賀比》(1805)の作者松屋耳鳥斎が代表的。江戸でも、鍬形蕙斎(くわがたけいさい)、葛飾北斎、歌川広重などが鳥羽絵を試みています。上下巻の面白い作品でした。良い作品をお売りいただき有難うございました。
仕事帰りに市場の仲間達から連絡が入り、みんなで食事をすることとなりました。前に行ったことのある荻窪駅そばの「さかなや道場」さんへと行きました。T橋さんがご馳走してくれるとのことでしたので、生牡蠣やお鍋などわたしの大好物をたくさん食べさせていただきました。鰺の刺身は食べ終わると骨を唐揚げにしてくれます。これがまた絶品です。T橋さんご馳走様でした!

中里重利(なかざとしげとし)1930(昭和5)年~2015(平成27)年
中里重利は12代中里太郎右衛門(無庵)の三男として佐賀県に生まれました。
1944(昭和19)年より父に師事して作陶に従事しました。
1956(昭和31)年、現代日本陶芸展で松坂屋賞を受賞しました。
1964(昭和39)年にオリンピック協賛日展の入選作品が外務省に買い上げられ、
在外公館に陳列されました。
1965(昭和40)年、日展で「三玄壷」が特選北斗賞を受賞しました。
1966(昭和41)年、日展無鑑査となりました。
日展の出品作品が外務省に買い上げられて在外公館に陳列されました。
1967(昭和42)年、日展委嘱となりました。
1969(昭和44)年、日本現代工芸美術展無鑑査となりました。
現代工芸美術家協会会員、日展委嘱となりました。
1970(昭和45)年、日展委嘱となりました。
1971(昭和46)年、日本現代工芸美術展審査員に就任しました。
1973(昭和48)年、唐津市神田山口に築窯して独立しました。
1975(昭和50)年、日本現代工芸美術展で会員賞と文部大臣賞を受賞しました。
1976(昭和51)年、日展審査員に就任しました。
窯名を「三玄窯」としました。
三玄窯とは自身の作品である三玄壷(橙、赤、黒の三色を施した叩き壷)に由来しており、
三玄とは「天・地・人」のもと「土・技・炎」の三位一体を表現しています。
1977(昭和52)年、日展会員となりました。
現代工芸美術家協会評議員に就任しました。
1980(昭和55)年、日本新工芸展で会員賞と楠部賞を受賞しました。
中日国際陶芸展審査員に就任しました。
1981(昭和56)年、九州・山口陶芸展審査員に就任しました。
1982(昭和57)年、日展審査員に就任しました。
1985(昭和60)年、佐賀県芸術文化功労賞を受賞しました。
日展審査員に就任しました。
1986(昭和61)年、日展評議員に就任しました。
1993(平成5)年、佐賀県教育委員会より表彰を受けました。
1996(平成8)年、県政功労賞を受賞しました。
2002(平成14)年、地域文化功労者表彰(文部科学大臣表彰)を受けました。

東京都国立市にて、人間国宝14代酒井田柿右衛門の濁手梅花文皿、茶道具など。

東京都国立市にて、人間国宝十四代酒井田柿右衛門の濁手梅花文皿、茶道具などをお売りいただきました。

骨董品や茶道具の処分整理でお呼びいただきました。趣味で集めていらっしゃったお道具を処分するとのことでご連絡いただき、お伺いしました。すでに二社がお見積りに来られたようでしたが、高額査定で頑張りましたので、当社にお売りいただくこととなりました。お売りいただいたお品は、人間国宝である14代酒井田柿右衛門(さかいだかきえもん)の濁手梅花文皿や茶道具など。久々の濁手作品でしたので、ギリギリまで頑張って査定させていただきました。人間国宝に認定されるなど多大なる功績を残した重鎮「14代酒井田柿右衛門」の本人作。「濁手(にごしで)」とは米の研ぎ汁のようにやわらかみのあるミルキーホワイトの色をした白磁素地。一般の有田焼の白磁素地は、やや青みを帯びていますが、「濁手」は青みがなく、純白。江戸時代の後半には濁手素地づくりは途絶えてしまいましたが、昭和28年(1953)、12代酒井田柿右衛門(1878~1963)と13代酒井田柿右衛門(1906~1982)の尽力によって復元されました。乳白色の濁手素地に、軽やかで伸びやかな筆遣いと嫌味のないすっきりとした配色表現で描かれた「梅花文」は人気の画題の一つ。均整の取れた造形や色鮮やかで写実的な絵付けなど実に素晴らしい出来栄えです。素晴らしい作品をお売りいただき有難うございました。
六角堂では酒井田柿右衛門作品の高価買い取り、査定・鑑定・出張買取りを致します。
ご所蔵の作品(濁手など本人作品はもちろん柿右衛門窯のお品も高額買受致します。)がございましたら、無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買い取りさせていただきます。
酒井田柿右衛門作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!詳しい鑑定士が査定させていただきます。
市場へ戻る途中、いつも寄っているラーメンの小池さんへ寄りました。新商品が出ましたので早速新商品の「宗岡トマトらーめん」 をいただきました。こちらは先日行われた志木市ご当地グルメ王決定戦で見事グルメ王に輝いたラーメンです。トマトにセロリ・人参・玉ネギをすりおろしてつくるミルポワも使った鶏白湯スープが絶品です。冬限定商品ですので、また近日寄ります。

十四代 酒井田柿右衛門(さかいだかきえもん)1934(昭和9)年~2013(平成25)年
14代酒井田柿右衛門は13代酒井田柿右衛門の長男として佐賀県に生まれました。本名を正といいます。
1958(昭和33)年、多摩美術大学日本画家を卒業後、帰郷して12代と13代に師事しました。
1967(昭和42)年、一水会会長賞を受賞しました。
1971(昭和46)年、日本工芸会正会員となりました。
1982(昭和57)年、14代酒井田柿右衛門を襲名しました。
日本工芸会理事、柿右衛門製陶技術保存会会長に就任しました。
1983(昭和58)年、アメリカ・サンフランシスコ市より名誉市民の称号を受けました。
1984(昭和59)年、日本陶磁協会賞、佐賀県知事賞を受賞しました。
1986(昭和61)年、日本工芸会奨励賞を受賞しました。
1992(平成4)年、一水会陶芸部運営委員に就任しました。
日本工芸会奨励賞を受賞しました。
1993(平成5)年、国際陶芸アカデミー(IAC)名誉会員に就任しました。
1994(平成6)年、日本伝統工芸展監査委員に就任しました。
1997(平成9)年、佐賀県陶芸協会会長に就任しました。
1998(平成10)年、外務大臣表彰を受けました。
1999(平成11)年、九州産業大学大学院芸術研究科専任教授に就任しました。
文部大臣表彰を受けました。
2000(平成12)年、有田陶芸協会会長に就任しました。
2001(平成13)年、佐賀県立有田窯業大学校長に就任しました。
重要無形文化財「色絵磁器」の保持者(人間国宝)に認定されました。
佐賀新聞文化賞を受賞しました。
2005(平成17)年、旭日中授賞を受賞しました。
有田町名誉町民の称号を受けました。
2006(平成18)年、日本工芸会副理事長に就任しました。
2007(平成19)年、西日本文化賞を受賞しました。
2013(平成25)年、6月15日逝去(享年78)。

東京都杉並区久我山にて、人間国宝金城次郎の魚文花瓶や作家物陶器、着物。

東京都杉並区久我山にて、人間国宝金城次郎の魚文花瓶や作家物の陶芸作品、お着物をお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理にてお呼びいただきました。作家物の陶器などを処分されたいとのことでお呼びいただきました。作家などの詳細が分からないとの事でしたので、一点一点説明させていただきながら、買い受けさせていただきました。中でも金城次郎は人間国宝となられた陶芸家で、こちらの作品は当社でも強化買取り作家のものですのでお客様にご満足いただける査定額にて買い取らせていただきました。他にも唐津焼の中里重利や太郎右衛門窯の作品、お着物なども併せてお売りいただきました。お客様にお喜びいただけて良かったです。
当社では金城次郎の陶芸作品を探しております。人間国宝をはじめ、作家物の陶器工芸品を中心に取り扱いしてますので自信があります! 作家物の壷、花瓶、茶碗、皿、鉢、香炉、ぐい呑、徳利、湯呑、水滴、急須、抱瓶などはおまかせください!作家の無いお品でも買い取りしておりますので、ご不要の場合は、ご処分前にご連絡ください。陶芸作品に詳しい鑑定士がお見積りに伺わせていただきます。
本日も市場の仲間のT橋氏とW氏から電話があり、食事をすることとなりました。先日寄らせていただいた「しゃぶ食べ 高円寺南口駅前店」へ行くこととなり、高円寺駅で合流しました。お腹周りが気になってきましたので、わたしは野菜を中心にしゃぶしゃぶでいただきました。種類も多く、バランスの良い食事が出来ました。

金城次郎 (きんじょうじろう)1912年(大正元年)~2004年(平成16年)
伝統の琉球陶器の再現を目指す中で浮彫技法による抽象化された魚、海老などの意匠を用いた独自の温かみある陶芸を創始、用と美を兼ね揃えた作品を展開し現代沖縄陶芸の先駆者として高い評価を持つ。 子の須美子、孫の宮城三成も陶芸家。
1912年 沖縄県那覇市与儀に生まれる。
1924年 壺屋の名工 新垣栄徳の製陶所に従事。
1945年 6月 沖縄戦終結。10月頃壺屋の開放、窯業の復興がはじまる。
1946年 那覇市壺屋に窯場を開く。
1954年 第6回沖展に工芸部門の新設により出品。(以後連続出品)
1955年 国展初入選。
1956年 第30回国展において新人賞受賞。12月 龍門司窯、益子窯を視察。
1958年 ルーマニア国立民芸博物館に「抱瓶」と「魚文大皿」の2点永久保存される。
1962年 沖縄民芸展に出品。12月丹波の窯を視察。
1963年 沖展創立15周年にあたり感謝状を受ける。
1965年 12月小鹿田、小石原の窯場を視察。
1966年 明治神宮例大祭奉祝第4回全国特産物奉献式に「長型花瓶」献納。
1967年 第1回沖縄タイムス芸術選賞大賞受賞。
1968年 本民芸館同人選現代沖縄民芸展に出品。
1969年 第43回国展において会友優作賞受賞。日本の名匠「神々の器」壺屋の陶器‐金城次郎 撮影。日本民芸館賞受賞。
1971年 第1回日本陶芸展「白掛魚文線大皿」入選 海外巡回展。
1972年 10月1日 読谷村座喜味に窯を開く。沖縄県無形文化財(技能保持者)に認定される。
1973年 読谷村壺屋窯初窯展開催。国展会員となる。
1974年 日本陶芸巨匠大展に「双魚文大皿」「海老大花瓶」「三彩蓋物」三点出品。沖縄県指定無形文化財工芸展に「海老文大皿」他5点出品。
1976年 現代の陶芸本発行外9名。秩父宮妃殿下、読谷御来島。
1977年 現代の名工労働大臣賞に表彰される。ギリシャ展、パリ、オランダ見学。
1978年 文化シリーズ東京NHK美をさぐる。焼物紀行第6回沖縄の器放映。
1985年 重要無形文化財「琉球陶器」(人間国宝)に認定される。
1993年 勲四等瑞宝章受賞。
2004年 逝去。享年92。

東京都国分寺市にて、杉原元人の日本画「上高地」、桐たんす、着物など。

東京都国分寺市にて、杉原元人の日本画「上高地」、桐箪笥、着物などをお売りいただきました。

リサイクル業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。伝統工芸品泉州桐箪笥、お着物や反物、日本画家杉原元人の作品「上高地」をお売りいただきました。杉原元人は1980年代以降の日本画壇をリードしてきた日本画家で、当社でも数多く取り扱う作家です。皇室に作品を献上したことでも有名な画家です。額に多少の痛みがありましたが、六角堂で買取を強化している作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い受けさせていただきました。良いお品をお売りいただき有難うございました。
六角堂では「杉原元人」の絵画、版画作品の高価買い取り、査定・鑑定・出張買取りを致します。
ご所蔵の作品(肉筆画、版画も高額買受致します。)がございましたら、
無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。
杉原元人作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!
絵画をお見積りの際には、詳しい鑑定士が査定させていただきます。
仕事帰り、最近はまっている「ゆで太郎」さんへ行きました。このお店のかき揚げ丼は本当に美味しいです。お正月にサービス券をたくさんいただきましたので、しばらく通い詰めます。明日は一日お休みをいただきます。久々の休日ですので、たくさん寝て一日のんびりします。

杉原元人(すぎはらげんじん)1912年(大正元年 )〜 2009年(平成21年) 
1912年 三重県鳥羽市出身 川端画学校卒業
1946年 児玉希望に師事  日展初入選
1969年 日展審査員(同77、84、87、92年)
1970年 日展会員に推拳
1978年 天皇皇后陛下御座所の間に「瀬波の海」献上
1984年 国際芸術文化大賞受賞
1985年 日展評議員に就任
1989年 紺綬褒章受賞
1992年 日展参与に就任
1993年 日展文部大臣賞受賞
1994年 千葉県教育功労者表彰
1996年 勲四等瑞宝章を受章
2005年 画集刊行「杉原元人」(美術年鑑
2009年 逝去。97歳。

さいたま市にて、杉田祥平造の茶碗、加藤光右衛門の水指、井口海仙の茶杓など。

埼玉県さいたま市にて、杉田祥平造の色絵秋草画茶碗、加藤光右衛門の美濃伊賀水指、井口海仙の自作茶杓(二重箱入り、銘 福寿)など、茶道具をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は埼玉県入間市にて、民芸調箪笥、お着物、掛け軸などを買い取らせていただきました。お片付けでお忙しい中、六角堂をご指名いただき有難うございました。二件目はさいたま市浦和区へ、お着物やお茶道具の処分整理でお呼びいただきました。お母様が裏千家茶道をされていたとのことで、杉田祥平造の茶碗、加藤光右衛門の水指、井口海仙の茶杓の他、釜、鉄瓶、棗、茶入、香合、花入、菓子皿、茶棚など一式買い取らせていただきました。お母様の大切にされていたお道具達、大切に次へと橋渡しさせていただきます。たくさんのお品をお売りいただき有難うございました。
本日の昼食は、かつやさんへと行きました。揚げたてのかつ丼に豚汁、とても美味しかったです。先程、女子テニスの大坂なおみ選手が全豪テニスオープンで見事優勝されました。すごいですね。わたしも彼女のように頑張っていきたいと思います。大坂選手おめでとうございます!!

加藤光右衛門(かとうこうえもん)1937年 -~2018年
岐阜県で生まれた陶芸家です。本名は光夫。
加藤十右衛門の次男として生まれ、他の兄弟も陶芸家のため、加藤三兄弟として有名な作家です。
兄は加藤芳右衛門、弟は加藤弥右衛門。
高校を卒業してから父親に師事し、陶芸を学びました。
1982年(昭和57年)に加藤十右衛門家の出生地、岐阜県土岐郡笠原町・現多治見市の地に窯を開き 陶磁器問屋時代の屋号”山十窯”と名付ける。
美濃伊賀、黄瀬戸、黒織部を中心に茶陶を制作しています。
瀬戸一重口水指は彼の作品の中でも茶陶の銘品と言われてはおります。
また、中日国際展や朝日陶芸展などの公募展でも活躍し、個展も数多く開催しています。
2018年 岐阜県多治見市にて没 享年81歳

杉田祥平(すぎたしょうへい)1942年~
旧伯爵・清閑寺家の許可を得て江戸後期に築窯された清閑寺窯の四代当主。
裏千家に出入りが許され、清閑寺窯丸印を裏千家家元・鵬雲斎、及び覚入より拝領する。
1942年 京都府で生まれる
1960年 京都芸術短期大学に入学する
1962年 京都市立工業試験場に入所、伝統作家協会二世会に入会する
1965年 楽家14代・覚入に師事する
1977年 裏千家・金澤宗也に茶道を習う
1999年 4代目を襲名する

井口海仙(いぐちかいせん)1900年6月24日~1982年6月8日
裏千家13代目円能斎宗室の3男として生まれ、本名は三郎、茶名は宗含、庵号は幽静庵、斎号は玄妙斎。
13代目円能斎宗室に茶道を学び、茶道の教授をしながら機関誌「茶道月報」を主宰。執筆作業にも励み、茶道入門や原色茶道大辞典などを製作し、戦後には淡交社社長として活躍され、茶道ジャーナリストとしても活躍します。

茨城県水戸市~東海村~那珂市へ出張へ行ってきました。

 

不動産業者様のご紹介で、茨城県東海村へ出張見積もりへ行ってまいりました。24日の昼頃に埼玉を出発し、宿泊先の水戸市へ向かいました。圏央道菖蒲PAで食事休憩を入れ、夕方頃水戸市へ到着しました。宿泊先は水戸駅の近くにあるアパホテル。最近出張の時は大体アパホテルさんを利用しております。ホテルで少し休憩を取り、夕食探しで水戸市内を散歩しました。アンコウ鍋を食べたかったのですが、近くにお店がなかったので途中見つけた「みと楽横丁」へ入ることにしました。色々なお店がありましたが、おでんやもつ煮の名前につられて「煮丁」さんというお店へ入ることにしました。もつ煮や肉豆腐、静岡風おでんなど、どれも美味しかったです。次の日の仕事がある為、一杯のみですが久々にN尾氏とお酒を飲みました。ホテルへ早めに帰宅し、この日は寝ました。朝はアパホテルについているビストロエンドウさんで朝食をいただきました。バイキング形式ですが、イクラやカニ、明太子などの海鮮も充実していてなんと料金は600円。美味しくて朝からたくさん食べてしまいました。ホテルを出発して目的地の東海村へと向かいました。30分くらいで到着し、お客様と待ち合わせをしました。一か月以上前でしょうか最初にご連絡いただいて、本日ようやくお会いすることが出来ました。旧家を片付ける際のご処分とのことで、コンテナの方にお荷物を全て移動していただいてましたので、こちらで早速査定をさせていただきました。掛け軸の数が約100本、他には古い陶磁器や漆器、茶道具、刀装具、印籠、根付、書道具、ブロンズ像、銀製品など。数百点の見積もりでしたので少々時間が掛かってしましましたが、N尾氏と一点一点全て査定させていただきました。ご家族と相談の上お売りいただくこととなっておりますので、本日は見積りのみで帰宅することになりました。次回またお呼びいただく際には、よろしくお願い致します。帰りにお土産やお菓子をいただいたりと、お気遣いいただき有難うございました。帰宅途中、那珂市にある「なか健康センター」さんへ寄りました。お風呂の種類が多く、サウナも充実しておりました。昨夜、今朝と食べ過ぎてしまいましたので、塩サウナで体を引き締めようと長時間頑張りました。が、風呂後にまた食事。麻婆ラーメンに揚げニンニク、とても美味しかったです。最近の出張疲れを取り、先程無事帰宅しました。明日からも出張が続きますので、頑張ります!

東京都渋谷区東にて、岩谷堂箪笥、脇差拵えなど。

東京都渋谷区東にて、岩谷堂箪笥(整理タンス)、脇差拵えなどをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は品川区中延へお着物や贈答品などのご処分でお呼びいただきました。お着物は残念ながらシミ汚れなどございましたが、ご不用とのことでしたので全て買い受けさせていただきました。お片付けでお忙しい中、六角堂をご指名くださり有難うございました。二件目は渋谷区東へ、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは当社で買い取りを強化している岩谷堂箪笥の整理たんすや黒印籠刻鞘脇差拵え、刀装具などを買い取らせていただきました。拵(こしらえ)とは日本刀の外装すなわち刀身を入れる鞘(さや)、茎(なかご)(握る部分)を入れる柄(つか)および鍔(つば)の総称であります。刀装とも呼ばれます。刀身がないものですので、登録証はありませんが、貴重小道具の認定証が付いております。縁頭は鉄地、目貫は柿図赤胴地、鍔は山水図鉄地となります。六角堂では刀剣はもちろんのこと、刀装具も強化買取り中でございます。整理たんすは岩手県の伝統工芸品である岩谷堂箪笥(いわやどうだんす)。欅材に南部鉄器の飾りと、とても雰囲気の良いたんすになります。残念ながら上部にヤケによる変色がございましたが、大変素晴らしい箪笥ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。良いたんすにお道具をお売りいただき有難うございました。
本日のランチは中延スキップロード商店街にある中華料理屋「珍味園」さんへ行きました。炒飯と担担麺のセットをいただきましたが、炒飯がとても美味しかったです。明日から二日間、茨城県へと出張します。遠距離出張、頑張ってまいります。

東京都目黒区目黒本町にて、十四代今泉今右衛門(本人作)のぐい呑、作家物の陶器など。

東京都目黒区目黒本町にて、十四代今泉今右衛門(本人作)のぐい呑、作家物の陶器などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。陶器をまとめてご処分されたいとのことでお伺いしましたが、その数50点弱とたくさんのお品をお売りいただきました。奥川忠衛門などの作家物が多くございましたが、中でも「色絵磁器」の人間国宝である十四代今泉今右衛門の作品は大変素晴らしい作品でした。お売りいただいたお品は、色絵藍色墨はじき椿文ぐい吞、色絵墨色墨はじき椿文ぐい吞の二客。墨はじきとは江戸期から鍋島ではよく使われた白抜きの技法で、技法の手順としては、まず墨で文様を描きその上を染付で塗る。すると墨に入っている膠分が撥水剤の役目をし、墨で描いた部分が染付の絵具をはじく。その後、素焼の窯で焼くと墨が焼き飛び白抜きの文様が現われるという、染織のろうけつとよく似た技法であります。墨はじきによって描かれた個所は、染付の線描きされた個所と比べるとやさしい控えめな印象を与えます。14代今泉今右衛門は江戸期からある技法「墨はじき」や「雪花墨はじき」など、新しい技法に挑戦し世界的にも高い評価を受けております。大変素晴らしい作品をお売りいただき有難うございました。
倉庫へ戻る途中、近所にある珍来さんでカレーらーめんをいただきました。熱々のスープがとてもスパイシーで体が温まりました。

14代今泉今右衛門(いまいずみいまえもん)
1962年 佐賀県有田町に13代今泉今右衛門の次男として生まれる。本名を雅登といいます。
1985年 武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科(金工専攻)を卒業。
1988年 京都・鈴木治先生に師事する。
1990年 父、13代今右衛門に師事。
1996年 佐賀県美術展で知事賞を受賞。財団法人今右衛門古陶磁美術館の学芸員に就任。
1998年 日本伝統工芸展で工芸会会長賞を受賞。日本工芸会正会員となる。
2002年 14代今泉今右衛門を襲名。
2004年 日本伝統工芸展で東京都知事賞を受賞。
2009年 紫綬褒章を受章。
2010年 日本工芸会理事に就任。
2014年 重要無形文化財「色絵磁器」の保持者(人間国宝)に認定される。

埼玉県さいたま市中央区にて、九谷焼の名工福島武山のカップ&ソーサーなど。

埼玉県さいたま市中央区にて、九谷焼の名工福島武山のカップ&ソーサーなどをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。いつもお客様をご紹介いただく不動産屋業者の方からご連絡いただき、お客様が贈答品などをご処分されたいとのことでご紹介いただきました。お売りいただいた贈答品は、洋食器などの陶器や漆器、ガラス工芸品、置物など。古いものから新しい物まで、たくさんのお品をお売りいただきました。福島武山のカップ&ソーサーは、九谷アートコレクションで食器メーカーNIKKO(ニッコー)とコラボしたお品。1915年の発売以来約100年、今なお愛され続けるニッコーのベストセラー「山水」と九谷焼の中でも特に緻密な「赤絵」を描く職人である福島武山の貴重なコラボ作品になります。福島武山は1968年に九谷焼赤絵と出会い、独学で築いた赤絵細描は緻密さを極め、淀みのない筆致は圧巻です。六角堂で買取を強化している作家作品をお売りいただき有難うございました。
本日は一件のみの出張買取で早く帰宅出来ましたので、家族で近所のとんQさんで食事をしました。明日は娘が高校受験、カツ丼を食べさせました。明日は入学試験頑張って!!!

福島武山(ふくしまぶざん)昭和19年(1944年)生まれ
1963年 石川県立工業高校デザイン科卒
1981年 日本伝統工芸展初入選
1982年 全国伝統的工芸品展にて奨励賞受賞
1983年 創造美術展にて朝日新聞新聞社特別賞受賞
1986年 創造美術展にて北華賞受賞
1987年 日本工芸会正会員となる
1989年 九谷焼産業デザインコンクールにて名古屋通商産業局長賞受賞
1990年 九谷焼産業デザインコンクールにて石川県知事賞受賞
1995年 創造美術展にて東京都知事賞受賞
1996年 天皇・皇后両陛下ご来県のみぎり、ご使用のお茶碗謹作
1997年 日本工芸の世界巡回展(五か年)に国際交流基金より選抜される
1999年 第23回全国伝統的工芸品公募展にて第1席グランプリ内閣総理大臣賞受賞
2000年 第24回全国伝統的工芸品公募展にて伝統工芸士会会長賞受賞
2002年 第25回伝統九谷焼工芸展にて大賞受賞、石川県立美術館買い上げ
2003年 第17回日本陶芸展入選
2004年 第27回伝統九谷焼工芸展にて優秀賞受賞、石川県立美術館買い上げ
2004年 石川県指定無形文化財保持団体九谷焼技術保存会会員となる
2007年 石川の伝統工芸展にて優秀賞受賞
2008年 九谷焼伝統工芸士会会長就任
2012年 第65回記念創造展 創造美術大賞受賞

東京都墨田区業平にて、くり甲綾杉彫のお琴、横山優ぼかし染のお着物など。

東京都墨田区業平にて、くり甲綾杉彫演奏会用の琴、紙芸創作者横山優のぼかし染着物などをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお琴は演奏会用のもので、くり甲、綾杉彫り、龍舌には紅木が使用されております。多少傷みはあるものの、とても良いお琴でした。撥などのお道具も併せてお売りいただきました。お着物は紙芸創作者である横山優のぼかし染のもの。保証書付きのものでした。残念ながらシミが出てしまっておりましたが、良いお着物ですので買い受けさせていただきました。ぼかし染めとは地色の一部をぼかして染めることをいいます。染色の際に、糊で堤防を作らず、色のにじんだ、あいまいな感じを利用します。単色、または複数の色の濃淡をつけて、霞のような色の美しい調和を表現します。 複数の色でぼかし染めにする場合、一方の色の濃い色から薄い色へと変化をつけ、その続きにもう一方の薄い色から始まって、濃い色へと続いていくという色合いの変化になります。やわらかな華やぎをきものに添える重要な染色技法です。可愛らしいお色のお着物でございました。まとめてお売りいただき有難うございました。
六角堂では、琴の他、笙、神楽笛、和太鼓、小鼓、尺八、三味線、琵琶、高麗笛、篳篥などの和楽器を強化買取りしております。また、雅楽、能楽、狂言、歌舞伎、祭礼、神楽、演奏会などの伝統舞台芸術に使用される和楽器や道具、その他骨董、美術品も買い取り査定しています。ご不用の和楽器がございましたら、是非六角堂をご指名ください。
帰宅途中、吾妻橋の近くにある「ペッパーランチ」さんへ寄りました。いきなりステーキもいいですが、ペッパーランチもやはり美味しいですね。本日は天気が良かったので、スカイツリーがきれいに見えました。