神奈川県横浜市磯子区にて、人間国宝 金重陶陽の湯冷し(金重道明識)、掛け軸をお売りいただきました。
遺品整理にてお呼びいただきました。本日お売りいただいたのは、備前焼で初めて人間国宝となられた金重陶陽の湯冷しになります。こちらは本人の共箱ではなく、陶陽の長男である金重道明の識箱に収められておりました。六角堂で買い取りを強化している作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額にて買い取らせていただきました。良いお道具をお売りいただき有難うございました。二日前に横浜市へ来た時にも寄らせていただきましたが、本日もまた中華街へと寄らせていただきました。昼食は、「熊猫飯店」さんへ、なんとも可愛らしい看板につられて寄ってみました。ネギらーめんに炒飯のセットランチをいただきました。他に春巻きも付いて千円しませんでした。もちろん美味しかったです。本日もまた、中華街へ来たら必ず寄らせていただいております横濱媽祖廟(よこはままそびょう)へと参拝しに寄ってきました。今日は志木市場の開催日でしたので、早々に戻らせていただきました。明日より一週間、買取事例担当のものがお休みをいただきますので更新することが出来ません。出張買取、受付は通常通り営業しておりますので、引き続きどしどしとお問い合わせください。
金重陶陽(かねしげとうよう)1896~1967年
金重陶陽は金重楳陽の長男として岡山県備前市伊部に生まれました。本名を勇といいます。
1910(明治43)年、伊部尋常高等小学校を卒業後、父に師事して細工物に従事しました。
1918(大正7)年、色絵(彩色)備前を造り始め、この頃より「陶陽」の号を用い始めました。
1928(昭和3)年、備前飛獅子置物、彩色備前鬼瓦に鳩置物を天皇陛下に献上されました。
茶道具の基本を学ぶ為、表千家流に入門。
1930(昭和5)年、備前焼の本質を無釉焼き締めの土味に求めて土の生成法を発見し、
桃山備前の土味を再現する事に成功しました。
江戸時代から伊部で用いられてきた水簸土は土味を失うからとして使用を止めました。
1932(昭和7)年、本格的に轆轤制作を開始し、陶印を「陶陽造」等から「土」に改めました。
以前までは細工物を中心に焼成していましたが、
古備前の豪快で侘びた美しさに傾倒して作陶の主題は茶陶へと移行します。
武者小路千家12代愈好斎宗守が来訪したのを機にその門に入門しました。
高松宮両殿下が備前町行啓の際、御前制作を行いました。
1936(昭和11)年、三重県津市の川喜田半泥子の千歳山窯を訪れて作陶。
1939(昭和14)年、再び三重県津市の川喜田半泥子の千歳山窯を訪れて作陶。
川喜田半泥子、弟・金重素山と岡山県邑久の虫明窯を訪れて作陶しました。
皿等の重ね焼きで緋襷の焼成に成功しました。
1941(昭和16)年、三重県津市の川喜田半泥子の千歳山窯を訪れて作陶。
金重素山の出征を機に窯を改良し、古備前の窯変に画期的な成功を収めました。
1942(昭和17)年、川喜田半泥子、荒川豊蔵、10代三輪休雪とからひね会を結成しました。
備前焼の技術保存資格者に認定されました。
1944(昭和19)年、日本美術、工芸統制協会代議員に就任。
1945(昭和20)年、岐阜県大萱の荒川豊蔵の窯を金重素山と訪れて作陶。
1947(昭和22)年、生活用品芸術陶磁器認定委員に就任。
1948(昭和23)年、芸術陶磁器第二部資格者となりました。
1949(昭和24)年、藤原啓、山本陶秀、藤田龍峰、金重素山、浦上善次と備前窯芸会を結成。
1951(昭和26)年、京都府亀岡市の大本教本部が花明山窯を築窯する際、指導を行いました。
1952(昭和27)年、備前焼の無形文化財記録保持者に認定されました。
以前から親交のあった北大路魯山人がイサム・ノグチを伴って来訪し、作陶を行いました。
北大路魯山人から食器の世界、前衛彫刻家のイサム・ノグチから造形の強烈な個性を受け、
この大家との出会いが陶陽の作陶に大きな変化と幅を持たせる事になりました。
魯山人の「ロ」に倣って陶印を「ト」に改め、次第に小さくなって最後まで使用しました。
秩父宮妃殿下が金重家を御来訪されました。
北大路魯山人が北鎌倉山崎の邸内に備前窯を築窯する際に協力し、
ここで志野、織部、瀬戸、伊賀等の土物を多数制作しました。
石黒宗麿、荒川豊蔵、加藤唐九郎、宇野三吾と日本工芸会の設立を協議しました。
再び、花明山窯を訪れて指導しました。
1954(昭和29)年、熱海伊豆山桃李郷で石黒宗麿、加藤土師萌、小山冨士夫、荒川豊蔵、
加藤唐九郎、小森松庵、黒田領治、佐藤進三と桃李会を結成。
岡山県重要無形文化財に認定されました。
山口県萩市の吉賀大眉窯、佐賀県唐津市の中里太郎右衛門窯を訪れて作陶しました。
1955(昭和30)年、日本工芸会が結成。
1956(昭和31)年、重要無形文化財「備前焼」の保持者(人間国宝)に認定されました。
1959(昭和34)年、中国文化賞を受賞。
1960(昭和35)年、山陽新聞文化賞、岡山県文化賞を受賞た。
岡山県文化財保護協会理事、備前町文化財保護委員会委員長に就任。
1961(昭和36)年、石黒宗麿、加藤土師萌、小山冨士夫、荒川豊蔵、宇野三吾と柏会を結成。
京都府綾部市の大本教本部の鶴山窯で備前や信楽を焼成しました。
1962(昭和37)年、日本伝統工芸展審査員、日本工芸会理事に就任。
1963(昭和38)年、島根県知事・田部長右衛門の招きで出西窯を訪れて作陶。
1964(昭和39)年、ハワイ大学夏季大学講師に就任。
1965(昭和40)年、岡山県工業試験所陶磁器指導所講師に就任。
1966(昭和41)年、ハワイ大学夏季大学講師に就任。
紫綬褒章を受章しました。
1967(昭和42)年、昭和天皇両陛下が備前町行啓の際、御前制作を行いました。
勲四等旭日小綬章を受章。この年、71歳で逝去。
金重道明(かねしげみちあき)
1934年 岡山県備前市伊部に金重陶陽の長男として生まれる。
1956年 金沢美大工芸科卒業。
1957年 朝日現代陶芸展初入選
1958年 日展入選。
1964年 日本伝統工芸展入選。
1967年 米国・メキシコで開催の「国際芸術見本市」に出品。
1968年 京都、東京国立近代美術館(現代陶芸の新世代展出品)
1969年 日本工芸会正会員となる。
1970年 第2回ヴァルロス国際陶芸ビエンナーレ出品。
1971年 第3回金重陶陽賞受賞。
1973年 一水会陶芸展出品、委員に推挙される。
1975年 鈴木蔵と双戌展開催。
1976年 東ドイツにて開催の「日本の陶磁名品」展に出品
1979年 第7回中日国際陶芸展審査員。
1980年 日本陶磁協会賞受賞。
1981年 作陶25周年記念展開催。
1982年 第7回アジア芸術祭(香港)「現代日本陶芸」展に招待出品。
1984年 西ドイツ国内巡回開催の「土と炎ー現代日本の伝統陶芸」展に出品。
1985年 作陶30年記念展開催。
1995年 没。