カテゴリー別アーカイブ: 書道具

東京都品川区にて唐木蒔絵蓋の硯、世田谷区にて下村観山の掛軸など。

   

東京都品川区東五反田にて唐木蒔絵蓋の硯、ダイニングセット、アンティーク家具、陶器など、世田谷区深沢にて下村観山、中村不折、藤井達吉の掛軸をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は先日お呼びいただいた品川区のお客様宅へ、前回積み残した家具などの買取でお呼びいただきました。お売りいただいたお品はドローリーフテーブルのダイニングセット、大正期のアンティーク箪笥、唐木蒔絵蓋の硯、陶器など。唐木蒔絵蓋の硯は小学校の卒業記念で、大正時代に天皇家よりいただいた御下賜品。天皇家とのお付き合いがあるお客様で、ボンボニエールなど多くの御下賜品がございました。陶器はヨーロッパ各地の古陶磁器など。ヨーロッパに住んでいらっしゃる時に骨董市などで集められたお品です。大変貴重なお品や思い出のお品を当社にお売りいただきました。二度にわたりご指名いただき有難うございました。また、お客様をご紹介いただいた不動産業者様、今回もまたお付き添いいただき有難うございました。梱包までお手伝いいただき、とても助かりました。本日二件目の世田谷区のお客様は品川区のお客様のご友人で、お荷物を整理されたいとのことでご紹介いただきました。絵画や陶器などたくさんの美術品がございましたが、本日お売りいただいたお品は掛け軸。下村観山の対幅「双鶴」、中村不折の「鍾馗」、藤井達吉の「富士」など、たくさんの掛軸をお売りいただきました。下村観山は横山大観とともに、近代日本画の発展に尽力した画家。狩野派に学び、大和絵の流麗な線描と色彩を熱心に研究、そこにさらに欧州での西洋画の見聞成果を加え、穏やかで優美な作品を描きました。お売りいただいた作品は「双鶴」。共箱、二重箱。所々にシミが出てしまっておりますが、当社で買い取りを強化しているですので、高価査定で買い取らせていただきました。他にも素晴らしい作品を併せてお売りいただきました。お客様の思い出のお品、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日はお荷物の整理に当社をお呼びいただき、誠に有難うございました。

下村観山(しもむらかんざん)明治6年(1873)~ 昭和5年(1930)
明治6年 和歌山県和歌山市で生まれる。本名は晴三郎。
明治13年 上京する。
明治13年 狩野芳崖に師事する。
明治18年 橋本雅邦に師事する。
明治21年 東京美術学校日本画科に一期生として入学する。
明治26年 卒業と同時に助教授となる。
明治28年 日本絵画協会第1回共進会で下村観山『仏誕』が銀牌を受賞する。
明治30年 日本美術院創立に参加する。正員となる。
明治34年 東京美術学校に教授として復職する。
明治35年 文部省留学生としてイギリスで水彩画などを研究する。
明治38年 横山大観、菱田春草、木村武山らと北茨城の五浦に移住する。
明治39年 第1回文展に下村観山『木の間の秋』を出品する。
大正3年 日本美術院の再興に参加する。
大正4年 第2回再興院展に下村観山『弱法師』を出品する。
大正6年 帝室技芸員となる。
大正8年 帝国美術院会員に推されるが辞退する。
昭和3年 フランス政府からコマンドール・カムボージュ勲章を受章する。
昭和5年 神奈川県横浜市で歿。

中村不折(なかむらふせつ)慶応2年(1866)〜昭和18年(1943)
慶応2年 東京に京橋生まれる。
明治20年 上京し、高橋是清の館に住み込みながら小山正太郎に師事し絵を学ぶ。
明治29年 正岡子規とともに日清戦争に記者として従軍して中国に渡り、書に興味を持つ。
明治34年 渡仏して、ラファエル・コランやジャン・ポール・ローランスらから絵の指導を受ける。
明治38年 帰国後、明治美術会の後身である「太平洋画会」に所属し主に歴史画の分野で活躍する。
昭和9年 太平洋美術学校校長に就任。
昭和11年 中国の書を収集し、台東区根岸の旧宅跡に書道博物館を開館。
昭和18年 脳溢血の為、死去。

東京都三鷹市にて紅星牌 画仙紙、澄泥硯、印材、古墨など書道具の買取。

 

東京都三鷹市にて紅星牌 画仙紙、澄泥硯、印材、古墨など書道具をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、遺品整理でお呼びいただきました。お客様のお父様が書道の先生をされていたとのことで、たくさんの書道具を買取らせていただきました。お売りいただいたお品は、紅星牌 画仙紙、澄泥硯、端渓硯、寿山石や鶏血石の印材、古墨、筆、書道本など。
画仙紙の王様として君臨し続けてきたベストセラー紅星牌(こうせいはい)は中国での人気があり、古物業界では大変人気のあるお品となってます。紅星牌には原料の配合・厚みなどで違う名前が付いてます。
棉料単宣 基準となる種類。薄手で稲藁の割合が多い為、浄皮単宣に比べニジミが多くなります。
浄皮単宣 厚さは「棉料」単宣と同じ。稲藁の割合が棉料単宣に比べ少ないので、棉料単宣よりもニジミが少なくなります。
棉料重単宣 単宣を少し厚く漉いています。棉料単宣よりもニジミが少なくなります。
棉料綿連宣 単宣よりも薄く漉いています。薄いのでニジミが美しく出ると言われています。
棉料夾宣 漉く際に二度すくいして漉いており、単宣を2枚合わせにした程度の厚さがあります。
棉料二層夾宣 夾宣を乾燥させる際に2枚重ねにし、1枚の紙として乾燥させています。厚さがあるので墨が紙の奥深くに浸透し、横への広がりが少なくなります。夾宣よりも更に力強さが表現できます。
棉料三層夾宣 夾宣を乾燥させる際に3枚重ねにし、1枚の紙として乾燥させています。厚いので力強さとカスレが出せます。
サイズは四尺画仙、半切のものなど、多数ございました。半切(はんせつ)は寸法が34.5×136cm。半切は四尺画仙(全紙)をタテ半分に切ったもので、伝統的に最も使用されてきたサイズです。
澄泥硯(ちょうでいけん)は、端渓硯(たんけいけん)、歙州硯(きゅうしゅうけん)、洮河緑石硯(とうがろくせきけん)と共に中国良硯の四宝といわれております。また、端渓硯、歙州硯、澄泥硯は三大名硯といいます。澄泥硯には石を原料としたとする自然石説と、泥を焼成したとする焼成硯説があります。澄泥硯には緑、黄、紅,、白、紫、青、朱の7色があり、それぞれ緑豆沙(緑豆の色)、鱔魚黄(鱔魚(田鰻)の背中のようなくすんだ黄色)、蝦頭紅(海老の頭の赤)、魚肚白(魚の腹のような紅白色)、玫瑰紫(薔薇の花のようなくすんだ紫色)、蟹殻青(蟹の甲羅の青)、朱沙澄泥と呼ばれています。澄泥硯は鋒鋩が非常に強く、特に唐墨との相性が良い事で知られております。
他にも硯や墨、印材、書道書籍、宣紙、画仙紙、筆、拓本、筆架、筆筒、水洗、水滴、筆洗、文鎮などたくさんの書道具をお売りいただきました。お父様の大切にされていた書道具、大切に次へと繋げさせていただきます。本日は六角堂のご指名、誠に有難うございました。

埼玉県川島町にて二玄社の掛軸、書籍、硯、墨、画仙紙などの書道具。

     

埼玉県比企郡川島町にて二玄社の工芸掛軸、書籍、硯、墨、画仙紙などの書道具をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、遺品整理でお呼びいただきました。書家をされていたお父様のご遺品である書道具などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、硯や墨、画仙紙などの書道具、拓本や法帖、印譜集、篆刻書など書道の本、二玄社の中国工芸掛軸など。墨は墨運堂、古梅園、日本製墨、呉竹、鉄斎翁書画寶墨など古いものから新しいものまで多数ございました。硯は端渓硯、澄泥硯、緑石硯など。画仙紙は中国の宣紙、紅星牌、三星牌など。また、鶏血石や寿山石などの印材も多くございました。その他にも水滴、肉池、硯箱、文鎮、墨床、矢立、筆架など多くの書道具をお売りいただきました。中国で買われた工芸品が多いものの、大切に保管されておりましたので状態も良く、たくさんのお品をお売りいただきました。二玄社の書道関連書籍や工芸掛軸は時代の呉琚:七言絶句、明時代の王陽明:五言古詩、明時代の宋克:公讌詩、明時代の沈粲:草書古詩、宋時代の黄庭堅:寒山子龐居士詩、元時代の趙孟頫:前後赤壁賦、宋時代の米芾:蜀素帖、晋時代の王羲之:遠宦帖、唐時代の褚遂良:黃絹本蘭亭敘、唐時代の顔真卿:祭姪文稿、宋四家墨蹟選、明人書扇選集(1)、拡大法書選集など。多数お売りいただきました。また清時代の呉昌碩(ごしょうせき):胡盧詩畫(ころしが)工芸軸もお売りいただきました。二玄社は書道をされている方にはお馴染みの書籍。書道のお手本帖としても知られております。書道具の買い取りを強化している六角堂では、二玄社の書籍を強化買取中でございます。二玄社の書道専門書や拓本、碑帖、篆刻書、印譜等、書道に関する古書はお任せ下さい。本日はたくさんのお品をお売りいただき、誠に有難うございました。