月別アーカイブ: 2021年2月

埼玉県川越市にて加藤孝造の花入、若尾利貞の花入、徳利、火鉢など。

埼玉県川越市にて加藤孝造の花入、若尾利貞の花入、徳利、火鉢などをお売りいただきました。

本日は三件の出張買取。一件目は埼玉県狭山市にてお着物のお片付け整理でお呼びいただきました。お着物や帯、反物など、たくさんのお品をお売りいただきました。シミや汚れなどあるものもございましたが、全て買い取らせていただきました。二件目はさいたま市北区へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は木彫りの置物や贈答品など。たくさんのお品をお売りいただきました。岩谷堂箪笥がございましたが、運び出しが出来ない状況でしたので、来週またお呼びいただくこととなりました。来週も宜しくお願い致します。三件目は業者様のご紹介で、川越市へお引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は加藤孝造の花入、若尾利貞の花入、徳利、火鉢など。火鉢は欅材の関西火鉢。とてもしっかりとした良い火鉢です。陶器や贈答品などございましたが、加藤孝造や若尾利貞など、当社で買取強化中の作家作品もあり、お客様にご満足いただける査定額で買取することができました。加藤孝造は岐阜県出身の陶芸家。5代目加藤幸兵衛に陶芸の指導を受け、岐阜県可児市に窯を開き独立します。地元である美濃陶芸の道を志し、桃山時代の志野・瀬戸焼の再現に取り組んでいた荒川豊蔵(「志野・瀬戸黒」人間国宝)に師事します。平成22年には、重要無形文化財「瀬戸黒」の技術保持者(人間国宝)に認定されます。お売りいただいた志野花入は人間国宝となる前の作品で、近年制作された作品であったり、国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された技法である「瀬戸黒」ですと、査定金額・買取金額は、高額となってきます。若尾利貞もまた岐阜県出身の陶芸家。現代の美濃(多治見)を代表する陶芸家の一人で、特に鼠志野の第一人者と言われています。2003年に岐阜県重要無形文化財に認定され、現在も活躍されております。お売りいただいた作品は、織部の花入、志野の徳利。共箱ありで保管状態も良かったです。お売りいただいたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名いただき、誠に有難うございました。

加藤孝造(かとうこうぞう)1935年(昭和10)~
1935 岐阜県端浪市に生まれる
1953 日展(洋画)初入選、陶芸家・五代加藤幸兵衛に師事
1955 岐阜県陶磁器試験場工芸科主任技師就任
1966 日本工芸会正会員
1969 第1回東海伝統工芸展最高賞受賞
1995 岐阜県重要無形文化財「志野・瀬戸黒」保持者に認定
1998 中日文化賞受賞
2007 紫綬褒章受賞
2010 重要無形文化財「瀬戸黒」の保持者(人間国宝)に認定

若尾利貞(わかおとしさだ)1933年(昭和8)~
1933 岐阜県多治見市に生まれる
1960 中部美術展入選、ニュークラフト賞受賞
1961 岐阜県総合デザイン展受賞
1963 朝日陶芸展初入選
1965 日本伝統工芸展初入選
1968 初個展開催
1970 日本工芸会正会員
1971 日本陶芸展入選、海外選抜展出品
1972 美濃新人賞受賞
1973 中国国際陶芸展入選
1976 スウェーデン、ストックホルムにて個展開催
2003 岐阜県重要無形文化財認定

東京都西多摩郡日の出町にて岩谷堂箪笥(小箪笥)の出張買取。

東京都西多摩郡日の出町にて岩谷堂箪笥(小箪笥)をお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。和箪笥をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたタンスは岩手県の民芸家具「岩谷堂箪笥」の小箪笥。多少のヤケがあるものの、目立つダメージなく全体的に状態の良いたんすであります。欅の木目を美しく引き出す漆、南部鉄の豪華な金具が特徴の岩谷堂箪笥。堅牢さと重厚さの中にも、華麗な繊細さを秘めた岩谷堂箪笥は現代の住空間の中でも、強烈な存在感を保っています。ご家族が大切にされていたタンス、当社で大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名いただき、誠に有難うございました。帰りに西多摩郡日の出町にある「そば処 朝日屋」さんで食事をしました。カリカリ感のある衣が美味しいカツ丼と山菜そばのセット、とても美味しかったです。店内は綺麗で、ホールの方の接客も気持ち良く、地域に根付いた良いお店です。また寄らせていただきます。
岩谷堂箪笥は当社が長年買い取り続けている買取強化中の箪笥です。岩谷堂をお売りの際は、和家具・骨董品の専門店「六角堂」をご指名ください。

千葉県船橋市にて中田一於の花入、鈴木爽司の徳利、反物など。

千葉県船橋市にて中田一於の花入、鈴木爽司の徳利、反物などをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は千葉県千葉市中央区へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。タンスをご処分されたいとご連絡いただき、出張買取させていただきました。タンスは府中家具の婚礼タンスのセット。残念ながらこちらのタンスは当社で現在買取が厳しくなっているお品で、ご期待に添えることが出来ませんでした。たんすの他、ウエッジウッドの食器セットをお売りいただきました。ハミングバードというシリーズの食器で、全て未使用品でした。降雨入後、一度も使用せずに大切にされていたお品、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名くださり有難うございました。二件目は船橋市へ、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お引越しがあるため急ぎで出張買取へ来てほしいとご連絡いただき、即日対応させていただきました。お売りいただいたお品は、中田一於の釉裏銀彩花入、鈴木爽司の色絵梅文徳利、染付柘榴図徳利、結城紬や大島紬、丹後ちりめんなどの反物など。中田一於は、石川県出身の釉裏銀彩の技法を確立させた九谷焼の陶芸家。釉裏銀彩とは下地を塗って焼成をした素地に銀箔を切って膠で貼り付けて、透明釉をかけて焼成をするといった中田一於独自の技法であり、金箔を貼り付ける釉裏金彩は人間国宝に認定された吉田美統が確立していたのに対して、九谷焼の技術者が酸化による変質を嫌うことから使用していなかった銀箔で作品を制作することに成功しました。季節ごとに色味の違う作品も作り出していることから女性にも人気のある作家であります。鈴木爽司は京焼の作家として活躍しております。父親も陶芸家として活躍していたため、鈴木家の伝統である磁器型物の技法と絵付師としての花鳥画の伝統を受け継ぎ、京焼らしい雅な作品を作り続けております。白い肌に品良く描かれた色絵に金彩・銀彩をともに施す色絵金銀彩という技法を確立し、現在も活躍されております。陶器は全て共箱あり、反物は全て証紙がございましたので、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただくことが出来ました。お喜びいただけて良かったです。お売りいただいたお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。お忙しい中、お呼びいただき有難うございました。

中田一於(なかだかずお)1949年~
1949年 石川県に生まれる。
1974年 一水会に入選する。
1982年 日本伝統工芸展にて日本工芸会奨励賞を受賞する。
1990年 日本伝統工芸展にて日本工芸会奨励賞を受賞する。
1993年 「釉裏銀彩壷」がワシントン・スミソニアン機構サックラー美術館の永久保存作品に選ばれる。
2002年 石川県指定無形文化財保持者に認定される。
2010年 日本伝統工芸展にて日本工芸会保持者賞を受賞する。
2011年 紫綬褒章を受賞する。
2012年 小松市文化賞を受賞する。

鈴木爽司(すずきそうじ)1939年~
1939年 京都府 鈴木清の長男として生まれる。
1967年 京都市立美術大学へ進学。在学中に人間国宝で陶芸家の富本憲吉や六代目・清水六兵衛から薫陶を受ける。
1968年 日展初出品入選(~81年まで連続して入選)
1973年 京都国立近代美術館「現代工芸の俯瞰展」に出品する。
1974年 「京都府工芸美術展」第1回新人賞を受賞。
1977年 兵庫女子短期大学教授に就任する。

千葉県鎌ケ谷市にて岩谷堂箪笥(和箪笥・小箪笥)の出張買取。

千葉県鎌ケ谷市にて岩谷堂箪笥(和箪笥・小箪笥)をお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。和箪笥をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきましたお売りいただいたタンスは岩手県の民芸家具「岩谷堂箪笥」の下四大洋和箪笥、小箪笥の二点。和箪笥に目立つ色ヤケがございましたが、強化買取中のお品ですので、買取させていただきました。大変素晴らしい箪笥、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、誠に有難うございました。
岩谷堂箪笥は欅の木目を美しく引き出す漆、南部鉄の豪華な金具が特徴です。堅牢さと重厚さの中にも、華麗な繊細さを秘めた岩谷堂箪笥は現代の住空間の中でも、強烈な存在感を保っています。岩谷堂箪笥は永い年月を経て多くの職人たちの手によって研究・開発されてきました。江戸時代後期の岩谷堂箪笥を現在の岩谷堂箪笥のデザインと比較すると質素な印象を受けます。岩谷堂の種類は、三尺、三.五尺の整理たんすを基本としていますが現在では、洋服・衣裳・整理タンスの三点セット、茶箪笥、書棚、小箪笥、座卓など多くの箪笥が生産されております。珍しいたんすとしては、階段にも利用されたという上面が段々になった階段箪笥、船に積み込んで金庫の代わりを果たしたという頑丈な舟箪笥、火事などの非常時に移動しやすいように車がついている車箪笥などその種類は多く、見るだけでも興味のそそられるタンスがあります。モダンなデザインの家具が多くなった今、200年の伝統を誇る岩谷堂の持つ温もりと存在感は、大変魅力的です。当社でも岩谷堂箪笥は長年買い取り続けている買取強化中のタンスです。岩谷堂をお売りの際は、和家具・骨董品の専門店「六角堂」をご指名ください!

東京都目黒区にて初代 久保田一竹の辻ヶ花 袋帯、土田友湖の帛紗。

  

東京都目黒区にて初代 久保田一竹の辻ヶ花 袋帯、作家物のお着物、土田友湖の帛紗(表千家家元十三代 即中斎宗匠自筆)をお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理で、お着物を出張買取をさせていただきました。お売りいただいたお品は、初代 久保田一竹の辻ヶ花 袋帯や作家物のお着物、土田友湖の帛紗など。お着物は作家物が多くございました。帯もまた初代 久保田一竹の作品の他、龍村平蔵など作家物が多くございました。良いお着物が多く、一点一点丁寧に査定し、全て買い取らせていただきました。初代久保田一竹は20歳の時に東京国立博物館で辻が花と出会い、感銘を受け生涯をその研究にささげることを決意されました。太平洋戦時での召集などの困難を乗り越え、手描き友禅を生活の糧としながら、研究を続け、60歳にして初めて「辻ヶ花」を完成させます。これが「一竹辻ヶ花」と命名された逸品の始まりです。一竹の着物はファンも多く、特に初代のアイテムは非常に高値で取引をされているため、高額査定で買い取らせていただくことが出来ました。土田友湖(つちだゆうこ)は千家十職の袋師。千家十職とは茶道の三大流派の表千家、裏千家、武者小路千家の三千家好みの茶道具の制作を行っている金物師(中川浄益家)表具師(奥村吉兵衛家)や茶碗師(楽吉左衛門家)塗師(中村宗哲家)釜師(大西清右衛門家)土風炉・焼物師(永楽善五郎家)一閑張細工師(飛来一閑家)指物師(駒澤利斎家)竹細工・柄杓師(黒田正玄家)袋師(土田友湖家)の十の職業、十の家のことを言います。こちらの帛紗は、表千家家元十三代 即中斎宗匠自筆で寿字が描かれております。茶道をされていたようでしたが、お道具はすでにご友人方に分けられておりました。茶掛けが数点残っておりましたので、こちらも買取させていただきました。素晴らしいお着物や茶道具をお売りいただき、有難うございました。大切に次へと橋渡しさせていただきます。

初代 久保田一竹(くぼたいっちく)1917年(大正6年)10月7日~2003年(平成15年)4月26日
1916年 10月7日 神田に生れる
1931年 友禅師小林清師に入門
1948年 辻が花の研究に着手
1961年 独自の染色法一竹染を創業
1983年 パリ・チェルニスキー美術館にて「一竹辻が花展」
1984年 ニューヨーク・ダラスにて「一竹辻が花 光・風・音展」
1985年 ベルギー・ブリュッセルにて「一竹辻が花 光・風・音展」
1988年 バチカン宮殿にて上演された創作能「イエズスの洗礼」の衣装制作
1989年 ヨーロッパ主要都市にて個展
1990年 フランスよりフランス芸術文化勲章シェヴァリエ章を受賞
1993年 文化庁長官賞受賞
1994年 久保田一竹美術館(河口湖町)開館
1996年 ワシントンD.C.スミソニアン国立自然史博物館にて個展
2003年 逝去(享年86歳)

表千家家元十三代 即中斎宗匠
即中斎(そくちゅうさい)明治34年(1901)〜昭和54年(1979)。表千家13代。12代惺斎の次男に生まれる。兄不言斎の逝去により、昭和13年(1938)に家元を襲 名。第二次世界大戦の最中、昭和17年に千家同門会を発足させ、昭和24年(1949)には財団法人不審菴を設立。現代における茶の湯普及と伝統の保持と いう組織機構の基礎を築いた。

東京都豊島区にて先崎栄伸の大日如来像、晝間弘の弘法大師、木彫の仏像。

東京都豊島区要町にて先崎栄伸のブロンズ彫刻「大日如来」、晝間弘のブロンズ彫刻「弘法大師」、木彫の仏像、仏画などの掛け軸をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。仏像や掛け軸などをご処分されたいとご連絡いただき、出張買取させていただきました。お売りいただきましたお品は先崎栄伸のブロンズ彫刻「大日如来像」、晝間弘のブロンズ彫刻「弘法大師」、木彫の仏像、仏画などの掛け軸など。先崎栄伸は弱冠18歳にして帝展入選という歴史的大記録を打ち立てました。その後、文展、日展、正統木彫家協会展など、数々の受賞歴を重ねていきます。寺社に納められているものも多く、總持寺(説法釈迦)や大圓寺(聖観音、千手観音)を手掛けるなど、数々の作品が各地の寺院に存在します。お売りいただいたお品は、大日如来像のブロンズ彫刻。共箱などの付属品はございませんでしたが、六角堂の強化買取中の作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。晝間弘(昼間弘)は昭和に活躍した彫刻家。初期の頃は木彫を中心に制作活動を行っていましたが、塑像、ブロンズ像へと領域を広げていき、堅実な写実力で独自の造形力を追い求めました。北村西望に師事し、日展で受賞を重ねます。日展理事、常務理事に就任し、日展の重鎮として活躍しました。また、朝倉文夫・加藤顕清・本郷新らが中心となり結成された日本彫刻家連盟の後身である日本彫塑会の理事にも就任されております。お売りいただいたお品は弘法大師のブロンズ彫刻。高さ67センチの堂々たる造りの作品です。共箱あり、状態も良いです。他にも木彫りの観音菩薩や地蔵菩薩、大黒天、仏画などたくさんのお品をお売りいただきました。ご家族が大切にされていた仏像など、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名くださり、誠に有難うございました。

先崎栄伸(せんざきえいしん)1917(大正6)-1986(昭和61)
1917年 福島県に生まれる。
1931年 阿井瑞岑に師事。
1935年 18歳の若さで帝展に初入選。
1954年 仏教美術協会の設立にも携わる。
1976年 文部大臣賞受賞。
1985年 第一回彫玄会展を主催。
1986年 逝去。

晝間弘(ひるまひろし)1916(大正5)-1984(昭和59)
1916年 東京都で生まれる。
1939年 東京美術学校彫刻科木彫部を卒業。
1947年 東邦彫塑院展で特選。
1952年 日展審査員となる。
1958年 日展会員となる。
1962年 日展評議員となる。
1964年 日展で文部大臣賞を受賞。
1970年 日本芸術院賞を受賞。
1972年 日本彫塑会理事となる。
1976年 筑波大学教授となる。
1977年 日展理事となる。
1980年 日展常務理事、日本芸術院会員となる。
1984年 逝去。

東京都新宿区北新宿にて平野千里の木彫、伊藤國男のブロンズ、着物など。

  

東京都新宿区北新宿にて平野千里の木彫「七福神弁財天」、伊藤國男のブロンズ「馬」、着物や反物などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お人形など彫刻やお着物をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は平野千里の木彫「七福神弁財天」、伊藤國男のブロンズ「馬」、着物や反物など。平野千里は日本近代木彫界の巨匠「平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)」の彩色を担当していた彩色木彫の第一人者・「平野富山(ひらのふざん)」の次男として生まれる。20 歳でイタリアへ留学し、西洋彫刻の技術を学んだ後、帰国。帰国後は父、平野富山に極彩色の教えを受け、日本の伝統技術である極彩色技術を今に伝える唯一の彫刻家であります。お品は芸能の神様、七福神紅一点の女神の弁財天。気品あるお顔、平野千里の彩色の華麗さが漂う弁財天です。残念ながら底にシミが出てしまっておりましたが、当社で買取強化中の作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。伊藤國男のブロンズ像はまるで生きているかのような表情でとても精巧に造られております。さすが生涯全てを馬像制作に捧げたといわれる作家の作品でございます。当社で良く扱う作家作品ですが、こちらは幅約50cmと大振りの作品でなんとも迫力がございます。お着物は訪問着や帯など。証紙付きのものや作家物の着物が多く、高価査定で買取することが出来ました。お売りいただいたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。良い彫刻作品、お着物をお売りいただき有難うございました。

平野千里(ひらのせんり)
1948年 東京で彩色木彫の第一人者である父・平野富山の次男に生まれる
1966年 都立小石川高等学校卒業。ローマ・アカデミア美術学校彫刻科入学。ペリクレ・ファツィーニに師事する。
1972年 ローマ・アカデミア美術学校彫刻科卒業。
1988年 日本へ帰国し、父・富山に師事。
1989年 父・平野富山逝去。第21回日展初入選。
1990年 第20回日彫展入選。第22回日展入選。第86回大平洋展で大平洋美術会賞受賞。
1991年 大平洋美術会会友となる。第21回日彫展奨励賞受賞。第23回日展入選。
1992年 第22回日彫展奨励賞受賞。
1993年 第23回日彫展日彫賞受賞。大平洋美術会会員となる。
1996年 日彫会を退会し、彩色木彫に専念する。
1998年 平野富山、千里親子展開催。第94回大平洋展にて、文部大臣奨励賞と会員秀作賞受賞。
2001年 写真家西宮正明氏による写真集「極彩」出版。以後、全国百貨店にて毎年、個展を開催。

伊藤國男(いとうくにお)
1890年に岩手県生まれの彫刻家。10人兄弟で家計を助けるためにある彫刻家の内弟子となり、その頃に馬と関ったことがきっかけで馬像を彫るようになりました。騎兵学校や御料牧場を訪ねては馬像の制作に励み、やがてその作品は天皇陛下の元にも置かれるようになりました。モデルとなった馬たちが次々と戦争で命を落とすことに心を痛め、全財産を費やして戦没馬慰霊像を制作しました。生涯の全てを馬像制作に捧げたといわれている作家でございます。

埼玉県本庄市にて般若純一郎の座牛笛吹童子、宮竹一清の聖観音菩薩。

埼玉県本庄市にて般若純一郎の座牛笛吹童子、宮竹一清の聖観音菩薩立像をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は本庄市へリサイクル業者様のご紹介で出張買取させていただきました。お父様のご遺品整理とのことで、ブロンズ、仏像、掛軸などをお売りいただきました。ブロンズは般若純一郎の座牛笛吹童子。重量が10キロ近くある大振りのブロンズ像で、大変造りの良い作品でございます。共箱など付属品はありませんでしたが、ブロンズ彫刻作品は買取強化中ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。仏像は宮竹一清の木彫り「聖観音」。こちらは高さ45cm(光背・台座含む)、共箱あり。造りの良い聖観音菩薩立像であります。他にも日本画、仏画の掛け軸をお売りいただきました。お父様の大切にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。お忙しい中、お呼びいただき有難うございました。二件目は埼玉県富士見市へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらではお着物や茶托などをお売りいただきました。お着物はシミの出てしまっているものもございましたが、全て買い取らせていただきました。大切に次へと繋げさせていただきます。本日は六角堂をご指名くださり有難うございました。
本庄市の買取後、リサイクル業者の方に昼食へ連れてっていただきました。「川魚料理 ふじ井」という老舗の鰻屋さんで、うな重をいただきました。注文後に捌き、備長炭でじっくり丁寧に仕上げられた国産の鰻、とってもとっても美味しかったです。お客様をご紹介いただき、鰻までご馳走になってしまい、有難うございます。

般若純一郎(はんにゃじゅんいちろう)1931~1989
1931年富山県生まれ。
高岡工芸高校卒業後、米治一氏に師事し彫塑技術を習得。
1965年高岡市展市長賞高嶺賞。
その他、県展・市展10回入選、日展初入選(以後数回入選)

長野県松本市にて山田常山の茶器、中川浄益、大西清右衛門など茶道具。

 

長野県松本市にて山田常山の茶器、中川浄益、大西清右衛門、和田美之助など茶道具、着物、贈答品などをお売りいただきました。

長野県松本市へ、お蔵の整理でお呼びいただきました。お茶の先生をされていたお母様のお着物や茶道具などをご処分されたいとご連絡いただき、出張させていただきました。遠距離出張の為、前日より長野県松本市へと入らせていただきました。お客様が先に蔵からお家の方に並べていただいておりましたので、スムーズに査定することが出来ました。お着物はシミや汚れなどあるものもございましたが、全て買い取らせていただきました。茶道具は100点弱。たくさんのお道具がございました。三代 山田常山の茶器揃、中川浄益の淡々斎好 南鐐銀杏真鍮火箸、大西清右衛門極め名越浄味の釜環、和田美之助の万代屋釜、龍彫りの鉄瓶、釜師 壽兵衛造の喚鐘の他、茶碗、水差、棗、茶入、香合、蓋置、建水、風炉、花入、茶杓、皆具、菓子皿、煙草盆、茶棚、炉縁、茶掛け軸など、たくさんのお道具をお売りいただきました。多数ございましたが、一点一点丁寧に査定し全て買取させていただきました。お稽古用や箱のないお道具もございましたが、こちらも全て買い取らせていただきました。ご家族の大切にされていたお着物やお道具、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名いただき、誠に有難うございました。
画像は前日夜の松本城、松本駅、松本駅そばの「蕎麦居酒屋 蔵のむこう」さんでは信州そばや馬刺しなどをいただきました。お昼の松本城。大変素晴らしいお城でした。天気も良く、アルプスも見えました。ご飯が美味しく、景色が良い、松本市とても良かったです。

三代 山田常山(やまだじょうざん)1924年~2005年
愛知県常滑市に生まれる
昭和16年 愛知県立常滑工業学校窯業科卒業、在学中より祖父・初代 山田常山に師事
昭和21年 父・二代 山田常山に師事
昭和33年 第5回日本伝統工芸展初入選、ブリュッセル万国博覧会にてグランプリ受賞
昭和34年 第7回生活工芸展 第一席 朝日賞受賞
昭和36年 三代 山田常山襲名
昭和38年 財団法人 日本工芸会正会員(~現在)
昭和45年 日本万国博覧会出品
昭和48年 フランス 第3回ビエンナーレ国際陶芸展名誉最高大賞受賞/渡欧
昭和49年 日本陶芸巨匠大展 出品
昭和50年 常滑「手造り急須」の会 会長(~現在)
平成 2年 「心と技ー伝統工芸名品展」、北欧巡回展及び帰国展招待出品(東京国立近代美術館・朝日新聞主催)
平成 5年 平成5年度日本陶磁協会賞受賞
平成 6年 愛知県指定 無形文化財保持者認定「陶芸ロクロによる手造り朱泥急須技法」
平成8年 勲五等瑞宝章受賞
平成10年 常滑焼(急須)で国指定重要無形文化財保持者認定(人間国宝)、日本工芸会参与、東海テレビ文化賞受賞
平成16年 旭日小綬章受賞
平成17年 10月19日 永眠

中川浄益(なかがわじょうえき)
千家の流れを汲む茶の湯の道具を、代々にわたって制作する「千家十職」の一つ「金物師」。 中川家当主が代々襲名する名称である中川浄益。 もともとは越後国で、甲冑(かっちゅう)や鎧(よろい)などの武具を作っていたが、千家の依頼により茶道具を手掛け、薬鑵(やかん)を作ったのが家業のはじまりといわれている。 中川家は錺師(かざりし)とも言われ、金工の技を伝承してきた家でもある。 鋳物(いもの)や鎚物(うちもの)、彫金、象眼、七宝など、また用いられる金属素材も金、銀(南鐐)や銅を中心に青銅、真鍮(しんちゅう)、砂張(さはり)と豊富。その名跡は代々継承されており、現在は11代目が継いでおります。

大西清右衛門(おおにしせいえもん)
大西清右衛門は、千家十職の釜師。大西家は、室町時代後期から400年以上続く京釜師の家。四代目当主が清右衛門をなのり、六代目以降九代目をのぞき、代々の当主は清右衛門という名を継いだ。京都市中京区の三条釜座(かまんざ)に工房があり、「大西清右衛門美術館」も併設されている。現在は十六代清右衛門が当主。十五代の長男として京都に生まれ、大阪芸術大学美術学部彫金科卒業。父が隠居の後、1993年に十六代清右衛門を襲名した。

和田美之助(わだみのすけ)
江戸時代から続く釣鐘鋳造師でその当主が代々受け継ぐ名前です。
初代は京都三条釜座に居を構え、座衆取締役として活躍し、釜や釣鐘を鋳造して天下一釜師の号を拝受されました。
10代の時に茶釜の制作を行うようになり、12代は炉釜・風炉釜・風炉・花入・燗鍋・火箸・釜環・五徳など斬新な作品を手掛け、現在は13代が当主となっています。

埼玉県和光市にてカシニョール、岩橋英遠のリトグラフ、菱屋善兵衛の袋帯

埼玉県和光市にてカシニョール、岩橋英遠のリトグラフ、菱屋善兵衛の袋帯、着物をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は埼玉県川越市へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、置物や中国の工芸品、掛軸など。掛け軸は仏画一点。当社で買取を強化中のお品ですので、高めに査定させていただきお売りいただきました。お忙しい中、お呼びいただき有難うございました。二件目は和光市へお引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、絵画やお着物など。絵画はカシニョールや岩橋英遠のリトグラフ。ジャン・ピエール・カシニョールは、現代フランス画壇を代表する⼈気作家の⼀⼈。シャルパンティエ・アカデミー、パリ美術学校で学び、日本、フランス、アメリカを中心に多くの展覧会を手がけ精力的な活動をつづけています。 アンニュイで優雅な雰囲気は世界中で愛されております。岩橋英遠は北海道生まれの日本画家。洋画の手法も取り入れつつ、独自の自然観照による写実的でありながら幻想的でもある印象のある絵画世界を創造し続け、享年まで日本画壇の重鎮として活躍されました。お着物は西陣織の老舗、菱屋善兵衛の袋帯二点、訪問着や留袖など。「菱屋善兵衛」を屋号とする木野織物は、創業200年を超える老舗。創業当時から存在する蔵に所蔵されていた古代裂地を復刻した袋帯を中心に、図案、配色、織物組織から素材まで全てにおいて吟味を重ね、訪問着、小紋、また紬などの洒落物用まで、現代のニーズに合わせた締め心地の良い帯を創作されております。一点は未着用、もう一点も一度締めたのみの美品でした。当社買取強化中の作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。お喜びいただけて良かったです。お忙しい中、六角堂をご指名いただき、誠に有難うございました。

ジャン・ピエール・カシニョール 1935年~
1935年 フランス・パリに⽣まれる
1952年 パリで初の個展を開催
1954年 シャルパンティエ・アカデミー校(フランスの美術専⾨学校)に⼊学
1959年 「サロン・ドートンヌ」の会員に推挙される
1967年 初めてのリトグラフ(石版画)作品を作成する
1970年 東京で⼤規模な個展を開催たことをきっかけに初来⽇
1990年 ⼤阪で⾏われた「国際花と緑の博覧会」の公式ポスターを制作

岩橋英遠(いわはしえいえん)
1903 北海道滝川市で生まれる。
1924 上京、日本画家山内多門に師事
1934 院展に初入選(’50、’51美術院賞)
1953 日本美術院同人
1953 芸術選奨文部大臣賞
1968 東京芸術大学教授(’70まで)
1970 道庁からの依頼により開拓記録画、「阿寒湖畔の松浦武四郎」を制作
1972 日本芸術院賞
1981 日本芸術院会員
1989 文化功労者
1994 文化勲章
1999 7月12日 神奈川県相模原市にて逝去。享年96。