埼玉県桶川市にて、桐箪笥、お茶道具、京都の塗師鈴木表朔の一閑塗若狭盆(裏千家14代 淡々斎書付)などをお売りいただきました。
遺品整理にて、裏千家茶道をされていたお客様よりお茶道具などをお譲りいただきました。他にも、棗や香合など淡々斎の書付があるものが有り、素晴らしいお道具がございました。当社で責任を持って次へと大事に繋げていきます。この度は当社をご指名くださり有難うございました。出張帰りに、埼玉県ふじみ野市にある「ステーキ 宮」さんへと伺いました。ご飯を抜いてお肉のみ食べるダイエットが効く聞きましたので、さっそくチャレンジ。しかしながら、わたしはやはり白米が大好きです。明日にはきっと普通にいただいているのでしょう・・・。
六角堂では、お茶道具に関して幅広く取り扱っており、茶道具専門スタッフか、直接お見積もりに伺います。ご不要になりましたお茶道具がございましたら、六角堂までお問い合わせください。東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。是非ご利用ください。
鈴木表朔(すずきひょうさく)
表派塗師の系統である京都の代表的な塗り師、鈴木表朔。初代、二代、三代と続くその家系では、それぞれの個性が色濃く現れた、京都らしい上品でオリジナリティ溢れる作品が特徴です。表派の初代ともいわれいている木村表斎は、1817年に生まれ、それ以降、朱塗、真塗などの技を駆使し京都の塗りの伝統を守り続けて行きます。
初代 鈴木表朔 1874(明治7)年~1943(昭和18)年
鈴木表朔は滋賀県安曇川町に生まれました。
旧姓を井上、本名を捨吉といいます。
蒔絵師・鈴木長真の婿養子となって鈴木表朔を名乗りますが、
後に2代木村表斎に師事しました。
1904(明治37)年、新古美術品展四等賞を受賞しました。
1909(明治42)年、伊勢神宮の神宝の塗りを担当しました。
1913(大正2)年、京都御所の御大典高御座、御帳台、万才旙等の塗りを担当しました。
1916(大正5)年、内務省御用となりました。
1919(大正8)年、佳都美会会員となりました。
1923(大正12)年、伊勢大神宮の神宝の塗りを担当しました。
1924(大正13)年、京都美術工芸会会員となりました。
2代 鈴木表朔 1905(明治38)年~1991(平成3)年
2代鈴木表朔は初代鈴木表朔の子として京都に生まれました。
本名を貞次、俳号を貞路といいます。
1937(昭和12)年、パリ万国博覧会で銀賞を受賞しました。
3代 鈴木表朔 1932(昭和7)年生
3代鈴木表朔は京都に生まれました。
本名を雅也といいます。
1972(昭和47)年、日本現代工芸賞を受賞しました。
1973(昭和48)年、日展で特選を受賞しました。
1977(昭和52)年、箱根彫刻の森美術館賞を受賞しました。
1988(昭和63)年、京都府京都文化博物館の歴史展示室各室の造形演出作品の企画・制作。
1993(平成5)年、内閣総理大臣賞を受賞しました。
裏千家14代 淡々斎宗室 1893(明治26)年~1964(昭和39)年
裏千家14代淡々斎宗室は裏千家13代圓能斎宗室の長男として生まれました。
幼名を政之輔、名を永世・宗叔・宗室、
号を玄句軒・玄句斎・淡々斎・碩叟・梅糸庵・無限斎、画号を玄石といいます。
大徳寺488世全提要宗より「無限斎」、九条家より「淡々斎」の号を授かりました。
1923(大正12)年、裏千家14代家元を襲名しました。
門下の養成ばかりでなく、各宮殿下や神社仏閣への献茶奉仕も積極的に行いました。
学校教育への茶道導入を働きかけた結果、学校での活動の大半は裏千家となります。
時には海外にまでその教化を計り、茶道普及に奔走した功績は多大です。
社団法人茶道裏千家淡交会や財団法人今日庵を設立し、
現代における茶道普及・伝統保持という組織機構の基礎を築き上げました。
桐蔭席、甘雨亭、玉秀庵等の名席も残しています。
紺綬褒章、紫綬褒章、勲三等旭日中綬章を受章しました。
一行物を始めとする遺墨や各種の著述にも大いにその才を発揮しました。