月別アーカイブ: 2017年10月

東京都世田谷区成城にて、お茶道具、唐木煎茶盆、古墨、古伊万里や染付の陶磁器など。

東京都世田谷区成城にて、茶道具、鉄瓶、唐木煎茶盆、古墨、古伊万里や染付の陶磁器などをお売りいただきました。

先日お呼びいただいたお客様より、茶道具や古伊万里などが出てきたとのことでご連絡いただき、再度お伺いさせていただきました。
出張の準備で画像など詳細は出張から帰宅後に更新させていただこうと思います。
また近日、刀剣の買い取りでお呼びいただけるとの事、楽しみにお待ちしております。
帰宅時に、入間郡三芳町にある雷豚ラーメンさんへと寄りました。本日はハロウィンのようで、店内がハロウィンの飾りつけをしてました。渋谷などの街では、にぎやかにハロウィンを楽しんでいるのでしょうね。息子も、近所をずいぶんと回ったようで、たくさんお菓子を持って帰ってきておりました。
皆様、HAPPY HALLOWEEN!!

これから京都府へと出張してまいります。お茶道具や骨董品の勉強を兼ねていってきますので、一回り成長して戻ってきます。出張買取は、11月4日より再開させていただきます。京都出張中もご予約は随時承っておりますので、何かございましたらお電話またはお問い合わせ欄からメールにてご連絡ください。

埼玉県日高市、入間市へ出張見積もりへ行ってまいりました。

埼玉県日高市、入間市へ出張見積もりしてまいりました。本日は見積もりのみ、二件回ってまいりました。日高市では、桐箪笥、お着物、入間市では時代和家具、お茶道具、書道具の見積もりでした。お引越しが決まり次第、お呼びいただけるとの事、楽しみにお待ちしてます。仕事帰りに、入間市にあるコストコさんへ寄りました。さすがアメリカの企業、量がどれも半端ないです。家族にティラミスとパンを買って帰りましたが、果たして全て食べきれるのか・・・という量です。実家におすそ分けすることにします。店内のフードコートでホットドッグ、ピザなどをいただきましたが、こちらも量が多いです。安かったので、ついつい頼み過ぎてしまいました。玉ねぎ好きのわたしには、入れ放題なのが嬉しかったです。また来たいと思います。
本日は、先日栃木県足利市で買い取った尾形乾山作 色絵定家詠十二ヶ月花鳥和歌色紙皿をご紹介したいと思います。尾形乾山は兄・尾形光琳と共に琳派の発展に大きな影響を与えた一人。京焼の名工、野々村仁清から陶芸を学ぶ。その作風は自由闊達な絵付や洗礼された中にある素朴な味わいが特徴で、多くの作品が重要文化財に指定される。芸術的香気があり、格調高く秀でたものでありました。こちらの色絵皿十二枚は、表面に藤原定家が詠んだ和歌 ― 詠花鳥倭歌各十二首 ― に因んだ花鳥の絵が描かれ、裏面に各月ごとの花鳥に因む倭歌二首づつが書かれています。表面の花鳥図の絵付けは狩野派が得意とした仁清窯と同様に狩野派絵師との合作が考えられる作品です。季節の雰囲気をよく捉えた各月の絵は、下地の温雅な色調に鉄絵具の褐色が効果的に使われており、乾山焼の中でも逸品といえます。

尾形乾山(おがたけんざん)
寛文3年(1663年)〜寛保3年(1743年7月22日) 81才没。
京都の呉服商「雁金屋」の当主 尾形宗謙の三男として生まれる。尾形光琳は兄。
野々村仁清に陶芸を学び、元禄12年(1699)、37歳のとき京都市の鳴滝に開窯する。
その場所が都の北西(乾)の方角あたることから、「乾山」と号した。
正徳2年(1712)、二条丁子屋町に移住して多くの作品を手がけ「乾山焼」として世にもてはやされた。
享保12年(1731)江戸入谷に移住。
寛保3年(1743)逝去。81歳。
鳴滝時代末期から丁子屋町時代にかけて、兄の光琳は絵付で乾山を助け、兄弟合作の作品が数多く残されている。
陶芸作品においては成形、施釉、焼成は他の専門的な陶工に任せ、絵付についても光琳との合作以外に複数の専門画家が携わっていたと思われど、
基本的には工房生産態勢をとっていたと思われる。
乾山の作品は、陶芸作品のみならず書や絵画においても、俗気を脱したおおらかで文人的な洒脱味がある。
代表作は、
花籠図(福岡市美術館、重要文化財)
金銀藍絵松樹文蓋物(出光美術館、重要文化財)
銹藍金絵絵替皿(根津美術館、重要文化財)

東京都練馬区南大泉にて、長火鉢、南部岩鋳堂清茂初代小川三郎作 唐銅蓋岩肌鉄瓶など。

 

東京都練馬区南大泉にて、長火鉢、南部岩鋳堂清茂初代小川三郎作 唐銅蓋岩肌鉄瓶などお売りいただきました。

本日は、一件のみの買い取り。練馬区で解体前のお片付け整理。雨の中での作業でしたが、すぐに見積りが出来るよう、一か所にまとめていてくれましたので、早々に作業が出来ました。鉄瓶などの買い取りでお呼びいただきましたが、捨てようとされていた長火鉢も併せて買い受けさせていただきました。価格は落ちてきてますが、まだまだ長火鉢の需要もございます。お忙しい中、お呼びくださり有難うございました。本日は台風の為、午前中のみの仕事でした。お昼には帰宅し、久々に家族孝行をしました。埼玉県富士見市にあるららぽーとへ家族で行き,ブラブラと買い物をして、昼食をいただきました。画像のお蕎麦をいただき、本日もご飯はカット。昨日に引き続きダイエットです。大好きな白米を二日間断食。甘える息子が可愛く、息子の大好きなアンパンマンをUFOキャッチャーでたくさんゲットしました!家族と過ごす時間はいいものです。

六角堂では、鉄瓶、急須、銀瓶、金瓶を強化買取りしております。強化買取中の鉄瓶は、以下となります。
龍文堂、亀文堂、金龍堂、金寿堂、祥雲堂、瑞雲堂、雲色堂、光玉堂、蔵六造、大国造、日本梅泉造、秦蔵六、畠春斎、 般若勘渓、石黒光南、角谷一圭、角谷興斎、鈴木盛久、長野垤志、中川浄益、名越弥五郎、宮崎寒雄、小泉仁左衛門、佐藤清光、菊池政光

埼玉県桶川市にて、桐箪笥、京都の塗師鈴木表朔の一閑塗若狭盆(裏千家14代 淡々斎書付)など。

   

埼玉県桶川市にて、桐箪笥、お茶道具、京都の塗師鈴木表朔の一閑塗若狭盆(裏千家14代 淡々斎書付)などをお売りいただきました。

遺品整理にて、裏千家茶道をされていたお客様よりお茶道具などをお譲りいただきました。他にも、棗や香合など淡々斎の書付があるものが有り、素晴らしいお道具がございました。当社で責任を持って次へと大事に繋げていきます。この度は当社をご指名くださり有難うございました。出張帰りに、埼玉県ふじみ野市にある「ステーキ 宮」さんへと伺いました。ご飯を抜いてお肉のみ食べるダイエットが効く聞きましたので、さっそくチャレンジ。しかしながら、わたしはやはり白米が大好きです。明日にはきっと普通にいただいているのでしょう・・・。
六角堂では、お茶道具に関して幅広く取り扱っており、茶道具専門スタッフか、直接お見積もりに伺います。ご不要になりましたお茶道具がございましたら、六角堂までお問い合わせください。東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。是非ご利用ください。

鈴木表朔(すずきひょうさく)
表派塗師の系統である京都の代表的な塗り師、鈴木表朔。初代、二代、三代と続くその家系では、それぞれの個性が色濃く現れた、京都らしい上品でオリジナリティ溢れる作品が特徴です。表派の初代ともいわれいている木村表斎は、1817年に生まれ、それ以降、朱塗、真塗などの技を駆使し京都の塗りの伝統を守り続けて行きます。
初代 鈴木表朔 1874(明治7)年~1943(昭和18)年
鈴木表朔は滋賀県安曇川町に生まれました。
旧姓を井上、本名を捨吉といいます。
蒔絵師・鈴木長真の婿養子となって鈴木表朔を名乗りますが、
後に2代木村表斎に師事しました。
1904(明治37)年、新古美術品展四等賞を受賞しました。
1909(明治42)年、伊勢神宮の神宝の塗りを担当しました。
1913(大正2)年、京都御所の御大典高御座、御帳台、万才旙等の塗りを担当しました。
1916(大正5)年、内務省御用となりました。
1919(大正8)年、佳都美会会員となりました。
1923(大正12)年、伊勢大神宮の神宝の塗りを担当しました。
1924(大正13)年、京都美術工芸会会員となりました。
2代 鈴木表朔 1905(明治38)年~1991(平成3)年
2代鈴木表朔は初代鈴木表朔の子として京都に生まれました。
本名を貞次、俳号を貞路といいます。
1937(昭和12)年、パリ万国博覧会で銀賞を受賞しました。
3代 鈴木表朔 1932(昭和7)年生
3代鈴木表朔は京都に生まれました。
本名を雅也といいます。
1972(昭和47)年、日本現代工芸賞を受賞しました。
1973(昭和48)年、日展で特選を受賞しました。
1977(昭和52)年、箱根彫刻の森美術館賞を受賞しました。
1988(昭和63)年、京都府京都文化博物館の歴史展示室各室の造形演出作品の企画・制作。
1993(平成5)年、内閣総理大臣賞を受賞しました。

裏千家14代 淡々斎宗室 1893(明治26)年~1964(昭和39)年
裏千家14代淡々斎宗室は裏千家13代圓能斎宗室の長男として生まれました。
幼名を政之輔、名を永世・宗叔・宗室、
号を玄句軒・玄句斎・淡々斎・碩叟・梅糸庵・無限斎、画号を玄石といいます。
大徳寺488世全提要宗より「無限斎」、九条家より「淡々斎」の号を授かりました。
1923(大正12)年、裏千家14代家元を襲名しました。
門下の養成ばかりでなく、各宮殿下や神社仏閣への献茶奉仕も積極的に行いました。
学校教育への茶道導入を働きかけた結果、学校での活動の大半は裏千家となります。
時には海外にまでその教化を計り、茶道普及に奔走した功績は多大です。
社団法人茶道裏千家淡交会や財団法人今日庵を設立し、
現代における茶道普及・伝統保持という組織機構の基礎を築き上げました。
桐蔭席、甘雨亭、玉秀庵等の名席も残しています。
紺綬褒章、紫綬褒章、勲三等旭日中綬章を受章しました。
一行物を始めとする遺墨や各種の著述にも大いにその才を発揮しました。

東京都荒川区西尾久にて、桐たんす、座卓、煙管、ガンダーラ仏の仏頭をお売りいただきました。

東京都荒川区西尾久にて、桐たんす、座卓、煙管、ガンダーラ仏の仏頭をお売りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。家具をはじめ、お爺様の思い出のお品などをまとめて買取させていただきました。お忙しい中、お時間を合わせていただいたりお気遣いくださり有難うございました。本日は一件のみの買い取りでしたので、午後は倉庫整理をしてきました。台風が近づいてきておりますので、倉庫周りを念入りに片付けてきました。仕事帰り、仲間たちとスシローさんへと行き、大好物の茶碗蒸し、お寿司、デザートをいただきお腹いっぱいになりました。
ガンダーラは現在のアフガニスタンの北部にあり、古代の交通の要衝にあたります。紀元前四世紀のアレキサンダー大王の東方遠征以来、ギリシア文化やインド文化など、東西文明の交流がさかんな土地となりました。もともと仏教徒は偶像崇拝をせず、仏像を作らなかったのですが、ガンダーラにて神像を作るギリシア人に影響を受け、歴史上初めて仏像が作られたといわれています。そのため、ガンダーラの仏像はミロのヴィーナスを代表とする西洋彫刻的な、顔の彫りが深く、髪型もギリシア風の巻き毛などの姿をしているものが一般的です。こちらは小振りのサイズですが、ガンダーラ仏は美術品としての価値も高く、同じものは二つとありません。貴重なものをお売りいただきありがとうございました。
六角堂では、仏教美術、密教美術を探しております。
チベット仏、金銅仏、鍍金仏、銅仏像、古銅仏像、鋳銅仏像、石仏像、木彫仏像、珊瑚仏像、白磁仏像、香木仏像、乾漆仏像、象嵌仏像、インド密教仏、ガンダーラ石仏、アカンサス装飾、スコッタ ストッコ像(ストゥッコ像)、テラコッタ像、仏頭、タンカ、マンダラ、仏画、中国仏画、チベット仏画、高麗仏画、朝鮮仏画、仏教彫刻、宝塔彫刻、仏舎利(ぶっしゃり)彫刻、舎利塔(しゃりとう)彫刻、多宝塔(たほうとう)彫刻、仏具、厨子、線香、香木、数珠、如意(にょい)、金剛杵(こんごうしょ)、釣鐘、香炉、宝珠、経典、経巻、経箱、石彫レリーフ、愛染明王、阿弥陀如来、韋駄天、観音菩薩、地蔵菩薩、釈迦三尊象、釈迦如来、十一面千手観音、十二神将、千手観音、大黒天、毘沙門天、不動明王、弥勒菩薩、薬師如来などがございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。仏教美術、密教美術に詳しい鑑定士が、見積もりにお伺いします。

東京都品川区東大井にて、鈴木信太郎の油彩画「初冬」をお売りいただきました。

東京都品川区東大井にて、鈴木信太郎の油彩画「初冬」をお売りいただきました。

お引越し前の片付け整理にてお呼びいただきました。古家具の他、絵画を処分されたいとの事でお伺いさせていただきました。作品に痛みなどございましたが、当社の強化買取り作家ですのでお客様にご満足いただける査定額にて買い受けました。お忙しい中、当社のご指名有難うございました。
六角堂では「鈴木信太郎」の作品を探しております。
ご所蔵の作品(版画、肉筆が、着物も高額買受致します。)がございましたら、
無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取させていただきます。
鈴木信太郎作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!
六角堂では、日本人画家作品の買い取りを強化しております。強化作家は以下となります。
藤田嗣治 荻須高徳 中山忠彦 伊藤清永 梅原龍三郎 織田廣喜 香月泰男 絹谷幸二 小磯良平 児玉幸雄 佐伯祐三 中川一政 小松崎邦雄 野間仁根 長谷川潔 林武 三岸節子 宮永岳彦 森本草介 藤井勉 福井良之助 浜口陽三 高塚省吾 斎藤真一  森田茂 西村龍介 田崎広助 東郷青児 熊谷守一 北川民次 元永定正 青山義雄 岸田劉生 糸園和三郎 小林和作 三岸好太郎 原精一 平野遼 斎藤義重 山口長男 オノサト・トシノブ 難波田龍起 曽宮一念 国吉康雄 寺内萬治郎 牛島憲之 萬鉄五郎 小絲源太郎 彼末宏 安井曽太郎 坂本繁二郎 岡田三郎助 高橋由一 前田寛治 黒田清輝 村山槐多 児島善三郎 岡鹿之助 藤島武二 須田国太郎 山口薫 鴨居玲 鳥海青児 麻生三郎 青木敏郎 青山熊治 赤松麟作 朝井閑右衛門 池田満寿夫 石井柏亭 石川滋彦 大久保作次郎  大沼映夫 大矢英雄 岡田謙三 刑部人 金山平三 金子国義 鹿子木孟郎 川村清雄 河原温 木田金次郎 木村荘八 黒田重太郎 小出楢重 古賀春江  小山敬三 斎藤三郎 里見勝蔵 清水登之 鈴木信太郎 須田剋太 清宮質文 高畠達四郎 田村能里子 智内兄助 椿貞雄 鶴岡政男 鶴岡義雄 中村清治 中村彝 山本彪一 鍋井克之 野口謙蔵 野田弘志 長谷川利行 浜田知明 福岡通男 福沢一郎 牧野邦夫 宮本三郎 向井潤吉 森万里子 山下新太郎 山下大五郎 浮田克躬 吉原治良 脇田和 和田英作 靉光 青木繁 猪熊弦一郎 奥谷博 鬼頭鍋三郎 児島虎次郎 杉本博司 野口彌太郎 森芳雄 草間彌生 岡本太郎 吉井淳二 大藪雅孝 浅野弥衛 高田誠 相原求一朗 木原和敏 堂本尚郎 中村一美 高松次郎 田中敦子 五木田智央 村上肥出夫
絵画をお見積りの際には、詳しい鑑定士が査定させていただきます。

鈴木信太郎(すずきしんたろう)洋画家 1895(明治28)~1989(平成元)
明治43年、白馬会溜池研究所で黒田清輝に師事。大正5年の文展に初入選。大正11年には二科展にも入選し、石井柏亭に師事しながら以後出品を続ける。戦後は二科会の再建に参加するも、昭和30年に退会、野間仁根らとともに一陽会を結成する。明るい色彩と簡潔で自由な筆致で風景画を得意とした。
1895年 東京都八王子に生まれる。
1910年 白馬会研究所で黒田清輝に師事。織物図案の仕事に従事。
1916年 文展に入選する。
1922年 二科展に入選する。石井柏亭に師事。
1926年 二科展で樗牛賞受賞。
1936年 二科会会員となる。
1955年 野間仁根らと一陽会を結成。
1960年 日本芸術院賞受賞。
1969年 日本芸術院会員となる。
1989年 死去。

栃木県足利市にて、陶磁器、仏像、ブロンズ像、線香、絵画、壁掛など。

 

栃木県足利市にて、陶磁器や絵画、総白檀彫聖観音像、北村西望のブロンズ像「天女の笛」、大道寺光弘のブロンズ像「藍色の風」、国産や中国線香、徳斎の立体古民家壁掛け、ビリケンのブロンズ置物など、多数お売りいただきました。

お家の建て替え前のお片付け整理でお呼びいただきました。本日は栃木県足利市への長距離出張、関越道、北関東道で向かいました。雨の中での作業となりましたが、お客様が駐車スペースを用意してくださりましたので、スムーズに作業を進めることが出来ました。お爺様が生前、絵画、仏像、彫刻、陶磁器などの骨董品を集めるのがお好きだったとの事で、数多くのお品をお売りいただきました。北村西望や大道寺光弘のブロンズ像、白檀の一刀彫の聖観音像などを買い受けました。聖観音の白毫(びゃくごう)には、ダイヤモンドが付いており、大変珍しいものでした。白毫とは、仏像の額の箇所にある点のことで、こちらは巻き毛を表したもので仏の知恵を示し、光を放って人々を救われたようです。白毫があるのは、釈迦や観音の如来、菩薩像のみで、四天王や不動明王などの天部、明王像にはついておりません。また、木材には、香木である白檀が使われております。状態も良く、共箱、鑑定書も付いておりました。大仏師である、松本明慶の大日如来像の共箱もございましたが、こちらは肝心の仏像が見当たらなかったので、また次回見つかり次第お売りいただくこととなりました。線香は、日本のものの他、中国で購入されたものなどがあり、竜涎香の線香など面白いものもございました。古民家を立体的に彫った徳斎作の壁掛けなども買い受けさせていただきました。壺、花器、茶碗、香炉、大皿などの陶磁器も、多数お売りいただきました。たくさんのお道具をお売りいただき有難うございました。お爺様の集められていた思い出の品々、大切に次へと繋げさせていただきます。お家が広く、お品も多かったので、だいぶ時間が掛かってしまいましたが、最後までお付き合い下さり有難うございました。また、途中お茶をいただいたり、お気遣いありがとうございました。帰りに近場でお勧めの食事処をお聞きしましたが、水曜日は定休日との事で残念。北関東道のPAへ寄るもこちらはコンビニしかなく、関越道上里SAで食事をしました。足利市へ向かうときの食事も、上里SAでした。行きは姫豚ミックス丼、帰りは溶岩焼ロース・バラ丼でどちらも豚丼。残念ながら栃木の地元料理は食べれませんでしたが、どちらの豚丼もとても美味しかったです。また次回お呼びいただいた時には、足利市、または栃木県の地元料理をいただきたいと思います。

北村西望(きたむらせいぼう)1884(明治17) – 1987(昭和62)
京都工芸学校、東京美術学校を卒業。1915年初期代表作『怒濤』で文展2等賞を受賞。
1955年、5年がかりで長崎『平和祈念像』を完成させたことで知られている。
1958年文化勲章、文化功労者顕彰。1969年紺綬褒賞、日展会長就任。

大道寺光弘(だいどうじみつひろ)北海道出身の彫刻家
1985年に単身アメリカニューヨークへ渡り、独学で彫刻を学び、1987年にインターナショナル・アート・コンペティションのゴールドメダルを受賞したアメリカで認められた実力派。現在はニューヨークと富山県高岡市のアトリエを拠点に活動を続けています。
インターナショナル・アート・コンペティションは新進芸術家の登竜門として美術界に威光を放つもので、歴代受賞者はいずれも世界をまたにかけて活躍を見せております。
大道寺光弘の作品に流れる清らかな透明感、ひときわ優れたしなやかな技量、そして何より慈しみ深い優しい視点が絶大な人気を博し、「Daidoji」の名でアメリカをはじめ海外でも広く知れ渡っており、多くの企業が作品の買い上げを行っております。

埼玉県所沢市にて、如斎作花筏蒔絵中棗、堆朱の香合、竹根香合など茶道具。

   

埼玉県所沢市にて、如斎作花筏蒔絵中棗、堆朱の香合、竹根香合などのお茶道具をお売りいただきました。

不動産業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理にてお呼びいただきました。いつも素敵なお客様をご紹介くださり、有難うございます。本日は、お茶道具を処分されたいとの事でお伺いしました。茶碗は共箱のないものが多かったのですが、蓮月茶碗や楽茶碗など良いものが多かったのでしたので、全て買い受けさせていただきました。茶掛け軸も数本お売りいただきました。お忙しい中、六角堂をご指名くださり有難うございました。出張帰りに、同業の仲間達と一緒に三芳町にある、「台湾料理 香琳坊」さんへと寄りました。こちらのお店は、安くて美味しい、量もたっぷりと大食いのわたしにはもってこいのお店です。なんと画像の定食セットで700円程度です。わたしにはなんともありがたいお店です!明日は、栃木県への出張買取。これから食べログをチェックして寝ます。
六角堂では、茶碗、水差 、棗、茶入、香合、風呂、釜、花入、茶杓、菓子皿、銀瓶、鉄瓶、 茶棚、炉縁などのお茶道具を強化買取しております。裏千家、表千家、武者小路千家、裏千家久田家、表千家堀内家、藪内家、遠州流、宗偏流、松尾流、江戸千家、大日本茶道学会などのお道具、作家物からお稽古用まで、お茶道具に関して幅広く取り扱っております。お茶道具の専門スタッフか、お見積もりに伺います。ご不要になりましたお茶道具がございましたら、六角堂までお問い合わせください。
お茶道具の強化買取作家は以下となります。
千家十職 大西清右衛門、駒沢利斎、土田友湖、黒田正玄、永楽善五郎、中川浄益、楽吉左衛門、中村宗哲、奥村吉兵衛、飛来一閑
陶芸 朝日豊斎、上田直方、 大樋長左衛門、 小川長楽、大野鈍阿、亀井楽山、久世久宝、坂倉新兵衛、坂田泥華、清水六兵衛、須田青華、杉田祥平、杉本貞光、膳所焼陽炎園、田原陶兵衛、高取静山、高取八仙、高橋道八、長岡空権、中村翠嵐、西村徳泉、三浦竹軒、三浦竹泉、宮川香斎、清風与平
金工 角谷興斎、角谷一圭、角谷莎村、金谷五良三郎、木村清五郎、菊地政光、 佐藤浄清、高橋敬典、 高木治良兵衛、長野烈、根来実三、根来茂昌、畠春斎、明珍
漆芸 一后一兆、川端近左、川瀬表完、前畑雅峰、道場宗廣、村瀬治兵衛、渡辺喜三郎
作家の無い、時代お道具なども探しております。お茶道具を売却される際には、六角堂までお問い合わせください!

埼玉県川口市にて、長火鉢、鉄瓶、静和堂金谷五良三郎造純銀細口煙管、純銀製の火箸など。

 

埼玉県川口市にて、長火鉢、鉄瓶、静和堂金谷五良三郎造純銀細口煙管、純銀製の火箸などの銀製品をお売りいただきました。

解体前のお片付け整理にてお呼びいただきました。古家具や煙草盆、煙管、銀製品など、古き良き時代のお品を多数お売りいただきました。当社が買い取らなければ捨てられてしまっていたお道具達、次に繋げられることにお喜びいただきました。良いお品に出会え、良い仕事が出来て、良い一日でした。お忙しい中、当社をご指名くださり有難うございました。良い仕事をした後は、我等が埼玉県民のソウルフード、山田うどんへと寄りました。天玉うどんにコロッケ、この組み合わせをいただくのがわたしの至福の時です。

六角堂では、金工作家の作品を探しております。
飴谷有珉、石黒光南、初代魚住為楽、内島青鳳、海野盛寿(凌雲斎)、海野勝珉、二代海野美盛、海野清、圓鍔勝三、大澤光民、大島如雲、大森雪峰英友、奥山峰石、香川勝広、鹿島一谷、鹿島秀広、桂盛仁、加藤忠三郎(紫金堂)、香取秀真、香取正彦、門脇喜平、金森映井智、金谷五郎三郎、加納夏雄、鴨下春明、菊池政光、北原千鹿、北村静香、黒川栄勝、黒瀬宗康、高玉斎一久、小林親光、駒井音次郎、齋藤明、佐々木象堂、澤田宗味、正阿弥勝義、須賀松園、須賀月真、関谷四郎、紹美栄祐、鈴木長翁、鈴木盛久、高村豊周、田口壽恒、玉川宣夫、帖佐美行、塚田秀鏡、豊田勝秋、内藤四郎、中川衛、中杉与七、二橋衡、根来実三、野上龍起、羽原秋芳、本間琢斎、蓮田修吾郎、増田三男、丸谷瑞堂、三好三治、村田整珉、米光光正、和田美之助、山田宗美
茶の湯釜 茶道具
角谷一圭、角谷沙村、角谷与斎、宮崎寒雉、吉羽與兵衛、高橋敬典、大西清右衛門、中川浄益、金森浄栄、一之瀬宗辰、秦蔵六、長野垤志、西村道仁、西村道也、金谷五郎三郎、金谷浄雲、門脇喜平、畠春斎、和田美之助、般若勘渓、佐藤清光、菊池政光、菊池正直
などのお品がございましたら、六角堂までお問い合わせください。豊富な知識と鑑定経験をもつスタッフが、一つ一つ丁寧に最大限の正当評価をさせていただきます。

金屋五郎三郎(かなやごろさぶろう)
金谷五良三郎は京都を代表する錺鋳物師です。
初代金屋五郎三郎は屋号を「金屋」と称して銅器着色法を工夫し、緋銅色は特に称賛を博して「五良三色」と謳われるようになりました。
豊臣秀吉に命ぜられて茶道用火鉢を「五良三郎色」で造ったところ、大いに賞美を受けて比類ない誉を得ました。以後、家伝の秘術として歴代相伝に受け継がれていきます。
8代金屋五良三郎は尾州徳川公の御用達となって寵遇を受け、「五良三」と言えば銅器の別称とさえなりました。9代金谷五良三郎は歴代中の名匠で斯業振興に尽力しました。
内外博覧会で多くの賞牌を受け、この代に故あって「金屋」を「金谷」と改めました。
11代金谷五良三郎は「金谷五良三郎」の商標登録を受けました。
当代は15代が受け継いでおります。

東京都板橋区大和町にて、和たんす、水屋箪笥、平安揚光堂造 東西大家作画 結文菓子盆など。

東京都板橋区大和町にて、和たんす、水屋箪笥、平安三上揚光堂造 東西大家作画 結文菓子盆などお売りいただきました。

解体前のお片付け整理にてお呼びいただきました。こちらは、平安三上揚光堂造の東西大家作画、結文菓子盆5枚(竹内栖鳳、横山大観、上村松園、川合玉堂、小室翠雲など銘々盆)になります。東西の大家作画の蒔絵が黒肌に映え、上品で素晴らしい作品です。お忙しい中、当社のご指名、良いお品をお譲りいただきありがとうございました。
仕事を終え帰宅すると、長男が図書館から柔道の本をレンタルしておりました。柔道を習いたいのか?と聞くと、父ちゃんを一本背負いでぶん投げたいと・・・。慌てていつも行く焼肉屋さんにお肉を食べに行きました。まだまだ子供にやられてはならないと、わたしはお肉をたくさんいただき、息子には野菜をたくさん食べさせました。野菜をたくさん食べると強くなるぞと子供に言い聞かせて・・・。しばらくの間、家具など重たいものはわたしが運ぶようにして、体を鍛えたいと思います!!

六角堂では蒔絵などの漆芸作品の買取りに力を入れています。ご自宅にお持ちの蒔絵・漆芸作品について、売却をお考えの際はお気軽にご相談ください。豊富な知識と鑑定経験をもつスタッフが、一つ一つ丁寧に最大限の正当評価をさせていただきます。衝立や座卓、書棚、飾り棚などの蒔絵家具や印籠・棗・硯箱・手箱などのほか、椀・皿・お盆・屠蘇器・重箱など日用品にも価値のあるものが多くあります。蒔絵・漆芸作品に詳しいスタッフが一点一点丁寧に査定させていただきます。
以下が強化買取り蒔絵・加飾、漆芸作家となります。
高野松山、柴田是真、山本春正、原羊遊斎、神坂祐吉、植松包美、植松抱民、川之邊一朝、池田泰真、白山松哉、飯塚桃葉、沢田宗沢斎、松田権六、赤塚自得、大場松魚、寺井直次、田口善国、室瀬和美、中野孝一、音丸耕堂、前大峰、前史雄、三谷吾一、的場晃昌、磯井如真、磯井正美、太田儔、赤地友哉、増村益城、磯矢阿伎良、塩多慶四郎、大西勲、小森邦衞、増村紀一郎、北村昭斎、黒田辰秋、太田抱逸、岡本康伸、天野文堂、藤井観文、山崎覚太郎、竹園自耕、佐藤貞一、井波喜六斎、張間禧一、勝田静璋、天野策地、張間麻佐緒、堆朱楊成、一后一兆、辻石斎、箱瀬淳一、服部峻昇、金城一国斎
上記作家以外ののお品でも高額となる場合がございますので、気になるお道具がございましたら、六角堂までお問い合わせください。