東京都世田谷区祖師谷にて煎茶道具、脇田和の絵画、掛け軸、古伊万里など。

       

東京都世田谷区祖師谷にて煎茶道具、茶道具、脇田和の絵画、掛け軸、古伊万里などをお売りいただきました。

先月末、ご実家のお蔵から出たお品の見積りでお呼びいただいたお客様宅へ、出張買取でお呼びいただきました。当社がお呼びいただく前に数社見積もりに入ってましたが、査定の上、当社にお決めいただきました。お売りいただいたお品は、煎茶道具、茶道具、脇田和の絵画、掛け軸、古伊万里、漆器など。たくさんのお品をお売りいただきました。煎茶道具は、全利老店、津田栄製、窯高琴永點銅の錫製茶托、林克瑞製の錫製茶壷、釜や鎖道具、大明成徳年製銘の古銅瓶掛火鉢、平安春峰の煎茶碗、白泥漢詩文水注、朱泥急須、白泥涼炉、香合、茶合、茶入、ボーフラ、湯さまし、水注、涼炉、火炉、炉台、宝瓶、建水、瓶敷、瓶座、硯屏、炉屏、茶櫃、巾筒など。唐物煎茶道具も多くございました。絵画は脇田和のシルクスクリーン「ビレッジの人々」。掛軸は谷文晁、酒井抱一、中村不折、佐久間象山、長沢芦雪、駒井源琦の日本画や頼山陽の書など。他にも古伊万里など古陶磁器や漆器、茶道具などをお売りいただきました。古いものも大切に保管されていたようで、良い状態で残っているものがたくさんございました。ご家族の大切にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。作業しやすいようにお手伝いいただいたり、お茶をいただいたりお気遣いいただき誠に有難うございました。

脇田和 (わきたかず) 1908~2005
1908年 東京に生まれる
1923年 青山学院中退、ベルリンに渡航。ドイツ帝室技芸員マックス・ラーべスに師事
1930年 ベルリン国立美術学校から金メダルを贈られて卒業。帰国する
1936年 猪熊弦一郎・小磯良平ら8人の仲間と共に新制作派協会を結成。今日まで「新制作協会」として続く
1943年 フィリピンのマニラ陸軍報道部勤務
1944年 内地連絡のため帰還
1945年 アトリエが戦災で消失。戦前の作品の大部分を失う
1949年 神奈川県相模湖付近に集団疎開
1949年 世田谷のアトリエ付き住居に本居を移す
1951年 第1回 サンパウロ・ビエンナーレ出展
1952年 パリのサロン・ド・メ,ピッツバーグ国際展参加
1955年 第3回 日本国際美術展で「あらそい」が最優秀賞を受賞
1956年 第28回 ヴェネチア・ビエンナーレ出展。第1回 グッゲンハイム国際美術賞で「あらそい」が日本国内賞に選ばれる
1956年 東京藝術大学で後進の指導にあたる
1962年 長男を伴いインド・中近東・アフリカ・欧州・米国等回遊
1964年 東京芸術大学助教授就任
1968年 東京芸術大学教授就任
1966年 渡米、メキシコを回遊
1970年 吉村順三設計による軽井沢のアトリエ山荘が完成 (脇田美術館の前身)
1970年 東京芸術大学を退官
1973年 世田谷のアトリエを改装
1977年 静養のためハワイ滞在し、79年に心臓バイパス手術を受ける
1986年 脇田和展 (神奈川県立近代美術館・群馬県立近代美術館)
1987年 ダラス、ニューヨークを経てパリ・ベルリン・ミュンヘン等を訪問
1991年 軽井沢に「脇田美術館」開館。勲四等朝日小勲章受賞
1995年 日比谷の第一生命ビル本社に脇田和作品の常設ギャラリーが開廊
1998年 文化功労者に選ばれる
1999年 東京藝術大学名誉教授に就任
2001年 脇田和展開催 (資生堂アートハウス)
2002年 脇田和展 (世田谷美術館)
2003年 脇田和展 (石川県立美術館)
2004年 卆寿を生きる作家展 (あさご芸術の森美術館)
2005年 脇田和展 (space TRY)・詩画集「女のひとと鳥」発刊。第69回「新制作展」出展
2005年 11月27日、永眠。叙位 従四位を追賜せられる