東京都西東京市にて向山僚一、沢悟春夫の油彩画など。

東京都西東京市にて向山僚一、沢悟春夫の油彩画などをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。絵画などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、向山僚一の油彩画「名栗の家」、「諏訪湖」、沢悟春夫の油彩画「丹後半系」、アクセサリーなど。向山僚一は一枚の絵にも取り扱われる人気画家であり、六角堂でも買取を強化しております。サイズ小さく絵画に多少のシミなどございましたが、全て買い取らせていただきました。お客様の大切にされていたお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。本日は六角堂のご指名、有難うございました。

向山僚一(むかいやまりょういち)1928年~
1928年 長野県高遠町に生まれる
1954年 白日展初入選
1963年 大潮展初入選新聞社賞 特選(’64)
1965年 日展初入選
1974年 現代洋画精鋭選抜展銅賞
1976年 個展(新宿伊勢丹 以後毎年)
1988年 一枚の繪銀座美術館第4回個展
1991年 精鋭百人記念展受賞
1992年 高遠美術館作品収蔵
1993年 紺綬褒章受賞
2001年 紺綬褒章受賞
現在 無所属

東京都中野区にて橋本朝秀の木彫、加藤卓男の酒杯、世田谷区にて着物、煎茶道具など。

東京都中野区白鷺にて橋本朝秀の木彫彫刻「鷺」、加藤卓男の三彩酒杯、世田谷区代田にてお着物、錫製の茶器揃など煎茶道具、唐木の違い棚などをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は東京都中野区白鷺で、お引越し前のお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。置物や骨董品をご処分されたいとご連絡いただき、出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、橋本朝秀の木彫彫刻「鷺」、加藤卓男の正倉院復元三彩花形酒杯、木彫の仏像やブロンズなど。たくさんのお品がございましたが、一点一点丁寧に査定させていただきました。当社で買い取りを強化している作家作品もあり、お客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。共箱などの付属品も揃っており、状態も良かったので、高価査定となりました。お父様が大切にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。二件目は世田谷区代田へ、お片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、お着物、煎茶道具、唐木違い棚、ブランドバッグなど。お着物や煎茶道具など数多くございましたが、一点一点丁寧に査定し、全て買い取らせていただきました。お売りいただきましたお品、大切に次へと繋げさせていただきます。本日はお忙しい中、六角堂をご指名くださり誠に有難うございました。

橋本朝秀(はしもとちょうしゅう)1899年~1960年
大正・昭和期の彫刻家
1899年、福島県安達郡二本松町で彫刻家 橋本重治の四男として生まれる。本名橋本 秀次
1919年上京し山崎朝雲の元で1928年まで木彫を学ぶ。同時期に本郷絵画研究所でデッサンを学ぶ。
1925年、第6回帝展(現日展)に出品した「幻想」が初入選。以後1929年の第10回帝展まで5回連続入選。
1930年、第11回「法悦」が特選受賞。1931年、第12回「悉地」も2年連続の特選受賞、以後無鑑査となる。
帝展出品を続ける傍ら、1929年に仏教美術研究のためインドに6カ月滞在したほか、1941年夏より蒙疆大同石仏研究のため中国へ渡っている。中国研究の帰路には満州、朝鮮を経由し朝鮮仏像を研究して帰国する。
1943年、第6回新文展(現日展)にて審査員に推挙され、以後1949年第5回日展、1951年第7回日展、1953年第9回日展と審査員を務める。1948年日展に「飛天」(政府買上げ)を出品。1950日展参事となり、1954年日展出品作「華厳」で翌30年日本芸術院賞を受賞。
官展以外でも日本美術協会、東邦彫塑院、日本彫塑家倶楽部に参加。日本彫塑家倶楽部は1956年に副委員長に就任。
1960年1月31日死去。60歳。

加藤 卓男(かとう たくお)1917年~2005年
1917年 岐阜県多治見市に生まれる。家は江戸時代から続く窯元幸兵衛
1935年 多治見工業学校を卒業する
1954年 第10回日展に入選
1961年 フィンランド政府の招聘で、フィンランド工芸美術学校へ留学
1963年 第6回新日展で特選・北斗賞受賞
1964年 「美濃陶芸協会」設立、初代会長に就任。岐阜県芸術文化顕彰受賞
1965年 第8回新日展にて北斗賞受賞
1976年 東京大学イラン・イラク遺跡発掘調査団に参加
1980年 イラク文化省よりバクダッド大学に客員教授として招聘を受ける
1983年 多治見市無形文化財保持者認定、同岐阜県重要無形文化財保持者認定
1988年 紫綬褒章受章
1989年 正倉院に二彩鉢の復元作品を納める
1991年 美濃陶芸協会名誉会長となる
1995年 重要無形文化財「三彩」保持者認定
1996年 岐阜県名誉県民となる
2005年 1月11日死去

神奈川県藤沢市にて松原直之の花瓶、端渓硯、正田暘谷の鉄瓶や茶托など。

神奈川県藤沢市にて松原直之の花瓶、端渓硯、天明鋳物師 正田暘谷の鉄瓶や茶托などをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。桐たんすや贈答品などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、松原直之の益子焼花瓶、端渓硯、佐野天明鋳物師 正田暘谷の鉄瓶や茶托、輪島塗などの漆器、贈答品や古道具など。たくさんのお品をお売りいただきました。桐箪笥は下二大洋の状態の良い加茂桐箪笥でしたが、運び出しが出来ない状況で断念しました。なんとか運び出したかったのですが、大変残念でした。硯は端渓硯。益子焼の陶芸家、松原直之の作品は鉄砂矢竹文面取花壷。佐野天明鋳物師 正田暘谷の平尾垂形鉄瓶は環付の霊芝摘に斑紫銅の蓋が大変素晴らしい作品であります。鉄瓶、茶托ともに共箱などの付属品はございませんでしたが、買い取らせていただきました。ご家族の大切にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日はお忙しい中、六角堂をご指名くださり誠に有難うございました。
お客様にいただいた鎌倉のお土産「クルミッ子」、歯ごたえのよいクルミと、甘さとほろ苦さの絡み合ったキャラメルの味がとっても美味しかったです。ご馳走様でした。帰りに江の島へ寄り、「座々丸」さんで江の島名物の生しらすの入った「生しらすいくら丼」をいただきました。遠距離出張が続いて疲れ気味でしたが、江の島の海を眺めながら美味しい食事を食べてリフレッシュしました。明日からも出張買取がんばります!

松原直之(まつばらなおゆき)
1938年益子町に生まれる。
益子焼の木村一郎氏に師事する。
京都市で八木一夫の助手を経て、益子町に「矢竹窯」を築窯。
泥並白釉を下地に鉄砂絵、赤絵を主に製作。
栃木県芸術祭賞、国際陶芸展奨励賞等を受賞。

正田暘谷(しょうだようこく)
栃木県佐野で作られている天明鋳物の鋳物師で、本名 正田治郎右衛門、号を暘谷とす。
氏の作品は東京芸術大学美術館にも収蔵されております。
暘谷は、明治26年(1893)生まれの正田菊次郎で、治郎右衛門の名を継いだ28代目。同家は、安政6年(1859)に朝廷へ献上した際の「紙本着色灯籠献上図(絵巻)」や同型の「六角鉄釣灯籠」など、多くの佐野市指定の文化財を保持しております。
栃木県佐野市で作られた鋳物は美術工芸鋳物を総称して天明鋳物と呼ばれ、鉄瓶をはじめ、茶釜、半鐘、鐘などがつくられました。現在では天明鋳物の技術と伝統を受け継ぎ、美術工芸品の製作をする鋳物師が少なくなってしまいましたが、江戸時代に100軒ほどの鋳物業者と数百人もの鋳物師がいたといわれてます。日光東照宮にある各地の大名から奉納された青銅製の宝塔や灯籠類も、天明鋳物師による鋳造であります。

栃木県下野市にて皆川新司の加茂桐箪笥、濱田庄司、島岡達三の陶器など。

栃木県下野市にて皆川新司の加茂桐箪笥、濱田庄司、島岡達三、木村一郎の益子焼陶器などをお売りいただきました。

桐箪笥や益子焼陶器をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、伝統工芸士 皆川新司の加茂桐箪笥、茶箪笥、着物、人間国宝 島岡達三の象嵌夫婦湯呑、地釉縄文象嵌皿、人間国宝 浜田庄司(窯)の湯呑、益子焼陶芸家 木村一郎の波白茶碗、練上文角壷、他益子焼多数。たくさんのお品をお売りいただきました。お売りいただいた桐たんすは、新潟県加茂市で作られている伝統工芸品加茂桐箪笥、胴丸下三大洋和箪笥という形のたんすで、当社で数多く取り扱う高級桐たんすになります。伝統工芸士である皆川新司の作。前飾りには、光乃の銘あり。所々に砥粉落ち、小傷などございましたが、買取強化中のタンスですので買い取りさせていただきました。お着物はシミや汚れの出てしまっているものもございましたが、全て買い取らせていただきました。陶器は当社で買い取りを強化している作家作品もあり、全て買い取らせていただきました。共箱に入っている状態の良い作品が多くございました。ご家族の大切にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日はお忙しい中、六角堂をご指名くださり誠に有難うございました。
帰路、「道の駅しもつけ」にある「一休」さんで食事をしました。カツ丼とうどんのセットをいただきましたが、安くて早くて美味しい。とても有難いお店です。また寄りたいと思います。

浜田庄司 (はまだしょうじ)1894~1978年
1894 神奈川県川崎市で生まれる。生家は東京で文房具店経営。本名象二
1916 東京高等工業学校(現、東京工業大学)窯業科卒
1918  河井寛次郎と沖縄へ、壷屋を訪問
1920 バーナード・リーチに同行し、渡英。
1937 日本民芸館の理事に就任
1942 益子に大型登窯築窯
1949 第1回栃木県文化功労賞受賞
1953 昭和27年度芸術選奨文部大臣賞受賞
1956 民芸陶器で重要無形文化財保持者認定
1964 紫綬褒章受章
1968 沖縄タイムス賞受賞。文化勲章受章
1969 益子名誉町民となる
1974 日本民芸協会会長就任
1976 川崎市文化賞受賞
1977 益子参考館開館 館長に就任
1978 益子にて没。享年83

島岡達三(しまおかたつぞう)1919年~2007年
1938 府立高等学校 (旧制)在学中に日本民藝館を訪れ、河井寛次郎や濱田庄司の作品に影響し、民芸の美に目ざめる。
1939 東京工業大学窯業学科に入学。翌年夏、益子に濱田庄司を訪れ一夏滞在。
1941 東京工業大学窯業学科卒業。
1946 濱田庄司門下となる。同じ益子の土を用いながらも自らの作風を確立すべく試行錯誤を続ける。
1950 栃木県窯業指導所に勤務。白崎俊次の古代土器標本複製の仕事に協力する。ここで縄文土器からヒントを得た縄文象嵌文様によって独自の装飾を生み出す。
1954 益子に築窯。
1964 日本民芸館賞受賞。
1980 栃木県文化功労章受章。
1994 日本陶磁協会賞金賞受賞。
1996 5月10日 民芸陶器(縄文象嵌)で国指定の重要無形文化財保持者(人間国宝)認定。
1999 勲四等旭日小綬章受章。
2007 12月11日没。享年88

木村一郎(きむらいちろう)1915~1978年
栃木県益子町に生まれ、昭和8年に栃木県立真岡中学校を卒業。卒業後、祖父の営む郵便局を手伝う旁ら益子の各製陶所で技術習得に努め、昭和12年京都にある商工省陶磁器試験所に入所し水町和三郎、沢村滋郎らの指導を受ける。同15年帰郷し、翌年の国画創作協会展に「象嵌陶箱」が入選。戦後の同21年益子に登窯を築窯。同24年に東京都工芸協会主催第2回工芸綜合展に陶筥3点を出品し一位入賞、同28年日本国陶磁展では「柿釉網目文大皿」で中小企業長官賞を受ける。同30年第4回展台陶芸展に「自釉抜絵文大皿」を出品し特選を受ける。同39年に現代日本国際陶芸展に、翌年にはマルセーユ美術館主催国際陶芸展にそれぞれ招待出品をする。初期から多彩な作風を展開したが、晩年は辰砂や鉄絵の作品を専らとした。同53年没、享年63。

群馬県伊勢崎市にて着物、反物、埼玉県本庄市にて池田修三の木版画。

群馬県伊勢崎市にて着物、反物、埼玉県本庄市にて池田修三の木版画をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は群馬県伊勢崎市へお着物や反物の出張買取。ウールやシミ汚れのあるものもございましたが、全て買い取らせていただきました。ご家族の思い出のお着物、大切に次へと橋渡しさせていただきます。二件目はリサイクル業者様のご紹介で、絵画のご処分でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、池田修三の木版画「しおん(1974)」、「五月(1983)」など。池田修三は秋田県にかほ市象潟町出身の画家。主テーマはこども達の情景で、晩年は風景画も手がけました。国内の版画展で入賞した他、海外の版画展にも数多く出展し好評を得ました。企業のカレンダー・テレフォンカード・単行本の装丁にも作品が使用されている人気画家でございます。お売りいただいた作品は、池田修三氏のこども達の情景を描かれた代表的な作品「しおん(1974)」、「五月(1983)」。所々にシミなどございますが、強化買取り中の作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取りさせていただきました。お母様が大切にされていた作品とのこと、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日はお忙しい中、六角堂をお呼びいただき有難うございました。
お昼に群馬県伊勢崎市にある「上州手打麺匠 そば蔵」さんで食事をしました。うどんにミニ天丼のセットをいただきましたが、さすがは人気店いずれも美味しかったです。また寄らせていただきます。

池田修三(いけだしゅうぞう)1922~2004年
1922年 秋田県にかほ市象潟町に生まれる
1945年 旧東京高等師範学校(現筑波大)芸能科を卒業
1946年 秋田県、由利高校にて高校美術科教諭になる
1952年 秋田県、聖霊学園に勤務
1955年 退職して上京し、木版画に専念する
1957年 日本版画協会展で受賞し、会員となる
1959年 現代日本版画コンクール展、東京部門で入賞
1977年 日本版画協会を退会
1983年 池田修三木版画展を酒田で開催
1989年 象潟町功労者として表彰される
2004年 11月10日、逝去

静岡県田方郡函南町にて平田郷陽の衣装人形「饅頭喰」。

静岡県田方郡函南町にて平田郷陽の人形「饅頭喰」をお売りいただきました。

平田郷陽のお人形をご売却されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。当社がお伺いする前に他社が査定をされておりましたが、精一杯の査定の上、当社にお売りいただくこととなりました。お売りいただいた作品は、人間国宝である平田郷陽の衣装人形「饅頭喰」。当社で最も買い取りを強化しているお人形の作家作品であります。平田郷陽の作る人形は「生き人形」とまでいわれ、中でもこの度お売りいただいた子どもの無邪気なしぐさの一瞬をとらえた作品は平田郷陽の代表作となっております。愛好家が多く、一生のうち郷陽の作品を一度は持ちたいという熱意を持っているファンが多い昭和を代表する人形作家です。1955年には、人形界初の国指定重要無形文化財(人間国宝)に認定されており、木目込みの技法を用いた衣裳人形を多数手掛けています。残念ながら饅頭を持つ手の指の破損、欠品などございましたが、共箱もあり指の欠損以外は全体的に状態も良かったので、お客様にご納得いただける査定額で買い取りすることが出来ました。お父様からいただいたという思い出のお人形、責任もって次へと繋げさせていただきます。まだまだ骨董品がたくさんあり、近日またお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。平田郷陽作品の買取業者が多数ある中、六角堂をご指名くださり誠に有難うございました。
帰りに沼津港にある丸天さんへ寄り、海鮮丼をいただきました。わたしの大好きなお店であり、近くへ出張した際には寄らせていただいております。かき揚げで有名なお店ですが、海鮮丼もとても美味しいです。また寄らせていただきます。

平田郷陽(ひらたごうよう)1903年(明治36)~1981年(昭和56)
1903年 松本喜三郎・安本亀八 系統の活き人形師であった初代平田郷陽(恒次郎)の長男として、東京浅草に生まれる。
1917年 14歳の時、父のもとで人形製作の修行を始める。
1924年 父の跡を継ぎ二代卿陽を襲名。
1927年 市松人形を製作。
1928年 岡本玉水・久保佐四郎・名川春山・吉田永光らとともに、創作人形の研究団体「白沢会」を結成する。
1935年 日本人形社を立ち上げる。
1936年 第1回帝国美術院展に初入選。
1937年 パリ万国博覧会に出品し、金賞受賞。
1955年 重要無形文化財「衣裳人形」保持者(人間国宝)に認定される。
1959年 皇后宮殿に「瑞鳥」製作。
1968年 紫綬褒章を受賞。
1974年 勲四等瑞宝章を受賞。
1981年 逝去。享年77歳。

秋田県能代市より木村渡雲の薄端、龍の置物、千葉県市川市にて中島千波の画集。

秋田県能代市より木村渡雲の薄端、龍の置物、千葉県市川市にて中島千波の画集をお売りいただきました。

本日は一件の宅配買取、一件の出張買取。一件目は秋田県能代市より花器の宅配買取。遠州流の茶道、華道を教えていらしゃった曽祖父様が使用されていた花器をご売却されたいとご連絡を頂き、宅配買取にてお売りいただきました。お売りいただいたお品は、木村渡雲(二代 村田整珉)の銅製 細密龍彫刻薄端、古銅龍の置物。いずれも龍の細密彫刻が大変素晴らしく、保管状態も良かったので、お客様にご納得いただける査定額で買い取りさせていただきました。曽祖父様が大切にされ、ご家族の思い出のお品、当社で責任持って次へと橋渡しさせていただきます。最初にメールをいただいた時から、宅配買取終了時まで丁寧にお取引していただき、誠に有難うございました。二件目は千葉県市川市へ絵画の出張買取。絵画をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、外国人画家のリトグラフ数点、中島千波の画集「花物語」。花物語は日本経済新聞社から出版され、中島千波の代表する花の絵画をセットにしたオフセット画集になります。全て保管状態が良く、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。絵画のご処分に六角堂をご指名くださり、有難うございました。

村田整珉(むらたせいみん)1761~1837年 江戸時代後期の鋳金家。
宝暦11年8月13日生まれ。江戸の人。田川珉武の門人。蝋型(ろうがた)鋳造の名手で,置物,花瓶,仏具などをつくった。初代整珉(1761年8月13日 生まれ、1837年11月24日 没)の後は、子供が幼かった為、養子で弟子の木村渡雲(岩手県出身)が二代目整珉となり、後に、初代の実子(仙次郎)が三代目整珉となっています。天保(てんぽう)8年11月24日死去。77歳。本姓は木村。通称は総次郎。別号に北玉叟。

中島千波(なかじまちなみ)1945年~
1945年 日本画家・中島清之の三男として疎開先の⻑野県小布に⽣まれる
1969年 東京藝術⼤学⽇本画科を卒業。第54 回院展へ初出品した「窓」が⼊選
1971年 東京藝術⼤学⼤学院を修了
1979年 第5 回⼭種美術館賞で、優秀賞を受賞
1984年 第1回横の会結成に参加(以後1993年の第10回最終展まで参加)
1987年 NHK テレビ「きょうの料理」のテキスト表紙絵を担当。以降、3 年間⼿掛ける
1990年 三溪園臨春閣第六室襖絵「不⼆と桃花図」「松林図」が完成
1992年 「おぶせミュージアム・中島千波館」が開館
1994年 東京藝術⼤学美術学部助教授に就任
1995年 歌舞伎座緞帳「淡紅⽩梅」が完成
2000年 東京藝術⼤学美術学部デザイン科教授に就任
2006年 ⼩布施名誉町⺠に選出される

埼玉県熊谷市にて加茂桐箪笥、時代桐箪笥、川越市にて木下孝則の油彩画。

埼玉県熊谷市にて加茂桐箪笥、時代桐箪笥、川越市にて木下孝則の油彩画をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は埼玉県熊谷市へ先日積み残した桐箪笥の出張買取でお呼びいただきました。先日陶器や刀剣、掛軸などの骨董品のお片付け整理でお呼びいただきましたが、お品数が多く積みきれませんでしたので、本日再度お呼びいただきました。お売りいただいた桐たんすは、新潟県加茂市で作られている伝統工芸品加茂桐箪笥、天丸下三大洋和箪笥という形のたんすで、当社で数多く取り扱う高級桐たんすになります。伝統工芸士である頓所芳男の作。所々に砥粉落ち、小傷などございましたが、買取強化中のタンスですので買取させていただきました。他にも明治期の時代桐箪笥や小箪笥など、素晴らしい時代金具の桐たんすをお売りいただきました。先日に続き、本日もお忙しい中お呼びいただき有難うございました。ご家族の大切にされていた思い出の桐箪笥、大切に次へと橋渡しさせていただきます。二件目は川越市へ、絵画の出張買取でお呼びいただきました。お売りいただいた作品は、木下孝則の油彩画「花」の他、リトグラフなど数点。木下孝則の油彩画はタトウ箱あり、状態も良かったのでお客様にご満足いただける査定額で買い取りすることが出来ました。木下孝則は東京都出身の大正~昭和時代に活躍した洋画家。婦人像を描き続け、穏健な写実派の作家として知られており、戦後は一連のバレリーナの作品によって注目されます。婦人像やバレリーナを題材にした作品の他、薔薇などの花を題材にした作品を多く残しました。六角堂でも多数買取させていただいている画家でございます。素晴らしい作品をお売りいただき有難うございました。

木下孝則(きのしたたかのり)1894~1973年
1894年 東京都で生まれる。
1917年 京都帝国大学法科政治経済学科に入学。
1921年 第8回二科展に「富永君肖像」初入選。
1923年 小島善太郎、児島善三郎、林武、野口弥太郎、木下義謙等と円鳥会会員となる。
1924年 二科展で樗牛賞を受賞。
1925年 二科展で二科賞を受賞。
1926年 一九三〇年協会の創立会員となる。春陽会の会員となる。
1928年 渡欧。
1933年 サロン・ドートンヌに「ピンクのガウンをかけた女」出品。
1935年 帰国。
1936年 木下義謙、小山敬三、硲伊之助等と二科会を退会し、一水会の創立に参加。
1937年 第1回一水会展に「O氏像」「ヴォーグ」「K嬢像」出品。
1952年 日本国際美術展に「裸婦」「少女像」出品。
1958年 日本芸術院賞を受賞。
1962年 一水会委員展に「靴下をはく女」出品。
1969年 日展に「水色のバレーダンサー」出品。
1973年 3月、79歳で逝去。勲四等旭日小綬章を受章。

東京都中野区弥生町にて三味線、琴、司馬江漢や与謝蕪村などの掛軸。

東京都中野区弥生町にて三味線、琴、司馬江漢や与謝蕪村などの掛け軸をお売りいただきました。

司馬江漢(しばこうかん)1747~1818
江戸時代後期の絵師、蘭学者。
本名は安藤峻。俗称は勝三郎、後に孫太夫。
字は君嶽、君岡、司馬氏を称し、号は春波楼、桃言、無言道人、西洋道人とする。
なお、浮世絵師の鈴木春重は同一人物。
1747年、江戸に生まれる。狩野古信を師とし、浮世絵は鈴木春信に学び、のち写生体の漢画、美人画を描く。さらに南蘋派を宋紫石から学んだのち、平賀源内や大槻玄沢ら学者との交わりから、西洋画に興味を持つ。1783年の日本初の腐触銅版画「三固景図>」や油彩画「異国風景人物図」など、日本の風景や異国の風俗を題材にした銅版画や油彩画を制作した。絵画のほか、世界地理や天文に関する著書や随筆も残している。

与謝蕪村(よさぶそん)1716~1784
本姓は谷口、あるいは谷。「蕪村」は号で、名は信章。通称寅。「蕪村」とは中国の詩人陶淵明の詩「帰去来辞」に由来すると考えられている。俳号は蕪村以外では「宰鳥」、「夜半亭(二世)」があり、画号は「春星」、「謝寅(しゃいん)」など複数の名を持つ。
与謝蕪村は松尾芭蕉・小林一茶と並び江戸時代における三大俳人に選ばれている俳人です。摂津国(現大阪府)で生まれ1736年頃に江戸に下り俳諧を学びます。1743年、俳諧の師が亡くなり下総国(現茨城県)に住みますが、松尾芭蕉の各地を回る行脚生活に憧れて、自身も僧の姿に身を変え東北地方周遊しました。宿代の代わりに絵を置いていく与謝蕪村の修行の旅が始まりました。京都に居を構え、結婚し娘を授かりますが、妻と娘を残し隠岐に赴き多くの作品を残しています。後に京都に戻り生涯を京都で過ごしました。与謝蕪村の功績として挙げられるのが俳画です。俳句に絵を入れたもので、与謝蕪村が確立した独自のジャンルになります。有名なものですと「奥の細道図巻」があります。これは松尾芭蕉の奥の細道を書き写し、そこに挿絵を入れた作品です、こちらは重要文化財に認定されております。画家としての活躍も素晴らしく1771年に池大雅と合作した文人画「十便十宜帖」は重要文化財に指定されています。

埼玉県熊谷市にて瀧下和之の桃太郎図、深谷市にて和家具、中国家具。

 

埼玉県熊谷市にて瀧下和之の桃太郎図、深谷市にて和家具、中国家具をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は埼玉県深谷市へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。家具や骨董品などをご処分されたいとご連絡いただき、出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、欅材のサイドボード、中国家具のチェスト、陶器、お着物など。たくさんのお品をお売りいただきました。陶器は花器や置物など。着物は多少シミ汚れなどございましたが、全て買い取らせていただきました。お忙しい中、お呼びいただき有難うございました。二件目は不動産業者様のご紹介で、熊谷市へ絵画の出張買取でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、瀧下和之の桃太郎図「桜の木の下で」、「鬼ヶ島で水遊び」の二点。瀧下和之は昭和~現在に至るまで活躍している気鋭の若手日本画家。日本人なら老若男女だれもが知っている昔話などをテーマに、本編の話とズレた鬼目線で、生活感ある場面をリズミカルでユーモラスに描く作風が特徴です。お売りいただいた桃太郎図シリーズは瀧下作品の中でも特に人気のあるシリーズです。パネルに破損等ございましたが、作品の状態は問題なくお客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。お喜びいただけて良かったです。本日は六角堂のご指名、誠に有難うございました。
本日はお昼休憩で、深谷市にある「かつ太郎 深谷店」さんでランチをしました。かつ太郎さんはわたしの好きなばんどう太郎さんのグループ店舗のようです。本日は、とんかつランチセットにしました。キャベツ、ご飯、汁物、香の物はおかわり自由で、ご飯は白米か二十一穀米を選ぶことが出来ます。おかわり自由ですとついつい食べ過ぎてしまうわたしですが、二件の出張買取ですので本日は我慢。次は仕事がオフの時にでも行きたいと思います。

瀧下和之(たきしたかずゆき)
1975年 熊本県中央町に生まれる
1991年 熊本県立第二高校 美術科に入学
1995年 東京藝術大学美術学部デザイン科入学
1999年 東京藝術大学美術学部デザイン科卒業
2001年 東京藝術大学大学院(描画装飾デザイン専攻、中島千波研究室)修了
2008年 第4回 東山魁夷記念 日経日本画大賞展 入選
2009年 「桃太郎図」画集刊行(求龍堂刊)
2011年 画集「瀧下和之作品集 JAPON:ism」刊行(求龍堂刊)
2015年 画集「瀧下和之作品集 桃太郎図Ⅱ」刊行(求龍堂刊)