千葉県千葉市若葉区にて、総桐箪笥、お着物、岩田藤七本人作のペルシアガラス一輪挿しをお売りいただきました。

千葉県千葉市若葉区にて、総桐箪笥、お着物、岩田藤七本人作のペルシアガラス一輪挿しをお譲りいただきました。

遺品整理にて、お呼びいただきました。六角堂では、ガラス工芸作品の買取りを強化しております。岩田藤七、その長男・岩田久利、その妻・岩田糸子、孫・ガラス造形家イワタルリなどの岩田ガラスなどをはじめ、藤田喬平や黒木国昭の作品をご売却の際には、是非六角堂をご指名ください。専門の鑑定士が、査定、買取をさせていただきます。また、ルネ・ラリックやバカラ、エミール・ガレ、ドーム・ナンシーなど海外のガラス工芸作品も随時買い受けさせていただきます。

出張帰りに、京葉道路幕張PAにある「九十九里片貝波乗り食堂」さんへ寄り、片貝波乗り定食(数量限定)、あさりのかき揚げをいただきました。お米は千葉特産米の「ふさおとめ」を使用。ふっくらつややかもっちもちの美味しご飯でした。あさりのかき揚げも磯部風味でとっても美味しかったです。天つゆなしでいただいちゃいました!

岩田藤七(いわたとうしち)

明治26年、日本橋の呉服商に生また岩田藤七は、東京美術学校(現東京藝術大学)で彫金・洋画・彫刻を学んだ後、 アールヌーボーに啓発され、ガラスの道を志しました。 昭和初期、ガラスといえば実用的な工業製品が主だった時代、独力で色ガラスの製法を学び、工場を開き、工芸品を作り始めました。 制作に必須な職人を育てるとともに、様々な色のガラス作り、独創的な成形の技術を研鑽・探求し、「日本の色ガラス工芸」という新たな世界を創出しました。
色彩豊かで流動的な形、そして暖かみのある藤七作品は、透明や切子ばかりのガラス界に衝撃を与え、高い評価を受けました。 制作意欲と情熱に溢れる藤七は、日本人の美意識に基づく「日本独自の」ガラス芸術を目指し、花器・食器の他、茶器の制作も始めました。 また、色ガラスによる装飾壁面「コロラート」を生み出し、ガラスの近代建築への応用という新しい分野を築きました。
岩田藤七は、日本のガラス芸術の開拓者であるとともに、世界のガラス芸術にも先進的な役割を果たし、現在のガラス作家にも多大な影響を与えています。

1893年 [明治26年] 宮内庁御用達呉服商・初代岩田藤七の長男として東京日本橋本町に生まれる。幼名、東次郎。
1900年 [明治33年] 父藤七死去。二代目藤七を襲名。
1909年 [明治42年] 四条派日本画家稲垣雲隣からつけ立てを習う。
1911年 [明治44年] 白馬会洋画研究所にて岡田三郎助に師事。
1912年 [明治45年] 東京美術学校(現東京芸術大学)金工科入学。彫金を海野勝珉(眠)(うんの しょうみん、天保15年5月15日(1844年6月30日) – 大正4年(1915年)10月5日または8日)、平田重光(1855~1926  安政2~大正15年没)などに学び、漆芸は六角紫水に薫陶を受ける。
1918年 [大正 7年] 東京美術学校金工科卒業。西洋画科に再入学。
1922年 [大正11年] 建畠大夢に師事し、彫刻を学ぶ。第4回帝展「深き空」(彫刻)を初出品。
1923年 [大正12年] 東京美術学校西洋画科卒業。橘ガラス工場社長今村繁三に知己を得、ガラス製法の手ほどきを受ける。
1925年 [大正14年] 商工省第12回工芸展(金工)褒状。長男久利生まれる。
1926年 [大正15年] 商工省第13回工芸展(金工)3等賞。
1927年 [昭和 2年] 葛飾区小菅町に工房を設置。第8回帝展からガラスを出品。
1928年 [昭和 3年] 第9回帝展より連続3回特選。以後帝展、文展、日展へ毎年 出品。
1929年 [昭和 4年] 帝展無鑑査出品者となる。
1931年 [昭和 6年] 岩田硝子製作所を設立。
1935年 [昭和10年] 第1回個展開催。以後毎年 個展開催。
1936年 [昭和11年] 昭和11年 文部省美術展覧会・招待展出品。
1937年 [昭和12年] 第1回新文展審査員、出品作政府買上。
1938年 [昭和13年] パリ万国工芸展銀賞受賞。
1940年 [昭和15年] 紀元2600年 奉祝美術展出品。
1941年 [昭和16年] 東京府芸術保存審議会委員、東京工芸総合展美術工芸部展審査員。
1943年 [昭和18年] 商工省の重要工芸技術保存資格者として、硝子製造残留工場に指定される。
1944年 [昭和19年] 第10回個展、戦争激化のため以後個展を一時中断。戦時特別文展出品、政府買上。
1946年 [昭和21年] 第2回日展審査員。以後審査員を続ける。
1947年 [昭和22年] 戦後初の個展(第11回)開催。
1951年 [昭和26年] 日展出品作「光りの美」が対象となって25年 度日本芸術院賞受賞。
1954年 [昭和29年] 日本芸術院会員。
1957年 [昭和32年] 高村豊周、山﨑覚太郎、楠部彌弌らと葵洸会創設。
1958年 [昭和33年] ブリュッセル万博出品、グランプリ。草月会館玄関ホールのシャンデリアをつくる。脳梗塞また胃の手術で闘病生活に入る。
1961年 [昭和36年] 個展第25回の記念展「岩田ガラスのコロラート展-ガラス工芸の近代建築への発展-」開催。近代建築でのガラス造形の展開をめざす前衛的な試みとして、新作「コロラート」製作。横浜髙島屋食堂大壁面に「コロラート」を製作。
1962年 [昭和37年] ホテル・オークラの建設時に照明装飾プランに参加。日本伝統工芸展受賞選考委員、以後も続ける。ローマに開館した日本アカデミーに作品が展示される。
1963年 [昭和38年] 日本生命ビル内日生劇場入口正面壁面に「コロラート」を製作。
1964年 [昭和39年] 千葉・扇屋百貨店に「コロラート」製作。
1965年 [昭和40年] 「新しい工芸の茶会展」開催、ガラスによる茶碗、茶入、水指類を出品、独自の新分野を開く。ロイヤル・ホテル正面入口にガラス・オブジェ「光瀑」を製作。
1966年 [昭和41年] 千代田生命ビル(現目黒区総合庁舎)に「コロラート」を製作。
1967年 [昭和42年] 宝塚カソリック教会にステンド・グラスを製作。第2回日本芸術祭に「神話」が選ばれる。
1968年 [昭和43年] 大回顧展「ガラスとともに40年 ・岩田藤七展」開催。皇居新宮殿にコロラート壁面「大八洲」を製作。
1969年 [昭和44年] 第10回毎日芸術賞受賞。
1971年 [昭和46年] 文化功労者に選ばれる。
1972年 [昭和47年] 日本ガラス工芸協会が設立され、名誉会員となる。
1975年 [昭和50年] この頃から「貝」をモチーフとした作品を数多く発表。
1980年 [昭和55年] 8月23日死去。 87歳。

 

 

東京都足立区舎人公園にて、古家具や掛け軸、仏具、鳩居堂製 頂上 沈香 上品 香木をお売りいただきました。

東京都足立区舎人公園にて、古家具や掛け軸、仏具、鳩居堂製 頂上 沈香 上品 香木をお譲りいただきました。

旧家解体前の片付け整理にてお呼びいただきました。角割の小さいものですが、人気の沈香香木です。お客様にご満足いただける査定額にて買い受けました。帰りに、戸田市にある柳明館という中華料理屋さんへ寄りました。国道17号を使って帰るときには、よく寄らせてもらっております。今日は大好きなラーメンを我慢して、チャーハンと餃子をいただきました。こちらの店、すごいのは漫画の量です。壁一面に並んでいて、漫画目当てで通ってる人もいそうなくらい充実してます。漫画だけでなくメニューもかなりの量があるので、何度来ても飽きません。

香は「聞く」といいます。さまざまな香を組み合わせ香炉に焚いた香りを聞き種類を当てる。優雅な香りとともに文学的雰囲気をも楽しむ艶やかな「道」であります。香道は、室町時代に生まれた日本の伝統文化です。仏教と共に日本に伝えられた香は、平安時代になって、個人の趣好、知的感覚により薫物煉香が作られました。室町時代・東山文化隆盛の頃には、香木(沈香・伽羅)を使用する聞香形式が整いました。香木には、沈香と白檀があります。沈香はインドシナなどの南方諸国の産で、数百年土中に埋もれていた木。そして、沈香の中でも最上級の伽羅は格別に扱われます。
白檀はインド産の生木。
六角堂では、沈香・伽羅・白檀などの香木をはじめ松栄堂や鳩居堂、日本香堂など香の老舗の線香など香道具を買取しております。ご不要の御道具がございましたら、六角堂までお問い合わせください。

六角堂出張買取地域
東京都
世田谷区・港区・中央区・渋谷区・杉並区・目黒区・千代田区・大田区・品川区・新宿区・文京区・豊島区・中野区・練馬区・足立区・荒川区・板橋区・江戸川区・葛飾区・北区・江東区・墨田区・台東区・武蔵野市・昭島市・小金井市・三鷹市・あきる野市・日野市・調布市・府中市・小平市・国分寺市・国立市・武蔵村山市・清瀬市・東村山市・西東京市・福生市・青梅市・東大和市・羽村市・立川市・町田市・多摩市・稲城市・狛江市・八王子市・東久留米市
神奈川県
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埼玉県
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山梨県、栃木県、群馬県、茨城県、福島県、長野県、新潟県、静岡県
その他、箱根、伊豆方面や軽井沢にも無料にて出張致しております。

足立区出張地域は、青井 足立 綾瀬 伊興 伊興本町 入谷 入谷町 梅島 梅田 扇 大谷田 興野 小台 加賀 加平 北加平町 栗原 弘道 江北 古千谷 古千谷本町 佐野 皿沼 鹿浜 島根 新田 神明 神明南 関原 千住 千住曙町 千住旭町 千住東 千住大川町 千住河原町 千住寿町 千住桜木 千住関屋町 千住龍田町 千住中居町 千住仲町 千住橋戸町 千住緑町 千住宮元町 千住元町 千住柳町 竹の塚 辰沼 中央本町 椿 東和 舎人 舎人公園 舎人町 中川 西綾瀬 西新井 西新井栄町 西新井本町 西伊興 西伊興町 西加平 西竹の塚 西保木間 花畑 東綾瀬 東伊興 東保木間 東六月町 一ツ家 日ノ出町 平野 保木間 保塚町 堀之内 南花畑 宮城 六木 本木 本木東町 本木西町 本木南町 本木北町 谷在家 谷中 柳原 六月 六町

 

群馬県前橋市へ、桐箪笥や和たんす、平安堂造の龍田川蒔絵 脇取盆、お茶道具、千家十職12代 土田友湖作の入子菱吉祥紋金襴出帛紗をお売りいただきました。

群馬県前橋市へ、桐箪笥や和たんす、平安堂造の龍田川蒔絵 脇取盆、お茶道具、千家十職12代 土田友湖作の入子菱吉祥紋金襴出帛紗をお譲りいただきました。

京都から出張明け最初の出張買い取りは、不動産屋さんのご紹介で、群馬県前橋市へと遺品整理にてお呼びいただきました。今回が初めてですが、当社をお呼びいただき有難うございます。六角堂では、不動産、解体、引越し、介護関連、遺品整理等の業者様より、随時買取や処分を受け付けております。残置物が少ない場合でも、気になるお品がございましたら、六角堂までメール、またはお電話にてお問い合わせください。当社で、出来る限りの対応をさせていただきます。本日はホワイトデーですので、昨日の京都帰りに、濃姫いちごのチョコくりーむ大福を買って娘にお返ししました。

六角堂では、茶碗、水差 、棗、茶入、香合、風呂、釜、花入、茶杓、菓子皿、銀瓶、鉄瓶、 茶棚、炉縁などのお茶道具を強化買取しております。裏千家、表千家、武者小路千家、裏千家久田家、表千家堀内家、藪内家、遠州流、宗偏流、松尾流、江戸千家、大日本茶道学会などのお道具、作家物からお稽古用まで、お茶道具に関して幅広く取り扱っております。お茶道具の専門スタッフか、お見積もりに伺います。ご不要になりましたお茶道具がございましたら、六角堂までお問い合わせください。六角堂は、東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。是非ご利用ください。
お茶道具の強化買い取り作家は以下となります。
千家十職 大西清右衛門、駒沢利斎、土田友湖、黒田正玄、永楽善五郎、中川浄益、楽吉左衛門、中村宗哲、奥村吉兵衛、飛来一閑
陶芸家 朝日豊斎、上田直方、 大樋長左衛門、 小川長楽、大野鈍阿、亀井楽山、久世久宝、坂倉新兵衛、坂田泥華、清水六兵衛、須田青華、杉田祥平、杉本貞光、膳所焼陽炎園、田原陶兵衛、高取静山、高取八仙、高橋道八、長岡空権、中村翠嵐、西村徳泉、三浦竹軒、三浦竹泉、宮川香斎
金工 角谷興斎、角谷一圭、角谷莎村、金谷五良三郎、木村清五郎、加藤忠三朗、菊地政光、 佐藤浄清、高橋敬典、 高木治良兵衛、長野烈、根来実三、根来茂昌、畠春斎、明珍
漆芸 一后一兆、黒田辰秋、音丸耕堂、北村昭斎、川端近左、川瀬表完、前畑雅峰、道場宗廣、村瀬治兵衛、堆朱楊成、渡辺喜三郎、金城一国斎

土田友湖(つちだ ゆうこ)

土田友湖は千家の正統的な茶道具を制作する千家十職の一家(袋師)です。当代の十二代(1965年に襲名)は、11代が身体をこわしたため、昭和29年中学卒業と同時に表千家の内弟子に入り家元へ通うようになります。昭和35年からは、父親の代理で十職の一員として家元に出入りするようになりました。ご本人も「弟子と職家の二足のわらじを履いてた」と話しているように、作る側・使う側の二つの目をもって袋師としての伝統の技の継承に努めていらっしゃいます。

土田家の祖先は近江国蒲生郡土田村の出身の侍・土田七大夫と言われています。その子孫・半平は京都に出て商人となり西陣の仲買いをしていましたが、手先が器用だったため、近隣に住む袋物師亀岡宗理に袋作りの技術を教わりました。宗理は茶道に熱心で、藤堂家の茶頭に就任するにあたり、家業の全てを土田半平に譲ります。半平は、それより袋師となりました。初代半平は、表千家七代如心斎と俳諧を通じて深い交友がありました。如心斎が大津の石山寺へ参詣した際、半平はお供をしますが、琵琶湖に船を浮かべて観月の遊びをしていたときに、何か感じるところのあり船上で剃髪しました。その際に如心斎より「友湖」の号を賜ったそうです。琵琶湖の船上で、「湖の友」という名前を頂くとは、何ともいえず風流な感じがしますね。その後、代々、友湖の名前は当主に伝わっていくこととなりました。

 

京都府京都市へ出張。ただいま帰宅しました。

10日の夜より京都へと出張へ行き、先程埼玉へと帰省しました。今回の出張は、道具屋さん仲間たちとお茶道具や骨董品などの勉強に行ってまいりました。ここ数年は京都への出張が多く、いつも茶道具商や骨董屋さんの先輩方に勉強を兼ねて食事に連れて行ってもらったりしてます。今回の出張でも、多くのことを教わり、たくさん勉強させていただきました。わたくし自身を含め、六角堂では日々勉強して成長していきたいと思います。いつもお世話いただき、とても感謝しております。画像は、京都タワー、いつも良く行く木屋町にある「馬野郎」さんの馬刺し盛りに桜納豆です。12日は朝から商売繁盛の神様、えびす神社へと行き、商売繁盛を祈願してきました。夜は河原町にある「和彩たか」さんへ先輩方に連れてっていただき、海鮮盛り合わせや、白えびの刺身、麻婆豆腐ではない和婆豆腐なるものをいただきました。海鮮料理をはじめ、創作和食料理どれも大変おいしかったです。店内でWBCの日本対オランダ戦を見ながらお食事をいただきましたが、あまりの熱戦にみんな興奮しておりました。最後に日本が勝てて良かったです!今日はビジネスホテルを10時にチェックアウトして、途中滋賀県にある新名神高速道路の土山SAㇸとお土産を買いに寄り、そのまま休憩なしで埼玉へと帰省しました。土山サービスエリアでは、毎回画像のステーキ丼を頂いております。今回の出張では、行きも帰りも同じものを食べてしまいました。すごく美味しくて、土山へお寄りの際にはとてもお勧めでございます。最近お腹周りが気になり、サウナへ行ったりしておりますが、今回の出張でまた少しメタボになってしまった気がします・・・明日からまた出張買取の日々が続きますので、お腹と気を引き締めて頑張ります!!京都の皆さん、有難うございました!

東京都立川市にて、木彫りの如来像、菩薩像、不動明王像、七福神など古いものから新しい仏像など。

東京都立川市にて、木彫りの如来像、菩薩像、不動明王像、七福神など古いものから新しい仏像までたくさんお譲りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。仏像を集めるのが好きだったとのことで、木彫りの如来像、菩薩像、不動明王像、七福神など古いものから新しい仏像までたくさんございました。画像の他にも、仏具や、お香などをお譲りいただきました。お父様が大事にされていた御道具、当社で責任もって次に大事にして頂ける様に繋げていきます。お忙しい中、ありがとうございました。

今回お譲りいただきましたのは木彫り仏像でしたが、当社が仏像鑑定で最初に見るのは、仏像の作られているその素材です。「仏像」というと立体的に表された彫像を指すことが多いのですが、彫像の材質は、金属製、石造、木造、塑造、乾漆造など様々なものがございます。使われている素材の産地や希少さによっても仏像の価値は大きく違ってきます。六角堂ではどのような素材の仏像も幅広く取り扱っておりますので、何かございましたらお問い合わせください。

六角堂では、仏像彫刻を探しております。
如来 釈迦如来、大日如来、阿弥陀如来、薬師如来
菩薩 観音菩薩、文殊菩薩、弥勒菩薩、地蔵菩薩
明王 不動明王、孔雀明王、愛染明王
天部 持国天、増長天、広目天、多聞天、帝釈天、吉祥天、阿修羅、金剛力士
七福神 恵比寿天、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋

仏像は骨董品や美術品としての価値も高く、素材も金属、石、木、彫塑、乾漆など様々な仏像がございます。 古い時代の仏像には骨董品としての価値があったり、作家物であればその作家の評価も買受け額に影響してきます。ご自宅にお持ちの仏像・仏画・曼荼羅・仏教彫刻など仏教美術について、売却をお考えの際は六角堂までお気軽にご相談下さい。仏像などの仏教美術に詳しい専門家が出張査定し、高価買取させていただきます!

これから京都へとお茶道具の勉強を兼ねて、出張してまいります。皆様からお譲り頂くお茶道具や骨董品など、諸道具をきちんと扱えるよう、頑張って成長してきます!!14日より出張買取を再開させていただきます。ご予約は随時承っておりますので、何かございましたらご連絡ください。

埼玉県さいたま市岩槻区にて、桐たんすや水屋箪笥、掛軸、お茶道具、塗師小坂修斎作 宗旦好 丸手付莨盆、竹白斎作煤竹 通い筒をお売りいただきました。

埼玉県さいたま市岩槻区にて、桐たんすや水屋箪笥、掛軸、お茶道具、塗師小坂修斎作 宗旦好 丸手付莨盆、竹白斎作煤竹 通い筒をお譲りいただきました。

遺品整理の買取にてお呼びいただきました。画像の他にもたくさんのお茶道具をお譲りいただきました。お亡くなりになられたお母様の大事にされていた表千家茶道の御道具、大事に次へと繋げさせていただきます。お忙しい中、当社をお呼びいただき有難うございました。帰路、川越市にある大衆食堂 半田屋 川越店へと寄りました。こちらの半田屋さんは、セルフサービスのお店で、安い・早い・美味しい大衆食堂。常時70種類以上のおかずの中から好きなものを選べる魅力。サラリーマンやお子様連れのファミリーにも大人気です!! 大量に並べられたおかずから好きなものを選ぶシステムに感激です。画像のメニューでだいたい500円位です。一食で色々なものを食べたいわたしにはお勧めのお店でした。

六角堂では、茶碗、水差 、棗、茶入、香合、風呂、釜、花入、茶杓、菓子皿、銀瓶、鉄瓶、 茶棚、炉縁などのお茶道具を強化買取しております。裏千家、表千家、武者小路千家、裏千家久田家、表千家堀内家、藪内家、遠州流、宗偏流、松尾流、江戸千家、大日本茶道学会などのお道具、作家物からお稽古用まで、お茶道具に関して幅広く取り扱っております。お茶道具の専門スタッフか、お見積もりに伺います。ご不要になりましたお茶道具がございましたら、六角堂までお問い合わせください。六角堂は、東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。是非ご利用ください。
お茶道具の強化買い取り作家は以下となります。
千家十職 大西清右衛門、駒沢利斎、土田友湖、黒田正玄、永楽善五郎、中川浄益、楽吉左衛門、中村宗哲、奥村吉兵衛、飛来一閑
陶芸家 朝日豊斎、上田直方、 大樋長左衛門、 小川長楽、大野鈍阿、亀井楽山、久世久宝、坂倉新兵衛、坂田泥華、清水六兵衛、須田青華、杉田祥平、杉本貞光、膳所焼陽炎園、田原陶兵衛、高取静山、高取八仙、高橋道八、長岡空権、中村翠嵐、西村徳泉、三浦竹軒、三浦竹泉、宮川香斎
金工 角谷興斎、角谷一圭、角谷莎村、金谷五良三郎、木村清五郎、加藤忠三朗、菊地政光、 佐藤浄清、高橋敬典、 高木治良兵衛、長野烈、根来実三、根来茂昌、畠春斎、明珍
漆芸 一后一兆、黒田辰秋、音丸耕堂、北村昭斎、川端近左、川瀬表完、前畑雅峰、道場宗廣、村瀬治兵衛、堆朱楊成、渡辺喜三郎、金城一国斎

 

東京都文京区本郷にて、唐木の違い棚、画仙紙、筆、古墨、黄道周銘漢詩刻端渓硯、老抗端渓硯などの書道具、をお売りいただきました。

東京都文京区本郷にて、唐木の違い棚、画仙紙、筆、古墨、黄道周銘漢詩刻端渓硯、老抗端渓硯などの書道具、をお譲りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。お亡くなりになられたお爺様が大事にされておりました書道具などをお譲りいただきました。次に大事にしていただける方へと大事に橋渡しさせていただきます。現在中国のコレクターの買い付けなどで文房四宝をはじめ書道具が高額となっております。今回お譲り頂いたお品のように漢詩の入った硯や古い書道具は特に人気がありますので、高価買取が可能です。

六角堂では、端渓硯、端石硯、歙州硯、洮河緑石硯、澄泥硯、魯硯、太史硯などの硯、曹素功、汪近聖、汪節庵、胡開文、古梅園、墨運堂、玄林堂、鳩居堂などの墨、紅星牌、三星牌などの中国画仙紙、古筆をはじめ、拓本、硯箱、硯屏、水滴、墨床、筆架、筆筒、水印などの書道具を探しております。また、寿山石、青田石、田黄石、鶏血石などの希少な印材も探しております。書道具は、使用済みのものや状態の良くないものでも査定が付く場合が数多くあります。ご売却をお考えの際は、是非六角堂までご相談ください。

書道具の他、時代家具、古道具、骨董・美術品をご処分の際には、六角堂までお問い合わせください。

黄 道周(こう どうしゅう)1585年3月9日(万暦13年2月9日) – 1646年4月20日(隆武2年3月5日)は、明末の作家、能書家。字は幼平、号は石斎。

福建漳浦の人。貧民の出身で多芸多才であった。書法は鐘繇に学んで楷書・行書・草書が清健にすぐれ、倪元璐や王鐸と並んで明代の書道の名人と称された。 天啓2年(1622年)に科挙に合格して進士に及第し、庶吉士となる。のちに、翰林院編修となった。崇禎元年(1628年)、右中允に任じられる。その後すぐ、銭龍錫に対する減刑を求めて崇禎帝の怒りを買い、3級連降格される。崇禎5年(1632年)、再び上疏して時政を批判したため、免職となる。崇禎9年(1636年)、旧職に復した。しかし崇禎11年(1638年)、軍督の楊嗣昌が服忌期間に任命を受けたのを批判して、再び6級連降格される。翌年、友人の鄭鄤が崇禎帝の指示により凌遅刑に処され、悲しみ憤った。崇禎14年(1641年)、江西巡撫の解学龍が黄道周の代わりに許しを乞うて上書したが、崇禎帝は私情にとらわれて不正を疑い、黄道周に酷い拷問を加えて収監した。首輔の周延儒が崇禎帝に懇願したため死罪は免れ、広西へ追放された。同年、周延儒の推薦で再び旧職に復したが、崇禎帝の滅びる運命を予見し、失望して自ら辞任した。その後、九龍江で書画塾・鄴山講堂を開く。崇禎17年(1644年)、崇禎帝が自殺し、弘光帝が南京で即位すると、南京へ上り南明の礼部尚書を務め、職務に精励した。しかし翌弘光元年(1645年)に清軍が南京を占領し、弘光帝が捕らえられた。この時、黄道周は浙江へ大禹の祭祀のため公務出張していて難を逃れたが、悲しみとともに福建の家へと帰る。同年、福州の地で鄭芝龍らと共に、隆武帝の許へ出仕し、武英殿大学士となる。翌年、江西に赴き義勇兵を募ろうとしたが、清軍に捕らえられる。黄道周は明朝への強い忠誠心を示し、降伏を拒絶したため、南京で処刑された。4人の弟子(蔡春落、頼継謹、趙士超、毛玉潔)も処刑された。 南明において文明伯の号が贈られ、忠烈と諡された。

文京区出張地域は、大塚 音羽 春日 小石川 後楽 小日向 水道 関口 千石 千駄木 西片 根津 白山 本駒込 本郷 向丘 目白台 弥生 湯島

埼玉県日高市の旧家にて、古い和家具や古民具、古伊万里、明治期の陶磁胎七宝高坏形菓子器をお売りいただきました。

埼玉県日高市の旧家にて、古い和家具や古民具、古伊万里、明治期の陶磁胎七宝高坏形菓子器を買取させていただきました。

旧家解体前の処分整理にてお呼びいただきました。古い和家具をはじめ、物置に眠っておりました古伊万里など古い陶磁器を買い受けさせていただきました。画像の高坏形菓子器は、陶磁器に細かな有線七宝を施しています。植線は銀線です。底に金直しがありますが、素晴らしい作品でしたので、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けました。帰りに、川越市にあるラーメン屋さん「今も昔も」さんへと寄らせていただきました。みそネギらーめんにミニ焼き肉丼をいただきました。味付けがとっても良かったです!

陶磁胎七宝とは、銅や銀などの金属の代わりに、素地に陶器や磁器を用いて、その上に七宝を施したものです。素地と釉薬がはがれやすいという欠点があります。塚本貝助の考案と伝えられますが、明治3年(1870)に川出柴太郎が考案したともいわれます。
また、吉田直重はその作品に「磁器七宝発明人」と記しています。この七宝は、明治前期に盛んでしたが、作品完成後、時が経つにしたがって表面に亀裂が生じるため、輸出先の欧米で不評となり、生産されなくなりました。

ご自宅に飾らなくなってしまった古九谷や古備前などの焼き物、押入れにしまったままの作品がございませんか。蔵や物置にしまったままで価値の分からないものの処分にお困りの方、コレクションの整理で買い取り店を探している方より多くのご相談をいただき、古九谷、古伊万里といった作品など古陶磁買い取りは幅広いジャンルに対応しております。 六角堂は、豊富な知識と鑑定経験をもつ鑑定士が、一品一品を丁寧に評価し高価でお引取りさせていただいております。少しでも高く売るなら当社に一度ご連絡くださいませ。お気軽に、ご相談ください!!

神奈川県横浜市金沢区にて、総桐箪笥、和たんす、お茶道具、角谷興斎(与斎)の鵬雲斎好み鶴雲釜をお売りいただきました。

神奈川県横浜市金沢区にて、総桐箪笥、和たんす、お茶道具、角谷興斎(与斎)の鵬雲斎好み鶴雲釜をお譲りいただきました。

リサイクルショップの方よりご紹介いただき遺品整理にてお呼びいただきいただきました。いつもお呼びくださりありがとうございます。本日は、裏千家の師範をされておりました方の遺品処分との事でお呼びいただきました。茶碗などは形見分けで親戚の方がお持ち帰りされたようで、釜が多くございました。画像の角谷興斎鵬雲斎好鶴雲釜は人気のお品ですので、釜環がありませんでしたが、高額査定にて買い受けさせていただきました。こちらの釜は鉄地肌の艶が良く、釜の肩部分は優雅で柔らかな曲線を描いております。鶴の鋳込みは精緻でとても鉄から成型したものとは思えないほどです。蓋に取り付けられた銀摘が良いアクセントとなっております。共箱には、裏千家15代鵬雲斎の花押、書付がございます。

画像のお品の他にも、茶棚を数多く買い取らせていただきました。帰りに、横浜中華街へと寄らせていただき、138品食べ放題のお店へ寄らせていただきました。中華街へ来たら必ず寄らせていただいております横濱媽祖廟(よこはままそびょう)へと本日も参拝しに行きました。今回もまた、人気の中国骨董品の買い取りが入るよう祈願させていただきました!T橋氏もN尾氏も斉白石~呉昌碩~と買取り祈願されておりました^^

六角堂では、茶碗、水差 、棗、茶入、香合、風呂、釜、花入、茶杓、菓子皿、銀瓶、鉄瓶、 茶棚、炉縁などのお茶道具を強化買取しております。裏千家、表千家、武者小路千家、裏千家久田家、表千家堀内家、藪内家、遠州流、宗偏流、松尾流、江戸千家、大日本茶道学会などのお道具、作家物からお稽古用まで、お茶道具に関して幅広く取り扱っております。お茶道具の専門スタッフか、お見積もりに伺います。ご不要になりましたお茶道具がございましたら、六角堂までお問い合わせください。六角堂は、東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。是非ご利用ください。

3代角谷与斎(かくたによさい)-1938年(昭和13年)

3代角谷与斎は2代角谷興斎の長男として大阪府に生まれました。
裏千家14代淡々斎宗室より「与斎」の名前を授かり、1970(昭和45)年に3代角谷与斎を襲名しました。
裏千家の出入り職人であり、裏千家15代鵬雲斎宗室の御好をよく制作されています。
茶道具の制約を破ることなく新しい道具、「生きもの」となる釜づくりに心血を注ぐ。叔父に重要無形文化財(人間国宝)「茶の湯釜」の保持者である角谷一圭を持ちます。

埼玉県さいたま市緑区にて、総桐たんす、お着物、欄間、火鉢、毛氈、人間国宝十三代今泉今右衛門の色鍋島吹墨草花文水滴をお売りいただきました。

埼玉県さいたま市緑区にて、総桐たんす、お着物、欄間、火鉢、毛氈、人間国宝十三代今泉今右衛門の色鍋島吹墨草花文水滴をお譲りいただきました。

不動産屋さんのご紹介で遺品整理にてお呼びいただきました。いつもお呼びくださり有難うございます。遺品整理のお道具たち、大事に繋いでいきます。帰路、近所で良く食べに行くラーメン雷豚 三芳店へ寄り、辛味噌ラーメンと焼き餃子をいただきました。臭いを抑えた特製のニンニク唐辛子と、辛みそ専用に作った焦がしラー油のダブル辛味に、旨味挽き肉ミンチを加えて完成させたこの店一番人気のラーメンです!
麺は専用ブレンド粉の「傾奇者」と群馬県産の地粉「きぬの波」を独自に配合した麺を使用してます!辛さは10段階から選ぶことが出来、わたしは4の大辛にしました。トッピングも豊富で、ネギをたくさんいただきました。辛味噌の辛さ、ネギの辛さがたまらなく癖になります!癖になってます!!

六角堂では「今泉今右衛門」の作品を探しております。
ご所蔵の作品(本人作、窯作品も高額買受致します。)がございましたら、
無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取させていただきます。
今泉今右衛門作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!
陶芸作品をお見積りの際には、詳しい鑑定士が査定させていただきます。他にも絵画、骨董・美術品をご処分の際には、六角堂までお問い合わせください。

十三代 今泉今右衛門(いまいずみいまえもん) 1926年(大正15)~2001年(平成13) 佐賀県有田出身

13代今泉今右衛門は12代今泉今右衛門の長男として佐賀県に生まれました。本名を善詔といいます。十三代は、若い頃から創作的な色鍋島の制作に取り組み、現代の角度からの色鍋島に意欲を燃やしました。昭和50年、十三代を襲名し、改めて「色鍋島今右衛門技術保存会」をつくり、重要無形文化財の総合指定を受けました。また、十三代らしい作品をと研鑽に努め、染付吹墨・薄墨吹墨の技法を確立し、その作品は伝統工芸展での優秀賞、日本陶芸展での秩父宮賜杯、毎日芸術賞、日本陶磁協会金賞を受賞するなど高い評価を得、平成元年には重要無形文化財「色絵磁器」保持者(いわゆる人間国宝)の認定を受けました。
1943(昭和18)年、佐賀県立有田工業学校を卒業しました。
1949(昭和24)年、東京美術学校(現:東京芸術大学)工芸科を卒業しました。
1958(昭和33)年、佐賀県展で最高賞を受賞しました。
1963(昭和38)年、一水会陶芸展で一水会会長賞を受賞しました。
一水会陶芸部会員に推挙されました。
1965(昭和40)年、日本伝統工芸展で日本工芸会会長賞を受賞しました。
日本工芸会正会員に推挙されました。
1972(昭和47)年、「色鍋島かるかや文鉢」が東京国立近代美術館に買い上げられました。
1974(昭和49)年、一水会陶芸展審査委員に就任しました。
1975(昭和50)年、13代今泉今右衛門を襲名しました。
1976(昭和51)年、日本陶磁協会賞を受賞しました。
父の死去で色鍋島技術保存会に対する国の重要無形文化財総合指定が解除されたのですが、
「色鍋島今右衛門技術保存会」を改組して会長となり再認定を受けました。
日本工芸会理事に推挙されました。
日本伝統工芸展の出品作品が文化庁に買い上げられました。
1979(昭和54)年、日本伝統工芸展優秀賞(NHK会長賞)、佐賀県芸術文化賞を受賞しました。
1980(昭和55)年、日本伝統工芸展鑑査委員に就任しました。
1981(昭和56)年、日本陶芸展最優秀作品賞(秩父宮賜杯)を受賞しました。
有田陶芸協会発足に伴って会長に就任しました。
日本工芸会西部支部幹事長に就任しました。
1982(昭和57)年、佐賀県陶芸協会会長に就任しました。
日本伝統工芸展の出品作品が東京国立近代美術館に買い上げられました。
日本伝統工芸展鑑査委員に就任しました。
1983(昭和58)年、日本伝統工芸展鑑査委員に就任しました。
1984(昭和59)年、西日本文化賞を受賞しました。
1985(昭和60)年、日本伝統工芸展鑑査委員に就任しました。
1986(昭和61)年、紫綬褒章を受章、佐賀県政功労賞、佐賀新聞文化賞を受賞しました。
1987(昭和62)年、日本工芸会常任理事に推挙されました。
日本伝統工芸展鑑査委員に就任しました。
1988(昭和63)年、毎日芸術賞、第一回MOA岡田茂吉賞を受賞しました。
1989(平成元)年、重要無形文化財「色絵磁器」の保持者(人間国宝)に認定されました。
日本陶磁協会金賞を受賞しました。
1991(平成3)年、佐賀県庁県民ホールの陶壁を制作しました。
1992(平成4)年、国際陶芸アカデミー(IAC)の名誉会員に推挙されました。
1993(平成5)年、佐賀県立有田窯業大学校長に就任しました。
1995(平成7)年、国際文化交流に対し、外務大臣より表彰されました。
1998(平成10)年、グッドデザイン賞審議委員に就任しました。
1999(平成11)年、勲四等旭日小綬章を受章しました。
2000(平成12)年、日本工芸会副理事長に就任しました。
伝統的な色鍋島の装飾技法に加え、
「吹墨」、「薄墨」、「吹重ね」という独創的な作風を創出しました。
13代が日本陶芸界に与えた技術的功績は計り知れず、
端正で流麗な造形、安定した色調、精緻な文様の斬新さには驚嘆すべきものがあります。