群馬県邑楽町にて小暮真望 、倉島重友、谷内六郎、いわさきちひろの版画。

群馬県邑楽郡邑楽町にて小暮真望 、倉島重友、谷内六郎、いわさきちひろの版画をお売りいただきました。

一年ほど前より絵画を整理しようかご相談をいただいており、本日出張買取させていただくこととなりました。お売りいただいたお品は、小暮真望のシルクスクリーン「春華 北アルプス五竜岳」、「谷川岳」、「田代池の四季(夏)」、倉島重友のリトグラフ「萌ゆる春」、いわさきちひろのリトグラフ「神戸原の山羊」、谷内六郎のリトグラフ「ふるさとの詩 おいしい宿題」、木版画「みなと・かもめ」、関口コオのリトグラフなど。たくさんの絵画をお売りいただきました。数点シミやヤケのある作品がございましたが、一点一点丁寧に査定し、全て買い取らせていただきました。大切にされていた絵画を泣く泣くのご処分、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名いただき、有難うございました。
画像は邑楽町にある多々良沼。冬には白鳥が飛来することで有名な沼です。もうじき桜が咲くと賑やかになるようです。帰りに「かつ太郎 邑楽店」さんで食事をしました。とんかつに二十一穀米、とても美味しかったです。

小暮真望(こぐれしんぼう)1948年~
1948年 群馬県館林市に生まれる。
1966年 館林高校卒業。
1972年 明治大学大学院工学部修了。㈱本田技術研究所に入社。
1982年 ㈱本田技術研究所を退社。「セリグラフ美術研究所」を設立。

倉島重友(くらしましげとも)1944年~
1944 長野県に生まれる。
1971 東京芸術大学大学院修了。再興第56回院展で初入選したのち平山郁夫に師事。
1974 高松塚古墳壁画模写に参加。
1982 東京セントラル美術館日本画大賞展大賞。
2001 院展日本美術院賞。
2004 院展同人になる。

谷内六郎(たにうちろくろう)1921年~1981年
1921 東京・恵比寿で9人兄弟の6男として生まれる。
1933 旭尋常小学校卒業。世田谷・上馬に転居。
1935 駒沢尋常高等小学校卒 『キング』『少年倶楽部』などに度々入選する。
1937 『市電文化ニュース』に3コマ漫画「コドモノページ」「回覧板風景」などを掲載。
1944 防空凧などの取り扱い解説の漫画絵や、兵器類の図案描きを担当。
1946 『民報』紙に4コマ漫画「真実一郎君」を連載。
1947 『働く婦人』に漫画「ハタラク里子ちゃん」連載。
1948 『働く婦人』に漫画「ひよちゃん日記」を連載。
1955 第1回文藝春秋漫画賞を受賞、『谷内六郎画集』を刊行。
1956 『週刊新潮』創刊と同時に表紙絵を担当。
1965 東京池袋・西武百貨店で『週刊新潮』500号記念展覧会を開催。
1981 死去。享年59歳。

いわさきちひろ1918年~1974年
1918年に福井県で生まれる。14歳で岡田三郎助にデッサンや油絵の基礎を学びました。美術学校への進学は諦め、洋裁学校に入学し、同時に小田周洋に師事し書を学びます。1939年に婿養子を迎え満州大連に渡りますが、翌年には死別して帰国。再び絵を学ぶために中谷泰に師事します。長野で終戦を迎えますが、共産党への入党を機に上京し丸山俊に師事してデッサンの研鑽を積みました。1950年松本善明と再婚し一子を得て、画家として多くの作品を手掛けます。1960年の油彩作品『子ども』を最後に水彩画に絞り、絵本作家として邁進しました。1974年肝臓がんにより55歳で永眠。1977年に自宅兼アトリエ跡にいわさきちひろ絵本美術館(現ちひろ美術館 東京)を開館。2001年には安曇野ちひろ美術館が開館しました。

東京都立川市にて岩谷堂箪笥、十四代柿右衛門の珈琲碗、贈答品など。

東京都立川市にて岩谷堂箪笥、十四代柿右衛門の珈琲碗、贈答品などをお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。和箪笥をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は岩手県の民芸家具「岩谷堂箪笥」の整理箪笥と小箪笥、十四代酒井田柿右衛門の錦花鳥文珈琲碗、深川製磁や香蘭社などの贈答品。岩谷堂箪笥は縦長総抽斗の整理箪笥と船金庫のような形をした小箪笥の二点。多少のヤケがあるものの、目立つダメージなく全体的に状態の良いたんすであります。一人の職人が木取りから一貫して行う木地造り。欅の木目を美しく引き出す漆、南部鉄の豪華な金具が特徴の岩谷堂箪笥。堅牢さと重厚さの中にも、華麗な繊細さを秘めた岩谷堂箪笥は現代の住空間の中でも、強烈な存在感を保っています。岩谷堂箪笥の他、贈答品もご処分されたいとのことで、併せて買取させていただきました。当社で買い取りを強化している十四代柿右衛門窯のお品などもあり、お客様にご満足いただける査定額で買い取りさせていただくことが出来ました。本日はお忙しい中、六角堂をご指名いただき有難うございました。

十四代 酒井田柿右衛門(さかいだかきえもん)
1934年佐賀県有田町に生まれる。
1958年多摩美術大学日本画科卒業。
作陶技術を十二代、十三代柿右衛門に師事。
十四代を襲名するまで「酒井田 正」として各公募展への出品、個展等を行う。
1982年十四代柿右衛門を襲名。
2001年国指定重要無形文化財「色絵磁器」保持者(人間国宝)に認定される。
2005年旭日中綬章受章
2006年有田名誉町民の称号を受ける
2007年西日本文化賞受賞
2013年6月15日逝去(享年78)

東京都目黒区南にて八島正明、堀田高の油彩画、反物など。

東京都目黒区南にて八島正明、堀田高の油彩画、反物などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お引越し先が狭くなるので絵画や反物などをご処分されたいとご連絡いただき、出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は八島正明の油彩画「夏の日」三点、「水筒と花梨」、堀田高の油彩画「白いテーブル」、「白い塔」、大島紬や結城紬の反物数点。八島正明は広島で原爆の熱線によって刻まれた石段の影を見たことや、幼くして妹を亡くした経験などにより、「影」への関心を高め制作に取り組んできました。作品はキャンバスに白い油絵具で地塗りを施し、その上に黒い油絵具を重ねたものが土台となっております。木綿針で画面を引っ掻き、白くしたい部分を削ると、独自のモノクロームの静寂な世界が出現します。「夏の日」の兄妹は幼くして失った妹を思い描いた作品なのかもしれません。手をつなぎ歩く姿がとても良いです。堀田高は一枚の絵の人気画家。印象派の巨匠・ルノワールが晩年を過ごした町であるカーニュで創作活動をしました。ルノワールが住んでいた近くにアトリエを構え、周辺の風景や花を中心に作品を発表。2009年に帰国し「空間が広くて遠望が良いカーニュの景色に似ている」という理由から真鶴町へ移りました。90年にニース・リビエラ絵画・彫刻アカデミー主催の「秀作美術展」でグランプリを受賞しました。お売りいただいた作品は南仏カーニュの風景画。堀田高らしい素晴らしい作品であります。いずれもタトウ箱があり、作品状態も良好。お客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。お引越しで泣く泣くのご処分とのこと、大切に次へと橋渡しさせていただきます。お忙しい中、六角堂をご指名くださり有難うございました。

八島正明(やしままさあき)1936年~
1936年 三重県いなべ市に生まれる。
1939年 名古屋市に転居する。
1944年 郷里へ疎開する。
1959年 三重大学学芸学部卒業。
1961年 第21回美術文化展に初入選。*以後出品を重ねる。65年会員、2001年退会。
1965年 第25回美術文化展で美術文化賞受賞。
1966年 個展(納屋橋画廊, 名古屋)。
1967年 第11回シェル美術賞展で佳作賞受賞。*70年第14回展、74年第18回展で同賞受賞。
1969年 第4回ジャパン・アート・フェスティバル(パリ)。
1974年 第9回ジャパン・アート・フェスティバル(モントリオール)。第18回安井賞展で安井賞受賞。
1977年 第8回国際青年美術家展。第13回現代日本美術展。
1978年 第12回日本国際美術展。
1979年 第1回明日への具象展。*82年第4回展まで出品。
1980年 現代日本のマニエリスム展。
1985年 第1回具象絵画ビエンナーレ。*89年第3回展も出品。
1987年 個展(西武アート・フォーラム)。
1996年 大阪国際トリエンナーレ。第3回小磯良平大賞展(神戸市立小磯記念美術館)で佳作賞受賞。
2005年 個展(伊勢現代美術館)。
2008年 「版」の誘惑展(名古屋市美術館)。
2009年 幻想と抽象展(岡崎市美術館)。
2010年 針生一郎が選んだ愛知60年代の現代美術展(堀美術館)。

堀田高(ほったたかし)1934年~
1934年、京都で生まれる。武蔵野美術大学卒業。
1970年渡仏し、南仏カーニュで40年創作活動をする。
1990年にニース・リビエラ絵画・彫刻アカデミー主催「秀作美術展」でグランプリ受賞。
2009年に帰国し、2014年真鶴に堀田高洋画館開設。
現展会員、努力賞など他多数受賞。東京・パリ・ニースにて個展を開催。

東京都港区高輪にて富本憲吉の鉄描皿、作家物の陶器、着物、反物。

東京都港区高輪にて富本憲吉の鉄描皿、作家物の陶器、着物、反物をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お着物や陶器をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は人間国宝 富本憲吉の鉄描皿二点、近藤悠三の花瓶など作家物の陶器、訪問着や大島紬などの反物。当社の得意とするお品ばかりでございました。富本憲吉が制作された作品の場合、底部や高台内の描き銘(サイン)の違いを見分ける事でその作品が制作された年代を特定することができます。描き銘から本作品は氏の初期作品であることがわかります。一点は高台内に描き銘「憲」、安田茂郎識箱に納められております。もう一点は高台内に描き銘「富」、伊藤竹香堂の額にて額装されております。前作ではありますが、どちらも状態の良い作品でしたので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。素晴らしい作品をお譲りいただき、誠に有難うございました。

富本憲吉(とみもとけんきち)1886(明治19)-1963(昭和38)
1886年 奈良県生駒郡安堵町に生まれ。幼少より絵を学ぶ
1908年 大学卒業前にロンドンへ私費留学。(留学中に卒業)
1911年 ロンドンから帰国。来日していたバーナード・リーチと出会い、交友を深めてゆく
1913年 故郷の裏庭に簡単な窯を作り、楽焼作りを始める
1926年 奈良から世田谷に住まいを移し、窯を築く。(以降を東京時代ともいう)
1944年 東京美術学校教授になる
1946年 美術学校および芸術院会員を辞し、家族とも別れ、京都へ移る。
1949年 京都市立美術大学教授
1955年 重要無形文化財技術指定保持者(人間国宝)に認定される。
1961年 文化勲章受章
1963年 死去

埼玉県さいたま市北区にて岩谷堂箪笥、志木市にて竹久夢二の版画。

 

埼玉県さいたま市北区にて岩谷堂箪笥、志木市にて桐箪笥、竹久夢二の木版画「黒船屋」をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は埼玉県さいたま市北区へ岩谷堂箪笥、民芸家具の出張買取でお伺いしました。昨日岩谷堂箪笥(和箪笥)の買取をさせていただきましたが、追加の箪笥がございましたので本日も出張させていただきました。お売りいただいたお品は、岩手県の伝統工芸品、岩谷堂箪笥の和箪笥(衣装箪笥)、書棚、民芸家具の箪笥。岩谷堂箪笥特有の色ヤケやアタリ傷などございましたが、当社で買取強化中のタンスになりますので、全て買い取らせていただきました。搬出をお手伝いいただき有難うございました。二件目は志木市へ、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は竹久夢二の木版画「黒船屋」、工芸の掛け軸、桐たんすなど。竹久夢二は大正浪漫を代表する画家で、「大正の浮世絵師」などと呼ばれております。数多くの美人画を残しており、その抒情的な作品は「夢二式美人画」などと呼ばれております。黒船屋は夢二の代表作であり、今なお人気がございます。多少ヤケなどございましたが当社の査定にご満足いただき、買取させていただきました。他にも掛け軸、桐箪笥とたくさんのお品をお売りいただきました。本日は六角堂をご指名いただき、有難うございました。

竹久夢二(たけひさゆめじ)明治17年(1884年)~ 昭和9年(1934年)
1884年 岡山県の酒屋に生まれる。
1899年 早稲田実業学校に入学。
1905年 在学中に「中学世界」のコマ絵「筒井筒」が一等入選。
1906年 学校を中退し童話雑誌「少年文庫」の挿絵を描く。
1907年 岸たまきと結婚。翌年長男・虹之助が誕生する。
1910年 絵葉書「月刊夢二カード」第一集発行。
1912年 雑誌「少女」に「宵待草」発表。
1914年 雑誌「子供之友」「新少女」(婦人之友社)に挿絵を描き始める。
1918年 京都府立図書館で個展を開く。菊富士ホテルにて「黒船屋」を制作する。
1931年 アメリカへ出航。展覧会など行う。その後欧州へ渡る。
1933年 滞欧中に病気が悪化して帰国。
1934年 信州富士見高原療養所へ入院。当地にて永眠。享年50歳。

埼玉県川越市にて加藤孝造の花入、若尾利貞の花入、徳利、火鉢など。

埼玉県川越市にて加藤孝造の花入、若尾利貞の花入、徳利、火鉢などをお売りいただきました。

本日は三件の出張買取。一件目は埼玉県狭山市にてお着物のお片付け整理でお呼びいただきました。お着物や帯、反物など、たくさんのお品をお売りいただきました。シミや汚れなどあるものもございましたが、全て買い取らせていただきました。二件目はさいたま市北区へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は木彫りの置物や贈答品など。たくさんのお品をお売りいただきました。岩谷堂箪笥がございましたが、運び出しが出来ない状況でしたので、来週またお呼びいただくこととなりました。来週も宜しくお願い致します。三件目は業者様のご紹介で、川越市へお引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は加藤孝造の花入、若尾利貞の花入、徳利、火鉢など。火鉢は欅材の関西火鉢。とてもしっかりとした良い火鉢です。陶器や贈答品などございましたが、加藤孝造や若尾利貞など、当社で買取強化中の作家作品もあり、お客様にご満足いただける査定額で買取することができました。加藤孝造は岐阜県出身の陶芸家。5代目加藤幸兵衛に陶芸の指導を受け、岐阜県可児市に窯を開き独立します。地元である美濃陶芸の道を志し、桃山時代の志野・瀬戸焼の再現に取り組んでいた荒川豊蔵(「志野・瀬戸黒」人間国宝)に師事します。平成22年には、重要無形文化財「瀬戸黒」の技術保持者(人間国宝)に認定されます。お売りいただいた志野花入は人間国宝となる前の作品で、近年制作された作品であったり、国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された技法である「瀬戸黒」ですと、査定金額・買取金額は、高額となってきます。若尾利貞もまた岐阜県出身の陶芸家。現代の美濃(多治見)を代表する陶芸家の一人で、特に鼠志野の第一人者と言われています。2003年に岐阜県重要無形文化財に認定され、現在も活躍されております。お売りいただいた作品は、織部の花入、志野の徳利。共箱ありで保管状態も良かったです。お売りいただいたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名いただき、誠に有難うございました。

加藤孝造(かとうこうぞう)1935年(昭和10)~
1935 岐阜県端浪市に生まれる
1953 日展(洋画)初入選、陶芸家・五代加藤幸兵衛に師事
1955 岐阜県陶磁器試験場工芸科主任技師就任
1966 日本工芸会正会員
1969 第1回東海伝統工芸展最高賞受賞
1995 岐阜県重要無形文化財「志野・瀬戸黒」保持者に認定
1998 中日文化賞受賞
2007 紫綬褒章受賞
2010 重要無形文化財「瀬戸黒」の保持者(人間国宝)に認定

若尾利貞(わかおとしさだ)1933年(昭和8)~
1933 岐阜県多治見市に生まれる
1960 中部美術展入選、ニュークラフト賞受賞
1961 岐阜県総合デザイン展受賞
1963 朝日陶芸展初入選
1965 日本伝統工芸展初入選
1968 初個展開催
1970 日本工芸会正会員
1971 日本陶芸展入選、海外選抜展出品
1972 美濃新人賞受賞
1973 中国国際陶芸展入選
1976 スウェーデン、ストックホルムにて個展開催
2003 岐阜県重要無形文化財認定

東京都西多摩郡日の出町にて岩谷堂箪笥(小箪笥)の出張買取。

東京都西多摩郡日の出町にて岩谷堂箪笥(小箪笥)をお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。和箪笥をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたタンスは岩手県の民芸家具「岩谷堂箪笥」の小箪笥。多少のヤケがあるものの、目立つダメージなく全体的に状態の良いたんすであります。欅の木目を美しく引き出す漆、南部鉄の豪華な金具が特徴の岩谷堂箪笥。堅牢さと重厚さの中にも、華麗な繊細さを秘めた岩谷堂箪笥は現代の住空間の中でも、強烈な存在感を保っています。ご家族が大切にされていたタンス、当社で大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名いただき、誠に有難うございました。帰りに西多摩郡日の出町にある「そば処 朝日屋」さんで食事をしました。カリカリ感のある衣が美味しいカツ丼と山菜そばのセット、とても美味しかったです。店内は綺麗で、ホールの方の接客も気持ち良く、地域に根付いた良いお店です。また寄らせていただきます。
岩谷堂箪笥は当社が長年買い取り続けている買取強化中の箪笥です。岩谷堂をお売りの際は、和家具・骨董品の専門店「六角堂」をご指名ください。

千葉県船橋市にて中田一於の花入、鈴木爽司の徳利、反物など。

千葉県船橋市にて中田一於の花入、鈴木爽司の徳利、反物などをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は千葉県千葉市中央区へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。タンスをご処分されたいとご連絡いただき、出張買取させていただきました。タンスは府中家具の婚礼タンスのセット。残念ながらこちらのタンスは当社で現在買取が厳しくなっているお品で、ご期待に添えることが出来ませんでした。たんすの他、ウエッジウッドの食器セットをお売りいただきました。ハミングバードというシリーズの食器で、全て未使用品でした。降雨入後、一度も使用せずに大切にされていたお品、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名くださり有難うございました。二件目は船橋市へ、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お引越しがあるため急ぎで出張買取へ来てほしいとご連絡いただき、即日対応させていただきました。お売りいただいたお品は、中田一於の釉裏銀彩花入、鈴木爽司の色絵梅文徳利、染付柘榴図徳利、結城紬や大島紬、丹後ちりめんなどの反物など。中田一於は、石川県出身の釉裏銀彩の技法を確立させた九谷焼の陶芸家。釉裏銀彩とは下地を塗って焼成をした素地に銀箔を切って膠で貼り付けて、透明釉をかけて焼成をするといった中田一於独自の技法であり、金箔を貼り付ける釉裏金彩は人間国宝に認定された吉田美統が確立していたのに対して、九谷焼の技術者が酸化による変質を嫌うことから使用していなかった銀箔で作品を制作することに成功しました。季節ごとに色味の違う作品も作り出していることから女性にも人気のある作家であります。鈴木爽司は京焼の作家として活躍しております。父親も陶芸家として活躍していたため、鈴木家の伝統である磁器型物の技法と絵付師としての花鳥画の伝統を受け継ぎ、京焼らしい雅な作品を作り続けております。白い肌に品良く描かれた色絵に金彩・銀彩をともに施す色絵金銀彩という技法を確立し、現在も活躍されております。陶器は全て共箱あり、反物は全て証紙がございましたので、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただくことが出来ました。お喜びいただけて良かったです。お売りいただいたお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。お忙しい中、お呼びいただき有難うございました。

中田一於(なかだかずお)1949年~
1949年 石川県に生まれる。
1974年 一水会に入選する。
1982年 日本伝統工芸展にて日本工芸会奨励賞を受賞する。
1990年 日本伝統工芸展にて日本工芸会奨励賞を受賞する。
1993年 「釉裏銀彩壷」がワシントン・スミソニアン機構サックラー美術館の永久保存作品に選ばれる。
2002年 石川県指定無形文化財保持者に認定される。
2010年 日本伝統工芸展にて日本工芸会保持者賞を受賞する。
2011年 紫綬褒章を受賞する。
2012年 小松市文化賞を受賞する。

鈴木爽司(すずきそうじ)1939年~
1939年 京都府 鈴木清の長男として生まれる。
1967年 京都市立美術大学へ進学。在学中に人間国宝で陶芸家の富本憲吉や六代目・清水六兵衛から薫陶を受ける。
1968年 日展初出品入選(~81年まで連続して入選)
1973年 京都国立近代美術館「現代工芸の俯瞰展」に出品する。
1974年 「京都府工芸美術展」第1回新人賞を受賞。
1977年 兵庫女子短期大学教授に就任する。

千葉県鎌ケ谷市にて岩谷堂箪笥(和箪笥・小箪笥)の出張買取。

千葉県鎌ケ谷市にて岩谷堂箪笥(和箪笥・小箪笥)をお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。和箪笥をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきましたお売りいただいたタンスは岩手県の民芸家具「岩谷堂箪笥」の下四大洋和箪笥、小箪笥の二点。和箪笥に目立つ色ヤケがございましたが、強化買取中のお品ですので、買取させていただきました。大変素晴らしい箪笥、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、誠に有難うございました。
岩谷堂箪笥は欅の木目を美しく引き出す漆、南部鉄の豪華な金具が特徴です。堅牢さと重厚さの中にも、華麗な繊細さを秘めた岩谷堂箪笥は現代の住空間の中でも、強烈な存在感を保っています。岩谷堂箪笥は永い年月を経て多くの職人たちの手によって研究・開発されてきました。江戸時代後期の岩谷堂箪笥を現在の岩谷堂箪笥のデザインと比較すると質素な印象を受けます。岩谷堂の種類は、三尺、三.五尺の整理たんすを基本としていますが現在では、洋服・衣裳・整理タンスの三点セット、茶箪笥、書棚、小箪笥、座卓など多くの箪笥が生産されております。珍しいたんすとしては、階段にも利用されたという上面が段々になった階段箪笥、船に積み込んで金庫の代わりを果たしたという頑丈な舟箪笥、火事などの非常時に移動しやすいように車がついている車箪笥などその種類は多く、見るだけでも興味のそそられるタンスがあります。モダンなデザインの家具が多くなった今、200年の伝統を誇る岩谷堂の持つ温もりと存在感は、大変魅力的です。当社でも岩谷堂箪笥は長年買い取り続けている買取強化中のタンスです。岩谷堂をお売りの際は、和家具・骨董品の専門店「六角堂」をご指名ください!

東京都目黒区にて初代 久保田一竹の辻ヶ花 袋帯、土田友湖の帛紗。

  

東京都目黒区にて初代 久保田一竹の辻ヶ花 袋帯、作家物のお着物、土田友湖の帛紗(表千家家元十三代 即中斎宗匠自筆)をお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理で、お着物を出張買取をさせていただきました。お売りいただいたお品は、初代 久保田一竹の辻ヶ花 袋帯や作家物のお着物、土田友湖の帛紗など。お着物は作家物が多くございました。帯もまた初代 久保田一竹の作品の他、龍村平蔵など作家物が多くございました。良いお着物が多く、一点一点丁寧に査定し、全て買い取らせていただきました。初代久保田一竹は20歳の時に東京国立博物館で辻が花と出会い、感銘を受け生涯をその研究にささげることを決意されました。太平洋戦時での召集などの困難を乗り越え、手描き友禅を生活の糧としながら、研究を続け、60歳にして初めて「辻ヶ花」を完成させます。これが「一竹辻ヶ花」と命名された逸品の始まりです。一竹の着物はファンも多く、特に初代のアイテムは非常に高値で取引をされているため、高額査定で買い取らせていただくことが出来ました。土田友湖(つちだゆうこ)は千家十職の袋師。千家十職とは茶道の三大流派の表千家、裏千家、武者小路千家の三千家好みの茶道具の制作を行っている金物師(中川浄益家)表具師(奥村吉兵衛家)や茶碗師(楽吉左衛門家)塗師(中村宗哲家)釜師(大西清右衛門家)土風炉・焼物師(永楽善五郎家)一閑張細工師(飛来一閑家)指物師(駒澤利斎家)竹細工・柄杓師(黒田正玄家)袋師(土田友湖家)の十の職業、十の家のことを言います。こちらの帛紗は、表千家家元十三代 即中斎宗匠自筆で寿字が描かれております。茶道をされていたようでしたが、お道具はすでにご友人方に分けられておりました。茶掛けが数点残っておりましたので、こちらも買取させていただきました。素晴らしいお着物や茶道具をお売りいただき、有難うございました。大切に次へと橋渡しさせていただきます。

初代 久保田一竹(くぼたいっちく)1917年(大正6年)10月7日~2003年(平成15年)4月26日
1916年 10月7日 神田に生れる
1931年 友禅師小林清師に入門
1948年 辻が花の研究に着手
1961年 独自の染色法一竹染を創業
1983年 パリ・チェルニスキー美術館にて「一竹辻が花展」
1984年 ニューヨーク・ダラスにて「一竹辻が花 光・風・音展」
1985年 ベルギー・ブリュッセルにて「一竹辻が花 光・風・音展」
1988年 バチカン宮殿にて上演された創作能「イエズスの洗礼」の衣装制作
1989年 ヨーロッパ主要都市にて個展
1990年 フランスよりフランス芸術文化勲章シェヴァリエ章を受賞
1993年 文化庁長官賞受賞
1994年 久保田一竹美術館(河口湖町)開館
1996年 ワシントンD.C.スミソニアン国立自然史博物館にて個展
2003年 逝去(享年86歳)

表千家家元十三代 即中斎宗匠
即中斎(そくちゅうさい)明治34年(1901)〜昭和54年(1979)。表千家13代。12代惺斎の次男に生まれる。兄不言斎の逝去により、昭和13年(1938)に家元を襲 名。第二次世界大戦の最中、昭和17年に千家同門会を発足させ、昭和24年(1949)には財団法人不審菴を設立。現代における茶の湯普及と伝統の保持と いう組織機構の基礎を築いた。