東京都文京区千石にて、進藤武松のブロンズ裸婦像、カルテルやイームズのチェア。

 

東京都文京区千石にて、進藤武松のブロンズ裸婦像、カルテルのルイ ゴーストチェア、ハーマンミラー社イームズデザインのアームシェルチェアなどをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、東京都文京区千石へオフィスのお片付け整理でお呼びいただきました。カッシーナやハーマンミラー、ドマーニなどの高級デザイナーズ家具を片付けで欲しいとご連絡いただきお伺いしました。いつもお客様をご紹介くださり有難うございます。オフィスへ到着して見渡すと有名なデザイナーズ家具や人気ブランド家具が多数ございました。だいぶ使用されていたようで状態の悪いものが多くございましたが、人気家具ですのでお客様にご満足いただける査定額で全て買い取らせていただきました。ハーマンミラー社製チャールズ&レイ・イームズデザインの代名詞とも言えるアームシェルチェアは、セカンドモデルと呼ばれている貴重なヴィンテージチェアです。ファイバーグラスというガラス繊維で強化されたプラスチックを使用しており、コレクターにはたまらない一品です。家具の他、ステンドグラスのライトや彫刻家進藤武松のブロンズ裸婦像も買い取らせていただきました。進藤武松は東京都出身の昭和~平成時代に活躍した日本の彫刻家。写実的な女性の裸体像や若い男性像を得意とした彫刻家で、美空ひばりの等身大のブロンズ像を手掛けている事でも知られています。六角堂でも買取を強化している彫刻作家の一人です。共箱の欠品、スレなどございましたが、強化買取り作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。良いお品を多数お売りいただき、有難うございました。
帰宅途中、大塚駅の近くにある「博多長浜らーめん ぼたん」へ寄りました。ラーメンに揚げネギニンニクをトッピング。濃厚な豚骨のスープに揚げネギニンニクが良く合い、替え玉を二杯追加しました。久々がっつりといってしまいました。とても美味しかったです。

進藤 武松(しんどう たけまつ)1909年1月5日 – 2000年2月12日
日本の彫刻家、日本芸術院会員。東京生まれ。東京物理学校中退。
1929年構造社彫塑研究所に入所。斎藤素巌に師事。
1934年「構造賞」受賞。
1938年文展特選。
1952年日展特選、朝倉賞、川合賞。
1961年日展評議員。
1968年日本彫刻会理事。
1973年日本芸術院賞。
1975年日展理事。
1980年日本彫刻会委員長(-1990年)。
1983年日本芸術院会員。
1984年日展顧問、日本彫刻会常務理事。
1985年勲三等瑞宝章、紺綬褒章受章。
1987年日展常務理事。
1993年、「悲しき口笛」を歌う12歳の美空ひばりの等身大ブロンズ像を制作した。

東京都杉並区方南にて、桐箪笥、海野宗泰の竹花入、佐藤清光の釜など。

 

東京都杉並区方南にて、桐箪笥、お着物、お茶道具、大徳寺松長剛山書付箱海野宗泰の竹花入一重口「銘 和心」、佐藤清光の淡々斎好車軸釜などをお売りいただきました。

本日は東京都杉並区方南へ、遺品整理でお呼びいただきました。お婆様が生前大切にされていた桐たんす、お着物、大徳寺松長剛山書付箱海野宗泰の竹花入一重口「銘 和心」、佐藤清光の淡々斎好車軸釜などのお茶道具を買い取らせていただきました。茶杓師海野宗泰の竹花入には大徳寺高桐院住職松長剛山の書付で「銘 和心」とございます。佐藤清光の釜は車軸の形をした面白い釜となってます。荷車などの車輪の中心部に似ているところからの呼称で、 古くからこの名があり、天明に多く見られるようです。裏千家14代の淡々斎が好んだ形で知られてます。鐶付は茄子になっており、縁起がいいですね。良いお道具をお売りいただき有難うございました。
帰りに高円寺駅そばにある「らーめん一蔵」さんへ寄りました。いつもは赤鬼らーめんという激辛ラーメンを食べてますが、今日は普通の味噌らーめんを食べました。濃厚スープに縮れ麺がとても良かったです。

海野宗泰
1947年昭和22年、京都に生まれる。
1964年昭和39年、師 竹器師高野宗陵と出会う。
1966年昭和41年、伏見工業高等学校工芸科を卒業後、竹工芸の勉強を始める。
1970年昭和45年、号 宗秦を拝名。
松長剛山(まつながごうざん)剛山宗忠
昭和18年、大阪府能勢町天王に生まれる。
昭和25年 大阪府長杉寺で松長元祥に就いて得度。京都建仁僧堂で竹田益州に参禅。
昭和46年より大徳寺塔頭高桐院住職。三重県上野市龍王寺住職も兼任。
現在,久田流有栖川系茶道十三代家元、及び細川三斎流茶道顧問を務めている。
佐藤清光(さとうせいこう)
伝統技法をベースに高度なへら絞りによって生み出される端正でシャープな造形は右に出る者はいないと言われています。
その優れた技術力は京都大徳寺から「御釜師」の称号を授与されており、「清光釜」「浄清釜」として全国的に高い評価を受けています。
草花、鳥、雲などの文様をモチーフに、 茶釜、風炉、鉄瓶を多く制作し、茶道関係事業に積極的に参加し、茶釜等を名茶道団体に寄贈するなど山形鋳物・山形茶釜の発展・普及に努めました。
1916年 山形県で生まれる
1953年 日展で初入選
1985年 第32回日本伝統工芸展で入選
1989年 斉藤茂吉文化賞を受賞
1992年 勲六等瑞宝章を受章
1996年 逝去

東京都江戸川区本一色にて、桐箪笥、着物、二代前田竹房斎の竹編花籠。

東京都江戸川区本一色にて、桐箪笥、着物、人間国宝二代前田竹房斎の竹花籠をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は業者様のご紹介で、千葉県船橋市へ出張しました。こちらでは、和家具や版画を買い取らせていただきました。いつもお客様をご紹介いただき有難うございます。二件目は、東京都江戸川区本一色へ解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、明治期の時代桐箪笥、アンティーク着物、贈答品、二代前田竹房斎の竹編花籠などを買い取りました。前田竹房斎は大阪の竹工芸家で、親子二代に渡って受け継がれた人気竹工芸作家。二代が亡くなり竹房斎は途絶えてしまいましたが、竹房斎が残した竹工芸品は、竹材の美しさをいかした独自の意匠表現に高い評価を得ており、今なお人気がございます。花籃や盛器、茶箱など、前田竹房斎の作品は六角堂でも買取を強化しております。本作は残念ながら共箱がなく、竹に痛みが多くございました。状態は悪いものの人気作家作品、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。お忙しい中、わたしたちの出張時間に合わせていただき有難うございました。江戸川区へ向かう途中、千葉県市川市にある「中国ラーメン揚州商人 市川二俣店」さんへ寄りました。ネギらーめん、とっても美味しかったです。暑い日が続きますが、明日からも頑張っていきます。
六角堂では、竹編、竹籠、竹細工を高価買取しております。飯塚鳳斎、飯塚小玕斎(しょうかんさい)、飯塚琅玕斎(ろうかんさい)、田邊竹雲齋、 早川尚古斎、前田竹房斎、鈴木玩々斎 、和田和一斎などの有名作家の竹籠は特に人気があり、 高価で買取りさせていただきます。ご処分にお困りの際は、関東全域出張買取専門六角堂までお問い合わせください。

二代 前田竹房斎(まえだちくぼうさい)1917~2003
昭和~平成時代の竹工芸家。大阪出身。本名は房次。父初代前田竹房斎に師事。二代前田竹房斎を襲名。
戦後は、デモクラシーの空気に呼応するように、壁画装飾やオブジェといった、従来の工芸の枠にこだわらない前衛的な作品を制作し、日展等の団体展に出品する。
細い丸ひごを並列して、透かしと内の重ね編みとを効果的に併用した繊細な制作や、独創の重ね網代編みの花籃など、清新で力強い、高雅な格調を築き上げた。
現代生活に即した創作性の獲得に専念し、現代感覚ある意匠を得意とした。
染色など他の工芸分野も探究し、精密かつ高度な技術で、理知的で気品に満ちた作風を確立した。
また花籃や盛器、茶箱等の煎茶道具にも自由で気品のある創作精神を示した。
1917年 大阪府生まれ
1959年 第6回日本伝統工芸展初入選
1970年 第17回日本伝統工芸展入選、以来毎回入選
1972年 第19回日本伝統工芸展東京都教育委員会賞
1992年 勲四等瑞宝章
1995年 重要無形文化財「竹工芸」保持者に認定
2003年 逝去

東京都北区赤羽西にて、桐箪笥、茶道具、人間国宝音丸耕堂の水指替蓋。

 

東京都北区赤羽西にて、桐たんす、お茶道具、人間国宝音丸耕堂の彫漆かうほね水指替蓋をお売りいただきました。

知人の着物屋さんのご紹介で、お片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいた桐たんすは、春日部桐箪笥でした。春日部桐箪笥は、よく買い取りさせて頂いている加茂桐箪笥と同じく、伝統工芸品に指定されております。20年近く経過しているものでしたが、油単を掛けていらっしゃいましたので、大変良い状態でした。お茶道具は数年前まで師範をされていた方でしたので、素晴らしいお道具が数多くございました。茶道具は徐々に処分されるとのことで、本日は10点ほどお売りくださいました。中でも、人間国宝である音丸耕堂の彫漆かうほね水指替蓋は、当社で買い取りを強化している作家作品でしたので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。音丸耕堂は大正から昭和時代に活躍した香川漆器の漆芸家で、1955年に重要無形文化財「彫漆」保持者に認定されております。音丸耕堂の作品は盆、香合、茶箱などの茶道具や硯箱、文箱などの箱ものが多くございます。 漆の層が厚く、多彩で複雑な彫刻となっている作品は香合のような小さな作品でも高価買取が期待できます。音丸耕堂作品の他にも、金龍堂の鉄瓶や同じく人間国宝である田村耕一の茶碗などお売りいただきました。良いお道具をお売りいただき有難うございました。帰り道、赤羽駅にある「磯丸水産」へ寄り、食事をさせていただきました。大好きな島寿司やお茶漬け、揚げ出し豆腐などいただきました。磯丸水産さん、とっても美味しいです。

音丸耕堂(おとまる こうどう)1898年(明治31)~1997年(平成9)
幼少から讃岐彫の修業を行い木彫技法を極め、16歳で独立後は香川漆器の祖 玉楮象谷に傾倒、彫漆を志して独学研究に努める。
磯井如真、北原千鹿、大須賀喬らと交流しました。玉楮象谷(たまかじしょうこく)の模刻から次第に西欧風の浪漫的な意匠へと展開し、1937年に上京した頃には新しい色漆の制作を始める。
色漆に金銀粉を混ぜたり、彫り口の傾斜の幅を変えるなどして層の重なりの表情を豊かにし、立体感や繊細な美しさを追求した作品制作をしました。
日本工芸会の創立に参加、日本伝統工芸展を中心に活躍を続けました。
1898年 香川県高松市に生まれる
1942年 新文展で漆月之花手筥が特選となる
1955年 重要無形文化財「彫漆」保持者に認定される
1967年 紫綬褒章を受賞する
1973年 勲四等旭日小綬章を受章する
1997年 死去

豊島区南大塚にて、天竜作錦旗書黄楊盛上将棋駒、藤田喬平の手吹花瓶。

東京都豊島区南大塚にて、本榧の将棋盤、伝統工芸士国井天竜作錦旗書黄楊盛上将棋駒、人気ガラス工芸士藤田喬平の手吹花瓶をお売りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。お爺様の大切にされていた将棋道具の出張買取、将棋盤は本榧製で厚みのあるもの。駒は日本伝統工芸士である国井天竜の作、錦旗書 天竜師屈指の四大書体の盛上駒になります。木地は本黄楊(雲南つげ材)。王将の後ろに作者名、書体名のある本格的な駒です。状態も良く、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。また、ガラス工芸士である藤田喬平の手吹花瓶をお売りいただきました。藤田喬平はガラス界の発展のために様々な貢献をされた工芸家。藤田喬平作品は、市場でも人気があり、中でも飾筥(かざりばこ)やヴェニスのつく製品は高額となっており、六角堂でも強化買取りしております。ご不要の作品がありましたら、お問い合わせください。良いお品をお売りいただき有難うございました。
本日のランチは大塚駅の側にある「万豚記 大塚店」さんへ行き、黒胡麻担担麺に炒飯と餃子のランチセットをいただきました。山椒の効いた辛口の担々麺がとても美味しかったです。濃い目のスープで癖になるお味です。また寄らせてもらいます。

藤田喬平(ふじたきょうへい)1921-2004
1921年 東京都新宿区百人町に生まれる。
1944年 東京美術学校工芸科彫金部卒業。
1947年 岩田工芸硝子に入社。
1949年 岩田硝子工芸退社し、ガラス作家として独立。
1961年 「藤田喬平硝子工芸創作展」を開催。
1964年 流動ガラスの代表作「虹彩」を発表。
1973年 飾筥の代表作「菖蒲」を発表。
1975年 デンマークの「世界のスタジオグラス展」に招待出品し高い評価を受ける。
1980年 「藤田喬平手吹きガラス作品集」(アート社)刊行。
1986年 「日本現代工芸美術展」に招待出品し、文部大臣賞受賞。
1989年 恩賜賞・日本芸術院賞受賞。日本芸術院会員に就任。
1996年 藤田喬平ガラス美術館開館。
2002年 文化勲章・文化功労者受章。
2004年 逝去。享年83歳。

東京都練馬区石神井台にて、鈴木政輝の油彩画、中国陶器、七宝の花瓶など。

東京都練馬区石神井台にて、鈴木政輝の油彩画、中国陶器、七宝の花瓶、銀製置物などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。中国陶器や火鉢を処分されたいとのことでお呼びいただきましたが、他にも絵画や七宝製品、純銀製扇子の置物などもお売りいただきました。中国陶器は近年造られた染付の工芸壺でした。七宝も近年の工芸品。絵画は人気洋画家である鈴木政輝の油彩画。鈴木政輝は海や帆船を描いた海洋画を多く描き、光と風をテーマとした独特の空気感に人気がございます。本作はSMサイズと小振りな作品でしたが、六角堂強化買取り作家作品のため、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。次回また、火鉢やカメラの買取でお呼びいただくこととなりました。楽しみにお待ちしてます。
本日の出張は一件のみで早く帰宅することができましたので、家族でステーキガストさんへ行きました。切り落としビーフにサラダやカレー、パンまでたくさんいただきました。切り落としビーフ以外は全て食べ放題、とても美味しくて今夜もまたがっつりといってしまいました・・・。

鈴木政輝(すずきまさてる)1924(大正13)年~
1924(大正13)年 長崎県島原市に生まれる。
1938(昭和13)年 14歳にて上京。島野重之に師事。
1945(昭和20)年 国内だけではなく、海外に向けても作品を発表する。欧州諸国を訪問し、海洋、帆船について研究し、絵画に活かしていく。
1983(昭和58)年 大阪でアジア初の帆船フェスティバル記念展を開催。大阪市に作品が買い上げられる。
1984(昭和59)年 東京・神戸で行われた国際ボートショウで 鈴木政輝海と帆船展を開催。同じく、「新日本丸竣工記念展」を東京で開催する。
1985(昭和60)年 東京練馬区立美術館開館記念展に招待出品。日本丸一世公開記念展を横浜で開催し、横浜市に作品が収蔵される。
1986(昭和61)年 運輸省大臣室に作品が収蔵される。以後、運輸省広報誌の表紙にて作品を一年間掲載される。船の科学館での船の絵画展に招待出品。
1987(昭和62)年 大阪開港120年記念展を大阪で開催。
1988(昭和63)年 (財)帆船日本丸記念財団に作品収蔵。運輸大臣賞受賞。
1989(平成元)年 内閣総理大臣より観桜会に招待される。横浜博覧会・開港130周年記念特別企画展を横浜で開催。
1993(平成5)年 船の科学館に作品が収蔵される。
1994(平成6)年 中国北京市市長室に作品が収蔵される。

東京都世田谷区桜丘にて、桐たんす、黒漆金蒔絵の鼓、南京焼染付香炉など。

東京都世田谷区桜丘にて、桐箪笥、お着物、黒漆金蒔絵の鼓、南京焼染付香炉などをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は業者様のご紹介で、神奈川県横浜市港北区へ出張買取させていただきました。こちらでは、掛軸や火鉢、置物、贈答品などを買い取らせていただきました。掛軸は工芸軸、火鉢は陶製の者、置物はこけしや木彫りなど、状態の悪いものなどもございましたが、全て買い受けさせていただきました。まとめてお売りいただき有難うございました。二件目は世田谷区桜丘へ、遺品整理でお呼びいただきました。お母様の大切にされていた桐箪笥、お着物、黒漆金蒔絵の鼓の他、古くから実家にあったという南京焼染付香炉を買い取らせていただきました。南京焼染付香炉には銀製の火屋(ほや)が付いており、大明成化年製の底印がございます。ヒビなどもなく、比較的状態の良いものでした。香炉は当社で買い取りを強化しているお品ですので、お客様にお喜びいただける査定額で買い取らせていただくことができました。お母様の思い出のお品々、大切に次へと繋げていきます。本日は有難うございました。本日も世田谷区へ出張しましたので、よく寄っている「長浜らーめん」さんで食事をしました。もうすぐ家族で海水浴へ行くので、替え玉は一杯のみ。しばらくは爆食い禁止とします。しょっちゅう寄ってますが、「長浜らーめん」さんいつ食べても美味しいです。
香炉といけば、多くの方は仏前に置く小さな【三具足の香炉】を連想しますが、本品のような卓上や床の間用の【置香炉】、柄付きで持ちやすい【柄香炉】、吊るしておける【釣香炉】、 服の袖に入れる為の【袖香炉】、衣類に香を焚くための「被中香炉」など、香炉には様々な種類がございます。昔は「薫香」と呼ばれ、お化粧の一つとしてお香を焚いていた為、香炉は人々の生活に身近な存在でした。歴史あるお道具の一つで、古いものには高額査定となるものが数多くございます。素材も陶器製をはじめ、金や銀、銅、真鍮などの金属製、塗り物など幅広くございます。六角堂では、こうした幅広い香炉を全て買い取りの対象としておりますので、ご不要の香炉がございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。また、香木や線香などの香道具も買い受けしますので、併せてお問い合わせください。

東京都三鷹市牟礼にて、茶道具、即中斎自作茶杓、永楽善五郎の花入。

 

東京都三鷹市牟礼にて、茶道具、表千家13代即中斎自作茶杓一対(銘蓬莱、寿山)、千家十職永楽善五郎(即全)の即中斎自筆(也風流)花入をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は、西東京市谷戸町にて、たくさんのお着物や和装小物などをお売りいただきました。多少シミや汚れなどあるものもございましたが、比較的状態も良く全て買い取らせていただきました。まとめてのご売却、有難うございました。二件目は三鷹市牟礼にて、茶道具、即中斎自作茶杓一対(銘蓬莱、寿山)、千家十職永楽善五郎(即全)の即中斎自筆(也風流)花入をお売りいただきました。表千家茶道をされていたお婆様のご遺品整理とのことでお呼びいただきました。本日で三日連続の茶道具買取、六角堂が最も得意とするお道具になります。即中斎自作茶杓一対は、黒田家12代黒田正玄の下削りで、銘は蓬莱、寿山とあります。永楽善五郎(即全)の花入は、即中斎の自筆で「也風流」とあります。也風流(またふうりゅう)の意味は、「不風流処也風流」(風流ならざるところまた風流)風流でも何でもないが、実はそのことが風流。全てを払い尽くして塵一つ無い、それこそ真の風流。茶席の禅語であります。お婆様の大切にされていたお道具、責任もって次へと橋渡しさせていただきます。本日は良いお道具をお売りいただき有難うございました。
今日は市場の開催日でしたので、夕方になってしまいましたが寄らせていただきました。市場を終えた後、みんなで池袋で一杯飲み、締めに小次郎らーめんさんへ行きました。仕事で疲れがたまっておりますので、スタミナラーメンを食べて栄養補給しました。明日からも頑張れそうです。

表千家家元十三代 即中斎宗匠
即中斎(そくちゅうさい)明治34年(1901)〜昭和54年(1979)。表千家13代。12代惺斎の次男に生まれる。兄不言斎の逝去により、昭和13年(1938)に家元を襲 名。第二次世界大戦の最中、昭和17年に千家同門会を発足させ、昭和24年(1949)には財団法人不審菴を設立。現代における茶の湯普及と伝統の保持と いう組織機構の基礎を築いた。

十六代永樂即全(えいらくそくぜん) (本名:茂一)1917年-1998年
1917年 「十五代:永樂善五郎(正全)」の長男として生れる
1935年 「十六代:永樂善五郎」を襲名
1936年  大磯城山荘内に城山窯を築窯
1971年  表千家「十三代:即中斎宗匠」より「陶然軒」の席号を授かる
1983年  京都府文化功労賞受賞
1990年  勲五等瑞宝章受章
1998年  長男・紘一に家督を譲り「即全」と号す

十二代 黒田正玄(くろだしょうげん)1906(明治39)年~1973(昭和48)年
12代黒田正玄は11代黒田正玄の長男として生まれました。名を久万吉(後に正玄)といいます。
父が死去したときまだ6歳だったため、叔父黒田常次郎と父の弟子上田定次郎に後見され、大正15年に家督相続する。周囲の援助を得ながら、戦中・戦後の困難な時期に家業を支えました。

東京都練馬区南大泉にて、茶道具、釜師角谷一圭の釜、加藤忠三朗の釜鐶。

東京都練馬区南大泉にて、和たんす、お着物、お茶道具、人間国宝角谷一圭の菊萬代屋釜、紫金堂加藤忠三朗の釜鐶をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、遺品整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたのは、お母様が大切にされていたタンスやお着物、お茶道具など。たくさんのお道具をお売りいただきました。お着物はシミや汚れなどございましたが、捨ててしまうのはもったいなく少しでも多く次へと橋渡ししてほしいとのことでしたので、全て買い受けさせていただきました。お茶道具は、人間国宝である角谷一圭氏の釜をはじめ、尾張藩御釜師加藤忠三朗の釜鐶、作家物の茶碗や水指、棗、茶入などたくさんお売りいただきました。角谷一圭は角谷家の二代目として生まれて父の巳之助や大国藤兵衛や香取秀真に師事。53年には重要無形文化財「茶の湯釜」保持者として人間国宝となりました。加藤忠三朗は慶長16年(1611)より尾張藩(名古屋)において、茶道具「茶釜」を作り続けている釜師。当代は十二代加藤忠三朗が継いでおります。「紫金堂」は、加藤忠三郎が興した屋号になります。名工の作品など、多数お売りいただき有難うございました。
近所の集会所で盆踊りがありましたので、参加させていただきました。昼には流しそうめんや子供神輿などのイベントもあり、毎年子供たちが参加しております。わたしもここの流しそうめんが大好きで、毎年参加しております。ここの流しそうめんは、そうめんの他にもミニトマトが流れてきて、冷えててとても美味しいです。下のチビもはじめは流れてくるそうめんを不思議そうに眺めてましたが、口にするとすぐにお代わりしてました。また来年も楽しみです。

角谷一圭(かくたにいっけい)
1904年 大阪市に生まれる
1917年 父巳之助より茶の湯釜制作技法を習う
1942年 商工省技術保存資格認定
1958年 第5回日本伝統工芸展高松宮総裁賞
1961年 第8回日本伝統工芸展朝日新聞社賞
1976年 勲四等瑞宝章
1978年 重要無形文化財「茶の湯釜」保持者に認定
1999年 逝去

東京都渋谷区初台にて、桐箪笥、茶道具、四世秦蔵六造、蔵苑造の純錫茶托。

東京都渋谷区初台にて、桐たんす、お茶道具、四世秦蔵六造純錫貸式茶托、蔵苑造の純錫菱木瓜網目透茶托をお売りいただきました。

引越し前の在庫整理での買い取りのご依頼を頂きお伺いさせていただきました。奥様は茶道をされており、ご主人様は骨董品のコレクターというお客様で、たくさんのお品を拝見させていただきました。ご主人様の集めていらっしゃる骨董品はどれも素晴らしく、棟方志功の作品はとても見事でした。今後も骨董品、古美術品を大事にされてください。奥様よりお譲りいただいたお道具には、四世秦蔵六造純錫貸式茶托(二重箱)、蔵苑造の純錫菱木瓜網目透茶托など、当社で買取を強化しているものがあり、お客様にお喜びいただける査定で買い取りができました。本日は当社のご指名、有難うございました!出張帰りに「富士そば」さんを発見し、寄らせていただきました。富士そばさんには学生時代、よく通わせていただきました。学生時代にはかき揚げを入れるお金がなく、かけうどんか月見うどんばかり食べておりました。当たり前のように天玉うどんを食べれるようになり、私も少しは成長しているのだなと思いました。富士そばさん、昔と変わらない味でとても良かったです。また寄らせていただきます。

四代 秦蔵六(はたぞうろく)1898~1984
明治31年(1898)京都生まれ。二世蔵六に師事し、四世を襲名する。
東京、大阪で個展開催。技術保存資格者、京都金属工芸協会長をつとめる。
昭和59年(1984)12月1日歿、87歳。