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埼玉県越谷市にて、人間国宝島岡達三の象嵌ぐい吞、藍大島紬などのお着物など。

埼玉県越谷市にて、人間国宝島岡達三の象嵌ぐい吞、藍大島紬などのお着物などをお売りいただきました。

解体前のお片付け整理にてお呼びいただきました。前作ではありますが、民藝陶器・縄文象嵌で重要無形文化財(人間国宝)になられた島岡達三氏の象嵌ぐい吞みや、藍大島などのお着物をまとめて買い取らせていただきました。大島紬には、泥大島、藍大島、泥藍大島、色大島、白大島などございますが、藍大島は糸を藍で染めたものをいいます。藍には徳島の阿波藍、琉球藍、インド藍などいろいろな種類がございます。六角堂では、これら全ての大島紬を強化買取り中でございます。また、島岡達三のような人間国宝作品、帝室技芸員の作品、近代作家物の陶芸作品を強化買取りしてます。ご不要のお着物、陶芸作品がございましたら、当社までお問い合わせください。
本日は志木市場でしたので、終了後にみんなでデニーズさんへと寄りました。買い取りや仕分け作業などで忙しく、本日の一食目でしたので、大人食いをしてしまいました。季節メニューのラフランスのパフェがとても美味しかったです。

島岡達三(しまおかたつぞう)大正8年(1919)10月27日〜平成19年(2007)12月11日
大正8年 (1919)東京都に、三代続いた組紐師 島岡米吉の長男として生まれる。
昭和14年(1939)東京工芸大学窯業学科入学。
昭和15年(1940)濱田庄司のもとを訪れ、卒業後の入門を許される。
昭和16年(1941)東京工業大学窯業学科卒業。
昭和21年(1946)濱田庄司に師事。
昭和23年(1948)土方冨美子と結婚。
昭和25年(1950)栃木県窯業指導所に勤務。白崎俊次の古代土器標本複製に協力。
昭和29年(1954)益子に築窯。
昭和37年(1962)日本民藝館賞受賞。
昭和39年(1964)日本民芸館賞受賞。
昭和43年(1968)ロングビーチ州立大学、サンディエゴ州立大学の夏期講座に招かれ渡米し、ヨーロッパを経て帰国。
昭和53年(1978)国画会会員。
昭和55年(1980)栃木県文化功労章受章。
平成6年 (1994)日本陶磁協会賞金賞受賞。
平成8年 (1996)民芸陶器(縄文象嵌)において国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。
平成11年(1999)勲四等旭日小綬章受章。
平成19年(2007)12月11日、逝去。88歳。

縄文象嵌(じょうもんぞうがん)
縄文象嵌とは島岡達三が創案した技法。成形した作品を半乾きの状態で、表面に組紐を転がして縄文の窪みをつけます。次に窪んだ部分を含め、全体に化粧土(白土または色土)を塗ります。乾燥したら表面を薄く削り取ると、縄で凹んだ部分の窪みには化粧土が残り、もともと平らな部分は化粧土がはがれて下地があらわれます。本焼きはこれに透明釉をかけて焼成します。

 

東京都文京区根津にて、釜師角谷莎村の竹地紋筒釜などのお茶道具、大島紬などのお着物など。

東京都文京区根津にて、釜師角谷莎村の竹地紋筒釜などのお茶道具、大島紬などのお着物などをお売りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。お母様が生前大切に使われておりましたお茶道具、お着物などを全て買い受けました。お茶道具は、莎村の竹地紋筒釜、萩焼の茶碗や花生、染付の水指などを買い受けました。角谷莎村の竹地紋筒釜は、釜環の欠品、錆などございましたが、人気作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けました。角谷莎村は、人間国宝である角谷一圭の弟になります。お着物は、紬や訪問着、留袖、帯など多数お売りいただきました。画像の大島紬は、古いものでシミなどございましたが、良い紬でした。まとめてたくさんのお品をお譲りくださり有難うございました。途中、お茶を入れていただいたりお気遣いくださりありがとうございました。帰宅後、学生時代の友人家族と一緒に、戸田市のイオンに入っている「和ダイニング 四六時中」さんへと行きました。海鮮にぎわいおひつごはん、冷製蒸し牡蠣のおろしポン酢をいただきました。とっても美味しかったです。友人が大阪へ旅行へ行ったようで、かに道楽へと行きかにみそのお土産を買ってきてくれました。さすが古くからの友人、わたしの大好物を覚えていてくれました。感謝!
六角堂では、角谷興斎、角谷一圭、角谷莎村、金谷五良三郎、木村清五郎、菊地政光、 佐藤浄清、高橋敬典、 高木治良兵衛、長野垤志、長野烈、根来実三、根来茂昌、畠春斎など、釜師の作品を探しております。ご不要になりました作品がございましたら、当社までお問い合わせください。釜師作品に詳しい鑑定士が、お客様のお品を査定し、高価買取させていただきます。
角谷莎村(かくたにしゃそん)1911年(明治44)~1987年(昭和62)
大阪府出身。角谷巳之助の次男、角谷一圭(人間国宝)の弟として生まれる。
兄の一圭と共に父について釜制作、鋳造を始め日本伝統工芸展、大坂工芸展などで出品。
伝統の技法と現代茶会との調和を考えて、斬新な造形を展開するが特に老松地紋の名手として知られる。西日本の重鎮として活躍されました。

千葉県松戸市にて、留袖、訪問着、帯などのお着物、金工師高橋介州作 鋳銅鶴首花瓶など。

 

千葉県松戸市にて、留袖や訪問着、振袖、付下げ、羽織、名古屋帯、袋帯、和装小物、金工作家「高橋介州(勇)」作 鋳銅鶴首花瓶などをお売りいただきました。

本日は回収業者様のご紹介で、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらの業者様には半年ぶりくらいにお呼びいただきましたが、数年にわたってお客様をご紹介いただいております。社長様に久々お会いしましたが、相変わらずお元気そうで良かったです!今回もまた、お客様をご紹介くださり有難うございました。今回は、お着物がたくさんあるとのことでお呼びいただきました。七割近くがウールのお着物でしたが、正絹のものも数点ありウールを含め全て買い受けさせていただきました。着物の他には、金工師高橋介州作 鋳銅鶴首花瓶や贈答品などをお売りいただきました。高橋介州(1905-2004)は、石川県金沢市に生まれ、重要無形文化財(人間国宝)である海野清に師事し彫金技法を学び、帝展や新文展で活躍。戦後は活躍の場を日展にうつし、作家活動の一方で石川県工芸指導所所長や石川県立美術館の館長も勤め、さらに加賀金工作家協会の結成にも尽力し、若手作家の育成にも力を注いでいたことでも知られております。高橋介州に師事し、重要無形文化財保持者(人間国宝)となった中川衛もその一人であります。
良いお品をお譲りいただき有難うございました。帰宅途中、「麺場 田所商店松戸二十世紀が丘店」さんへ寄り、九州麦味噌肉ネギらーめんをいただきました。最近、味噌らーめんのお店が増えてきており、味噌好きの私にはうれしいです。塩分の摂りすぎには気を付けていきたいと思います。

高橋介州(たかはし かいしゅう)1905年(明治38)~2004年(平成16)
石川県金沢市出身。東京美術学校卒
卒業後は海野清に師事。帝展、新文展などに出品、戦後より日展にも出品を重ねた。
1941年より石川県工芸指導所所長を務め行進の指導にも尽力、
1957年には加賀象嵌の技法により石川県指定無形文化財の認定を受ける。
作品は加賀象嵌の技法による装飾を用いた花瓶や香炉、茶道具などのほか帯留などの作品もつくられました。

神奈川県平塚市にて、台湾家具のバーカウンター、リヤドロのフィギュリン、お着物、置物など。

神奈川県平塚市にて、数十年前に台湾から輸入されたバーカウンター、リヤドロのフィギュリン「犬を抱く貴婦人」、お着物、置物、絵画などをお売りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。数十年前に台湾から輸入されたというバーカウンターは、戦の図が彫刻されたもので、収納がたくさんついておりとてもかっこいい家具でした。リヤドロのフィギュリン「犬を抱く貴婦人」は、仔犬を抱く優雅な雰囲気ただよう貴婦人。こちらは廃盤モデルになります。箱などはありませんでしたが状態の良いお品物でした。着物はウールやシミのあるものがほとんどでしたが、全て買い受けさせていただきました。他にも、海外へ行かれた際に購入されたお皿や花瓶などの民芸品、置物、香炉などを買い取らせていただきました。作業しやすいようにと車を入れ替えていただいたり、お茶をいただいたりとお気遣いくださり有難うございました。ご家族の思い出のお品々、大事に次へと繋げさせていただきます。
帰りに、お客様にお勧めいただいた平塚漁港へと寄り、「平塚漁港の食堂」さんへ行きました。こちらのお店は、地元平塚漁港で獲れた新鮮な魚を「その日のうちに食べる」というコンセプトの食堂で、営業時間内でも用意した魚がなくなり次第閉店してしまうそうです。テレビにも出るお店のようで、お客さんがたくさんおりました。わたしがいただいたのは、料理長おすすめ定食。ホウボウや真鯛のお刺身、鰺・鯖・鰤のフライ、イシモチ一本焼、生海苔としらすの茶碗蒸し、しらすご飯、みそ汁等々凄いボリュームのセットでした。とても美味しく、このボリュームにもかかわらずお代わりをしてしまいました。絶対にまた来たいと思います。漁港にいると、昔毎日釣りをしていたころを思い出します。漁港にいると、なぜかとても楽しい気持ちになります。今日は天気も良く、海上ベタ凪、多少風はありますがまさに釣り日和ですね。釣りをしている方がちらほらおりました。どんな魚を釣っているのでしょうか、とても羨ましかったです。
明日は、千葉県松戸市へ出張買取。今夜も早寝します。

東京都港区広尾にて、総桐箪笥、鬼霰平丸型南部鉄瓶などの茶道具、唐木箱入り骨麻雀牌。

東京都港区広尾にて、総桐箪笥(洋たんす)、鬼霰平丸型南部鉄瓶などの茶道具、唐木箱に入った骨麻雀牌などお売りいただきました。。

内装リフォーム前のお片付け整理にてお呼びいただきました。桐たんすは、現在あまり需要の少ない洋箪笥のタイプの物でしたが、総桐の前飾りに彫金作家が入っている素晴らしいものでしたので、お譲りいただきました。急遽、二階からの釣り作業となりましたが、ちょうど居合わせていた内装屋さんにお手伝いいただきましたので、無事引き上げることが出来ました。お母様の思い出のたんすがリサイクル出来、お客様にはお喜びいただきました。まだ捨ててしまうにはもったいないたんすでしたので、釣り作業が出来てとても良かったです。お茶道具は、南部岩鋳製の鬼霰平丸型の鉄瓶、他にも釜や風炉、風炉先屏風、茶道の書籍などをお売りいただきました。お婆様が、小堀遠州流の茶道を習われていたようで、小堀遠州流の書籍が多かったです。他にも唐木箱に入った背竹骨麻雀牌や贈答品、リサイクル品などをお売りいただきました。色々とお売りいただきありがとうございました。お客様にいただいた炭酸水、とっても美味しかったです。ご馳走様でした。
帰りに、港区西麻布にある鉄砲坂のそばに車を止め、食事をしに行きました。気になる名前の坂でしたので、写メを撮り後から調べてみました。鉄砲坂は、江戸時代に坂のがけ下に幕府の鉄砲練習場があったことからこの名がついたようです。それにしても鉄砲が付く坂とはなかなか面白いネーミングですね。食事は、「CoCo壱番屋 広尾駅前店」さんへと行きました。数年ぶりでしょうか、久々のココイチカレー、北海道カレーにメンチカツ、みそ汁をいただきました。久々でしたが、やはりココイチは美味しいですね。
明日は神奈川県平塚市への出張買取、遠距離ですので早寝します。

東京都西東京市にて、桐たんす、塩沢紬、袋帯などのお着物、陽炎園 水指などのお茶道具。

東京都西東京市にて、桐たんす、塩沢紬、袋帯などのお着物、膳所焼 淡海ぜぜ 陽炎園 近江八景絵 芋頭 水指などのお茶道具をお売りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。お婆様が生前大事にされておりましたお着物やお茶道具などを買い受けさせていただきました。お着物にシミや汚れなどございましたが、一点一点丁寧に査定し、お客様にご満足いただける査定額で全て買い取らせていただきました。思い出のお品とのこと、大事に次へと繋げさせていただきます。お忙しい中、当社をご指名いただき有難うございました。帰りに、東京都清瀬市にある、「和食さと」へ寄りました。秋限定メニューの松茸ご飯と松茸とろろそば膳をいただき、秋を感じさせていただきました。松茸尽くしでとても美味しかったです。
ただいま桐箪笥をはじめ、お着物、お茶道具の買い取りを強化しております。また、他にも幅広いジャンルで買い取り対応しておりますので、処分にお困りの際には一度お問い合わせください。出張料、査定料無料でお伺いしております。関東近郊はもちろん、お品物の内容や量によっては、遠距離出張買取させていただきます。たくさんのお問い合わせお待ちしてます!
陽炎園(かげろうえん)
膳所焼(ぜぜやき)は、近江国膳所(大津市膳所)付近の陶器で、まず瀬田焼の名で元和(1615~24)ごろに起こったといわれ、のちに膳所焼となりました。茶陶として名高く、遠州七窯の一つに数えられております。
大正8年(1919)、遠州ゆかりの茶陶の名窯の廃絶を惜しんだ膳所の岩崎健三が、時の日本画壇の巨匠、山元春挙とともに膳所窯を復興し、その工房を陽炎園(かげろうえん)としました。
陽炎園の作品に多い「淡海ぜ々」という言葉は、昔近江地方を「淡海」とされており、これは琵琶湖の事を指します。 陽炎園はその近くで焼かれていますので、「淡海ぜ々」という言葉が使われております。

東京都中野区鷺宮にて、立派な瘤の付いた花梨の火鉢、結城紬などお着物。

 

東京都中野区鷺宮にて、立派な瘤の付いた花梨の火鉢、結城紬などのお着物をお売りいただきました。

解体業者様のご紹介で、解体前のお片付け整理にてお呼びいただきました。今回もまたお客様をご紹介くださり有難うございました。縁にひび割れがあるものの、とても立派な瘤(こぶ)が付いた火鉢でしたので、ご満足いただける査定額にて買い受けさせていただきました。結城紬も、シワやシミが出てしまっておりましたが、良いものですので全て買い受けさせていただきました。着物の中でも大島紬と並んで有名なのが結城紬です。結城紬は、茨城県結城市周辺で生産されている絹織物で、日本最古の歴史を持ち、全国各地で織られている紬織物の原点と言われています。結城紬は重厚感あるしっかりとした生地ですので、着物の中でもステータス抜群で、着物の中でも結城紬は「別格」な存在感となっております。1956年に国の重要無形文化財に、1977年には伝統工芸品に指定されている大変貴重な紬です。紬の他、留袖、振袖、小紋、帯、和装小物などもあり、こちらも一点一点査定し、買い取らせていただきました。桐箪笥は、所々杉材を使われた三方桐で、側面の割れ、虫食い、金具の欠品などがありましたので、残念ながら買取が出来ませんでした。今回買い取らせていただいたもののように、状態が悪いものでも良いものにはまだまだお値段が付く場合が多いです。古いものである程度状態が悪いのは当たり前のことだと思っております。状態が悪いからと捨ててしまう前に、一度お気軽にご相談ください。
帰りに、三芳町にある、「台湾料理 香琳坊」さんへと寄りました。こちらのお店は、安くて美味しい、ボリュームたっぷりと大食いのわたしにはもってこいのお店です。友人を連れて行くとみんな驚きます。学生さんや若者にはなんともありがたいお店です。

 

東京都練馬区春日町にて、中島宏の水指、波多野善蔵、西岡小十の茶碗、伊勢崎満の花生など。

東京都練馬区春日町にて、人間国宝中島宏の青磁水指、波多野善蔵の萩茶碗、西岡小十の絵唐津茶碗、伊勢崎満の備前細口花生、贈答品、チーク材のテーブルなどお売りいただきました。

先日遺品整理でお呼びいただいたお客様より、再度出張買取のご依頼をいただきました。今回もまた、お父様、お母様が大事にされていたお茶道具や陶芸作品をお売りいただきました。数多く所有されるお道具の中から、一点一点査定し、買い受けさせていただきました。買い取らせていただいたものの中には、重要無形文化財(人間国宝)である中島宏の作品をはじめ、色々な作家物の作品がございました。陶芸作品の他にも、チーク材のテーブル、贈答品、食器、衣類、火鉢なども併せて買い受けました。まだまだ所有されるお道具を、年内にまたお売りいただけるとの事、楽しみにお待ちしております。良いお道具をお譲りいただき有難うございました。練馬区のお客様宅へ向かう途中、埼玉県新座市にある富士山食堂へ寄らせていただきました。こちらは以前、三珍というお店でしたが、いつの間にかお店の名前が変わっておりました。本日の日替わりセット牛スジカレーにトンコク醤油ラーメンのセットをいただきましたが、すごいボリュームで満腹になってしまいました。次回は、満腹丼かワイルドステーキなるものをいただきたいと思います。
六角堂では、陶芸作品の買い取りを強化しております。ご自宅でずっと眠っている陶芸作品をお持ちの方は陶磁器買取に経験豊富な六角堂をお呼びください。査定のみでも結構ですので、たくさんのご依頼お待ちしております!東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。数量が多い場合、他にも美術品・骨董品などの鑑定物がある場合は全国出張可能です。

中島宏 (なかじま ひろし)1941年(昭和16)~(現在)
日本現代陶芸界を代表する青磁斯界の第一人者で、「中島青磁」、「中島ブルー」と呼ばれる独創的な作品は高い評価を受けており、中国青銅器に学んだ新しい造形の世界を追求しています。青磁釉層に発達した貫入に黒い顔料をにじませた郊壇官窯風の青磁も得意とします。
1941年 佐賀県武雄市に生まれる
1969年 弓野古窯跡に登窯を築いて独立
1977年 日本伝統工芸展で奨励賞を受賞
1984年 中国古陶磁研究所訪中団に参加。青銅器に感銘を受ける。
1990年 佐賀県重要無形文化財技術保持者に認定
1992年 日本陶芸の「今」百選フランス・パリ展に招待出品
1997年 佐賀県芸術文化功労賞を受賞
2007年 重要無形文化財(青磁)の保持者に認定

波多野善蔵(はたのぜんぞう)1942(昭和17)~(現在)
現代工芸界の重鎮であった吉賀大眉に師事して作陶の幅を大きく広げ、伝統的な古萩茶陶を追求した優れた作行や蹴轆轤の技術には定評があります。
釉薬を掛けずに焼き上げて鮮やかな橙色に発色させる「緋色」という技術を考案しました。
1942(昭和17)年、佐賀県唐津市に生まれました。
1968(昭和43)年、萩焼窯元・波多野家(波多野指月窯)の養子となりました。
1972(昭和47)年、山口県美術展で知事賞を受賞しました。
1974(昭和49)年、九州・山口陶磁展で第一席を受賞しました。山口県美術展で文部大臣奨励賞を受賞しました。
1975(昭和50)年、九州・山口陶磁展で第一席を受賞しました。
1978(昭和53)年、日本工芸会山口支部展で支部長賞を受賞しました。
1981(昭和56)年、日本伝統工芸展で日本工芸会奨励賞を受賞しました。日本工芸会正会員となりました。
1982(昭和57)年、山口県芸術文化振興奨励賞を受賞しました。
1986(昭和61)年、田部美術館「茶の湯の造形展」にて優秀賞を受賞しました。
1992(平成4)年、山口県選奨(芸術文化功労)を受賞しました。
2002(平成14)年、山口県指定無形文化財に認定されました。

伊勢崎満(いせざきみつる)1934(昭和9)~(現在)
弟の伊勢崎淳と共に岡山県重要無形文化財に認定されました。
古備前への探究心と彫塑で培った造形感覚を駆使し、円熟した陶技からはベテラン作家としての貫禄が伝わってきます。
作品によって登窯と中世の穴窯を使い分け、電気窯やガス窯は使用しない松割木による焼成にこだわっています。
1934(昭和9)年、伊勢崎陽山の長男として岡山県備前市に生まれました。
1957(昭和32)年に岡山大学教育学部特設美術科彫塑専攻を中退後、父に師事して本格的に備前焼に取り組みました。
1961(昭和36)年、弟・淳と姑耶山の古窯跡に備前で初めて中世の古窯(半地上式穴窯)を復元。
1964(昭和39)年、日本工芸会正会員となりました。
1972(昭和47)年、備前陶心会会長に就任しました。
1973(昭和48)年、緋襷花器が外務省に買い上げられ、中国の日本大使館に展示されました。
1974(昭和49)年、金重陶陽賞を受賞しました。
1984(昭和59)年、岡山日々新聞社文化賞を受賞しました。
1987(昭和62)年、日本工芸会中国支部審査員に就任しました。
1990(平成2)年、岡山県文化奨励賞を受賞しました。
1994(平成6)年、山陽新聞文化功労賞を受賞しました。
1998(平成10)年、田部美術館大賞「茶の湯の造形展」で大賞を受賞しました。

西岡小十(にしおかこじゅう)1917(大正6)年~2006(平成18)年
西岡小十は佐賀県唐津市に生まれました。本名を悟といいます。
古陶器に関する周到な研究に裏付けられた確かな技術力は、世界的権威のある陶磁研究家・小山冨士夫をも魅了し、「唐津焼の事なら知り尽くしている古唐津の神様」と言わしめ、荒川豊蔵には「唐津を熟知している西岡には何も言う事がない」と評されました。
世間の私利私欲とは無縁の無冠を貫いて絵斑唐津、梅華皮(かいらぎ)といった古唐津再興に邁進した、現代唐津焼の第一人者として不動の地位を確立しています。
茶陶を専門に焼き茶碗、花瓶、水指など風合い豊な情景を表現している。
1953(昭和28)年頃から古唐津を再現すべく、
唐津古窯跡の発掘調査を始めました。
1969(昭和44)年、小山冨士夫と親交を深めました。
1971(昭和46)年、小山冨士夫の指導を受けて「小次郎窯」を開窯しました。
1976(昭和51)年、荒川豊蔵が来窯しました。
1980(昭和55)年、藤原啓が来窯しました。
1981(昭和56)年、「絵斑唐津」の復元に成功しました。
荒川豊蔵の命名による「小十窯」を開窯しました。
1983(昭和58)年、「梅花皮唐津」の復元に成功しました。
1999(平成11)年、石川県辰之口町に加賀唐津「辰之口窯」を開窯しました。

東京都三鷹市にて、虫食い欅材水屋箪笥、桐箪笥、夏大島紬、結城紬などのお着物。

東京都三鷹市下連雀にて、虫食い欅材水屋箪笥、桐箪笥、夏大島紬、結城紬などのお着物をお売りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。桐箪笥や虫食い欅材水屋箪笥、お着物などをお売りいただきました。虫食い欅材水屋箪笥は、虫に喰われた欅材を使用した水屋で、雰囲気良く大変珍しいものでしたので、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けさせていただきました。お着物は、夏大島紬、結城紬、留袖、帯などを一点一点丁寧に査定し、買い受けさせていただきました。シミが出てしまっているものが多かったのですが、良いお着物でしたので全て買取りしました。お母様が大事にされていた思い出のお品との事、大事に次へと橋渡しさせていただきます。お忙しい中、六角堂をお呼びくださり有難うございました。海外から友人が来ておりますので、日本を楽しんでいただこうと、所沢市にある「釣船茶屋 ざうお 所沢店」へと招待しました。先日わたしの長男が釣りをしてきて釣りを極めたなどと言ってましたので、腕を試してあげようと家族も連れていきました。お店に入ると大きな生簀にたくさんのお魚が泳いでいて、釣った魚を調理していただき食べるというスタイル。早速息子に竿を持たせて餌を投入。なんと入れ食いでシマアジGET。次は真鯛を釣ってくれと投入後すぐさまシマアジGET。三投目もシマアジ・・・。こちらのお店、釣った魚はリリースできず、必ず食べなければいけませんので、色々な料理方法でいただくことにしました。刺身は活け造りですので、届いた直後は魚がピクピク動きます。海外の友人もこれにはびっくり。刺身も食べ慣れていないようでドキドキしましたが、とても美味しいと喜んでくれました。画像のサザエ、車海老もとても美味しかったです。高級魚が入れ食いでしたので、料金も驚きでしたが、何はともあれみんなに喜んでいただけたのでとても良かったです。
六角堂では、お着物の買い取りを強化しております。ご自宅でずっと眠っている反物や、なかなか日の目をみない着物をお持ちの方は着物買取に経験豊富な六角堂をお呼びください。査定のみでも結構ですので、たくさんのご依頼お待ちしております!東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。数量が多い場合、他にも美術品・骨董品などの鑑定物がある場合は全国出張可能です。

埼玉県上尾市にて服部織物の袋帯など、さいたま市で桐箪笥、人間国宝田村耕一の鉢など。

埼玉県上尾市にて京都西陣の名門服部織物の袋帯など、さいたま市南区にて桐箪笥や人間国宝田村耕一の鉢などお売りいただきました。

本日は、二件の出張買取。一件目はお片付け整理で京都西陣の名門、服部織物の袋帯含む帯数点、河童のお着物、木彫り置物などお売りいただきました。服部織物は200有余年にわたり、帯一筋で営んでいる名門、シミなどございましたが、買い取らせていただきました。お売りいただくお荷物をまとめていただいてましたので、すぐに査定することが出来ました。お忙しい中、ありがとうございました。二件目は、さいたま市南区で桐箪笥や人間国宝田村耕一の鉢などお売りいただきました。田村耕一氏はご存知、鉄絵の技法で重要無形文化財(人間国宝)になられた陶芸家。当社の強化買取り作家ですので、お客様にお喜びいただける査定額にて買い受けさせていただきました。桐箪笥は、砥粉の落ちが目立ちましたが、厚みのある総桐箪笥でしたので、買い受けさせていただきました。お引越し前のお片付けでお忙しい中、ご指名くださり有難うございました。倉庫へ戻る途中、花月ラーメンさんへと寄りました。期間限定の「戦国武将らぁめん家康公」に豚めしセットをいただきました。戦国武将らぁめん家康公は、徳川家康が好んだといわれる八丁味噌を用いたラーメン。名古屋名物の味噌煮込みうどんをイメージした具材で、濃い味好きのわたしにはとても美味しかったです。花月ラーメンさんは色々な期間限定メニューを出されており、毎回楽しみにしております。また寄りたいと思います。
六角堂では、服部織物をはじめ、龍村平蔵、川島織物、長島成織物、河合美術、織悦、萬葉さんの帯を探しております。ご不要の帯がございましたら、六角堂までお問い合わせください。着物の査定担当のものとお伺いし、査定させていただきます。

鉄絵(てつえ)
鉄絵は酸化鉄(鉄に生じるサビの成分)を含む絵の具で描かれるため銹絵(=錆絵:さびえ)とも呼ばれます。素焼きした素地に絵を描いて、その上に釉薬をかけ焼成します。これを釉下彩(ゆうかさい)といい下絵付けと呼びます。鉄絵は酸化鉄で下絵を描く技法といえます。中国では鉄絵のことを黒花(こっか)と呼ぶことがあります。ここでいう花とは「模様」という意味で、鉄絵が黒く発色することから黒花と呼ばれております。

田村耕一(たむらこういち)
富本憲吉に師事して陶芸を学んだほか、全国の窯場を回って修業。昭和28年栃木県佐野に築窯。日本工芸会陶芸部会長として陶壇をとりしきる一方、東京芸術大学教授として幾多の後進を指導。たしかな理論と豊かな人間性に定評があった。壺、皿、陶板を中心に青磁銅彩、白泥鉄絵銅彩、白磁、染付に独自の作境を切り開いてきた。陶画にすぐれ、陶板に優品が多い。昭和61年鉄絵で人間国宝。62年1月3日死去。68歳。