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東京都八王子市にて石川光明の彫金額、大森明恍の油彩板絵、桐箪笥。

東京都八王子市にて帝室技芸員 石川光明(いしかわこうめい)馬の彫金額、大森明恍(おおもりめいこう)の油彩画板絵「曙」、伝統工芸春日部桐箪笥をお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。桐箪笥や額などをご処分されたいとのことでご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいた桐たんすは、埼玉県春日部市で作られている伝統工芸品春日部桐箪笥。砥粉落ち、シミ汚れなどございましたが、当社買取強化品となってますので買い受けさせていただきました。額は帝室技芸員 石川光明(いしかわこうめい)馬の彫金額、富士山画家 大森明恍(おおもりめいこう)の油彩画板絵「曙」。他にも版画作品を数枚お売りいただきました。彫金額ではありますが、帝室技芸員 石川光明もまた強化買取作家でありますので、お客様にご満足いただける査定額で買い取りさせていただきました。大森明恍の作品は、1954~1955年の作品で、板に油彩、代表作である富士山が描かれております。少々傷みのある作品ではありますが、こちらも買取させていただきました。たくさんのお品をお売りいただき、ありがとうございました。

石川光明(いしかわみつあき)1852年10月1日~1913年7月30日
明治時代の日本の彫刻家。幼名勝太郎。
1852年 浅草区松山町で宮彫師の家に生まれる
1866年 菊川正光に牙角彫刻を学ぶ
1862年 狩野寿信に師事し、絵画を学ぶ
1881年 第2回内国勧業博覧会で妙義二等賞と二等賞を受賞する
1882年 同い年の高村光雲と知り合い、良き理解者として互いに親交を深める
1887年 皇居造営に参加
1889年 パリ万国博覧会で銀賞を受賞する
1890年 第3回内国勧業博覧会で妙技二等賞を受賞する、帝室技芸員を拝命する
1891年 東京美術学校に勤務する、楠公銅像木型製作に従業する
1893年 シカゴ・コロンブス世界博覧会で優等賞を受賞する
1894年 第4回内国勧業博覧会で妙技二等賞を受賞する
1900年 パリ万国博覧会で金賞を受賞する
1913年 東京美術学校在官中に逝去
写実的な彫刻を得意として、特に猿の牙彫に優れ、高村光雲の代表作「老猿」は光明の影響を受けているといわれております。

大森明恍(おおもりめいこう)1901年10月18日~1963年1月5日
本名桃太郎。明治34年10月18日福岡県遠賀郡芦屋町に生まれる。大正8年上京し、岡田三郎助が指導する本郷洋画研究所に入門。上京の途中、東海道線の列車の車窓から生まれて初めて富士山を見て、深く感動されたようです。同10年二科会展に「浪懸夏光」を出品し、昭和8年富士山研究のため、御殿場に一家をあげ移住した。その後、昭和13年2月東京銀座資生堂ギャラリーにおいて第1回富士山画個展開催をはじめ、北海道九州等各地で個展により多くの富士山の絵を発表した。なお、芸術新潮(4巻7号)に「富士を描いて30年」の一稿がある。昭和38年、御殿場市の東山にて永眠。享年61才。

埼玉県さいたま市北区にて橋本紹尚の茶掛け、羽尺の反物、お着物など。

   

埼玉県さいたま市北区にて、橋本紹尚(はしもとじょうしょう)の茶掛け「白珪尚可磨」、羽尺の反物、お着物などをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、橋本紹尚(はしもと じょうしょう)の茶掛け「白珪尚可磨」、羽尺の反物、お着物、オーディオ、楽器など、多数お売りいただきました。掛け軸は前大徳 柳生芳徳禅寺 橋本紹尚の茶掛「白珪尚可磨(はっけいなおみがくべし)」。「白珪尚可磨」とは中国最古の詩集・誌経(しきょう)の中の教え。白珪とは上が丸く、下が四角い完全無欠のきれいな玉のことで、これ以上磨きようがない玉をさらに磨きなさいという意味。さらに磨こうと努力をすることが大切という教えであります。反物は羽尺など。羽尺とは羽織尺の略称で、一枚の羽織をとりうる用尺のある織物の総称。一般に幅九寸五分(約36センチメートル)、長さ二丈七尺内外(約10.2メートル)を一反としてます。最近では、茶羽織や中羽織があり丈(たけ)が短いので、用尺は7~8メートルのものも一反としております。羽織向きの柄のものが多いです。お着物は少々古いお品で、シミの出てしまっているものなどもございましたが、全て買取らせていただきました。他にもオープンリールデッキやフルート、クラリネットなどもお売りいただきました。ご家族の思い出のお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。本日はまとめてのご売却、有難うございました。また、お茶をいただいたりお気遣いいただき、誠に有難うございました。
緊急事態宣言の期間中は、外食を控え、密を控えることとしました。出張買取のある日は倉庫へ戻り一人作業、出張のない日も倉庫で一人作業をしております。はじめは苦しかったマスクにも慣れ、手洗い、うがいも習慣となりました。皆様もご自身、大切な人を守るため、この危機を乗り越えていきましょう!

橋本紹尚(柳生紹尚)芳徳禅寺
昭和37年 花園大学卒業
昭和37年 大徳寺専門道場にて掛塔、小田雪窓老師(大徳寺第四八九世)に師事する
三玄院先代住職藤井誠堂老師より「顕道」「紹尚」を拝命
昭和40年 柳生芳徳寺に帰る
昭和47年 芳徳寺住職となる
平成08年 奈良市文化財に指定される。

芳徳禅寺 臨済宗(大徳寺派)
奈良県 神護山
寛永十五年に、柳生宗矩が亡父石舟斎宗厳の供養のため創建し、開山は宗矩と親交のあった沢庵和尚。のちに柳生氏代々の菩提所ともなった。
平成四年本堂と柳生家墓所が奈良市文化財に指定され、それを機に始まった本堂解体修理も平成八年に完了し現在に至る。

東京都豊島区池袋本町にて北川金治の油彩画「薔薇」、反物、和装小物。

東京都豊島区池袋本町にて北川金治の油彩画「薔薇」、反物、和装小物などをお売りいただきました。

業者様のご紹介でお引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。絵画や反物をご処分されたいとのことでご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、北川金治の油彩画「薔薇」、反物、和装小物など。反物は、本場大島紬・本場結城紬など。とても保管状態の良い反物でした。和装小物は道明の帯締めや帯留めなど。絵画は洋画家北川金治の油彩画。タイトルは「薔薇」、サイズはSM号。立体レリーフのような重厚な厚塗りが存在感ある薔薇で、大変素晴らしい作品です。北川金治らしい作品であります。六角堂で買取強化中の作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。たくさんのお品をお売りいただき、有難うございました。

北川金治(きたがわきんじ)1917~2003
1917年 千葉県木更津市に生まれる
1955年 高野真美(日美教授、旺玄会委員)に師事する
1958年 旺玄会美術展に初出品
1960年 旺玄会会員推挙
1962年 旺玄会委員推挙
1966年 初個展
1972年 渡欧
1973年 南太平洋取材旅行(タヒチ、モーレア、ポラポラ)
1974年 三越百貨店精鋭選抜展出品
1975年 アメリカ西海岸、アラスカ、カナダ取材旅行
1979年 個展(横浜高島屋)
1980年 三越日仏選抜エトワール展出品
2003年 逝去。享年86歳

新型コロナウイルス感染予防に対する弊社対応について

六角堂では、新型コロナウィルスに対する政府の緊急事態宣言を受けウイルスの感染拡大を防止し、 お客様と社員の健康を最優先に考え下記の対応を実施します。 1.出張査定員のマスク着用 2.出張査定員の手洗いうがい徹底 3.出張査定員の体温計測 更に4月11日~5月6日の期間の出張買取は一日一件のみ、完全予約制とします。 また電話受付時間を10時~17時、出張買取時間を11時~16時までの短縮営業とします。 緊急事態宣言期間の延長などにより、短縮営業期間が延長になる可能性もございます。 お客様には大変ご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご了承頂きますようお願い申し上げます。

東京都国分寺市にて笹島喜平の拓摺り木版画、桐箪笥、お着物など。

東京都国分寺市にて笹島喜平の拓摺り木版画、桐箪笥、お着物などお売りいただきました。

不動産業者様のご紹介でお引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。絵画や桐たんす、反物をご処分されたいとのことでご連絡いただき、出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、笹島喜平の拓摺り木版画「弁財天S」「西ノ京」、春日部桐箪笥、黒留袖、訪問着、紬の反物など。笹島喜平は栃木県出身の近代日本を代表する木版画家。棟方志功(1903~1975)に学び、白黒の版画を追求した笹島独特の「拓刷り」の技法を創りました。お売りいただいた作品も拓刷りの技法が使われております。西ノ京は残念ながらシミが出てしまっておりました。弁財天Sは状態も良く、当社で強化買取り中の作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。桐たんす、お着物、反物も全体的にシミ汚れが出てしまっておりましたが、こちらも全て買取させていただきました。たくさんのお品をお売りいただき、有難うございました。
六角堂では「笹島喜平」の絵画、版画作品の高価買取、査定・鑑定・出張買取を致します。
ご所蔵の作品(肉筆画、版画)がございましたら、無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。笹島喜平作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!

笹島喜平(ささじまきへい)1906~1993年
明治39(1906)年4月22日 栃木県芳賀郡に生まれる。
昭和2年 東京府立青山師範学校(現東京学芸大学)を卒業し、教員生活に入る。
昭和11年 郷里の陶芸家、浜田庄司の紹介により棟方志功に師事。平塚運一に指導を受ける。
昭和15年 第15回国画会展に「南豆の海」で初入選。同16年第4回新文展に「山道」が入選し、版画家になることを決意する。
昭和18年 第18回国画会展で会友に推される。
昭和20年 教職を退いて版画家として独立。
昭和23年 第16回日本版画協会展に「新秋古刹」「戦災跡芋畑」を出品して同会会員となる。
昭和24年 第23回国画会展に「油地獄板画冊」を出品し、同会会員に推挙される。このころから三越劇場での歌舞伎版画に取り組み、制作を通じて写楽を知った。
昭和25年 日本版画協会を退会。
昭和27年 棟方志功らと日本板画院を創立。
昭和29年 東京日本橋高島屋で個展を開催。
昭和32年 第1回東京国際版画ビエンナーレに「漁村」「山湖B」で入選。以後第5回展まで出品。
昭和34年 第33回国画会展に拓版画「風ある林」「森」を出品し、拓本を参考に、バレンを用いず版木に紙をあてて上から押す「拓刷り」技法を示して注目される。
昭和40年 畦地梅太郎らと新秋会を結成し48年まで出品。笹島喜平版画展を益子町公民館で開催。
昭和41年 スイス、ザイロン市での第4回国際版画展に出品する。
昭和42年 第9回サンパウロ・ビエンナーレ展に「吉祥天A」「吉祥天B」「風神・雷神」を出品。
昭和43年 3月笹島喜平版画展を足利市民会館ギャラリーで開く。
昭和47年 イタリア・ミラノ現代国際版画展に出品。
昭和49年 畦地梅太郎、北岡文雄らと朴林会を結成する。
昭和51年 古稀を記念して『笹島喜平画文集』(美術出版社)を刊行。同53年笹島喜平版画展を水戸市文化センターで開催する。
昭和57年 喜寿記念笹島喜平展を東京日本橋高島屋で開催した。同展出品作は栃木県立美術館に所蔵されている。
平成5年 逝去。享年87。
仏教関係の尊像、社寺を描くことが多く、白黒の明快な対比、版木の彫痕が紙に凹凸としてあらわれる力強い作風を特色とした。

東京都渋谷区千駄ヶ谷にて北斎、歌麿、広重の版画集、一刀彫奈良人形。

   

東京都渋谷区千駄ヶ谷にて葛飾北斎の富嶽三十六景、喜多川歌麿版画集芳、歌川広重(安藤広重) 東海道五十三次などの版画集、 桝井光華の一刀彫『翁』、松本鉄山の『道成寺』、『猩々』、川口神泉『具足』など奈良一刀彫人形をお売りいただきました。

不動産業者様のご紹介で、遺品整理でお呼びいただきました。お父様が集めていた版画や奈良一刀彫人形などをご処分されたいとのことでお呼びいただきました。葛飾北斎の富嶽三十六景、喜多川歌麿版画集芳、歌川広重(安藤広重) 東海道五十三次などの版画集の他、額装された版画を数点買取させていただきました。(葛飾)北斎の富嶽三十六景は悠々洞出版の手摺木版画、全46枚揃です。(喜多川)歌麿版画集芳は高見澤研究所の手摺木版画、全24枚揃。(安藤)広重 東海道五十三次は保永堂版高見澤研究所の手摺木版画、全55枚+附図3枚揃えとなります。欠品なく、保管状態も良かったです。奈良一刀彫人形は、桝井光華の『翁』、松本鉄山の『道成寺』、『猩々』、川口神泉『具足』など。奈良一刀彫は奈良人形とも言われています。桧、桂、楠などを素材として、ノミで豪快に彫り上げた上に、金箔や岩絵具などで極彩色を施しているのが特徴です。能楽、舞楽、鹿、十二支、ひな人形などを題材とした魅力ある作品が作られています。こちらも全て共箱付き。飾ってありましたが保管状態は良かったです。たくさんのお人形がございましたが、こちらで箱と合わせながら査定させていただきました。他にも江戸張子人形や木彫りの置物なども併せて買取させていただきました。たくさんの版画やお人形などございましたが、一点一点丁寧に査定し、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。捨ててしまおうとされていたお品にも査定が付き、お客様にお喜びいただきました。お父様の大切にされていたお品々、当社で大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、ありがとうございました。
市場へ戻る途中、埼玉県戸田市にある「らあめん花月嵐」さんへ寄りました。期間限定メニュー「はせ川」の喜多方ラーメンを食べました。ほど良い加減の背脂とほんのり香る煮干しの風味が美味しいスープです。喜多方ラーメンならではの平打ち縮れ麺によく合います。期間中にもう一度食べに行きたいと思います。

葛飾北斎(かつしかほくさい)
江戸時代の浮世絵師。
1760年 江戸で生まれる
1764年 幕府御用達の鏡磨師・中島伊勢の養子となる
1778年 浮世絵師・勝川春章の門下となる
1779年 役者絵「瀬川菊之丞 正宗娘おれん」でデビュー
1794年 勝川派を破門される
1802年 狂歌絵本『画本東都遊』の刊行を開始
1805年 「葛飾北斎」の号を用いる
1812年 関西方面へ旅行する
1814年 『北斎漫画』の初編を発刊する
1817年 名古屋西掛所(西本願寺別院)境内にて120畳大の達磨半身像を描く
1823年 『富嶽三十六景』制作開始
1831年 『富嶽三十六景』開版
1834年 『富嶽百景』を手がける
1849年 5月10日、90歳で逝去

喜多川歌麿(きたがわうたまろ)– 1806(文化3)
江戸の浮世絵師。生年未詳。没年齢は50余歳とされる。出生地も未詳であるが江戸説が有力。はじめは北川豊章と名乗り、天明元年(1881)春から歌麿号を用いる。天明3年より喜多川を画姓とする。 美人大首絵について歌麿は、濃艶な色香、女体の質感、表情・しぐさに表れた微妙な心の襞の描出に傑出した力量を示している。 門人は多く、二代歌麿・藤麿・月麿等は特筆されるが、歌麿に比すべき人は出ず、文政年間(1818~1830)にその系統は絶える。 美人画の名手として後世に及ぼした影響は計り知れない。1806(文化3)逝去。

歌川(安藤)広重(あんどうひろしげ)
江戸時代の浮世絵師。
寛政9年(1797年)生まれ。本名は安藤重右衛門。
文化8年(1811年) 歌川豊広に入門。翌年、歌川広重の名を与えられデビュー。
文政4年(1821年)結婚。
始めは役者絵から手がけ、美人画に手をそめるようになったが、後に風景画を主に制作するようになる。
天保元年(1830年) 花鳥図を描くようになる。
天保3年 (1832年) 絵師に専心するようになる。
その後、数々の「東海道」シリーズを発表
ほかに、花鳥画、歴史画、戯画、春画、美人画も手掛けた。
さらに、肉筆画、摺物、団扇絵、絵本などの挿絵も残している。
安政5年(1858年) 逝去。

東京都渋谷区初台にて仁清写 福禄寿の置物、火鉢、勲章など。

東京都渋谷区初台にて仁清写 福禄寿の置物、火鉢、勲章などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、遺品整理でお呼びいただきました。お父様が生前大切にされていたという骨董品をご処分されたいとのことでご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、仁清写 福禄寿の置物、火鉢、勲章など。火鉢は黒柿の関東長火鉢、勲章は瑞宝章や 勲六等単光旭日章など。仁清写 福禄寿の置物は時代のもので作家などは入っておりません。仁清写の大変造りの良い福禄寿です。京焼の歴史の中で特に影響を与えたといわれる江戸時代前期の陶工・野々村仁清(ののむらにんせい)。ろくろの技術が大変優れた人で、全体に薄手、華麗で繊細、絵画的な絵付けで装飾された作品が特徴です。現在でも野々村仁清の技術力や表現力にあやかろうと多くの陶工や作家が「仁清写」として作品を制作されております。当社では野々村仁清の作品はもちろん、仁清写作品も買取強化しております。茶道具や置物など、全て買取しております。
お父様の大切にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日はお忙しい中、出張買取でお呼びいただき有難うございました。

野々村仁清(生没年不詳)
丹波国桑田郡野々村(現在の京都府北桑田郡美山町)出身。本名:清右衛門。
若い頃に粟田口や瀬戸で轆轤(ろくろ)の修業を積み、正保年間(1644年 – 1648年)頃、洛西の仁和寺(にんなじ)門前に御室(おむろ)窯を開く。「仁清」という号は、仁和寺の仁と清右衛門の清を合わせたもので、門跡より拝領したと伝えられている。茶人金森宗和とかかわり、野々村仁清は優美な陶器を次々と生み出した。仁清の作品は、巧みな轆轤の技術と華麗な上絵付けに支えられた、茶壺、水指、茶碗、香炉、香合などの茶道具で占められているが、代表作といわれるものが色絵の茶壺である。色絵藤花文茶壺は、仁清の茶壺の中でも最高の傑作として名高い。また、「色絵雉香炉」や「法螺貝形香炉」のような彫塑的な作品にも優れております。

東京都国立市で加茂桐箪笥、国分寺市でジャックデペルトのリトグラフ。

東京都国立市で加茂桐箪笥、国分寺市でジャックデペルトのリトグラフ「農園」、反物などをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は東京都国立市へ、お引越しのお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、加茂桐箪笥、柏木工のベンチチェアなどをお売りいただきました。お売りいただいた桐たんすは、新潟県加茂市で作られている伝統工芸品加茂桐箪笥、天丸の下三大洋和たんすという形のたんすで、当社でも数多く取り扱う高級桐たんすになります。前飾りには秀鳳刻と銘あり。松竹梅、滑車にたくさんの草花が盛られた豪華絢爛な彫金が施されております。所々に砥粉落ち、傷などございましたが、当社で買い取りを強化している桐たんすですので、買い取らせていただきました。別宅にお着物がたくさんあり、ご処分される際にはまたお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。本日は六角度をお呼びいただき、有難うございました。
本日二件目はリサイクル業者様のご紹介で、東京都国分寺市へ絵画や反物などのご処分でお呼びいただきました。お売りいただいた絵画は、フランスの画家ジャック・デペルト (1936- )の作品。ジャック・デペルトは整然とした画面構成とデリケートな描線による静謐な作風が世界的に高く評価されております。本作品は凛とした空気の漂う田園風景が繊細かつ秩序整然と描かれており見る人に静寂の緊張感とともに何故かしら郷愁の念を抱かせ、画家独自の詩的世界に導いてゆきます。作品下部に画家の鉛筆サインがあり、作品証明書も付属されておりました。反物は結城紬、大島紬など。証紙付きで状態も良く、お客様にご満足いただける査定額で買い取りさせていただきました。また絵画をご処分される際にはお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。本日は当社をご指名いただき有難うございました。
本日は天気が良く、出張買取日和でした。帰宅途中、小平市にある丸源ラーメンさんで食事をしました。ランチタイムでしたので、肉そばと鉄板玉子チャーハンのセットをいただきました。丸源さんといえば肉そば、とても美味しかったです。

ジャック・デペルト (Jacques Deperthes)
1936年  フランス、シューレンヌに生まれる。
1954年 サント・エティエンヌ国立芸術大学、およびジュネーブ装飾美術学校に学ぶ。
1960年  ジュネーヴのユニオン・ド・バンク・スイスの壁画制作。
1961年  この頃から、ジュネーブ、パリ、カンヌ、ロンドン、シカゴ、東京などで個展を開催。
国際的に作家活動を展開する。
1965年  フランス政府給費留学生としてイタリアに滞在。
1976年  来日し、東京・大阪にて個展。
1984年  11月、ビジョンヌーベルの招きで来日。
1986年  二度目の来日。

埼玉県さいたま市大宮区にて藤本東一良の油彩画、お着物、琴、三味線など。

埼玉県さいたま市大宮区にて藤本東一良の油彩画「ロワール河畔のシャトー」、お着物、琴、三味線などをお売りいただきました。

お引越し業者様のご紹介でお引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、藤本東一良(ふじもととういちりょう)の油彩画「ロワール河畔のシャトー」、お着物、琴、三味線など。お売りいただいた油彩画は、南欧を題材にした風景画を描く画家として有名な藤本東一良(物故)の「ロワール河畔のシャトー」という作品です。 サイズはSM号。サイズは小さいものの、状態も良くお客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。大切に飾られておりました絵画、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名くださり、また素晴らしい作品をお売りいただき有難うございました。
六角堂では「藤本東一良」の絵画、版画作品の高価買い取り、査定・鑑定・出張買取りを致します。
ご所蔵の作品(肉筆画、版画も高額買受致します。)がございましたら、無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。
藤本東一良作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!
絵画をお見積りの際には、詳しい鑑定士が査定させていただきます。
帰宅途中、大宮にあるお蕎麦屋「伊勢新」さんで食事をしました。かき玉うどんにミニカレー、シンプルでとても美味しかったです。

藤本東一良(ふじもととういちりょう)1913年6月27日~1998年9月17日
1913年 静岡県下田市に生まれ、まもなく大阪に転居。
1930年 鹿子木孟郎や赤松麟作に学ぶ。
1931年 大阪府立天王寺中学校卒業。上京し、川端画学校に入学。
1933年 同舟舎絵画研究所で小林萬吾に学ぶ。
1935年 東京美術学校油画科入学、寺内萬治郎、藤島武二に学ぶ。
1939年 第26回光風会展に初入選、F氏賞受賞。以後出品を重ねる。第3回海洋美術展で海軍協会賞受賞。
1940年 東京美術学校油画科卒業。大橋賞受賞。
1941年 光風会会友。46年会員、72年理事、94年常任理事。第4回新文展に入選。
1942年 第29回光風会展で光風特賞受賞。47年第33回展も同賞受賞。
1946年 第2回日展で特選受賞。翌年第3回展も特選。以後出品を重ねる。
1948年 個展(金剛荘画廊,岡山)。
1952年 個展(大阪・阪急百貨店)。
1953年 渡仏し、アカデミー・グランド・ショミエールに学ぶ。55年帰国。
1960年 日展会員。*66年評議員、93年理事、94年顧問。
1964年 東京教育大学芸術学科講師。73年退任。
1967年 日本美術家連盟理事。
1971年 金沢市立美術工芸大学講師。86年退任、90年客員教授。
1978年 個展(日動サロン,東京)。
1981年 第13回改組日展で文部大臣賞受賞。
1989年 第4回小山敬三美術賞受賞。
1993年 日本芸術院賞・恩賜賞受賞、日本芸術院会員となる。
1995年 『藤本東一良画集』(日動出版)刊行。
1998年 逝去。