東京都国分寺市にて笹島喜平の拓摺り木版画、桐箪笥、お着物など。

東京都国分寺市にて笹島喜平の拓摺り木版画、桐箪笥、お着物などお売りいただきました。

不動産業者様のご紹介でお引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。絵画や桐たんす、反物をご処分されたいとのことでご連絡いただき、出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、笹島喜平の拓摺り木版画「弁財天S」「西ノ京」、春日部桐箪笥、黒留袖、訪問着、紬の反物など。笹島喜平は栃木県出身の近代日本を代表する木版画家。棟方志功(1903~1975)に学び、白黒の版画を追求した笹島独特の「拓刷り」の技法を創りました。お売りいただいた作品も拓刷りの技法が使われております。西ノ京は残念ながらシミが出てしまっておりました。弁財天Sは状態も良く、当社で強化買取り中の作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。桐たんす、お着物、反物も全体的にシミ汚れが出てしまっておりましたが、こちらも全て買取させていただきました。たくさんのお品をお売りいただき、有難うございました。
六角堂では「笹島喜平」の絵画、版画作品の高価買取、査定・鑑定・出張買取を致します。
ご所蔵の作品(肉筆画、版画)がございましたら、無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。笹島喜平作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!

笹島喜平(ささじまきへい)1906~1993年
明治39(1906)年4月22日 栃木県芳賀郡に生まれる。
昭和2年 東京府立青山師範学校(現東京学芸大学)を卒業し、教員生活に入る。
昭和11年 郷里の陶芸家、浜田庄司の紹介により棟方志功に師事。平塚運一に指導を受ける。
昭和15年 第15回国画会展に「南豆の海」で初入選。同16年第4回新文展に「山道」が入選し、版画家になることを決意する。
昭和18年 第18回国画会展で会友に推される。
昭和20年 教職を退いて版画家として独立。
昭和23年 第16回日本版画協会展に「新秋古刹」「戦災跡芋畑」を出品して同会会員となる。
昭和24年 第23回国画会展に「油地獄板画冊」を出品し、同会会員に推挙される。このころから三越劇場での歌舞伎版画に取り組み、制作を通じて写楽を知った。
昭和25年 日本版画協会を退会。
昭和27年 棟方志功らと日本板画院を創立。
昭和29年 東京日本橋高島屋で個展を開催。
昭和32年 第1回東京国際版画ビエンナーレに「漁村」「山湖B」で入選。以後第5回展まで出品。
昭和34年 第33回国画会展に拓版画「風ある林」「森」を出品し、拓本を参考に、バレンを用いず版木に紙をあてて上から押す「拓刷り」技法を示して注目される。
昭和40年 畦地梅太郎らと新秋会を結成し48年まで出品。笹島喜平版画展を益子町公民館で開催。
昭和41年 スイス、ザイロン市での第4回国際版画展に出品する。
昭和42年 第9回サンパウロ・ビエンナーレ展に「吉祥天A」「吉祥天B」「風神・雷神」を出品。
昭和43年 3月笹島喜平版画展を足利市民会館ギャラリーで開く。
昭和47年 イタリア・ミラノ現代国際版画展に出品。
昭和49年 畦地梅太郎、北岡文雄らと朴林会を結成する。
昭和51年 古稀を記念して『笹島喜平画文集』(美術出版社)を刊行。同53年笹島喜平版画展を水戸市文化センターで開催する。
昭和57年 喜寿記念笹島喜平展を東京日本橋高島屋で開催した。同展出品作は栃木県立美術館に所蔵されている。
平成5年 逝去。享年87。
仏教関係の尊像、社寺を描くことが多く、白黒の明快な対比、版木の彫痕が紙に凹凸としてあらわれる力強い作風を特色とした。