東京都渋谷区千駄ヶ谷にて北斎、歌麿、広重の版画集、一刀彫奈良人形。

   

東京都渋谷区千駄ヶ谷にて葛飾北斎の富嶽三十六景、喜多川歌麿版画集芳、歌川広重(安藤広重) 東海道五十三次などの版画集、 桝井光華の一刀彫『翁』、松本鉄山の『道成寺』、『猩々』、川口神泉『具足』など奈良一刀彫人形をお売りいただきました。

不動産業者様のご紹介で、遺品整理でお呼びいただきました。お父様が集めていた版画や奈良一刀彫人形などをご処分されたいとのことでお呼びいただきました。葛飾北斎の富嶽三十六景、喜多川歌麿版画集芳、歌川広重(安藤広重) 東海道五十三次などの版画集の他、額装された版画を数点買取させていただきました。(葛飾)北斎の富嶽三十六景は悠々洞出版の手摺木版画、全46枚揃です。(喜多川)歌麿版画集芳は高見澤研究所の手摺木版画、全24枚揃。(安藤)広重 東海道五十三次は保永堂版高見澤研究所の手摺木版画、全55枚+附図3枚揃えとなります。欠品なく、保管状態も良かったです。奈良一刀彫人形は、桝井光華の『翁』、松本鉄山の『道成寺』、『猩々』、川口神泉『具足』など。奈良一刀彫は奈良人形とも言われています。桧、桂、楠などを素材として、ノミで豪快に彫り上げた上に、金箔や岩絵具などで極彩色を施しているのが特徴です。能楽、舞楽、鹿、十二支、ひな人形などを題材とした魅力ある作品が作られています。こちらも全て共箱付き。飾ってありましたが保管状態は良かったです。たくさんのお人形がございましたが、こちらで箱と合わせながら査定させていただきました。他にも江戸張子人形や木彫りの置物なども併せて買取させていただきました。たくさんの版画やお人形などございましたが、一点一点丁寧に査定し、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。捨ててしまおうとされていたお品にも査定が付き、お客様にお喜びいただきました。お父様の大切にされていたお品々、当社で大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、ありがとうございました。
市場へ戻る途中、埼玉県戸田市にある「らあめん花月嵐」さんへ寄りました。期間限定メニュー「はせ川」の喜多方ラーメンを食べました。ほど良い加減の背脂とほんのり香る煮干しの風味が美味しいスープです。喜多方ラーメンならではの平打ち縮れ麺によく合います。期間中にもう一度食べに行きたいと思います。

葛飾北斎(かつしかほくさい)
江戸時代の浮世絵師。
1760年 江戸で生まれる
1764年 幕府御用達の鏡磨師・中島伊勢の養子となる
1778年 浮世絵師・勝川春章の門下となる
1779年 役者絵「瀬川菊之丞 正宗娘おれん」でデビュー
1794年 勝川派を破門される
1802年 狂歌絵本『画本東都遊』の刊行を開始
1805年 「葛飾北斎」の号を用いる
1812年 関西方面へ旅行する
1814年 『北斎漫画』の初編を発刊する
1817年 名古屋西掛所(西本願寺別院)境内にて120畳大の達磨半身像を描く
1823年 『富嶽三十六景』制作開始
1831年 『富嶽三十六景』開版
1834年 『富嶽百景』を手がける
1849年 5月10日、90歳で逝去

喜多川歌麿(きたがわうたまろ)– 1806(文化3)
江戸の浮世絵師。生年未詳。没年齢は50余歳とされる。出生地も未詳であるが江戸説が有力。はじめは北川豊章と名乗り、天明元年(1881)春から歌麿号を用いる。天明3年より喜多川を画姓とする。 美人大首絵について歌麿は、濃艶な色香、女体の質感、表情・しぐさに表れた微妙な心の襞の描出に傑出した力量を示している。 門人は多く、二代歌麿・藤麿・月麿等は特筆されるが、歌麿に比すべき人は出ず、文政年間(1818~1830)にその系統は絶える。 美人画の名手として後世に及ぼした影響は計り知れない。1806(文化3)逝去。

歌川(安藤)広重(あんどうひろしげ)
江戸時代の浮世絵師。
寛政9年(1797年)生まれ。本名は安藤重右衛門。
文化8年(1811年) 歌川豊広に入門。翌年、歌川広重の名を与えられデビュー。
文政4年(1821年)結婚。
始めは役者絵から手がけ、美人画に手をそめるようになったが、後に風景画を主に制作するようになる。
天保元年(1830年) 花鳥図を描くようになる。
天保3年 (1832年) 絵師に専心するようになる。
その後、数々の「東海道」シリーズを発表
ほかに、花鳥画、歴史画、戯画、春画、美人画も手掛けた。
さらに、肉筆画、摺物、団扇絵、絵本などの挿絵も残している。
安政5年(1858年) 逝去。