東京都八王子市にて石川光明の彫金額、大森明恍の油彩板絵、桐箪笥。

東京都八王子市にて帝室技芸員 石川光明(いしかわこうめい)馬の彫金額、大森明恍(おおもりめいこう)の油彩画板絵「曙」、伝統工芸春日部桐箪笥をお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。桐箪笥や額などをご処分されたいとのことでご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいた桐たんすは、埼玉県春日部市で作られている伝統工芸品春日部桐箪笥。砥粉落ち、シミ汚れなどございましたが、当社買取強化品となってますので買い受けさせていただきました。額は帝室技芸員 石川光明(いしかわこうめい)馬の彫金額、富士山画家 大森明恍(おおもりめいこう)の油彩画板絵「曙」。他にも版画作品を数枚お売りいただきました。彫金額ではありますが、帝室技芸員 石川光明もまた強化買取作家でありますので、お客様にご満足いただける査定額で買い取りさせていただきました。大森明恍の作品は、1954~1955年の作品で、板に油彩、代表作である富士山が描かれております。少々傷みのある作品ではありますが、こちらも買取させていただきました。たくさんのお品をお売りいただき、ありがとうございました。

石川光明(いしかわみつあき)1852年10月1日~1913年7月30日
明治時代の日本の彫刻家。幼名勝太郎。
1852年 浅草区松山町で宮彫師の家に生まれる
1866年 菊川正光に牙角彫刻を学ぶ
1862年 狩野寿信に師事し、絵画を学ぶ
1881年 第2回内国勧業博覧会で妙義二等賞と二等賞を受賞する
1882年 同い年の高村光雲と知り合い、良き理解者として互いに親交を深める
1887年 皇居造営に参加
1889年 パリ万国博覧会で銀賞を受賞する
1890年 第3回内国勧業博覧会で妙技二等賞を受賞する、帝室技芸員を拝命する
1891年 東京美術学校に勤務する、楠公銅像木型製作に従業する
1893年 シカゴ・コロンブス世界博覧会で優等賞を受賞する
1894年 第4回内国勧業博覧会で妙技二等賞を受賞する
1900年 パリ万国博覧会で金賞を受賞する
1913年 東京美術学校在官中に逝去
写実的な彫刻を得意として、特に猿の牙彫に優れ、高村光雲の代表作「老猿」は光明の影響を受けているといわれております。

大森明恍(おおもりめいこう)1901年10月18日~1963年1月5日
本名桃太郎。明治34年10月18日福岡県遠賀郡芦屋町に生まれる。大正8年上京し、岡田三郎助が指導する本郷洋画研究所に入門。上京の途中、東海道線の列車の車窓から生まれて初めて富士山を見て、深く感動されたようです。同10年二科会展に「浪懸夏光」を出品し、昭和8年富士山研究のため、御殿場に一家をあげ移住した。その後、昭和13年2月東京銀座資生堂ギャラリーにおいて第1回富士山画個展開催をはじめ、北海道九州等各地で個展により多くの富士山の絵を発表した。なお、芸術新潮(4巻7号)に「富士を描いて30年」の一稿がある。昭和38年、御殿場市の東山にて永眠。享年61才。