カテゴリー別アーカイブ: 茶道具・煎茶道具

埼玉県和光市にて、加藤舜陶の呉須湯呑、白峰斎の花籠、茶道具など。

   

埼玉県和光市にて、加藤舜陶の呉須湯呑、白峰斎の花籠、お茶道具などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。いつもお客様をご紹介いただき有難うございます。本日お売りいただいたお品は、瀬戸焼の名工加藤舜陶(かとうしゅんとう)の呉須湯呑、竹細工師島村白峰斎の花籠、茶道具など。お茶道具はお稽古用のものでしたが、全て買い受けさせていただきました。たくさんのお道具をお売りいただき有難うございました。六角堂では、竹編、竹籠、竹細工を高価買取しております。飯塚鳳斎、飯塚小玕斎(しょうかんさい)、飯塚琅王干斎(ろうかんさい)、田邊竹雲齋、 早川尚古斎、前田竹房斎、鈴木玩々斎 、和田和一斎などの有名作家の竹籠は特に人気があり、 高価で買取りさせていただきます。
本日は一件のみの買取で早くに帰宅出来ましたので、家族でららぽーと富士見へ行きました。ららぽーと内にある雲龍一包軒で夕食をいただきました。餃子と小籠包で有名なお店ですが、炒飯や黒胡麻担担麺もとても美味しかったです。

加藤舜陶(かとうしゅんとう)1916~2005年
加藤舜陶は陶祖「加藤四郎左衛門影正」という由緒正しき名家に生まれる。
瀬戸焼において鈴木青々や河本五郎などと並び、三本柱の一人として有名になる。
1916年 愛知県瀬戸市に生まれ県立窯業学校に入学。
板谷波山に師事研鑽を積む。
1950年 第6回の日展で初入選。様々な工芸展などに出品を重ねる。
1955年 日本陶芸展文部大臣賞を受賞。、
1960年 第3回新日展に出品。特選・北斗賞を受賞。
1990年 新工芸展で内閣総理大臣賞。
1991年 日展で内閣総理大臣賞を受賞。
1974年 瀬戸市功労賞を受賞。
1982年 愛知文化功労に表彰。
1983年 東海テレビ賞
1987年 訓四等瑞宝章を受ける。
1990年 第12回日本新工芸展で内閣総理大臣賞。
1991年 第23回日展において灰釉花器「悠映」で内閣総理大臣賞受賞。
1994年 灰釉系技法で愛知県指定無形文化財保持者に認定される。
2005年 愛知県瀬戸市で死去、88歳。

千葉県八千代市にて、柿右衛門原画香蘭社の花瓶、藤田喬平の花瓶、茶道具など。

 

千葉県八千代市にて、酒井田柿右衛門原画香蘭社製の花瓶、藤田喬平の手吹花瓶、小柳金太郎の樺細工まくり張抹茶入、茶道具などをお売りいただきました。

本日は四件の出張買取。千葉県船橋市、八千代市、市川市、東京都豊島区を回りました。一件目は業者様のご紹介で千葉県船橋市へ桐箪笥の処分でお呼びいただきました。お売りいただいた桐箪笥は伝統工芸品春日部箪笥、新潟県の加茂桐箪笥同様、伝統工芸品に指定されている桐たんすで、六角堂でも買取を強化しております。状態も良く、お客様にお喜びいただける査定額で買い取らせていただくことが出来ました。二件目は八千代市へ、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは茶道具や陶器などを多数お売りいただきました。香蘭社製の花瓶は有田焼の名工十三代酒井田柿右衛門の原画「花鳥図 春」をもとに香蘭社が作陶されたものです。抹茶入れは樺細工で作られたもの。樺細工は桜の樹皮を使った秋田県を代表する工芸品。小柳金太郎氏は樺細工職人としてその生涯を捧げた名工で、現在に至るまで数々の業績を残されました。藤田喬平の手吹花瓶は共箱に破損、本体に痛みなどありましたが、こちらも買い受けさせていただきました。他にも茶道具一式、コレクションボードなどを買い取らせていただきました。お問い合わせ時から作業時に至るまで親切にしていただき有難うございました。三件目は業者様のご紹介で、市川市行徳へ遺品整理でお呼びいただきました。こちらではお母様のご遺品である和たんす、着物、アクセサリーなどをお売りいただきました。和箪笥は民芸箪笥で、欅に南部金具が付いた素晴らしいものでした。お着物は多少シミや汚れなどございましたが、全て正絹のもので作家物なども数点ございました。良いお品をお売りいただき有難うございました。四件目は、東京都豊島区池袋本町へ家具の買い取りでお呼びいただきました。こちらは一年近く前にお呼びいただいたお客様で、お家の建て替えが完了したので不要になられた家具を買取に行かせていただきました。お売りいただいたのはチーク製の食器棚。一年近く前にお呼びいただいた時に査定させていただいた家具でした。前の三件の移動に時間が掛かってしまいお待たせしてしまいましたが、気持ちよく受け入れて下さいました。久々にお会いでき嬉しかったです。お家もとても素敵な家が建っており、羨ましかったです。また何かございましたら、ご連絡ください。六角堂のご指名、有難うございました。
本日のランチは、千葉県八千代市八千代台駅にある吉野家さんへ行きました。どうしても牛丼を食べたくなり、わざわざ五キロ以上も離れた場所まで向かっておりました。とろろをトッピングしましたが、とても美味しかったです。

13代 酒井田柿右衛門(さかいだかきえもん)1906~1982
1906年 12代酒井田柿右衛門の長男として佐賀県に生まれる。本名、渋雄。
1924年 有田工業学校製陶科を卒業。
1953年 父とともに濁手素地の復興に成功。
1963年 13代酒井田柿右衛門を襲名。
1972年 紫綬褒章を受章。
1978年 勲四等旭日小綬章を受章。
1982年 死去。

藤田喬平(ふじたきょうへい)1921~2004
1921 東京都新宿区に生まれる
1944 東京美術学校工芸科彫金部卒業
1949 2年間務めた岩田硝子工芸退社。ガラス作家として独立
1964 流動ガラスの代表作「虹彩」を発表
1973 飾筥の代表作「菖蒲」を発表
1977 ヴェネチア・ムラノ島にてガラス製作を始める
1989 恩賜賞・日本芸術院賞受賞。日本芸術院会員就任
1996 藤田喬平ガラス美術館開館
1997 文化功労者顕彰、紺綬褒章受章
2002 文化勲章受賞
2004 逝去

小柳金太郎(こやなぎきんたろう)1922~2014
樺(かば)細工師 現代の名工。
14歳で樺細工職人となり、戦時中、民芸運動の父とされる柳宗悦の指導を受けた。
1975年に「現代の名工」に選ばれた。76年県芸術選奨、81年県文化功労者。2014年逝去。

東京都豊島区西巣鴨にて、清水六兵衛の朝鮮唐津茶碗、法隆寺古材の香合など。

 

東京都豊島区西巣鴨にて、大徳寺12代管長512世浩明宗然書付清水六兵衛の朝鮮唐津茶碗、法隆寺古材の香合などお茶道具をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は、板橋区徳丸へお着物のお片付け整理でお呼びいただきました。残念ながらシミ汚れの出てしまっているものが多くございましたが、お客様のご希望通り全て買い受けさせていただきました。地震による地盤のお話など色々聞かせていただきました。とても面白かったです。本日は当社のご指名有難うございました。二件目は不動産業者様のご紹介で、豊島区西巣鴨へお引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お茶道具がたくさんあるとのことでお呼びいただきました。中でも名工清水六兵衛の朝鮮唐津茶碗は、大変素晴らしい茶碗でした。唐津焼は砂目のざんぐりとした土味と素朴な絵、簡素な形、渋い色調が古くから茶人たちに「一楽、二萩、三唐津」、「一井戸、二楽、三唐津」ともいわれ愛されてきました。朝鮮唐津は、鉄釉(飴釉)とわら灰釉の二つを上下にかけ分けて景色を作って焼いております。大徳寺12代管長512世浩明宗然の書付で、銘「祥雲」とあります。浩明宗然は大徳寺派12代管長、博多崇福寺101世住職に就任し、花園大学講師をつとめた臨済宗の僧で、浩明宗然の墨蹟は美術年鑑にも載るほど価値が高いものとされています。法隆寺古材の香合は、名前の通り法隆寺の古材でつくられた香合です。他にもたくさんの茶道具をお売りいただきました。まとめてお売りいただき有難うございました。
帰りの途中、大塚にある「豚toko 大塚店」へ寄り、味噌らーめん、鶏皮ポン酢をいただきました。豚骨の入った味噌スープがとても美味しかったです。

清水六兵衛(きよみずろくべえ)
京焼の家元の一つ。江戸後期に初代 清水六兵衛が京都五条坂に開窯。
初代~三代は古藤六兵衛。三代の時に清水(しみず)六兵衛に改める。
(きよみず)の読みは、五代以降。
江戸時代中期以来の清水焼陶工の名跡。
現在は8代目。名は柾博。2000年に8代を襲名。
早稲田大学卒。日本陶磁協会賞受賞。京都造形芸術大学教授。

東京都中央区八丁堀にて、梅泉写し金銀象嵌高岡鉄瓶、銀製茶托。

   

東京都中央区八丁堀にて、梅泉写し金銀象嵌高岡鉄瓶、中国銀製茶托など煎茶道具をお売りいただきました。

お引越しによるお片付け整理にてお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、梅泉写し金銀象嵌高岡鉄瓶、中国銀製茶托など煎茶道具。鉄瓶は日本梅泉造を高岡鉄器瑞心堂が写したもので、本体に蘭蟹図、金銀象嵌が施されてます。日本梅泉とは滋賀県の湖東地方(能登川)で主に鉄瓶を製造していた亀文堂の鉄瓶製品の事。日本亀文の鉄瓶は、持ち手と本体部分を繋いでいる部分に珍獣の象嵌彫刻が施されているのですが、日本梅泉には梅の木と花をあしらった象嵌彫刻が施されているのが特徴です。日本梅泉を生産していた亀文堂自体は、昭和に入り時代の流れで高級鉄瓶の需要がなくなり残念ながら四代目で途絶えてしまいます。近年の鉄瓶ブームで亀文堂梅泉造の鉄瓶は人気があり、市場価格が高騰しております。唐物銀製の茶托は共箱などありませんでしたが、こちらも現在人気のあるお品でございますので、お客様にお喜びいただける査定額で買い取らせていただくことが出来ました。良いお品をお売りいただき有難うございました。
煎茶道具は、近年古物業界で人気があり、六角堂でも買い取りを強化しております。朱泥・紫泥の急須や白泥の涼炉、古竹でつくられた茶合や煎茶道具、錫製の茶壷や茶托、鉄瓶や銀瓶などは、近年中国からの人気があり、市場でも高騰しております。六角堂では、煎茶道具でしたら古いものから新しいもの、作家物から名前のないもの、日本のものから中国唐物まで全て買い受けます。ご不要の煎茶道具がございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。煎茶道具に詳しいスタッフが一点一点丁寧に査定し、高額査定にて買取させていただきます。
帰りに志木市場へ寄り、小池さんらーめんで夕食をいただきました。ラーメンに激辛の爆弾炒飯を食べ、締めにかき氷をいただきました。暑い日が続いてますので、かき氷がとても美味しかったです。明日からも出張買取頑張ります!

東京都東村山市にて、高木得元の釜、茶道具、掛軸、佐久間竹浦の画帖。

 

東京都東村山市にて、釜師高木得元の四方口釜、茶道具、掛軸、日本画家佐久間竹浦や草刈樵谷などの画帖、置物をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、釜師高木得元の釜など茶道具、掛軸、日本画家佐久間竹浦や草刈樵谷などの画帖、薩摩焼や九谷焼の置物など。たくさんのお品をお売りいただきました。高木得元は高木治良兵衛と同じ高木家の釜師。高木治良兵衛は京の町のほぼ中央に位置する「釜座(かまんざ)」に現在までに残る1855年創業の釜師が代々襲名する名前で、当代で6代目となっています。 お売りいただいた釜は宗旦好四方口釜。四方口釜(よほうぐちがま)は、茶の湯釜の形状のひとつで、口造りが甑口を四角形にした形の釜です。四方口釜は、宗旦好み、天命作で、釜の底を尾垂(おだれ)に直したものといいます。古いお品ですので錆や共箱の痛みなどございましたが、 大変良い作でしたのでお客様にご満足いただける査定額で買い受けさせていただきました。掛軸は、日本画、書のものなどがございました。画帖は、佐久間竹浦や草刈樵谷など日本画家のものが十点ほど納まっておりました。亡くなられたお爺様やお母様のご遺品とのこと、大切に次へと繋げられるよう頑張らせていただきます。本日は良いお道具をお売りいただき、ありがとうございました。
帰宅途中、「江川亭 東村山店」へ寄り、昼食をいただきました。こちらは15年ほど前、妻と結婚したばかりの頃によく来たお店で、約十年ぶりに寄りました。中華麺をいただきましたが、昔と変わらない味でとても懐かしかったです。いずれまた妻と来てみたいと思います。

佐久間竹浦(さくま ちくほ)
名は資夫、号は竹浦、別に菌浦、五谿と号した。明治9年竹田町で生れ大正14年に没した。幼くして独り祖母に育てられた。亡父純徳医師の遺産が豊かで、大切に育てられた。五つ六つの頃に紙と筆を与えると絵を描いて居たと言う。9歳の春に元岡藩絵師川合石舟の門に入り、後に京都に出て田能村直入の指導を受け南画を学んだ。直入没後は田近竹邨に師事して大いに研鑚を積み、郷里に帰り水石会の中堅として活躍し、多くの作品を遺して居る。初め水石会で竹浦について学び、後京都の竹邨の門に入った画家は草刈樵谷などが幾人か居る。竹浦は小学校の時代に、作曲家瀧廉太郎と親友で、交流が続き廉太郎からの書簡や絵が今も遺っております。また、昭和41年5月から55年3月まで竹田市長を務めた佐久間盛夫は三男にあたる。

草刈樵谷(くさかり しょうこく)
1892-1993 大分県竹田市に生まれる。本名辰生。初め同地の佐久間竹浦に師事して画を修め、大正8年京都に上り田近竹邨の門に入る。昭和20年まで京都在住の間、竹邨の主宰する日本南画院に連続出品。大正13年日本南画院院友となる。昭和3年大禮記念京都大博覧会に「秋山吟節」を出品。昭和12年第一回南画連盟展に「溪夏」を出品し奨励賞を受賞。昭和17年第5回新文展に「奔瀬図」が入選。昭和20年帰郷、翌年竹田荘に入り、以後16年間同荘の経営管理に従事する。かたわら田能村竹田画の研究に情熱を傾け、その画風を慕って南画制作を続けた。また、昭和49年にはそれらの功績が認められ、竹田市在住者で初めて名誉市民に選ばれることになった。平成5年(1993)歿、100才。

東京都杉並区方南にて、桐箪笥、海野宗泰の竹花入、佐藤清光の釜など。

 

東京都杉並区方南にて、桐箪笥、お着物、お茶道具、大徳寺松長剛山書付箱海野宗泰の竹花入一重口「銘 和心」、佐藤清光の淡々斎好車軸釜などをお売りいただきました。

本日は東京都杉並区方南へ、遺品整理でお呼びいただきました。お婆様が生前大切にされていた桐たんす、お着物、大徳寺松長剛山書付箱海野宗泰の竹花入一重口「銘 和心」、佐藤清光の淡々斎好車軸釜などのお茶道具を買い取らせていただきました。茶杓師海野宗泰の竹花入には大徳寺高桐院住職松長剛山の書付で「銘 和心」とございます。佐藤清光の釜は車軸の形をした面白い釜となってます。荷車などの車輪の中心部に似ているところからの呼称で、 古くからこの名があり、天明に多く見られるようです。裏千家14代の淡々斎が好んだ形で知られてます。鐶付は茄子になっており、縁起がいいですね。良いお道具をお売りいただき有難うございました。
帰りに高円寺駅そばにある「らーめん一蔵」さんへ寄りました。いつもは赤鬼らーめんという激辛ラーメンを食べてますが、今日は普通の味噌らーめんを食べました。濃厚スープに縮れ麺がとても良かったです。

海野宗泰
1947年昭和22年、京都に生まれる。
1964年昭和39年、師 竹器師高野宗陵と出会う。
1966年昭和41年、伏見工業高等学校工芸科を卒業後、竹工芸の勉強を始める。
1970年昭和45年、号 宗秦を拝名。
松長剛山(まつながごうざん)剛山宗忠
昭和18年、大阪府能勢町天王に生まれる。
昭和25年 大阪府長杉寺で松長元祥に就いて得度。京都建仁僧堂で竹田益州に参禅。
昭和46年より大徳寺塔頭高桐院住職。三重県上野市龍王寺住職も兼任。
現在,久田流有栖川系茶道十三代家元、及び細川三斎流茶道顧問を務めている。
佐藤清光(さとうせいこう)
伝統技法をベースに高度なへら絞りによって生み出される端正でシャープな造形は右に出る者はいないと言われています。
その優れた技術力は京都大徳寺から「御釜師」の称号を授与されており、「清光釜」「浄清釜」として全国的に高い評価を受けています。
草花、鳥、雲などの文様をモチーフに、 茶釜、風炉、鉄瓶を多く制作し、茶道関係事業に積極的に参加し、茶釜等を名茶道団体に寄贈するなど山形鋳物・山形茶釜の発展・普及に努めました。
1916年 山形県で生まれる
1953年 日展で初入選
1985年 第32回日本伝統工芸展で入選
1989年 斉藤茂吉文化賞を受賞
1992年 勲六等瑞宝章を受章
1996年 逝去

東京都三鷹市牟礼にて、茶道具、即中斎自作茶杓、永楽善五郎の花入。

 

東京都三鷹市牟礼にて、茶道具、表千家13代即中斎自作茶杓一対(銘蓬莱、寿山)、千家十職永楽善五郎(即全)の即中斎自筆(也風流)花入をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は、西東京市谷戸町にて、たくさんのお着物や和装小物などをお売りいただきました。多少シミや汚れなどあるものもございましたが、比較的状態も良く全て買い取らせていただきました。まとめてのご売却、有難うございました。二件目は三鷹市牟礼にて、茶道具、即中斎自作茶杓一対(銘蓬莱、寿山)、千家十職永楽善五郎(即全)の即中斎自筆(也風流)花入をお売りいただきました。表千家茶道をされていたお婆様のご遺品整理とのことでお呼びいただきました。本日で三日連続の茶道具買取、六角堂が最も得意とするお道具になります。即中斎自作茶杓一対は、黒田家12代黒田正玄の下削りで、銘は蓬莱、寿山とあります。永楽善五郎(即全)の花入は、即中斎の自筆で「也風流」とあります。也風流(またふうりゅう)の意味は、「不風流処也風流」(風流ならざるところまた風流)風流でも何でもないが、実はそのことが風流。全てを払い尽くして塵一つ無い、それこそ真の風流。茶席の禅語であります。お婆様の大切にされていたお道具、責任もって次へと橋渡しさせていただきます。本日は良いお道具をお売りいただき有難うございました。
今日は市場の開催日でしたので、夕方になってしまいましたが寄らせていただきました。市場を終えた後、みんなで池袋で一杯飲み、締めに小次郎らーめんさんへ行きました。仕事で疲れがたまっておりますので、スタミナラーメンを食べて栄養補給しました。明日からも頑張れそうです。

表千家家元十三代 即中斎宗匠
即中斎(そくちゅうさい)明治34年(1901)〜昭和54年(1979)。表千家13代。12代惺斎の次男に生まれる。兄不言斎の逝去により、昭和13年(1938)に家元を襲 名。第二次世界大戦の最中、昭和17年に千家同門会を発足させ、昭和24年(1949)には財団法人不審菴を設立。現代における茶の湯普及と伝統の保持と いう組織機構の基礎を築いた。

十六代永樂即全(えいらくそくぜん) (本名:茂一)1917年-1998年
1917年 「十五代:永樂善五郎(正全)」の長男として生れる
1935年 「十六代:永樂善五郎」を襲名
1936年  大磯城山荘内に城山窯を築窯
1971年  表千家「十三代:即中斎宗匠」より「陶然軒」の席号を授かる
1983年  京都府文化功労賞受賞
1990年  勲五等瑞宝章受章
1998年  長男・紘一に家督を譲り「即全」と号す

十二代 黒田正玄(くろだしょうげん)1906(明治39)年~1973(昭和48)年
12代黒田正玄は11代黒田正玄の長男として生まれました。名を久万吉(後に正玄)といいます。
父が死去したときまだ6歳だったため、叔父黒田常次郎と父の弟子上田定次郎に後見され、大正15年に家督相続する。周囲の援助を得ながら、戦中・戦後の困難な時期に家業を支えました。

東京都練馬区南大泉にて、茶道具、釜師角谷一圭の釜、加藤忠三朗の釜鐶。

東京都練馬区南大泉にて、和たんす、お着物、お茶道具、人間国宝角谷一圭の菊萬代屋釜、紫金堂加藤忠三朗の釜鐶をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、遺品整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたのは、お母様が大切にされていたタンスやお着物、お茶道具など。たくさんのお道具をお売りいただきました。お着物はシミや汚れなどございましたが、捨ててしまうのはもったいなく少しでも多く次へと橋渡ししてほしいとのことでしたので、全て買い受けさせていただきました。お茶道具は、人間国宝である角谷一圭氏の釜をはじめ、尾張藩御釜師加藤忠三朗の釜鐶、作家物の茶碗や水指、棗、茶入などたくさんお売りいただきました。角谷一圭は角谷家の二代目として生まれて父の巳之助や大国藤兵衛や香取秀真に師事。53年には重要無形文化財「茶の湯釜」保持者として人間国宝となりました。加藤忠三朗は慶長16年(1611)より尾張藩(名古屋)において、茶道具「茶釜」を作り続けている釜師。当代は十二代加藤忠三朗が継いでおります。「紫金堂」は、加藤忠三郎が興した屋号になります。名工の作品など、多数お売りいただき有難うございました。
近所の集会所で盆踊りがありましたので、参加させていただきました。昼には流しそうめんや子供神輿などのイベントもあり、毎年子供たちが参加しております。わたしもここの流しそうめんが大好きで、毎年参加しております。ここの流しそうめんは、そうめんの他にもミニトマトが流れてきて、冷えててとても美味しいです。下のチビもはじめは流れてくるそうめんを不思議そうに眺めてましたが、口にするとすぐにお代わりしてました。また来年も楽しみです。

角谷一圭(かくたにいっけい)
1904年 大阪市に生まれる
1917年 父巳之助より茶の湯釜制作技法を習う
1942年 商工省技術保存資格認定
1958年 第5回日本伝統工芸展高松宮総裁賞
1961年 第8回日本伝統工芸展朝日新聞社賞
1976年 勲四等瑞宝章
1978年 重要無形文化財「茶の湯釜」保持者に認定
1999年 逝去

東京都渋谷区初台にて、桐箪笥、茶道具、四世秦蔵六造、蔵苑造の純錫茶托。

東京都渋谷区初台にて、桐たんす、お茶道具、四世秦蔵六造純錫貸式茶托、蔵苑造の純錫菱木瓜網目透茶托をお売りいただきました。

引越し前の在庫整理での買い取りのご依頼を頂きお伺いさせていただきました。奥様は茶道をされており、ご主人様は骨董品のコレクターというお客様で、たくさんのお品を拝見させていただきました。ご主人様の集めていらっしゃる骨董品はどれも素晴らしく、棟方志功の作品はとても見事でした。今後も骨董品、古美術品を大事にされてください。奥様よりお譲りいただいたお道具には、四世秦蔵六造純錫貸式茶托(二重箱)、蔵苑造の純錫菱木瓜網目透茶托など、当社で買取を強化しているものがあり、お客様にお喜びいただける査定で買い取りができました。本日は当社のご指名、有難うございました!出張帰りに「富士そば」さんを発見し、寄らせていただきました。富士そばさんには学生時代、よく通わせていただきました。学生時代にはかき揚げを入れるお金がなく、かけうどんか月見うどんばかり食べておりました。当たり前のように天玉うどんを食べれるようになり、私も少しは成長しているのだなと思いました。富士そばさん、昔と変わらない味でとても良かったです。また寄らせていただきます。

四代 秦蔵六(はたぞうろく)1898~1984
明治31年(1898)京都生まれ。二世蔵六に師事し、四世を襲名する。
東京、大阪で個展開催。技術保存資格者、京都金属工芸協会長をつとめる。
昭和59年(1984)12月1日歿、87歳。

横浜市中区にて、茶道具、金城次郎の魚文花瓶、永楽善五郎(即全)の瓢酒瓶。

神奈川県横浜市中区にて、茶道具、人間国宝金城次郎の魚文小花瓶、千家十職永楽善五郎(即全)の交趾瓢酒瓶一対をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は業者様のご紹介で、東京都北区西ヶ原へお引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、贈答品、置物などを買い取らせていただきました。古く痛みやシミの出てしまっているものも多くございましたが、捨ててしまうのはもったいないお品、全て買い受けさせていただきました。数多くお売りいただき有難うございました。二件目は、神奈川県横浜市中区へお茶道具や骨董品の整理でお呼びいただきました。数年前に茶道をやめられてしまい、思い切ってすべて処分したいとのご依頼でした。茶道具は、永楽善五郎をはじめ千家十職のものなど、骨董品は、金城次郎など人間国宝のものから作家のない窯ものなど幅広くお売りいただきました。陶器の他、掛軸や時代人形なども併せてお売りいただきました。思い出のある大切なお品だった為、大切に次へと橋渡ししてほしいとのこと、責任もって次へと繋げさせていただきます。良いお道具をお売りいただき有難うございました。中華街が近かったので、帰りに「龍海飯店」というお店に行きました。こちらは142品食べ放題とのことで、今夜もまた暴食してしまいました。こちらのお店お勧めの小籠包はもちろん、大根餅などとても美味しかったです。今晩は腹筋してから寝るようにします。

十六代永樂即全(えいらくそくぜん) (本名:茂一)1917年-1998年
1917年 「十五代:永樂善五郎(正全)」の長男として生れる
1935年 「十六代:永樂善五郎」を襲名
1936年  大磯城山荘内に城山窯を築窯
1971年  表千家「十三代:即中斎宗匠」より「陶然軒」の席号を授かる
1983年  京都府文化功労賞受賞
1990年  勲五等瑞宝章受章
1998年  長男・紘一に家督を譲り「即全」と号す

金城次郎(きんじょうじろう)1912年(大正元年)– 2004年(平成16年)
那覇市生まれの陶芸家。国の重要無形文化財「琉球陶器」保持者(沖縄県で初の人間国宝)。
1925年(大正12)新垣栄徳の製陶所に入門、壷屋の製陶に従事。
1945年(昭和20)沖縄戦終結。
1946年(昭和21)那覇市壺屋に築窯。濱田庄司、河井寛次郎らの指導の元で壺屋焼を守り努める。
1972年(昭和47)沖縄本土復帰。読谷村に移住。
1985年(昭和60)4月13日、人間国宝に認定、沖縄県功労章受賞。
1993年(平成5)勲四等瑞宝章受賞。
2004年(平成16) 没。享年92。