カテゴリー別アーカイブ: 絵画・掛軸

東京都渋谷区広尾にて田村能里子のリトグラフ、伽羅の線香、反物など。

東京都渋谷区広尾にて田村能里子のリトグラフ「夢追女ー雅」、伽羅・沈香・白檀の線香、大島紬・結城紬の反物などをお売りいただきました。

お引越し業者様のご紹介でお引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。絵画や反物をご処分されたいとのことでご連絡いただき、出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、田村能里子のリトグラフ、伽羅の線香、反物など。絵画は、アジアの風土に生きる人々を描き続ける画家、田村能里子の夢追女シリーズです。リトグラフに手彩色(手彩版画)、本人直筆サイン入り。優しい表情が印象的な女性像の作品です。タトウ箱などの付属品あり、保管状態も良くお客様にご満足いただける査定額で買取出来ました。六角堂の強化買取作家作品ですので、精一杯の査定額を付けさせていただきました。反物は、本場大島紬・本場結城紬など。こちらも保管状態が良かったです。また、お線香も買取させていただきました。伽羅・沈香・白檀と様々な香りが楽しめるお線香のセットです。本日はたくさんのお品をお売りいただき、誠に有難うございました。
六角堂では「田村能里子」の絵画、版画作品の高価買取、査定・鑑定・出張買取を致します。
ご所蔵の作品(肉筆画、版画)がございましたら、無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。田村能里子作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!

田村能里子(たむらのりこ)
1944年 愛知県葉栗郡木曽川町に生まれる。
1962年 愛知県立旭丘高等学校美術課程卒業。
1966年 武蔵野美術大学油絵学科卒業。
1969年 結婚。田村姓となる。夫の赴任地であるインドに同行。
1982年 昭和会展優秀賞受賞。
1983年 現代の裸婦展グランプリ受賞。素描展(東京セントラル絵画館)
1986年 文化庁芸術家在外研修員として中国に派遣、滞在。
1988年 西安の飯店に壁画制作。
1989年 中山競馬場のロビーに壁画制作、以後各地で壁画を制作。中国政府より壁画作品に対し軒轅杯国際特別賞受賞。
1990年 南海サウスタワーホテル、蓼科ブライトン倶楽部他の壁画を制作
1991年 府中の森芸術劇場緞帳、ローズヴィラ蓼科、客船「飛鳥」ロビーの壁画を制作
1992年 大手町フィナンシャルセンター「ラ・パオ」、法仙坊ゴルフ倶楽部ぼ壁画を制作
1994年 名城大学、コモンズ㈱他の壁画制作。画文集『風と沙と女たち』(日本経済新聞社刊)。
1995年 バンコクに滞在(~98)。
1995年 高崎信用金庫、ファンケル本社、ジェントロピア菊華の壁画を制作。
1996年 タイ空港内「日本亭」、東亜建設㈱ロビー、今治国際ホテルの壁画、古川美術館天井画をを制作。
1997年 横浜みなとみらいコンサートホール壁画を制作。
1999年 JR東海名古屋駅ビルの壁画制作、テレビ東京でも壁画制作。
2000年 大阪念法真教総本山金剛寺他の壁画を制作。個展(日本橋・壷中居)。
2003年 大阪赤十字病院壁画、日立マクセル壁画、ファンケルスクエアで壁画制作。
2005年 よみうりランド慶友病院壁画、マルホ株式会社創剤技術研究所に壁画「季のきらめき」を制作。
2006年 総合大雄会病院壁画、海陽学園壁画、客船飛鳥II壁画制作。
2008年 日本赤十字看護大学壁画制作。
2001年 青梅・慶友病院、全日空ホテルクレメント高松他の壁画を制作。個展(古川美術館他)。
2010年 名古屋第2赤十字病院壁画制作。
2011年 京都嵯峨野観光鉄道嵯峨野駅駅舎ホール壁画制作。
2012年 ホテル椿山荘東京に壁画やアクリル画、デッサンを制作設置。
2013年 福岡女子大学学生会館の壁画完成。

東京都八王子市にて石川光明の彫金額、大森明恍の油彩板絵、桐箪笥。

東京都八王子市にて帝室技芸員 石川光明(いしかわこうめい)馬の彫金額、大森明恍(おおもりめいこう)の油彩画板絵「曙」、伝統工芸春日部桐箪笥をお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。桐箪笥や額などをご処分されたいとのことでご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいた桐たんすは、埼玉県春日部市で作られている伝統工芸品春日部桐箪笥。砥粉落ち、シミ汚れなどございましたが、当社買取強化品となってますので買い受けさせていただきました。額は帝室技芸員 石川光明(いしかわこうめい)馬の彫金額、富士山画家 大森明恍(おおもりめいこう)の油彩画板絵「曙」。他にも版画作品を数枚お売りいただきました。彫金額ではありますが、帝室技芸員 石川光明もまた強化買取作家でありますので、お客様にご満足いただける査定額で買い取りさせていただきました。大森明恍の作品は、1954~1955年の作品で、板に油彩、代表作である富士山が描かれております。少々傷みのある作品ではありますが、こちらも買取させていただきました。たくさんのお品をお売りいただき、ありがとうございました。

石川光明(いしかわみつあき)1852年10月1日~1913年7月30日
明治時代の日本の彫刻家。幼名勝太郎。
1852年 浅草区松山町で宮彫師の家に生まれる
1866年 菊川正光に牙角彫刻を学ぶ
1862年 狩野寿信に師事し、絵画を学ぶ
1881年 第2回内国勧業博覧会で妙義二等賞と二等賞を受賞する
1882年 同い年の高村光雲と知り合い、良き理解者として互いに親交を深める
1887年 皇居造営に参加
1889年 パリ万国博覧会で銀賞を受賞する
1890年 第3回内国勧業博覧会で妙技二等賞を受賞する、帝室技芸員を拝命する
1891年 東京美術学校に勤務する、楠公銅像木型製作に従業する
1893年 シカゴ・コロンブス世界博覧会で優等賞を受賞する
1894年 第4回内国勧業博覧会で妙技二等賞を受賞する
1900年 パリ万国博覧会で金賞を受賞する
1913年 東京美術学校在官中に逝去
写実的な彫刻を得意として、特に猿の牙彫に優れ、高村光雲の代表作「老猿」は光明の影響を受けているといわれております。

大森明恍(おおもりめいこう)1901年10月18日~1963年1月5日
本名桃太郎。明治34年10月18日福岡県遠賀郡芦屋町に生まれる。大正8年上京し、岡田三郎助が指導する本郷洋画研究所に入門。上京の途中、東海道線の列車の車窓から生まれて初めて富士山を見て、深く感動されたようです。同10年二科会展に「浪懸夏光」を出品し、昭和8年富士山研究のため、御殿場に一家をあげ移住した。その後、昭和13年2月東京銀座資生堂ギャラリーにおいて第1回富士山画個展開催をはじめ、北海道九州等各地で個展により多くの富士山の絵を発表した。なお、芸術新潮(4巻7号)に「富士を描いて30年」の一稿がある。昭和38年、御殿場市の東山にて永眠。享年61才。

東京都豊島区池袋本町にて北川金治の油彩画「薔薇」、反物、和装小物。

東京都豊島区池袋本町にて北川金治の油彩画「薔薇」、反物、和装小物などをお売りいただきました。

業者様のご紹介でお引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。絵画や反物をご処分されたいとのことでご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、北川金治の油彩画「薔薇」、反物、和装小物など。反物は、本場大島紬・本場結城紬など。とても保管状態の良い反物でした。和装小物は道明の帯締めや帯留めなど。絵画は洋画家北川金治の油彩画。タイトルは「薔薇」、サイズはSM号。立体レリーフのような重厚な厚塗りが存在感ある薔薇で、大変素晴らしい作品です。北川金治らしい作品であります。六角堂で買取強化中の作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。たくさんのお品をお売りいただき、有難うございました。

北川金治(きたがわきんじ)1917~2003
1917年 千葉県木更津市に生まれる
1955年 高野真美(日美教授、旺玄会委員)に師事する
1958年 旺玄会美術展に初出品
1960年 旺玄会会員推挙
1962年 旺玄会委員推挙
1966年 初個展
1972年 渡欧
1973年 南太平洋取材旅行(タヒチ、モーレア、ポラポラ)
1974年 三越百貨店精鋭選抜展出品
1975年 アメリカ西海岸、アラスカ、カナダ取材旅行
1979年 個展(横浜高島屋)
1980年 三越日仏選抜エトワール展出品
2003年 逝去。享年86歳

東京都国分寺市にて笹島喜平の拓摺り木版画、桐箪笥、お着物など。

東京都国分寺市にて笹島喜平の拓摺り木版画、桐箪笥、お着物などお売りいただきました。

不動産業者様のご紹介でお引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。絵画や桐たんす、反物をご処分されたいとのことでご連絡いただき、出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、笹島喜平の拓摺り木版画「弁財天S」「西ノ京」、春日部桐箪笥、黒留袖、訪問着、紬の反物など。笹島喜平は栃木県出身の近代日本を代表する木版画家。棟方志功(1903~1975)に学び、白黒の版画を追求した笹島独特の「拓刷り」の技法を創りました。お売りいただいた作品も拓刷りの技法が使われております。西ノ京は残念ながらシミが出てしまっておりました。弁財天Sは状態も良く、当社で強化買取り中の作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。桐たんす、お着物、反物も全体的にシミ汚れが出てしまっておりましたが、こちらも全て買取させていただきました。たくさんのお品をお売りいただき、有難うございました。
六角堂では「笹島喜平」の絵画、版画作品の高価買取、査定・鑑定・出張買取を致します。
ご所蔵の作品(肉筆画、版画)がございましたら、無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。笹島喜平作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!

笹島喜平(ささじまきへい)1906~1993年
明治39(1906)年4月22日 栃木県芳賀郡に生まれる。
昭和2年 東京府立青山師範学校(現東京学芸大学)を卒業し、教員生活に入る。
昭和11年 郷里の陶芸家、浜田庄司の紹介により棟方志功に師事。平塚運一に指導を受ける。
昭和15年 第15回国画会展に「南豆の海」で初入選。同16年第4回新文展に「山道」が入選し、版画家になることを決意する。
昭和18年 第18回国画会展で会友に推される。
昭和20年 教職を退いて版画家として独立。
昭和23年 第16回日本版画協会展に「新秋古刹」「戦災跡芋畑」を出品して同会会員となる。
昭和24年 第23回国画会展に「油地獄板画冊」を出品し、同会会員に推挙される。このころから三越劇場での歌舞伎版画に取り組み、制作を通じて写楽を知った。
昭和25年 日本版画協会を退会。
昭和27年 棟方志功らと日本板画院を創立。
昭和29年 東京日本橋高島屋で個展を開催。
昭和32年 第1回東京国際版画ビエンナーレに「漁村」「山湖B」で入選。以後第5回展まで出品。
昭和34年 第33回国画会展に拓版画「風ある林」「森」を出品し、拓本を参考に、バレンを用いず版木に紙をあてて上から押す「拓刷り」技法を示して注目される。
昭和40年 畦地梅太郎らと新秋会を結成し48年まで出品。笹島喜平版画展を益子町公民館で開催。
昭和41年 スイス、ザイロン市での第4回国際版画展に出品する。
昭和42年 第9回サンパウロ・ビエンナーレ展に「吉祥天A」「吉祥天B」「風神・雷神」を出品。
昭和43年 3月笹島喜平版画展を足利市民会館ギャラリーで開く。
昭和47年 イタリア・ミラノ現代国際版画展に出品。
昭和49年 畦地梅太郎、北岡文雄らと朴林会を結成する。
昭和51年 古稀を記念して『笹島喜平画文集』(美術出版社)を刊行。同53年笹島喜平版画展を水戸市文化センターで開催する。
昭和57年 喜寿記念笹島喜平展を東京日本橋高島屋で開催した。同展出品作は栃木県立美術館に所蔵されている。
平成5年 逝去。享年87。
仏教関係の尊像、社寺を描くことが多く、白黒の明快な対比、版木の彫痕が紙に凹凸としてあらわれる力強い作風を特色とした。

東京都渋谷区千駄ヶ谷にて北斎、歌麿、広重の版画集、一刀彫奈良人形。

   

東京都渋谷区千駄ヶ谷にて葛飾北斎の富嶽三十六景、喜多川歌麿版画集芳、歌川広重(安藤広重) 東海道五十三次などの版画集、 桝井光華の一刀彫『翁』、松本鉄山の『道成寺』、『猩々』、川口神泉『具足』など奈良一刀彫人形をお売りいただきました。

不動産業者様のご紹介で、遺品整理でお呼びいただきました。お父様が集めていた版画や奈良一刀彫人形などをご処分されたいとのことでお呼びいただきました。葛飾北斎の富嶽三十六景、喜多川歌麿版画集芳、歌川広重(安藤広重) 東海道五十三次などの版画集の他、額装された版画を数点買取させていただきました。(葛飾)北斎の富嶽三十六景は悠々洞出版の手摺木版画、全46枚揃です。(喜多川)歌麿版画集芳は高見澤研究所の手摺木版画、全24枚揃。(安藤)広重 東海道五十三次は保永堂版高見澤研究所の手摺木版画、全55枚+附図3枚揃えとなります。欠品なく、保管状態も良かったです。奈良一刀彫人形は、桝井光華の『翁』、松本鉄山の『道成寺』、『猩々』、川口神泉『具足』など。奈良一刀彫は奈良人形とも言われています。桧、桂、楠などを素材として、ノミで豪快に彫り上げた上に、金箔や岩絵具などで極彩色を施しているのが特徴です。能楽、舞楽、鹿、十二支、ひな人形などを題材とした魅力ある作品が作られています。こちらも全て共箱付き。飾ってありましたが保管状態は良かったです。たくさんのお人形がございましたが、こちらで箱と合わせながら査定させていただきました。他にも江戸張子人形や木彫りの置物なども併せて買取させていただきました。たくさんの版画やお人形などございましたが、一点一点丁寧に査定し、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。捨ててしまおうとされていたお品にも査定が付き、お客様にお喜びいただきました。お父様の大切にされていたお品々、当社で大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、ありがとうございました。
市場へ戻る途中、埼玉県戸田市にある「らあめん花月嵐」さんへ寄りました。期間限定メニュー「はせ川」の喜多方ラーメンを食べました。ほど良い加減の背脂とほんのり香る煮干しの風味が美味しいスープです。喜多方ラーメンならではの平打ち縮れ麺によく合います。期間中にもう一度食べに行きたいと思います。

葛飾北斎(かつしかほくさい)
江戸時代の浮世絵師。
1760年 江戸で生まれる
1764年 幕府御用達の鏡磨師・中島伊勢の養子となる
1778年 浮世絵師・勝川春章の門下となる
1779年 役者絵「瀬川菊之丞 正宗娘おれん」でデビュー
1794年 勝川派を破門される
1802年 狂歌絵本『画本東都遊』の刊行を開始
1805年 「葛飾北斎」の号を用いる
1812年 関西方面へ旅行する
1814年 『北斎漫画』の初編を発刊する
1817年 名古屋西掛所(西本願寺別院)境内にて120畳大の達磨半身像を描く
1823年 『富嶽三十六景』制作開始
1831年 『富嶽三十六景』開版
1834年 『富嶽百景』を手がける
1849年 5月10日、90歳で逝去

喜多川歌麿(きたがわうたまろ)– 1806(文化3)
江戸の浮世絵師。生年未詳。没年齢は50余歳とされる。出生地も未詳であるが江戸説が有力。はじめは北川豊章と名乗り、天明元年(1881)春から歌麿号を用いる。天明3年より喜多川を画姓とする。 美人大首絵について歌麿は、濃艶な色香、女体の質感、表情・しぐさに表れた微妙な心の襞の描出に傑出した力量を示している。 門人は多く、二代歌麿・藤麿・月麿等は特筆されるが、歌麿に比すべき人は出ず、文政年間(1818~1830)にその系統は絶える。 美人画の名手として後世に及ぼした影響は計り知れない。1806(文化3)逝去。

歌川(安藤)広重(あんどうひろしげ)
江戸時代の浮世絵師。
寛政9年(1797年)生まれ。本名は安藤重右衛門。
文化8年(1811年) 歌川豊広に入門。翌年、歌川広重の名を与えられデビュー。
文政4年(1821年)結婚。
始めは役者絵から手がけ、美人画に手をそめるようになったが、後に風景画を主に制作するようになる。
天保元年(1830年) 花鳥図を描くようになる。
天保3年 (1832年) 絵師に専心するようになる。
その後、数々の「東海道」シリーズを発表
ほかに、花鳥画、歴史画、戯画、春画、美人画も手掛けた。
さらに、肉筆画、摺物、団扇絵、絵本などの挿絵も残している。
安政5年(1858年) 逝去。

埼玉県さいたま市大宮区にて藤本東一良の油彩画、お着物、琴、三味線など。

埼玉県さいたま市大宮区にて藤本東一良の油彩画「ロワール河畔のシャトー」、お着物、琴、三味線などをお売りいただきました。

お引越し業者様のご紹介でお引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、藤本東一良(ふじもととういちりょう)の油彩画「ロワール河畔のシャトー」、お着物、琴、三味線など。お売りいただいた油彩画は、南欧を題材にした風景画を描く画家として有名な藤本東一良(物故)の「ロワール河畔のシャトー」という作品です。 サイズはSM号。サイズは小さいものの、状態も良くお客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。大切に飾られておりました絵画、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名くださり、また素晴らしい作品をお売りいただき有難うございました。
六角堂では「藤本東一良」の絵画、版画作品の高価買い取り、査定・鑑定・出張買取りを致します。
ご所蔵の作品(肉筆画、版画も高額買受致します。)がございましたら、無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。
藤本東一良作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!
絵画をお見積りの際には、詳しい鑑定士が査定させていただきます。
帰宅途中、大宮にあるお蕎麦屋「伊勢新」さんで食事をしました。かき玉うどんにミニカレー、シンプルでとても美味しかったです。

藤本東一良(ふじもととういちりょう)1913年6月27日~1998年9月17日
1913年 静岡県下田市に生まれ、まもなく大阪に転居。
1930年 鹿子木孟郎や赤松麟作に学ぶ。
1931年 大阪府立天王寺中学校卒業。上京し、川端画学校に入学。
1933年 同舟舎絵画研究所で小林萬吾に学ぶ。
1935年 東京美術学校油画科入学、寺内萬治郎、藤島武二に学ぶ。
1939年 第26回光風会展に初入選、F氏賞受賞。以後出品を重ねる。第3回海洋美術展で海軍協会賞受賞。
1940年 東京美術学校油画科卒業。大橋賞受賞。
1941年 光風会会友。46年会員、72年理事、94年常任理事。第4回新文展に入選。
1942年 第29回光風会展で光風特賞受賞。47年第33回展も同賞受賞。
1946年 第2回日展で特選受賞。翌年第3回展も特選。以後出品を重ねる。
1948年 個展(金剛荘画廊,岡山)。
1952年 個展(大阪・阪急百貨店)。
1953年 渡仏し、アカデミー・グランド・ショミエールに学ぶ。55年帰国。
1960年 日展会員。*66年評議員、93年理事、94年顧問。
1964年 東京教育大学芸術学科講師。73年退任。
1967年 日本美術家連盟理事。
1971年 金沢市立美術工芸大学講師。86年退任、90年客員教授。
1978年 個展(日動サロン,東京)。
1981年 第13回改組日展で文部大臣賞受賞。
1989年 第4回小山敬三美術賞受賞。
1993年 日本芸術院賞・恩賜賞受賞、日本芸術院会員となる。
1995年 『藤本東一良画集』(日動出版)刊行。
1998年 逝去。

東京都渋谷区笹塚にてポール・ギアマンのリトグラフ、清水亟典の油彩画。

 

東京都渋谷区笹塚にてポール・ギヤマンのリトグラフ「裸婦と花束」、清水亟典の油彩画「薔薇」をお売りいただきました。

本日は三件の出張買取。東京都世田谷区、目黒区、渋谷区を回りました。一件目は世田谷区北沢へ、お着物の出張買取でお呼びいただきました。以前、中野区で出張買取させていただいたお客様のご紹介でお呼びいただきました。お売りいただいたのは、お着物や毛皮など。少々古いお着物、シミのあるものなどもございましたが、全て買取させていただきました。お忙しい中、お呼びいただき有難うございました。二件目は業者様のご紹介で目黒区上目黒へ、遺品整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、ライティングデスクなどの英国アンティーク家具、ペルシャ絨毯など。他社との相見積もりでございましたが、査定の上、当社にお売りいただくこととなりました。英国アンティーク家具ではほぼ近い査定ではありましたが、ペルシャ絨毯で三倍近くの査定をすることが出来、全て当日引き上げの買取となりました。お父様の大切にされていたお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。三件目は業者様のご紹介で渋谷区笹塚へ、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでお売りいただいたお品は、お着物や反物、ポール・ギアマンのリトグラフ「裸婦と花束」、清水亟典の油彩画「薔薇」などの洋画をお売りいただきました。現代パリ画壇を代表する作家ギヤマン。明るい色彩で馬、花、バイオリンなどを構図の中に多く用い、独特の作風を創りだしています。お売りいただいた「裸婦と花束」は色使いも大変美しく、ギヤマンらしい作品となってます。清水亟典は徳島県出身の洋画家。「一枚の繪」にも取扱いされている人気作家。今回お売りいただいた薔薇や梟(ふくろう)などの作品を描かれております。ギアマン作品に若干シミ汚れがございましたが、当社で買い取りを強化している作家作品でしたので、お客様にご満足いただける査定額で買い取りさせていただくことが出来ました。お引越し準備でお忙しい中、当社をご指名いただき有難うございました。本日は朝から雪が降っておりましたので、三件の出張買取は心配でしたが、日曜日でしたので道路状況も良くスムーズに移動することができました。昼食は世田谷区にある「長浜らーめん」さんへ行きました。近くへ来た時にはいつも寄っております。とんこつ味噌にタマネギをトッピング。ゴマをたくさん入れるととても美味しいです。寒い日のラーメンは温まりますね。

ポール・ギヤマン (ギアマン)1926年 〜 2007年
1926年 フランス、サン・カンタンに生まれる
1945年 パリ国立美術学校に学び、モーリス・ブリアンションに指導を受ける
1952年 ローマ大賞を受賞。活躍をはじめる
1954年 サロン・ドートンヌ、サロン・ド・メ、青年絵画展などに出品し、種々のコレクションに加えられる
1957年 マントン・ビエンナーレで二等賞、青年絵画展マルベラ賞を受賞。
1958年 メキシコ、モスクワや欧米各地でギヤマン展を開催。
1968年 日本に初来日し、各地で個展を開催。
1979年 ブロンズ彫刻を初めて手掛ける。
2007年 12月8日、81歳、逝去。
官能的な赤と青を主体とする鮮やかな色彩で、主に馬やバイオリン女性などを描いております。
作品はパリ市立近代美術館、シカゴ・アート・インスティテュートなどの美術館をはじめ、世界各地に収蔵されています。

清水亟典(しみずじょうてん)
1937年 徳島県徳島市生まれ
1955年 城南高校卒業・世界美術展文部大臣賞受賞
1959年 多摩美術大学油絵科卒業
1962年 シェル美術展佳作賞(2回受賞)
1966年 モダンアート協会展優秀賞受賞
1978年 日仏現代美術展入選
1983年 ニースフェスティバル美術大賞展優秀賞
1984年 現代洋画精鋭選抜展銀銅賞受賞
1988年 フランス国際親善美術展3位
1990年 カーニュ国際美術大賞展奨励賞受賞
1995年 国際美術展奨励賞受賞
1999年 国際親善リヨン2000年祭協会賞(世界第一席)
2000年 クローバルアースフェスティバル展グランプリ(イタリア)
2001年 カンヌ国際芸術サロン金賞
2003年 フランス・パリ美の革命展INルーブル/プリ・デ・リオン受賞
2004年 世界芸術文化交流アカデミー名誉教授任官
2005年 国際フェニックスアート大賞展受賞
2006年 国際芸術大賞、フランスポールトマチス賞受賞
2007年 カンヌ国際栄誉賞(グランプリ)
2008年 第20回フランス絵画展受賞
2009年 カンヌ国際栄誉グランプリ、グランド金賞受賞
「一枚の繪」取扱い作家、渡欧3回、個展中心に活動しております。

東京都武蔵野市にて、向山僚一の油彩画、内田秀一の江戸小紋など着物、反物。

  

東京都武蔵野市にて、一枚の繪作家 向山僚一の油彩画「伊那・西春近」、内田秀一の江戸小紋など着物、反物をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お着物、絵画のお片付け整理でお呼びいただきました。他にも数社査定に来られておりましたが、当社で査定のうえ、全て買取させていただくこととなりました。お売りいただいたお品は、一枚の繪作家 向山僚一の油彩画「伊那・西春近」、内田秀一の江戸小紋などお着物、反物。たくさんのお品をお売りいただきました。一点一点丁寧に査定させていただき、お客様にご満足いただける査定額で買い取り出来ました。向山僚一は一枚の繪にも出ている人気作家さんで、長野県出身の画家。長野の風景画を主に描き続け、本作も長野県伊那市西春近の風景を描かれております。古径額に収められており、タトウ箱、黄布すべて揃っておりました。サイズはSM号ですが保管状態も良く、お客様にお喜びいただける査定を付けることが出来ました。内田秀一の江戸小紋も丈は若干短めでしたが、保管状態も良く高価査定させていただきました。明治生まれの内田秀一は、15歳の時に染色の道に入り、江戸小紋の染師 浅野茂十郎に師事します。後に故郷の甲府で独立し、生涯を江戸小紋一筋に生きました。内田秀一は、南アルプスの江戸小紋の名人として知られ、伝統工芸日本染色展に幾度となく入選し、労働大臣卓越技能賞を受賞します。人間国宝となられた児玉博の伊勢型紙などを使い、名作の数々を残した内田秀一の志は、家族によって「うちだのきもの」として、今なお引き継がれております。反物は本場大島紬など。こちらも保管状態よく、お客様にお喜びいただける査定を付けることが出来ました。絵画やお着物など、多数まとめてのご売却ありがとうございました。
出張買取の後に市場で仕分けをしていると、市場の仲間達が集まってきましたので、みんなでCoCo壱番屋さんへ行き食事をしました。豚しゃぶカレーうどんの二辛を食べましたが、わたしにはちょうど良い辛さでした。仲間の一人は五辛を食べてましたが、さすがに辛かったようです。ココイチさんのカレーうどん、美味しいですね。またみんなで寄りたいと思います。

向山僚一(むかいやまりょういち)
1928年 長野県高遠町に生まれる
1954年 白日展初入選
1963年 大潮展初入選新聞社賞 特選(’64)
1965年 日展初入選
1974年 現代洋画精鋭選抜展銅賞
1976年 個展(新宿伊勢丹 以後毎年)
1992年 高遠美術館作品収蔵
1993年 紺綬褒章(2001)
現在 無所属

内田秀一 
1909年(明治42年)山梨県甲府市に生まれる
1926年(大正15年)浅草駒形浅野茂十郎門下に入門
1937年(昭和12年)山梨県中巨摩郡八田村にて独立
1975年(昭和50年)労働大臣賞受賞(卓越技能賞)
1976年(昭和51年)山梨県無形文化財(県宝)に指定
1977年(昭和52年)県政功労者として表彰
1980年(昭和55年)勲六等瑞宝章受賞
日本伝統工芸展六回目入選
1990年(平成2年)病没

東京都足立区保木間にて小田切訓の油彩画「塔のある運河」、お着物、反物。

 

東京都足立区保木間にて、小田切訓(おだぎりさとし)の油彩画「塔のある運河」、お着物、反物、和装小物などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。三月はお引越しシーズン、今年もまたお引越しでのお片付けによる出張買取が多いです。本日お売りいただきましたお品は、小田切訓の油彩画「塔のある運河」、お着物、反物、和装小物など。
小田切訓は北海道生まれの洋画家。小田切訓はヨーロッパを周り、美しい風景を多く描かれました。色彩感覚が非常に優れていると評価が高く、樹々はその緑の美しさから「小田切グリーン」とまで言われる程であります。本品もまた、運河周りの樹々が美しい「小田切グリーン」の作品であります。タイトルは「塔のある運河」、こちらはオランダのアムステルダム運河を描かれております。小田切訓の代表作の一つであります。サイズは4号。保管状態も良く、また当社で買い取りを強化している作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。
お着物は訪問着や留袖、紬、帯、反物、小物など多数ございました。サイズや状態に難があるものもございましたが、こちらも六角堂の買取強化商品ですので全て買取らせていただきました。次へ橋渡しが出来るとお客様にはお喜びいただきました。お引越しでお忙しい中、当社をご指名くださり、またたくさんのお品をお売りいただき誠に有難うございました。大切に次へと繋げさせていただきます。
六角堂では「小田切訓」の絵画、版画作品の高価買い取り、査定・鑑定・出張買取を致します。
ご所蔵の作品(肉筆画、版画)がございましたら、無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。小田切訓作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!
本日は帰宅途中、ココイチさんで食事をしました。豚しゃぶカレーにクリームコロッケをトッピング。辛さはわたしのこだわり、三辛。とても美味しかったです。

小田切訓(おだぎりさとし)1943年〜
1943年 北海道雄武町に生まれる。
1968年 明治大学を卒業
1979年 現代洋画精鋭選抜展
1980年 示現会佳作賞。
1983年 示現会奨励賞。小田切訓、示現会準会員となる。
1990年 示現会安田火災美術財団奨励賞。
2001年 小田切訓、示現会を退会、風土会入会。
2015年 紺綬褒章受章
現在 無所属

世田谷区用賀にて、玉川堂茶托など煎茶道具、ロイ・フェアチャイルドのリトグラフ。

     

東京都世田谷区用賀にて、玉川堂の銅製托子(茶托)、高盛漆絵変わり木製茶托、煤籐編瓶座、皆川堂の南瓜型銅瓶(蓋無し)などの煎茶道具、ロイ・フェアチャイルドのリトグラフ「サスキア」などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、玉川堂の銅製托子(茶托)、高盛漆絵変わり茶托、煤籐編瓶座、皆川堂の南瓜型銅瓶(蓋無し)などの煎茶道具、ロイ・フェアチャイルドのリトグラフ「サスキア」など。玉川堂は新潟県燕市の金属加工業の中でも唯一、1枚の銅板を鎚で叩き起こして銅器を製作する「鎚起銅器」(ついきどうき)の伝統技術を二百年弱に渡って継承している老舗。玉川堂の製品は当社でも買い取りを強化しております。木製の茶托は高盛漆の素晴らしい茶托です。皆川堂の南瓜型銅瓶は残念ながら蓋をなくされてしまったとのこと、造りの良い作品だけに残念です。煎茶道具の他、絵画、掛け軸なども併せてお売りいただきました。バレリーナを描いたリトグラフはロイ・フェアチャイルドの作品。サスキアというタイトルで、本人直筆のサインが入っております。若干シミやヤケがございましたが、当社で買い取りを強化している作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取りさせていただきました。査定額にお喜びいただけて良かったです。ご家族の思い出のお品だったとのこと、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をお呼びいただき、誠に有難うございました。
買い取り終了後に市場へ行き、帰りに山田うどんさんへ行きました。いつもはうどんですが、今日は麻辣ラーメン。やまだうどんはラーメンも美味しいです。カレーコロッケは先日無料券をいただいたのでトッピングしました。美味しかったです。

ロイ・フェアチャイルド(Roy Fairchild)
フェアチャイルドは、ペルシャ芸術の表面的描出の素晴らしさ、中でもオリエントの敷物やタペストリーに見られる複雑な紋様に大きな影響を受けました。イタリアのフレスコ壁画の崩れかかった石膏仕上げもまた表面的描出や色合いの妙を思いつかせた。これらの特徴を自らの作品の鮮やかな表面仕上げに取り入れ、アクリルや油性の上塗りの基礎に実際に石膏を用いた。形象美術では、エゴン・シーレやグスタフ・クリムトに大きな影響を受け、描線や装飾を参考にしているが、より新鮮で大胆な色合いやより積極的なアプローチといった現代的な特質も加味している。作品の表面仕上げは鮮やかかつ壮麗で、そのような仕上げを確かなものにするためにあらゆる媒体を調合して使用している。版画作家としては、スクリーン版画に己の最大の表現の場を見出しており、彼の正確な図案と濃いくすんだ色調がさらに押し進められている。
1953年 イギリスのサリーで生まれる。
幼い頃からアーティストになることが夢で、テクニカルスクールでアートの一般過程を学び、その後LONDON SCHOOL OF PRINTSで3年間グラフィックデザインを学ぶ。
卒業後はイラストレーターとして活躍し、この頃の経験が現在の彼の版画の確かな知識と技術の土台となっている。
1980年 アーティストへ転身することを決意する。
その後はニューヨークアートエキスポでの国際デビュー以降、アメリカ、ヨーロッパを中心に多くの個展を開催。
1993年 日本に初来日し、多くのファンの熱い支持を得ており、作品のコレクターも増えております。
現在はイギリスの田舎町にアトリエを構え、家族や友人に囲まれて暮らしております。
ここ数年の間、2次元の絵画から3次元の彫像やレリーフへ、さらに詩の世界へと拡がっている。