カテゴリー別アーカイブ: 美術品・骨董品

東京都世田谷区経堂にて、長火鉢、菊地政光の鉄瓶、銀製ヨットなど。

本日は、四件の出張買取。一件目は東京都文京区小石川へ、お片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、お着物や長火鉢、硯や油彩画などを買い取らせていただきました。ずいぶんと前にご予約いただきましたが、お時間が合いようやくお伺いすることが出来ました。ご家族の思い出のお品々、大切に次へと繋げさせていただきますね。有難うございました。二件目は、世田谷区経堂にて、長火鉢、菊地政光の鉄瓶、銀製ヨットの置物などを買い取らせていただきました。菊地政光は山形鉄器の釜師で、鉄瓶や釜などをたくさん作られており、当社でもよく取り扱う作家さんです。本日お売りいただいた鉄瓶は、雨龍文に斑紫銅蓋の雰囲気良い鉄瓶。良いお品をお売りいただき有難うございました。三件目は、杉並区上高井戸へ、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、たくさんのお着物をお売りいただきました。そのほとんどが、高級呉服店である「越後屋」さんのタトウ紙に包まれておりました。お勤めされていた頃、お給料日にはいつも越後屋さんへと足を運び、お着物を買われていたという思い出話をしていただきました。丈が短かったのが残念でしたが、大変良いものでしたので全て買い受けさせていただきました。お客様の大事な思い出のお着物、当社で責任もって大切に次へと橋渡しさせていただきます。素敵なお着物たち、きっと次に良い出会いをされることと思います。ありがとうございました。四件目は、文京区関口へ出張買取。本日一件目に続いて、もう一度文京区へと戻りました。こちらのお客様は、昨年に二度ほどお伺いした大切なお客様。以前は、桐たんすやお着物、掛け軸などを買い取らせていただき巻いた。今回は、別宅のお荷物を整理したいとの事で、ブランドお洋服や贈答品、リサイクル品などをたくさん買い取らせていただきました。昨年同様、お元気そうで良かったです。また何かありましたら、いつでもご用命ください。有難うございました。
本日の昼食は、いつも寄らせていただいている世田谷区の「長浜ラーメン」さんへと寄りました。普段は必ず替え玉をさせていただいておりますが、本日はあとに二件買取が控えておりましたので、我慢させていただきました。次は、出張買い取り終了後に寄り、がっつりと替え玉いただきたいと思います。今日もとても美味しかったです。

菊地政光
昭和13年生まれ
茶釜師:人毛国宝である高橋敬典氏の工房で修行
昭和48年独立,菊地政光工房を立ち上げる。
その後,数々の入選や受賞を重ね,平成3年には山形市技能功労賞を受賞。
平成5年に朝日新聞社賞を受賞。
国指定伝統工芸士
40年以上の長い作歴を誇り,いまなお茶釜製作の先頭に立ち製作に励みます。
奥州山形鋳物の伝統を受け継ぐとともに、常に新しい時代の感覚を取り入れ、
みやびある茶の湯釜をと日々精進を続け、日本伝統工芸展へ出品、入選を重ねております。

埼玉県東松山市にて、桐たんす、船箪笥、14代沈寿官の薩摩焼花瓶など。

埼玉県東松山市にて、時代桐たんす、船箪笥、14代沈寿官の薩摩焼花瓶などをお売りいただきました。

東松山市へ解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。時代家具やお爺様が集めていらっしゃった陶磁器などを買い取らせていただきました。14代沈寿官は、12代の作風を模した伝統の白薩摩の金襴手や透彫、独自の研究により創作した「井光黒」と称される黒薩摩の作品など幅広く手掛ける作家です。薩摩焼を代表する作家で、当社でも買い取りを強化している作家さんです。良いお品をお売りいただきありがとうございました。大切に次へと繋げさせていただきます。
帰宅時に東松山市にある「いっちょう」さんへと寄りました。こちらは、昨年買取りの帰りに寄らせていただきました。高級料亭を思わせる雰囲気のお店ですが、とても低価格の和食居酒屋さんです。和食を中心にお料理メニュー約300種、ドリンクメニュー約200種類と豊富に揃っていますので、ついついたくさん注文してしまいました。「おっきりこみうどん」とても美味しかったです。また近くへ来た時には、寄りたいと思います。

十四代 沈寿官(ちんじゅかん) 1926(大正15)年生
14代沈壽官は13代沈壽官の長男として鹿児島県に生まれる。本名 大迫恵吉。
早稲田大学政経学部を卒業後は東京で代議士秘書を務めていましたが、
1961(昭和36)年から作陶生活に入りました。
1964(昭和39)年、14代沈壽官を襲名しました。
1973(昭和48)年、社会教育振興の功労により文化大臣感謝状を受賞しました。
1984(昭和59)年、文部大臣表彰を受賞しました。
1987(昭和62)年、地域文化功労賞文部大臣表彰(文化財保護功労)を受賞しました。
1989(平成元)年、大韓民国名誉総領事に任命されました。
1993(平成5)年、フランス国際陶芸ビエンナーレでフランス政府首相奨励賞を受賞しました。
大韓民国大田世界博覧会組織委員会長より感謝状を受賞しました。
鹿児島県民表彰を受けました。
1996(平成8)年、南日本文化賞を受賞しました。
1998(平成10)年、鹿児島県知事薩摩焼振興功労賞表彰を受賞しました。
1999(平成11)年、大韓民国銀冠文化勲章を受章しました。
名誉博士号を受けました。
2000(平成12)年、早稲田大学より芸術功労賞を受賞しました。
2003(平成15)年、大韓民国国済州道国際自由都市名誉弘報大使に就任しました。
2010(平成22)年、旭日小綬章を受章しました。
優美で気品に満ちた白薩摩、素朴で力強い黒薩摩、辰砂や鉄絵等も幅広く手掛け、
薩摩焼宗家としての名に相応しい創作活動を広く展開しています。
又、日韓の親善交流に果たした努力の数々は枚挙に遑がありません。
司馬遼太郎著『故郷忘じがたく候』のモデルとしても知られています。
司馬遼太郎によって井戸水が光る趣の「井光釉」と命名された独特の黒釉を開発し、
氏の芸術の特質を的確に言い表したものとして世に知られています。

神奈川県相模原市中央区にて、吉川啓示の屏風、薩摩琵琶、刀剣、掛軸、茶道具など。

     

神奈川県相模原市中央区にて、吉川啓示の屏風、薩摩琵琶、刀剣(銘あり刀、軍刀つくり)、掛軸、茶道具など、骨董品をお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。吉川啓示の屏風、薩摩琵琶、刀剣(銘あり刀、軍刀つくり)、掛軸、茶道具、銀製品など、たくさんのお品をお売りいただきました。吉川啓示(よしかわけいじ)は相模原市の日本画家です。作品は「丹嶺新雪」、六曲一双の屏風で、平成三年に描かれたものです。とても迫力のある大作となっております。刀剣は、銘のある刀や、軍刀のつくりをお売りいただきました。琵琶は、薩摩琵琶。薩摩琵琶は、鎌倉時代の初期に島津忠久と共に薩摩に移り住んだ盲僧宝山検校により伝えられたといわれています。薩摩藩の藩士達を修養する教訓歌を作り作曲して、薩摩琵琶が発展して広がりました。大きく鋭角なバチで琵琶の前面を叩きながら演奏するのが特徴です。今回お売りいただいた琵琶は薩摩琵琶ですが、琵琶には楽琵琶、筑前琵琶、荒神琵琶、盲僧琵琶、平家琵琶、五弦琵琶などの種類がございます。もちろん当社では、全ての琵琶、撥などの小物も買取いたします。掛軸は、仏画や日本画、書など。茶道具は、お稽古用のものが多くございましたが、一式全て買い取らせていただきました。中村清六は、佐賀県有田町にて高麗庵清六窯を構え、ロクロの名手といわれた陶芸家。佐賀県重要無形文化財 陶芸白磁 保持者に指定されました。本日は氏を代表する、白磁の壷を買い取らせていただきました。たくさんの品々をお売りいただき有難うございました。また、駐車スペースを用意していただいたり、お気遣いくださり有難うございました。またお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。
帰りの途中、相模原市にある「味の民芸 相模原並木店」へと寄り、食事をしました。ピリ辛牛肉山盛りつけ汁そば(麺二倍)に、アメーラトマトとをいただきました。ピリ辛牛肉山盛りつけ汁そばはすごいボリュームでしたが、とても美味く全て完食しました。最近食べ過ぎてしまいがちなので、夏に向けて体を引き締めなければと思います。

中村清六(なかむらせいろく)
佐賀県重要無形文化財 陶芸白磁 保持者。
大正5年長崎県波佐見町生まれ。田工業高教員を経て、初代奥川忠右衛門氏に師事。
昭和41年高麗庵清六窯を建て独立。
52年「現代の名工」で労働大臣卓越技能者表彰。
54年伊万里・有田焼第1回伝統工芸士に認定される。
55年黄綬褒章受章。全国伝統的工芸品展、日本伝統工芸展など多数入賞。
日本伝統工芸士会理事、県陶磁器技能士連合会会長。
平成23年没。

吉川啓示(よしかわけいじ)1910(明治43)年~2006(平成18)年
明治43年神奈川県生まれの日本画家
神奈川県生まれ
前田青邨(まえだせいそん)に師事。
溝村(現在の相模原市上溝)の出身で、院展(日本美術院)を中心に長年にわたって活躍されました。
院展への出品作品は、異国情緒漂う横浜の街並みが中心でしたが、院展引退後は矢立(携帯用の筆)を手に全国を巡り、市域や県内はもとより、坂東三十三霊場、四国八十八ケ所、奥の細道、中国へとわたり、二万枚もの写生画を残されたといわれております。

東京都品川区上大崎にて、指物飾り棚、人間国宝金重陶陽の備前焼耳付花入など。

 

東京都品川区上大崎にて、指物飾り棚、人間国宝金重陶陽の備前焼耳付花入などをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は業者様のご紹介で、所沢市へ書道具、三味線や琴などを買い取らせていただきました。書道具は端渓硯や那智黒硯の他、墨や印材、筆などをお売りいただきました。習字を教えていらっしゃったお母様のご遺品整理とのこと、大切にお母様の思い出のお品を次へと繋げさせていただきます。お忙しい中、遠くからご実家まで来ていただき有難うございました。二件目は、品川区上大崎へ遺品整理でお呼びいただきました。こちらでは、指物家具の飾り棚や小箪笥、銀製品、置物、人間国宝金重陶陽の備前焼耳付花入などを買い取らせていただきました。指物(さしもの)とは、釘などの接合道具を使わずに、木と木を組み合わせて作られた家具・建具・調度品などの総称であり、また、その技法をいいます。指物の名の由来については諸説ありますが、ホゾや継ぎ手によって材を組むことを「指す」といい、また「物指し」を用いて細工するからともいわれております。指物の技術者を指物師と呼びます。指物にはいくつかの流派とも呼べるものが存在しますが、特に京都の京指物、東京(旧・江戸)の江戸指物、大阪の大阪唐木指物が有名でございます。こちらの飾り棚もまた、釘などを使わずに、木と木を組み合わせて作られた家具、指物でございます。三味線、お琴はお稽古用でございましたが、お母様の思い出を受け継ぎたく、全て買い取らせていただきました。お売りいただいた備前焼耳付花入は、人間国宝金重陶陽のもの。金重陶陽は、備前焼の陶工として初めて重要無形文化財(人間国宝)となられた陶芸家。人気が低迷していた備前焼を再興させることに成功し「備前焼中興の祖」と称されてます。自らが優れた陶工であっただけでなく、多くの弟子を育て、次々と人間国宝を輩出したことでも知られています。こちらは、底部に掻き銘(ト印)がございます。陶陽らしい、雰囲気の良い作品です。もちろん金重陶陽は当社買取強化中の陶芸家ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い受けさせていただきました。良い家具、お道具をお売りいただき有難うございました。
本日の昼食は、所沢市にある「麺場 壱歩」さんへ行きました。今日は九州麦味噌野菜らーめんをいただきました。甘口の味噌のスープがとても美味しかったです。明日からもたくさんのご予約をいただいておりますので、頑張っていきます!

金重陶陽(かねしげとうよう) 1896年(明治29)~1967年(昭和42)
1896年 岡山県で生まれる。
1910年 伊部尋常高等小学校卒業後、父親について陶法を学び始める。
1928年 大日本博覧会に「彩色備前孔雀置物」出品する。
「備前飛獅子置物」「彩色備前鬼瓦に鳩置物」を天皇陛下に献上する。
1942年 川喜田半泥子、荒川豊蔵、三輪休和と「からひね会」を結成する。
1944年 日本美術及び工芸統制協会代議員に就任する。
1947年 生活用品芸術陶磁器認定委員に就任する。
1949年 備前窯芸会を結成する。
1952年 備前焼の技術で無形文化財保持者に認定を受ける。。
1955年 石黒宗麿、荒川豊蔵ら有志とともに日本工芸会の設立に参加する。
1956年 重要無形文化財「備前焼」保持者の認定を受ける。
1960年 山陽新聞文化賞、岡山県文化賞を受賞する。
1962年 日本伝統工芸展審査委員となる。
1964年 二度に渡りハワイ大学の夏期講座に講師として招聘される。
1966年 紫綬褒章を受章する。
1967年 天皇、皇后両陛下備前町行幸啓の際には御前制作を行う。
勲四等旭日小綬章を受章する。71歳で逝去。

東京都世田谷区駒沢にて、お着物、人間国宝中島宏の馬上盃(了庵箱)

東京都世田谷区駒沢にて、お着物、人間国宝中島宏の馬上盃(了庵箱)をお売りいただきました。

本日は、三件の出張買取、一見の出張見積もりでした。一件目は、東京都渋谷区恵比寿へ遺品整理にてお呼びいただきました。こちらでは、花梨の座卓、掛軸、ラッセンのリトグラフなどをお売りいただきました。後日、岩谷堂箪笥の整理タンス、洋たんすを買い取らせていただくこととなりました。その時には、またよろしくお願い致します。二件目は世田谷区駒沢へ、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、結城紬や牛首紬のお着物の他、青磁の第一人者で人間国宝となられた中島宏の馬上盃(了庵箱)やお茶道具を買い取らせていただきました。中島宏は、中島ブルーと呼ばれる独創性の高い青磁を生み出し、重要無形文化財青磁の保持者に認定されております。大切にされていたお道具達、大事に次へと橋渡しさせていただきます。途中、ジュースをいただいたりお気遣いいただきありがとうございました。三件目は、業者様のご紹介で世田谷区奥沢へ見積もりへとお呼びいただきました。明日がお引越しとの事で、お着物の見積もりのみさせていただきました。後日お呼びいただけるとのこと、楽しみにしております。本日のラスト四件目は、杉並区松庵へお片付け整理でお呼びいただきました。当日のご依頼でしたが、ご近所を回っておりましたので、即日お伺いすることが出来ました。こちらでは、お着物や贈答品などを買い取りさせていただきました。お着物は、ウールのものやシミや汚れなどあるものがございましたが、全て買い受けさせていただきました。ご家族の思い出のお着物、大切に次へと繋げさせていただきます。お時間のご調整をいただき有難うございました。
昼食は、目黒区にある「中国ラーメン揚州商人 目黒本店 」へと寄りました。季節限定メニューの海老みその旨ラーメンをいただきました。海老団子に海老味噌のスープがとても美味しかったです。千葉県ではよく寄らせていただいているお店ですが、ようやく本店へと行くことが出来ました。また寄らせていただきます。
現在出張買取の予定が詰まっており、ハードスケジュールとなっておりますが、頑張りたいと思います。多忙の為、こちらの買取事例の更新も遅くなってしまっております。これから暑い季節が始まりますが、出張に買取事例の更新、共に頑張ります!

中島宏(なかじまひろし)1941年~2018
1941年 佐賀県武雄市に生まれる
1969年 弓野古窯跡に登窯を築いて独立
1977年 日本伝統工芸展で奨励賞を受賞
1984年 中国古陶磁研究所訪中団に参加。青銅器に感銘を受ける。
1990年 佐賀県重要無形文化財技術保持者に認定
1992年 日本陶芸の「今」百選フランス・パリ展に招待出品
1997年 佐賀県芸術文化功労賞を受賞
2007年 重要無形文化財青磁の保持者に認定
2018年 3月7日肺炎のため死去。76歳。

東京都豊島区にて、桐箪笥、山本雄一窯の備前焼花生、伊藤赤水窯の湯呑、掛軸。

 

東京都豊島区池袋本町にて、桐たんす、山本雄一窯の備前鶴首花生、五代伊藤赤水赤水窯の無名異焼湯呑、掛け軸をお売りいただきました。

解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。不要となった陶器や漆器、贈答品などを買い取らせていただきました。備前焼の人間国宝である山本陶秀の長男、山本雄一の窯作品である備前鶴首花生や、無名異焼の人間国宝である五代伊藤赤水の窯作品の湯呑などをお売りいただきました。どちらも窯作品ではありますが、人気作家のものとなりますので、一点一点丁寧に査定させていただきました。他にも平安象彦や山田平安堂の漆器、日本画や書画などたくさんの掛け軸をお売りいただきました。ご家族の思い出のお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。今日は志木市場で数か月に一度の骨董大会をしておりましたので、帰りに寄らせていただきました。ふだんお目にかかれない貴重な道具がたくさん出ていたようですね。市場のそばに新しいお店が出来たとのことで、途中みんなで食事に行きました。「コミュニティレストラン ソラシドキッチン」さんというお店です。お洒落なお店で、メニューもお洒落なものばかり。料金がとてもお安いのに、サラダバーやスープバーが付きます。新鮮なサラダはとても美味しく、おかわりしてしまいました。わたしのいただいた「ソラシメン」、かき揚げの揚げ具合が絶妙でとても美味しかったです。市場の近所に素敵なお店が出来ました。また寄せていただきます。明日は東京都杉並区への出張買取、頑張ります!

山本雄一(やまもとゆういち)
人間国宝山本陶秀長男として生まれる。1959年から父のもとで陶芸の道に入りました。1968年には備前焼で初めてガス窯を導入。科学好きの旺盛な探究心で、偶然に頼る部分の多い緋襷を意図的なデザインとして生み出す方法を研究。稲わらを煮詰めて抽出したエキスを絵の具のように使い、素地に花や模様を描いた人口の緋襷「緋紋」「緋彩」の技法を考案しました。花器、茶器、壺、大鉢など幅広く製作しています。1967年日本工芸会正会員に。1995年、制作者向けの入門書「備前焼の技法 伝統と創造」を出版。1996年には茶の湯の造形展で田部美術館大賞を受賞。同年、岡山県重要無形文化財保持者に認定されました。1998年に紺綬褒章を受章、2002年に表千家同門会岡山副支部長に就任。
金重陶陽賞、岡山県文化奨励賞、山陽新聞賞、紺綬褒賞、岡山日日新聞芸術文化功労章、茶の湯の造形展大賞など多数受賞する。

伊藤赤水(いとうせきすい)
五代伊藤赤水(本名伊藤窯一)は、1941年新潟県・佐渡市相川町の無名異焼窯元、四代伊藤赤水の長男として生まれた。1966年京都工芸繊維大学を卒業後帰郷。祖父三代赤水について家業の無名異焼の伝統技法を修業した。1977年に五代伊藤赤水を襲名。作調は「窯変」と「練上」に大別される。窯変は穴窯によるもので、窯の中での焔の洗礼によって、器表に表れた不定形な赤と黒のコントラストとその境界に表れる微妙な変化が見所である。練上は地元の白・赤・黒の三種の陶土をこね合わせ、その切口の断面を鉢等の全体的な文様として構成する工芸技法によるもので、電気窯又は、ガス窯で焼成される。その作品は無名異焼の伝統に新生面を拓いた。2003年重要無形文化財「無名異焼」の保持者(人間国宝)に認定。

神奈川県横浜市旭区にて、屋久杉の飾り棚、人間国宝伊勢崎淳、伊勢崎満の備前焼。

神奈川県横浜市旭区にて、屋久杉の飾り棚、お着物、日本人形、人間国宝伊勢崎淳の備前緋襷瓢徳利、備前火襷耳付花生、伊勢崎満の備前徳利などをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は業者様のご紹介で、横浜市泉区へお家建て替え前のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、ブランド物のバッグや、贈答品などを買い取らせていただきました。いつもお客様をご紹介いただき有難うございます。二件目は横浜市旭区へ、お片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、屋久杉の飾り棚、古唐木の花台、伊勢崎淳の備前緋襷瓢徳利、備前火襷耳付花生、伊勢崎満の備前徳利などをお売りいただきました。美しい杢目の屋久杉の民芸飾り棚、屋久杉は世界遺産となり現在伐採を禁止されております。その為、大変貴重なものとなっております。また、備前焼で人間国宝となられた伊勢崎淳や、その兄である伊勢崎満の花瓶や酒器(徳利)を、併せてお売りいただきました。伊勢崎淳の作品は、人間国宝となられる前の前作でございましたが、当社強化買取り中の作家作品でしたので、全て買い受けさせていただきました。素晴らしい家具、お道具をお売りいただき有難うございました。
今日の昼食は、横浜市泉区和泉町にある、「高社樓」という中華料理屋さんへ行きました。こちらは昭和51(1976)年創業のお店のようで、奇遇にもわたしの生まれた年と同じです。わたしは味噌らーめん、麻婆豆腐をいただきました。昔ながらのシンプルなお味で、とても美味しかったです。近くへ来た時には、また寄りたいと思います。
六角堂ではただいま金重陶陽、伊勢崎淳、藤原啓、 藤原雄、山本陶秀、安倍安人、森陶岳、中村六郎、中村真、原田拾六、隠﨑隆一、藤原楽山、金重道明、金重素山、伊勢崎満、伊勢崎陽山 など備前焼作家物を強化買取りしております。備前焼以外にもたくさんの陶磁器を探しております。たくさんの御見積お待ちしております。

伊勢崎淳(いせさきじゅん)1936年(昭和11)~(現在)
1936年 岡山県で生まれる
1959年 岡山大学特設美術科を卒業する
1960年 兄とともに姑耶山古窯跡に中世の半地下式穴窯を復元する
1966年 日本工芸会正会員となる
1978年 岡山大学特設美術科の講師をつとめる
1981年 金重陶陽賞を受賞する
1987年 田部美術館茶の湯の造形展優秀賞を受賞する
1993年 岡山県文化奨励賞を受賞する
1996年 山陽新聞文化功労賞を受賞する
1997年 フランスの備前焼千年の伝統展に出品する
1998年 岡山県重要無形文化財保持者に認定される
日本工芸会理事、日本工芸会中国市支部幹事長に就任する
2002年 新首相官邸の陶壁を作成する
2003年 岡山大学創立50周年記念の陶壁を作成する
2004年 重要無形文化財(人間国宝)に認定される
三木記念賞を受賞する
2006年 アメリカのボストンで「一門展」を開催する
2007年 イギリス大英博物館の展覧会に出品する
2013年 県重要無形文化財保持者5人による秀作展に出品する

伊勢崎満(いせざきみつる)1934(昭和9)~(現在)
弟の伊勢崎淳と共に岡山県重要無形文化財に認定されました。
古備前への探究心と彫塑で培った造形感覚を駆使し、円熟した陶技からはベテラン作家としての貫禄が伝わってきます。
作品によって登窯と中世の穴窯を使い分け、電気窯やガス窯は使用しない松割木による焼成にこだわっています。
1934(昭和9)年、伊勢崎陽山の長男として岡山県備前市に生まれました。
1957(昭和32)年に岡山大学教育学部特設美術科彫塑専攻を中退後、父に師事して本格的に備前焼に取り組みました。
1961(昭和36)年、弟・淳と姑耶山の古窯跡に備前で初めて中世の古窯(半地上式穴窯)を復元。
1964(昭和39)年、日本工芸会正会員となりました。
1972(昭和47)年、備前陶心会会長に就任しました。
1973(昭和48)年、緋襷花器が外務省に買い上げられ、中国の日本大使館に展示されました。
1974(昭和49)年、金重陶陽賞を受賞しました。
1984(昭和59)年、岡山日々新聞社文化賞を受賞しました。
1987(昭和62)年、日本工芸会中国支部審査員に就任しました。
1990(平成2)年、岡山県文化奨励賞を受賞しました。
1994(平成6)年、山陽新聞文化功労賞を受賞しました。
1998(平成10)年、田部美術館大賞「茶の湯の造形展」で大賞を受賞しました。
2007(平成19)年、小形登窯と穴窯を築窯する。

東京都練馬区石神井台にて、玉珪銘江戸期銀製根付、銀製兜のボンボニエール。

 

東京都練馬区石神井台にて、仏像、仏具、玉珪銘江戸期銀製根付、天皇家卸下賜品銀製兜のボンボニエールをお売りいただきました。

遺品整理でお呼びいただきました。お爺様が生前集めていらっしゃった、仏像や根付、印籠、天皇家卸下賜品である銀製品のボンボニエールなどを、まとめて買い取らせていただきました。銀製の根付は江戸期の根付師玉珪のもの。玉珪は、上田令吉の『根附の研究』には「木刻を以て人物獣蟲を作る、天明寛政頃の人なり」と文献に記載されております。龍珪や法珪と同派で木刻のみを作り上げました。同派の根付師が明治になっても同名で同じスタイルの根付を製作していたとする説があり、恐らくこちらの根付は同派のものと思われます。銀製兜は菊紋が入っている為、おそらく天皇家卸下賜品であるボンボニエールと思われます。「ボンボニエール」とは、フランス語でボンボンと呼ばれる小さな砂糖菓子を入れる器。 日本では明治時代から、天皇のご即位をはじめ、お子様のご誕生やご結婚式などの皇室・宮家の慶事の度、金平糖が詰められたボンボニエールが祝宴の記念品として招待された人々に贈られてきました。ボンボニエールは、今なおコレクターさんが多く存在し、市場でも高額で取引されるものが多くございます。こちらの兜形ボンボニエールは希少なもので、お客様にご満足いただける査定額にて買い取らせていただきました。六角堂では、こういった根付やボンボニエールなどの時代小物の買い取りを強化しております。ご不要の時代小物がございましたら、是非六角堂をご指名ください。良いお道具をたくさんご売却いただきありがとうございました。
本日は志木市場でしたので、出張帰りに寄らせていただき、市場終了後いつものように仲間たちと「大島屋食堂」さんへ食事に行きました。こちらのお店はメニューが豊富で、いつ来ても飽きません。昨日に引き続き、T橋氏ご馳走様でした!

根付(ねつけ)とは、江戸時代に煙草入れや矢立て、印籠、小型の革製鞄(お金、食べ物、筆記用具、薬、煙草など小間物を入れた)などを紐で帯から吊るし持ち歩くときに用いた留め具。江戸時代から近代にかけての古根付と、昭和、平成の現代根付に大別されます。 製作国の日本以上に、日本国外では骨董的蒐集品として高く評価されております。

東京都目黒区上目黒にて、民国萬同順銘粉彩弥勒佛の置物、清代茶葉末釉の皿。

東京都目黒区上目黒にて、民国萬同順銘粉彩弥勒仏(布袋像)の置物、清代茶葉末釉の皿、掛け軸などをお売りいただきました。

遺品整理で、中国の骨董品や掛け軸などを処分したいとのことでお呼びいただきました。お売りいただきましたのは、民国期の萬同順銘粉彩弥勒佛(布袋様)の置物や茶葉末釉の皿、中国書画や日本画の掛軸など。粉彩(ふんさい)とはヨーロッパの七宝(銅胎七宝)の技術を陶磁器に応用したもので、琺瑯彩(ほうろうさい)、洋彩(ようさい)とも呼ばれております。弥勒佛は、笑いの佛ともいわれ、幸運・財運・健康運を招く仏様として、世界中で親しまれ、信仰されています。「弥勒」と聞くと、国宝の「弥勒菩薩半跏思惟像」を思い浮かべる方や、笑顔あふれる布袋様と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、どちらも弥勒様のお姿の一つと言われております。はだけた衣、大きなお腹、あふれんばかりの笑顔、その姿は、執らわれのない、明るく素直な心、全てを受け入れる大きな心を表しております。底に萬同順と陶印があり、時代は民国期のものとなります。残念ながら、頭部に直しがございました。茶葉末釉の皿は、おそらく清代の頃のものと思われます。茶葉末釉らしいしっとりとした深い色合いが魅力的です。茶葉の粉末の色のように見えるため、茶葉末釉(ちゃようまつゆう)と呼ばれております。緑色と黄色が混ざった釉薬は蕎麦の実のようにも見えるため、日本では蕎麦釉(そばゆう)と呼ばれております。こちらも残念ながら、一か所縁にカケがございました。直しやカケなどございましたが、人気の中国骨董は当社で買い取りを強化していますので、お客様にご満足いただける査定額にて買い取らせていただきました。古き良き時代の美術品をお売りいただき有難うございました。
帰りの途中、いつもお世話になっているT橋氏、O橋氏と合流し、ガストさんで食事をしました。牛カルビとミックスフライ御膳にとろろをダブルでトッピング。とても美味しかったです。T橋氏ご馳走様でした!是非また市場の日に!

六角堂では、ただいま中国骨董・美術品・工芸品を積極的に買い受けしております!
中国陶磁器・書道具・煎茶道具・中国書画・古唐木家具・中国古書・中国古銭・中国切手・中国酒などございましたら、六角堂までお問い合わせください!
中国の骨董、美術品に詳しい鑑定士が見積もり査定させていただきます。

神奈川県横浜市磯子区にて、人間国宝 金重陶陽の湯冷し、掛軸。

 

神奈川県横浜市磯子区にて、人間国宝 金重陶陽の湯冷し(金重道明識)、掛け軸をお売りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。本日お売りいただいたのは、備前焼で初めて人間国宝となられた金重陶陽の湯冷しになります。こちらは本人の共箱ではなく、陶陽の長男である金重道明の識箱に収められておりました。六角堂で買い取りを強化している作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額にて買い取らせていただきました。良いお道具をお売りいただき有難うございました。二日前に横浜市へ来た時にも寄らせていただきましたが、本日もまた中華街へと寄らせていただきました。昼食は、「熊猫飯店」さんへ、なんとも可愛らしい看板につられて寄ってみました。ネギらーめんに炒飯のセットランチをいただきました。他に春巻きも付いて千円しませんでした。もちろん美味しかったです。本日もまた、中華街へ来たら必ず寄らせていただいております横濱媽祖廟(よこはままそびょう)へと参拝しに寄ってきました。今日は志木市場の開催日でしたので、早々に戻らせていただきました。明日より一週間、買取事例担当のものがお休みをいただきますので更新することが出来ません。出張買取、受付は通常通り営業しておりますので、引き続きどしどしとお問い合わせください。

金重陶陽(かねしげとうよう)1896~1967年
金重陶陽は金重楳陽の長男として岡山県備前市伊部に生まれました。本名を勇といいます。
1910(明治43)年、伊部尋常高等小学校を卒業後、父に師事して細工物に従事しました。
1918(大正7)年、色絵(彩色)備前を造り始め、この頃より「陶陽」の号を用い始めました。
1928(昭和3)年、備前飛獅子置物、彩色備前鬼瓦に鳩置物を天皇陛下に献上されました。
茶道具の基本を学ぶ為、表千家流に入門。
1930(昭和5)年、備前焼の本質を無釉焼き締めの土味に求めて土の生成法を発見し、
桃山備前の土味を再現する事に成功しました。
江戸時代から伊部で用いられてきた水簸土は土味を失うからとして使用を止めました。
1932(昭和7)年、本格的に轆轤制作を開始し、陶印を「陶陽造」等から「土」に改めました。
以前までは細工物を中心に焼成していましたが、
古備前の豪快で侘びた美しさに傾倒して作陶の主題は茶陶へと移行します。
武者小路千家12代愈好斎宗守が来訪したのを機にその門に入門しました。
高松宮両殿下が備前町行啓の際、御前制作を行いました。
1936(昭和11)年、三重県津市の川喜田半泥子の千歳山窯を訪れて作陶。
1939(昭和14)年、再び三重県津市の川喜田半泥子の千歳山窯を訪れて作陶。
川喜田半泥子、弟・金重素山と岡山県邑久の虫明窯を訪れて作陶しました。
皿等の重ね焼きで緋襷の焼成に成功しました。
1941(昭和16)年、三重県津市の川喜田半泥子の千歳山窯を訪れて作陶。
金重素山の出征を機に窯を改良し、古備前の窯変に画期的な成功を収めました。
1942(昭和17)年、川喜田半泥子、荒川豊蔵、10代三輪休雪とからひね会を結成しました。
備前焼の技術保存資格者に認定されました。
1944(昭和19)年、日本美術、工芸統制協会代議員に就任。
1945(昭和20)年、岐阜県大萱の荒川豊蔵の窯を金重素山と訪れて作陶。
1947(昭和22)年、生活用品芸術陶磁器認定委員に就任。
1948(昭和23)年、芸術陶磁器第二部資格者となりました。
1949(昭和24)年、藤原啓、山本陶秀、藤田龍峰、金重素山、浦上善次と備前窯芸会を結成。
1951(昭和26)年、京都府亀岡市の大本教本部が花明山窯を築窯する際、指導を行いました。
1952(昭和27)年、備前焼の無形文化財記録保持者に認定されました。
以前から親交のあった北大路魯山人がイサム・ノグチを伴って来訪し、作陶を行いました。
北大路魯山人から食器の世界、前衛彫刻家のイサム・ノグチから造形の強烈な個性を受け、
この大家との出会いが陶陽の作陶に大きな変化と幅を持たせる事になりました。
魯山人の「ロ」に倣って陶印を「ト」に改め、次第に小さくなって最後まで使用しました。
秩父宮妃殿下が金重家を御来訪されました。
北大路魯山人が北鎌倉山崎の邸内に備前窯を築窯する際に協力し、
ここで志野、織部、瀬戸、伊賀等の土物を多数制作しました。
石黒宗麿、荒川豊蔵、加藤唐九郎、宇野三吾と日本工芸会の設立を協議しました。
再び、花明山窯を訪れて指導しました。
1954(昭和29)年、熱海伊豆山桃李郷で石黒宗麿、加藤土師萌、小山冨士夫、荒川豊蔵、
加藤唐九郎、小森松庵、黒田領治、佐藤進三と桃李会を結成。
岡山県重要無形文化財に認定されました。
山口県萩市の吉賀大眉窯、佐賀県唐津市の中里太郎右衛門窯を訪れて作陶しました。
1955(昭和30)年、日本工芸会が結成。
1956(昭和31)年、重要無形文化財「備前焼」の保持者(人間国宝)に認定されました。
1959(昭和34)年、中国文化賞を受賞。
1960(昭和35)年、山陽新聞文化賞、岡山県文化賞を受賞た。
岡山県文化財保護協会理事、備前町文化財保護委員会委員長に就任。
1961(昭和36)年、石黒宗麿、加藤土師萌、小山冨士夫、荒川豊蔵、宇野三吾と柏会を結成。
京都府綾部市の大本教本部の鶴山窯で備前や信楽を焼成しました。
1962(昭和37)年、日本伝統工芸展審査員、日本工芸会理事に就任。
1963(昭和38)年、島根県知事・田部長右衛門の招きで出西窯を訪れて作陶。
1964(昭和39)年、ハワイ大学夏季大学講師に就任。
1965(昭和40)年、岡山県工業試験所陶磁器指導所講師に就任。
1966(昭和41)年、ハワイ大学夏季大学講師に就任。
紫綬褒章を受章しました。
1967(昭和42)年、昭和天皇両陛下が備前町行啓の際、御前制作を行いました。
勲四等旭日小綬章を受章。

金重道明(かねしげみちあき)
1934年 岡山県備前市伊部に金重陶陽の長男として生まれる。
1956年 金沢美大工芸科卒業。
1957年 朝日現代陶芸展初入選
1958年 日展入選。
1964年 日本伝統工芸展入選。
1967年 米国・メキシコで開催の「国際芸術見本市」に出品。
1968年 京都、東京国立近代美術館(現代陶芸の新世代展出品)
1969年 日本工芸会正会員となる。
1970年 第2回ヴァルロス国際陶芸ビエンナーレ出品。
1971年 第3回金重陶陽賞受賞。
1973年 一水会陶芸展出品、委員に推挙される。
1975年 鈴木蔵と双戌展開催。
1976年 東ドイツにて開催の「日本の陶磁名品」展に出品
1979年 第7回中日国際陶芸展審査員。
1980年 日本陶磁協会賞受賞。
1981年 作陶25周年記念展開催。
1982年 第7回アジア芸術祭(香港)「現代日本陶芸」展に招待出品。
1984年 西ドイツ国内巡回開催の「土と炎ー現代日本の伝統陶芸」展に出品。
1985年 作陶30年記念展開催。
1995年 没。