静岡県富士宮市にて今泉今右衛門の色鍋島有職文花瓶、奥田元宋の和歌画賛。

   

静岡県富士宮市にて人間国宝 十三代今泉今右衛門の色鍋島有職文花瓶、奥田元宋の和歌画賛などをお売りいただきました。

以前、骨董品の出張買取でお呼びいただいたお客様からご連絡いただき、倉庫にしまっている家具や置物などを処分されたいとのことで静岡県富士宮市へ出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、十三代 今泉今右衛門の色鍋島有職文花瓶、奥田元宋の和歌画賛、松本民芸家具のライティングデスク、岩谷堂箪笥の文机、北谷家具の鏡台、銀製置物、マイセンやドレスデンのフィギュリン、洋食器など。たくさんのお品をお売りいただきました。13代今泉今右衛門は伝統的な色鍋島の装飾技法に加え、「吹墨」、「薄墨」、「吹重ね」という独創的な作風を創出しました。端正で流麗な造形、安定した色調、精緻な文様の斬新さには驚嘆すべきものがあります。お売りいただいた色鍋島有職文花瓶は本人作ではなく窯の作品ですが、サイズもあり大変出来の良い作品。共箱は欠品しておりましたが、高額査定させていただきました。奥田元宋は当社で買取強化中の人気日本画家。「元宋の赤」といわれる独特な赤色が特徴の作品を描きます。妻の奥田小由女は人形作家、芸術院会員。2014年に日展理事長就任。お売りいただいた作品は日本画ではなく和歌画賛(色紙)ですが、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。銀製置物は関武比古のヨットや高砂など。トラック一台分、たくさんのお品を買取することが出来ました。お品数が多く積み残しがありましたので、来週もまたお呼びいただきました。本日はお忙しい中、静岡県までお越しいただき、たくさんのお品をお売りいただき有難うございました。次回もまたよろしくお願い致します。
お客様に富士宮やきそばで美味しいお店を訪ねたところ、近所にある「ゆぐち」さんというお店をご紹介いただき、帰りに寄らせていただきました。目玉焼きをのせた富士宮焼きそば、お好み焼きを食べました。ジューシーなキャベツに半熟の黄身が麺と絡んでとても美味しかったです。また寄りたいと思います。

十三代 今泉今右衛門(いまいずみいまえもん)1926年(大正15)~2001年(平成13)
1926(大正15)年、12代今泉今右衛門の長男として佐賀県に生まれる
1949(昭和24)年、東京美術学校(現:東京芸術大学)工芸科を卒業しました。
1958(昭和33)年、佐賀県展で最高賞を受賞しました。
1963(昭和38)年、一水会陶芸展で一水会会長賞を受賞。一水会陶芸部会員に推挙されました。
1965(昭和40)年、日本伝統工芸展で日本工芸会会長賞を受賞。日本工芸会正会員に推挙。
1972(昭和47)年、「色鍋島かるかや文鉢」が東京国立近代美術館に買い上げられました。
1974(昭和49)年、一水会陶芸展審査委員に就任しました。
1975(昭和50)年、13代今泉今右衛門を襲名しました。
1976(昭和51)年、日本陶磁協会賞を受賞しました。日本工芸会理事に推挙されました。
1979(昭和54)年、日本伝統工芸展優秀賞(NHK会長賞)、佐賀県芸術文化賞を受賞しました。
1980(昭和55)年、日本伝統工芸展鑑査委員に就任しました。
1981(昭和56)年、日本陶芸展最優秀作品賞(秩父宮賜杯)を受賞しました。有田陶芸協会発足に伴って会長に就任。
1982(昭和57)年、佐賀県陶芸協会会長に就任。日本伝統工芸展鑑査委員に就任しました。
1983(昭和58)年、日本伝統工芸展鑑査委員に就任しました。
1984(昭和59)年、西日本文化賞を受賞しました。
1985(昭和60)年、日本伝統工芸展鑑査委員に就任しました。
1986(昭和61)年、紫綬褒章を受章、佐賀県政功労賞、佐賀新聞文化賞を受賞しました。
1987(昭和62)年、日本工芸会常任理事に推挙されました。日本伝統工芸展鑑査委員に就任。
1988(昭和63)年、毎日芸術賞、第一回MOA岡田茂吉賞を受賞しました。
1989(平成元)年、重要無形文化財「色絵磁器」の保持者(人間国宝)に認定されました。日本陶磁協会金賞を受賞しました。
1991(平成3)年、佐賀県庁県民ホールの陶壁を制作しました。
1992(平成4)年、国際陶芸アカデミー(IAC)の名誉会員に推挙されました。
1993(平成5)年、佐賀県立有田窯業大学校長に就任しました。
1995(平成7)年、国際文化交流に対し、外務大臣より表彰されました。
1998(平成10)年、グッドデザイン賞審議委員に就任しました。
1999(平成11)年、勲四等旭日小綬章を受章しました。
2000(平成12)年、日本工芸会副理事長に就任しました。
2001(平成13)年、逝去。

奥田元宋(おくだげんそう)1912年6月7日~2003年2月15日
1912年 広島県双三郡八幡村(現在の三次市吉舎町八幡)に生まれる。
1931年 中学卒業を機に遠戚に当たる日本画家、児玉希望を頼って上京し内弟子となる
1936年 文展鑑査展に「三人の女性」が初入選
1937年 児玉希望画塾第1回展に塾賞を受賞。「元宋」と号した
1949年 第5回日展において「待月」が特選と白寿賞受賞
1956年 第12回日展に委嘱出品。日展会員となる
1962年 第5回新日展では「磐梯」が文部大臣賞受賞、文化庁買上げ
1973年 日本芸術院会員
1974年 日展常任理事となる
1977年 この年より79年まで日展理事長をつとめる
1981年 宮中歌会始の召人に選ばれる。真言宗大聖院の本堂天井画「龍」を制作。
1984年 文化勲章受賞
1989年 広島県名誉県民として顕彰される
1995年 日本芸術院第1部(美術)の部長となる
1996年 京都・銀閣寺(慈照寺)の庫裏・大玄関及び弄清亭障壁画を完成させる
2003年 東京で逝去、享年90歳

東京都新宿区戸山にて原田泰治のオリジナル木版画、茶道具など。

東京都新宿区戸山にて原田泰治のオリジナル木版画(ジークレー)「たこあげ」、「ねむの花」、「子守唄の村」、茶道具などをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。桐たんすや茶道具をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、原田泰治のオリジナル木版画(ジークレー)「たこあげ」、「ねむの花」、「子守唄の村」、茶道具、贈答品、和装小物、アクセサリーなど。トラック一台分、たくさんのお品をお売りいただきました。当社が買い取りへ伺う前に、買取業者が数社入っておりましたので、他社が残していかれたお茶道具などを買取させていただきました。黒土風炉は電熱器の付いた電熱風炉、本麻の茶巾、紙釜敷、伝統工芸士 久保良斎の茶筅など、お道具としては脇役となってしまいますが、全て買取させていただきました。共箱のない茶碗や水指なども数点ございましたが、こちらも全て買い受けさせていただきました。贈答品は食器や花瓶、漆器など。こちらも全て買取させていただきました。原田泰治のオリジナル木版画(ジークレー)は、「たこあげ」、「ねむの花」、「子守唄の村」の三点。原田泰治の作品は、本品のようにふるさとを題材にした日本の風景を描いており、平面的な塗り、人物の顔の目や口、鼻が描かれていないのが特徴的です。やや波打ちなどの難もございましたが、全体的に良い状態の作品です。お母様が大事にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日はお忙しい中、六角堂をご指名くださり誠に有難うございました。

原田泰治(はらだたいじ)1940年~
1940年 長野県諏訪市上町で生まれる。
1960年 武蔵野美術大学洋画科に入学、油彩画を学ぶ。翌年、商業デザイン科に再入学する。
1963年 武蔵野美術大学商業デザイン科卒業。デザイナーとして活動する。
1980年 第29回小学館絵画賞受賞
1982年 朝日新聞日曜版に「原田泰治の世界展」を連載開始/並行して全国で個展開催
1989年 アメリカ合衆国各地で展覧会を開催
1997年 長野冬季オリンピック競技大会での文化芸術祭に参加
1998年 諏訪湖のほとりに諏訪市原田泰治美術館がオープン
2000年 日本の全国各地20か所で「日本の童謡・唱歌100選展」開催
2008年 上田電鉄1000系電車のラッピング車輌「自然と友だち」のデザインを担当
2009年 日本グラフィックデザイナー協会会員
2009年 クロアチア共和国ナイーブ美術協会名誉会員中国・上海金山農民画協会会員を務める
現在、日本グラフィックデザイナー協会会員、クロアチア共和国ナイーブ美術協会名誉会員、中国・上海金山農民画協会会員。

東京都八王子市にて小栗潮の日本画、友禅黒留袖、村上伸一郎の江戸小紋など。

 

東京都八王子市にて日本画家 小栗潮の風景画(高原)、友禅黒留袖、村上伸一郎の江戸小紋着物などをお売りいただきました。

業者様のご紹介でお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。絵画やお着物などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただきましたお品は、日本画家 小栗潮の風景画(高原)、友禅黒留袖、村上伸一郎の江戸小紋着物、訪問着や帯、和装小物など。たくさんのお品をお売りいただきました。小栗潮は佐川県出身、昭和~平成の日本画家。花鳥・風景画を主に描かれております。こちらの他にも油彩画、リトグラフなど、たくさんの絵画をお売りいただきました。お着物が多くございましたが、残念ながら全体的にシミや汚れが出てしまっておりました。状態にやや難有でしたが、ウール、喪服以外は全て買取させていただきました。作家物のお着物も数点ございました。お売りいただきましたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日はお忙しい中、六角堂のご指名ありがとうございました。

小栗潮(おぐりうしお)1921年(大正10年)3月11日 ~
佐賀県西松浦郡有田町生まれ。山口蓬春、山本丘人ら、に師事。
1944年 東京美術学校(現東京芸術大学)日本画科卒。同年学徒出陣。
1947年 第一作「不忍池」が院展入選。
1956年 日展に所属、同年「尾瀬沼畔」入選。
1957年 第13回日展にて「尾瀬沼」で特選。
1962年 第5回日展特選。
1965年 第8回日展菊華賞。
1991年 第23回日展文部大臣賞。
現在、日展参与。

東京都北区滝野川にて山下清のリトグラフ、近代日本名画撰、銀製や九谷焼の置物。

東京都北区滝野川にて山下清のリトグラフ「二重橋」、手摺木版画 近代日本名画撰、関武比古の銀製帆前船、九谷焼七福神の置物などをお売りいただきました。

先日お呼びいただいたお客様宅へ、再度出張買取させていただきました。お売りいただくお品の数が多く、前回積み残したお品や、新たに出てきましたお品の査定、買い取りをさせていただきました。お売りいただいたお品は、山下清のリトグラフ「二重橋」、手摺木版画 近代日本名画撰、関武比古の銀製帆前船、九谷焼七福神の置物など。「裸の大将」「放浪画家」などと世の人々から親しまれ、日本中を放浪していたことで知られる山下清(やました きよし)。お売りいただいた作品は、二重橋と人々の姿を細かく生き生きと描いたリトグラフ(石版画)。状態の良い作品でした。版画は丹青社出版の伝統芸術古法純手摺木版画 近代日本名画撰 全12図のセットになります。近代日本画の巨匠【横山大観、安田靫彦、竹内栖鳳、小林古径、富岡鉄斎、児玉希望、上村松園、福田平八郎、徳岡神泉】ら9名の名画12作品が厳選され、伝統古法純手摺りによって再現された木版画集です。 こちらは残念ながら二作品の欠品がございました。関武比古の銀製帆前船、九谷焼七福神の置物はガラスケースに収められており、状態の良いものでした。お引越しでなるべくお荷物を減らしたいとのことでしたので、他にも家具や絵画、空の額、贈答品なども併せてお売りいただきました。トラック一台分、数多く買取することが出来、お客様にお喜びいただけました。お引越しまで今しばらくお片付けが大変かと思いますが、残り少し頑張ってください。二度にわたり六角堂をご指名くださり、誠に有難うございました。帰りにいただきましたお茶やシュークリーム、とても美味しかったです。ご馳走様でした。

山下清(やましたきよし)大正11年(1922年)~昭和46年(1971年)
大正11年、東京都台東区浅草に生まれる。小学生の時に千葉県市川市の知的障害者養護施設八幡学園に入園。学園では「ちぎり紙細工」に没頭する。その才能に周囲は驚かされる。昭和14年、八幡学園を脱走しリュックひとつの放浪の旅へと出る。旅で印象づけられた風景を貼絵にし、画家や文学者から絶賛される数々の傑作を制作。花火が好きだった清は、花火大会開催を聞きつけると全国に足を運び、その時の感動した情景をそのまま作品に仕上げている。驚異的な映像記憶力を持ち「花火」「桜島」など行く先々の風景を多くの貼絵にのこしている。旅先で絵を描くことはほとんどなく、八幡学園や実家に帰ってから記憶をもとに一気に描くというスタイルだった。昭和46年、死去。享年49歳

東京都練馬区石神井台にて掛軸、屏風、御所人形、古伊万里、はぎれなど。

 

東京都練馬区石神井台にて掛軸、巻物、屏風、御所人形、煙草盆、古伊万里、古ガラス、アンティークはぎれなどをお売りいただきました。

先日、お蔵の整理でお呼びいただきましたお客様から再度お呼びいただき、骨董品などを買取させていただきました。買取できるお品の数が多くあり、数回に分けての買取にしていただき、本日が二度目の出張買取となりました。本日お売りいただきましたお品は、掛軸、巻物、屏風、御所人形、煙草盆、古伊万里、古ガラス、アンティークはぎれなど。江戸から昭和初期にかけてのお品が保管されていたお蔵の蔵出し。お蔵の中は暗い為、ブルーシートを敷いていただき、蔵からお品を出しては並べての査定となりました。数が多くございましたが、一点一点丁寧に査定させていただきました。掛け軸は日本画、書、仏画など多数。江戸時代のものがおおくございました。屏風は日本画、巻物は書。残念ながらしまったままの状態でしたので、全体的に虫食いがひどく進んでいる状態でございました。古ガラスは戦前のグラスなど、何点かカケがありました。古伊万里は白磁の壷や煙草盆など。お人形は江戸期の御所人形など。御所人形は、朝廷の御慶事や御出産、御結婚など、祝祭事の際に飾られてきた人形。 江戸時代に西国の大名が参勤交代で江戸に赴く途中、京都の宮廷に立ち寄り、贈り物をした際の返礼としてこの人形が贈られ、宮廷や公家、門跡寺院等の高貴な人々の間で愛された人形であります。江戸時代末期には一般にも普及しました。幼童のあどけない姿を大きな頭と横ぶとりの丸々とした裸体で表現しています。桐材を用いて胡粉(ごふん)で膚を白くみがきあげます。本品のように江戸時代には人毛を使ったりしたものもございました。こちらもしまったままの状態でしたので、残念ながら毛が抜け落ち、肌地にひび割れなどございました。アンティークはぎれは明治から昭和初期のもので、色鮮やかなものや藍染のものなどございました。こちらは捨てようとされていたもので、こちらにも査定が付き、また次へと繋げることが出来、お客様にお喜びいただきました。お蔵に長年しまったままのお品ですので全体的に状態に難有りではありましたが、全て買い取らせていただきました。ご先祖様が残された大切なお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。まだまだ時代家具や古伊万里などの古陶磁器、古書などがお蔵に眠っております。また近日お呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。本日も帰りに美味しいお弁当をいただきました。そぼろがとっても美味しかったです。ご馳走様でした。本日も六角堂のご指名、誠に有難うございました。

千葉県松戸市にて平尾秀明の日本画、大山忠作のリトグラフ、着物、反物など。

 

千葉県松戸市にて平尾秀明の日本画「足柄の富士」、大山忠作のリトグラフ「双鶴富士」、着物、反物などをお売りいただきました。

不動産業者様のご紹介でお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。絵画やお着物などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただきましたお品は、日本画家 平尾秀明の絵画「足柄の富士」、大山忠作のリトグラフ「双鶴富士」、着物、反物など。たくさんのお品をお売りいただきました。こちらの他にも油彩画、リトグラフなど、たくさんの絵画をお売りいただきました。お着物がたくさん有り、作家物のお着物などもございましたが、残念ながら全体的にシミや汚れが出てしまっておりました。状態にやや難有でしたが、ウール、喪服以外は全て買取させていただきました。お売りいただきましたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日はお忙しい中、六角堂のご指名ありがとうございました。

平尾秀明(ひらおひであき)
昭和18(1943)年11月30日、岐阜県瑞浪市明世町山野内に生まれる。
明世小学校・明世中学校(当時)・岐阜県立瑞浪高校を経て、金沢美術工芸大学日本画科に進学。
昭和42(1967)年に、大学を卒業すると、瑞浪市を離れた。橋本明治、大山忠作に師事。
昭和56(1981)年、第13回日展特選
平成元(1989)年、第21回日展特選
現在は、日展特別会員・日春展会員として、日本画壇をリードしている。

大山忠作(おおやまちゅうさく)1922~2009
1922年 福島県二本松で生まれる。家業は紺屋で父も趣味で日本画を描いていた。
1943年 東京美術学校(現東京芸術大学)卒業。
1947年 山口蓬春に師事。
1952年 第8回日展特選・白寿賞(同1955年)および朝倉賞受賞。
1962年 初の個展開催。(銀座、文芸春秋画廊)
1967年 1968年にかけて、法隆寺金堂壁画再現模写に従事。
1973年 「五百羅漢」で日本芸術院賞受賞。
1984年 大山忠作襖絵展。(日本橋三越・福島県文化センター)
1986年 日本芸術院会員となる
1991年 日展事務局長を務める。その後、1992~1995年まで日展理事長を努める
1992年 成田山聖徳太子堂壁画展。(日本橋三越)
1996年 勲三等瑞宝章受章。
1999年 文化功労者。現在、日本芸術院会員、日展常務理事。
2009年 逝去

千葉県市川市にて高田博厚のブロンズ像 femme assise、絵画など。

千葉県市川市にて高田博厚のブロンズ裸婦像「femme assise(座る女性)」、絵画などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。絵画やブロンズ像をご処分されたいとのことでご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、人気彫刻家 高田博厚のブロンズ裸婦像「femme assise(座る女性)」、絵画など。絵画は油彩や水彩画、リトグラフなど、外国人画家の作品が多くございました。馬の絵画がお好きだったのでしょうか、ポール・ギヤマンやアンドレ・ブラジリエの馬のリトグラフが多くございました。ブロンズは彫刻家 高田博厚の「femme assise」。高田博厚は日本を代表する彫刻家であり、思想家であります。彫刻において、オーギュスト・ロダン、アントワーヌ・ブールデル、アリスティド・マイヨールといった近代彫刻の流れを吸収し、西洋的な人体造形が特徴的な作風で知られております。フランス滞在の時には作家のロマン・ロナン、哲学者のアラン、画家のジョルジュ・ルオーなどと交流しました。femme assiseはフランス語で日本語に訳すと座っている女性となります。1968年の製作、高さ約70㎝の大振りな作品になります。大理石の台座にスレ傷などございましたが、こちらは当社で買取強化中の作家作品になりますので、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。お売りいただいたお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。本日はお忙しい中、お呼びいただき有難うございました。

高田博厚(たかたひろあつ)1900年(明治33年)~1987年(昭和62年)
1900年 石川県七尾市で三男として生まれる。
1903年 父の弁護士開業に伴い福井市に移る。そこから16年にわたり福井で過ごす。
1913年 県立福井中学校(現在の福井県立藤島高等学校)に入学。彫刻家である雨田光平の作品を通して彫刻に出会う。
1918年 高村光太郎や岸田劉生らと出会う。
1919年 東京外国語学校イタリア語科に入学する。
1921年 東京外国語学校を中退。翻訳したミケランジェロの書簡が、同人誌「白樺」に掲載される。彫刻の制作を志し、胴体像であるトルソーづくりを開始。沢田庚子生と結婚する。
1927年 武者小路実篤主唱の第一回大調和美術展に彫刻6点を出品する。
1928年 武者小路実篤や中原中也らと親交を深める。
1929年 梅原龍三郎の国展に出品した彫刻作品が受賞し、会員に選出される。
1931年 妻と4人の子を残して渡仏する。ノーベル賞作家のロマン・ロランに才能を評価される。ロマン・ロランとマハトマ・ガンジーの会談に同席。
1932年 哲学者でモラリストのアランをはじめとするフランスの文化人と交流を深め、彫像を制作する。
1935年 アンデパンダン展(歴史あるパリの無審査大型展)に出品。国画会の会員に選出される。
1938年 パリ日本美術家協会を設立。第一回展をベルネーム・ジューヌ画廊で開催する。
1940年 毎日新聞の嘱託として、パリ兼ヴィシー特派員を務める。パリ外国記者協会の副会長に就任。
1957年 28年ぶりに帰国。東京都新宿区を拠点とする。
1963年 日本ペンクラブ会員理事に就任する。
1964年 東京藝術大学の講師を務め、九州産業大学芸術学部の創設にも尽力。
1966年 鎌倉市稲村ヶ崎に住居兼アトリエを移す。
1975年 勲三等瑞宝章を受章する。
1980年 埼玉県東松山市で高田博厚彫刻展と講演会を開催する。
1986年 東武東上線高坂駅西口に「遠望」と「大地」が設置される(高坂彫刻プロムナードの発祥彫像)。
1987年 心不全のため神奈川県鎌倉市で亡くなる。享年86歳。東松山市の高坂彫刻プロムナードに14体の彫刻作品が増設される。

東京都北区滝野川にて若井良一の油彩画、大山忠作の石版画、男物の紬など。

    

東京都北区滝野川にて若井良一の油彩画「道」、大山忠作の石版画「双鶴」、大島紬など男物のお着物などをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。絵画やお着物などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただきましたお品は、若井良一の油彩画「道」、大山忠作の石版画「双鶴」など絵画多数、大島紬や久米島紬など着物など。たくさんのお品をお売りいただきました。大山忠作は現代日本画壇の重鎮として日本の芸術文化の振興・発展に尽力した画家。鯉を描く画家として有名です。他にも油彩画、リトグラフなど、たくさんの絵画をお売りいただきました。お着物は男物が多くございました。紬や袴など、多数お売りいただきました。シミ汚れの出てしまっているものもございましたが、ウール、喪服以外全て買取させていただきました。本日積みきれなかった絵画や家具など、来週再度出張買取させていただくこととなりました。次回もよろしくお願い致します。本日はお忙しい中、六角堂のご指名ありがとうございました。

大山忠作(おおやまちゅうさく)1922年 〜 2009年
1922年 5月5日、福島県二本松市に生まれる
1943年 学徒出陣のため、東京美術学校を繰り上げで卒業
1946年 台湾から復員後の第2回日展で「O先生」が初入選
1947年 山口蓬春に師事
1952年 第8回 日展で「池畔に立つ」が初の特選、同時に白寿賞・朝倉賞を受賞
1955年 第11回日展で「海浜」が特選・白寿賞を受賞
1961年 日展会員となる
1967年 法隆寺金堂壁画再現模写に従事
1968年 第11回新日展で「岡潔先生像」が文部大臣賞を受賞
1973年 「五百羅漢」が日本芸術院賞に選ばれる
1980年 成田山新勝寺光輪閣襖絵第1期「日月春秋」28面を完成
1984年 成田山新勝寺光輪閣襖絵第2期「杉」「松」「竹」22面を完成
1986年 日本芸術院会員となる
1987年 二本松市名誉市民に選ばれる
1992年 成田山新勝寺聖徳太子堂壁画「白鷺」「蓮」「桜」「牡丹」「菊」「楓」6面を完成。日展理事長に就任
1993年 画業50年記念展を、東京・大阪・仙台・横浜で開催
1996年 勲三等瑞宝章を賜る
1999年 文化功労者として顕彰される
2005年 日展会長に就任
2006年 文化勲章を受章
2007年 新宿区名誉区民に選ばれる
2009年 2月19日、逝去。享年86歳。10月1日、大山忠作美術館(二本松市市民交流センター)開館

若井良一(わかいりょういち)1940年生まれ。栃木出身。1973年三軌会会員となる。現在無所属、日本美術家連盟会員、古川美術館作品収蔵。元三軌会員審、文部大臣奨励賞、安田火災奨励賞、他多数受賞。油絵大賞展入選、安井賞展入選。ブロードウェイギャラリー他個展。参考、2009年美術年鑑に号15万8千円で掲載。

東京都三鷹市にて紅星牌 画仙紙、澄泥硯、印材、古墨など書道具の買取。

 

東京都三鷹市にて紅星牌 画仙紙、澄泥硯、印材、古墨など書道具をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、遺品整理でお呼びいただきました。お客様のお父様が書道の先生をされていたとのことで、たくさんの書道具を買取らせていただきました。お売りいただいたお品は、紅星牌 画仙紙、澄泥硯、端渓硯、寿山石や鶏血石の印材、古墨、筆、書道本など。
画仙紙の王様として君臨し続けてきたベストセラー紅星牌(こうせいはい)は中国での人気があり、古物業界では大変人気のあるお品となってます。紅星牌には原料の配合・厚みなどで違う名前が付いてます。
棉料単宣 基準となる種類。薄手で稲藁の割合が多い為、浄皮単宣に比べニジミが多くなります。
浄皮単宣 厚さは「棉料」単宣と同じ。稲藁の割合が棉料単宣に比べ少ないので、棉料単宣よりもニジミが少なくなります。
棉料重単宣 単宣を少し厚く漉いています。棉料単宣よりもニジミが少なくなります。
棉料綿連宣 単宣よりも薄く漉いています。薄いのでニジミが美しく出ると言われています。
棉料夾宣 漉く際に二度すくいして漉いており、単宣を2枚合わせにした程度の厚さがあります。
棉料二層夾宣 夾宣を乾燥させる際に2枚重ねにし、1枚の紙として乾燥させています。厚さがあるので墨が紙の奥深くに浸透し、横への広がりが少なくなります。夾宣よりも更に力強さが表現できます。
棉料三層夾宣 夾宣を乾燥させる際に3枚重ねにし、1枚の紙として乾燥させています。厚いので力強さとカスレが出せます。
サイズは四尺画仙、半切のものなど、多数ございました。半切(はんせつ)は寸法が34.5×136cm。半切は四尺画仙(全紙)をタテ半分に切ったもので、伝統的に最も使用されてきたサイズです。
澄泥硯(ちょうでいけん)は、端渓硯(たんけいけん)、歙州硯(きゅうしゅうけん)、洮河緑石硯(とうがろくせきけん)と共に中国良硯の四宝といわれております。また、端渓硯、歙州硯、澄泥硯は三大名硯といいます。澄泥硯には石を原料としたとする自然石説と、泥を焼成したとする焼成硯説があります。澄泥硯には緑、黄、紅,、白、紫、青、朱の7色があり、それぞれ緑豆沙(緑豆の色)、鱔魚黄(鱔魚(田鰻)の背中のようなくすんだ黄色)、蝦頭紅(海老の頭の赤)、魚肚白(魚の腹のような紅白色)、玫瑰紫(薔薇の花のようなくすんだ紫色)、蟹殻青(蟹の甲羅の青)、朱沙澄泥と呼ばれています。澄泥硯は鋒鋩が非常に強く、特に唐墨との相性が良い事で知られております。
他にも硯や墨、印材、書道書籍、宣紙、画仙紙、筆、拓本、筆架、筆筒、水洗、水滴、筆洗、文鎮などたくさんの書道具をお売りいただきました。お父様の大切にされていた書道具、大切に次へと繋げさせていただきます。本日は六角堂のご指名、誠に有難うございました。

東京都狛江市にて金重陶陽の備前徳利、伊藤國男のブロンズ「馬」

東京都狛江市にて人間国宝 金重陶陽の備前徳利、伊藤國男のブロンズ「馬」をお売りいただきました。

お荷物の整理にてお呼びいただきました。伊藤國男のブロンズや陶器をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただきましたお品は、金重陶陽の備前徳利、伊藤國男のブロンズ「馬」の二点。伊藤國男は馬像彫刻の第一人者として有名な作家で、当社でもよく取り扱う作家さんです。お売りいただきました作品は残念ながら尻尾の先部に難がございました。共箱無し、難有のお品ではありますが、買取強化中の作家作品ですので、あまり減額せずに買取させていただきました。生涯にわたり馬像の制作を続けた伊藤國男の作品、まるで生きているかのような表情でとても精巧に造られております。陶器は備前焼で初の人間国宝となられた金重陶陽の備前徳利。共箱、二重箱に納められております。キメ細やかな胡麻や焦げ、緋色などを備えた多彩な焼き味を見せる作品であります。お売りいただきました二点、共に素晴らしい作品でした。ご実家に備前焼がたくさんあり、ご処分される際にはまたお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。帰りに美味しいコーヒーを入れていただきました。ご馳走様でした。本日は六角堂をご指名いただき、誠に有難うございました。

金重陶陽(かねしげとうよう) 1896年(明治29)~1967年(昭和42)
金重陶陽は金重楳陽の長男として岡山県備前市伊部に生まれました。本名を勇といいます。
1910(明治43)年、伊部尋常高等小学校を卒業後、父に師事して細工物に従事しました。
1918(大正7)年、色絵(彩色)備前を造り始め、この頃より「陶陽」の号を用い始めました。
1928(昭和3)年、備前飛獅子置物、彩色備前鬼瓦に鳩置物を天皇陛下に献上されました。
茶道具の基本を学ぶ為、表千家流に入門。
1930(昭和5)年、備前焼の本質を無釉焼き締めの土味に求めて土の生成法を発見し、
桃山備前の土味を再現する事に成功しました。
江戸時代から伊部で用いられてきた水簸土は土味を失うからとして使用を止めました。
1932(昭和7)年、本格的に轆轤制作を開始し、陶印を「陶陽造」等から「土」に改めました。
以前までは細工物を中心に焼成していましたが、
古備前の豪快で侘びた美しさに傾倒して作陶の主題は茶陶へと移行します。
武者小路千家12代愈好斎宗守が来訪したのを機にその門に入門しました。
高松宮両殿下が備前町行啓の際、御前制作を行いました。
1936(昭和11)年、三重県津市の川喜田半泥子の千歳山窯を訪れて作陶。
1939(昭和14)年、再び三重県津市の川喜田半泥子の千歳山窯を訪れて作陶。
川喜田半泥子、弟・金重素山と岡山県邑久の虫明窯を訪れて作陶しました。
皿等の重ね焼きで緋襷の焼成に成功しました。
1941(昭和16)年、三重県津市の川喜田半泥子の千歳山窯を訪れて作陶。
金重素山の出征を機に窯を改良し、古備前の窯変に画期的な成功を収めました。
1942(昭和17)年、川喜田半泥子、荒川豊蔵、10代三輪休雪とからひね会を結成しました。
備前焼の技術保存資格者に認定されました。
1944(昭和19)年、日本美術、工芸統制協会代議員に就任。
1945(昭和20)年、岐阜県大萱の荒川豊蔵の窯を金重素山と訪れて作陶。
1947(昭和22)年、生活用品芸術陶磁器認定委員に就任。
1948(昭和23)年、芸術陶磁器第二部資格者となりました。
1949(昭和24)年、藤原啓、山本陶秀、藤田龍峰、金重素山、浦上善次と備前窯芸会を結成。
1951(昭和26)年、京都府亀岡市の大本教本部が花明山窯を築窯する際、指導を行いました。
1952(昭和27)年、備前焼の無形文化財記録保持者に認定されました。
以前から親交のあった北大路魯山人がイサム・ノグチを伴って来訪し、作陶を行いました。
北大路魯山人から食器の世界、前衛彫刻家のイサム・ノグチから造形の強烈な個性を受け、
この大家との出会いが陶陽の作陶に大きな変化と幅を持たせる事になりました。
魯山人の「ロ」に倣って陶印を「ト」に改め、次第に小さくなって最後まで使用しました。
秩父宮妃殿下が金重家を御来訪されました。
北大路魯山人が北鎌倉山崎の邸内に備前窯を築窯する際に協力し、
ここで志野、織部、瀬戸、伊賀等の土物を多数制作しました。
石黒宗麿、荒川豊蔵、加藤唐九郎、宇野三吾と日本工芸会の設立を協議しました。
再び、花明山窯を訪れて指導しました。
1954(昭和29)年、熱海伊豆山桃李郷で石黒宗麿、加藤土師萌、小山冨士夫、荒川豊蔵、
加藤唐九郎、小森松庵、黒田領治、佐藤進三と桃李会を結成。
岡山県重要無形文化財に認定されました。
山口県萩市の吉賀大眉窯、佐賀県唐津市の中里太郎右衛門窯を訪れて作陶しました。
1955(昭和30)年、日本工芸会が結成。
1956(昭和31)年、重要無形文化財「備前焼」の保持者(人間国宝)に認定されました。
1959(昭和34)年、中国文化賞を受賞。
1960(昭和35)年、山陽新聞文化賞、岡山県文化賞を受賞た。
岡山県文化財保護協会理事、備前町文化財保護委員会委員長に就任。
1961(昭和36)年、石黒宗麿、加藤土師萌、小山冨士夫、荒川豊蔵、宇野三吾と柏会を結成。
京都府綾部市の大本教本部の鶴山窯で備前や信楽を焼成しました。
1962(昭和37)年、日本伝統工芸展審査員、日本工芸会理事に就任。
1963(昭和38)年、島根県知事・田部長右衛門の招きで出西窯を訪れて作陶。
1964(昭和39)年、ハワイ大学夏季大学講師に就任。
1965(昭和40)年、岡山県工業試験所陶磁器指導所講師に就任。
1966(昭和41)年、ハワイ大学夏季大学講師に就任。
紫綬褒章を受章しました。
1967(昭和42)年、昭和天皇両陛下が備前町行啓の際、御前制作を行いました。
勲四等旭日小綬章を受章。この年、71歳で逝去。

伊藤國男(いとうくにお)1890年に岩手県生まれの彫刻家。
10人兄弟で家計を助けるためにある彫刻家の内弟子となり、その頃に馬と関ったことがきっかけで馬像を彫るようになりました。騎兵学校や御料牧場を訪ねては馬像の制作に励み、やがてその作品は天皇陛下の元にも置かれるようになりました。モデルとなった馬たちが次々と戦争で命を落とすことに心を痛め、全財産を費やして戦没馬慰霊像を制作しました。生涯の全てを馬像制作に捧げたといわれている作家でございます。