東京都目黒区大岡山にて、桐箪笥、衝立、北大路魯山人の黄瀬戸胴紐茶碗など。

東京都目黒区大岡山にて、桐タンス、衝立、北大路魯山人の黄瀬戸胴紐茶碗などの買取り。

年末整理にてお呼びいただきました。年明けにお引越しされるようで、不要になる和家具などを処分したいとお呼びいただきました。お着物の買取で他の業者さんをお呼びになられたときに掛け軸や油絵なども一緒に処分されたようでした。お爺様が生前大事にされていたという茶碗が飾り棚に置かれておりましたので確認したところ、人気作家の北大路魯山人氏の作品でした。底にロという銘が入っておりますが、お客様は全く分からなかったようです。なおしがあり共箱などはありませんでしたが、当社で買い取りを強化している作家作品でしたので、お客様にご満足いただける査定額にて買い取らせていただきました。見込みに菊紋が彫られており素敵な作品です。想像以上の査定額に、お客様にはお喜びいただきました。最近は、魯山人作品の買取りが全くなかったのですが、今年最後の最後に出会えてとても嬉しかったです。良い作品をお譲りいただき有難うございました。
帰宅後、近所のららぽーとがバーゲンをしているとの事で、家族でららぽーと富士見へと行きました。夕食には店内のフードコートにある、つじ田さんというラーメン屋さんに行きました。つけ麺で有名なお店ですが、わたしはスープが好きなので濃厚味玉らーめんをいただきました。濃厚スープに太麺が良く合い、とても美味しかったです。今年の営業もいよいよ明日のみ。明日は埼玉県へ出張買取。ラストスパート頑張ります。

北大路魯山人(きたおおじろさんじん)
明治16年(1883)3月23日〜昭和34年(1959)12月21日 76才没。本名は房次郎。
北大路魯山人は、上賀茂神社の社家に、父北大路清操、母とめの次男として生まれる。
6歳の時に竹屋町の木版師 福田武造の養子となる。
明治36年、書家になることを志して上京し、翌年の日本美術展覧会で一等賞を受賞し、頭角を現しはじめる。
明治41年から中国北部を旅して書や篆刻を学び、帰国後、福田大観の号で小蘭亭の天井画や襖絵、篆刻など数々の傑作を残されました。
竹内栖鳳が門下の土田麦僊らに紹介したことで日本画壇の巨匠らと交流が始まる。
大正8年、大雅堂美術店、大正10年、会員制食堂「美食倶楽部」を発足し、大正14年、東京永田町に料亭「星ヶ岡茶寮」を創業する。
星ヶ岡茶寮では、顧問兼料理長をつとめ、料理の分野において大きな革新をもたらす。「食器は料理のきもの」という信念を持ち、この頃から、自ら作陶を始める。
陶芸制作に専念した昭和11年(1936)以降は、中国の古染付、呉須赤絵、 桃山時代の志野、織部など格調高い伝統をふまえた技法を現代に再現して見せました。
その後も持ち前の才能を発揮し、制作活動を画、漆芸へと広げ、食の文化を原点に独自の芸術世界を築きあげました。
昭和30年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定されましたが、辞退。
魯山人は、篆刻家、画家、陶芸家、書道家、漆芸家、料理家、美食家など様々な顔を持っておりました。