月別アーカイブ: 2019年1月

東京都中央区東日本橋にて、チベットの金銅仏、タンカ、密教法具、絵画など。

東京都中央区東日本橋にて、チベットの金銅仏、タンカ、密教法具、絵画などをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、昔ネパールへ行った際にお土産でいただいたという金銅仏、タンカ、密教法具、李朝期白磁壷、山田和子の油絵、笹島喜平のリトグラフ、木彫りの布袋さん、ブランド物のボールペンなど。たくさんお売りいただきました。金銅仏はチベットの仏像で、如来や菩薩、明王など数多くございました。ネパールには多くの仏師が住んでおり、各地へ多くの仏像が渡っております。歴史は深く、千年以上前から造られております。インドやチベットとの関係が深く、チベットから多くの巡礼者がカトマンドゥに訪れ仏教美術を学んでいるようです。ネパールの仏像や工芸品はチベットの仏教圏各地へ輸出されております。お売りいただいたタンカ(曼荼羅・仏画)は印刷のものや肉筆のものがございました。絹製の豪華な布額に収められております。タンカとは仏教、密教の世界観や教え等を仏像、シンボル、文字などを用いて精緻に描かれたもの。チベット仏教で瞑想の助けとする道具として作られ、この絵を見ながら瞑想をすることによって、集中を助け涅槃へ至る事が出来ると信じられております。密教法具はバジュラ(金剛杵)、三鈷杵、プルパ、ティンシャ (チベタンシンバル)、ガンター(金剛鈴)など。全て近年造られた工芸品ではございますが、造りの良いものも多く、六角堂の買取強化商品ですので、全て買い取らせていただきました。チベットの金銅仏、タンカ、密教法具などは古いものですと数百万円の査定が付くものもございます。仏像や仏教美術品をご売却の際は、是非六角堂をご指名ください。本日はたくさんのお品をお売りいただき、また搬出を手伝っていただいたりと気持ちの良い出張買い取りをしていただき有難うございました。
本日は出張帰りに、大好きな山田うどん食堂さんでカレーうどんをいただきました。最近山田うどんさんは名前が変わって「山田うどん食堂」となったようです。名前が変わっても味はそのまま。美味しいです。

横浜市南区にて、重要無形文化財(人間国宝)加藤卓男の藍彩平水指、掛軸など。

     

神奈川県横浜市南区にて、重要無形文化財(人間国宝)加藤卓男の藍彩平水指、掛軸などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお荷物の整理処分でお呼びいただきました。いつも素敵なお客様をご紹介くださり有難うございます。本日お売りいただいたのは、人間国宝である加藤卓男(かとうたくお)の藍彩(らんさい)平水指、茶道具、掛軸など。加藤卓男の作品は、卓夫の落款となっております。これは人間国宝になられた後、最晩年の落款になります。二重箱に収められております。少しの焼成温度差で流れ方が変わる藍彩。本作は藍彩(酸化コバルト)のさわやかな色調の作品。保管状態も良く、当社の買取強化作家作品でしたので、お客様にお喜びいただける査定額で買い取らせていただくことが出来ました。素晴らしい作品の数々をお売りいただき有難うございました。
本日は横浜市で中国オークションがあり仕事の仲間たちが近くに来ておりましたので、中華街で合流し食事をすることになりました。萬金楼(まんきんろう)さんへ寄り、食べ放題コースをいただきました。メニューが100点以上もあり、たくさんいただいてしまいました。どれもとても美味しかったです。食事後、仲間達は占いをしてもらっておりました。W氏は現在モテ期とのことで、大変喜んでおりました。次来た時にはわたしも占ってもらおうかと思います。

加藤卓男(かとうたくお)1917年~2005年
1917年 岐阜県多治見市に生まれる。家は江戸時代から続く窯元幸兵衛
1935年 多治見工業学校を卒業する
1954年 第10回日展に入選
1961年 フィンランド政府の招聘で、フィンランド工芸美術学校へ留学
1963年 第6回新日展で特選・北斗賞受賞
1964年 「美濃陶芸協会」設立、初代会長に就任。岐阜県芸術文化顕彰受賞
1965年 第8回新日展にて北斗賞受賞
1976年 東京大学イラン・イラク遺跡発掘調査団に参加
1980年 イラク文化省よりバクダッド大学に客員教授として招聘を受ける
1983年 多治見市無形文化財保持者認定、同岐阜県重要無形文化財保持者認定
1988年 紫綬褒章受章
1989年 正倉院に二彩鉢の復元作品を納める
1991年 美濃陶芸協会名誉会長となる
1995年 重要無形文化財「三彩」保持者認定
1996年 岐阜県名誉県民となる
2005年 1月11日死去

東京都世田谷区祖師谷にて、筑後民芸家具の車箪笥、上村松園のリトグラフなど。

  

東京都世田谷区祖師谷にて、筑後民芸家具の車箪笥、上村松園のリトグラフ、外国人画家の油彩画をお売りいただきました。

先月お見積りへ伺ったお客様にお呼びいただき、民芸家具や絵画を買い取らせていただきました。家具は筑後民芸家具の車箪笥。絵画は上村松園のリトグラフ「若葉」、外国人画家の油彩画。車箪笥とは、その名の通り底部に車輪の付いたたんす。江戸時代には火事が多く、火事などの災害時に綱を付けて引張って容易に移動できるように底部に車輪を付けたタンスになります。 筑後民芸家具は九州の北部に位置する筑後川の下流で、1536年頃に榎津久米之介により指物作りが始まったとされます。良質な欅(ケヤキ)材を使用する格調高い民芸家具です。所々傷みがございましたが、買い取らせていただきました。良いお品をお売りいただき有難うございました。
当社では、筑後民芸家具をはじめ、松本民芸家具、北海道民芸家具、神居民芸家具、九州民芸家具、飛騨家具などの民芸家具や古家具、時代箪笥、桐タンスなどの買い取りを行っております。もちろんお見積り無料でお客様の大事な民芸家具を適正価格で査定させてい頂きます。中古民芸家具を当社にお売りください!ご連絡、心よりお待ちしております。
本日の昼食はお見積り時にも寄らせていただいた祖師ヶ谷大蔵駅のそばにある中華料理屋「太陽島」さんへ行きました。前回同様、日替わり定食の麻婆豆腐をいただきました。帰りには、杉並区井草にある「むさしの森珈琲」へ寄り、ピタヤMIXスムージーをいただきました。ピタヤとはドラゴンフルーツのようで栄養満点です。とても美味しいスムージーでした。

上村 松園(うえむら しょうえん)明治8年(1875)4月23日~昭和24年(1949)8月27日没
本名:上村 津禰(つね)常子(つねこ)ともいう。
女性の目を通して「美人画」を描いた日本画家。
同じく日本画家の上村松篁(しょうこう)は息子、上村淳之(あつし)は孫にあたる。
1875年 京都下京四条通御幸町の葉茶屋「ちきり屋」の次女として生まれる
1887年 京都画学校に入学、四条派の鈴木松年に師事
1990年 第3回内国勧業博覧会に「四季美人図」を出品、一等褒状受賞
1893年 幸野楳嶺(こうのばいれい)に師事
1895年 竹内栖鳳に師事
1902年 息子信太郎(松篁)が誕生
1914年 間元町竹屋町に画室竣工。金剛巌に謡曲を習い始める
1941年 帝国芸術院会員
1945年 奈良平城の唳禽荘に疎開
1948年 文化勲章受賞(日本人女性として初)
1949年 8月27日逝去。従四位に序せられる。享年74。寿慶院釈尼松園

千葉県柏市にて明治期の仙台箪笥や帳場箪笥、小箪笥、男物のお着物など。

   

千葉県柏市にて明治期の仙台箪笥や帳場箪笥、小箪笥、男物のお着物などをお売りいただきました。

一年ほど前にお呼びいただいたお客様より、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。昨年お呼びいただいた時にはお姉さま方に煙管や煙草入れ、茶器などをお売りいただきましたが、本日は弟様にお呼びいただき時代たんすや男性物のお着物をお売りいただきました。時代箪笥は恐らく明治時代頃のもので、一点は仙台箪笥。こちらは閂(かんぬき)を使用したもの。閂(かんぬき)とは、門や建物の出入り口の扉を閉ざすための横木のことで、左右の扉につけた金具に通して扉が開かないようします。閂箪笥とは、その錠の技術を箪笥に応用したものです。箪笥の場合、閂は縦に使われ、引き出しをロックする錠前として使われています。閂は鍵としてはとてもシンプルで、古典的なものに分類されています。歴史的に伝統があり、長く親しまれてきた箪笥ですので、使い勝手も考えられたものになっております。鋲打ちされた金具で堅牢な面持ちをした衣裳箪笥はとても素敵ですね。もう一点は帳場箪笥。帳場箪笥は、印鑑や金銭など商売に必要なものをしまう金庫として、江戸時代から発展していきました。帳場箪笥は全て注文造りとなっており、成功の象徴として豪華な金具を施した装飾性の高いものが富裕層によって作られました。こちらは中央に横桟が置かれ、鶴亀などの打ち出し金具が取り付けられております。恐らくは松本地方のたんすかと思われます。小さな箱は掛硯箱。恐らく大正期のものかと思われます。掛硯箱とは、その名の通り硯や筆、墨などを納めるための箱。欅に時代金具が良く合っておりますね。家具三点ともヒビや割れなどございましたが、それも時代の良さですね。お着物は男性用のもの。ウールが混ざっておりましたが、和装小物を含め全て買い受けさせていただきました。二度にわたり六角堂をご指名いただき、本日は古き良き時代の素晴らしい家具をお売りいただき有難うございました。
帰り道、松戸市にある「ラーメン横綱」さんで食事をしました。名前の通り、ボリューム合ってとても美味しかったです。

東京都練馬区石神井台にて、人間国宝前田昭博の白瓷壷、桐箪笥、着物など。

東京都練馬区石神井台にて、人間国宝前田昭博の白瓷壷、桐箪笥、着物などをお売りいただきました。

お引越し前の片付け整理にてお呼びいただきました。桐箪笥やお着物の他、作家物の陶器などを処分されたいとのことでお呼びいただきました。作家などの詳細が分からないとの事でしたので、一点一点説明させていただきながら、買い受けさせていただきました。中でも前田昭博は人間国宝となられた陶芸家で、こちらの作品は当社でも強化買取り作家のものですのでお客様にご満足いただける査定額にて買い取らせていただきました。
前田昭博(まえたあきひろ)は、鳥取県出身の陶芸家で、昭和から今現在に至るまで、郷里・簗瀬山(やなせやま)山麓での作陶を続けています。ほぼ独学で白磁製作に取り組み、白一色で表現する柔らかで存在感ある作風を確立し、重要無形文化財(人間国宝)に認定されました。前田氏の白磁作品は「白瓷(はくじ)」と表記されます。本来、胎土に磁土を使ったものは白磁、陶土を使ったものは白瓷と記されますが、昭博は陶器のように温もりある白磁を目指した為、あえてそう表記しております。
良いお品をお売りいただき有難うございました。倉庫へ戻る途中、所沢市にある味噌らーめん専門店「麺場 壱歩」さんへ寄りました。わたしは九州麦味噌らーめんをいただきました。ちぢれ麺に甘めの味噌スープが絡んでとても美味しかったです。

ただいま人間国宝、作家物の陶芸作品を強化買取りしております。作家のないお品も多数扱っておりますので、処分される前に一度お問い合わせください。たくさんの御見積お待ちしております。陶芸(人間国宝) 色絵磁器 - 富本憲吉、加藤土師萌、藤本能道、十三代今泉今右衛門、十四代酒井田柿右衛門、鉄釉陶器 - 石黒宗麿、清水卯一、原清、民芸陶器 - 濱田庄司、志野 - 荒川豊蔵、萩焼 – 三輪休和(十代三輪休雪)、三輪壽雪(十一代三輪休雪)、備前焼 – 金重陶陽、藤原啓、山本陶秀、藤原雄、伊勢崎淳 唐津焼 – 中里無庵、染付 – 近藤悠三、白磁・青白磁 -塚本快示、琉球陶器 - 金城次郎、鉄絵 - 田村耕一、練上手 - 松井康成、白磁 - 井上萬二、白磁 - 前田昭博、三彩 - 加藤卓男、民芸陶器- 島岡達三、青磁 – 三浦小平二、中島宏、彩釉磁器 - 三代徳田八十吉、常滑焼(急須)-三代山田常山、釉裏金彩(ゆうりきんさい)-吉田美統、無名異焼(むみょういやき)-五代伊藤赤水

前田昭博(まえたあきひろ)1954年(昭和29年)5月1日~現在
1954年 鳥取県八頭郡河原町本鹿(現鳥取市河原町本鹿)に生まれる。
1977年 大阪芸術大学工芸科陶芸専攻卒業。
1991年 第11回日本陶芸展「毎日新聞社賞」受賞。
1993年 第48回新匠工芸展「富本賞」受賞
1999年 「日本の工芸(今)100選」展招待出品「パリ」
1999年 鳥取市文化賞受賞
2000年 第47回日本伝統工芸展「朝日新聞社賞」受賞
2003年 20回記念田部美術館大賞「茶の湯の造形」展大賞受賞
2003年 第2回京畿道世界陶磁ピエンナーレ銅賞受賞「韓国」
2003年 第50回日本伝統工芸展「第50回展記念賞」受賞
2004年 日本陶磁協会賞受賞
2005年 第60回新匠工芸展「60回記念大賞」受賞
2007年 紫綬褒章受章
2010年 鳥取県文化功労賞受賞
2012年 鳥取県指定無形文化財(陶芸)認定
2013年 国の重要無形文化財「白磁」保持者に認定(人間国宝)

京都府へ出張に行ってまいりました!

いつもお世話になっている骨董屋の先輩方へ新年の挨拶で京都へ行ってまいりました。10日に志木市場の初市へ行き、その足で池袋から深夜バスで出発しました。駿河湾沼津、長篠設楽原のパーキングエリアで途中休憩をし、朝方京都駅に到着しました。祇園にあるビジネスホテルへチェックインして、アパホテルで朝食をいただきました。朝食後、そばにある八坂神社へと行きましたが、朝早かった為まだ開いておりませんでした。開くまでの間、近くにある大谷祖廟、円山公園で時間を潰しました。大谷祖廟(おおたにそびょう)は、京都府京都市東山区にある真宗大谷派(本山:東本願寺)の宗祖である親鸞の墳墓の地であります。円山公園は、京都府京都市東山区にある公園。1886年(明治19年)に開設された、京都市最古の公園です。国の名勝に指定されています。画像の枝垂桜は、「一重白彼岸枝垂桜」(ひとえしろひがんしだれざくら)という品種で、春には桜の名所として、多くの人で賑わうようです。ブラブラと時間を過ごして八坂神社に戻りました。今年は事情があって正月に初詣に行くことが出来ませんでしたので、八坂神社がわたしの初詣となりました。お守りを買って、おみくじを引きました。今年は大吉!何をやってもうまくいくようです。一度ホテルへ戻り、骨董屋の先輩方に新年の挨拶回りをしました。昼食は国際会館駅の近くにある「餃子の王将宝ヶ池店」で食事をし、夜には恵比寿神社の十日えびすへ行きました。ここ数年は、必ず十日えびすに参加させて頂いてます。十日えびすとは、1月10日および、その前後の9日、11日におこなわれる戎社の祭礼。1月10日前後に商売繁盛の神として親しまれる、戎(恵比寿)神(「えびす様」)を奉り、参詣者が商売繁盛を願う。9日を宵えびす、10日が本えびす、11日を残り福と呼びます。この日は、舞妓さんの奉仕により福笹を購入している方が多くいらっしゃいました。恵比寿神社の帰りに「我逢人 かっぱ」さんへと行き、仲間たちと食事をしました。京料理やお刺身などを食べ、この日は帰宅しました。12日は朝から骨董品や茶道具の勉強会。一生懸命勉強させていただきました。夜には昨夜同様「我逢人 かっぱ」さんへ行き、食事をしました。一杯飲んだ後に、締めで「門扇(もんせん)祇園店」に行きました。鶏らーめんを食べましたが、さすが人気店の人気メニューです。スープがとても美味しかったです。本日お昼に京都を出発し、新幹線で無事帰宅しました。新幹線で食べる駅弁はとても美味しいです。仕事仲間には定番の八ツ橋、子供たちにはブラックサンダーの抹茶味を買って帰りました。ブラックサンダーの抹茶味は京都にしかないようで、喜んでおりました。明日からまた出張買取の日々が続きますので、気を引き締めて頑張ります!!次回また来月に京都へ出張する予定です。全国各地の古美術商の先輩方に色々とご指導いただいて、六角堂は日々成長しております。本年もご指導よろしくお願い致します。

東京都大田区にて、亀井味楽の高取水指(鵬雲斎書付)、膳所焼 陽炎園の茶碗など。

東京都大田区にて、亀井味楽の高取焼水指(鵬雲斎書付)、膳所焼 陽炎園の干支や麦ワラ手茶碗など、お茶道具をお売りいただきました。

お着物やお茶道具の処分整理でお呼びいただきました。お母様が裏千家茶道をされていたとのことで、亀井味楽の高取焼水指、膳所焼 陽炎園の干支や麦ワラ手茶碗の他、釜、棗、茶入、香合、花入、茶杓、菓子皿、茶棚など一式買い取らせていただきました。亀井味楽の高取焼水指の共箱には、裏千家15代前家元の鵬雲斎(ほううんさい)の書付がございました。陽炎園は、江戸時代に廃絶してしまった膳所焼を復興させようと膳所に住んでいた岩崎健三が日本画壇の巨匠、山本春挙とともに膳所焼の復興に尽力し、完成した膳所焼の工房。 陽炎園の名前は「陽炎の池」が庭内にあることから命名されております。 陽炎園の作品に多い「淡海ぜ々」という言葉は、昔近江地方が「淡海」と書かれており、これは琵琶湖の事を指しています。 陽炎園は琵琶湖近くで焼かれている焼物という意味で「淡海ぜ々」という言葉が使われております。 現在は岩崎健三の子孫が跡を継いでいます。お母様の大切にされていたお道具達、大切に次へと橋渡しさせていただきます。まとめてお売りいただき有難うございました。六角堂では、裏千家、表千家、武者小路千家、裏千家久田家、表千家堀内家、藪内家、遠州流、宗偏流、松尾流、江戸千家、大日本茶道学会などのお道具、作家物からお稽古用まで、お茶道具に関して幅広く取り扱っております。お茶道具の専門スタッフか、お見積もりにお伺いし、査定させていただきます。ご不要になりましたお茶道具がございましたら、六角堂までお問い合わせください。お客様にご満足いただけるよう、頑張らせていただきます!
本日の昼食は、平和島の流通センター内にある「とんかつ和幸」さんで食事をしました。ご飯にキャベツ、しじみ汁がお代わりし放題。たくさんおかわりしてしまいました。とんかつもとても美味しかったです。明日の夜から京都府へ出張に行ってまいります。出張買取は、1月14日より再開いたします。出張期間中もご予約は随時承っておりますので、何かございましたらお電話またはお問い合わせ欄からメールにてご連絡ください。

十五代 汎叟宗室 鵬雲斎(ほううんさい、1923年(大正12)~(現在))
本名は政興(幼名)、宗室、玄室   裏千家15世家元 汎叟宗室
1923年 4月19日、裏千家14代家元碩叟宗室の長男として産まれる。
1943年 学徒出陣により第14期海軍予備学生として海軍に入営。
1945年 特別攻撃隊(通称・特攻隊)に志願。10月、終戦に付き除隊。同志社大学法経学部経済学科に復学。
1946年 同志社大学卒業。
1949年 大徳寺管長後藤瑞巌老大師につき得度。斎号鵬雲斎を授く。
1950年 ハワイ大学に修学。
1959年 日本青年会議所会頭に就任。
1964年 父宗室死去により千利休居士15代裏千家今日庵家元宗室襲名。
1993年 立命館大学客員教授
2002年 長男に家元継承。玄室に改名。
2006年 源氏物語千年紀のよびかけ人となる。
2012年 ユネスコ親善大使に任命される

亀井味楽(かめいみらく)1931年(昭和6)~現在
福岡県出身。号は隠居後に又生庵。
九州を代表する陶窯として有名な、高取焼を代表する亀井家に生まれる。
伝統の技法を受け継ぎ、祖父13代亀井味楽に師事。
1964年に14代を襲名、同年、日本伝統工芸展に初入選、以降同会や日本陶芸展などで活躍する。
77年には福岡市指定無形文化財技術保持者に認定。
88年に国際芸術文化賞、92年に福岡県技能功労賞などの受賞歴を持つ。
2001年に長男の正久氏に15代味楽を襲名させ、隠居後は又生(庵)と号して現在も作陶を続けている。

東京都目黒区東山にて、日本画家麻田辨自の扇面画「紫」、陽光刻唐銅鍾馗図鍔。

 

東京都目黒区東山にて、総桐箪笥、日本画家麻田辨自の扇面画「紫」、陽光刻唐銅製金銀銅象嵌鍾馗図鍔をお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、総桐箪笥、日本画家麻田辨自の扇面画「紫」、陽光刻唐銅製金銀銅象嵌鍾馗図の鍔(つば)など。お引越し先のマンションが洋室しかないので、和のものを処分されたいとのことでお売りいただきました。麻田辨自の扇面画はタトウ箱の欠品、額に痛みなどがありましたが、作品自体は状態も良く、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただくことが出来ました。鍔は近代造られたもので、陽光刻と銘がございます。金銀銅の象嵌の入った鍾馗が餓鬼を捕まえる姿はとても迫力がございます。良いお品をお売りいただき有難うございました。
本日も昨日に続き、志木市場の仲間たちと食事をすることとなりました。T橋社長の勧めで、高円寺駅にある「山内牧場」さんへ行きました。しゃぶしゃぶ食べ放題のお店ですが、サラダやカレー、牛丼、らーめんなど種類がとても豊富です。デザートもたくさんございました。もつ鍋とさつまいもがとても美味しく、何度もお代わりしてしまいました。T橋社長、昨日に続き本日もご馳走様でした。引き続きまたよろしくお願い致しまーす!

麻田辨自(あさだべんじ)1900(明治33)年12月14日~1984(昭和59)年10月29日
明治から昭和時代に活躍した日本の日本画家・版画家。
京都府船井郡富本村で父・中西栄治と母・ふじの子として生まれる。旧姓は中西。本名辨次。
上村松園の弟子であった麻田鶴と結婚後、麻田を名乗る。長男は日本画家の麻田鷹司、次男は洋画家の麻田浩。
1900(明治33)年 京都府で生まれる
1914(大正3)年 京都市立美術工芸学校 入学
1921(大正10)年 京都市立美術工芸学校 卒業
第3回帝展に「洋犬哺乳」を出品 初入選
1924(大正13)年 京都市立絵画専門学校卒業 研究科に進級
1927(昭和2)年 麻田ツルと結婚 麻田姓を名乗る
1929(昭和4)年 西村五雲に師事
浅野竹二や徳力富吉郎らと共に京都創作版画協会の結成
1933(昭和8)年 武田新太郎らと雑誌『黄楊』を発刊
1938(昭和13)年 山口華楊らと晨鳥社を創設
1946(昭和21)年 第2回日展に「馬」を出品 入選
1950(昭和25)年 第6回日展に「樹蔭」を出品 特選を受賞
1952(昭和27)年 第8回日展に「群棲」を出品 特選・白寿賞を受賞
1958(昭和33)年 日展評議員
1959(昭和34)年 第2回新日展に「風霜」を出品 文部大臣賞受賞
1965(昭和40)年 第21回日本芸術院賞 受賞
1972(昭和47)年 日展理事
1974(昭和49)年 京都市文化功労者
1975(昭和50)年 京都府美術功労者
1977(昭和52)年 日展参与 晨鳥社顧問
1980(昭和55)年 日展参事
1984(昭和59)年 肝不全のため逝去

 

東京都世田谷区豪徳寺にて、人間国宝平田郷陽の衣装人形、古伊万里など。

 

東京都世田谷区豪徳寺にて、人間国宝平田郷陽の衣装人形(嬉戯、熟柿、遊魚、凧上げ)、古伊万里などをお売りいただきました。

旧家解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。新年早々、六角堂にとって大変嬉しい出張買取となりました。当社でずっと探しておりました人間国宝平田郷陽(ひらたごうよう)の作品をお売りいただきました。しかも四体まとめてでございます。平田郷陽の作る人形は「生き人形」とまでいわれ、中でもこの度お売りいただいた子どもの無邪気なしぐさの一瞬をとらえた作品は平田郷陽の代表作となっております。愛好家が多く、一生のうち郷陽の作品を一度は持ちたいという熱意を持っているファンが多い昭和を代表する人形作家です。1955年には、人形界初の国指定重要無形文化財(人間国宝)に認定されており、木目込みの技法を用いた衣裳人形を多数手掛けています。残念ながら一点共箱の欠品、三体に髪の毛の欠品や指の破損、欠品などございました。しかしながら六角堂で最も強化買取りしている作家作品、お客様にお喜びいただける査定額にて買い取らせていただくことが出来ました。古伊万里も初期伊万里の皿一点、鉢や大皿など多数お売りいただきました。新年早々、素晴らしい作品の数々をお売りいただき有難うございました。
本日は志木市場の仲間たちと荻窪駅のそばにある「すし屋の源」で新年会をしました。大好物のなまこや生牡蠣、美味しいお寿司をいただきました。明日からも仕事がたまっておりますので、お酒は我慢しました。良い買取にお食事と大変嬉しい一日となりました。T橋社長、ご馳走様でした!

平田郷陽(ひらたごうよう)1903年(明治36)~1981年(昭和56)
1903年 松本喜三郎・安本亀八 系統の活き人形師であった初代平田郷陽(恒次郎)の長男として、東京浅草に生まれる。
1917年 14歳の時、父のもとで人形製作の修行を始める。
1924年 父の跡を継ぎ二代卿陽を襲名。
1927年 市松人形を製作。
1928年 岡本玉水・久保佐四郎・名川春山・吉田永光らとともに、創作人形の研究団体「白沢会」を結成する。
1935年 日本人形社を立ち上げる。
1936年 第1回帝国美術院展に初入選。
1937年 パリ万国博覧会に出品し、金賞受賞。
1955年 重要無形文化財「衣裳人形」保持者(人間国宝)に認定される。
1959年 皇后宮殿に「瑞鳥」製作。
1968年 紫綬褒章を受賞。
1974年 勲四等瑞宝章を受賞。
1981年 逝去。享年77歳。

東京都大田区田園調布にて、雨宮敬子のブロンズ裸婦像の買取。

     

東京都大田区田園調布にて、雨宮敬子のブロンズ裸婦像、洋画をお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、人気彫刻家雨宮敬子の作品。裸婦のブロンズ像になります。共箱がなくお客様が作家が分からないとのことでしたが、足元のにあるKeikoのサインやお顔の表情ですぐに雨宮敬子のものと分かりました。雨宮敬子は、女性像の中でも、特に裸婦像を一貫して作り続けており、外観的な女性美を表現するだけでなく、内面的・精神的な美を表出させることによって、女性ならではの清楚な作風となっています。 多少スレや傷みがございましたが、六角堂で買取強化中の作家作品でしたので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただくことが出来ました。ブロンズの他、洋画やリトグラフなども併せてお売りいただきました。良いお品をまとめてお売りいただき有難うございました。
帰りに市場の仲間たちと食事をすることになりました。荻窪駅にあるインド料理屋「ナタラジ 荻窪店」さんへと行きました。店内は広く、とても良い雰囲気の場所でした。こちらのカレーは肉を使わず野菜や豆類のみで作られており、とてもヘルシーです。カレーはもちろん、天然酵母のナンやラッシーもとても美味しかったです。

雨宮敬子(あめみやけいこ)
父・雨宮治郎、弟・雨宮淳も日本芸術院会員として活躍した彫刻一家で育つ。日本大学芸術学部を卒業し、北村西望、富永直樹に師事する。裸婦を中心とした作品を展開しています。
1931 東京に生まれる
1956 第12回日展初入選(以後連続入選)
1958 第1回新日展「薫風に望む」特選(以後1回)
1969 総合美術展「湖」参加
1972 第26回新樹会展招待出品(’77まで)
1980 第1回現代女流美術展出品(以後連続出品)
1982 第10回長野市野外彫刻賞受賞
1985 第17回日展「道」内閣総理大臣賞受賞
1994 日本芸術院会員となる
1996 個展(日本橋・三越)
1998 日本彫刻会常務理事となる
2002 日刊現代美術展実行委員をつとめる
2005 国民文化祭美術展で審査員となる
2017 旭日中綬章受章、文化功労者となる