月別アーカイブ: 2017年4月

東京都中野区上高田にて、桐たんす、お着物、お茶道具、初代前田竹房斎の煤竹編盛籠をお売りいただきました。

   

東京都中野区上高田にて、桐たんす、お着物、お茶道具、初代前田竹房斎の煤竹編盛籠をお譲りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。数年前にお亡くなりになられたお婆様のご遺品でお茶道具などを次へ大事にしていただける方へと繋げるようにとご用命いただきました。たくさんお譲り頂いた御道具の中でも前田竹房斎は今もなお人気のある作品で、共箱などはありませんでしたが、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けることが出来ました。前田竹房斎は大阪の竹工芸家の名称で、親子に渡って受け継がれていました。人間国宝となられた2代が亡くなってから前田竹房斎は途絶えてしまいましたが、前田竹房斎が残した竹工芸品は、竹材の美しさをいかし高い評価を得ており、今もなお人気の高い竹工芸作家として認識されています。当初、合い見積もりの予定との事でしたが、一点一点説明しながら丁寧にお値段を付けましたら、ご納得いただき即日お譲りくださりました。お婆様が大事にされていた御道具、大事に次へと橋渡しさせていただきます。本日も仕事帰りに山田うどんさんへお邪魔しました。限定メニューの肉とうふうどんが終了してしまいましたので、しばらくは大好きな天玉うどんでいこうと思います。体を気遣い、今日はヘルシーな納豆、オクラ、トロロの丼もいただきました。

六角堂では、竹編、竹籠、竹細工を高価買取しております。飯塚鳳斎(いいづかほうさい)、飯塚小玕斎(いいづかしょうかんさい)、飯塚琅干斎(いいづかろうかんさい)、田辺竹雲斎(たなべちくうんさい)、 早川尚古斎(はやかわしょうこさい)、前田竹房斎(まえだちくぼうさい)、鈴木玩々斎(すずき げんげんさい) 、和田和一斎(わだわいちさい)などの有名作家の竹籠は特に人気があり、 高価で買取りさせていただきます。ご処分にお困りの際は、関東全域出張買取専門六角堂までお問い合わせください♪

初代 前田竹房斎(まえだちくぼうさい)1872~1950

大阪に生まれ。本名は房二郎。
14~15歳の頃に竹工を独学し、早くも17~18歳頃には一家を成した。
1919年(大正8年)浪華藍友会結成に参加。
大正期後半には皇室などへの献上品を次々に制作し、1936年(昭和11)にはイギリス皇太子来遊の際に台覧を仰ぐなど、名工として知られた。
淡(破)竹を用いた作品で高い評価を得た。
竹の地下茎の曲がりなど、自然の竹の形を生かした「堺手」の名工として知られる。

二代 前田竹房斎(まえだちくぼうさい)1917~2003

昭和~平成時代の竹工芸家。大阪出身。本名は房次。
戦後は、デモクラシーの空気に呼応するように、壁画装飾やオブジェといった、従来の工芸の枠にこだわらない前衛的な作品を制作し、日展等の団体展に出品する。
細い丸ひごを並列して、透かしと内の重ね編みとを効果的に併用した繊細な制作や、独創の重ね網代編みの花籃など、清新で力強い、高雅な格調を築き上げた。
現代生活に即した創作性の獲得に専念し、現代感覚ある意匠を得意とした。
染色など他の工芸分野も探究し、精密かつ高度な技術で、理知的で気品に満ちた作風を確立した。
また花籃や盛器、茶箱等の煎茶道具にも自由で気品のある創作精神を示した。

1917年(大正6)年7月7日、初代竹房斎の四男として堺市に生まれる。
1935年(昭和10)年高級花籃の名匠であった父である初代竹房斎に師事した。
修業中途に兵役に就き、復員して後にほぼ独学で修行を重ね、竹工芸の研鑽に努めた。
1947年(昭和22)大阪工芸展、1953年(昭和28)関西美術展に初入選して以降に受賞を重ねた。
また1953年初入選を果たした日展では、1968年まで立体造形的な制作で活躍した。
1952年(昭和27)二代竹房斎襲名、翌年には皇太子殿下、1956年天皇陛下・皇后陛下への献上品制作の栄誉を得た。
1959年(昭和34)第6回日本伝統工芸展に初出品、70年以降は毎回出品した。
1972年(昭和47)第1回伝統工芸木竹展奨励賞、第19回日本伝統工芸展で優秀賞を受賞。
1986年(昭和61)第35回展では重要無形文化財保持者選賞を受賞した。
同展で鑑査委員をたびたび務め、伝統工芸や大阪府工芸協会等で後進の指導にも熱心にあたった。
昭和40年代に入ると、伝統工芸の継承と発展を目指す日本工芸会に入会し、現代における伝統美を追求した。
1972年(昭和47)日本伝統工芸展東京都知事賞。
1982年大阪府知事から功労表彰。
1995年(平成7)年重要無形文化財「竹工芸」保持者の認定を受けた。
2003年(平成15)3月12日死去。85歳。

 

神奈川県平塚市にて、桐箪笥、お着物、掛け軸、お茶道具、ペルシャ緑釉唐草文壺(即中斎書付)をお売りいただきました。

神奈川県平塚市にて、桐箪笥、お着物、掛け軸、お茶道具、ペルシャ緑釉唐草文壺(即中斎書付)をお譲りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。表千家茶道のお道具をはじめ、桐たんすや置物を多数お譲りいただきました。平塚の駅そばでしたが、わたしが20年ほど前に平塚七夕まつりへ行った時の面影がなくずいぶんと発展しておりました。各地へ出張買取をしていると、昔と今では全く光景が変わってしまっている場所が多く、わたしも年を重ねているなと実感します。老眼に負けず、明日も出張頑張ります!帰りに圏央道厚木PAで焼肉定食をいただきました。いつもこちらのパーキングエリアではB級グルメのお店で食事をするのですが、たまには別のものをと今日は隣のお店へ寄りました。濃い目の味が癖になります。美味しかったです。

本品のようなアルカリ系トルコ青釉を施した単色の陶器は、ペルシャ陶器といわれております。この時代はユーラシア大陸の東西文明圏の文物交流が盛んに行われ、ペルシャに大量に輸入される中国の青磁、白磁は、ペルシャ陶器の装飾と器形に大きな影響を与え、同時にペルシャ陶器のデザインや青釉は、中国の元時代の染付に反映され、ペルシャのトルコアーズ青釉の技法は孔雀釉を生み、その後の三彩陶器に繋がっております。箱には即中斎の書付があり、お茶道具として使われていたようです。数百年も昔のペルシャ陶器をお茶道具として・・・すごくお洒落ですね。代々の宗匠の花押は、それぞれが魅力的ですが、わたしは即中斎宗匠の花押が好きです。即中斎宗匠の花押は「左一心」とかかれているようです。縦に「左一心」と書いてみると確かに即中斎の花押になります。これまたお洒落ですね。やっぱりわたしはお茶道具が大好きです!即中斎はじめ裏千家、表千家、武者小路千家、裏千家久田家、表千家堀内家、藪内家、遠州流、宗偏流、松尾流、江戸千家、大日本茶道学会などのお道具、どんなお道具でも結構です。お茶道具をご売却の際は、是非六角堂までお問い合わせください!

表千家家元13代 即中斎宗匠
即中斎 そくちゅうさい 明治34年(1901)〜昭和54年(1979)。表千家13代。12代惺斎の次男に生まれる。兄不言斎の逝去により、昭和13年(1938)に家元を襲 名。第二次世界大戦の最中、昭和17年に千家同門会を発足させ、昭和24年(1949)には財団法人不審菴を設立。現代における茶の湯普及と伝統の保持と いう組織機構の基礎を築いた。

千葉県鎌ケ谷市にて、和たんす、茶箪笥、華道具、河井武一(河井寛次郎の甥)の灰釉筒描紋方壷をお売りいただきました。

千葉県鎌ケ谷市にて、和たんす、茶箪笥、華道具、河井武一(河井寛次郎の甥)の灰釉筒描紋方壷をお譲りいただきました。

お引越し前の荷物整理にてお呼びいただきました。近日引越しをするのが決まったが、その前に家具などの不用品を処分をしたいとご連絡いただき出張させていただきました。早速お邪魔すると六角堂の得意とする古い和家具がたくさんございました。後日、書棚や座卓、ちゃぶ台などを運び出すこととなり、本日は大きさのあるたんすなどを運び出すこととなりました。お急ぎとの事でしたので、次回は大きめのトラックでお伺いさせていただきます。帰りに来てもらえて助かるよと言っていただきとっても嬉しかったです。帰宅後、家族でくら寿司さんへお邪魔しました。最近の回転寿司は本当にメニューが豊富です。画像は、カニ味噌、白子ポン酢、うなぎの肝など・・・他にもうどんなどをいただきました。なんと子供はカレーを食べておりました。どれも大変美味しかったです。

六角堂では作家物の陶芸作品の買い取りを強化しております。作家の無いお品でも買い取りしておりますので、ご不要の場合は、ご処分前にご連絡ください。陶芸作品に詳しい鑑定士がお見積りに伺わせていただきます。
六角堂の強化買取陶芸作家は以下となります。
青木龍山・浅倉五十吉・荒川豊蔵・安東五・池順鐸・石黒宗麿・伊勢崎淳・伊勢崎満・板谷波山・井上萬二・今泉今右衛門・今井政之・岩田久利・隠崎隆一・宇野宗甕・浦上善次・永楽善五郎・大樋長左衛門・大塩昭山・大塩玉泉・大塩昭山・大塩正人・大塩正義・大樋年朗・大淵武則・岡部嶺男・岡部靖彦・小川長楽・小川裕起夫・奥田木白・尾西楽斎・隠崎隆一・角谷一圭・各務満・加藤渓山・加藤光右衛門・加藤孝造・加藤卓男・金重陶陽・金子信彦・金重昇介・金重道明・金重素山・河井寛次郎・河合紀・河井武一・河合誓徳・河井透・河井久・河合紀・館林源右衛門・北大路魯山人・吉向十三軒・吉向翔平・吉向松月・木村盛和・清水六兵衛・金城次郎・楠部彌弌・久保木二朗・熊倉順吉・黒木国昭・鯉江良二・河野栄一・小山富士夫・近藤濶・近藤悠三・坂井岱山・酒井田柿右衛門・酒井田正・榊莫山・坂倉新兵衛・坂田泥華・三代徳田八十吉(正彦)・島岡達三・清水卯一・清水公照・清水潤・清水甫・清水保孝・新開寛山・杉田祥平・鈴木藏・須田青華・諏訪蘇山・高橋楽斎・田村耕一・帖佐美行・沈寿官・辻常陸・徳田八十吉・戸畑茂四郎・富本憲吉・豊場惺也・中里太郎右衛門・中島宏・中村晋也・バーナード リーチ・長谷川翠光・濱田晋作・濱田庄司・浜田昇児・林正太郎・藤田喬平・藤本能道・藤原恭助・藤原啓・藤原敬介・藤原建・藤原雄・真葛香斎・松田正柏・松本勝哉・三浦竹軒・三浦竹泉・宮尾造(宮尾栄助)・三輪休雪・柳海剛・矢部篤郎・山田常山・山田光・山田正和・山本一洋・山本陶秀・横山尚人・吉田隆・吉田美統・吉田文之・由水常雄・柳海剛・加守田章二・加藤土師萌・加藤唐九郎・加藤壽明・楽吉左衛門・館林源右衛門・岩田藤七・宮下善爾・畦元紀秀・高橋道八・坂高麗左衛門・三輪雪堂・守屋弘斎・小川二楽・仁阿弥道八・塚本快示・辻村史朗・藤原敬介・徳田八十吉・八木一夫・和太守卑良

河井武一(かわい たけかず)1908年(明治41)~1989年(平成元)
島根県能義郡安来町出身
1927年より京都の叔父河井寛次郎の下にて作陶を修行。
以降、寛次郎が没するまで40年近くにわたりその指導を受け、呉須、辰砂、飴釉、鉄釉など
寛次郎の民芸芸術を継承。
また、その間、35年には鐘渓窯(寛次郎工房)に来訪したバーナードリーチの助手を務める傍らで
指導を仰ぐ。
1964年、オーストラリア、ニュージーランドに外遊、シドニー、メルボルン、ウェリントンにて
個展・講習会を開催。
1966年には寛次郎と寛次郎子息の博次と共に三人展を京都高島屋にて開催。
1978年には作陶50周年記念展を東京・大阪・京都・岡山・横浜の高島屋にて巡回した。
1990年10月31日歿、82歳。
日本民芸陶の担い手として上田恒次と並んで双璧と称される。国画創作協会員、日本民藝館新作展委員・同人。

栃木県宇都宮市にて、桐箪笥、日光彫の小箪笥、お着物、お琴、三味線、江戸時代後期の南画家福田半香の掛け軸などをお売りいただきました。

栃木県宇都宮市にて、桐箪笥、日光彫の小箪笥、お着物、お琴、三味線、江戸時代後期の南画家福田半香の掛け軸などをお譲りいただきました。

お片付け整理にてお呼びいただきました。栃木県宇都宮市と遠方出張ですので、今回もまた昨夜より宇都宮市入りさせていただきました。昨夜は宇都宮市へ向かう途中、東北道佐野PAにて、もつ鍋の入った黒ゴマ―らーめん、N尾氏は野菜たっぷりのうどんをいただきました。珍しい組み合わせでしたが、とっても美味しかったです。その後、漫画喫茶で休憩をとり、朝よりお客様宅へお伺いいたしました。お荷物の在庫処分をされるとの事で、桐箪笥、日光彫の小箪笥、お着物、お琴、三味線、江戸時代後期の南画家福田半香の掛け軸などをお売りいただきました。お客様が大事に使われていた、思い入れのあるお琴やお着物でした。こちらのお琴は、上角巻(うわづのまき)に龍舌には銀象嵌や蒔絵、螺鈿が入っており、素晴らしいものでした。大事に次へと繋げさせていただきます。搬出中に、愛犬のレトリバーがドア越しから覗いており、とっても愛らしかったです。作業を終え、今回宇都宮市へと来ておりますので餃子を食べて帰ることにしました。実はここ数回、宇都宮市への出張で帰りに餃子を食べて帰ろうと試みるのですが、花火大会があったり、定休日だったりと不運にも食べることが出来なかったのです。お客様におすすめのお店を聞きましたところ、宇都宮餃子専門店正嗣 鶴田店が近所にあるとの事で、向かう事にしました。実は、20年以上前から、正嗣さんは宇都宮出身の友人より聞いておりました。到着すると、行列がすごいお店でした。待っている間、まさしの常連の方が食べ方など教えてくれました。ようやく宇都宮市で餃子を食べれると気合を入れて注文。気合を入れ過ぎてしまい、焼き餃子6人前、水餃子一つ注文しました。三人前ぐらいまでは美味しくて美味しくて五人前くらいからは汗をかきながら意地で食べました。ここのお客さんは女性やご年配の方も多かったのですが、皆さん三人前ぐらいを普通に食べておりました。意地を見せたところで更にお土産を三人前いただき、埼玉の地へと帰ることとなりました。お客様、良いお店をご紹介していただき有難うございました。今回の出張でまた、忘れられない良い思い出が出来ました!

六角堂では、高麗笛、篳篥、笙、神楽笛、和太鼓、小鼓、尺八、三味線、琴、琵琶などの和楽器を強化買取りしております。また、雅楽、能楽、狂言、歌舞伎、祭礼、神楽、演奏会などの伝統舞台芸術に使用される和楽器や道具、その他骨董、美術品を買い取り査定しています。
たくさんの御見積お待ちしております。

東京都文京区千駄木にて、和家具、衝立、唐銅火鉢、掛け軸、中国の書画、九谷焼人気作家 武腰潤 海老図 酒盃をお売りいただきました。

東京都文京区千駄木にて、和家具、衝立、唐銅火鉢、掛け軸、中国の書画、九谷焼人気作家 武腰潤 海老図 酒盃をお譲りいただきました。

解体前の片付け整理にてお呼びいただきました。お爺様が掛け軸や置物を集めていらっしゃったようで、多くのお道具をお譲りいただきました。大事にされていたお品とのこと、大事に次へと橋渡しさせていただきます。幼稚園に通っていらっしゃるお孫さんはじめ、ご家族の皆さんで階段の下まで降ろしていただいたり親切にしていただき有難うございました。幼稚園児のAちゃん、折り紙を作ってくれて有難うございます♪♪出張の帰りに、文京区千石にあるかごの屋さんへ寄りました。春のにぎり寿司と小さな麺セットをいただきました。外はもう桜が満開、春を満喫しました!

九谷焼は石川県 金沢市、小松市、加賀市、能美市で生産される色絵の磁器の総称。
江戸時代初期の1655(明暦元)年ごろ、九谷村(現在の石川県加賀市)で、良質の陶石が発見されたのをきっかけに、大聖寺藩/初代藩主・前田利治が藩の殖産政策として同じ磁器の産地 有田に技能を習得させるべく後藤才次郎を現地に送って勉強させ、技能を取得した才次郎が帰藩し、九谷焼の生産を始めたのですが約50年後原因不明のまま突然廃窯となってしまった。その後19世紀に入って吉田屋が再興し九谷焼が復活しました。

六角堂では浅蔵五十吉の作品をはじめ、九谷焼の人気作家作品を探しております!

徳田八十吉・青木木米・武腰潤・仲田錦玉・三ツ井為吉・吉田美統・中田一於・北村隆…      

作家のないお品も多数扱っておりますので、ご処分される前に、一度お問い合わせください。
たくさんの御見積お待ちしております。

武腰潤(たけごしじゅん)1948(昭和23)年生
九谷焼彩色金欄手の祖 九谷庄三(1816~1883)の高弟 初代武腰善平(1843~1907)の子初代武腰泰山(1878~1946)を祖父とし、三代泰山(1919~1984)の長男として昭和23年2月11日石川県寺井町に生まれる。1970年に金沢美術工芸大学日本画科卒業 芸術学士。その後石川県へ2年問奉職の後、作陶の道に入る。1974年の日展初出品を機に、成形技法にタタラ作りを主に用い色絵磁器の製作に専念する。1987年に伝統九谷焼工芸展に於て優秀賞を受賞し、1991年に大賞、1996年に再度大賞、1997年20周年記念大賞、1998年に再々度大賞を受賞し、1999年石川県指定無形文化財九谷焼技術保存会々員となる。受賞作品は全て石川県美術館に収蔵される。

1970(昭和45)年、金沢美術工芸大学日本画科を卒業しました。
1974(昭和49)年、日展評議員に就任しました。北出不二雄に師事しました。
1978(昭和53)年、日本新工芸家連盟に参加しました。
1981(昭和56)年、日本新工芸展で新工芸賞を受賞しました。
1982(昭和57)年、現代美術展で最高賞を受賞しました。
1984(昭和59)年、日本新工芸家連盟会員となりました。
1985(昭和60)年、石川県美術作家選抜展委嘱となりました。
1986(昭和61)年、明日を開く日本新工芸展で箱根彫刻の森美術館賞を受賞しました。現代美術出品委嘱作家、日展会友に推挙されました、
1987(昭和62)年、日本新工芸展審査員に就任しました。伝統九谷焼工芸展で優秀賞を受賞しました。
1988(昭和63)年、新工芸オーストラリア選抜展の出品作品が外務省に買い上げられました。明日を開く日本新工芸展で大賞を受賞しました。
1991(平成3)年、日展で特選を受賞しました。
伝統九谷焼工芸展で大賞を受賞しました。
1994(平成6)年、日展で特選を受賞しました。
1996(平成8)年、伝統九谷焼工芸展で大賞を受賞しました。日展委嘱となりました。
1997(平成9)年、伝統九谷焼工芸展で20周年記念大賞を受賞しました。
1998(平成10)年、3代徳田八十吉に師事しました。
1999(平成11)年、NHK主催の日本の工芸(今)百選展に選抜されました。石川県指定無形文化財に認定されました。
2001(平成13)年、日本工芸会正会員となりました。
作品がメトロポリタン美術館、エール大学美術館に収蔵されました。
2002(平成14)年、日本伝統工芸展で朝日新聞社賞を受賞しました。
2004(平成16)年、日本伝統工芸展で奨励賞を受賞しました。
2006(平成18)年、日本陶磁協会賞を受賞しました。
2007(平成19)年、日本伝統工芸展鑑査委員に就任しました。
2009(平成21)年、石川テレビ賞を受賞しました。
2011(平成23)年、日本伝統工芸陶芸部会展審査員に就任しました。
2012(平成24)年、第1回室生犀星文学賞 正賞作品制作 以後5年制作
ボストン美術館収蔵作品「雀の小匣」
2013(平成25)年、高等学校芸術科美術教科書「工芸Ⅰ」指導書掲載作品「笹の絵方皿」「工芸からKOGEIへ」出品(東京国立近代美術館工芸館)
2014(平成26)年、石川県文化功労賞を受賞しました。ウォルターズ美術館収蔵作品「山蝉の風景四稜の壺」他9点収蔵。
2016(平成28)年、石川県九谷焼美術館館長に就任しました。創と造 (五都美術)へ出品。

 

埼玉県越谷市にて、和家具、火鉢、仏像、掛け軸、彫刻家二村亮正作 一位一刀彫『巳付小槌』 をお売りいただきました。

埼玉県越谷市にて、和家具、火鉢、仏像、掛け軸、彫刻家二村亮正作 一位一刀彫『巳付小槌』 をお譲りいただきました。

解体前の処分整理にてお呼びいただきました。当日見積もりをご希望のお客様でしたがお時間のご都合を調整していただけましたので、当日見積もり、買い受けすることが出来ました。お忙しい中、有難うございました。家に帰宅すると、京都でいつもお世話になっている方より、出産祝いのお返しが届いておりました。京都の米老舗八代目儀兵衛さんの「十二単満開」というお米をいただきました。すごく素敵な京都らしいお品です。美味しく大事にいただきます。待望の二人目のご出産、本当におめでとうございます!また近々京都へお邪魔します!

一位一刀彫(いちいいっとうほり)とは、岐阜県飛騨地方で生産される木工品。主な生産地は高山市。飛騨市、下呂市でも生産されている。1975年(昭和50年)通商産業省により、伝統的工芸品に指定される。2006年(平成18年)「飛騨一位一刀彫」として地域ブランド(地域団体商標)に指定される。材料はイチイを使用する。イチイの木目をそのまま活かし、赤太(イチイの内側、心材、赤みがかっている)と白太(イチイの外側、辺材、白みがかっている)の色合いもそのまま活かす。表面に色は塗らない。茶道具、置物、面などがある。仕上げは手彫りで行い、彫り跡を残す。

六角堂では彫刻の買取・査定・鑑定に力を入れております。
ご自宅や蔵などにご所蔵の作品で、価値が気になる方、お売りになりたい方は是非お気軽にご相談下さい。ブロンズ、木彫り、石彫りなど、すべての彫刻作品を取り扱っております。お客様宅まで彫刻の専門スタッフか、出張料無料にてお見積もりに伺います。六角堂は、東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。数が多かったり、骨董品の内容により全国出張可能でございます。是非ご利用ください。

二村亮正 (ふたむらふけまさ)1938年(昭和13年戊寅)生
岐阜県飛騨荻原町にて生まれる。江黒亮声(国の伝統工芸士)に師事。現在、国の伝統工芸作家。

越谷市出張地域は、大房 三野宮 東大沢 大竹 平方 弥生町 大里 登戸町 御殿町 東越谷 大泊 大松 船渡 向畑 大杉 蒲生寿町 川柳町 大沢 神明町 千間台西 大成町 宮前 上間久里 弥十郎 大間野町 相模町 小曽川 蒲生 野島 七左町 蒲生愛宕町 恩間 花田 東町 南荻島 伊原 砂原 宮本町 蒲生茜町 赤山本町 元柳田町 新川町 大道 弥栄町 中町 流通団地 西方 東柳田町 増林 長島 蒲生旭町 南町 瓦曽根 北後谷 恩間新田 千間台東 大林 大吉 柳町 増森 赤山町 蒲生本町 北越谷 平方南町 北川崎 西新井 南越谷 越ケ谷本町 蒲生西町 蒲生東町 中島 袋山 蒲生南町 下間久里 谷中町

東京都中央区日本橋中洲にて、明治期輸出用に使われた赤絵や染付の古伊万里や古薩摩の大壷や大皿、燭台、置き時計、蕎麦猪口、鉢などをお売りいただきました。

東京都中央区日本橋中洲にて、明治期輸出用に使われた赤絵の伊万里や古薩摩の大壷や染付の大皿、燭台、置き時計、蕎麦猪口、鉢などをお譲りいただきました。

本日は、昨日お見積りにお伺いしたお客様宅へ、買い取りへ伺いました。昨夜は夜のお見積りでしたので、本日の運び出しとなりました。直しやヒビやニュウの入ってしまっているものが多かった為、厳重梱包させていただきました。少々お時間が掛かってしまいましたが、途中コーヒーを頂いたりとお気遣いいただきまして有難うございます。お亡くなりになられたお爺様が大事にされていた御道具との事、大事に次へと繋げさせていただきますね。次回は絵画のお見積りとの事、楽しみにお待ちしております。

今回買い受けました赤絵の古伊万里などは明治期に輸出用で作られたもので、海外での人気が多いです。こちらの大壷は、海外の色々なオークションへ出展されていたお品のようでした。一時のブームが去って値段が落ち着いてきたものの、まだまだ骨董品としての人気はございます。六角堂では古伊万里や古薩摩などの古い陶磁器の買い取りを強化しております。また西洋アンティークのものや中国の古陶磁器、李朝陶器など海外の古い陶磁器の買い取りも積極的に行っております。ご不要のお品がございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。お客様宅まで陶磁器の専門スタッフか、出張料無料にてお見積もりに伺います。六角堂は、東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。数が多かったり、骨董品の内容により全国出張可能でございます。是非ご利用ください。

 

東京都中央区日本橋中洲にて、明治期輸出用に使われた赤絵や染付の古伊万里や古薩摩の大壷や大皿、燭台、置き時計、蕎麦猪口、鉢などをまとめてお見積りに伺いました。

本日は午前中葛飾区へと書道具、骨董品の見積もりへ伺い、一度帰宅して三芳町にある中華料理屋紅龍さんへとランチへ行きました。こちらの店主さんは、中華料理で有名な聘珍樓さんにいらっしゃった方で、リーズナブルな料金で本格中華をいただくことが出来ます。女性の方にも人気のお店です。倉庫へ戻ると業者様より、本日中に骨董品の見積もりへと来るようにとご連絡いただきましたので、夕方になってしまいましたがお見積りへ伺いました。数社合い見積もりとの事で、精一杯の査定額で頑張りました。結果、当社にお譲り頂く事となりましたが、時間が遅くなってしまいましたので明日引き上げをさせていただく事になりました。明日の引き上げは割れ物が多いので、梱包材を用意しに走って帰省しました。ヒビの入っているものが多く、明日は厳重梱包で頑張ります。また明日事例に乗せていただきます。

埼玉県狭山市にて、桐たんす、茶箪笥、掛け軸、市松人形、お茶道具、日展作家前田泰昭 泰明窯の茶碗。

埼玉県狭山市にて、桐たんす、茶箪笥、掛け軸、市松人形、お茶道具、日展作家前田泰昭 泰明窯の茶碗をお譲りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。お忙しい中、当社をご指名いただき有難うございました。出張帰りに倉庫近くのふじみ野市にある「松栄庵」さんで、大好物のかき玉うどんをいただきました。大好きな胡麻を入れようとしましたら、入れ過ぎでしまいました・・・それでもとっても美味しかったですよ^^

六角堂では、茶碗、水差 、棗、茶入、香合、風呂、釜、花入、茶杓、菓子皿、銀瓶、鉄瓶、 茶棚、炉縁などのお茶道具を強化買取しております。裏千家、表千家、武者小路千家、裏千家久田家、表千家堀内家、藪内家、遠州流、宗偏流、松尾流、江戸千家、大日本茶道学会などのお道具、作家物からお稽古用まで、お茶道具に関して幅広く取り扱っております。お茶道具の専門スタッフか、お見積もりに伺います。ご不要になりましたお茶道具がございましたら、六角堂までお問い合わせください。六角堂は、東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。是非ご利用ください。
お茶道具の強化買い取り作家は以下となります。
千家十職 大西清右衛門、駒沢利斎、土田友湖、黒田正玄、永楽善五郎、中川浄益、楽吉左衛門、中村宗哲、奥村吉兵衛、飛来一閑
【陶芸家】 朝日豊斎、上田直方、 大樋長左衛門、 小川長楽、大野鈍阿、亀井楽山、久世久宝、坂倉新兵衛、坂田泥華、清水六兵衛、須田青華、杉田祥平、杉本貞光、膳所焼陽炎園、田原陶兵衛、高取静山、高取八仙、高橋道八、長岡空権、中村翠嵐、西村徳泉、三浦竹軒、三浦竹泉、宮川香斎
【金工】 角谷興斎、角谷一圭、角谷莎村、金谷五良三郎、木村清五郎、加藤忠三朗、菊地政光、 佐藤浄清、高橋敬典、 高木治良兵衛、長野烈、根来実三、根来茂昌、畠春斎、明珍
【漆芸】 一后一兆、黒田辰秋、音丸耕堂、北村昭斎、川端近左、川瀬表完、前畑雅峰、道場宗廣、村瀬治兵衛、堆朱楊成、渡辺喜三郎、金城一国斎

【前田泰昭】(まえだたいしょう)昭和12年1月2日生
昭和38年(1963)第6回日展初入選
昭和57年(1982)第14回日展特選受賞 出品「曙」辰砂壷
昭和58年(1983)第15回日展無鑑査 出品「暁」、佐賀県芸術文化賞受賞
昭和59年(1984)第6回日本新工芸展審査員(以後15回)
昭和62年(1987)第19回日展特選受賞 出品「遥彩」
平成3年(1991)第23回日展審査員出品「西海に映ゆ」
平成4年(1992)日展会員就任。佐賀県教育委員会(芸術)表彰
平成8年(1996)第18回日本新工芸展文部大臣賞受賞
平成11年(1999)県政功労者 佐賀県知事表彰(芸術文化)
平成12年(2000)大英博物館佐賀県陶芸展出品「残照・彩炎」
平成13年(2001)第23回日本新工芸展帖佐美行会長賞受賞
平成14年(2002)第34回日展審査員 出品「2002-陽光」
平成17年(2005)地域文化功労者文部科学大臣表彰
平成18年(2006)第38回日展審査員 出品「2006-輝く朝」佐賀新聞文化賞受賞
平成19年(2007)日展評議員就任
平成20年(2008)佐賀県陶芸協会会長就任(現在:顧問)
平成23年(2011)日本新工芸家連盟副理事長就任
平成24年(2014)日展の組織変更により評議員から会員に変更
現在日展会員、日本新工芸家連盟副理事長、九州新工芸家連盟会長、佐賀県陶芸協会顧問、有田陶芸協会顧問

埼玉県深谷市にて、和家具、和箪笥、唐木違い棚、蒔絵の座卓、掛け軸、文化勲章受章作家北村西望のブロンズ像「不動明王」をお売りいただきました。

埼玉県深谷市にて、和家具、和箪笥、唐木違い棚、蒔絵の座卓、掛け軸、文化勲章受章作家北村西望のブロンズ像「不動明王」をお譲りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。北村西望(きたむら せいぼう 1884~1987年)は文化功労者として顕彰され、文化勲章を受章した日本を代表する彫刻家です。こちらの不動明王の原型は、円熟期の昭和45年に制作されたものです。六角堂では、「長崎平和祈念像」で有名な北村西望の作品を探しております。ご所蔵の作品がございましたら、無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。
北村西望作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!

北村西望(きたむらせいぼう)
明治17年(1歳)   12月16日、長崎県に生まれる(現同県南有馬町白木野)。北村家は白木野の豪農で仏教に篤く、西望は四男の末子である
明治36年(19歳)  京都市立美術工芸学校入学(彫刻科)。師の国安虎三郎、親友建畠大夢に囲まれて、創作に熱中する。日本画の同級生には川路柳虹、村上華岳などがいた
明治41年(25歳)  文部省第二回美術展覧会に「憤図」が初入選する
大正5年(33歳)   第十回文展に「晩鐘」が特選になり、翌年には早くも無監査となる
大正8年(36歳)   第一回帝展の審査員となる
大正10年(38歳)   東京美術学校教授となる。朝倉文夫も同じく教授になる
大正14年(42歳)  帝国美術会員になる。「母子像」「喜ぶ少女」等の傑作を世に出す
昭和13年(55歳)  「板垣退助翁」を国会議事堂内に設置
昭和22年(64歳)  日本芸術院会員となる
昭和30年(72歳)  長崎市「平和祈念像」完成
昭和33年(75歳)  文化功労者に顕彰され、文化勲章受章。日展が創立されると共に常務理事となり、以後日展を中心に旺盛な創作活動を示す
昭和44年(86歳)  社団法人日展会長となる
昭和45年(87歳)  社団法人日本彫刻会名誉会長
昭和47年(89歳)  長崎県島原城内に「西望記念館」完成。多くの作品を寄贈する
昭和49年(91歳)  日展名誉会長
昭和50年(92歳)  故郷の長崎県有馬町に「西望公園」完成
昭和51年(93歳)  新宮殿に「天馬」奉納
昭和52年(94歳)  広島平和公園「飛躍」設置
昭和53年(95歳)  信貴山「聖徳太子像」設置
昭和55年(97歳)  東京都「名誉都民」となる
昭和56年(98歳)  御岳山「畠山重忠像」設置
昭和58年(100歳)  日展「天女の舞」出品
昭和62年(104歳)  3月、104歳にて没