カテゴリー別アーカイブ: 茶道具・煎茶道具

東京都中野区白鷺にて、桐たんす、お着物、和装小物、絵画、長火鉢、純銀製芋頭形砲口銀瓶をお売りいただきました。

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東京都中野区白鷺にて、桐たんす、お着物、和装小物、絵画、長火鉢、純銀製芋頭形砲口銀瓶をお譲りいただきました。

遺品整理とのことでお伺いしました。即日のご依頼でしたが、訪問時間を調整していただきましたおかげで、ご要望にお応えすることが出来ました。若干凹みが見られるものの、人気の鉄砲口銀瓶でしたので、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けました。このたびは当社をご用命いただきありがとうございました。即日のご依頼の場合でも、近くを回っている時にはすぐにお伺いすることも可能です。急な出張依頼でも、一度お問い合わせください。以前にたまたますぐ側の現場で見積もりをしておりましたので、3分で到着出来たこともございます。東京都内に限らず、関東県内であればすぐ側にいるかもしれません・・・
六角堂では、純銀・銀製品の茶道具(銀瓶・棗・急須・茶托・茶釜)を高価買い取り致します。
価値ある銀製茶道具、銀細工置物、銀食器などを潰し価格で処分するのは、非常に惜しいです。銀瓶などを潰し価格で買取る業者が多く見られますが、当社は潰しではなく商品としての適正価格にて高価買取致しますので、是非六角堂へご相談ください。霰打ち銀瓶、鳳凰口銀瓶、鉄砲口銀瓶、宝珠形銀瓶、南瓜形銀瓶、翡翠摘み銀瓶、鎚目銀瓶、秦蔵六、中川浄益、石黒光南、名越弥五郎、木村清雲、北村静香、尚美堂などの銀瓶は高価買い取りいたします!また、鉄瓶も強化買取中ですので、あわせてお問い合わせください。内容や量にもよりますが、銀瓶などの骨董品類の買取に関しては、全国出張します。もちろん出張料、査定料は無料で行っておりますので、お気軽にお問い合わせください。
和家具・古美術・骨董品・茶道具・美術品・古道具・諸道具類のご処分をお考えのお客様は、お気軽に六角堂までご相談くださいませ。

出張で豊島区にある池袋サンシャインを通りましたら、なんと当社で買取を強化している片岡球子さんの壁画がございました。
陶板壁画「江戸の四季」は、1989年文化勲章を受章されました片岡球子画伯が書き下ろした原画を元に、片岡画伯監修のもと、壁画家のルイ・フランセン氏が造形を担当。縦3.3メートル×横14メートルの超大型作品で、当時としては前例の少ない陶板レリーフとして都市と文化の融合をめざし1978年の開業時に設置されたようです。タイトル「江戸の四季」は東京の新名所の玄関を飾るにふさわしいということから決定し、かつての江戸ではいろいろな場所から見ることができた霊峰富士が、四季を通じて江戸、即ち東京の地を守り、人々の心を清めるかのような勇姿で表現されております。
サンシャインシティにお越しの際は、是非ご覧ください!

片岡球子(かたおかたまこ) 略歴
1905年 札幌市に生まれる。
1923年 北海道庁立札幌高等女学校師範科卒。日本画家を志す。
1926年 女子美術専門学校日本画科高等科卒業。横浜市立大岡尋常小学校教論となる。
1955年 大岡小学校を退職。女子美術大学講師就任。
1989年 文化勲章受章。
1992年 「画業70年片岡球子展」日本橋三越とパリで開催。「片岡球子画集」(求龍堂)刊行。
2008年1月16日 逝去されました

千葉県千葉市稲毛区 にて、総桐たんす、お着物、掛け軸、書道具、七十四代 朝日豊斎 煎茶碗 六客をお売りいただきました。

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千葉県千葉市稲毛区にて、総桐たんす、お着物、掛け軸、書道具、七十四代 朝日豊斎 煎茶碗 六客をお譲りいただきました。

慶長年間に朝日山の麓にて開窯した朝日焼。遠州七窯のひとつに数えられ、熟成された宇治の土と松割木の炎が繊細な風合いをもたらします。
朝日焼は、宇治川をへだてて平等院をのぞむ景勝の地で、慶長年間(1596~1615)に開窯したと伝えられています。 初代は、小堀遠州より指導を受け「朝日」の二字の印を与えられたとされています。朝日焼は原料の粘土に鉄分を含むため、焼成すると独特の赤い斑点が現れるのが特徴です。そして、それぞれの特徴によって、燔師(はんし)、鹿背(かせ)、紅鹿背(べにかせ)など呼び名が決まっています。朝日豊斎の作品には、「朝日」という文字が刻まれています。
ご自宅にある諸道具で「朝日」の文字が刻まれているものがございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。

74代(14世)松林豊斎(朝日豊斎)14代まつばやし ほうさい 1921年(大正10)

七十四代・朝日豊斎は14世・朝日豊斎とも名乗る事があり、これは日本書紀に遡って言い伝えられたものが第七四代という事で、名乗る事があるそうです。~2004年(平成16)
13代松林光斎の長男として京都府宇治市に生まれる。
本名を豊彦、号を猶香庵。
1943年(昭和18) 国立陶磁器試験場を退職。
1946年(昭和21) 朝日焼14代を襲名。
1971年(昭和46) 無煙登窯を築窯。 1975年(昭和50)無煙登窯に穴窯を併設する。
三笠宮妃殿下、三笠宮容子内親王殿下に火入式で御来窯御台臨を賜り「玄窯」と御命名、「豊斎」印を拝領しました。
1995年(平成7)に京都・大徳寺本山で得度し、大徳寺派管長・福富雪底老師より「猶香庵」の号を授かりました。

朝日豊斎は当代で15世となっており、14世の息子が跡を継いでいます。

東京都府中市にて、総桐箪笥、お着物、火鉢、屏風、お茶道具、十二代坂倉新兵衛 七十九翁造 萩茶碗をお売りいただきました。

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東京都府中市にて、総桐箪笥、お着物、火鉢、屏風、お茶道具、十二代坂倉新兵衛 七十九翁造 萩茶碗をお譲りいただきました。

解体前の片付け処分でお呼びいただきました。こちらの萩茶碗は、人気の十二代の作品になります。萩焼ならではの味わいがよく感じられる茶碗です。共箱に数えの歳で書かれていますので77歳の作品で最晩年作品になります。

六角堂では山口県萩市で作られる陶器、萩焼の茶碗や湯呑などの茶器や花瓶など、萩焼の買い取りに力を入れております。坂倉新兵衛の作品でけでなく萩焼のご売却、査定でしたらお気軽にお問い合わせください!萩焼の強化買取り作家は以下となります。
三輪休雪、田原陶兵衛、坂高麗左衛門、坂倉新兵衛、宇田川抱青、坂田泥華、吉賀大眉、兼田昌尚

十二代坂倉新兵衛(さかくらしんべえ) 1881(明治14)年~1960(昭和35)年
1881(明治14)年、12代坂倉新兵衛は11代坂倉新兵衛の長男として山口県に生まれました。本名を平吉といいます。
1897(明治30)年、12代坂倉新兵衛を襲名しました。
1898(明治31)年、萩焼宗家9代坂高麗左衛門に師事して萩焼再興を志します。
1899(明治32)年に修行の余暇を利用して萩漢学塾に学び、吉田松陰の兄・杉民治に茶道の手解きを受けました。
1905(明治38)年、山口県長門市深川湯本の自家に築窯して独立しました。
1910(明治43)年、関西府県連合共進会で受賞しました。
1913(大正2)年に山口県知事より萩焼販路調査を委嘱され、香川県高松市久保町の海徳寺にて萩焼陶器展を開催しました。
1919(大正8)年、茶陶としての技術を更に高める為に表千家12代惺斎宗左に師事しました。惺斎宗左の知遇を得て御好み窯の許しを受け、御好み道具制作の御下命を受けました。
1922(大正11)年、平和博覧会美術館部で受賞しました。
1926(昭和元)年、聖徳太子奉讃会美術展で総裁久邇宮賞を受賞しました。
1932(昭和7)年、山口県立深川高等女学校茶道教授を嘱託されました。
1943(昭和18)年、萩焼における工芸技術保存資格者として指定を受けました。
1947(昭和22)年、美術陶器認定委員に就任しました。天皇陛下が山口行啓の際に献納品を制作しました。
1948(昭和23)年、萩焼美術陶芸協会会長に就任しました。惺斎宗左亡き後は表千家13代即中斎宗左に師事して乱飾相伝を許されました。
1950(昭和25)年、萩焼振興の功績により中国文化賞を受賞しました。
1953(昭和28)年、全国陶磁器大展示会で優良賞を受賞しました。
1954(昭和29)年、千家同門会山口県支部顧問に推挙されました。長門湯本振興会長に推挙されました。
1956(昭和31)年、山口県指定無形文化財に認定されました。
1957(昭和32)年、日本工芸会正会員となりました。文化財保護委員会より記録作成等の措置を構ずべき無形文化財として選択を受けました。
1960(昭和35)年、長門市ロータリークラブ会長に就任しました。この年に死去。

明治期に入ると萩焼は藩の庇護を失って急速に衰退しましたが、
10代三輪休雪と萩焼復興に尽力して絶大な業績を残し、萩焼中興の祖とも仰がれています。
茶の湯と萩焼との結び付きを強調する事で茶陶萩焼のブランドイメージを確立しました。
作風は控えめで茶の湯の場に馴染む事を第一に温和と品位を求めています。

府中市出張地域は、朝日町、押立町、片町、北山町、寿町、小柳町、是政、幸町、栄町、清水が丘、白糸台、新町、住吉町、浅間町、多磨町、天神町、東芝町、西原町、西府町、日鋼町、日新町、八幡町、晴見町、日吉町、府中町、分梅町、本宿町、本町、緑町、南町、宮西町、宮町、美好町、武蔵台、紅葉丘、矢崎町、四谷、若松町

埼玉県所沢市にて、水屋箪笥、長火鉢、茶道具、釜師菊地政光の鉄瓶をお売りいただきました。

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埼玉県所沢市にて、水屋箪笥、茶道具、長火鉢、釜師菊地政光の鉄瓶をお譲りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。現在六角堂では、鉄瓶、急須、銀瓶、金瓶を強化買取りしております。強化買取中の鉄瓶は、以下となります。
龍文堂、亀文堂、金龍堂、金寿堂、祥雲堂、瑞雲堂、雲色堂、光玉堂、蔵六造、大国造、日本梅泉造、秦蔵六、畠春斎、 般若勘渓、石黒光南、角谷一圭、鈴木盛久、長野垤志、中川浄益、名越弥五郎、宮崎寒雄、小泉仁左衛門、佐藤清光、菊池政光

六角堂出張地域
東京都
世田谷区・港区・中央区・渋谷区・杉並区・目黒区・千代田区・大田区・品川区・新宿区・文京区・豊島区・中野区・練馬区・足立区・荒川区・板橋区・江戸川区・葛飾区・北区・江東区・墨田区・台東区・武蔵野市・昭島市・小金井市・三鷹市・あきる野市・日野市・調布市・府中市・小平市・国分寺市・国立市・武蔵村山市・清瀬市・東村山市・西東京市・福生市・青梅市・東大和市・羽村市・立川市・町田市・多摩市・稲城市・狛江市・八王子市・東久留米市
神奈川県
横浜市(鶴見区・中区・緑区・港北区・戸塚区・神奈川区・西区・栄区・泉区・旭区・南区・保土ヶ谷区・港南区・筑紫区・金沢区・瀬谷区・磯子区・青葉区)・川崎市(多摩区・川崎区・中原区・幸区・高津区・宮前区・麻生区)・相模原市(緑区・中央区・南区)・小田原市・平塚市・横須賀市・藤沢市・厚木市・大和市・秦野市・鎌倉市・茅ヶ崎市・伊勢原市・座間市・三浦市・海老名市・綾瀬市・逗子市・南足柄市
千葉県
千葉市(稲毛区・中央区・緑区・花見川区・美浜区・若葉区)・我孫子市・市川市・市原市・印西市・浦安市・柏市・香取市・鎌ヶ谷市・木更津市・君津市・佐倉市・山武市・白井市・匝瑳市・袖ヶ浦市・東金市・富里市・流山市・習志野市・成田市・野田市・富津市・船橋市・松戸市・茂原市・八街市・八千代市・四街道市・八潮市・大網白里市・神崎町・栄町・酒々井町・芝山町・長生村・長南町・長柄町・睦沢町・横芝光町・白子町
埼玉県
さいたま市(大宮区・南区・西区・北区・中央区・見沼区・岩槻区・浦和区・桜区・緑区)・川口市・越谷市・川越市・所沢市・熊谷市・草加市・春日部市・東松山市・狭山市・三郷市・上尾市・深谷市・富士見市・入間市・朝霞市・鳩ヶ谷市・本庄市・坂戸市・戸田市・飯能市・ふじみ野市・加須市・鴻巣市・鶴ヶ島市・新座市・桶川市・北本市・久喜市・行田市・蓮田市・羽生市・幸手市・蕨市・秩父市・日高市・志木市・八潮市・和光市・吉川市・比企郡・北葛飾郡・大里郡・児玉郡・入間郡・南埼玉郡・北埼玉郡・秩父郡・北足立郡
山梨県、栃木県、群馬県、茨城県、福島県、長野県、新潟県、静岡県
その他、箱根、伊豆方面や軽井沢にも無料にて出張致しております。骨董品類に関しては全国出張買取致します。お気軽にご相談ください。

日本工芸会正会員  日本伝統工芸士 菊地政光

奥州山形鋳物の伝統を受け継ぐとともに、常に新しい時代の感覚を取り入れ、日本伝統工芸展などに出品し、幸いにも数多くの受賞の栄に浴しました。“みやび“な茶の湯釜の創作に、日々精進を続けております。

作 歴
昭和48年
20回日本伝統工芸展入選 肩衝平釜
昭和53年
25回日本伝統工芸展東京支部賞受賞
平成元年
36回日本伝統工芸展入選四方富士釜
平成 5年
23回日本金工新作展入選 矢筈釜
朝日新聞社賞受賞
平成14年
伝統的工芸品産業功労者表彰

東京都西東京市にて、桐箪笥、お着物、御茶道具、漆芸の巨匠一后一兆の住吉蒔絵平棗をお売りいただきました。

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東京都西東京市にて、桐箪笥、お着物、御茶道具、漆芸の巨匠一后一兆の住吉平棗をお譲りいただきました。

お引越し前の整理にてお呼びいただきました。二重箱に入っており人気作家のお道具ですので、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けさせていただきました。お忙しい中、当社をお呼びいただき有難うございました。
六角堂では、茶碗、水差 、棗、茶入、香合、風呂、釜、花入、茶杓、菓子皿、銀瓶、鉄瓶、 茶棚、炉縁などのお茶道具を強化買取しております。裏千家、表千家、武者小路千家、裏千家久田家、表千家堀内家、藪内家、遠州流、宗偏流、松尾流、江戸千家、大日本茶道学会などのお道具、作家物からお稽古用まで、お茶道具に関して幅広く取り扱っております。お茶道具の専門スタッフか、お見積もりに伺います。ご不要になりましたお茶道具がございましたら、六角堂までお問い合わせください。六角堂は、東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。是非ご利用ください。
お茶道具の強化買い取り作家は以下となります。
千家十職 大西清右衛門、駒沢利斎、土田友湖、黒田正玄、永楽善五郎、中川浄益、楽吉左衛門、中村宗哲、奥村吉兵衛、飛来一閑
陶芸家 朝日豊斎、上田直方、 大樋長左衛門、 小川長楽、大野鈍阿、亀井楽山、久世久宝、坂倉新兵衛、坂田泥華、清水六兵衛、須田青華、杉田祥平、杉本貞光、膳所焼陽炎園、田原陶兵衛、高取静山、高取八仙、高橋道八、長岡空権、中村翠嵐、西村徳泉、三浦竹軒、三浦竹泉、宮川香斎
金工 角谷興斎、角谷一圭、角谷莎村、金谷五良三郎、木村清五郎、菊地政光、 佐藤浄清、高橋敬典、 高木治良兵衛、長野烈、根来実三、根来茂昌、畠春斎、明珍
漆芸 一后一兆、川端近左、川瀬表完、前畑雅峰、道場宗廣、村瀬治兵衛、渡辺喜三郎

一后一兆(イチゴ イッチョウ)

1898年~1991年 石川県生まれ。
1930年 第二回 聖徳太子展入選
1943年 第一次 美術工芸技術保存認定
1946年 第一回 日展入選
1947年 第三回 日展入選
1948年 第四回 日展入選
1950年 第六回 日展入選
1951年 第七回 日展入選
1953年 第九回 日展入選
第八回 現代美展(最高賞受賞)
第五回 日本工芸展入選
皇太子美智子妃(現皇后陛下)「水蒔絵硯箱」御買上
五十五年度輪島市勢功労者
一后一兆は、石川県に生まれ、輪島塗の名人であり最高峰の蒔絵師として評価されている。
市場に出回る作品も少なく、現在でも茶道具は高値で取引されている。
蒔絵の世界に憧れて修行を重ね、日展などに数多く入選している。
独特の色彩感覚と他の絵師には無い大胆さ、構図力を持ち日本最高峰の蒔絵師と称されている。
特に棗に秀作を多く残しており評価も高く、千家宗匠の書付認定塗師として高い評価を受けている。

西東京市出張地域は、泉町、北原町、北町、栄町、芝久保町、下保谷、新町、住吉町、田無町、中町、西原町、東町、東伏見、ひばりが丘、富士町、保谷町、緑町、南町、向台町、柳沢、谷戸町

東京都中央区八丁堀にて、総桐たんす、お着物、お茶道具、表千家十二代惺斎書付一重切竹花入 銘「青柳」をお売りいただきました。

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東京都中央区八丁堀にて、総桐たんす、お着物、お茶道具、表千家十二代惺斎書付一重切竹花入 銘「青柳」をお売りいただきました。

六角堂では、茶碗、水差 、棗、茶入、香合、風呂、釜、花入、茶杓、菓子皿、銀瓶、鉄瓶、 茶棚、炉縁などのお茶道具を強化買取りしております。裏千家、表千家、武者小路千家、裏千家久田家、表千家堀内家、藪内家、遠州流、宗偏流、松尾流、江戸千家、大日本茶道学会などのお道具、作家物からお稽古用まで、お茶道具に関して幅広く取り扱っております。お茶道具の専門スタッフか、お見積もりに伺います。ご不要になりましたお茶道具がございましたら、六角堂までお問い合わせください。六角堂は、東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。是非ご利用ください。

表千家12代 敬翁宗左(惺斎) 1863-1937

表千家11代瑞翁宗左の長男として生まれ、30歳で12代目を継ぐという少し遅咲きになりました。瑞翁宗左は、敬翁宗左に12代目を継がせた後も亡くなるまで親子二人三脚で茶道を盛り上げていきました。茶道は明治維新により一時衰退期を迎えましたが、父、11代瑞翁宗左の功績や、日本経済の発展と共に徐々に茶の湯の文化も取り戻されていきます。明治20年に京都御所で明治天皇に茶を献じた碌々斎は、その5年後に惺斎に家督を譲りますが、その後長く親子二人三脚で茶道を盛り立てていきます。明治28年に了々斎七十回忌の茶事、明治31年には豊公三百年祭で太閤垣の献茶、明治33年には如心斎の百五十回忌などなど、絶え間なく茶事と献茶が繰り返し行われ、表千家の存在感も増していきます。大正から昭和初期にかけての景気の好転もあって、表千家は再び隆盛を極めます。

十二代宗匠、惺斎(せいさい)は、彼が時代に応じて3種の花押を使っておりました。明治25年に正式に宗左を襲名し宗匠となるまでの宗員時代は、幼名の「与太郎」にちなみ「与」の字を意匠化したものを使い、代を継ぐと俗に言う「飛行機判」の花押になります。初期の飛行機判は比較的平たく、後に伸びやかに描かれるように変わっていきます。そして晩年を迎えた大正3年からは「自動車判」と呼ばれる丸みを帯びた花押に変わります。それは明治、大正、昭和とめまぐるしく移り変わるの3つの時代を生きた惺斎の心持ちの表れだったのかもしれません。

東京都葛飾区水元公園にて、和家具や屏風、日本、囲碁道具、萩焼の名工11世坂高麗左衛門の煎茶器セット。

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東京都葛飾区水元公園にて、和家具や屏風、日本人形、博多人形、囲碁道具、萩焼の名工十一代坂高麗左衛門の煎茶器セットをお譲りいただきました。

六角堂では山口県萩市で作られる陶器、萩焼の茶碗や湯呑などの茶器や花瓶など、萩焼の買い取りに力を入れております。三輪休雪の作品でけでなく萩焼のご売却、査定でしたらお気軽にお問い合わせください!萩焼の強化買取り作家は以下となります。
三輪休雪、田原陶兵衛、坂高麗左衛門、坂倉新兵衛、宇田川抱青、坂田泥華、吉賀大眉、兼田昌尚

11代 坂高麗左衛門 1912(明治45)年~1981(昭和56)年
11代坂高麗左衛門は林利作の三男として山口県に生まれました。
本名を信夫、号を韓峯といいます。
1941(昭和16)年に帝国美術学校(現:武蔵野美術大学)を卒業し、
山口県立大津中学校に美術講師として勤務しました。
1948(昭和23)年、10代坂高麗左衛門の次女と結婚し、江戸時代からの萩焼宗家に入りました。
山口県立大津高等学校の退職後は義父に師事して作陶の道に進みました。
1956(昭和31)年、千家同門会山口県支部理事を就任しました。
山口県美術展で知事賞を受賞しました。
1958(昭和33)年、11代坂高麗左衛門を襲名しました。
1965(昭和40)年、萩市文化財審議会委員、萩市観光審議会委員を委嘱されました。
1967(昭和42)年、第一回杉道助文化奨励賞を受賞しました。
1968(昭和43)年、一水会賞を受賞し、一水会正会員となりました。
1969(昭和44)年、山口県美術展審査員を委嘱されました。
1970(昭和45)年、奈良東大寺の晋山式の際に抹茶碗400個を献納しました。
1971(昭和46)年、日本工芸会正会員となりました。
1973(昭和48)年、福岡県美術展審査員を委嘱されました。
山口県芸術文化振興奨励賞を受賞しました。
1974(昭和49)年、福岡県美術展審査員を委嘱されました。
1975(昭和50)年、山口県指定無形文化財に認定されました。
萩ロータリークラブ会長を就任しました。
山口県知事選奨を受けました。
元々は洋画家で旧制中学、新制高校で教鞭を執った美術教師として奉職していました。
他家から格式ある萩焼宗家を襲名した重い伝統に対する創作哲学には、
血脈によって家業を継承する他の伝統窯の当主達とは違った厳しさと責任があり、
因習に止まらない伝統に新風を吹き込んだ独自の作風を展開しました。

栃木県宇都宮市にて、和たんす、花梨の衝立、着物、和装小物、玉川堂製亀甲文鎚起銅製花瓶。

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栃木県宇都宮市にて、和たんす、花梨の衝立、着物、和装小物、玉川堂製亀甲文鎚起銅製花瓶をお譲りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。当社で強化買い取り中の作品でしたので、お客様にご満足いただける査定が出来ました。六角堂では、栃木県全域出張買取りが可能です。

【宇都宮市】うつのみやし、【足利市】あしかがし、【栃木市】とちぎし、【佐野市】さのし、【鹿沼市】かぬまし、【日光市】にっこうし、【小山市】おやまし、【真岡市】もおかし、【大田原市】おおたわらし、【矢板市】やいたし、【那須塩原市】なすしおばらし、【さくら市】さくらし、【那須烏山市】なすからすやまし、【下野市】しもつけし、【河内郡】かわちぐん・・・【上三川町】かみのかわまち、【芳賀郡】はがぐん・・・【益子町】ましこまち、【茂木町】もてぎまち、【市貝町】いちかいまち、【芳賀町】はがまち、【下都賀郡】しもつがぐん・・・【壬生町】みぶまち、【野木町】のぎまち、【塩谷郡】しおやぐん・・・【塩谷町】しおやまち、【高根沢町】たかねざわまち、【那須郡】なすぐん・・・【那須町】なすまち、【那珂川町】なかがわまち

栃木県でご不要のお品がございましたら、六角堂までお問い合わせください。

玉川堂(ぎょくせんどう)は、創業1816年(文化13年)の日本の金属加工業者。日本国内の地場産業として有名な新潟県燕市の金属加工業の中でも唯一、1枚の銅板を鎚で叩き起こして銅器を製作する「鎚起銅器」(ついきどうき)の伝統技術を二百年弱に渡って継承している老舗企業。銅に多彩な着色を施す技術は、世界でも玉川堂のみが保有している。世界最高品質の銅器を製造し、世界中に顧客を持つ。商号は「株式会社玉川堂」(GYOKUSENDO Co., Ltd. )。
ルイヴィトングループで、シャンパンの帝王と称されるクリュッグの六代目当主オリヴィエ・クリュッグと玉川堂七代目当主玉川基行が意気投合し、コラボレーションとしてクリュッグオリジナルのボトルクーラーを共同開発。仏日の高級レストランやバーで使用されるなど、日本の伝統工芸老舗企業としては稀な世界的ブランド認知の高さを誇る。

神奈川県横浜市中区にて、水屋箪笥、長火鉢、お茶道具、海市謹製黒塗螺鈿茶入、古伊賀焼の瓢箪形茶入(時代仕覆付)をお売りいただきました。

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神奈川県横浜市中区にて、水屋箪笥、長火鉢、お茶道具、海市謹製黒塗螺鈿茶入、古伊賀焼の瓢箪形茶入(時代仕覆付)をお譲りいただきました。

茶入れとは抹茶をいれる御道具です。古来、中国より渡来した茶入はまさに「宝物」として扱われ、一国一城に相当するような非常に重宝された茶入が存在しました。
茶入れはその由緒や箱書き、銘、仕覆などの次第により高価買い取りにつながります。織部や伊賀、古信楽など桃山~江戸初期の古陶磁もおもしろく、高価にて買い取りしています。

漢作、唐物茶入、古瀬戸、瀬戸茶入、瀬戸真中古窯、金華山窯、破風窯、後窯茶入、国焼茶入、唐津、薩摩、膳所、伊賀、備前、高取茶入などご不要の茶入がございましたら、六角堂までお問い合わせください。

中華街が近かったので、帰りに寄らせていただきました。人気の中国の骨董品などで良い買取が出来るよう、横濱媽祖廟(よこはままそびょう)へと参拝し、大好物の麻婆豆腐を食べて帰りました♪♪

伊賀焼は鎌倉時代初期に伊賀地方で生まれました。
当初は主に無釉焼締めの日用雑器を作る窯にすぎなかったが、室町時代後期に千利休の侘び茶が大成されると伊賀焼の作為のない風情に注目が集まり、盛んに茶会で用いられるようになります。
天正13年(1586)筒井定次が領主になると隆盛した。定次は千利休の高弟古田織部に茶の湯を学んだ数寄茶と知られ、織部指導の下素朴で豪快な茶器を数多く焼かせました。この作風はその後藤堂高虎・高次親子を経て高虎の娘婿小堀遠州に引き継がれ、これらを古伊賀といいます。
伊賀焼は別名七度焼といわれるがこれは土を高温で何度も焼成するためである。
その際わずかに鉄分を含んだ土が燃えるような赤褐色に変化する。また窯の中で降りかかった灰は萌葱色や青緑のビードロ釉となって流れだし煌くような美しい景色を作り出す。
形は歪みや膨らみが強調されており、ありきたりな調和は求めない。へら目は奔放でどれ一つとして同じものは無い。
水指や花生けは耳を持つものが多く、俗に「伊賀に耳あり信楽に耳なし」といわれている。
またひび割れや欠けは本来なら欠点だが、造形性の強い伊賀焼では再現性のない破格の美として高く評価されている。
これらの古伊賀は、その後この地で起きた大飢饉の影響を受けわずか20年あまりで姿を消してしまう。幻の焼物といわれる所以である。

東京都杉並区西荻南にて、掛け軸、お茶道具、裏千家十四代淡々斎花押入りの若狭盆、京塗師川瀬表完作黒中次をお売りいただきました。

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東京都杉並区西荻南にて、掛け軸、お茶道具、裏千家十四代淡々斎花押入りの若狭盆、京塗師川瀬表完作黒中次をお譲りいただきました。

解体前の整理にて、裏千家の師範をされていたお客様よりお茶道具などをお譲りいただきました。淡々斎の書付があるものが多く、素晴らしいお道具がたくさんございました。この度は当社をご指名くださり有難うございました。

六角堂では、茶碗、水差 、棗、茶入、香合、風呂、釜、花入、茶杓、菓子皿、銀瓶、鉄瓶、 茶棚、炉縁などのお茶道具を強化買取りしております。裏千家、表千家、武者小路千家、裏千家久田家、表千家堀内家、藪内家、遠州流、宗偏流、松尾流、江戸千家、大日本茶道学会などのお道具、作家物からお稽古用まで、お茶道具に関して幅広く取り扱っております。お茶道具の専門スタッフか、お見積もりに伺います。ご不要になりましたお茶道具がございましたら、六角堂までお問い合わせください。六角堂は、東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。是非ご利用ください。

十四代 碩叟宗室 淡々斎(たんたんさい)1893年(明治26)~1964年(昭和39)
本名は政之助(幼名)、永世、宗叔、宗室  裏千家14世家元 碩叟宗室

13世円能斎宗室の長男として生まれる。
30歳のときに、父の没に伴い家元を継承。
また、この間、書画を日本画の奥谷秋石に学んで、玄石と号して日本画を制作。
そのほか長唄、謡曲、能などに親しみ文化人としての自我の研鑽に努めている。
主な業績としては伊勢神宮を始め、各地の寺、神社においての献茶式をこなし、
また茶道文化の海外進出にも視野を広げてヨーロッパ、アメリカなどを外遊。
さらに、1940年には裏千家統一の為に「淡交会」を結成、49年には「財団法人・今日庵」を結成、
また、その後国際茶道文化協会を設立するなど、日本全国及び海外に支部を設けて
益々の隆盛につなげ、近代裏千家中興の祖として、1957年に茶道界として最初となる紺綬褒章、
紫綬褒章を受章、没後、征四位勲三等旭日中綬章を下賜されている。

川瀬表完(かわせ ひょうかん)

京塗の塗師で江戸末期の京塗師・木村表斎を祖とする「表派」の技法を受け継いでおり、その当主が襲名している名前です。
川瀬家は初代・千太郎からはじまり、2代・繁太郎、3代・厚、4代・正と続いており、「表完」と名乗るようになったのは2代目の繁太郎の時からですので、川瀬表完という名は当代で3代目という事になります。