千葉県千葉市稲毛区 にて、総桐たんす、お着物、掛け軸、書道具、七十四代 朝日豊斎 煎茶碗 六客をお売りいただきました。

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千葉県千葉市稲毛区にて、総桐たんす、お着物、掛け軸、書道具、七十四代 朝日豊斎 煎茶碗 六客をお譲りいただきました。

慶長年間に朝日山の麓にて開窯した朝日焼。遠州七窯のひとつに数えられ、熟成された宇治の土と松割木の炎が繊細な風合いをもたらします。
朝日焼は、宇治川をへだてて平等院をのぞむ景勝の地で、慶長年間(1596~1615)に開窯したと伝えられています。 初代は、小堀遠州より指導を受け「朝日」の二字の印を与えられたとされています。朝日焼は原料の粘土に鉄分を含むため、焼成すると独特の赤い斑点が現れるのが特徴です。そして、それぞれの特徴によって、燔師(はんし)、鹿背(かせ)、紅鹿背(べにかせ)など呼び名が決まっています。朝日豊斎の作品には、「朝日」という文字が刻まれています。
ご自宅にある諸道具で「朝日」の文字が刻まれているものがございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。

74代(14世)松林豊斎(朝日豊斎)14代まつばやし ほうさい 1921年(大正10)

七十四代・朝日豊斎は14世・朝日豊斎とも名乗る事があり、これは日本書紀に遡って言い伝えられたものが第七四代という事で、名乗る事があるそうです。~2004年(平成16)
13代松林光斎の長男として京都府宇治市に生まれる。
本名を豊彦、号を猶香庵。
1943年(昭和18) 国立陶磁器試験場を退職。
1946年(昭和21) 朝日焼14代を襲名。
1971年(昭和46) 無煙登窯を築窯。 1975年(昭和50)無煙登窯に穴窯を併設する。
三笠宮妃殿下、三笠宮容子内親王殿下に火入式で御来窯御台臨を賜り「玄窯」と御命名、「豊斎」印を拝領しました。
1995年(平成7)に京都・大徳寺本山で得度し、大徳寺派管長・福富雪底老師より「猶香庵」の号を授かりました。

朝日豊斎は当代で15世となっており、14世の息子が跡を継いでいます。