東京都府中市にて、総桐箪笥、お着物、火鉢、屏風、お茶道具、十二代坂倉新兵衛 七十九翁造 萩茶碗をお売りいただきました。

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東京都府中市にて、総桐箪笥、お着物、火鉢、屏風、お茶道具、十二代坂倉新兵衛 七十九翁造 萩茶碗をお譲りいただきました。

解体前の片付け処分でお呼びいただきました。こちらの萩茶碗は、人気の十二代の作品になります。萩焼ならではの味わいがよく感じられる茶碗です。共箱に数えの歳で書かれていますので77歳の作品で最晩年作品になります。

六角堂では山口県萩市で作られる陶器、萩焼の茶碗や湯呑などの茶器や花瓶など、萩焼の買い取りに力を入れております。坂倉新兵衛の作品でけでなく萩焼のご売却、査定でしたらお気軽にお問い合わせください!萩焼の強化買取り作家は以下となります。
三輪休雪、田原陶兵衛、坂高麗左衛門、坂倉新兵衛、宇田川抱青、坂田泥華、吉賀大眉、兼田昌尚

十二代坂倉新兵衛(さかくらしんべえ) 1881(明治14)年~1960(昭和35)年
1881(明治14)年、12代坂倉新兵衛は11代坂倉新兵衛の長男として山口県に生まれました。本名を平吉といいます。
1897(明治30)年、12代坂倉新兵衛を襲名しました。
1898(明治31)年、萩焼宗家9代坂高麗左衛門に師事して萩焼再興を志します。
1899(明治32)年に修行の余暇を利用して萩漢学塾に学び、吉田松陰の兄・杉民治に茶道の手解きを受けました。
1905(明治38)年、山口県長門市深川湯本の自家に築窯して独立しました。
1910(明治43)年、関西府県連合共進会で受賞しました。
1913(大正2)年に山口県知事より萩焼販路調査を委嘱され、香川県高松市久保町の海徳寺にて萩焼陶器展を開催しました。
1919(大正8)年、茶陶としての技術を更に高める為に表千家12代惺斎宗左に師事しました。惺斎宗左の知遇を得て御好み窯の許しを受け、御好み道具制作の御下命を受けました。
1922(大正11)年、平和博覧会美術館部で受賞しました。
1926(昭和元)年、聖徳太子奉讃会美術展で総裁久邇宮賞を受賞しました。
1932(昭和7)年、山口県立深川高等女学校茶道教授を嘱託されました。
1943(昭和18)年、萩焼における工芸技術保存資格者として指定を受けました。
1947(昭和22)年、美術陶器認定委員に就任しました。天皇陛下が山口行啓の際に献納品を制作しました。
1948(昭和23)年、萩焼美術陶芸協会会長に就任しました。惺斎宗左亡き後は表千家13代即中斎宗左に師事して乱飾相伝を許されました。
1950(昭和25)年、萩焼振興の功績により中国文化賞を受賞しました。
1953(昭和28)年、全国陶磁器大展示会で優良賞を受賞しました。
1954(昭和29)年、千家同門会山口県支部顧問に推挙されました。長門湯本振興会長に推挙されました。
1956(昭和31)年、山口県指定無形文化財に認定されました。
1957(昭和32)年、日本工芸会正会員となりました。文化財保護委員会より記録作成等の措置を構ずべき無形文化財として選択を受けました。
1960(昭和35)年、長門市ロータリークラブ会長に就任しました。この年に死去。

明治期に入ると萩焼は藩の庇護を失って急速に衰退しましたが、
10代三輪休雪と萩焼復興に尽力して絶大な業績を残し、萩焼中興の祖とも仰がれています。
茶の湯と萩焼との結び付きを強調する事で茶陶萩焼のブランドイメージを確立しました。
作風は控えめで茶の湯の場に馴染む事を第一に温和と品位を求めています。

府中市出張地域は、朝日町、押立町、片町、北山町、寿町、小柳町、是政、幸町、栄町、清水が丘、白糸台、新町、住吉町、浅間町、多磨町、天神町、東芝町、西原町、西府町、日鋼町、日新町、八幡町、晴見町、日吉町、府中町、分梅町、本宿町、本町、緑町、南町、宮西町、宮町、美好町、武蔵台、紅葉丘、矢崎町、四谷、若松町