カテゴリー別アーカイブ: 美術品・骨董品

東京都国分寺市にて桐たんす、福島善三の徳利、福島武山の台鉢、掛軸など。

東京都国分寺市にて桐箪笥、人間国宝 福島善三の徳利、福島武山の赤小紋はつなつ台鉢、掛け軸などをお売りいただきました。

遺品整理でお呼びいただきました。お父様が集めていた掛け軸や作家物の陶器をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、桐箪笥、人間国宝 福島善三の徳利、福島武山の赤小紋はつなつ台鉢、柿右衛門や源右衛門の皿、日本画や仏画など掛け軸多数。桐箪笥は当社で買取強化中の伝統工芸品 春日部桐箪笥。福島善三は350年の歴史を持つ小石原焼「ちがいわ窯」の窯元、16代目。伝統的な技法に加えた独自の作風で高い評価を受け、2017年(平成29年) 重要無形文化財「小石原焼」の保持者(人間国宝)になりました。お売りいただいたお品は徳利ですが、当社で探している作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い受けさせていただきました。人気陶芸家 福島武山の作品は、赤色の極細の線で、小紋・花鳥・風月・人物を描き上げているのが特徴です。赤色一色でほとんど仕上げる為、線の太さの均一さ、赤色の濃淡の均一さが見事なまでに描かれています。幕末から明治期に盛行した、九谷赤絵細密画を受け継ぐ第一人者です。平成15年には石川県指定無形文化財に認定されております。お売りいただいたお品は、赤小紋はつなつ台鉢。こちらも買取強化中の作家作品ですので、高額査定で買取させていただきました。査定額にお喜びいただけて良かったです。お父様が集めていらっしゃった骨董品、大切に次へ橋渡しさせていただきます。お忙しい中、六角堂をご指名いただき有難うございました。

福島善三(ふくしまぜんぞう)1959年~
1959年 小石原焼ちがいわ窯に生まれる
1988年 県展朝日新聞社賞。第35回日本伝統工芸展入選。以降23回入選
1990年 西日本陶芸美術展福岡県知事賞。
1991年 第26回西部工芸展朝日新聞社金賞。福岡県美術協会正会員に推挙。
1992年 西日本陶芸美術展長崎県知事賞。日本工芸会正会員に推挙さる。県展正会員展準大賞。
1993年 第12回日本陶芸展入選。以降5回入選。西日本陶芸美術展福岡県知事賞。
1994年 九州山口陶磁展準大賞。
1998年 九州山口陶磁展日経新聞社賞。
1999年 第15回日本陶芸展大賞桂宮賜杯受賞。県展正会員美術協会賞。
2001年 第8回福岡県文化賞受賞。
2003年 第23回西日本陶芸美術展大賞受賞。第50回日本伝統工芸展日本工芸会総裁賞受賞。
2004年 第14回MOA岡田茂吉賞展優秀賞受賞。
2007年 「現代陶芸への招待」兵庫陶芸美術館
2008年 「工芸のいま 伝統と創造」九州国立博物館
2010年 「茶事をめぐって 現代工芸への視点」東京国立近代美術館工芸館
2013年 第60回日本伝統工芸展高松宮記念賞受賞。
2014年 日本陶磁協会賞受賞。紫綬褒章受章。
2017年 重要無形文化財「小石原焼」の保持者(人間国宝)に認定。

福島武山(ふくしまぶざん)1944年~
1944年 生まれる
1963年 石川県立工業高校デザイン科を卒業
1981年 日本伝統工芸展初入選
1982年 全国伝統的工芸品展にて奨励賞を受賞
1983年 創造美術展にて朝日新聞新聞社特別賞受賞
1986年 創造美術展にて北華賞受賞
1987年 日本工芸会正会員
1989年 九谷焼産業デザインコンクールにて名古屋通商産業局長賞受賞
1990年 九谷焼産業デザインコンクールにて石川県知事賞受賞
1995年 創造美術展にて東京都知事賞受賞
1996年 天皇・皇后両陛下ご来県のみぎり、ご使用のお茶碗謹作
1997年 日本工芸の世界巡回展(五か年)に国際交流基金より選抜される
1999年 第23回全国伝統的工芸品公募展にて第1席グランプリ内閣総理大臣賞受賞
2000年 第24回全国伝統的工芸品公募展で伝統工芸士会会長賞を受賞
2002年 第25回伝統九谷焼工芸展で大賞を受賞
2003年 第17回日本陶芸展に入選
2004年 第27回伝統九谷焼工芸展で優秀賞を受賞。石川県指定無形文化財保持団体九谷焼技術保存会会員。
2007年 石川の伝統工芸展で優秀賞を受賞
2008年 九谷焼伝統工芸士会会長に就任
2010年 伊勢半本店で開催の企画展「華雅やきの赤絵細描-九谷赤絵の妙技」に出品
2012年 第65回記念創造展 創造美術大賞受賞
2015年 三井ゴールデン匠賞を受賞
2018年 日本橋三越本店で「出会いから50年 九谷焼赤絵 福島武山展」を開催

東京都新宿区若葉にて銀製置物、後藤純男、児玉幸雄のリトグラフなど。

東京都新宿区若葉にて銀製置物(関武比古ヨット、宝船、秀雄作末廣、古鏡作三重塔など)、後藤純男のリトグラフ「春の斑鳩」、児玉幸雄のリトグラフ「グリンデルワルド」、玉川堂の茶器揃や花瓶などをお売りいただきました。

先日査定でお伺いしたお客様からご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。数社相見積もりでしたが、当社にお売りいただくこととなりました。お売りいただいたお品は銀製の置物(関武比古ヨット、宝船、秀雄作末廣、古鏡作三重塔など)、後藤純男のリトグラフ「春の斑鳩」、児玉幸雄のリトグラフ「グリンデルワルド」、玉川堂の茶器揃や花瓶、掛軸、絵画、陶器、ガラス工芸品、碁盤や碁石など。たくさんのお品をお売りいただきました。総額で他社より高額査定でありましたが、銀製品は他社の方が若干高かった為、再度査定し全てお売りいただくこととなりました。銀製品は伝統工芸で有名な関武比古の作品などがございました。国宝 当麻寺東塔(三重塔)の置物は古鏡作。神殿に仏像がおさめられていたり見えない箇所にも手を抜かない大変造りの良い作品です。こちらが一番の高額査定となりました。後藤純男は四季折々の情趣のなかに、奈良や京都など日本の古都の風物、寺院を荘厳に描き、また、雄大な中国の自然やそこに生きる人々、北海道の自然などを優しくかつ厳しい眼差しのもとに描いています。日本美術院の重鎮であり、我が国を代表する日本画家のひとりであります。児玉幸雄は西欧の広場を描いた作品で知られる人気洋画家。グリンデルワルトはスイス・アルプスにあるベルン州山岳地方の村で、大自然を観光する拠点として人気のスポットです。澄み渡る青空とアルプス、建物の色彩が素晴らしい作品です。品数が多く、査定や搬出に時間が掛かってしまいましたが、最後までお付き合いいただきました。まだたくさんのお品が残っており、来月に再度お呼びいただくこととなりました。次回もまた、よろしくお願い致します。本日は六角堂をご指名くださり有難うございました。

後藤純男(ごとうすみお)1930年(昭和5年)〜2016年(平成28年)
1930年 千葉県東葛飾郡関宿町の真言宗住職の家に生まれる。
1932年 埼玉県金杉村(現在の松伏町)へ転居。
1946年 山本丘人に師事。
1949年 山本丘人の紹介で田中青坪に師事。
1952年 再興第37回 日本美術院展覧会(院展)で「風景」が初入選。
1954年 日本美術院院友に推挙される。
1955年 約8年間の関西、四国における真言宗の寺を巡るスケッチ旅行を始める。
1962年 第47回 院展で「懸崖」が奨励賞・白寿賞・G賞受賞。
1965年 第50回 院展で「寂韻」が日本美術院賞・大観賞受賞。日本美術院特待に推挙される。
1969年 第54回 院展で「淙想」が日本美術院賞・大観賞受賞。
1974年 日本美術院同人に推挙される。
1976年 第61回 院展で「仲秋」が文部大臣賞受賞。
1979年 現代日本絵画展代表団の一員として初めて中国を訪問。
1981年 ネスカフェ・ゴールドブレンド「違いがわかる男」のTVコマーシャルに出演。
1986年 西安美術学院(中国)名誉教授となる。第71回 院展で「江南水路の朝」が内閣総理大臣賞受賞。
1988年 高野山東京別院に襖絵「高野山の四季」を奉納。東京藝術大学 美術学部教授に就任。
1993年 長谷寺(奈良)に襖絵「夏冬山水」を奉納。
1995年 三越エトワール(パリ)にて個展を開催。
1997年 東京芸術大学を退官。北海道上富良野町に後藤純男美術館を開館。
1999年 東京都高幡不動尊金剛寺に襖絵「桂林山水朝陽夕粧」を奉納。犬吠駅舎内に後藤純男美術館を開館。
2000年 埼玉県松伏町名誉町民となる。上富良野町社会貢献賞を受賞。
2001年 西安美術学院研究棟内に「後藤純男工作室」が落成。
2002年 埼玉県北葛飾郡松伏町の名誉町民に選ばれる。
2005年 喜寿記念展を各地にて開催。
2006年 旭日小綬章を賜る。
2008年 「小海町高原美術館開館10周年記念 後藤純男日本画展」を開催。
2012年 後藤純男美術館開館15周年 後藤純男展 (そごう美術館)
2016年 東京藝術大学名誉教授となる。 第72回日本芸術院賞・恩賜賞を「大和の雪」が受賞。 10月18日、午前3時40分、敗血症のため北海道旭川の病院で死去。

児玉幸雄(こだまゆきお)1916年~1992年
1916年 大阪市に生まれる。
1936年 関西美術展に入選。田村孝之介に師事する。
1937年 二科展に「赤い背景の人形」が入選。
1939年 関西学院大学卒業。
1940年 紀元二千六百年記念奉祝展に出品。
1947年 大阪市展市長賞受賞。二紀会創立に参加、同人となる。
1950年 二紀展同人賞受賞。
1952年 二紀展同人優賞受賞。委員に推挙。
1957年 第一回の渡仏。
1959年 滞欧作品展を東京・大阪で開催。
1960年 選抜秀作美術展に出品。
1988年 ニ紀会退会。
1992年 逝去。享年75歳。

東京都三鷹市にて加藤春鼎、丸田正美、諏訪蘇山、小野珀子のぐい呑。

      

東京都三鷹市にて加藤春鼎、丸田正美、三代 諏訪蘇山、小野珀子のぐい呑、着物、反物をお売りいただきました。

業者様のご紹介でお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お着物や反物などをご処分されたいとのことでご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、紬や訪問着などのお着物、紬や作家物の反物、二代加藤春鼎の黒引出しぐい呑、丸田正美の黒牟田焼 塩釉呉須ぐい吞、三代諏訪蘇山の飛青磁酒盃、小野珀子の金襴手ぐいのみなど。たくさんのお品をお売りいただきました。状態良く、当社で買取強化中の作家作品もあり、お客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。ご家族が大切にされていたお着物やお道具、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名いただき、有難うございました。

二代 加藤春鼎(かとうしゅんてい)昭和2年~平成7年
瀬戸市赤津町 鼎窯 号春倫。
昭和36年、二代春鼎襲名。鼎窯会主宰。
「古瀬戸鉢」瀬戸市永年保存に選定。
日本工芸会正会員。
日本工芸会東海支部役員。
瀬戸陶芸協会理事。
朝日陶芸展運営委員。
県展審査委員。
愛知県芸術選奨、教育文化功労賞。高島屋、松坂屋などで個展開催。

丸田正美(まるたまさみ)1925~1979年
日本工芸会正会員、黒牟田窯の陶芸家。享年54。号麦民。
1925年 9月10日佐賀県武雄市の窯元に生まれる。
1942年 佐賀県立有田工業高校窯業科を卒業。
1950年 人間国宝 浜田庄司に師事する。
1960年 佐賀県展で最高賞受賞。
1963年 第37回国展に入選。
1966年 日本工芸会西部展で最高賞受賞。
1970年 日本伝統工芸展。
1973年 一水会展に出品。
1978年 日本工芸会正会員となる。同年、東急本店で九州陶芸三人展を開催する。
1979年 逝去。
桃山末期に開窯した黒牟田窯の伝統技法に、塩釉を使って民芸的な独特の作風を築いた。代表作に「塩釉鉄砂呉須陶鉢」など。

三代 諏訪蘇山(すわそざん)1932年~2005年
三代諏訪蘇山は二代諏訪蘇山の弟・米沢蘇峰の次男として京都に生まれ、二代の養子となる。
本名を修という。富本憲吉、近藤悠三、清水六兵衛氏に師事。
1955(昭和30)年 京都市立美術大学陶磁器科を卒業。
1970(昭和45)年 3代諏訪蘇山を襲名。
1971(昭和46)年 光風会審査員に就任。
1976(昭和51)年、京都市美術展審査員に就任。
2002(平成14)年 古希を機に三女・公紀に家督を譲って隠居、「玄心」と改名。

小野珀子(おのはくこ)1925~1996
愛知県名古屋市出身
大正4年 小野琥山の長女として生まれる。
昭和39年 加藤土師萌の釉裏金彩技法に強い感銘を受け、独学で研究をはじめる。
昭和44年 釉裏金彩金襴手の、技法を完成し陶芸展出品を始める。
昭和45年 九州・山口陶磁展で「釉裏金彩紫陽花文青釉壺」が第一席を受賞。同年、日本伝統工芸展に初入選。
昭和48年 日本工芸会正会員認定、日本陶芸展1部優秀作品賞。
昭和56年 日本陶芸協会賞受賞。
平成4年 佐賀県重要無形文化財に指定。
平成8年 永眠

東京都中央区晴海にて五世 秦蔵六造 塗金銅製 香爐、天柾本榧将棋盤など。

東京都中央区晴海にて五世 秦蔵六造 塗金銅製 「瑞雲」 香爐、天柾本榧将棋盤などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、遺品整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、五世 秦蔵六の香炉、天柾本榧将棋盤、掛け軸や七宝花瓶など。お父様が大切にされていたお品々をお売りいただきました。掛軸は横山大観や川合玉堂などの工芸画などがございました。秦蔵六は幕末~明治時代の鋳金家。初代から現在六代まで続く名工です。中国の青銅器をモチーフとした作品をはじめ、 茶道・華道で使われる湯沸、香炉、花生など日本の伝統文化に即した作品は日本国内問わず、中国でも需要が多くございます。初代より六世までそれぞれの個性はありますが鋳金技術はどれも最高峰であり、国内が誇る名工であります。お売りいただいたお品は五世 秦蔵六の塗金銅製 「瑞雲」 香爐。秦蔵六の作品には本品のようにところどころに金箔を張った作品が多く見られますが、時代経過と共に金箔がはがれている様を表している蔵六独特の意匠であり高く評価されております。共箱などの付属品はありませんでしたが、当社の買取強化作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。また、将棋盤や駒台などもお売りいただきました。こちらの将棋盤は宮崎県日向産の本榧製で天柾の厚みあるお品でした。昭和初期の頃の将棋盤とのことで多少のダメージはありましたが、大変素晴らしいお品でした。駒を紛失されてしまったようで、見つけ次第またお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。お父様の大事にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、誠に有難うございました。

埼玉県朝霞市にて十三代柿右衛門窯の花瓶、川越市にてお着物、帯。

埼玉県朝霞市にて十三代 酒井田柿右衛門 染錦梅鳥文花瓶、茶道具、川越市にてお着物や帯をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は埼玉県朝霞市にて、茶道具や柿右衛門の花瓶を買取させていただきました。茶道具はお稽古用のものが多くございましたが、全て買取させていただきました。柿右衛門の花瓶は十三代柿右衛門窯の染錦梅鳥文花瓶。柔らかく温かみのある乳白色の素地に繊細で華やかな色絵が魅力の作品です。残念ながら共箱の欠品、ややスレなどございましたが、当社で買取強化中の作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。良いお品をお売りいただき、ありがとうございました。二件目は川越市へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらは着付けの教室をされていたお客様でしたので、たくさんのお着物がございました。振袖、留袖、訪問着、小紋、紬、帯など、多数お売りいただきました。数点シミ汚れの出てしまっているものもございましたが、お着物を取り扱うプロのお客様ですので、全体的に状態も良く、大切に保管されておりました。一点一点丁寧に査定し、精一杯の査定額で全て買い受けさせていただきました。ご家族の大切にされていた大事なお着物、当社にお売りいただき誠に有難うございました。大切に次へと橋渡しさせていただきます。総桐のたんすも素晴らしいものでしたので、ご処分される際にはまた六角堂をご指名ください。

13代 酒井田柿右衛門 1906(明治39)年~1982(昭和57)年
13代酒井田柿右衛門は12代酒井田柿右衛門の長男として佐賀県で生まれる。
本名を渋雄といいます。
1924(大正13)年、有田工業学校製陶科を卒業。
1953(昭和28)年、父と濁手素地の復興に成功する。
1955(昭和30)年に「柿右衛門」の製陶技術が文化財保護委員会より、記録作成等の措置を構ずべき無形文化財として選択を受ける。
1963(昭和38)年、13代酒井田柿右衛門を襲名。
一水会審査員に就任しました。
1964(昭和39)年、日本工芸会正会員。
1966(昭和41)年、佐賀県文化功労者に選択される。
「柿右衛門」の陶芸技法が佐賀県重要無形文化財に指定される。
濁手草花文蓋物が宮内庁に買い上げられました。
1967(昭和42)年、佐賀県重要無形文化財に認定。
1969(昭和44)年、皇居新宮殿に濁手瓢形壷一対を制作する。
1970(昭和45)年、佐賀県陶芸協会会長に就任。
濁手菊鳥文壷が外務省に買い上げられ、サンパウロ日本館に展示される。
1971(昭和46)年、13代を会長に上級技術者11人で柿右衛門製陶技術保存会を設立。
技術保存会による「濁手」の技法が重要無形文化財として総合指定を受ける。
濁手露草文鉢等が宮内庁に買い上げられました。
東宮御所の御用食器を納入しました。
濁手花鳥文陶額がオランダ日本大使館展示品として外務省に買い上げられました。
1972(昭和47)年、紫綬褒章を受章。
1974(昭和49)年、迎賓館に濁手梅花文壷を制作。
1975(昭和50)年、西日本文化賞を受賞。
濁手草花文鉢と濁手椿文壷が文化庁に買い上げられました。
1976(昭和51)年、柿右衛門製陶技術保存会が技術保持団体として認定。
1978(昭和53)年、勲四等旭日小綬章を受章。
1982(昭和57)年、有田名誉町民の称号を受ける。この年、永眠する。

東京都品川区上大崎にて人間国宝 鹿島一谷の弥勒佛彫金額、銀製品、仏像。

東京都品川区上大崎にて人間国宝 鹿島一谷の弥勒佛彫金額、銀製品、仏像などをお売りいただきました。

解体業者様のご紹介でお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。ご実家を解体するため、長年保管されていた仏像などをご処分したいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、古銅の阿弥陀如来像や木彫りの大黒天などの仏像、人間国宝 鹿島一谷の弥勒佛彫金額、銀製品など。鹿島一谷(かしまいっこく)は、東京都出身の金工家。国指定重要無形文化財(人間国宝)「彫金」の保持者として一家伝来の布目象嵌技法を自在に駆使し、優美で格調高い作風を確立した事で知られています。花瓶、香炉、花器、レリーフ、水滴、水注など、多くの秀作を残しました。お売りいただいたお品は、銀製の台に金彩弥勒佛の彫金額。金属特有の変色や額にシミなどございましたが、当社の買取強化作家作品ですのでお客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。銀製品は盃や茶托、銀食器など。ホールマークの入った古いものから新しいものまでたくさんお売りいただきました。ご家族が大事にされていた思い出の品々、大切に次へと繋げさせていただきます。本日は六角堂のご指名、たくさんのお品をお売りいただき有難うございました。

鹿島一谷(かしまいっこく)1898年(明治31年)‐1996年(平成8年)
1898年 代々彫金を営む家の長男として東京都で生まれる本名は栄一。
1912年 関口一也、関口真也に師事。
1929年 第10回帝展に「焔文様金具」で初入選。
1931年 祖父一谷斎光敬、海野清、北原千鹿に師事。
1949年 日展で特選となる。
1955年 日本工芸会の創立に参加する。
1958年 無形文化財「布目象嵌」の技術者となる。
1967年 紫綬褒章受章。
1979年 国指定の重要無形文化財「彫金」保持者に認定される。
1996年 11月23日、98歳で逝去。
宮内庁の依頼品「菊菱地柳鷺紋飾壺」製作、唐招提寺国宝「金亀舎利塔」、山形県若松寺重文「金銅観音像懸仏」などの保存・修復に従事するなど高い技術で活躍を示す。

埼玉県和光市にて高橋重弘の五合庵 銅製香炉、玉川堂の亀甲文銅製茶器揃。

  

埼玉県和光市にて高橋重弘の五合庵 銅製香炉、玉川堂造の亀甲文銅製茶器揃などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。絵画や骨董品などをご処分したいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、リトグラフ二点、油彩画一点、高橋重弘の五合庵 銅製香炉、玉川堂造の亀甲文銅製茶器揃など。高橋重弘は新潟県の鎚起銅器の職人。五合庵(ごごうあん)は燕市の国上山(くがみやま)の麓にある国上寺(こくじょうじ)の境内にあります。良寛が40代後半からから約20年生活したと言われている草庵で、かやぶき屋根の極めて簡素な造りであり、現在の建物は大正時代に再建されております。良寛はここで托鉢に出たり、座禅をしたり、「源氏物語」や「万葉集」、「永平録」などを読み、多くの漢詩・長歌・短歌を生み出したとされてます。お品は五合庵の形をした鋳銅香炉。銀製の瓢箪が載せられたりと大変面白い香炉です。共箱付、状態も良かったので、お客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。玉川堂もまた新潟県燕市の「鎚起銅器」(ついきどうき)の伝統技術を二百年弱に渡って継承している老舗。銅に多彩な着色を施す技術は、世界でも玉川堂のみが保有しています。お売りいただいたお品は、亀甲文銅製茶器揃。茶筒、茶托(五客)、建水のセット。共箱もあり六角堂の買取強化商品ですので、こちらもお客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。お客様にお売りいただきましたお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。本日はお忙しい中、当社をお呼びいただき有難うございました。
六角堂では、玉川堂をはじめ、松栄堂・銀川堂・山川堂・海玉堂・清雅堂・富貴堂・上彬堂などの茶器(湯沸、水注、急須、茶筒、茶托、茶合)や酒器(銚子、猪口、ぐい呑)、花器(花瓶、一輪生)、皿(菓子器、銘々皿、盆)などの製品を探しております。ご不要のお品がございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。

高橋重弘(たかはししげひろ)
新潟県・燕三条の鎚起銅器職人。明治27年創業の高橋重弘では3人の職人が作業をしております。鎚起銅器とは燕市が行っている伝統工芸で、銅板などの1枚の板を叩き、様々な造形物をつくっていく、全国唯一の伝統技術。
燕市(旧分水町)に生まれる
日展入選
三軌展 日本経済新聞社賞
三軌展 三軌会賞
三軌展 文部大臣奨励賞
個展 大阪三越・岐阜高島屋・他各地
三軌会評議員
新潟県美術家連盟参事

東京都武蔵野市にて十代 三輪休雪の萩さかつき(盃)、備前焼 獅子置物など。

    

東京都武蔵野市にて人間国宝 十代 三輪休雪の萩さかつき(盃)、桃蹊堂 備前焼 獅子置物、仏像、掛軸などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、遺品整理でお呼びいただきました。陶器や掛軸などの骨董品をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、人間国宝 十代 三輪休雪の萩さかつき(盃)、桃溪堂 備前焼 獅子置物、仏像、掛軸など。仏像は木彫りの大黒天や観音菩薩など。大黒天は江戸期頃の古い作でした。掛け軸は山水画や仏画など。陶器は盃やぐい吞み、置物など多数。三輪休和(十代三輪休雪)は昭和にかけて活躍した山口県出身の陶芸家。1970年に萩焼で重要無形文化財(人間国宝)に認定されています。弟の三輪壽雪(十一代三輪休雪)も後に重要無形文化財(人間国宝)を授与されているので兄弟そろっての認定は大変素晴らしい快挙といえるでしょう。作風は「休雪白」という独特の技法を造りだし萩焼の特色でもある白釉を究めていきました。お売りいただいた盃はほんのりと色づいた優しい萩の釉薬が味わい深い仕上がり。白のまく釉がところどころたれており景色を出しています。「桃蹊堂」は備前市伊部地区有数の古い窯。お売りいただいた獅子置物は江戸後期頃の作品と思われます。大変造りの良い作品となっております。いずれも大切に保管されていたお品ですので、大変状態良くお客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。お父様が集めていらっしゃったお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。本日は当社をお呼びいただき、有難うございました。
六角堂では、萩焼、備前焼の他にも、各地陶磁器の買取りに力を入れております。
流氷焼、小久慈焼、堤焼、楢岡焼、平清水焼、会津本郷焼、大堀相馬焼、笠間焼、益子焼、小砂焼、無名異焼、九谷焼、大樋焼、珠洲焼、越前焼、美濃焼、志戸呂焼、瀬戸焼、常滑焼、萬古焼、伊賀焼、信楽焼、膳所焼、湖南焼、京焼、楽焼、清水焼、朝日焼、御室焼、丹波立杭焼、明石焼、出石焼、赤膚焼、布志名焼、備前焼、虫明焼、萩焼、大谷焼、砥部焼、江山焼、上野焼、小石原焼、高取焼、唐津焼、伊万里焼、吉田焼、波佐見焼、三川内焼、小代焼、小鹿田焼、薩摩焼、壺屋焼、李朝時代の陶磁器、中国古陶磁器など幅広く探しております。ご自宅にお持ちの陶磁器のご売却をお考えの際は、是非お気軽にご相談下さい。陶磁器に詳しい専門スタッフが出張見積もりさせていただきます。

十代 三輪休雪(休和)1895(明治28)年~1981(昭和56)年
十代三輪休雪は九代三輪雪堂の次男として山口県萩市に生まれる。
本名は邦廣、号を休雪(襲名後)・休和(隠居後)といいます。
1895年 山口県萩市で生まれる。
1910年 祖父の八代三輪休雪(雪山)、父の九代三輪休雪(雪堂)に師事。
1927年 十代休雪を襲名する。
1942年 川喜田半泥子、金重陶陽、荒川豊蔵らと「からひね会」を結成する。
1955年 通産省「全日本産業工芸展」会長賞受賞。
1956年 山口県指定無形文化財保持者。第3回日本伝統工芸展初入選。
1967年 弟が十一代休雪を襲名し、自らは休和と名乗る。
1970年 紫綬褒章受章、重要無形文化財「萩焼」保持者(人間国宝)に認定。
1973年 勲四等旭日小綬章を受賞。
1981年 10月24日没。86歳。

東京都八王子市にて金城次郎の湯呑、源右衛門の酒器、上村淳之、池田遙邨のリトグラフ。

東京都八王子市にて金城次郎「魚文湯呑」、宮崎祐輔「染錦シルクロード湯呑」、源右衛門窯「赤濃菊絵酒器」、上村淳之のリトグラフ「水辺の詩」、池田遙邨のリトグラフ「雲る比良」など、陶器や絵画を多数お売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お父様がコレクションされていた陶器や絵画などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、金城次郎の魚文湯呑、宮崎祐輔の染錦シルクロード湯呑、源右衛門窯の赤濃菊絵酒器、上村淳之、池田遙邨のリトグラフなど。陶器や絵画をたくさんお売りいただきました。陶器は上記の他、作家物のぐい吞みや盃、花器などがございました。絵画はリトグラフや油彩画などございました。他にも置物や民芸品、オーディオなどもお売りいただきました。当社で買取強化中の作家作品などもあり、お客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。お父様の大切にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、ありがとうございました。
帰りに八王子駅南口にある「麺や樽座」さんで食事をしました。こちらの人気メニューである海老味噌らーめんに岩のり、味玉をトッピング。濃厚な海老味噌スープにコシのある太麺が良く合い、とても美味しかったです。

金城次郎(きんじょうじろう)1912年(大正元年)– 2004年(平成16年)
那覇市生まれの陶芸家。国の重要無形文化財「琉球陶器」保持者(沖縄県で初の人間国宝)。
1925年(大正12)新垣栄徳の製陶所に入門、壷屋の製陶に従事。
1945年(昭和20)沖縄戦終結。
1946年(昭和21)那覇市壺屋に築窯。濱田庄司、河井寛次郎らの指導の元で壺屋焼を守り努める。
1972年(昭和47)沖縄本土復帰。読谷村に移住。
1985年(昭和60)4月13日、人間国宝に認定、沖縄県功労章受賞。
1993年(平成5)勲四等瑞宝章受賞。
2004年(平成16) 没。享年92。

宮崎祐輔(みやざきゆうすけ)
1954年 佐賀県嬉野町生まれ
1969年 琥山製陶所入所、小野琥山・珀子氏のもとで修業
1971年 九州山口陶磁展入選
1974年 日本伝統工芸展初入選
1975年 日本陶芸展入選
1977年 佐賀県嬉野町吉田皿屋に谷鳳窯開窯
1978年 日本工芸会正会員となる
1981年 中国外遊(敦煌・大同・洛陽・桂林)
1984年 西日本陶芸展入賞
1985年 佐賀県陶芸協会会員となる
1990年 パキスタン外遊(フンザ・チラス・ペシワール)
1994年 モロッコ外遊
2000年 STS佐賀テレビ陶美を求めて「シルクロードに魅せられて」放映
大英博物館出品、収蔵
2002年 中・日・韓陶芸展出品(台湾)
2009年 「工芸いま伝統と創造-九州・沖縄の作家たち」展(九州国立博物館)
2010年 琥山生誕120年記念「小野琥山一門展」(佐賀県立九州陶磁文化館)
現在 東京・大阪・名古屋・福岡、その他全国各地にて個展

上村淳之(うえむらあつし)
1933年 京都府生まれ。祖母は上村松園、父は上村松篁
1959年 京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)専攻科修了
1978年 第5回創画展にて創画賞受賞(’80年も)
1984年 京都市立芸術大学教授に就任
1994年 松柏美術館館長就任
1997年 京都市立芸術大学美術学部長
1999年 同大学副学長、名誉教授就任
2002年 日本芸術院会員となる
2005年 創画会理事長就任
2010年 平城遷都1300年大極殿正殿壁画連作制作
2011年 京都文化賞特別功労賞受賞
2013年 文化功労者顕彰

池田遙邨(いけだようそん)
1895 岡山県倉敷市に生まれる
1910 松原三五郎の天彩画塾で洋画を学ぶ
1919 竹内栖鳳の竹杖会に入塾、第1回帝展で入選
1926 京都市立絵画専門学校研究科(現・京都市立芸術大学)を卒業
1928 第9回帝展 特選受賞 後に第11回帝展でも同賞受賞
1936 1949年まで京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)助教授をつとめる
1952 日展参事となる
1953 青塔社を結成 日展評議員となる
1960 日展で日本芸術院賞受賞
1984 文化功労者顕彰
1986 倉敷市名誉市民となる。
1987 文化勲章授章
1988 京都市にて死去、享年92歳

静岡県富士宮市にて今泉今右衛門の色鍋島有職文花瓶、奥田元宋の和歌画賛。

   

静岡県富士宮市にて人間国宝 十三代今泉今右衛門の色鍋島有職文花瓶、奥田元宋の和歌画賛などをお売りいただきました。

以前、骨董品の出張買取でお呼びいただいたお客様からご連絡いただき、倉庫にしまっている家具や置物などを処分されたいとのことで静岡県富士宮市へ出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、十三代 今泉今右衛門の色鍋島有職文花瓶、奥田元宋の和歌画賛、松本民芸家具のライティングデスク、岩谷堂箪笥の文机、北谷家具の鏡台、銀製置物、マイセンやドレスデンのフィギュリン、洋食器など。たくさんのお品をお売りいただきました。13代今泉今右衛門は伝統的な色鍋島の装飾技法に加え、「吹墨」、「薄墨」、「吹重ね」という独創的な作風を創出しました。端正で流麗な造形、安定した色調、精緻な文様の斬新さには驚嘆すべきものがあります。お売りいただいた色鍋島有職文花瓶は本人作ではなく窯の作品ですが、サイズもあり大変出来の良い作品。共箱は欠品しておりましたが、高額査定させていただきました。奥田元宋は当社で買取強化中の人気日本画家。「元宋の赤」といわれる独特な赤色が特徴の作品を描きます。妻の奥田小由女は人形作家、芸術院会員。2014年に日展理事長就任。お売りいただいた作品は日本画ではなく和歌画賛(色紙)ですが、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。銀製置物は関武比古のヨットや高砂など。トラック一台分、たくさんのお品を買取することが出来ました。お品数が多く積み残しがありましたので、来週もまたお呼びいただきました。本日はお忙しい中、静岡県までお越しいただき、たくさんのお品をお売りいただき有難うございました。次回もまたよろしくお願い致します。
お客様に富士宮やきそばで美味しいお店を訪ねたところ、近所にある「ゆぐち」さんというお店をご紹介いただき、帰りに寄らせていただきました。目玉焼きをのせた富士宮焼きそば、お好み焼きを食べました。ジューシーなキャベツに半熟の黄身が麺と絡んでとても美味しかったです。また寄りたいと思います。

十三代 今泉今右衛門(いまいずみいまえもん)1926年(大正15)~2001年(平成13)
1926(大正15)年、12代今泉今右衛門の長男として佐賀県に生まれる
1949(昭和24)年、東京美術学校(現:東京芸術大学)工芸科を卒業しました。
1958(昭和33)年、佐賀県展で最高賞を受賞しました。
1963(昭和38)年、一水会陶芸展で一水会会長賞を受賞。一水会陶芸部会員に推挙されました。
1965(昭和40)年、日本伝統工芸展で日本工芸会会長賞を受賞。日本工芸会正会員に推挙。
1972(昭和47)年、「色鍋島かるかや文鉢」が東京国立近代美術館に買い上げられました。
1974(昭和49)年、一水会陶芸展審査委員に就任しました。
1975(昭和50)年、13代今泉今右衛門を襲名しました。
1976(昭和51)年、日本陶磁協会賞を受賞しました。日本工芸会理事に推挙されました。
1979(昭和54)年、日本伝統工芸展優秀賞(NHK会長賞)、佐賀県芸術文化賞を受賞しました。
1980(昭和55)年、日本伝統工芸展鑑査委員に就任しました。
1981(昭和56)年、日本陶芸展最優秀作品賞(秩父宮賜杯)を受賞しました。有田陶芸協会発足に伴って会長に就任。
1982(昭和57)年、佐賀県陶芸協会会長に就任。日本伝統工芸展鑑査委員に就任しました。
1983(昭和58)年、日本伝統工芸展鑑査委員に就任しました。
1984(昭和59)年、西日本文化賞を受賞しました。
1985(昭和60)年、日本伝統工芸展鑑査委員に就任しました。
1986(昭和61)年、紫綬褒章を受章、佐賀県政功労賞、佐賀新聞文化賞を受賞しました。
1987(昭和62)年、日本工芸会常任理事に推挙されました。日本伝統工芸展鑑査委員に就任。
1988(昭和63)年、毎日芸術賞、第一回MOA岡田茂吉賞を受賞しました。
1989(平成元)年、重要無形文化財「色絵磁器」の保持者(人間国宝)に認定されました。日本陶磁協会金賞を受賞しました。
1991(平成3)年、佐賀県庁県民ホールの陶壁を制作しました。
1992(平成4)年、国際陶芸アカデミー(IAC)の名誉会員に推挙されました。
1993(平成5)年、佐賀県立有田窯業大学校長に就任しました。
1995(平成7)年、国際文化交流に対し、外務大臣より表彰されました。
1998(平成10)年、グッドデザイン賞審議委員に就任しました。
1999(平成11)年、勲四等旭日小綬章を受章しました。
2000(平成12)年、日本工芸会副理事長に就任しました。
2001(平成13)年、逝去。

奥田元宋(おくだげんそう)1912年6月7日~2003年2月15日
1912年 広島県双三郡八幡村(現在の三次市吉舎町八幡)に生まれる。
1931年 中学卒業を機に遠戚に当たる日本画家、児玉希望を頼って上京し内弟子となる
1936年 文展鑑査展に「三人の女性」が初入選
1937年 児玉希望画塾第1回展に塾賞を受賞。「元宋」と号した
1949年 第5回日展において「待月」が特選と白寿賞受賞
1956年 第12回日展に委嘱出品。日展会員となる
1962年 第5回新日展では「磐梯」が文部大臣賞受賞、文化庁買上げ
1973年 日本芸術院会員
1974年 日展常任理事となる
1977年 この年より79年まで日展理事長をつとめる
1981年 宮中歌会始の召人に選ばれる。真言宗大聖院の本堂天井画「龍」を制作。
1984年 文化勲章受賞
1989年 広島県名誉県民として顕彰される
1995年 日本芸術院第1部(美術)の部長となる
1996年 京都・銀閣寺(慈照寺)の庫裏・大玄関及び弄清亭障壁画を完成させる
2003年 東京で逝去、享年90歳