カテゴリー別アーカイブ: 着物

東京都中野区中野にて振袖、着物、練馬区向山で犬山焼や坂高麗左衛門の茶碗など。

東京都中野区中野にて振袖のセット、着物、練馬区向山で犬山焼赤絵四方皿や十代坂高麗左衛門の萩俵手茶碗など茶道具をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は中野区中野へお着物の処分整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお着物は振袖のセットなど。ちりめん地の振り袖で、柄も良く大変状態の良いものでした。振袖の帯や襦袢なども併せてお売りいただきました。また、草履や帯締めなどの和装小物も併せてお売りいただきました。お客様の思い出のお着物、大切に次へと橋渡しさせていただきます。大切なお着物の整理に当社をご指名いただき、誠に有難うございました。本日二件目は練馬区向山へ、茶道具の整理でお呼びいただきました。数年前に茶道をやめて、保管されていた茶道具を徐々にご処分していきたいとのことでご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。たくさんのお道具がございましたが、少しずつ整理されたいとのことでしたので、本日は茶碗三点、水指二点、茶釜、香合のみお売りいただきました。十代坂高麗左衛門の萩俵手茶碗は十一代坂高麗左衛門の識箱、仕覆に納められておりました。高台脇に印銘「韓峯」がございます。俵形(楕円形)の俵手茶碗、側底部に窯キズ、見込みに窯キズがあるものの、大変素晴らしい茶碗でございます。坂高麗左衛門は当社で買取強化中の作家でありますので、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。次回ご処分される際にもまたお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。お忙しい中、六角堂をご指名いただき、有難うございました。

犬山焼(いぬやまやき)
江戸元禄年間、今井村(現在の犬山市今井)において、郷士奥村伝三郎が今井窯を築き、焼物を作ったのが始まりとされています。犬山城主成瀬正寿が文化7年(1810年)丸山に開窯、文政年間(19世紀)には、犬山藩お庭焼として発展しました。中国明時代の呉州赤絵を手本とする呉州風赤絵・成瀬正寿の意匠による光琳風の桜と紅葉をとりあわせた文様「雲錦手」が特徴で、素朴で優雅な陶器として愛用されています。

十代  坂高麗左衛門(さかこうらいざえもん)1890年~1958年
秀輔、号:韓峯
1890年 山口県で生まれる。
1909年 山口県立萩中学校を中退し、父9代・坂高麗左衛門に師事する。
1914年 大正博覧会に出品したガマ仙人置物が宮内省買い上げとなる。
1915年 大正天皇御即位奉祝品として萩町献上の花瓶一対を制作する。大正天皇御大典記念京都博覧会に出品した菓子鉢が宮内省買い上げとなる。
1916年 福禄寿置物が宮内省買い上げとなる。
1920年 李王世子殿下御婚儀奉祝品として山口県献上の高砂尉と姥置物を制作する。
1921年 10代坂高麗左衛門を襲名する。
1922年 皇太后陛下が香椎御参宮の際に置物が買い上げとなる。平和記念東京博覧会に出品した水指が宮内省に買い上げとなる。
1924年 今上天皇御成婚奉祝品として萩町献上の高砂尉と姥置物を制作する。北白川宮大妃殿下が萩町行啓の際に番茶器と湯沸と水注を買い上げとなる。
1925年 秩父宮殿下が山口県行啓の際に萩町献上の抹茶碗一対を制作する。万国装飾美術工芸パリ博覧会で銀牌を受賞する。伏見宮博義王殿下が萩港入港御上陸の際に萩町献上の花瓶を制作する。
1926年 摂政宮殿下が萩町行啓の際に萩町献上の大花瓶を制作する。聖徳太子展覧会委員を委嘱され、総裁久邇宮より香合を授かる。
1928年 天皇陛下御即位御大典奉祝として個人献上を許される。
1931年 梨本宮殿下が山口県行啓の際に武徳会山口支部献上の大花瓶を制作する。
1938年 竹田宮大妃殿下が山口陸軍病院戦傷病将士御見舞の際に、山口県献上の大花瓶を制作する。
1939年 朝香宮殿下が県下軍需工場巡視の際に山口県献上の大花瓶を制作する。
1943年 工芸技術保存資格者として選定される。
1946年 高松宮殿下が萩市行啓の際に萩市献上の抹茶碗を制作する。
1947年 天皇陛下が山口県行啓の際に山口県献上の天人風炉と富士形釜を制作する。
1958年 逝去

東京都新宿区戸山にて小森久の博多帯、祥園の袋帯、本場大島紬の着物や反物、辻村寿三郎の訪問着など。

東京都新宿区戸山にて小森久の博多織 本草木染 名古屋帯、祥園の袋帯、本場大島紬の着物や反物、辻村寿三郎(ジュサブロー)の訪問着などをお売りいただきました。

先日お呼びいただきましたお客様からご連絡いただき、お着物の見積もりで本日出張させていただきました。当社がお呼びいただく前にすでに三社が査定されていたようで、私どもも査定を頑張らせていただきました。四社の相見積もりでございましたが、査定の上、全て当社にお売りいただくこととなりました。お着物の数は約200点、一点一点丁寧に査定させていただきました。古いものから新しい作家物まで数多くございました。当社で買い取りを強化している作家作品もあり、高価査定と繋がりました。
本場博多織の帯は小森草木染工房 小森久の作品。四季折々、刻一刻と表情を変える自然の色に魅了され、「自然を染めたい」と、茜、藍、栗、蓬、梅、葛の葉などの草木を染料に、自然の色を一本一本の糸に再現しております。草木染で染めた博多織帯は、唯一無二(同じ色は二度染められない)ということで、大変人気がございます。お売りいただいたお品は網代の名古屋帯。状態も良く当社の買取強化商品ですので、高額査定となりました。
本場大島紬は純泥染、武島織物の訪問着、池田絹織物の反物など。こちらは証紙付きで保管状態も良かったです。日本を代表する人形作家でアーティストとして有名な辻村寿三郎氏は、和服の世界でも人気がございます。お売りいただいたお着物は辻村寿三郎氏による「ジュサブロー」ブランドの訪問着でございます。ジュサブローらしいお色使いが素敵な訪問着であります。
以上のお着物や帯の他にも、たくさんのお着物や和装小物などをお売りいただきました。ご家族の大切にされていたお着物、大切に次へと橋渡しさせていただきます。二度にわたり、六角堂をご指名くださり、誠に有難うございました。また何かございましたら、お申し付けください。

小森久(こもりひさし)1928年~
1928年(昭和3年)、筑前秋月(福岡県甘木市)生まれ。博多織職人である父親と同じ道へ進む。
自らの手で生み出した『本・草木染』の独創性と高い技術が評価され、昭和50年には甘木市無形文化財に指定される。博多織求評会や全国織物大会などで、文部大臣賞、厚生大臣賞、東京都知事賞、全国百貨店賞といった大賞を次々に受賞。自然由来の材料で生地を染める草木染の研究と創作活動にその生涯を捧げました。薬草に関する研究も高い評価を受けております。

東京都渋谷区猿楽町にて龍村平蔵製の本袋帯、お着物、かんざしや櫛など。

   

東京都渋谷区猿楽町にて龍村平蔵製の本袋帯、お着物、簪や櫛などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。お着物や骨董品などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。本日お売りいただいたお品は、龍村平蔵製の袋帯、お着物、かんざしや櫛。簪や櫛は、金蒔絵や螺鈿の入った出来の素晴らしいお品でした。お着物は訪問着や友禅、留袖、紬など多数。仕舞ったままの状態でしたので、シミや汚れなど出てしまっておりましたが、作家物のお着物も多数有り、全て買取させていただきました。帯は龍村平蔵のものや川島織物など、こちらも多数お売りいただきました。初代 龍村平蔵(たつむらへいぞう)は、経糸と緯糸とで構成される織物を、独特の陰影をたたえた立体の造形としてとらえ、新技法を次々と生み出しました。法隆寺、正倉院に伝わる古代裂など伝統的な織物の研究に尽力し、復元の第一人者として織物の地位を「芸術の域」にまで高めました。お売りいただいた帯は孔雀に花の図の花鳥文、國賓楊成盆織出し本袋帯の二点。シミ汚れや裏面に数点の薄アクなどございましたが、当社で買い取りを強化している作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い受けさせていただきました。他にも絵画や掛軸、陶器、ブランド洋食器などたくさんございましたが、車に積みきれず。明日トラックで再度お呼びいただくこととなりました。明日もまた、よろしくお願い致します。本日はお忙しい中、当社をご指名いただき有難うございました。

初代 龍村平蔵(たつむらへいぞう)1876年 – 1962年
1876年(明治9年)  – 大阪の両替商の長男として生まれる
1887年(明治20年) – 大阪商業学校に進学
1892年(明治25年) – 大阪商業学校を中退し呉服の道へ
1894年(明治27年) – 織物業を創業
1906年(明治39年) – 龍村製織所設立
1956年(昭和31年) – 日本芸術院恩賜賞を受賞
1958年(昭和33年) – 紫綬褒章を受章
1960年(昭和35年) – 財団法人大日本蚕糸会より恩賜賞を受ける
1962年(昭和37年) – 死去(享年86歳)

東京都豊島区南長崎にて作家物の手刺繍黒留袖、振袖、鈴木盛久の南部砂鉄鈴。

 

東京都豊島区南長崎にて作家物の手刺繍黒留袖、振袖セット、訪問着、鈴木盛久の南部砂鉄鈴などをお売りいただきました。

不動産業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。いつもお客様をご紹介いただき有難うございます。本日お売りいただいたお品は、作家物の京友禅手刺繍黒留袖、振袖・帯セット、訪問着などお着物多数、14代鈴木盛久の南部砂鉄鈴、市松人形など。たくさんのお品をお売りいただきました。京友禅の黒留袖は豪華絢爛な刺繍が施されており、作家の落款がございました。サイズもあり状態も良かったので、お客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。黒留袖は、礼装の中で最も格式が高い「第一礼装」と呼ばれる着物です。慶事用として用いられ、結婚式や披露宴の際には親族の既婚女性や仲人夫人が着用します。黒留袖で人気の染め加工としては、加賀友禅や京友禅などがございます。京友禅は金彩や豪華な刺繍が施されているのが特徴です。加賀友禅は色彩がやわらかい雰囲気の染めで、京友禅と大きく異なるのは染めだけで柄を表現しているという点です。お売りいただきました京友禅の黒留袖にも、豪華な刺繍に金彩が施されておりました。また、振袖のセット(振袖、袋帯、小物など)や訪問着なども併せてお売りいただきました。こちらも全て状態よく、高価査定と繋がりました。お着物の他、十四代鈴木盛久(すずきもりひさ)の南部砂鉄鈴、市松人形なども併せてお売りいただきました。本日は六角堂のご指名、たくさんのお品をご売却いただき誠に有難うございました。

十四代鈴木盛久(すずきもりひさ)
本名 貫爾。父は人間国宝十三代鈴木盛久(繁吉)
大正8年 盛岡市に生まれる
昭和17年 東京美術学校工芸科鋳造卒
昭和32年 日展出品作「火蛾の踊り」特選
昭和40年 日展審査員
昭和45年 東京芸術大学教授
昭和55年 宮内庁の委嘱による正倉院「花鳥背八角鏡」復元模造完成
昭和56年 盛岡駅コンコース「フクローの樹」デザイン監修
昭和56年 62歳で没
現在は娘の熊谷志衣子が十五代鈴木盛久として活躍しております。

埼玉県八潮市にて、熊川光陽の加賀友禅訪問着、しょうざん生紬柿渋染、本場縞大島紬など。

        

埼玉県八潮市にて、本加賀友禅作家熊川光陽の訪問着、作家物の黒留袖、しょうざん生紬柿渋染の帯、お着物、武島織物謹製本場縞大島などをお売りいただきました。

お着物のご処分でお呼びいただきました。お母様が大切にされていたお着物が多数あり、お客様が残されるものとお売りいただけるものとを一点一点仕分けしながら買取させていただきました。しつけ糸の付いたお着物も多くあり、状態の良いものが多くございました。残念ながら丈が短かったですが、当社で買い取りを強化している作家物、加賀友禅のお品もあり、そちらは高価査定をさせていただきました。しょうざん生紬(なまつむぎ)は、上州赤城山麓で新芽の桑の葉を食べて育った春蚕の玉繭が使われております。その玉繭を座繰で手引きして製糸することで、弾力のある素朴な玉糸を経緯したうえで使用し織り上げた素材になっています。繭から直接糸を引いた生糸を使って織られているため、独特の繊細な風合いが表現されています。お売りいただいたお着物や帯は柿渋染でつくられた大変素晴らしいお品でしたので、こちらも高価査定させていただきました。本場縞大島の帯は武島織物で造られたもので、京手描友禅染匠のプロデュースにより京都で染められた帯となっております。こちらもしつけ糸の付いたお品でございました。本日は六角堂をご指名いただき、また駐車スペースをご用意いただいたりお茶をいただいたりと、お気遣いいただき誠に有難うございました。六角堂では作家物の加賀友禅を強化買取りしております。作家のないお着物も買い取りしておりますので、加賀友禅のお着物をご処分される際は是非六角堂をご指名ください。
帰宅途中、八潮市にあるかつやさんで食事をしました。カツ丼好きのわたしですが、今日はカツカレーにしてみました。サクサクのカツにカレーがよく合い、とても美味しかったです。

加賀友禅(かがゆうぜん)
加賀友禅は「加賀五彩」とよばれる臙脂・藍・黄土・草・古代紫の五色で構成され、デザインは写実的で、武家風の落ち着いた趣があり、刺繍や箔押しを使わずに、「ぼかし」や「虫食い」などの表現でアクセントをつけています。
絵画調の柄を特徴とする加賀友禅は、写実性を強めるための 白い線はときには太く、ときには細く変化をつけることで装飾効果をも高めています。 ボカシや虫喰いの技法もよく使われています。京友禅が内側から外側にボカシてあるのに対し、 加賀友禅では逆に外側から内側に向かってボカシてあるのが一般的な特徴といえます。
加賀友禅の制作工程は主な工程だけで9つもあり、すべての過程で熟練の技術が求められます。 一点一点、根気と時間をかけて仕上げられる手描き友禅は、それゆえに高い価値を誇ります。

加賀友禅作家一覧
相河達博、青木たか子、赤地暁、浅野冨治男、芦原敏成、東徹也、天野雅彦、荒木美奈、荒橋義輝、芦原晋、安藤雅紀、池田裕、石田昭二、石田巳代治、和泉衛知、泉広治、磯上剛、一川忍、稲荷幸子、稲手明仁、岩腰和彦、岩崎良成、上田修壮、上田外茂治、上野清江、上野美佐子、魚津誠、牛坂源吾、内嶋さつき、梅村正美、江波秀明、大石喜久栄、大久保謙一、太田歩、太田秀典、太田拓斗、太田裕久、太田征夫、太田正伸、大塚幸節、大西正廣、大根雄人、大村智子、大村洋子、岡崎重雄、岡崎律子、岡田正信、岡本幸治、小川孝司、沖津尚、奥泉可愛、奥田勝将、奥原一就、奥村汕華、押田正一郎、押田 正義、小田美知代、小野てる美、大波加久美、小原喜美子、小原陽子、柿本市郎、柿本結一、笠瀬治夫、梶耕三、梶山明子、梶山伸、片山則夫、勝野緑峯、加藤加代子、金津五雄、金丸明広、金丸修一、金丸水明、釜谷一二、上口春枝、河江真百美、川幡文子、菊田宏幸、、岸下伸之、鬼島武司、北悦夫、北盛夫、北市秀樹、北田弓子、北出朝之、北村和彦、北村浩一、北村比呂志、木村晃女、木村雨山、木村州宏、木村智子、木村真佐子、木村喜博、清藤武二、口野春峰、窪田裕兆、黒田勲、古泉良範、小坂尚之、越村八重好、小林喜代美、小林賢一郎、小林哲治、小林巴、小松由和、近藤京華、近藤そのえ、斉藤正史、斉藤代、酒井早人、坂井正雄、酒井緑、坂木末代、榊原雅春、坂下順子、佐々木美紗、貞弘直也、佐藤桜香、佐藤克司、佐藤行雲、佐藤賢一、佐藤潤、佐藤有希子、沢飯芳雄、澤田谿女、澤野昌行、志々目哲也、志田弘子、篠田伸正、嶋達男、清水恵子、清水千鶴子、下村栄三、下村利明、下村良二、庄田和晃、白坂幸蔵、新保哲弥、上坊寺正良、定免登志江、杉浦伸、杉村典重、鈴木喜代子、瀬戸算、瀬野幾久代、瀬端由美子、高岸小波、高嶋美樹、高田克也、高野富夫、高橋正治、高平良隆、高松広枝、高山武朗、田上裕希子、滝明博、竹内銀風、武部徹、武部良信、武谷弥生、多崎元人、田島丈士、田嶋秀之、田中勲、田中志乃、田辺瑞恵、谷幸治、谷崎善治、田野美恵、田丸幸子、談議所栄二、茶谷孝志、月田瑞穂、辻恵子、辻宏美、土田双園、鶴見晋史、鶴見保次、寺井英世、寺さし新一、寺西一紘、寺西次作、寺西英樹、寺西光博、寺西幸博、出口信克、戸出亜子、東藤岳、東藤肇、栂野朗、戸田雪心、友野雅子、堂端勉、直江良三、中雅雄、中井節子、中川伸、中田冬穂、中谷文彦、中出学、中西淑子、中野星峰、中正享子、中正勲、中町博志、中村進、中村美佐子、仲本朱美、長田園生、長峰茂男、成竹登茂男、成瀬愛子、西肇子、西尾翠峰、西尾友希、西尾陽光、西川健一、西川永良、西川真理、西野進、西野知里、西野陽香、西村央、西村美名子、新納智英、丹羽節子、根布外志郎、能川光陽、野崎香内、野崎徳勝、野路博、登恵弌、野村絵美、橋爪祐子、橋本しずか、橋本洋、長谷川里絵、長谷川礼子、八田勝実、畠山登、浜上雄一、浜上雄峰、浜谷豊右、濱田泰史、早川美喜子、林郁子、林松峰、林進、早津由美、番匠和子、東真理子、久恒俊治、百貫華峰、百貫廣樹、廣谷知巳、深村素子、福井明光、福井蛍子、藤島信二、藤田美紀、冨士登まり、藤村加泉、藤村建雄、藤藁隆、船水昇、古川恒正、星野高志、法邑利博、堀哲也、本間哲哉、棒田孝、、毎田健治、毎田仁郎、毎田仁嗣、前川哲、牧野顕三、松任いち、松井眞夫、松内美詠子、松島仁司、松島由美、松島百合也、松田准一、松田宜子、松本育代、松本雨佳、松本基之、三浦江子、水谷澄正、水野博、水野陽子、三口章、南克治、南貴子、南野和義、南野萌、仙源寛、宮岸衣見、宮腰一恵、宮崎明紀、宮野勇造、宮本紀代美、宮本則子、麦井秀志、村井由美子、村上堅正、村下信幸、村下信吉、村田和生、村田幸司、村田理栄、室崎倫子、室田眞人、本弘実、、森内瑞恵、森田耕三、森田忍、矢田博、矢田秀樹、矢花博呂美、山方隆一、山崎和洋、山下和美、山下志泉、山下都志子、山下智久、山田武志、山名田明生、山名田明生、山野辺光美、山村均、山本富男、山本みき、由水煌人、二代由水十久、初代 由水 十久、柚野久美子、横山秀一、吉岡小百合、吉岡真澄、吉川順子、吉川久仁、吉田淳子、吉田茂、吉田渋吉、吉田昌二、吉村伊佐子、吉本圭子、吉本大輔、四ツ井健、渡辺伸

東京都中野区にて毎田仁郎の色無地、本場村山大島紬、杉田祥平の茶碗など。

 

東京都中野区松が丘にて本加賀友禅作家「毎田仁郎」の色無地、本場村山大島紬の着物、杉田祥平の色絵栗画茶碗などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お引越しすることとなり、お着物やお茶道具を減らしたいとのことでご連絡いただきました。お売りいただいたお品は、本加賀友禅作家「毎田仁郎」の色無地、本場村山大島紬の着物、杉田祥平の色絵栗画茶碗、水指などお茶道具。たくさんあるお品の中から今回ご処分されるお品を分けながら、一点一点査定させていただきました。買い取りを強化している作家作品が多く、また状態の良いお品も多くございましたので、お客様にご満足いただける査定額で買い取りさせていただくことが出来ました。搬出後にお茶をいただき、茶道のお話などをしてとても楽しかったです。美味しいお茶、ご馳走様でした。徐々にお道具をご処分されるとのこと、またお呼びいただけたらと思います。本日は六角堂のご指名、ありがとうございました。
倉庫へ戻る途中、所沢市にある玉川さんで食事をしました。本日のランチセットは天丼とおそばのセット。どれもとても美味しくて、お得なセットです。

毎田仁郎(まいだじんろう)
1906年(明治39年)石川県金沢市生まれ。
幼少時より身体の弱かった毎田仁郎は13歳の時に手に職を持つと決め京都で友禅の仕事をしていた、遠縁の下村光鳳(しもむらこうおう)に弟子入りします。下村光鳳の下で友禅の技術を学んでいましたが、第二次世界大戦がはじまり金沢へ疎開しました。戦後も金沢で仕事を続けた彼は、後に人間国宝となる木村雨山(きむらうざん)に弟子入りすることになりました。60歳になるまで自身の作品を展覧会に出品したことがありませんでしたが、師匠である木村雨山の勧めで日本伝統工芸展に初めて作品を出品し、見事入選しました。その後も様々な工芸展へ出展・入選し、1980年(昭和55年)には日本工芸会奨励を受賞しました。1993年(平成4年)逝去されました。

村山大島紬(むらやまおおしまつむぎ)
東京都武蔵村山市周辺で伝統的に生産されている紬。玉繭から紡いだ絹糸を板締染色し、絣織によって文様を出す絹布、およびそれを和服に仕立てたもののブランド名。
奄美大島の特産品である大島紬が生糸を用いるようになって普及が進んだ大正時代に、それに類似したものとして「大島」の名が使われ普及が進んだが、文様の彫刻を施した木の板を用いて意匠を染める板締の技法を用いるなど、それまでの大島紬とは異なる特徴をもっております。
村山大島紬は、1967年に東京都無形文化財に指定され、1975年には経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されました。

三代杉田祥平
大正3年11月15日生、京都出身
京都第二工業高校卒業後、二代杉田祥平(龍斎)に師事し作陶を始める。
昭和25年 京都国立陶磁器試験所を経て、家業を継承する。
昭和25年 旧伯爵家より、清閑寺焼を認可される。
京都伝統陶芸家協会役員
昭和60年 京都高島屋にて古稀記念展。
平成12年 逝去。現在は四代目が活躍中。
作風は色絵、色絵金彩等の仁清写し、染付、交趾などを得意とし、主に茶陶を主流とする。
三千家からの信頼も厚く、「色絵扇面草花流水画茶碗:裏千家鵬雲斎家元書付」などが
代表作として知られる。印名は「清閑寺」など

埼玉県所沢市にて、柚木沙弥郎、川島織物の帯、千總、曽根武勇の着物、帯締めなど。

      

埼玉県所沢市にて、国画会会員柚木沙弥郎の型絵染め、川島織物のの袋帯、千總、曽根武勇の着物、道明新兵衛の帯締めなどの和装小物、英国アンティークダイニングセットなどをお売りいただきました。

ご実家の整理でお呼びいただきました。国画会会員柚木沙弥郎の型絵染め、川島織物のの袋帯、千總、曽根武勇の着物、道明新兵衛の帯締めなどの和装小物、英国アンティークダイニングセット、毛氈、洋食器、置物、絵画、オーディオなど、多数お売りいただきました。トラックいっぱいになり、加茂桐箪笥などは後日出張買取へ伺うこととなりました。染色家 柚木沙弥郎(ゆのきさみろう)の名古屋帯は型絵染めの帯。柚木沙弥郎の作品は民芸的な味わいを色濃く残し、大胆な色彩や絵画的主題には、暖かさとユーモアがにじみ出ております。伝統工芸士曽根武勇(そねぶゆう)は、味のある手のこんだ様々な御召を手織されている数少ない作家。本作も大変素晴らしいお召の訪問着でございます。千總(ちそう)は創業1555年(弘治元年)、京友禅の老舗。「伝統とは守るものではなく創るもの」をモットーに品質の良い京友禅のきものを世に送り続けております。川島織物は西陣でも龍村と双璧をなす名門。選び抜いた絹糸を用い、西陣最高峰の技術を駆使して製織される帯の数々は、その美しさに加え締め心地の良さにも評価が高く、多くの方から支持され続けています。道明新兵衛(どうみょうしんべえ)は江戸中期に創業し、350年という歴史ある老舗。東京上野にある店舗は江戸時代から続く組紐(くみひも)の老舗として知られています。とても素敵な良いお着物が多くございましたが、残念ながらお着物は丈が短く、また、お着物、帯共にシミ汚れの出てしまっているものがありました。状態にやや難がありましたが、どれも当社で買い取りを強化しているお着物ばかりでしたので、全て買い取らせていただきました。英国アンティークダイニングセットはテーブルとチェアのセット。ドローリーフテーブルがとても素敵なアンティーク家具でした。他にも毛氈、洋食器、置物、絵画、オーディオなど、多数まとめてのご売却有難うございました。来週また桐たんすの引き上げにお邪魔させていただきます。本日は六角堂をお呼びいただき有難うございました。
倉庫へ戻る途中、「蔵出し味噌 麺場壱歩 所沢店」さんで食事をしました。九州麦味噌らーめんにはさつま揚げが入っており、これがまた絶品です。とても美味しかったです。

柚木沙弥郎(ゆのきさみろう)
1922年 東京で生まれる。
1942年 美術史を学ぶため、東京大学へ入学。
1946年 大原美術館(岡山)に勤務。そこで和紙に大胆な民芸模様を型染めした暦に出会い、民芸運動のリーダーである柳宗悦の作品を読み始める。これが柚木の人生の転機となる。
1947年 大学中退後、この暦をデザインした芹沢銈介のもとに弟子入りする。以来、静岡県由比町の正雪紺屋に住み込み、型から染めまでの染色を学ぶ。
1949年 作品第1号を第23回国画会展に出品。以降、毎年参加する。
1955年 東京たくみ工芸店画廊にてはじめての個展を開催する。
1957年 ブリュッセル万国博覧会(EXPO‘58)では銅賞を獲得。
1972年 女子美術大学の教授に就任。
1987年 女子美術大学の学長にに就任。

曽根武勇(そねぶゆう)
昭和20年 静岡県焼津に生まれる。
昭和38年 静岡県立浜松工業繊料卒。学卒後全国物産地を見閉、各地の染織者を訪ねる。
昭和59年 染織工房田歌設立。
昭和60年 第9回全国伝統的工芸品展入選。第14回日本工芸会近畿展入選。法隆寺昭和大修理「幡」製織。
昭和61年 第13回工芸産業技術コンクール入選。第10回全国伝統工芸品展入選。第15回日本工芸会近畿展入選。西陣織大会通産大臣賞受賞。
平成4年 薬師寺伎楽衣装縫織。
平成5年 西陣織大会中小企業庁長官賞。
平成6年 伝統工芸士認定。現在、様々な作品をコンクールに出品されております。

横浜市港南区にて人間国宝志村ふくみ、森口華弘、芭蕉布、宮古上布などの着物や帯、青葉区にて三味線。

             

神奈川県横浜市港南区にて人間国宝志村ふくみ、森口華弘、芭蕉布、宮古上布などの着物や帯、青葉区にて三味線をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は神奈川県横浜市港南区へ、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お母様が着ていらっしゃったお着物の出張買取でお呼びいただきました。人間国宝のものや芭蕉布、宮古上布など、当社で買取を強化しているお着物が多数ございました。他社と相見積もりでしたが、一点一点丁寧に査定させていただき、全て当社で買取させていただきました。画像上から、人間国宝:志村ふくみ(しむらふくみ)の草木染紬織、人間国宝:森口華弘(もりぐちかこう)の手描き友禅黒留袖、人間国宝:森口邦彦(もりぐちくにひこ)の蒔糊友禅訪問着、人間国宝:羽田登喜男(はたときお)の木賊におしどり文名古屋帯、人間国宝:山田貢(やまだみつぎ)の色留袖、人間国宝:中村勇二郎(なかむらゆうじろう)の江戸小紋、人間国宝:中村勇二郎(なかむらゆうじろう)の宇治平等院梵鐘文江戸小紋、人間国宝:与那嶺貞よなみねさだ)の読谷山花織、琉球紅型人気作家:城間栄順(しろまえいじゅん)の紅型名古屋帯、芭蕉布(ばしょうふ)、宮古上布(みやこじょうふ)二点。素晴らしいお着物や帯ばかりでした。他にも人間国宝や伝統工芸士の作品、大島紬や結城紬など証紙付きのお着物がございました。残念ながら何点はシミが出てしまっておりましたが、全て買い受けさせていただきました。また、反物や道明新兵衛の帯締めなど和装小物も買い取らせていただきました。良いお着物が多数ありましたので、査定にお時間が掛かってしまいましたが、最後までお付き合い下さり有難うございました。またお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。
本日二件目は、横浜市青葉区へ、お琴の買取でお呼びいただきました。お売りいただいた三味線は、一点がお稽古用、一点が演奏用の三味線。演奏用の三味線は、子持ち綾杉彫りの地唄三味線。和楽器の買取も厳しくなってきてはおりますが、まだまだ需要のある良い三味線でした。付属のケースや撥なども併せてお売りいただきました。お母様が大切にされていた三味線、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名いただき有難うございました。
遅い時間になってしまいましたが、今日は牛角さんで本日一食目の食事をしました。スタッフのN尾氏にはいつも頑張ってもらっておりますので、久々焼肉に連れていきました。牛角さんの焼肉、チゲ鍋、どれも美味しかったです。明日はお売りいただいたお着物の仕分け、出張見積もりなど、また一日頑張ります!

東京都世田谷区にて、本場黄八丈、曽根武勇のお召、袋帯など着物や和装小物など。

     

東京都世田谷区世田谷にて、本場黄八丈、曽根武勇の西陣織御召訪問着、袋帯、与那国伝統織物花織、久米島紬など着物や和装小物など多数お売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。先月末にお問い合わせいただき、本日ようやく出張買取にお伺いすることが出来ました。京都出張などでお待たせしてしまい大変失礼しました。本日お売りいただいたお品は、作家物などのお着物や帯、和装小物、北村西望のブロンズ額など。叔母様からいただいたというお着物、大変状態の良いものが多く、また当社で買い取りを強化している人間国宝、作家物のお品が多くございました。大変良いお品でしたので、数時間かけ一点一点丁寧に査定させていただきました。残念ながら丈が短かった為、お客様のご希望の額には若干届きませんでしたが、精一杯の査定額で全て買い取らせていただきました。羽織や襦袢などはなかなかお値段の付けられないものですが、こちらのお品は良いものが多く、全て買い取らせていただきました。査定終了までの長いお時間お付き合い下さり有難うございました。
本日は世田谷区の出張帰りでしたので、出張帰りに上北沢にある長浜らーめんさんへ寄りました。近所に出張帰りに来た時には、いつも寄らせてもらってます。タマネギをたっぷり入れてもらうととても美味しいです。また寄らせていただきます。

曽根武勇(そねぶゆう)
西陣織といえば袋帯などの「帯」の産地としてとても有名ですが、織物の着物として西陣で作られているのが「御召(おめし)」です。「御召」の名称は徳 川11代将軍、家斉(いえなり)公が好んで着装され、身分の高い人がお召しになったことから織物の名前になったと伝えられています。
曽根武勇(そねぶゆう)は、味のある手のこんだ様々な御召を手織されている数少ない作家。これまでに着物雑誌に幾度となく紹介されております。70歳を超えて、なお、現在も現場でご活躍されています。
昭和20年 静岡県焼津に生まれる。
昭和38年 静岡県立浜松工業繊料卒。学卒後全国物産地を見閉、各地の染織者を訪ねる。
昭和59年 染織工房田歌設立。
昭和60年 第9回全国伝統的工芸品展入選。第14回日本工芸会近畿展入選。法隆寺昭和大修理「幡」製織。
昭和61年 第13回工芸産業技術コンクール入選。第10回全国伝統工芸品展入選。第15回日本工芸会近畿展入選。西陣織大会通産大臣賞受賞。
平成4年 薬師寺伎楽衣装縫織。
平成5年 西陣織大会中小企業庁長官賞。
平成6年 伝統工芸士認定。現在、様々な作品をコンクールに出品されております。

本場黄八丈(ほんばきはちじょう)
東京都八丈島で作られている絹織物。「黄八丈」は八丈島で「黄八」と呼ばれている山吹色の黄色を主とした縞や格子柄の絹織物。
本場黄八丈の特徴は「黄」、「樺(かば)」、「黒」の三色を用い、技と職人の手織りで生まれるという点です。本場黄八丈は「ふしづけ」や「あくつけ」、「泥つけ」と呼ばれる「染め」が特徴的で染めに使う色は黄、樺、黒の三色のみです。理由は、八丈島の厳しい自然の中で得られる染料が三色だけだったためと言われています。
草木染めの原点とされる黄八丈の黄染にはコブナグサ、樺染は島でマダミと呼ばれるイヌグスの樹皮、黒染にはシイの樹皮を使いますが、いずれも八丈島に自生するものです。
鮮やかに発色させ、色落ちしにくい染めにするには椿や榊(さかき)の灰汁あるいは泥などを使った媒染(ばいせん)が欠かせません。染めた糸は糸くり(いとくり)や整経(せいけい)の作業をしてから高機(たかはた)で無地や格子縞を手織りすると、渋めの優雅な織物が誕生します。本場黄八丈の格子縞は八丈島の伝統的な柄です。
1977年(昭和52年)に本場黄八丈は経済産業省指定伝統的工芸品に指定されています。

与那国花織(よなぐにはなおり)
与那国花織は、沖縄県の与那国島で織られる織物。与那国島では500年ほど前から織物がされたといわれ、琉球王朝時代には「人頭税」といわれる厳しい取立ての元,、首里王府への貢納品として納められてきました。与那国花織の特徴は、花もしくは星とよばれる小さな四角い点の集まりで織り出される柄です。基本的に一人で染色から機織すべての工程を行うので、ふたつと同じものがないといわれております。
与那国花織は、格子縞に浮文織りで小さな花または星文様を織り出します。浮文織は、地織になる経糸・緯糸と別に、文様を表すための糸を織り幅いっぱいに通して織られます。与那国花織には地となる緯糸の他に加えた糸を表に浮かせておる緯浮花織と、地の緯糸が浮く両面浮花織があります。両面浮花織ですと、生地の表と裏の両面に文様があらわれます。 与那国花織に用いられる糸の染料は、島で採れるフクギ、シャリンバイ、アカメガシワ、インド藍などの植物染料です。
花模様、星模様は小さな点の集合で、点が四つのものをドゥチンバナ、五つものもをイチチンバナ、八つのものをダチンバナと呼び、その種類は10種類以上になるそうです。 星の集まりによる、直線的な構図にあらわれる細かな花模様と格子縞の合わさった織り柄は、与那国の自然を写した美しい織物です。
1987年(昭和62年)に国の伝統的工芸品に指定されました。

久米島紬(くめじまつむぎ)
沖縄県久米島町で作られている織物。
久米島紬の特徴は、素朴でしなやかな風合いと独特の深い色調です。久米島紬の制作は、図案の選定、染色の原料の採取、糸の染め付け(そめつけ)、製織(せいしょく)のすべての工程を1人の織子(おりこ)が手作業で行います。
使用する糸は、紬糸(つむぎいと)か引き糸のいずれかで、島内に自生している植物を使った「草木染め(くさきぞめ)」や「泥染め(どろぞめ)」という手法で染め付けます。紬糸とは、繭(まゆ)から生糸(きいと)を作る際に使用できない屑繭(くずまゆ)を真綿(繭を綿のような状態に引き伸ばしたもの)の状態にして、撚り(より)をかけて手紡ぎ(てつむぎ)した糸のことで、引き糸とは、繭から生糸を手で引き出したものです。
天然染料を使うことで、織り上がった久米島紬は、洗うたびに染料の灰汁(あく)が抜けていき、色が冴えてますます美しい色合いになっていきます。
また、絣模様(かすりもよう)に織り上げるために糸に色を付ける部分と付けない部分を細かく染め分けなければなりません。色を付けない部分には、事前に木綿の糸を巻き付ける「絣くくり(かすりくくり)」という工程を行います。非常に繊細で根気のいる作業で、一般的な紬や絣は機械を使用して「くくり」を行う場合が多いですが、久米島紬の場合は、「絣くくり」の工程もすべて手作業で行います。
2004年(平成16年)、伝承されている製作技術が重要無形文化財に指定され、久米島紬保持団体(技の保存と伝承者の養成を行っている団体)が重要無形文化財保持団体に認定された。

東京都世田谷区成城にて、銀座越後屋の訪問着や帯など。

東京都世田谷区成城にて、銀座越後屋の訪問着や帯など、お着物をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は東京都板橋区大山西町へ、お着物、茶道具、掛け軸、贈答品、海外のデザイナーズ家具などの見積もりへ行きました。江戸千家茶道の先生をされていたお客様でしたので、多数のお着物や掛け軸(茶掛け)などございました。本日は台風の影響もあり、別日に再度買取へ伺うこととなりました。後日また、よろしくお願い致します。二件目は世田谷区成城へお着物の買取でお呼びいただきました。お売りいただいたお着物は、呉服の老舗銀座越後屋さんのお着物や帯など、訪問着、留袖、和装小物などまとめてお売りいただきました。多少シミや汚れのあるものもございましたが、良いお着物でしたので全て買い取らせていただきました。銀座越後屋は宝暦5年(1755年)初代が呉服店を創業して以来、260年以上もの間老舗呉服店として知られております。1755年に京橋南伝馬町において暖簾などを染める藍染屋を始め、のちに名を甚右衛門と改め、太物(木綿物)から呉服(絹物)へと広げてまいりました。その後2代目の時に現在の銀座2丁目に店舗を移し、今日まで同じ場所で商いを致しております。6代目の時には関東大震災によって店が全焼してしまいましたが、現在も同じ場所で営業を続けております。2007年8月には老朽化に伴う全面建て直しを開始し、2010年に現在の新店舗が完成しました。銀座越後屋はどの時代においても銀座という「ちょっとお洒落をして出掛けたい街」に似合う着物を提案し続けてます。古きものを大切にし、そこに新しい血を取り入れた「銀座のきもの」を紹介する呉服店として今も昔も変わらないスタイルを貫き通しています。六角堂では、銀座越後屋をはじめ、むら田・ますいわ屋・やまと・銀座きしや・銀座越後屋・ゑり善・銀座もとじ・銀座志ま亀・銀座伊勢由・銀座ちた和・銀座もとじ・青山みとも・紬屋吉平・岩田屋など、有名老舗呉服店のお着物を強化買取りしております。タトウ紙など、老舗呉服店で購入したと証明できるものを、着物と一緒にお出しいただけると、査定時に金額がアップしますので併せてお出しください。本日は素敵なお着物をお売りいただきありがとうございました。
本日の昼食は、板橋区大山町にあるお蕎麦屋さん「田中屋」さんへ行きました。肉南蛮そばをいただきましたが、とても美味しかったです。こちらではうどんも麺にコシがあり、とても美味しいようです。次はうどんを食べにまた寄りたいと思います。明日は台風のため、一日お休みいただきます。大型の台風のようですので、皆様気を付けてお過しください。