東京都練馬区春日町にて、中島宏の水指、波多野善蔵、西岡小十の茶碗、伊勢崎満の花生など。

東京都練馬区春日町にて、人間国宝中島宏の青磁水指、波多野善蔵の萩茶碗、西岡小十の絵唐津茶碗、伊勢崎満の備前細口花生、贈答品、チーク材のテーブルなどお売りいただきました。

先日遺品整理でお呼びいただいたお客様より、再度出張買取のご依頼をいただきました。今回もまた、お父様、お母様が大事にされていたお茶道具や陶芸作品をお売りいただきました。数多く所有されるお道具の中から、一点一点査定し、買い受けさせていただきました。買い取らせていただいたものの中には、重要無形文化財(人間国宝)である中島宏の作品をはじめ、色々な作家物の作品がございました。陶芸作品の他にも、チーク材のテーブル、贈答品、食器、衣類、火鉢なども併せて買い受けました。まだまだ所有されるお道具を、年内にまたお売りいただけるとの事、楽しみにお待ちしております。良いお道具をお譲りいただき有難うございました。練馬区のお客様宅へ向かう途中、埼玉県新座市にある富士山食堂へ寄らせていただきました。こちらは以前、三珍というお店でしたが、いつの間にかお店の名前が変わっておりました。本日の日替わりセット牛スジカレーにトンコク醤油ラーメンのセットをいただきましたが、すごいボリュームで満腹になってしまいました。次回は、満腹丼かワイルドステーキなるものをいただきたいと思います。
六角堂では、陶芸作品の買い取りを強化しております。ご自宅でずっと眠っている陶芸作品をお持ちの方は陶磁器買取に経験豊富な六角堂をお呼びください。査定のみでも結構ですので、たくさんのご依頼お待ちしております!東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。数量が多い場合、他にも美術品・骨董品などの鑑定物がある場合は全国出張可能です。

中島宏 (なかじま ひろし)1941年(昭和16)~(現在)
日本現代陶芸界を代表する青磁斯界の第一人者で、「中島青磁」、「中島ブルー」と呼ばれる独創的な作品は高い評価を受けており、中国青銅器に学んだ新しい造形の世界を追求しています。青磁釉層に発達した貫入に黒い顔料をにじませた郊壇官窯風の青磁も得意とします。
1941年 佐賀県武雄市に生まれる
1969年 弓野古窯跡に登窯を築いて独立
1977年 日本伝統工芸展で奨励賞を受賞
1984年 中国古陶磁研究所訪中団に参加。青銅器に感銘を受ける。
1990年 佐賀県重要無形文化財技術保持者に認定
1992年 日本陶芸の「今」百選フランス・パリ展に招待出品
1997年 佐賀県芸術文化功労賞を受賞
2007年 重要無形文化財(青磁)の保持者に認定

波多野善蔵(はたのぜんぞう)1942(昭和17)~(現在)
現代工芸界の重鎮であった吉賀大眉に師事して作陶の幅を大きく広げ、伝統的な古萩茶陶を追求した優れた作行や蹴轆轤の技術には定評があります。
釉薬を掛けずに焼き上げて鮮やかな橙色に発色させる「緋色」という技術を考案しました。
1942(昭和17)年、佐賀県唐津市に生まれました。
1968(昭和43)年、萩焼窯元・波多野家(波多野指月窯)の養子となりました。
1972(昭和47)年、山口県美術展で知事賞を受賞しました。
1974(昭和49)年、九州・山口陶磁展で第一席を受賞しました。山口県美術展で文部大臣奨励賞を受賞しました。
1975(昭和50)年、九州・山口陶磁展で第一席を受賞しました。
1978(昭和53)年、日本工芸会山口支部展で支部長賞を受賞しました。
1981(昭和56)年、日本伝統工芸展で日本工芸会奨励賞を受賞しました。日本工芸会正会員となりました。
1982(昭和57)年、山口県芸術文化振興奨励賞を受賞しました。
1986(昭和61)年、田部美術館「茶の湯の造形展」にて優秀賞を受賞しました。
1992(平成4)年、山口県選奨(芸術文化功労)を受賞しました。
2002(平成14)年、山口県指定無形文化財に認定されました。

伊勢崎満(いせざきみつる)1934(昭和9)~(現在)
弟の伊勢崎淳と共に岡山県重要無形文化財に認定されました。
古備前への探究心と彫塑で培った造形感覚を駆使し、円熟した陶技からはベテラン作家としての貫禄が伝わってきます。
作品によって登窯と中世の穴窯を使い分け、電気窯やガス窯は使用しない松割木による焼成にこだわっています。
1934(昭和9)年、伊勢崎陽山の長男として岡山県備前市に生まれました。
1957(昭和32)年に岡山大学教育学部特設美術科彫塑専攻を中退後、父に師事して本格的に備前焼に取り組みました。
1961(昭和36)年、弟・淳と姑耶山の古窯跡に備前で初めて中世の古窯(半地上式穴窯)を復元。
1964(昭和39)年、日本工芸会正会員となりました。
1972(昭和47)年、備前陶心会会長に就任しました。
1973(昭和48)年、緋襷花器が外務省に買い上げられ、中国の日本大使館に展示されました。
1974(昭和49)年、金重陶陽賞を受賞しました。
1984(昭和59)年、岡山日々新聞社文化賞を受賞しました。
1987(昭和62)年、日本工芸会中国支部審査員に就任しました。
1990(平成2)年、岡山県文化奨励賞を受賞しました。
1994(平成6)年、山陽新聞文化功労賞を受賞しました。
1998(平成10)年、田部美術館大賞「茶の湯の造形展」で大賞を受賞しました。

西岡小十(にしおかこじゅう)1917(大正6)年~2006(平成18)年
西岡小十は佐賀県唐津市に生まれました。本名を悟といいます。
古陶器に関する周到な研究に裏付けられた確かな技術力は、世界的権威のある陶磁研究家・小山冨士夫をも魅了し、「唐津焼の事なら知り尽くしている古唐津の神様」と言わしめ、荒川豊蔵には「唐津を熟知している西岡には何も言う事がない」と評されました。
世間の私利私欲とは無縁の無冠を貫いて絵斑唐津、梅華皮(かいらぎ)といった古唐津再興に邁進した、現代唐津焼の第一人者として不動の地位を確立しています。
茶陶を専門に焼き茶碗、花瓶、水指など風合い豊な情景を表現している。
1953(昭和28)年頃から古唐津を再現すべく、
唐津古窯跡の発掘調査を始めました。
1969(昭和44)年、小山冨士夫と親交を深めました。
1971(昭和46)年、小山冨士夫の指導を受けて「小次郎窯」を開窯しました。
1976(昭和51)年、荒川豊蔵が来窯しました。
1980(昭和55)年、藤原啓が来窯しました。
1981(昭和56)年、「絵斑唐津」の復元に成功しました。
荒川豊蔵の命名による「小十窯」を開窯しました。
1983(昭和58)年、「梅花皮唐津」の復元に成功しました。
1999(平成11)年、石川県辰之口町に加賀唐津「辰之口窯」を開窯しました。

東京都三鷹市にて、虫食い欅材水屋箪笥、桐箪笥、夏大島紬、結城紬などのお着物。

東京都三鷹市下連雀にて、虫食い欅材水屋箪笥、桐箪笥、夏大島紬、結城紬などのお着物をお売りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。桐箪笥や虫食い欅材水屋箪笥、お着物などをお売りいただきました。虫食い欅材水屋箪笥は、虫に喰われた欅材を使用した水屋で、雰囲気良く大変珍しいものでしたので、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けさせていただきました。お着物は、夏大島紬、結城紬、留袖、帯などを一点一点丁寧に査定し、買い受けさせていただきました。シミが出てしまっているものが多かったのですが、良いお着物でしたので全て買取りしました。お母様が大事にされていた思い出のお品との事、大事に次へと橋渡しさせていただきます。お忙しい中、六角堂をお呼びくださり有難うございました。海外から友人が来ておりますので、日本を楽しんでいただこうと、所沢市にある「釣船茶屋 ざうお 所沢店」へと招待しました。先日わたしの長男が釣りをしてきて釣りを極めたなどと言ってましたので、腕を試してあげようと家族も連れていきました。お店に入ると大きな生簀にたくさんのお魚が泳いでいて、釣った魚を調理していただき食べるというスタイル。早速息子に竿を持たせて餌を投入。なんと入れ食いでシマアジGET。次は真鯛を釣ってくれと投入後すぐさまシマアジGET。三投目もシマアジ・・・。こちらのお店、釣った魚はリリースできず、必ず食べなければいけませんので、色々な料理方法でいただくことにしました。刺身は活け造りですので、届いた直後は魚がピクピク動きます。海外の友人もこれにはびっくり。刺身も食べ慣れていないようでドキドキしましたが、とても美味しいと喜んでくれました。画像のサザエ、車海老もとても美味しかったです。高級魚が入れ食いでしたので、料金も驚きでしたが、何はともあれみんなに喜んでいただけたのでとても良かったです。
六角堂では、お着物の買い取りを強化しております。ご自宅でずっと眠っている反物や、なかなか日の目をみない着物をお持ちの方は着物買取に経験豊富な六角堂をお呼びください。査定のみでも結構ですので、たくさんのご依頼お待ちしております!東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。数量が多い場合、他にも美術品・骨董品などの鑑定物がある場合は全国出張可能です。

埼玉県上尾市にて服部織物の袋帯など、さいたま市で桐箪笥、人間国宝田村耕一の鉢など。

埼玉県上尾市にて京都西陣の名門服部織物の袋帯など、さいたま市南区にて桐箪笥や人間国宝田村耕一の鉢などお売りいただきました。

本日は、二件の出張買取。一件目はお片付け整理で京都西陣の名門、服部織物の袋帯含む帯数点、河童のお着物、木彫り置物などお売りいただきました。服部織物は200有余年にわたり、帯一筋で営んでいる名門、シミなどございましたが、買い取らせていただきました。お売りいただくお荷物をまとめていただいてましたので、すぐに査定することが出来ました。お忙しい中、ありがとうございました。二件目は、さいたま市南区で桐箪笥や人間国宝田村耕一の鉢などお売りいただきました。田村耕一氏はご存知、鉄絵の技法で重要無形文化財(人間国宝)になられた陶芸家。当社の強化買取り作家ですので、お客様にお喜びいただける査定額にて買い受けさせていただきました。桐箪笥は、砥粉の落ちが目立ちましたが、厚みのある総桐箪笥でしたので、買い受けさせていただきました。お引越し前のお片付けでお忙しい中、ご指名くださり有難うございました。倉庫へ戻る途中、花月ラーメンさんへと寄りました。期間限定の「戦国武将らぁめん家康公」に豚めしセットをいただきました。戦国武将らぁめん家康公は、徳川家康が好んだといわれる八丁味噌を用いたラーメン。名古屋名物の味噌煮込みうどんをイメージした具材で、濃い味好きのわたしにはとても美味しかったです。花月ラーメンさんは色々な期間限定メニューを出されており、毎回楽しみにしております。また寄りたいと思います。
六角堂では、服部織物をはじめ、龍村平蔵、川島織物、長島成織物、河合美術、織悦、萬葉さんの帯を探しております。ご不要の帯がございましたら、六角堂までお問い合わせください。着物の査定担当のものとお伺いし、査定させていただきます。

鉄絵(てつえ)
鉄絵は酸化鉄(鉄に生じるサビの成分)を含む絵の具で描かれるため銹絵(=錆絵:さびえ)とも呼ばれます。素焼きした素地に絵を描いて、その上に釉薬をかけ焼成します。これを釉下彩(ゆうかさい)といい下絵付けと呼びます。鉄絵は酸化鉄で下絵を描く技法といえます。中国では鉄絵のことを黒花(こっか)と呼ぶことがあります。ここでいう花とは「模様」という意味で、鉄絵が黒く発色することから黒花と呼ばれております。

田村耕一(たむらこういち)
富本憲吉に師事して陶芸を学んだほか、全国の窯場を回って修業。昭和28年栃木県佐野に築窯。日本工芸会陶芸部会長として陶壇をとりしきる一方、東京芸術大学教授として幾多の後進を指導。たしかな理論と豊かな人間性に定評があった。壺、皿、陶板を中心に青磁銅彩、白泥鉄絵銅彩、白磁、染付に独自の作境を切り開いてきた。陶画にすぐれ、陶板に優品が多い。昭和61年鉄絵で人間国宝。62年1月3日死去。68歳。

東京都練馬区旭町にて、桐たんす、大島紬などのお着物、高橋悦道書付中村正彦作伊羅保茶碗など。

東京都練馬区旭町にて、桐たんす、大島紬などのお着物、前大徳寺高橋悦道書付中村正彦作伊羅保茶碗「銘 無事」などのお茶道具をお売りいただきました。

お引越し前の片付け整理にてお呼びいただきました。桐箪笥をはじめ、お着物やお茶道具などをたくさんお売りいただきました。一か所にお品を並べていただいておりましたので、すぐに査定することが出来ました。お婆様が長年大事にされていた思い出のたんすが、次へとつながるとお喜びいただきました。お忙しい中、六角堂のご指名ありがとうございました。今日は志木の市場が開催日でしたので、帰りに寄らせていただきました。市場が終わった後、いつもお邪魔する朝霞市の大島屋食堂で、みんなで食事をして、先程帰宅しました。
六角堂では、茶碗、水差 、棗、茶入、香合、風呂、釜、花入、茶杓、菓子皿、銀瓶、鉄瓶、 茶棚、炉縁などのお茶道具を探しております。裏千家、表千家、武者小路千家、裏千家久田家、表千家堀内家、藪内家、遠州流、宗偏流、松尾流、江戸千家、大日本茶道学会などのお道具、作家物からお稽古用まで、お茶道具に関して幅広く取り扱っております。お茶道具の専門スタッフか、お見積もりにお伺いし、査定させていただきます。ご不要になりましたお茶道具がございましたら、六角堂までお問い合わせください。お客様にご満足いただけるよう、頑張ります!

高橋悦道(たかはしえつどう)和尚
昭和23年 復員後大徳寺僧堂へ瑞巌老師、雪窓老師に師事。
大徳寺派・明星寺(滋賀県大津市)

埼玉県熊谷市にて、桐箪笥、お着物、琉球紅型、谷脇仁光作赤珊瑚千手観音菩薩像(黒檀厨子)など。

埼玉県熊谷市にて、桐箪笥、お着物、琉球紅型、谷脇仁光作赤珊瑚千手観音菩薩像(黒檀厨子)などをお売りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。お婆様が大事にされていた桐たんす、琉球紅型のお着物や訪問着、留袖、紬、名古屋帯、反物、和装小物など、全て買い受けさせていただきました。また、黒檀の厨子に納められた谷脇仁光作赤珊瑚千手観音菩薩像などもお売りいただきました。大事にされていた思い出のお品、大事に次へと繋げていきたいと思います。お忙しい中、当社のご指名ありがとうございました。出張帰りに、熊谷市にある「麺場 田所商店 熊谷銀座店」さんへと寄りました。こちらは、以前談合坂SAや市川市へ出張した際にも寄らせていただいたお店で、麦味噌のラーメンスープがとても美味しいお店です。今日は、九州麦味噌肉ネギらーめんをいただきました。ご当地味噌を使った味噌ラーメン、味噌好きにはたまらないです。

琉球紅型(りゅうきゅうびんがた)
紅型は琉球王府、首里、浦添を中心に、婦人の礼装として、また神事に関する古式の服装として摺込みの手法で染められたのが、琉球紅型のおこりだといわれています。 その後、14~15世紀、中国や東南アジアとの海外交易により中国の印花布の技法や印度、ジャワなどの染色技法が伝わります。 やがて沖縄の気候風土と自然に育まれながら、沖縄独自の紅型が誕生しました。第2次大戦により壊滅的な打撃を受けましたが、戦後、紅型保存会の結成、沖縄びんがた伝統技術保存会の結成、昭和59年の国の「伝統的工芸品」の指定を経て、その振興が図られています。昨今では、着物や帯などの和装、日常装飾品、着尺、訪問着、振袖、帯地、他に壁掛け、風呂敷、のれん、掛軸、その他装飾品の用途も広くなり、沖縄県内外の人々から歓迎されております。

谷脇仁光
1958年 高知県生まれ
1980年 父、黄綬褒章珊瑚彫刻家谷脇利光に師事。雅号(仁光)を授かる。
1988年 珊瑚名作コンテストにおいて、観光連盟会長賞受賞。現在に至るまで数々の賞を受賞
2006年 高知県技能功労章受賞。
現在も、利光のもとで伝統工芸を継承し、数々の作品を生み出しております。

千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)
千手観音菩薩は「観音様」と呼ばれる観音菩薩の一種。「観音」は、観察の観、人々の声である音に由来します。
つまり、観音菩薩は人々を観察して救済する仏です。千本の手は観音様が無限に手を差し伸べる様子を表します。
千手観音の正式名称は千手千眼観世音菩薩と呼びます。一本の手に一つの眼が刻まれていることに由来し、千の眼は人々をしっかりと見て導くという意味がございます。

東京都武蔵野市にて、桐箪笥、日本人形、陶芸家廣瀬義之(師 藤本能道)作 色絵朝顔乃図香炉。

東京都武蔵野市にて、桐箪笥、日本人形、廣瀬義之(師 人間国宝藤本能道)作 色絵朝顔乃図香炉をお売りいただきました。

昨日は東京都清瀬市で、解体業者様にお呼びいただき、買取の物量が多かったので朝から一日作業となってしまい、買取事例の更新が出来ませんでした。
古酒、バカラのグラス、リヤドロのフィギュリン、マイセン、鼈甲のメガネなどの小物をはじめ、マントルピースや机、サイドボード、コレクションケースなどの家具を多数お売りいただきました。後日、商品を更新させていただきたいと思います。
本日は、東京都武蔵野市にてお引越し前の片付け整理にてお呼びいただきました。総桐の小箪笥、日本人形や博多人形、陶芸家廣瀬義之の色絵朝顔乃図香炉などを買い受けました。廣瀬義之氏は、色絵磁器で人間国宝になられた藤本能道氏を師に持つ陶芸家で、自身も色絵磁器をたくさん造られております。良いお品をお売りいただき、ありがとうございました。
作家物はもちろん、六角堂では作家の無い陶芸作品も買い取りしておりますので、ご不要の場合は、ご処分前にご連絡ください。作品に詳しい鑑定士がお見積りに伺わせていただきます。

廣瀬義之(ひろせよしゆき)陶芸家
1954 栃木県に生まれる。
1980 東京藝術大学工芸科卒業
1982 同大学工芸科大学院修了
1984 同大学工芸科研究生を経て、同大学非常勤助手となる。
1986 人間国宝・藤本能道氏に師事
1992 青梅にて独立し、作陶
1994 日本工芸会正会員 認定
1997 新宿高島屋にて「藤本能道・弟子たち展」出品
1998 日本橋三越 ホテルニューオータニにて逸品会展
(以後 00、’02、’06出品)
国際交流基金 作品買上
引き続き 日本橋三越にて「廣瀬義之セラミック展」
(以後 ’00、’02、’06開催)
2000 立川高島屋にて「藤本能道・門下生色絵磁器展」出品
2001 日本橋三越「陶・食のうつわ展」(以後 ’05出品)
2002 青梅市 作品買上
2003 日本橋三越にて「色絵磁器6人展」出品
2008 第3回菊池ビエンナーレ展入選
(菊池寛実記念智美術館・東京)
2011 佐野市立吉澤記念美術館(栃木県)にて
「小特集・廣瀬義之の色絵」展 開催
現在 日本工芸正会員

千葉県松戸市にて、金工師寿玉作 鋳銅製柿の置物、銀泉堂恵比寿大黒の置物など。

 

千葉県松戸市にて、金工師寿玉作 鋳銅製柿の置物、銀泉堂恵比寿大黒の置物などお売りいただきました。

本日は、千葉県船橋市へ桐箪笥、お着物の見積もり、松戸市へと置物などの出張買取をさせていただきました。松戸市は、解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。長火鉢や南部鉄瓶の他、木彫りや金工置物などを多数お売りいただきました。お忙しい中、ありがとうございました。千葉県内を移動途中、市川市にある「権左衛門」さんへと寄りました。鉄鍋らぁめんという看板につられ、お店へと入りましたので、もちろん鉄鍋ラーメンをいただきました。山菜やもやしなどがたくさん入っており、味噌というよりは担々麺風のラーメンで熱々のスープがとても美味しかったです。
ただいま六角堂では、金工作家のお品を探しております。
飴谷有珉、石黒光南、初代魚住為楽、内島青鳳、海野盛寿(凌雲斎)、海野勝珉、二代海野美盛、海野清、圓鍔勝三、大澤光民、大島如雲、大森雪峰英友、奥山峰石、香川勝広、鹿島一谷、鹿島秀広、桂盛仁、加藤忠三郎(紫金堂)、香取秀真、香取正彦、門脇喜平、金森映井智、金谷五郎三郎、加納夏雄、鴨下春明、菊池政光、北村静香、黒川栄勝、黒瀬宗康、高玉斎一久、小林親光、駒井音次郎、齋藤明、佐々木象堂、澤田宗味、正阿弥勝義、須賀松園、須賀月真、関谷四郎、紹美栄祐、鈴木長翁、鈴木盛久、高村豊周、田口壽恒、玉川宣夫、帖佐美行、塚田秀鏡、豊田勝秋、内藤四郎、中川衛、中杉与七、二橋衡、根来実三、野上龍起、般若勘渓、羽原秋芳、本間琢斎、蓮田修吾郎、増田三男、丸谷瑞堂、三好三治、村田整珉、米光光正、和田美之助、山田宗美
などの金工作品がございましたら、六角堂までお問い合わせください。豊富な知識と鑑定経験をもつスタッフが、一つ一つ丁寧に最大限の正当評価をさせていただきます。

東京都大田区西馬込にて、関西桐箪笥、お着物、金彩友禅作家 和田光正の書籍、額、浮世絵の本など。

   

東京都大田区西馬込にて、関西桐箪笥、お着物、金彩友禅作家 和田光正の書籍、額、浮世絵の本など買い取りさせていただきました。

お家の建て替え前のお片付け整理にてお呼びいただきました。現在はリサイクルが厳しくなっている天角のものでしたが、幅広の関西桐たんすでしたので、買い受けさせていただきました。他にも、お着物、浮世絵の本、贈答品などをお売りいただきました。四百年余りの伝統をもつ京都を代表する伝統技法〈金彩友禅〉。この華やかな世界を今に伝える金彩友禅作家「和田光正」の作品集に金彩の額なども買い受けました。色々なものをお売りいただき有難うございました。帰りに、デニーズさんで担々麺をいただきました。ファミレスの麺も美味しいですね。今日は三連休の最終日、出張などで子供たちを外へ連れて行くことが出来ませんでしたが、息子の友人のパパが、子供たちを連れて大黒海釣り公園へと連れて行ってくれました。息子にアジをと頼んでおりましたが、結果ウミタナゴにベラ・・・外道ばかりでしたが、堤防釣りでこの釣果は立派なものです。息子がようやく釣りに目覚め始めました。近いうち、ボート釣りにでも連れていこうと思います。

和田光正(わだみつまさ)
昭和15年5月  京都市に生まれる。
昭和37年1月  見習修業後、独立して工房を持つ。
昭和43年4月  第十三回京都彩芸服飾工芸作品
発表会に於て、帯、彩芸賞。
昭和58年1月  「横綱千代の富士関」の金彩友禅化粧廻し創作。
昭和60年12月  伝統工芸士に認定される。
平成13年11月  京都府伝統産業優秀技術者『京の名工』として表彰される。
平成15年10月  京都手描友禅協同組合設立。顧問に就任、現在に至る。
平成15年11月  卓越技能者『現代の名工』として表彰される。

先日、世田谷区成城で買い取らせていただきましたお茶道具。

   

先日世田谷区成城で買い取らせていただいた、茶道具をご紹介させていただきます。上から、裏千家14代淡々斎書付の裏千家11代玄々斎好 源氏棗。上が須磨で金蒔絵、下が明石で青金、胴の点前が松風で銀、客付は榊で金、裏向こうが東屋で赤になっています。蓋裏に表千家即中斎の花押の入った棗。志土呂焼の茶入「長生殿」。淡々斎書付玄々斎判竹蓋置、銘「千鳥」の茶杓など、時代茶道具を買い受けました。良いお茶道具をお売りいただき有難うございました。京都土産をいつもお世話になっている仕事の先輩のところに持って行くと、お礼にとびっくりドンキーさんへ連れて行ってくれました。牛鍋風鬼おろしバーグ、とっても美味しかったです。明日から出張買取が続きますので、たくさん栄養を取らせていただきました。ご馳走様でした!

志戸呂焼
志戸呂焼の名前は、その昔に静岡県の大井川の西金谷の宿一帯が志戸呂郷と呼ばれており、そこで作られた焼き物であったことから、地名をとって「志戸呂焼」と名付けられたもの。
この一帯では十二世紀前半(平安時代)から十三世紀後半(鎌倉時代)には山茶碗などが焼かれており、きつね沢古窯等が発掘されています。
十六世紀後半の天正十年(1582年)に駿河国を領有した徳川家康公が、美濃久尻の陶工・加藤庄右衛門影忠(後に五郎左衛門と改名)を招いたり、尾張瀬戸地方の陶工の移住によって、志戸呂焼の生産が本格的に行なわれたと考えられています。
その後、寛永年間(1624~1643年)に将軍家の茶道指南であった小堀遠州公が好みの茶器製作の御指導をなされ、すぐれた茶入・水指・茶碗・花入などを焼出されました。
小堀遠州に好まれ、”遠州七窯”の一つにも数えられ、全国的にその名が知られている焼き物。

玄々斎(げんげんさい)精中宗室 1810~1877
三河国領主松平乗友の子として生まれる。
1819年、奥殿藩松平家から裏千家10世認得斎の養子となり、認得斎や大徳寺大綱和尚の下で茶道はもとより、謡曲、香道、華道、和歌、書、国漢文に至るまで、多岐にわたり文学を学び自我の研鑽に努め、17歳の頃に10代認得斎の没に伴い宗室を襲名。認得斎長女まち子と結婚。
主な仕事としては、歴代の家業であった加賀金沢前田家や、伊予松山久松家にての茶道奉行の他、松平家出身ということも有り、尾張徳川家にも仕えている。
1839年の利休250年忌の法要茶会では、3千家の中心的宗匠として催し、それに伴い邸内の増築を行っている。
茶箱点や立礼式の創始、和巾点の復興など、明朗で積極的な人であった。立礼式は明治5年(1872年)の博覧会に際して外国人を迎えるための創案であり、また同じ年に『茶道の源意』を著して茶道は遊芸とする風潮を批判するなど、幕末から明治の変動の時代に合わせた茶道の近代化の先駆として評価されている。

京都府京都市へ出張。無事帰宅しました。

31日の夜より京都へと出張へ行き、先程埼玉へと帰省しました。今回も、道具屋さん仲間たちとお茶道具や骨董品などの勉強に行ってまいりました。ここ数年は京都への出張が多く、いつも茶道具商や骨董屋さんの先輩方に勉強を兼ねて食事に連れて行ってもらったりしてます。今回の出張でも、多くのことを教わり、たくさん勉強させていただきました。わたくし自身を含め、六角堂では日々勉強して成長していきたいと思います。いつもお世話いただき、とても感謝しております。画像は、 新東名高速道路浜松SAでしぞ~か(静岡)おでんをいただきました。京都に到着後すぐにえびす神社へと寄り、商売繁盛祈願をさせていただきました。最近は京都へ来た際に、必ず寄らせていただいております。京都のえびす神社は、西宮、大阪今宮神社と並んで「日本三大ゑびす」と言われており、地元の方は「えべっさん」と呼んでます。ゑびす様は商売繁盛の神として知られていますが、「商売はんじょ(繁盛)で笹持って来い!」の笹は、こちらの恵美須神社が発祥のようです。到着日の夜、京都市中京区にある「ステーキハウス 听 京都本店」さんへ先輩方に連れてっていただきました。こちらは前回来た際にもよらせていただいたのですが、すごくすごく美味しいお店です。平松牧場指定の熟成黒毛和牛で、ヒレ、リブロース、サーロインなどをいただき、贅沢させていただきました。先日、秘密のケンミンSHOWで見たのですが、日本一牛肉を食べる都道府県民は、なんと京都府民のようです。近くに神戸牛や近江牛などブランド牛の土地があるからのようですね。ケンミンSHOWを見てから意識して歩いていると、京都府にはたしかに牛肉料理のお店が多く見られました。次回来た時にも、牛肉料理をいただきたいと思います。ご馳走様でした!二日目は、朝から夜までひたすら勉強会、ホテルに戻ったのは三日の朝五時頃。ひたすら骨董品、美術品の勉強をしましたので、また少し成長できたのかと思います。お昼頃京都を出発し、いつも寄る土山SAのステーキ丼をいただきました。勉強会で疲れておりましたので、こまめに休憩をとりながら、先程無事帰省しました。また出張買取の日々が続きますので、お腹と気を引き締めて頑張ります!!次回は来年の一月に勉強会に参加する予定です。全国各地の古美術商の先輩方に色々とご指導いただいて、六角堂は日々成長しております。今後とも、ご指導、ご馳走よろしくお願い致します。