群馬県高崎市にて、在銘阿弥陀如来像、小野珀子の金襴手ぐい吞、宣徳銅の手炉など。

   

群馬県高崎市にて、刀田村在銘阿弥陀如来像、小野珀子の金襴手ぐい吞、大明宣徳年製銘の宣徳銅の手炉、軽井沢彫りのブックエンドをお売りいただきました。

お荷物整理にてお呼びいただきました。本日は久々の群馬県出張買取。関越道三芳PAから乗り、上信越道藤岡IC経由で向かいました。作者は不詳でしたが、阿弥陀如来像は円空仏のような姿で雰囲気の良い仏像でした。大明宣徳年製銘の手炉は、時代ある宣徳銅製のもの、当社で強化買取り中のお品になります。宣徳銅器(せんとくどうき)は明王朝最盛期に宣徳帝がシャム(現在のタイ)から真鍮を、日本から赤銅を輸入して作られたもの。こちらは近年造られた写し物になりますが、頑張り査定で買い取らせていただきました。小野珀子は、女性では2人目となる日本陶磁協会賞を受賞している陶芸家。金彩による煌びやかな装飾を施す釉裏金彩(ゆうりきんさい)や金襴手(きんらんて)などを得意とし、数多くの美しい作品を世に残された人気作家です。もちろんこちらも当社で強化買取り中のお品となってます。他にも、堆黒の印籠(こちらも近年造られたものでした)、蒔絵の入った時代琴、掛け軸や額などございましたが、こちらはまた後日お呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしてます。帰りにお客様にこの地域で有名なお食事をお聞きした所、藤岡ラーメンというラーメンが近年人気が出ているとの事でしたので、早速ネットで検索。藤岡市にある「みやご食堂」さんというお店が有名なようでしたので、早速向かいました。しばらく走ってようやく到着すると、なんと準備中。とても残念でした。こちらはまたお呼びいただいた時に必ず寄りたいと思います。藤岡らーめんを諦め、関越道にのり上里SAへ寄りました。以前寄った際にも食事をした「上州ぽ~く亭」さんで上州豚のカツ丼をいただきました。サクサクのカツにとろとろ玉子がとても美味しかったです。今日はひな祭りでしたので、娘に桜あられなどのお土産を買って帰りました。長男はフットサルの試合で優勝してきたようです。明日は埼玉県川口市へ出張買取、夕食は家族で祝い飯をします。

小野珀子(おのはくこ)1925(大正14)年~1996(平成8)年
日本を代表する女流作家で金箔を大胆かつ繊細に使った釉裏金彩や金襴手を得意とし、その華麗な手法と現代的感覚を複合させた豪華絢爛で幽玄な世界観を展開しています。
釉裏金彩とは焼成した磁器の表面に金箔を低温で焼き付け、更に金箔を安定させる為に上から低温で熔ける釉薬を掛けて再び低火度焼成する技法です。
図案構成された金箔が青や黄色の色釉の下から艶やかで幻想的な光彩を放っています。
1925年小野珀子は小野琥山の長女として愛知県に生まれました。
1931年に父が勤務していた名古屋製陶所を辞職し、福島県大沼郡会津美里町瀬戸町に琥山製陶所を設立して一家は移住しました。
不況な時代であった事も重なって父の経営は困難を極めますが、1939年に佐賀県嬉野市嬉野町下宿に小規模ながら琥山製陶所を移設しました。
珀子だけは福島県に残って女学校卒業まで叔父の許に預けられました。
1943年、会津若松高等女学校を卒業後、嬉野に戻って家業に従事しました。
その頃の琥山製陶所は有田の問屋が盛んに買い付けるようになって活気を帯びていました。
1948年に東京の大串家に嫁いだのですが、1960年に協議離婚して嬉野に戻り、父の琥山製陶所デザイン室に勤務しました。
1964年 現代国際陶芸展での加藤土師萌の釉裏金彩作品を見て感激し、自身も釉裏金彩の研究を始める。
1970年 九州山口陶磁展で第一席、日本工芸会西部工芸展朝日銅賞、九州毎日陶芸展準大賞
1971年 日本工芸会西部工芸展朝日金賞、佐賀県展第一席
1973年 日本陶芸展第一部優秀作品賞など受賞し
1981年 女性陶芸家としては2人目となる日本陶磁協会賞を受賞
1970年 日本伝統工芸展初入選以来同展に入選を重ねている(日本工芸会正会員)。
1992年 佐賀県指定無形文化財の認定