埼玉県さいたま市大宮区にて、お着物、帯留めなどの和装小物、二十一世堆朱楊成(堆朱克彦)の彫漆帯金具「雉」をお売りいただきました。

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埼玉県さいたま市大宮区にて、お着物、帯留めなどの和装小物、二十一世堆朱楊成(堆朱克彦)の彫漆帯金具「雉」をお譲りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。六角堂では、桐箪笥、和たんすをはじめ、お着物や和装小物を探しております。また、骨董品・古美術品を強化買取り中でございます。

堆朱 楊成(ついしゅ ようぜい)は、南北朝時代から現代まで続く堆朱工で21代を数える。その名の通り、堆朱を極めてる世界的に有名な堆朱工の家督であり、茶道具買取の世界でも高い評価を獲得し続ける存在として知られています。現在では、21代となっており、伝統的な部分は勿論ですが、代によっての新たなアプローチが様々な加えられ、その技術力の高さは目を見張るものがあると、絶賛されている事が特徴です。
初代-長充(ちょうじゅう) – (生没年不詳)足利氏の臣で1360年初めて堆朱を作る。元の名工張成と楊茂から一字ずつとり楊成と号した。
2代-長辰(ちょうしん) – 足利義政に仕える。応永から嘉吉時代に存命。
3代-長貞(ちょうてい) – 同じく義政に仕え、茶器を作る。長享年間に70代で死去。
4代-長嗣 – 応仁から明応時代に存命。
5代-長繁 – 文亀から永正時代に存命。
6代-長秀 – 大永から永禄時代に存命。
7代-長親 – 豊臣秀吉に仕えて茶器を作る。これを難波彫という。元和時代に鎌倉で死去。
8代-長宗 – 彫漆に厚貝、青貝をいれてほりあげた独自の作風で知られる。江戸へ出る。1654年8月24日に没。
9代-長善承応時代に楊成を継ぐ。1680年8月13日に没。
10代-長是 – 徳川綱吉に仕え、以後代々徳川家に仕える。1719年4月26日に没。
11代-長盛 – 1719年に楊成を継ぐ。17年間徳川家に仕える。1735年9月30日に没。
12代-長韻 – 1735年に楊成を継ぐ。31年間徳川家に仕える。1765年5月22日に没。
13代-長利 – 1765年に楊成を継ぐ。1779年10月24日に没。
14代-均長 – 1780年に楊成を継ぐ。1791年6月23日に没。
15代-長蔭 – 1791年に楊成を継ぐ。1812年2月2日に没。
16代-長英 – 1811年に楊成を継ぐ。10年間徳川家に仕える。1848年11月8日に没。
17代-長邦 – 1820年に楊成を継ぐ。晩年剃髪し浄友を号とした。1858年8月11日に没。
18代-国平 – 通称は平八郎、のち平十郎。文久2年(1862年)、日光東照宮の修理に携る。1860年に楊成を継ぐ。明治維新で一時廃業。1890年3月8日に没。
19代-経長 – 18代の長男、通称は好三郎。1866年12月生まれ、堆朱技法を研究し再興を計る。1896年11月8日に没。
20代 – (1880年8月28日 – 1952年11月3日)18代の次男。幼名・豊五郎。19代に学び、絵画を佐竹永湖、彫技を石川光明に学ぶ。1896年、20代堆朱楊成を襲名。1927年帝展第四部(美術工芸)創設され出品、1928年緑綬褒章受章、1933年帝展審査員、1937年より文展に出品、1946年より日展に出品、1950年日本芸術院会員。
21代-克彦