千葉県船橋市にて十八世紀 英国民芸硝子花生、岩田久利の花瓶、反物など。

     

千葉県船橋市にて十八世紀 英国民芸硝子花生、岩田久利の手吹硝子花瓶「雪牡丹」、反物などをお売りいただきました。

美術品や反物などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、十八世紀 英国民芸硝子花生、岩田久利の手吹硝子花瓶「雪牡丹」、反物など。反物は都喜ヱ門の本場大島紬や結城紬など。状態の良いものでした。18世紀のイギリスアンティークガラス花生は乗馬の図柄。アンティークで大変雰囲気の良いお品。ガラス工芸家 岩田久利の作品は手吹硝子花瓶「雪牡丹」。奥様である糸子の識箱。岩田久利の代表作品の一つであります。岩田久利はガラス工芸家 岩田藤七(いわたとうしち)の長男。妻は、ガラス工芸家の岩田糸子。長女は、イワタルリ。次女は、岩田マリ。東京美術学校工芸部図案科に学び、在学中の同24年第5回日展に「硝子ぶどうの鉢」で初入選。以後、日展に出品を続ける。同26年東京美術学校を卒業。制作のかたわら、東京工業大学でガラスの組成を研究します。同30年第11回日展に「藻」を出品して特選、同31年第12回同展には「萌生」を出品して二年連続特選。同30年より光風会にも出品。同33年日展会員となり、同年からたびたび日展審査員をつとめる。同47年日本ガラス工芸会を設立し、同年より同52年までその初代会長をつとめる。同51年第8回改組日展に「孔雀文大皿」を出品して文部大臣賞を受賞。同57年毎日芸術賞を受賞し、同58年「聖華」で日本芸術院賞を受賞。 父が創立した岩田工芸硝子を継ぎ、社長をつとめつつ制作を続け、斬新で優美な作風を示した。宙吹きガラスを得意とし、国際的にも高い評価を得た。六角堂でも買取を強化している作家さんの一人であります。素晴らしい作品、反物をお売りいただき有難うございました。

岩田久利(いわたひさとし)1925年12月18日~1994年1月8日
1925年 東京新宿弁天町に二代目岩田藤七の長男として生まれる
1939年 小寺健吉画塾に学ぶ
1941年 廣川松五郎に師事、デザインを学ぶ。伊藤熹朔に師事
1942年 和田三造に師事、デッサン、図案を学ぶ。春台美術・本郷研究所に通う
1944年 東京美術学校工芸部図案科入学
1946年 外山卯三郎に西洋美術史およびバウハウス・デザイン運動の理論につき個人教授を受ける
1947年 阿部俊夫(東芝電気ガラス研究所室長)にガラスの科学的基礎を学ぶ
1948年 東京工業大学窯業科ガラス研究室研究生、森谷太郎教授にガラス組成の指導を受ける。株式会社岩田硝子製造所入社
1949年 第5回日展初出品。初入選、以後毎年出品、連続入選。糸子(旧三井物産社長山本正男長女)と結婚
1950年 東京工業大学窯業科ガラス研究室研修修了
1951年 東京美術学校工芸部図案科卒業
1953年 岩田工芸硝子株式会社に社名変更、代表取締役社長となる
1955年 第11回日展特選受賞。国際工芸美術家協会設立、初代理事長。カリフォルニア州博覧会・ブラッセル博覧会にて金賞受賞
1956年 第12回日展特選受賞
1957年 財団法人日本デザイン協議会理事。財団法人世界デザイン会議日本運営設立準備委員
1959年 第2回日展審査員。以後数回
1963年 武蔵野美術大学講師。窯業協会理事(~1967)
1966年 第7回国際ガラス会議年会参加。
1968年 日本硝子製品工業会評議員
1971年 初の個展開催
1972年 日本ガラス工芸協会創立、初代会長。日展評議
1973年 社団法人窯業協会理事(工芸担当)
1974年 現代工芸美術家協会評議員
1975年 第1回「資生堂現代工藝展」に出品。以後毎回出品。岩田工芸硝子株式会社社長を糸子に譲り、ガラス制作に専念する
1976年 第8回日展文部大臣賞受賞。労働省より技能者表彰審査員委嘱される。
1979年 紺綬褒章受章
1981年 ホテルニューオータニ鶴の間にガラスによる大装飾壁面製作
1982年 第23回毎日芸術賞受賞。第38回日本芸術院賞受
1986年 ニューヨークメトロポリタン美術館20世紀Design and Architecture部門に藤七・久利・糸子作品が永久収蔵される
1993年 最後の個展開催。日展及び資生堂現代工藝展に最終出品
1994年 1月8日永眠。68歳。