月別アーカイブ: 2020年3月

東京都大田区東雪谷にて、石踊達哉の紙本彩色画、コムサデモードの付下げ。

   

東京都大田区東雪谷にて、石踊達哉の紙本彩色画「みをつくし」、コムサデモードの付下げ、振袖をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お着物、絵画のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、石踊達哉の紙本彩色画「みをつくし」、リトグラフなどの絵画、コムサデモードの付下げ、振袖、和装小物など。たくさんのお品をお売りいただきました。一点一点丁寧に査定させていただき、お客様にご満足いただける査定額で買い取りさせていただきました。中でも石踊達哉の絵画の査定額にお喜びいただけたようでとても良かったです。保管状態も良く、タトウ箱もございましたので、高額査定と繋がりました。タイトルは「みをつくし」、サイズは6号、紙本彩色の絵画です。石踊達哉の伝統的な花鳥風月を現代感覚で流麗な作品に昇華させる作風は「平成琳派」とも称され、国内外問わず、高い評価を得ております。本作品は人物裸婦でありますが、やはり石踊達哉作品は「秋野」、「秋草」などの花鳥風月作品の方に高価査定が付きやすい傾向にあります。とはいえお客様に想像以上の査定とお喜びいただけましたので、頑張ったかいがありました。絵画では他にもジャンセンのリトグラフなどを併せてお売りいただきました。お着物はコムサデモードの付下げ、振袖、和装小物などをお売りいただきました。どれも保管状態が良く、一点一点査定を付けることができました。お客様の大切にされていた絵画、お着物など、大切に次へと繋げさせていただきます。本日は当社をご指名くださり有難うございました。
帰宅途中、いつも寄らせていただいている世田谷区にある「長浜ラーメン」さんへ寄りました。とんこつ味噌に玉ねぎトッピング、麺はバリカタ、わたしの至福の時です。また寄らせていただきます。

石踊達哉(いしおどりたつや)
1945年 満州に生まれる。終戦後帰国し、18歳まで鹿児島で育つ。
1970年 東京芸術大学大学院修了。
1974年 創画展に出品。
1976年 春季創画展で春季展賞受賞。
1977年 山種美術館賞展に出品。
1980年 東京セントラル美術館日本画大賞展に招待出品。
1988年 パリにアトリエを構える。
1990年 「両洋の眼 現代の絵画展」に出品。
1998年 瀬戸内寂聴と「源氏物語」展に描き下ろし五十四帖原画を出品。
2001年 Contes d’ici et de l’au-dela展(ニース・アジア美術館)
2007年 金閣寺方丈の杉戸絵及び客殿格天井画を任される
2006年 「両洋の眼 心に残る美術展」に出品。
2011年 三十三間堂障壁画完成記念展(日本橋三越他)開催
現在、日本美術家連盟会員

千葉市緑区にて頓所芳男 加茂桐箪笥、着物、船橋市にて黒田悦子の油彩画。

      

千葉県千葉市緑区にて頓所芳男 加茂桐箪笥、着物、船橋市にて黒田悦子の油彩画をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は業者様のご紹介で、千葉県船橋市へ絵画の出張買取でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、女流画家黒田悦子の油彩画「菖蒲」。サイズは四号。趣ある色調で「菖蒲」を描いております。作品左下に「書き印(悦)」あり。黒田悦子画伯は一枚の絵にも取扱いされている人気の作家さんです。作品の状態も良く、お客様にご満足いただける査定額で買い取りさせていただくことが出来ました。本日二件目は千葉市緑区へ、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、桐たんす、お着物をお売りいただきました。お売りいただいた桐たんすは、新潟県加茂市で作られている伝統工芸品加茂桐箪笥、天丸昇り箪笥という形のたんすで、当社でも数多く取り扱う高級桐たんすになります。伝統工芸士である頓所芳男(とんしょよしお)の作。所々に砥粉落ち、シミ、小傷などございましたが、当社で買い取りを強化している桐たんすですので、買い取らせていただきました。他にもお着物がございましたが、残念ながらシミが出てしまっているものが数点ございました。シミの少ないものもございましたので、全て買い受けさせていただきました。ご家族の思い出の桐たんすやお着物、大切に次へと繋げさせていただきます。本日は、六角堂のご指名ありがとうございました。
帰宅途中に千葉東金道路野呂パーキングエリアへ寄り、食事をしました。豚骨醤油ラーメンにミニカレーのセット、ボリュームたっぷりでとても美味しかったです。千葉県特産品の落花生をお土産に買って帰りました。

黒田悦子(くろだえつこ)1942年~
1942年 宮城県・石巻市に生まれる。
1962年 女子美術大学付属中等科入学。
1965年 大調和展初入選。
1968年 大調和展新人賞受賞。
1972年 女子美術大学卒業。
1974年 シェル美術展佳作受賞。
1975年 大調和展大調和賞受賞。
1976年 大調和展武者小路賞受賞。
1977年 大調和展武者小路実篤賞受賞、大調和会委員推挙。
1988年 大調和展文部科学大臣賞受賞。
1995年 大調和会運営委員推挙、シェル美術賞展佳作受賞。
現在、大調和会運営委員。

東京都武蔵野市にて喜多敏勝の音声菩薩像、神保豊の大黒天尊像など。

 

東京都武蔵野市にて喜多敏勝の音声菩薩像(天上の音色)、神保豊の大黒天尊像などブロンズ像、桐箪笥、反物などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お父様が集めていた仏像の他、桐箪笥や反物などをご処分されたいとのことでご連絡いただきました。お売りいただいた仏像は喜多敏勝の音声菩薩像(天上の音色)、神保豊の恵比寿尊像。いずれも高岡銅器のブロンズ製品でございます。名工 喜多敏勝の横笛を奏でる観音様は音声菩薩像。東大寺の大仏殿。その前庭の回廊に構える国宝「金銅八角燈籠」にはすばらしい4人の音声菩薩が表現されています。八面の火袋の四面に浮き彫りにされている音声菩薩像は、笙(しょう)・横笛・銅跋子・尺八などをそれぞれ奏でています。本品は横笛を奏でる音声菩薩をモチーフに天上の音色”と題しブロンズ像で復刻されております。蝋型青銅製で緻密に鋳造し、一品一品手仕上げによる漆着色を施した逸品です。ふくよかな容姿で、衣のなびきは、爽やかな風を、横笛を奏でる表情は、素敵な音色を感じ取れるように制作されてます。彫刻家神保豊の作品は鍍金の大黒天尊像。共箱と思われておりましたが、箱書きを見ると恵比寿尊像。残念ながら箱と本体が入れ替わったまま、一点は紛失されてしまったようです。恵比寿尊像、大黒天尊像はともに七福神の一つで、大黒天は福徳や財宝を与える神とされ、低い頭巾(ずきん)をかぶって、右手に打ち出の小槌(こづち)を握り、左肩に大きな袋を背負って米俵の上に立っている。恵比寿の方は烏帽子(えぼし)に狩衣(かりぎぬ)、指貫(さしぬき)のいでたちで、通常鯛を釣り上げる姿に作られる。二神は商家の福の神として祀(まつ)られることが多く、七福神の中で最も親しまれております。合わせ箱となってしまいましたが、こちらも買い受けさせていただきました。桐箪笥は相徳のもの。ややシミが出てしまってましたが、こちらも買い取りしました。反物は紬や帯反など。全て買取させていただきました。お引越しで泣く泣くのご処分とのこと、大事にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名くださり、誠に有難うございました。
本日は市場開催の日でしたので、出張買取の後に市場へ寄り、仲間達と夕食に行きました。大宮駅の側にある「3匹のひつじ」さんでジンギスカンの食べ放題。ラム肉はとてもヘルシーですので、たくさん食べるわたしにはもってこいです。とはいえ食べ放題でとても美味しかったので、お腹いっぱい食べてしまいました。ジンギスカンの味が染みたもやしに塩むすびがとても美味しかったです。

喜多敏勝(きたとしかつ)
昭和29年9月、勅許御鋳物師 藤原朝臣喜多家三十代目 万右衛門の三男として富山県高岡市金屋本町にて生まれる。喜多家は12世紀半ばに近衛天皇への御代鋳物燈炉献上の侯により、朝廷から鋳物制作に対しての特権を与えられた許可状を受け、藤原の姓を賜りその鋳物の技を今日に継承する朝廷ゆかりの系譜を持ちます。
幼少の頃より絵画、彫刻に興味あり家業美術 工芸品製造に手伝いの為明治の巨匠 高村光雲先生より薫陶をうけられた昭和の巨匠 米治一先生に師事。
富山県展連続入選・高岡市展・高岡伝統物産創作振興展並びに加工技術展に最優秀賞や優秀賞の連続受賞。現在、日展を含む各界で活躍。

神保豊(じんぼゆたか)
大正12年(1923)、東京都生まれの彫刻家。
高橋丈雲に師事し、木彫を学びます。
文部大臣賞や創型会賞同人優秀賞など数多くの賞を受賞します。
息子の神保雅・琢磨も彫刻家で東京三越本店などで父子三人展を開催するようになります。
成田山新勝寺明王を制作。
創型会同人・顧問。

高岡銅器は高岡の開祖 加賀藩第二藩主前田利長公が、慶長14年 (1609年) 高岡城に入城され、翌々年の慶長16年 (1611年) 城下の興隆繁栄の為、鋳物発祥の地 河内国丹南郡の技術を継承する7人の鋳物師達を招聘して、金屋町に鋳物工場を開かせた事に始まります。
当初は鉄鋳物が中心であったが、江戸時代中頃から銅鋳物も盛んになり、明治期に入ると技術力は更に向上し、万国博覧会を通して世界にも紹介され、輸出品としても美術銅器は確固たる地位を築きました。

東京都豊島区東池袋にて、木彫り観音、水晶観音や布袋像、薩摩切子など。

     

東京都豊島区東池袋にて、厨子入り木彫り観音、本水晶観音菩薩や黄水晶布袋像、薩摩切子、仏像、天然石置物、数珠などをお売りいただきました。

解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。ご家族が集めていらっしゃったという仏像や水晶、天然石などをご処分されたいとのことでご連絡いただき、出張買取させていただきました。お売りいただいたのは、厨子入り木彫り観音、本水晶観音菩薩や黄水晶布袋像、薩摩切子、仏像、天然石置物、数珠など。厨子に埋められた観音菩薩立像は時代ある造りの良い木彫り仏でした。本水晶の観音菩薩や黄水晶(シトリン)の布袋像は近年造られた工芸品でありますが、唐木の台付きで造りの良いものでした。桐箱に納められた天然石は、紫水晶(アメジスト)や茶水晶、瑪瑙など様々で、枝珊瑚(赤珊瑚)などもございました。画像の他、ラピスや琥珀、トルコ石、孔雀石、虎目石など、多数の置物、数珠などの工芸品をお売りいただきました。薩摩切子はカメイガラスのもので、籠目切子洗鉢。たくさんのお品を併せてお売りいただきました。たくさんのお品数でしたので、査定・搬出に時間が掛かってしまいましたが、最後までお付き合い下さり有難うございました。ご家族の集めていらっしゃった仏像などのお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名くださり、誠にありがとうございました。
帰宅途中、埼玉県新座市にある「大村庵」さんで、かき玉うどんをいただきました。とろっとしたあんかけ玉子のスープが癖になります。美味しかったです。

埼玉県所沢市にて、江戸期の銭函、古紙、蓄音機など、富士見市にて蒔絵黒檀違い棚。

 

埼玉県所沢市にて、江戸期の升付き銭箱、古紙、蓄音機、SPレコード、アンティーク着物など、富士見市にて蒔絵の入った黒檀違い棚をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は埼玉県所沢市へ、解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。江戸時代よりご商売をされていたお家のお客様で、当時の和紙や古紙などを多数お売りいただきました。他にも江戸時代に使われていた升付き銭函(ぜにばこ)や蓄音機、SPレコード、アンティーク着物なども併せてお売りいただきました。銭箱(ぜにばこ)は江戸時代から大正頃まで使われていたお金をしまう木箱、今でいう貯金箱、金庫になります。「銭函」とも書きます。銭箱の中でも作りの良い物にのみ付属する、升(ます)の付いたお品です。当時ご商売されていたお客様のお店で今で言うレジとして使用されていたものと思われます。忙しい時は升からどんどん売り上げが放り込まれるものであったのでしょう。錠前も大型の立派なものでそれだけでも存在感があります。残念ながら鍵が欠品しておりましたが、六角堂で買い取りを強化している時代和家具ですので、買取させていただきました。ご家族の大切にされていた思い出のお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。また何かご処分されるときにお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。本日は当社をご指名いただき有難うございました。本日二件目は業者様のご紹介で、埼玉県富士見市へ、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでお売りいただいたお品は、山水蒔絵の入った唐木(黒檀)違い棚。重厚感ある立派な違い棚でした。所々パーツが外れてしまっておりましたので、倉庫へ持ち帰り修理させていただきました。唐木は固い材質ですので、よくある症状ですが、経験豊富な当社のN氏はすぐに直すことが出来ます。違い棚の他、陶器の招き猫、置物なども併せてお売りいただきました。ご家族の大切にされていたお品々、まとめてお売りいただき有難うございました。

東京都練馬区にて、長田晴山の一葉観音、純銀製の恵比寿置物、屠蘇器揃など。

 

東京都練馬区大泉学園町にて、大仏師 長田晴山の一葉観音、純銀製の恵比寿天置物、屠蘇器揃などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、リフォーム前のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、大仏師 長田晴山の一葉観音、純銀製の恵比寿天置物、屠蘇器揃など。長田晴山は京都の大仏師。道元禅師が仏法を求め中国に渡られ、修行を終えて船での帰路、大嵐に遭遇し、危うく命を落すところでした。一心に観音経を念誦されると、蓮華の花びらに乗った観音菩薩が現れ、風雨が静まり助けられたと伝えられています。その観音菩薩が、当作品の一葉観音菩薩(いちようかんのんぼさつ)であります。素晴らしい造形の観音菩薩です。950体のみ製造された中の一点。状態も良く、共箱など、栞などの付属品も全てございました。純銀製の恵比寿置物も共箱に保管されておりましたので、良い状態のものでした。純銀製屠蘇器揃は、盃、盃台、銚子、盆のセット。全てに純銀が使用されており、銀製刻印がございます。大変贅沢な屠蘇器揃えとなってます。画像の他、鑑賞水石、こけし、たぬきの置物なども併せてお売りいただきました。まとめてのご売却、ありがとうございました。
倉庫へ戻る途中、埼玉県新座市にあるラーメン屋「伏竜 本店」さんで食事をしました。豚骨野菜増しの味噌味、中盛りでこのボリュームです。こってりスープにもやしがとても良く合い、美味しかったです。

長田晴山(ながたせいざん)1920年-2010
師・彫刻家日本芸術院会員(物故)佐藤朝山(佐藤玄々)に師事(木彫)、京都芸術大学名誉教授 山本恪二に師事(彫塑)。
大正9年 兵庫県姫路市にて生まれる。
昭和35年 日本美術研究所 創設(京都市にて)、常盤工房 開設始動
昭和42年 鳴滝工房 開設始動
昭和55年5月、総本山仁和寺門跡 立部瑞祐、総本山金剛華寺阿含宗管長 桐山靖雄により、大仏師の称号授与さる。
昭和61年 山内工房 開設始動
平成22年 永眠
代表作に、長崎観音(長崎市・福済寺)、京都大仏(京都市山科区・金剛華寺)、金剛華菩薩(京都市右京区・仁和寺)、名古屋大仏(名古屋市・桃厳寺)、北海道大観音(芦別市)がございます。

東京都府中市にて北村西望のブロンズ像「将軍の孫」、ジャガールクルトの置き時計。

東京都府中市にて文化勲章受章 北村西望のブロンズ像「将軍の孫」、Jaeger-LeCoultre(ジャガールクルト)アトモス置き時計をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。いつもお客様をご紹介いただき有難うございます。他社と相見積もりでしたが、査定の上当社にお売りいただくこととなりました。本日お売りいただいたお品は、北村西望(きたむらせいぼう)のブロンズ像「将軍の孫」、Jaeger-LeCoultre(ジャガールクルト)アトモス置き時計。彫刻家北村西望の人気作品である「将軍の孫」。こちらは高さ約50㎝の大振りなブロンズ像。「将軍の孫」は大正7年、日露戦争の軍神であった橘中佐の立像を制作するため遺品を預かっていたところ、麦藁帽子をかぶって北村西望のアトリエに遊びに来た当時五歳の長男・治禧(はるよし)氏が、ぶかぶかの軍靴をはき、西望に拳手の礼をとったあどけない姿をモデルにしたもの。この作品は、文部省第12回美術展覧会(文展)に出品され、推薦を受けております。文展における推薦は無監査と同じ。大正5年に文展の褒状制度が改正され、入賞は一括して特選となり、新たに無監査の推薦が設定されました。この像は当時青山にあった学習院の幼稚園と府中刑務所に設置されました。現在では、井の頭公園、調布市の神代植物公園、箱根の彫刻の森美術館をはじめ各所に置かれ、誰にでも好かれている作品の一つです。本品は高岡銅器製、共箱付。また、Jaeger-LeCoultre(ジャガールクルト)アトモス置き時計また、も併せてお売りいただきました。電池を動力とせず、ただ置いておくだけで半永久的に動く置時計アトモス。この時計は空気を動力としております。記念が入ってしまっておりますが動作良好、こちらも買取させていただきました。良いお品をお売りいただき、誠に有難うございました。
市場へ戻る途中、志木市にある中華料理屋「五番」さんで食事をしました。昔ながらの中華料理屋で、店内は高級感あふれるお店ですが、料金はリーズナブル。よく寄らせてもらってます。こちらのおすすめは広東麺ですが、本日は担々麺、とても美味しかったです。

北村西望(きたむらせいぼう)1884~1987年
明治17年 12月16日長崎県南高来郡にて出生
明治45年 東京美術学校彫刻科卒業
大正4年 第9回文展 初入選
大正7年 第12回文展 「将軍の孫」出品
大正14年 帝国美術院会員
昭和30年 長崎「平和記念像」完成
昭和33年 文化勲章 文化功労者顕彰 日展創立
昭和40年 日本芸術院第一部長
昭和44年 社団法人日展改組、会長
昭和45年 社団法人日本彫塑会改組、名誉会長
昭和47年 長崎県島原城内に西望記念館完成
昭和49年 日展名誉会長
昭和50年 長崎県有馬町に「西望公園」完成
昭和52年 広島市中央公園 鯉「飛躍」設置
昭和56年 東京都青梅市御岳山頂「畠山重忠公像」設置
昭和62年 3月逝去 104歳

東京都中野区にて毎田仁郎の色無地、本場村山大島紬、杉田祥平の茶碗など。

 

東京都中野区松が丘にて本加賀友禅作家「毎田仁郎」の色無地、本場村山大島紬の着物、杉田祥平の色絵栗画茶碗などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お引越しすることとなり、お着物やお茶道具を減らしたいとのことでご連絡いただきました。お売りいただいたお品は、本加賀友禅作家「毎田仁郎」の色無地、本場村山大島紬の着物、杉田祥平の色絵栗画茶碗、水指などお茶道具。たくさんあるお品の中から今回ご処分されるお品を分けながら、一点一点査定させていただきました。買い取りを強化している作家作品が多く、また状態の良いお品も多くございましたので、お客様にご満足いただける査定額で買い取りさせていただくことが出来ました。搬出後にお茶をいただき、茶道のお話などをしてとても楽しかったです。美味しいお茶、ご馳走様でした。徐々にお道具をご処分されるとのこと、またお呼びいただけたらと思います。本日は六角堂のご指名、ありがとうございました。
倉庫へ戻る途中、所沢市にある玉川さんで食事をしました。本日のランチセットは天丼とおそばのセット。どれもとても美味しくて、お得なセットです。

毎田仁郎(まいだじんろう)
1906年(明治39年)石川県金沢市生まれ。
幼少時より身体の弱かった毎田仁郎は13歳の時に手に職を持つと決め京都で友禅の仕事をしていた、遠縁の下村光鳳(しもむらこうおう)に弟子入りします。下村光鳳の下で友禅の技術を学んでいましたが、第二次世界大戦がはじまり金沢へ疎開しました。戦後も金沢で仕事を続けた彼は、後に人間国宝となる木村雨山(きむらうざん)に弟子入りすることになりました。60歳になるまで自身の作品を展覧会に出品したことがありませんでしたが、師匠である木村雨山の勧めで日本伝統工芸展に初めて作品を出品し、見事入選しました。その後も様々な工芸展へ出展・入選し、1980年(昭和55年)には日本工芸会奨励を受賞しました。1993年(平成4年)逝去されました。

村山大島紬(むらやまおおしまつむぎ)
東京都武蔵村山市周辺で伝統的に生産されている紬。玉繭から紡いだ絹糸を板締染色し、絣織によって文様を出す絹布、およびそれを和服に仕立てたもののブランド名。
奄美大島の特産品である大島紬が生糸を用いるようになって普及が進んだ大正時代に、それに類似したものとして「大島」の名が使われ普及が進んだが、文様の彫刻を施した木の板を用いて意匠を染める板締の技法を用いるなど、それまでの大島紬とは異なる特徴をもっております。
村山大島紬は、1967年に東京都無形文化財に指定され、1975年には経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されました。

三代杉田祥平
大正3年11月15日生、京都出身
京都第二工業高校卒業後、二代杉田祥平(龍斎)に師事し作陶を始める。
昭和25年 京都国立陶磁器試験所を経て、家業を継承する。
昭和25年 旧伯爵家より、清閑寺焼を認可される。
京都伝統陶芸家協会役員
昭和60年 京都高島屋にて古稀記念展。
平成12年 逝去。現在は四代目が活躍中。
作風は色絵、色絵金彩等の仁清写し、染付、交趾などを得意とし、主に茶陶を主流とする。
三千家からの信頼も厚く、「色絵扇面草花流水画茶碗:裏千家鵬雲斎家元書付」などが
代表作として知られる。印名は「清閑寺」など

東京都江東区亀戸にて刑部人の油彩画、錫製時代煎茶道具、着物など。

 

東京都江東区亀戸にて刑部人の油彩風景画、錫製の時代煎茶道具、着物などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。旧家に飾られていた絵画や、代々使われていたという錫製の煎茶道具、アンティーク着物などをお売りいただきました。絵画は人気洋画家、刑部人の風景画。1940年に描かれた作品となります。古い作品ですので、額に痛み、作品にシミなどございました。前作の作品となりますが、当社で買い取りを強化している作家ですので、買取させていただきました。煎茶道具は急須二点、湯冷まし、茶合(仙媒)二点、全て錫製のものです。霊芝の摘みや蓮の形をしたりと、煎茶の本場中国でも人気の形でございます。数点在銘となってます。凹みや汚れのあるものなどございましたが、こちらも当社買取強化商品ですので、全て買い受けさせていただきました。煎茶道具には、煎茶碗、香合、茶合、茶量、仙媒、茶入、茶壺、茶心壷、鉄瓶、銀瓶、湯沸し、ボーフラ、湯さまし、水注、涼炉、火炉、炉台、火箸、宝瓶、急須、建水、瓶掛、瓶敷、罐座、瓶座、結界、硯屏、炉屏、茶箱、器局、提藍、茶櫃、茶籠、茶托、煎茶盆、烏府、炭斗、火斗、羽箒、炉扇、滓盂、洗瓶、巾筒、茶具褥などがございます。六角堂では、全ての煎茶道具を買取強化してます。お着物は大正から昭和初期にかけてのアンティーク。古いちりめんのものや紬などがり、シミ汚れのあるものも多くございましたが、ウールのもの以外は全て買取させていただきました。本日はお忙しい中、良いお品を多数お売りいただき有難うございました。
帰宅途中、埼玉県和光市にある「大鷹ラーメン」さんで食事をしました。メガ鷹ラーメンの野菜増しを注文、ボリュームたっぷりで美味しかったです。

刑部人(おさかべじん)明治39年(1906) ~ 昭和53年(1978)
明治39年 栃木県に生まれる
大正7年 上京、川端龍子に師事。
大正11年 川端画学校に学ぶ。
大正13年 東京美術学校(現:東京藝術大学美術)西洋画科に入学。
昭和3年 第9回帝展に刑部人『友人の肖像』が初入選。
昭和4年 東京美術学校(現:東京藝術大学美術)西洋画科卒業。
昭和15年 芝浦の東京高等工芸学校(現:千葉大学工学部)助教授となる。
昭和18年 新文展で無鑑査となる。
昭和21年 第1回日展で刑部人『冬の軽井沢』が特選となる。
昭和23年 第4回日展で刑部人『渓流』が特選となる。
昭和33年 新世紀美術協会に参加。
昭和42年 日展審査員。
昭和53年 逝去。享年71歳。勲四等瑞宝章を受章。

千葉県木更津市にて、片岡球子のリトグラフ、北村西望不動明王、古銅観音菩薩、赤珊瑚など。

      

千葉県木更津市にて、片岡球子のリトグラフ「うららかな富士」、北村西望のブロンズ像「不動明王」、古銅観音菩薩、赤珊瑚(桃色珊瑚)の置物や枝珊瑚などをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。長距離出張の為、昨夜木更津へ入りビジネスホテルで一泊し、本日出張買取させていただきました。半月ほど前にご連絡いただき、ようやくお客様宅へお伺いすることが出来ました。本日お売りいただいたお品は、お父様が集めていらっしゃった骨董品など。画像の片岡球子のリトグラフ「うららかな富士」、北村西望のブロンズ像「不動明王」、古銅観音菩薩、赤珊瑚(桃色珊瑚)の置物や枝珊瑚の他、富永直樹のブロンズ、高岡銅器の置物、特大こけし、蛙の置物、有田焼の陶額、絵画、中国の古書など、多数お売りいただきました。
片岡球子は(1905年(明治38年)-2008年(平成20年))、北海道札幌市の出身で昭和、平成の時代に活躍した日本画家です。平成元年には、文化勲章を受章しています。本品は片岡球子のリトグラフ。片岡球子のリトグラフ作品は、作家自らが直接筆を振るって制作されました。1970年頃から描き続け、晩年20年間は制作の大半が富士山になるほど没頭して描れたモチーフです。形の大胆なデフォルメ、三原色や金泥を使った鮮やかな色調などの装飾的な表現によって、富士山の満ち溢れるような生命のエネルギーを描き出しています。
北村西望(きたむらせいぼう)1884~1987年は文化功労者として顕彰され、文化勲章を受章した日本彫刻界の泰斗です。不動明王は仏界と人間界のあいだの天界に住む五大明王のうちの筆頭的存在の明王。右手に魔を断ち切る剣、左手に悪を縛る縄、背中に火の鳥の炎、そして金剛石(ダイヤモンド)の原石とされる座っている岩、これら四つが不動明王を描く際の、ほぼ共通の構図とされており、当作品でも忠実に再現されています。
古銅製の観音菩薩坐像はとても優しいお顔の観音様。所々に破損がありましたが、当社で買い取りを強化している時代ある仏像、買取させていただきました。珊瑚は桃色のものでしたが、太めのしっかりとした珊瑚、置物、枝珊瑚共にお売りいただきました。他にも多数まとめてのご売却、誠に有難うございました。お茶やお菓子をご用意いただいたりと、お気遣いくださり有難うございました。また、東北地方のご実家のお片付けの際にお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。本日は六角堂のご指名、有難うございました。
画像は、昨夜木更津へ向かい際に寄ったアクアライン海ほたる。フードコートで食べた「ち~ば丼」。金目鯛、穴子、あさり、さんがフライ、卵焼き、ねぎ、きゅうり、生姜を乗せた賑やかな丼でした。出張帰りに寄った「活き活き亭 金田店」では、三色丼(ウニ、いくら、ねぎとろ)、あさりご飯と、贅沢な食事をしました。浜焼きで人気のお店のようですが、海鮮丼もとても美味しかったです。帰りにまた、海ほたるへ寄ってお土産を買って帰りました。遠いようで近い千葉県出張買取、お土産選びが難しいです。

片岡球子(かたおかたまこ)1905年(明治38年)-2008年(平成20年)
1905年 1月5日、北海道札幌市に生まれる。
1923年 北海道立札幌高等女学校師範科卒。日本画家を志す。女子美術専門学校(現・女子美術大学)日本画科高等科に入学。
1926年 女子美術専門学校 日本画科高等科を卒業。神奈川県横浜市立大岡尋常小学校に教論として赴任。
1930年 日本美術院再興第17回展(以下、院展)に「枇杷」を出品、初入選。
1935年 日本美術院絵画部第19回 試作展に「炬燵」が入選、試作賞。
1938年 日本美術院絵画部研究会員研究会で「寒空」が大観賞第一賞受賞。
1939年 日本美術院絵画部研究会で「新緑」が大観賞第二賞受賞。第26回 院展に「緑陰」が入選。日本美術院院友に推挙される。
1942年 日本美術院絵画部研究会で「祈祷の僧」が大観賞受賞。
1946年 安田靫彦に入門する。第31回 院展無鑑査に出品、「夏」が日本美術院賞受賞。
1948年 第33回 院展で「室内」が入選、日本美術院賞。
1950年 第35回 院展で「剃髪」が日本美術院賞、白寿賞を受賞。
1951年 第36回 院展入選「行楽」が奨励賞、白寿賞を受賞。このころ東京藝大 山本豊市教授より彫刻デッサンを学ぶ。
1952年 第37回 院展で「美術部にて」が日本美術院賞、大観賞を受賞。日本美術院同人に推挙される。
1955年 横浜市立大岡小学校を依願退職。女子美術大学 日本画科 専任講師となる。
1959年 第14回 春の院展に「海岸」を出品。三越本店にて初の個展が催される。
1960年 女子美術大学日本画科の助教授に就任。
1961年 院展出品作「渇仰」が文部省買上げ作品となる。第46回 院展に「幻想」を出品、舞楽をテーマにした初めての作品。第11回 芸術選奨 文部大臣賞を受賞。日本美術院評議員に推される。
1962年 初の渡欧。 フランス・イタリア・イギリス各地の美術館を巡る。第5回現代日本美術展に「桜島の昼」「桜島の夜」を招待出品。女子美術大学 日本画科 教授に就任。
1965年 神奈川県立近代美術館賞を受賞。
1966年 第51回 院展に「面構 足利尊氏、義満、義政」を出品。愛知県立芸術大学の開校に合わせ、日本画科主任教授として迎えられる。「面構」「富士山」両シリーズの制作開始。
1970年 北海道庁よりの依頼で「函館街頭風景」を 制作。神奈川県藤沢市に転居。
1971年 第56回 院展に「面構一 葛飾北斎」「面構二 東洲斎写楽」を出品。
1972年 パリで催された個展「富嶽三十六景」に合わせ渡欧。
1975年 自伝「情(こころ)ありて」を執筆。第59回 院展出品作「面構 鳥文斎栄之」が第31回 日本芸術院恩賜賞を受賞。
1976年 勲三等端宝章を賜る。
1978年 日仏現代美術パリ展に「面構 喜多川歌麿」出品。第27回 神奈川文化賞を受賞。
1981年 日本美術院理事に就任。
1982年 日本芸術院会員となる。
1983年 第38回 春の院展に初の裸婦作品「ポーズ1」を出品。
1986年 文化功労者に顕彰される。
1989年 文化勲章を賜る。第42回 中日文化賞を受賞。
1991年 画業70年を記念して各地で個展が催される。
1993年 愛知県立芸術大学教官・卒業生らと約20年かけた「法隆寺金堂壁画模写」全32面が完成し一般公開。
1996年 画業75年展を各地にて開催。愛知県立芸術大学美術学部に奨学基金として1億円を寄贈。
1999年 都営地下鉄 大江戸線 築地市場駅構内「ゆとりの空間」に設置される「江戸の浮世絵師たち」原画を制作。
2004年 白寿記念展「片岡球子展〈白寿記念・極める—人間と山〉」を開催。
2005年 百歳を記念して各地にて「片岡球子百壽展」を開催。
2008年 1月16日、逝去。享年103歳。従三位に叙せられた。
2015年 生誕110年 片岡球子展 (東京国立近代美術館・愛知県美術館)

北村西望(きたむらせいぼう)1884~1987年
明治17年 12月16日、長崎県に生まれる(現同県南有馬町白木野)。北村家は白木野の豪農で仏教に篤く、西望は四男の末子である
明治36年 京都市立美術工芸学校入学(彫刻科)。師の国安虎三郎、親友建畠大夢に囲まれて、創作に熱中する。日本画の同級生には川路柳虹、村上華岳などがいた
明治41年 文部省第二回美術展覧会に「憤図」が初入選する
大正5年 第十回文展に「晩鐘」が特選になり、翌年には早くも無監査となる
大正8年 第一回帝展の審査員となる
大正10年 東京美術学校教授となる。朝倉文夫も同じく教授になる
大正14年 帝国美術会員になる。「母子像」「喜ぶ少女」等の傑作を世に出す
昭和13年 「板垣退助翁」を国会議事堂内に設置
昭和22年 日本芸術院会員となる
昭和30年 長崎市「平和祈念像」完成
昭和33年 文化功労者に顕彰され、文化勲章受章。日展が創立されると共に常務理事となり、以後日展を中心に旺盛な創作活動を示す
昭和44年 社団法人日展会長となる
昭和45年 社団法人日本彫刻会名誉会長
昭和47年 長崎県島原城内に「西望記念館」完成。多くの作品を寄贈する
昭和49年 日展名誉会長
昭和50年 故郷の長崎県有馬町に「西望公園」完成
昭和51年 新宮殿に「天馬」奉納
昭和52年 広島平和公園「飛躍」設置
昭和53年 信貴山「聖徳太子像」設置
昭和55年 東京都「名誉都民」となる
昭和56年 御岳山「畠山重忠像」設置
昭和58年 日展「天女の舞」出品
昭和62年 3月、天寿をまっとうされる