千葉県木更津市にて、片岡球子のリトグラフ、北村西望不動明王、古銅観音菩薩、赤珊瑚など。

      

千葉県木更津市にて、片岡球子のリトグラフ「うららかな富士」、北村西望のブロンズ像「不動明王」、古銅観音菩薩、赤珊瑚(桃色珊瑚)の置物や枝珊瑚などをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。長距離出張の為、昨夜木更津へ入りビジネスホテルで一泊し、本日出張買取させていただきました。半月ほど前にご連絡いただき、ようやくお客様宅へお伺いすることが出来ました。本日お売りいただいたお品は、お父様が集めていらっしゃった骨董品など。画像の片岡球子のリトグラフ「うららかな富士」、北村西望のブロンズ像「不動明王」、古銅観音菩薩、赤珊瑚(桃色珊瑚)の置物や枝珊瑚の他、富永直樹のブロンズ、高岡銅器の置物、特大こけし、蛙の置物、有田焼の陶額、絵画、中国の古書など、多数お売りいただきました。
片岡球子は(1905年(明治38年)-2008年(平成20年))、北海道札幌市の出身で昭和、平成の時代に活躍した日本画家です。平成元年には、文化勲章を受章しています。本品は片岡球子のリトグラフ。片岡球子のリトグラフ作品は、作家自らが直接筆を振るって制作されました。1970年頃から描き続け、晩年20年間は制作の大半が富士山になるほど没頭して描れたモチーフです。形の大胆なデフォルメ、三原色や金泥を使った鮮やかな色調などの装飾的な表現によって、富士山の満ち溢れるような生命のエネルギーを描き出しています。
北村西望(きたむらせいぼう)1884~1987年は文化功労者として顕彰され、文化勲章を受章した日本彫刻界の泰斗です。不動明王は仏界と人間界のあいだの天界に住む五大明王のうちの筆頭的存在の明王。右手に魔を断ち切る剣、左手に悪を縛る縄、背中に火の鳥の炎、そして金剛石(ダイヤモンド)の原石とされる座っている岩、これら四つが不動明王を描く際の、ほぼ共通の構図とされており、当作品でも忠実に再現されています。
古銅製の観音菩薩坐像はとても優しいお顔の観音様。所々に破損がありましたが、当社で買い取りを強化している時代ある仏像、買取させていただきました。珊瑚は桃色のものでしたが、太めのしっかりとした珊瑚、置物、枝珊瑚共にお売りいただきました。他にも多数まとめてのご売却、誠に有難うございました。お茶やお菓子をご用意いただいたりと、お気遣いくださり有難うございました。また、東北地方のご実家のお片付けの際にお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。本日は六角堂のご指名、有難うございました。
画像は、昨夜木更津へ向かい際に寄ったアクアライン海ほたる。フードコートで食べた「ち~ば丼」。金目鯛、穴子、あさり、さんがフライ、卵焼き、ねぎ、きゅうり、生姜を乗せた賑やかな丼でした。出張帰りに寄った「活き活き亭 金田店」では、三色丼(ウニ、いくら、ねぎとろ)、あさりご飯と、贅沢な食事をしました。浜焼きで人気のお店のようですが、海鮮丼もとても美味しかったです。帰りにまた、海ほたるへ寄ってお土産を買って帰りました。遠いようで近い千葉県出張買取、お土産選びが難しいです。

片岡球子(かたおかたまこ)1905年(明治38年)-2008年(平成20年)
1905年 1月5日、北海道札幌市に生まれる。
1923年 北海道立札幌高等女学校師範科卒。日本画家を志す。女子美術専門学校(現・女子美術大学)日本画科高等科に入学。
1926年 女子美術専門学校 日本画科高等科を卒業。神奈川県横浜市立大岡尋常小学校に教論として赴任。
1930年 日本美術院再興第17回展(以下、院展)に「枇杷」を出品、初入選。
1935年 日本美術院絵画部第19回 試作展に「炬燵」が入選、試作賞。
1938年 日本美術院絵画部研究会員研究会で「寒空」が大観賞第一賞受賞。
1939年 日本美術院絵画部研究会で「新緑」が大観賞第二賞受賞。第26回 院展に「緑陰」が入選。日本美術院院友に推挙される。
1942年 日本美術院絵画部研究会で「祈祷の僧」が大観賞受賞。
1946年 安田靫彦に入門する。第31回 院展無鑑査に出品、「夏」が日本美術院賞受賞。
1948年 第33回 院展で「室内」が入選、日本美術院賞。
1950年 第35回 院展で「剃髪」が日本美術院賞、白寿賞を受賞。
1951年 第36回 院展入選「行楽」が奨励賞、白寿賞を受賞。このころ東京藝大 山本豊市教授より彫刻デッサンを学ぶ。
1952年 第37回 院展で「美術部にて」が日本美術院賞、大観賞を受賞。日本美術院同人に推挙される。
1955年 横浜市立大岡小学校を依願退職。女子美術大学 日本画科 専任講師となる。
1959年 第14回 春の院展に「海岸」を出品。三越本店にて初の個展が催される。
1960年 女子美術大学日本画科の助教授に就任。
1961年 院展出品作「渇仰」が文部省買上げ作品となる。第46回 院展に「幻想」を出品、舞楽をテーマにした初めての作品。第11回 芸術選奨 文部大臣賞を受賞。日本美術院評議員に推される。
1962年 初の渡欧。 フランス・イタリア・イギリス各地の美術館を巡る。第5回現代日本美術展に「桜島の昼」「桜島の夜」を招待出品。女子美術大学 日本画科 教授に就任。
1965年 神奈川県立近代美術館賞を受賞。
1966年 第51回 院展に「面構 足利尊氏、義満、義政」を出品。愛知県立芸術大学の開校に合わせ、日本画科主任教授として迎えられる。「面構」「富士山」両シリーズの制作開始。
1970年 北海道庁よりの依頼で「函館街頭風景」を 制作。神奈川県藤沢市に転居。
1971年 第56回 院展に「面構一 葛飾北斎」「面構二 東洲斎写楽」を出品。
1972年 パリで催された個展「富嶽三十六景」に合わせ渡欧。
1975年 自伝「情(こころ)ありて」を執筆。第59回 院展出品作「面構 鳥文斎栄之」が第31回 日本芸術院恩賜賞を受賞。
1976年 勲三等端宝章を賜る。
1978年 日仏現代美術パリ展に「面構 喜多川歌麿」出品。第27回 神奈川文化賞を受賞。
1981年 日本美術院理事に就任。
1982年 日本芸術院会員となる。
1983年 第38回 春の院展に初の裸婦作品「ポーズ1」を出品。
1986年 文化功労者に顕彰される。
1989年 文化勲章を賜る。第42回 中日文化賞を受賞。
1991年 画業70年を記念して各地で個展が催される。
1993年 愛知県立芸術大学教官・卒業生らと約20年かけた「法隆寺金堂壁画模写」全32面が完成し一般公開。
1996年 画業75年展を各地にて開催。愛知県立芸術大学美術学部に奨学基金として1億円を寄贈。
1999年 都営地下鉄 大江戸線 築地市場駅構内「ゆとりの空間」に設置される「江戸の浮世絵師たち」原画を制作。
2004年 白寿記念展「片岡球子展〈白寿記念・極める—人間と山〉」を開催。
2005年 百歳を記念して各地にて「片岡球子百壽展」を開催。
2008年 1月16日、逝去。享年103歳。従三位に叙せられた。
2015年 生誕110年 片岡球子展 (東京国立近代美術館・愛知県美術館)

北村西望(きたむらせいぼう)1884~1987年
明治17年 12月16日、長崎県に生まれる(現同県南有馬町白木野)。北村家は白木野の豪農で仏教に篤く、西望は四男の末子である
明治36年 京都市立美術工芸学校入学(彫刻科)。師の国安虎三郎、親友建畠大夢に囲まれて、創作に熱中する。日本画の同級生には川路柳虹、村上華岳などがいた
明治41年 文部省第二回美術展覧会に「憤図」が初入選する
大正5年 第十回文展に「晩鐘」が特選になり、翌年には早くも無監査となる
大正8年 第一回帝展の審査員となる
大正10年 東京美術学校教授となる。朝倉文夫も同じく教授になる
大正14年 帝国美術会員になる。「母子像」「喜ぶ少女」等の傑作を世に出す
昭和13年 「板垣退助翁」を国会議事堂内に設置
昭和22年 日本芸術院会員となる
昭和30年 長崎市「平和祈念像」完成
昭和33年 文化功労者に顕彰され、文化勲章受章。日展が創立されると共に常務理事となり、以後日展を中心に旺盛な創作活動を示す
昭和44年 社団法人日展会長となる
昭和45年 社団法人日本彫刻会名誉会長
昭和47年 長崎県島原城内に「西望記念館」完成。多くの作品を寄贈する
昭和49年 日展名誉会長
昭和50年 故郷の長崎県有馬町に「西望公園」完成
昭和51年 新宮殿に「天馬」奉納
昭和52年 広島平和公園「飛躍」設置
昭和53年 信貴山「聖徳太子像」設置
昭和55年 東京都「名誉都民」となる
昭和56年 御岳山「畠山重忠像」設置
昭和58年 日展「天女の舞」出品
昭和62年 3月、天寿をまっとうされる