東京都武蔵野市にて喜多敏勝の音声菩薩像、神保豊の大黒天尊像など。

 

東京都武蔵野市にて喜多敏勝の音声菩薩像(天上の音色)、神保豊の大黒天尊像などブロンズ像、桐箪笥、反物などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お父様が集めていた仏像の他、桐箪笥や反物などをご処分されたいとのことでご連絡いただきました。お売りいただいた仏像は喜多敏勝の音声菩薩像(天上の音色)、神保豊の恵比寿尊像。いずれも高岡銅器のブロンズ製品でございます。名工 喜多敏勝の横笛を奏でる観音様は音声菩薩像。東大寺の大仏殿。その前庭の回廊に構える国宝「金銅八角燈籠」にはすばらしい4人の音声菩薩が表現されています。八面の火袋の四面に浮き彫りにされている音声菩薩像は、笙(しょう)・横笛・銅跋子・尺八などをそれぞれ奏でています。本品は横笛を奏でる音声菩薩をモチーフに天上の音色”と題しブロンズ像で復刻されております。蝋型青銅製で緻密に鋳造し、一品一品手仕上げによる漆着色を施した逸品です。ふくよかな容姿で、衣のなびきは、爽やかな風を、横笛を奏でる表情は、素敵な音色を感じ取れるように制作されてます。彫刻家神保豊の作品は鍍金の大黒天尊像。共箱と思われておりましたが、箱書きを見ると恵比寿尊像。残念ながら箱と本体が入れ替わったまま、一点は紛失されてしまったようです。恵比寿尊像、大黒天尊像はともに七福神の一つで、大黒天は福徳や財宝を与える神とされ、低い頭巾(ずきん)をかぶって、右手に打ち出の小槌(こづち)を握り、左肩に大きな袋を背負って米俵の上に立っている。恵比寿の方は烏帽子(えぼし)に狩衣(かりぎぬ)、指貫(さしぬき)のいでたちで、通常鯛を釣り上げる姿に作られる。二神は商家の福の神として祀(まつ)られることが多く、七福神の中で最も親しまれております。合わせ箱となってしまいましたが、こちらも買い受けさせていただきました。桐箪笥は相徳のもの。ややシミが出てしまってましたが、こちらも買い取りしました。反物は紬や帯反など。全て買取させていただきました。お引越しで泣く泣くのご処分とのこと、大事にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名くださり、誠に有難うございました。
本日は市場開催の日でしたので、出張買取の後に市場へ寄り、仲間達と夕食に行きました。大宮駅の側にある「3匹のひつじ」さんでジンギスカンの食べ放題。ラム肉はとてもヘルシーですので、たくさん食べるわたしにはもってこいです。とはいえ食べ放題でとても美味しかったので、お腹いっぱい食べてしまいました。ジンギスカンの味が染みたもやしに塩むすびがとても美味しかったです。

喜多敏勝(きたとしかつ)
昭和29年9月、勅許御鋳物師 藤原朝臣喜多家三十代目 万右衛門の三男として富山県高岡市金屋本町にて生まれる。喜多家は12世紀半ばに近衛天皇への御代鋳物燈炉献上の侯により、朝廷から鋳物制作に対しての特権を与えられた許可状を受け、藤原の姓を賜りその鋳物の技を今日に継承する朝廷ゆかりの系譜を持ちます。
幼少の頃より絵画、彫刻に興味あり家業美術 工芸品製造に手伝いの為明治の巨匠 高村光雲先生より薫陶をうけられた昭和の巨匠 米治一先生に師事。
富山県展連続入選・高岡市展・高岡伝統物産創作振興展並びに加工技術展に最優秀賞や優秀賞の連続受賞。現在、日展を含む各界で活躍。

神保豊(じんぼゆたか)
大正12年(1923)、東京都生まれの彫刻家。
高橋丈雲に師事し、木彫を学びます。
文部大臣賞や創型会賞同人優秀賞など数多くの賞を受賞します。
息子の神保雅・琢磨も彫刻家で東京三越本店などで父子三人展を開催するようになります。
成田山新勝寺明王を制作。
創型会同人・顧問。

高岡銅器は高岡の開祖 加賀藩第二藩主前田利長公が、慶長14年 (1609年) 高岡城に入城され、翌々年の慶長16年 (1611年) 城下の興隆繁栄の為、鋳物発祥の地 河内国丹南郡の技術を継承する7人の鋳物師達を招聘して、金屋町に鋳物工場を開かせた事に始まります。
当初は鉄鋳物が中心であったが、江戸時代中頃から銅鋳物も盛んになり、明治期に入ると技術力は更に向上し、万国博覧会を通して世界にも紹介され、輸出品としても美術銅器は確固たる地位を築きました。