月別アーカイブ: 2018年8月

東京都大田区蒲田にて、縮緬地藍染小紋や訪問着、帯、和装小物など。

東京都大田区蒲田にて、縮緬地藍染小紋や訪問着、帯、和装小物などをお売りいただきました。

昨年、加茂桐箪笥を買い取らせていただいたお客様からご連絡いただき、お着物の処分整理でお呼びいただきました。再度お呼びいただき有難うございました。一年近く考え、やはり着物を着る機会がなく処分されたいとのことでした。お着物には数点シミや汚れなど出てしまっているものがありましたが、帯は状態の良いものばかりでした。藍染の小紋はしなやかな手触り良い縮緬地。濃紺地に藍色の草木柄の染柄。帯は西陣織の袋帯や夏物の帯など10点ほどお売りいただきました。また、バッグや帯締め、帯留めなどの和装小物もお売りいただきました。たくさん悩まれてのご処分、こちらの査定も精一杯頑張らせていただきました。シミや汚れのあるものも含めて、お客様にご満足いただける査定額で全て買い取らせていただきました。思い入れのあるお着物たち、大切に次へと橋渡しさせていただきます。二度にわたり、当社のご指名ありがとうございました。
作業途中、お客様がお弁当をご用意してくださいました。あの有名な「たいめいけん」さんのお弁当で、オムライスやハンバーグ、エビフライ、スパゲッティ、焼肉と、なんとも贅沢なお弁当でした。とても美味しかったです。お気遣いいただき有難うございました。帰宅後、久々家族で食事をしました。所沢市にある「ジョリーパスタ所沢店」さんへ行き、贅沢うに醤油というパスタを食べました。醤油ソースのパスタに大好物のうにがたっぷりのっており、カイワレと海苔の風味が良く合いとても美味しかったです。明日から3日間夏休みをいただき、わたしは家族旅行へ行ってきます。出張買取はお休みとなりますが、ご予約は承っておりますのでお電話またはメールにてご連絡よろしくお願い致します。

東京都文京区千石にて、進藤武松のブロンズ裸婦像、カルテルやイームズのチェア。

 

東京都文京区千石にて、進藤武松のブロンズ裸婦像、カルテルのルイ ゴーストチェア、ハーマンミラー社イームズデザインのアームシェルチェアなどをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、東京都文京区千石へオフィスのお片付け整理でお呼びいただきました。カッシーナやハーマンミラー、ドマーニなどの高級デザイナーズ家具を片付けで欲しいとご連絡いただきお伺いしました。いつもお客様をご紹介くださり有難うございます。オフィスへ到着して見渡すと有名なデザイナーズ家具や人気ブランド家具が多数ございました。だいぶ使用されていたようで状態の悪いものが多くございましたが、人気家具ですのでお客様にご満足いただける査定額で全て買い取らせていただきました。ハーマンミラー社製チャールズ&レイ・イームズデザインの代名詞とも言えるアームシェルチェアは、セカンドモデルと呼ばれている貴重なヴィンテージチェアです。ファイバーグラスというガラス繊維で強化されたプラスチックを使用しており、コレクターにはたまらない一品です。家具の他、ステンドグラスのライトや彫刻家進藤武松のブロンズ裸婦像も買い取らせていただきました。進藤武松は東京都出身の昭和~平成時代に活躍した日本の彫刻家。写実的な女性の裸体像や若い男性像を得意とした彫刻家で、美空ひばりの等身大のブロンズ像を手掛けている事でも知られています。六角堂でも買取を強化している彫刻作家の一人です。共箱の欠品、スレなどございましたが、強化買取り作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。良いお品を多数お売りいただき、有難うございました。
帰宅途中、大塚駅の近くにある「博多長浜らーめん ぼたん」へ寄りました。ラーメンに揚げネギニンニクをトッピング。濃厚な豚骨のスープに揚げネギニンニクが良く合い、替え玉を二杯追加しました。久々がっつりといってしまいました。とても美味しかったです。

進藤 武松(しんどう たけまつ)1909年1月5日 – 2000年2月12日
日本の彫刻家、日本芸術院会員。東京生まれ。東京物理学校中退。
1929年構造社彫塑研究所に入所。斎藤素巌に師事。
1934年「構造賞」受賞。
1938年文展特選。
1952年日展特選、朝倉賞、川合賞。
1961年日展評議員。
1968年日本彫刻会理事。
1973年日本芸術院賞。
1975年日展理事。
1980年日本彫刻会委員長(-1990年)。
1983年日本芸術院会員。
1984年日展顧問、日本彫刻会常務理事。
1985年勲三等瑞宝章、紺綬褒章受章。
1987年日展常務理事。
1993年、「悲しき口笛」を歌う12歳の美空ひばりの等身大ブロンズ像を制作した。

東京都杉並区方南にて、桐箪笥、海野宗泰の竹花入、佐藤清光の釜など。

 

東京都杉並区方南にて、桐箪笥、お着物、お茶道具、大徳寺松長剛山書付箱海野宗泰の竹花入一重口「銘 和心」、佐藤清光の淡々斎好車軸釜などをお売りいただきました。

本日は東京都杉並区方南へ、遺品整理でお呼びいただきました。お婆様が生前大切にされていた桐たんす、お着物、大徳寺松長剛山書付箱海野宗泰の竹花入一重口「銘 和心」、佐藤清光の淡々斎好車軸釜などのお茶道具を買い取らせていただきました。茶杓師海野宗泰の竹花入には大徳寺高桐院住職松長剛山の書付で「銘 和心」とございます。佐藤清光の釜は車軸の形をした面白い釜となってます。荷車などの車輪の中心部に似ているところからの呼称で、 古くからこの名があり、天明に多く見られるようです。裏千家14代の淡々斎が好んだ形で知られてます。鐶付は茄子になっており、縁起がいいですね。良いお道具をお売りいただき有難うございました。
帰りに高円寺駅そばにある「らーめん一蔵」さんへ寄りました。いつもは赤鬼らーめんという激辛ラーメンを食べてますが、今日は普通の味噌らーめんを食べました。濃厚スープに縮れ麺がとても良かったです。

海野宗泰
1947年昭和22年、京都に生まれる。
1964年昭和39年、師 竹器師高野宗陵と出会う。
1966年昭和41年、伏見工業高等学校工芸科を卒業後、竹工芸の勉強を始める。
1970年昭和45年、号 宗秦を拝名。
松長剛山(まつながごうざん)剛山宗忠
昭和18年、大阪府能勢町天王に生まれる。
昭和25年 大阪府長杉寺で松長元祥に就いて得度。京都建仁僧堂で竹田益州に参禅。
昭和46年より大徳寺塔頭高桐院住職。三重県上野市龍王寺住職も兼任。
現在,久田流有栖川系茶道十三代家元、及び細川三斎流茶道顧問を務めている。
佐藤清光(さとうせいこう)
伝統技法をベースに高度なへら絞りによって生み出される端正でシャープな造形は右に出る者はいないと言われています。
その優れた技術力は京都大徳寺から「御釜師」の称号を授与されており、「清光釜」「浄清釜」として全国的に高い評価を受けています。
草花、鳥、雲などの文様をモチーフに、 茶釜、風炉、鉄瓶を多く制作し、茶道関係事業に積極的に参加し、茶釜等を名茶道団体に寄贈するなど山形鋳物・山形茶釜の発展・普及に努めました。
1916年 山形県で生まれる
1953年 日展で初入選
1985年 第32回日本伝統工芸展で入選
1989年 斉藤茂吉文化賞を受賞
1992年 勲六等瑞宝章を受章
1996年 逝去

東京都江戸川区本一色にて、桐箪笥、着物、二代前田竹房斎の竹編花籠。

東京都江戸川区本一色にて、桐箪笥、着物、人間国宝二代前田竹房斎の竹花籠をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は業者様のご紹介で、千葉県船橋市へ出張しました。こちらでは、和家具や版画を買い取らせていただきました。いつもお客様をご紹介いただき有難うございます。二件目は、東京都江戸川区本一色へ解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、明治期の時代桐箪笥、アンティーク着物、贈答品、二代前田竹房斎の竹編花籠などを買い取りました。前田竹房斎は大阪の竹工芸家で、親子二代に渡って受け継がれた人気竹工芸作家。二代が亡くなり竹房斎は途絶えてしまいましたが、竹房斎が残した竹工芸品は、竹材の美しさをいかした独自の意匠表現に高い評価を得ており、今なお人気がございます。花籃や盛器、茶箱など、前田竹房斎の作品は六角堂でも買取を強化しております。本作は残念ながら共箱がなく、竹に痛みが多くございました。状態は悪いものの人気作家作品、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。お忙しい中、わたしたちの出張時間に合わせていただき有難うございました。江戸川区へ向かう途中、千葉県市川市にある「中国ラーメン揚州商人 市川二俣店」さんへ寄りました。ネギらーめん、とっても美味しかったです。暑い日が続きますが、明日からも頑張っていきます。
六角堂では、竹編、竹籠、竹細工を高価買取しております。飯塚鳳斎、飯塚小玕斎(しょうかんさい)、飯塚琅玕斎(ろうかんさい)、田邊竹雲齋、 早川尚古斎、前田竹房斎、鈴木玩々斎 、和田和一斎などの有名作家の竹籠は特に人気があり、 高価で買取りさせていただきます。ご処分にお困りの際は、関東全域出張買取専門六角堂までお問い合わせください。

二代 前田竹房斎(まえだちくぼうさい)1917~2003
昭和~平成時代の竹工芸家。大阪出身。本名は房次。父初代前田竹房斎に師事。二代前田竹房斎を襲名。
戦後は、デモクラシーの空気に呼応するように、壁画装飾やオブジェといった、従来の工芸の枠にこだわらない前衛的な作品を制作し、日展等の団体展に出品する。
細い丸ひごを並列して、透かしと内の重ね編みとを効果的に併用した繊細な制作や、独創の重ね網代編みの花籃など、清新で力強い、高雅な格調を築き上げた。
現代生活に即した創作性の獲得に専念し、現代感覚ある意匠を得意とした。
染色など他の工芸分野も探究し、精密かつ高度な技術で、理知的で気品に満ちた作風を確立した。
また花籃や盛器、茶箱等の煎茶道具にも自由で気品のある創作精神を示した。
1917年 大阪府生まれ
1959年 第6回日本伝統工芸展初入選
1970年 第17回日本伝統工芸展入選、以来毎回入選
1972年 第19回日本伝統工芸展東京都教育委員会賞
1992年 勲四等瑞宝章
1995年 重要無形文化財「竹工芸」保持者に認定
2003年 逝去

東京都北区赤羽西にて、桐箪笥、茶道具、人間国宝音丸耕堂の水指替蓋。

 

東京都北区赤羽西にて、桐たんす、お茶道具、人間国宝音丸耕堂の彫漆かうほね水指替蓋をお売りいただきました。

知人の着物屋さんのご紹介で、お片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいた桐たんすは、春日部桐箪笥でした。春日部桐箪笥は、よく買い取りさせて頂いている加茂桐箪笥と同じく、伝統工芸品に指定されております。20年近く経過しているものでしたが、油単を掛けていらっしゃいましたので、大変良い状態でした。お茶道具は数年前まで師範をされていた方でしたので、素晴らしいお道具が数多くございました。茶道具は徐々に処分されるとのことで、本日は10点ほどお売りくださいました。中でも、人間国宝である音丸耕堂の彫漆かうほね水指替蓋は、当社で買い取りを強化している作家作品でしたので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。音丸耕堂は大正から昭和時代に活躍した香川漆器の漆芸家で、1955年に重要無形文化財「彫漆」保持者に認定されております。音丸耕堂の作品は盆、香合、茶箱などの茶道具や硯箱、文箱などの箱ものが多くございます。 漆の層が厚く、多彩で複雑な彫刻となっている作品は香合のような小さな作品でも高価買取が期待できます。音丸耕堂作品の他にも、金龍堂の鉄瓶や同じく人間国宝である田村耕一の茶碗などお売りいただきました。良いお道具をお売りいただき有難うございました。帰り道、赤羽駅にある「磯丸水産」へ寄り、食事をさせていただきました。大好きな島寿司やお茶漬け、揚げ出し豆腐などいただきました。磯丸水産さん、とっても美味しいです。

音丸耕堂(おとまる こうどう)1898年(明治31)~1997年(平成9)
幼少から讃岐彫の修業を行い木彫技法を極め、16歳で独立後は香川漆器の祖 玉楮象谷に傾倒、彫漆を志して独学研究に努める。
磯井如真、北原千鹿、大須賀喬らと交流しました。玉楮象谷(たまかじしょうこく)の模刻から次第に西欧風の浪漫的な意匠へと展開し、1937年に上京した頃には新しい色漆の制作を始める。
色漆に金銀粉を混ぜたり、彫り口の傾斜の幅を変えるなどして層の重なりの表情を豊かにし、立体感や繊細な美しさを追求した作品制作をしました。
日本工芸会の創立に参加、日本伝統工芸展を中心に活躍を続けました。
1898年 香川県高松市に生まれる
1942年 新文展で漆月之花手筥が特選となる
1955年 重要無形文化財「彫漆」保持者に認定される
1967年 紫綬褒章を受賞する
1973年 勲四等旭日小綬章を受章する
1997年 死去

豊島区南大塚にて、天竜作錦旗書黄楊盛上将棋駒、藤田喬平の手吹花瓶。

東京都豊島区南大塚にて、本榧の将棋盤、伝統工芸士国井天竜作錦旗書黄楊盛上将棋駒、人気ガラス工芸士藤田喬平の手吹花瓶をお売りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。お爺様の大切にされていた将棋道具の出張買取、将棋盤は本榧製で厚みのあるもの。駒は日本伝統工芸士である国井天竜の作、錦旗書 天竜師屈指の四大書体の盛上駒になります。木地は本黄楊(雲南つげ材)。王将の後ろに作者名、書体名のある本格的な駒です。状態も良く、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。また、ガラス工芸士である藤田喬平の手吹花瓶をお売りいただきました。藤田喬平はガラス界の発展のために様々な貢献をされた工芸家。藤田喬平作品は、市場でも人気があり、中でも飾筥(かざりばこ)やヴェニスのつく製品は高額となっており、六角堂でも強化買取りしております。ご不要の作品がありましたら、お問い合わせください。良いお品をお売りいただき有難うございました。
本日のランチは大塚駅の側にある「万豚記 大塚店」さんへ行き、黒胡麻担担麺に炒飯と餃子のランチセットをいただきました。山椒の効いた辛口の担々麺がとても美味しかったです。濃い目のスープで癖になるお味です。また寄らせてもらいます。

藤田喬平(ふじたきょうへい)1921-2004
1921年 東京都新宿区百人町に生まれる。
1944年 東京美術学校工芸科彫金部卒業。
1947年 岩田工芸硝子に入社。
1949年 岩田硝子工芸退社し、ガラス作家として独立。
1961年 「藤田喬平硝子工芸創作展」を開催。
1964年 流動ガラスの代表作「虹彩」を発表。
1973年 飾筥の代表作「菖蒲」を発表。
1975年 デンマークの「世界のスタジオグラス展」に招待出品し高い評価を受ける。
1980年 「藤田喬平手吹きガラス作品集」(アート社)刊行。
1986年 「日本現代工芸美術展」に招待出品し、文部大臣賞受賞。
1989年 恩賜賞・日本芸術院賞受賞。日本芸術院会員に就任。
1996年 藤田喬平ガラス美術館開館。
2002年 文化勲章・文化功労者受章。
2004年 逝去。享年83歳。

東京都練馬区石神井台にて、鈴木政輝の油彩画、中国陶器、七宝の花瓶など。

東京都練馬区石神井台にて、鈴木政輝の油彩画、中国陶器、七宝の花瓶、銀製置物などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。中国陶器や火鉢を処分されたいとのことでお呼びいただきましたが、他にも絵画や七宝製品、純銀製扇子の置物などもお売りいただきました。中国陶器は近年造られた染付の工芸壺でした。七宝も近年の工芸品。絵画は人気洋画家である鈴木政輝の油彩画。鈴木政輝は海や帆船を描いた海洋画を多く描き、光と風をテーマとした独特の空気感に人気がございます。本作はSMサイズと小振りな作品でしたが、六角堂強化買取り作家作品のため、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。次回また、火鉢やカメラの買取でお呼びいただくこととなりました。楽しみにお待ちしてます。
本日の出張は一件のみで早く帰宅することができましたので、家族でステーキガストさんへ行きました。切り落としビーフにサラダやカレー、パンまでたくさんいただきました。切り落としビーフ以外は全て食べ放題、とても美味しくて今夜もまたがっつりといってしまいました・・・。

鈴木政輝(すずきまさてる)1924(大正13)年~
1924(大正13)年 長崎県島原市に生まれる。
1938(昭和13)年 14歳にて上京。島野重之に師事。
1945(昭和20)年 国内だけではなく、海外に向けても作品を発表する。欧州諸国を訪問し、海洋、帆船について研究し、絵画に活かしていく。
1983(昭和58)年 大阪でアジア初の帆船フェスティバル記念展を開催。大阪市に作品が買い上げられる。
1984(昭和59)年 東京・神戸で行われた国際ボートショウで 鈴木政輝海と帆船展を開催。同じく、「新日本丸竣工記念展」を東京で開催する。
1985(昭和60)年 東京練馬区立美術館開館記念展に招待出品。日本丸一世公開記念展を横浜で開催し、横浜市に作品が収蔵される。
1986(昭和61)年 運輸省大臣室に作品が収蔵される。以後、運輸省広報誌の表紙にて作品を一年間掲載される。船の科学館での船の絵画展に招待出品。
1987(昭和62)年 大阪開港120年記念展を大阪で開催。
1988(昭和63)年 (財)帆船日本丸記念財団に作品収蔵。運輸大臣賞受賞。
1989(平成元)年 内閣総理大臣より観桜会に招待される。横浜博覧会・開港130周年記念特別企画展を横浜で開催。
1993(平成5)年 船の科学館に作品が収蔵される。
1994(平成6)年 中国北京市市長室に作品が収蔵される。