月別アーカイブ: 2018年3月

東京都足立区中央本町にて、桐たんす、水屋箪笥、香玉堂の黄銅燻銀寶珠形鎚目蕪発釜。

東京都足立区中央本町にて、桐たんす、水屋箪笥、香玉堂の黄銅燻銀寶珠形鎚目蕪発釜をお売りいただきました。

今日は一日雨作業となりました。本日は解体業者様のご紹介で、解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。大正期の時代たんすに、香玉堂の黄銅燻銀寶珠形鎚目蕪発釜や茶托などのお茶道具をお売りいただきました。こちらの釜は明治頃のものでしょうか、香玉堂の作品は初めて取り扱わせていただきました。玉川堂などにも使用される銅製に鎚目、宝珠型の釜で、替え蓋も付いており素晴らしい釜を買い取らせていただきました。他にも掛軸を数本お売りいただきました。ご家族の方々に大切にされてきたお道具、大事に次へと橋渡しさせていただきます。お忙しい中、当社のご指名ありがとうございました。
倉庫へ戻る途中、いつも寄らせていただいている「小池さんラーメン」へと寄りました。疲れがたまっておりますので、今日はスタミナラーメンをいただきました。ニンニクたっぷりスープで、美味しく栄養補給させていただきました。明日は二件の出張買取、台東区浅草、港区虎ノ門へと向かいます。明日も雨のようですが、一日頑張ります。
六角堂では、香玉堂をはじめ、玉川堂・上彬堂・松栄堂・銀川堂・山川堂・海玉堂・清雅堂・富貴堂などの茶器(湯沸、水注、急須、釜、茶筒、茶托、茶合)や酒器(銚子、猪口、ぐい呑)、花器(花瓶、一輪生)、皿(菓子器、銘々皿、盆)などの製品を探しております。ご不要のお品がございましたら、六角堂までお問い合わせください。

東京都武蔵野市境にて、岩崎鬼剣舞面師 二代目昌悦の鬼の面の買取。

東京都武蔵野市境にて、岩崎鬼剣舞面師 二代目昌悦の鬼の面をお売りいただきました。

本日は三件の出張。一件目は、中野区南台へとお引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。和たんすは残念ながら、買い取りすることが出来ませんでしたが、こちらでは津軽三味線(ケース入り)を買い取らせていただきました。わたしの前に他の業者さんが来られたようでしたが、こちらの三味線は買い取りされなかったようでした。和楽器の買い取りをされていなかったのでしょうか、紅木に子持綾杉胴の良い津軽三味線でした。諦めていた思い出のお品がリサイクルされることとなりましたので、お喜びいただきました。お母様との思い出のお品とのこと、大切に次へと繋げさせていただきますね。二件目は、武蔵野市境にて、岩崎鬼剣舞面師 二代目昌悦の鬼の面、こけしや民芸品、小引き出しなどの古家具をお売りいただきました。「鬼剣舞」は、岩手県北上市の伝統芸能で、鬼の面をつけて踊ります。鬼といっても仏の化身なので、角はございません。40年近くの間、鬼のお面を彫り続けている2代目昌悦である高橋正幸さんの作品です。作品には桐材が使用されるようです。桐には縁を感じます。良いお品、有難うございました。三件目は武蔵村山市中央へと、業者様のご紹介でお呼びいただきました。こちらでは、古いバッジやメダル、勲章、そろばん、はかり、鋳銅製山の置物などをお売りいただきました。昔ご商売をされていたようで、お店で使われていたものが多くございました。ご家族の思い出のお道具、大切に次へと橋渡しさせていただきますね。今日の昼食は「南京亭」さんという中華料理店へ寄り、わたしは麻婆丼をいただきました。昔ながらのシンプルなお味で、とても美味しかったです。夕方帰宅して、息子と一緒に近所のスーパー銭湯「真名井の湯」さんへ行きました。先日腰を痛めてしまいましたので、電気風呂で治療を兼ねて来ました。更にサウナでお腹を引き締められればと・・・。入り口には梅の花がライトアップされており、食事処では桜そばにしらす丼なるお品をいただきました。今日もまた春を感じました。明日は一日雨のようですが、一件の出張買取が入っております。雨に負けず頑張ります!

東京都練馬区谷原にて、桐箪笥、館林源右衛門窯 萬歴風人物絵 花瓶。

 

東京都練馬区谷原にて、桐箪笥、館林源右衛門窯 萬歴風人物絵 花瓶をお売りいただきました。

本日は何と五件の出張買取。本日の出張コースは、世田谷区等々力~大田区池上~昼食~杉並区和田~練馬区谷原~世田谷区桜上水~長浜ラーメン~帰宅と朝から夜までの出張買取となりました。腰痛に悩まされながら、一件目世田谷区へと向かいました。こちらは業者様のご紹介で、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。イタリア家具、古い映画のパンフレット、お着物などを買い取らせていただきました。二件目大田区池上も業者様のご紹介でお呼びいただき、こちらでは油彩画、翡翠の香炉や置物など、中国へ行った際に購入された工芸品をまとめてお売りいただきました。三件目の杉並区和田では、こちらもまた業者様のご紹介でイラン製のウール絨毯を買い受けました。痛みやシミ汚れなどありましたが、まだまだリサイクル可能のものでした。四件目は練馬区谷原にて、桐箪笥、館林源右衛門窯 萬歴風人物絵 花瓶を買い取らせていただきました。源右衛門窯は、260年余の歴史を持つ名窯で、柿右衛門窯、今右衛門窯と並ぶ有田の三右衛門の1つであります。現在も往古のままの手技(てわざ)と、古伊万里のこころを受け継いでおります。六角堂では、源右衛門窯、柿右衛門窯、今右衛門窯の三右衛門作品を強化買取りしてますので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。本日のラスト五件目は、お片付け整理でお伺いさせていただきました。こちらでは、お着物を買い取らせていただきました。ウールのものやシミのあるものもございましたが、全て買い受けさせていただきました。本日お伺いした五件のお客様、色々とお売りいただき有難うございました。全て大切に次へと繋げさせていただきます。今日は朝から回りましたが、さすがに五件の出張は大変でした。移動距離平均10キロ前後とうまくルートを組んだのですが、都内は渋滞がありますのでなかなかうまく回れませんね。もう少しうまく予定を組んでいこうと思います。本日の昼食は、大田区池上にある「うまい肉と麺の店 ヨネ家」さんというお店に寄りました。こちらは全国丼グランプリ金賞受賞というのぼり旗につられて入ったのですが、入ってみるとなにやらお洒落なバーのようなお店。プロレスのチラシなどがたくさん貼ってましたのでお店の方にプロレス好きですか?と聞くと、なんとこちらのお店のオーナーさんは現役のプロレスラーとのこと。モハメドヨネさんというレスラーで、オーナーの名前をとってヨネ家さんのようです。わたしはラーメンと「幻霜肉丼」なるものをいただきました。広島のブランド豚である「幻霜(げんそう)ポーク」を使った肉丼、魚介と豚骨のダブルスープが美味しいラーメン、どちらもとても美味しかったです。近くに来た時には、また寄りたいお店です。夕食は、夜になってしまいましたが、いつも寄らせていただいている世田谷区の「長浜ラーメン」さんへと寄りました。替え玉を二玉追加しましたので、本日計四玉も麺を食べてしまったようです。もう少し控えなければですね。明日は三件の出張買取、中野区、武蔵野市、武蔵村山市を回ります。明日は麺を控えて頑張ります!

東京都立川市にて、桐たんす、長火鉢、鉄瓶、彫刻家 田中昭のブロンズレリーフ。

東京都立川市にて、桐箪笥、長火鉢、鉄瓶、彫刻家 田中昭のブロンズレリーフをお売りいただきました。

解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。田中昭(たなかあきら)は当社で買い取りを強化している作家さんですので、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けました。お忙しい中、当社のご指名ありがとうございました。
仕事帰りに、「くら寿司」さんへと寄りました。わたしの大好きなお店で、こちらへ来るときには、かけうどん、茶碗蒸しを必ずいただいてます。お寿司を二巻、デザートまでいただいて千円を切ります。安くて美味しい、品数も豊富でよく寄らせていただいてます。明日はなんと五件の出張買取。世田谷区二件、大田区、杉並区、練馬区へと伺います。腰痛に悩まされておりますが、頑張ります!

六角堂では、田中昭をはじめ、彫刻作家の作品を探しております。現在買取り強化している彫刻作家は以下となります。
秋山信子(あきやま のぶこ)朝倉響子(あさくら きょうこ) 雨宮敬子(あめのみや けいこ)朝倉文夫(あさくら ふみお)圓鍔勝三(えんつば かつぞう)岡本太郎(おかもと たろう) 北村西望(きたむら せいぼう)木内克(きのうち よし)後藤貞行(ごとう さだゆき) 佐藤忠良(さとう ちゅうりょう)佐藤朝山(さとう ちょうざん) 澤田政廣(さわだ せいこう)清水多嘉示(しみず たかし)高村光雲(たかむら こううん) 富永直樹(とみなが なおき) 中原悌二郎(なかはら ていじろう)野口園生(のぐち そのお)林駒夫(はやし こまお)平櫛田中(ひらくし(ひらぐし) でんちゅう) 舟越桂(ふなこし かつら)舟越保武(ふなこし やすたけ)松本喜三郎(まつもと きさぶろう)宮本理三郎(みやもと りさぶろう) 籔内佐斗司(やぶうち さとし)
作家不詳、無名の作品も買取しております。ご不要のブロンズ・彫刻作品がございましたら、六角堂までお問い合わせください。

田中昭(たなかあきら)昭和4~
富山県氷見市に生まれる。昭和25年金沢美術工芸専門学校彫刻科卒業、畝村直久に師事する。
24年日展初入選、40・41年連続して特選、57年会員証、62年内閣総理大臣賞を受賞。
若い女性の何気ない姿態を、無駄のない肉付けで表現した優れた女性像を制作。
日展評議員。日本彫刻展実行委員。金沢美術工芸大学非常勤講師。

埼玉県川口市へ、時代桐たんす、徳力富吉郎の木版画、野崎信次郎のリトグラフなどの絵画。

 

埼玉県川口市へ、明治期の時代桐箪笥、徳力富吉郎の木版画、野崎信次郎のリトグラフなどの絵画をお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お父様の集めていらっしゃった版画などの絵画をまとめて買い受けさせていただきました。お忙しい中、当社のご指名ありがとうございました。昨日長男がフットサルで優勝しましたので、長男の好きなハンバーグ屋さん「爆弾ハンバーグ フライングガーデン」へ連れていきました。好きなのを食べなさいというと、まだ小四なのにサーロインステーキをペロリと食べてしまいました。わたしは「伝説の焼きカレードリア」をいただきました。ガーリックライスに焼きカレーが合い、とても美味しかったです。また、娘のひな祭りも一日遅れの今日、お祝いさせていただきました。我が家の食費も上がってきたようです。仕事頑張ります!!
ただいま銅版画、木版画、リトグラフなど、版画作品の買い取りを強化しております。版画作品の高価買取なら、六角堂へお任せください。

徳力富吉郎(とくりきとみきちろう)版画界の第一人者として活躍した木版画家。
1902 3月22日、京都市下京区に生まれる。代々画家の家系で、本願寺絵所を預かる旧家で十二代目に当る。
1924 京都市立美術工芸学校、及び、絵画専門学校を首席で卒業。山元春挙、土田麦僊、鹿子木盂郎に日本画、洋画を日野慶吉、大岩徳蔵に師事して版画を学び、国画創作協会第六回展で日本画「人形」を出品、樗牛賞を受賞する。
1928 平塚運一、棟方志功ら版画家と同人雑誌「版」を刊行。
1929 土田杏村氏などの推薦により、版画雑誌「大衆版画」を発行。春陽会に創作版画出品発表(以降、10年間連続出品)。
1946 終戦と同時に版画製作所「版元まつ九」を設立し、幾多の従弟を養成する。産業的版画の量産を始め、木版手摺の絵葉書を製作、全日本絵葉書コンクールに出品受賞する。
1962 米国、及び、欧州各国の古美術見学やスケッチ旅行にて約2ヶ月ほど渡る。
1964 米・英・独各地にて、デモンストレーションを行い、好評を得る。
1965 東京銀座いとう画廊にて、第一回個展開催。
1968 米クリーブランド市メーカーカンパニー百貨店で、棟方志功らと同時個展を開催。
1978 4月29日、勲四等瑞宝章を受賞。
1980 京都市文化功労賞を受賞。
1985 本願寺名誉総裁賞を受賞。
1990 京都仁和時国宝「孔雀明王」(千三百度摺)の復元、摺刷を監修。
1992 京都府特別文化功労賞を受賞。
1996 日本浮世絵協会より、浮世絵奨励賞を受賞。
2000 7月1日、京都市左京区の病院で死去、享年98歳。

野崎信次郎(のざきしんじろう) 
1923年鳥取県に生まれる
1961年光風会入賞
1963年 日本版画院会員
1944年第一展受賞
1965年 創元展入選
1969年新世紀展受賞
1974年国展受賞

群馬県高崎市にて、在銘阿弥陀如来像、小野珀子の金襴手ぐい吞、宣徳銅の手炉など。

   

群馬県高崎市にて、刀田村在銘阿弥陀如来像、小野珀子の金襴手ぐい吞、大明宣徳年製銘の宣徳銅の手炉、軽井沢彫りのブックエンドをお売りいただきました。

お荷物整理にてお呼びいただきました。本日は久々の群馬県出張買取。関越道三芳PAから乗り、上信越道藤岡IC経由で向かいました。作者は不詳でしたが、阿弥陀如来像は円空仏のような姿で雰囲気の良い仏像でした。大明宣徳年製銘の手炉は、時代ある宣徳銅製のもの、当社で強化買取り中のお品になります。宣徳銅器(せんとくどうき)は明王朝最盛期に宣徳帝がシャム(現在のタイ)から真鍮を、日本から赤銅を輸入して作られたもの。こちらは近年造られた写し物になりますが、頑張り査定で買い取らせていただきました。小野珀子は、女性では2人目となる日本陶磁協会賞を受賞している陶芸家。金彩による煌びやかな装飾を施す釉裏金彩(ゆうりきんさい)や金襴手(きんらんて)などを得意とし、数多くの美しい作品を世に残された人気作家です。もちろんこちらも当社で強化買取り中のお品となってます。他にも、堆黒の印籠(こちらも近年造られたものでした)、蒔絵の入った時代琴、掛け軸や額などございましたが、こちらはまた後日お呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしてます。帰りにお客様にこの地域で有名なお食事をお聞きした所、藤岡ラーメンというラーメンが近年人気が出ているとの事でしたので、早速ネットで検索。藤岡市にある「みやご食堂」さんというお店が有名なようでしたので、早速向かいました。しばらく走ってようやく到着すると、なんと準備中。とても残念でした。こちらはまたお呼びいただいた時に必ず寄りたいと思います。藤岡らーめんを諦め、関越道にのり上里SAへ寄りました。以前寄った際にも食事をした「上州ぽ~く亭」さんで上州豚のカツ丼をいただきました。サクサクのカツにとろとろ玉子がとても美味しかったです。今日はひな祭りでしたので、娘に桜あられなどのお土産を買って帰りました。長男はフットサルの試合で優勝してきたようです。明日は埼玉県川口市へ出張買取、夕食は家族で祝い飯をします。

小野珀子(おのはくこ)1925(大正14)年~1996(平成8)年
日本を代表する女流作家で金箔を大胆かつ繊細に使った釉裏金彩や金襴手を得意とし、その華麗な手法と現代的感覚を複合させた豪華絢爛で幽玄な世界観を展開しています。
釉裏金彩とは焼成した磁器の表面に金箔を低温で焼き付け、更に金箔を安定させる為に上から低温で熔ける釉薬を掛けて再び低火度焼成する技法です。
図案構成された金箔が青や黄色の色釉の下から艶やかで幻想的な光彩を放っています。
1925年小野珀子は小野琥山の長女として愛知県に生まれました。
1931年に父が勤務していた名古屋製陶所を辞職し、福島県大沼郡会津美里町瀬戸町に琥山製陶所を設立して一家は移住しました。
不況な時代であった事も重なって父の経営は困難を極めますが、1939年に佐賀県嬉野市嬉野町下宿に小規模ながら琥山製陶所を移設しました。
珀子だけは福島県に残って女学校卒業まで叔父の許に預けられました。
1943年、会津若松高等女学校を卒業後、嬉野に戻って家業に従事しました。
その頃の琥山製陶所は有田の問屋が盛んに買い付けるようになって活気を帯びていました。
1948年に東京の大串家に嫁いだのですが、1960年に協議離婚して嬉野に戻り、父の琥山製陶所デザイン室に勤務しました。
1964年 現代国際陶芸展での加藤土師萌の釉裏金彩作品を見て感激し、自身も釉裏金彩の研究を始める。
1970年 九州山口陶磁展で第一席、日本工芸会西部工芸展朝日銅賞、九州毎日陶芸展準大賞
1971年 日本工芸会西部工芸展朝日金賞、佐賀県展第一席
1973年 日本陶芸展第一部優秀作品賞など受賞し
1981年 女性陶芸家としては2人目となる日本陶磁協会賞を受賞
1970年 日本伝統工芸展初入選以来同展に入選を重ねている(日本工芸会正会員)。
1992年 佐賀県指定無形文化財の認定

埼玉県越谷市にて、桐たんす、茶箪笥、人間国宝高橋敬典の青銅花瓶。

埼玉県越谷市にて、桐たんす、茶箪笥、人間国宝高橋敬典の青銅花瓶をお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。本日もまたお引越し整理、今年はお引越しされる方が例年に比べ多い気がします。本日お売りいただきました桐箪笥、茶箪笥は、明治期のもの。当社得意の時代箪笥でございます。多少ダメージがございましたが、欠品などの致命的なダメージはなくまだまだリサイクルできそうなものでした。その他、贈答品や高橋敬典の青銅花瓶を買い受けました。こちらは昭和の作ですので、敬典が人間国宝となる前の作品になります。当社の強化買取り作家作品ですので、お客様に喜んでいただける高額査定の上、買い受けさせていただきました。搬出しやすいようにスペースを空けていただいたりお気遣いいただき有難うございました。
本日は志木市場の開催日でしたので、終了後いつもお邪魔する朝霞市の「大島屋がってん食堂」で、みんなで食事をしました。先日もいただいた牡蠣、白子、あん肝のセットに北海丼、串揚げと、とても美味しかったです。しばらく出張買取が忙しくなりそうですので、たくさん栄養付けさせていただきました。本日もまたT橋さんにご馳走になってしまいました。ご馳走様でした!明日は群馬県高崎市へ出張買取、頑張ります!

高橋敬典(たかはしけいてん)
砂鉄を精練して得た和銑を原料に地元産の良質な川砂と粘土の特質を活かした鋳型で、伝統的技法を駆使しながら現代感覚に溢れた茶の湯釜を制作しました。
棒箆や笹箆等を用いた箆押しで鋳型に味わい深い文様を表現し、柔和な鋳肌を追求した肌作りには高度な技量が示されています。
長い伝統のある山形県鋳物工芸界の指導者として後進の育成にも尽力されました。
大正九年 山形市に生まれる
昭和十三年 五月家業の鋳造業を継ぐ
昭和二十五年 重要無形文化財「茶の湯釜」保持者・長野垤志に師事
昭和二十六年 日展初入選 以来七回入選
昭和三十五年 日本花器茶器展・読売新聞社賞受賞
昭和三十六年 昭和天皇山形県行幸の際、献上の釜謹作
昭和三十八年 日本伝統工芸展・工芸会会長賞受賞
昭和四十年 中小企業展・通商産業大臣賞受賞
昭和四十六年 日本伝統工芸展・出品作品文化庁買上
昭和四十七年 日本伝統工芸新作展・日本工芸会賞受賞
昭和五十一年 日本伝統工芸展・NHK会長賞受賞
昭和五十二年 斎藤茂吉文化賞受賞
昭和五十三年 日本伝統工芸展・審鑑査委員十回歴任
昭和五十三年 日本伝統工芸展・特待出品
昭和五十四年 皇太子殿下山形県行啓の際、献上の釜謹作
平成三年 日本伝統工芸展・重要無形文化財保侍者選賞受賞
平成四年 勲四等端宝章受章
平成八年 重要無形文化財「茶の湯釜」保持者認定
平成八年 山形市名誉市民選定
平成九年 河北文化賞受賞
平成十年 文化庁買上
平成十一年 日本伝統工芸展作品文化庁買上
平成十二年 山形県郷土館開館五周年記念事業
やまがた人間国宝三人の会
平成二十一年六月二十三日   逝去

東京都文京区にて、長岡空味の楽山焼茶碗、須田菁華の呉州赤絵赤玉馬上盃など茶道具一式。

 

東京都文京区千石にて、長岡住右衛門九代長岡空味の楽山焼茶碗、三代須田菁華の呉州赤絵赤玉馬上盃など茶道具一式をお売りいただきました。

断捨離との事でお呼びいただきました。十年以上前に茶道をやめてしまい、長い間しまったままにされていたお茶道具を一式出していただきました。茶碗、水差 、棗、茶入、香合、風呂、釜、茶杓、鉄瓶、茶棚、炉縁などのお茶道具を一式お売りいただきました。お茶道具は当社で最も得意としている取り扱い商品ですので、一点一点丁寧に説明させていただきお客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。長岡空味は、7代長岡空入の子で通称を国といい、楽山焼の九代目となりました。空味はたまたま茶道の復興の時期に遭遇し、大正6年に催された松平不昧公百年祭に公開された茶道名器にふれて刺激を受け、これを機に茶趣が加わり名工と称賛されました。須田青華は北大路魯山人とも造詣が深い九谷焼の名門。こちらは三代の作品となります。良い時代のお茶道具、まとめてお売りいただきありがとうございました。
今日は骨董屋の先輩が近くへ買い取りに来ていると連絡をいただき、わたしの大好きな「とんでん」さんで合流しました。先輩の奢りという事でしたので、贅沢にうな重をいただいてしまいました。久々の鰻にいわしの骨せんべい、とっても美味しかったです。ご馳走様でした!

9代 長岡空味(ながおかくうみ) 1874(明治7)年~1960(昭和35)年
1716年頃、松江藩主松平不昧候が同地の焼き物であった楽山焼(4代加田半六の頃)廃絶の危機に対し、
布志名焼陶工であった住右衛門を招いて5代楽山焼窯主として再興を模索したのが始まりといわれております。
以降長岡住右衛門を継承して代々松江藩の御庭焼として制作を続けている陶家で楽山焼の9代目、長岡住右衛門としては5代目となる。
現在は代数の多い9代長岡住右衛門と称す方が通例となっております。

9代長岡空味は9代坂高麗左衛門に師事しました。
1917(大正6)年、不昧公百年祭に公開された茶器名品に刺激されて茶趣がより加わりました。
楽山焼を後世に残した業績は多大で名工の誉が高いです。
藩窯の流れを汲む事から御用窯としての格式を重んじて品位を重視し、
楽山焼の窯場に松平不昧と千利休の坐像を残しました。

須田菁華(すだ せいか)
初代 須田菁華  (1862~1927)は、文久2年(1862)金沢の商家に生まれる。初名与三郎。
明治13年(1880)石川県勧業試験場陶画部を卒業し、京都に出て製陶を研究する。
明治16年(1883)九谷陶器会社に入社。
明治18年(1885)画工長となる。
明治24年    山代温泉に錦窯を築く。
明治39年(1906)自家専用の登窯「菁華窯」を築く。
染付・祥瑞・安南・伊賀・万暦・古赤絵・古九谷などの彷古品に妙技を振るう。
大正4年(1915) 北大路魯山人(当時福田大観)が訪れ魯山人に陶芸の手ほどきをする。
江沼郡九谷陶器同業組合長。
昭和2年(1927) 没。
二代 菁華    明治25年(1892)~昭和46年(1971)初代菁華の子。本名吉次。
三代 菁華    大正5年(1916)~昭和56年(1981)
四代 菁華    昭和15年(1940)~ 三代菁華の子。
金沢美術工芸大学洋画科卒業後、家業を継承するべく父、祖父に就いて陶法を修行。
昭和56年(1981)三代菁華の死去に伴い、四代を襲名。