月別アーカイブ: 2017年5月

東京都八王子市にて、仙台箪笥、掛け軸、無形文化財玉川堂玉川覚平作鹿文額皿、玉川堂製南瓜模様鎚起銅製額皿をお売りいただきました。

      

東京都八王子市にて、仙台箪笥、掛け軸、無形文化財玉川堂玉川覚平作鹿文額皿、玉川堂製南瓜模様鎚起銅製額皿をお譲りいただきました。

お引越し前の荷物整理にてお呼びいただきました。お爺様が新潟県の出身という事で、玉川堂のお品が多数ございました。中でも玉川覚平作鹿文額皿、南瓜模様鎚起銅製額皿は珍しく、今まで玉川堂を数多く買い取りしてきましたが、はじめて見るものでした。玉川堂の作品は、当社で買い取りを強化しておりますので、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けました。本日は、神奈川県藤沢市、相模原市、東京都八王子市と三件の出張がありましたので、前日より藤沢市で前乗りし、お見積もり終了後に江の島へと寄りました。もう夏ですね。今日は天気も良く日曜日でしたので海岸は人がいっぱいいて、皆さんビーチを満喫しておりました。二件目へ向かう途中、藤沢市内にある「ジャンボおしどり寿司」さんへと寄り、生しらすのお寿司などをいただいきました。あら汁も具沢山でとても美味しかったです!夏休みに向けて、明日も出張買取頑張ります!

玉川堂(ぎょくせんどう)
日本国内の地場産業として有名な新潟県燕市の金属加工業の中でも唯一、1枚の銅板を鎚で叩き起こして銅器を製作する「鎚起銅器」(ついきどうき)の伝統技術を二百年弱に渡って継承している老舗です。
そのルーツは、江戸時代初期、和釘づくりが始まったことに端を発します。
江戸時代後期、仙台の渡り職人が燕に鎚起銅器の製法 を伝え、1816年(文化13年)、玉川堂の祖、玉川覚兵衛によって受け継がれました。
燕に銅器製造が発展した背景には、近郊の弥彦山から優良な銅が産出され、素材の入手が容易であったためです。

日常銅器(鍋、釜、薬罐)の製造から、漸次工芸品的要素を加え、1873年(明治6年)、日本が初めて参加したウィーン万国博覧会に出品し、戦前までに約三十回内外博覧会に出品受賞しました。
1894年(明治27年)には明治天皇御大婚二十五周年奉祝に一輪花瓶を献上し、皇室の御慶事には玉川堂製品の献上が習わしとなっています。

現在、新潟県より「新潟県無形文化財」、文化庁より「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」、経済産業大臣(旧通商産業大臣)より「伝統的工芸品」に指定され指定され、国内唯一の鎚起銅器産地の発展に努力しています。

六角堂では、玉川堂の製品を強化買取りしております。また、銀川堂・松栄堂・山川堂・海玉堂・清雅堂・秀峰堂・金星堂・富貴堂・上彬堂などの茶器(湯沸、水注、急須、茶筒、茶托、茶合)や酒器(銚子、猪口、ぐい呑)、花器(花瓶、一輪生)、皿(菓子器、銘々皿、盆)などの製品を探しております。ご不要になりましたお品がございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。

八王子市出張地域は、暁町、旭町、東町、石川町、泉町、犬目町、上野町、打越町、宇津木町、宇津貫町、梅坪町、裏高尾町、追分町、大塚、大船町、大谷町、大横町、大和田町、小門町、尾崎町、小津町、鹿島、加住町、片倉町、叶谷町、上壱分方町、上恩方町、上川町、上柚木、川口町、川町、北野台、北野町、絹ケ丘、清川町、椚田町、久保山町、越野、小比企町、小宮町、子安町、左入町、散田町、下恩方町、下柚木

埼玉県川越市にて、桐箪笥、お着物、掛け軸、松堂作埋木紙切、唐紙切、木知田重吉(清雲)作加賀木彫獅子頭。

埼玉県川越市にて、桐箪笥、お着物、掛け軸、松堂作埋木紙切、唐紙切、木知田重吉(清雲)作加賀木彫獅子頭をお譲りいただきました。

旧家解体前の片付け整理にてお呼びいただきました。桐箪笥、着物、古くより家にあったお道具やお人形、置物などをお売りいただきました。紙切とは紙を切るもので、ペーパーカッターのことです。古くはこのような素敵なお品を使われていたのですね。素敵なお道具などをお譲りいただき有難うございました。本日は、朝より川越市、練馬区、中野区と三件の出張買取、見積もりで昼食をとれず夜にようやくジョナサンへと寄れました。昨夜、ビュッフェレストランで食事をとりすぎてしまったので控えめにいただこうと思っておりましたが、夜8時の昼食とずっと我慢してましたので和風ハンバーグにケイジャンフライドチキン2pを追加して食後にアサイーバナナスムージーと、またまた過食してしまいました。アサイーは栄養価が高く、スーパーフルーツと呼ばれているようです。アサイー自体はあまり味がないのですが、バナナの甘みがあり、あっさりとしてほのかに甘いとても美味しいスムージーでした。栄養たっぷりと付けましたので、明日も二件の出張買取頑張ります!

六角堂の取り扱い買取商品は多数ございます。桐箪笥・古家具・民芸家具・茶道具・書道具・掛軸・絵画油絵・リトグラフ・骨董品・中国骨董・李朝骨董・西洋アンティーク・屏風・仏像・仏具・香木・置物・古道具・陶磁器・漆器類・甲冑・火鉢・軍服・勲章・古絵葉書・古書・着物・和装小物・かんざし・花瓶・人形・こけし・ブロンズ・彫刻・三味線・琴・尺八・レトロおもちゃ・蓄音機・キセル・金銀製品・印籠・古時計・剥製・バッグ・腕時計・オーディオ・ギター・楽器・ミシン・レコード・釣具・贈答品・貴金属・毛皮・絨毯・香水・化粧品・古酒・中古・新品・ジャンク品等々、ご不要のお品がございましたら、六角堂までお問い合わせください。

加賀木彫獅子頭・・・初代加賀藩主前田利家公が、金沢城に入城した時に盛大に行われたお祝いの獅子舞は、それ以後の隠れた武芸奨励策として盛んになりました。獅子頭も各町に一基守護神として大切に保存され町の誇りでもあり、現在でも沢山の町会で祭礼に獅子舞を見ることができます。また獅子頭は災難をくいとめ、一声で万物を畏服すると云われており、魔除、厄除けの守り神として床の間や玄関などに飾られたり、縁起物としてお正月やお祭りの飾りは勿論、各種の御祝(新築・結婚・出産・節句・など)に用いられ縁起の良い置物として年間を通して親しまれています。

川越市出張地域は、通町 富士見 上戸新町 六軒町 連雀町 上老袋 むさし野 府川 霞ケ関北 日東町 扇河岸 川越 寺井 幸町 大袋 今成 寺尾 伊佐沼 城下町 諏訪町 脇田本町 藤倉 東本宿 郭町 松江町 八ツ島 下小坂 四都野台 元町 問屋町 末広町 宮元町 松郷 中福東 豊田本 山田 南田島 南大塚 平塚 野田 むさし野南 月吉町 小中居 下老袋 小室 古市場 福田 上松原 青柳 寺山 上寺山 稲荷町 伊勢原町 新宿 南通町 田町 古谷本郷 久下戸 清水町 渋井 大塚 小ケ谷 広栄町 的場北 上野田町 大仙波新田 下新河岸 仲町 三光町 大中居 牛子 宮下町 鯨井新田 天沼新田 藤原町 藤間 芳野台 大仙波 野田町 並木西町 大袋新田 栄 砂 鹿飼 藤木町 川鶴 池辺 小仙波町 今福 脇田町 御成町 中福 中老袋 寿町 三久保町 東明寺 中台元町 広谷新町 高島 仙波町 旭町 霞ケ関東 古谷上 砂久保 下広谷 山城 木野目 岸 上戸 並木 中台 萱沼 安比奈新田 的場新町 中原町 吉田新町 大塚新田 上新河岸 北田島 鴨田 増形 富士見町 泉町 新富町 石田本郷 並木新町 志多町 豊田町 久保町 小堤 砂新田 今泉 下松原 下赤坂 鯨井 岸町 東田町 かすみ野 神明町 平塚新田 豊田新田 吉田 菅原町 石田 小仙波 菅間 熊野町 大手町 笠幡 石原町 南台 脇田新町 新宿町 氷川町 かし野台 竹野 谷中 西小仙波町 大塚新町 的場 かわつる三芳野 喜多町

東京都武蔵野市にて、火鉢や唐木の座卓、衝立、掛け軸、煙管などの古道具、鍋島砧青磁浮牡丹四方花瓶。

 

東京都武蔵野市境南町にて、火鉢や唐木の座卓、衝立、掛け軸、煙管などの古道具、鍋島砧青磁浮牡丹四方花瓶をお譲りいただきました。

旧家解体前の片付け整理にてお呼びいただきました。骨董品のコレクターであるお客様で、たくさんの素晴らしいお品を拝見させていただきました。今も骨董品が好きで探し買っていらっしゃるとのこと、今後も骨董品、古美術品を大事にされてください。先日結婚記念日だったのですが、出張が忙しく何もしてあげられなかったので、家族でららぽーと富士見に行きました。夕飯で、ららぽーと内にある、「彩の国レストラン」さんへとお邪魔しました。こちらのお店では、「地産地消」を極力意識した地元食材を中心としたメニューはバラエティ豊かに全80種類以上をラインナップ。野菜本来の美味しさを存分に楽しめる新鮮サラダバーや野菜を使用したヘルシーな焼き立てパン、埼玉県産黒豚を使用したメニューなど、地元食材ならではの美味しさと旬を感じるメニューラインナップをいただける自然食ビュッフェレストランです。健康の為、野菜を多く採れるので良しと思いましたが、あまりの数の多さでついついとお皿に入れ過ぎてしまい普段の二倍くらいの量を平らげてしまいました。最近はまっているスムージーもあり、こちらも五杯以上飲んでしまいました。お腹がパンパン、明日も現場でバリバリと動きます。

鍋島焼とは佐賀の藩主であったといわれる鍋島侯が、自費を投じて製作させて御庭焼。 御庭焼とは一般の人々に売る為の焼物(伊万里・九谷・他)などとは違っていて、藩内に使う為つまり自家用に作られたものを御庭焼と呼びました、その為鍋島焼は一般の人々にはほとんど知られていなかったと言われています。鍋島焼の特徴としては、まず一番分かり易いのは高台が普通の焼物に比べて高くなっている気品が有る感じの作りになっている高台の径も決まっていて一尺、七寸、五寸、三寸という寸法にほぼ一定に作られております、裏模様も一定した文様であるのが特徴です。鍋島青磁は中国青磁を手本とした焼物であると言われてます。鍋島青磁が目指したのが、中国の南宋・元時代に龍泉窯(りゅうせんよう)で作られた最高級の青磁、「砧(きぬた)青磁」と考えられております。この「砧」とは、本来は麻や楮(こうぞ)の衣を打って柔らかくするための道具の名で、龍泉窯の優れた青磁に対して付けた日本独自の呼び方です。

六角堂では、日本の古い青磁作品から新しい作家物まで、中国の砧青磁や龍泉窯、朝鮮の高麗青磁など、幅広く青磁作品の買い取りをしております。ご所蔵の作品がございましたら、無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。青磁の他にも、様々な陶磁器の買い取りをしております。陶磁器に詳しいスタッフがお伺いして、査定させていただきます。
陶磁器作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!

青磁(せいじ)
青緑色の釉 (うわぐすり) のかかった磁器。青緑色は釉中の鉄分が還元炎で焼成されて発色したもの。初め中国で発達し,東アジア各地に広まった。中国では魏・晋・南北朝時代頃から作られはじめ,宋代において完成。制作の年代,窯,形状,模様などによって数十種類に分類されるが,耀州,臨汝,修内司,竜泉窯などのものがすぐれている。朝鮮では中国の影響を受けて高麗時代に焼造された高麗青磁が著名で,独特の象眼青磁が創始された。日本では江戸時代中期から作られ,兵庫県の三田 (さんだ) 焼が特に有名。

東京都北区滝野川にて、お着物や掛け軸、有田焼飾り壷、木彫りの置物、鑑賞水石、人間国宝藤原啓の備前八寸皿をお売りいただきました。

 

東京都北区滝野川にて、お着物や掛け軸、有田焼飾り壷、木彫りの置物、鑑賞水石、人間国宝藤原啓の備前八寸皿をお譲りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。当社で強化買取りしている人間国宝作品でしたので、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けました。当社のご指名、有難うございました。帰りに、埼玉県戸田市にある中華料理屋柳明館さんへ寄りました。国道17号を使って帰るときには、よく寄らせてもらっております。健康の為、大好きなラーメンを我慢して、チャーハンを選びましたが、ついついセットでつけ麺をつけてしまいました・・・それでもスープを飲まずに、塩分を抑えることが出来たので良しとしました!もうすぐ京都出張が入ります。塩分抑え目、薄めの味付け待っております。

当社では藤原啓の陶芸作品を探しております。人間国宝をはじめ、作家物の陶器工芸品を中心に取り扱いしてますので自信があります! 作家物の壷、花瓶、茶碗、皿、鉢、香炉、ぐい呑、徳利、湯呑、水滴、急須、盃などはおまかせください!

藤原啓をはじめ、金重陶陽、伊勢崎淳、藤原雄、山本陶秀、安倍安人、森陶岳、中村六郎、中村真、原田拾六、隠﨑隆一、藤原楽山、金重道明、金重素山、伊勢崎満、伊勢崎陽山など備前焼作家物を強化買受けしております。
室町時代・桃山時代・江戸時代の古い備前焼、古備前も買い取り実績豊富な六角堂まで!
また、備前焼以外にもたくさんの陶磁器を探しております。たくさんのお問い合わせお待ちしております。

藤原啓(ふじわらけい 明治32年(1899)2月28日~昭和58年(1983)11月12日 84才)
岡山県備前市穂浪に農業を営む藤原伊三郎、世為の三男として生まれる。

1938年:三村梅景に師事し備前陶芸の道を歩み始める。当時40歳という遅いスタート。
1948年:国認定の技術保存資格者(丸技)の資格(備前焼では他に金重陶陽、山本陶秀のみ)を受けたのを機に作陶への生涯を決意する。金重陶陽や北大路魯山人らからも指導を受け、技術向上に邁進。特に金重陶陽が先駆となった古備前復興の継承に尽力。桃山古備前の技法を基礎にしながらも、窯の中での自然の変容を生かした近代的な造形が特徴である。師である金重とは対照的で素朴で大らかな作品が、古くから受け継がれた備前焼の新たな展開を示し、後進へ大きな影響を与えた。
1954年:北大路魯山人の斡旋で日本橋高島屋にて個展を開く。同年、岡山県指定無形文化財「備前焼」保持者に認定。
1958年:日本工芸理事に就任。
1962年:プラハ国際陶芸賞を受賞した。
1970年:重要無形文化財「備前焼」保持者に認定。
1972年:勲四等旭日章を受章。
1976年:備前市名誉市民となる。同年備前市には財団法人藤原啓記念館が設立されており、藤原啓自身の作品や数々の古備前を展示している。
1983年:逝去。同日、勲三等瑞宝章を受章。

東京都板橋区小豆沢にて、総桐箪笥、お着物、掛け軸、五世秦蔵六造塗金銅立鼓式花入をお売りいただきました。

東京都板橋区小豆沢にて、総桐たんす、お着物、掛け軸、五世平安蔵六造塗金銅立鼓式花入をお譲りいただきました。

遺品整理とのことでお伺いしました。即日のご依頼でしたが、訪問時間を調整していただきましたおかげで、ご要望にお応えすることが出来ました。当社で買い取り強化している人気作家のお品でしたので、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けが出来ました。このたびは当社をご用命いただきありがとうございました。即日のご依頼の場合でも、近くを回っている時にはすぐにお伺いすることも可能です。急な出張依頼でも、一度お問い合わせください。出張帰りに、N尾氏と中華レストランのバーミャンへ寄りました。ふじみ野店ではB級フェアをしており、富山ブラックラーメンか悩みましたが、今回は肉盛り徳島ラーメンにしました。N尾氏は台湾ラーメンを食べておりました。徳島ラーメンですが、濃いめの味付けが癖になりそうです。また今日もラーメンを食べてしまったので、これからワンダーコアで体を絞ります!

六角堂では、秦蔵六をはじめ、金工作家の作品を探しております。現在買取り強化している金工作家は以下となります。

荒木東明 一宮長常 飴谷有珉 石黒光南 初代魚住為楽 内島青鳳 海野盛寿(凌雲斎) 海野勝珉 二代海野美盛 海野清 圓鍔勝三 大澤光民 大島如雲 大森雪峰英友 岡崎雪声 奥山峰石 香川勝広 鹿島一谷 鹿島秀広 桂盛仁 加藤忠三郎 香取秀真 香取正彦 門脇喜平 金森映井智 金谷五郎三郎 加納夏雄 鴨下春明 菊池政光 北原千鹿 北村静香 黒川栄勝 黒瀬宗康 黒瀬宗世 高玉斎一久 後藤一乗 小林親光 駒井音次郎 齋藤明 佐々木象堂 澤田宗味 正阿弥勝義 須賀松園 須賀月真 関谷四郎 紹美栄祐 鈴木長翁 鈴木盛久 高村豊周 田口壽恒 玉川宣夫 帖佐美行 塚田秀鏡 豊田勝秋 内藤四郎 中川衛 中杉与三七 二橋美衡 根来実三 野上龍起 般若勘渓 羽原秋芳 本間琢斎 蓮田修吾郎 増田三男 丸谷瑞堂 三好三治 村田整珉 米光光正 和田美之助 山田宗美 角谷一圭 角谷沙村 角谷与斎 宮崎寒雉 吉羽與兵衛 高橋敬典 大西清右衛門 中川浄益 金森浄栄 一之瀬宗辰 秦蔵六 長野垤志 西村道仁 西村道也 金谷五郎三郎 金谷浄雲 門脇喜平 畠春斎 和田美之助 佐藤清光 菊池正直

お品をひとつひとつ丁寧に拝見し、お話させていただきます。
その上でご納得いただけた場合のみお買取りさせていただきます。お気軽にご相談くださいませ。

秦蔵六(はた ぞうろく)
初代蔵六が、山城(京都南部)から今日に上がり当時鉄瓶製作の大家であった龍文堂(二代)に
鋳金技術を学びさらに中国(漢・周)の銅器を独自に研究し独立。
孝明天皇の御印、将軍徳川慶喜の黄金印をてがけ明治期には宮内省の命により
明治天皇御璽・大日本国璽(印鑑)を製作し名声を得た。
以降各代研究、模索を続け現代に号・蔵六と鋳金技術を一子相伝で伝えている。
蔵六銅器の特徴は中国の青銅器写しであるが、ところどころに金箔を張った作品が多く見られ、
それは時代経過と共に金箔がはがれている様を表している蔵六独特の意匠であり高く評価されている。

東京都練馬区桜台にて、屏風、簾、書道具、書の扁額、掛け軸、油彩画、日本画家常盤大空の水墨画「龍」をお売りいただきました。

東京都練馬区桜台にて、屏風、簾、書道具、書の扁額、掛軸、油彩画、日本画家常盤大空の水墨画「龍」をお譲りいただきました。

建て替えの為、お荷物の整理でお呼びいただきました。お亡くなりになられたご主人様が集めていらっしゃったお道具などを多数お譲りいただきました。お売りいただくお品の数が多かった為、査定時間が長くなってしまいましたが、ご協力いただきましたおかげで、無事買い受けさせて頂く事が出来ました。ご主人様が大事にされていた御道具など、大事に次へと橋渡しさせていただきます。お忙しい中、有難うございました。出張帰りに、リンガーハットさんへ寄りました。最近仕事帰りにラーメンを食べることが多く、塩分が心配でしたので、減塩長崎ちゃんぽんをいただきました。味が薄かったのですが、野菜が多く美味しかったです。出張が多く、外食が多いので、塩分や糖分に気を付けていきたいと思います。

ただいま六角堂では日本画作品を探しております。
秋野 不矩、池上 秀畝 、池田 蕉園、池田 遙邨、伊東 深水、稲田 和正、今村 紫紅、入江 波光、岩橋 英遠、上村 淳之、上村 松園、上村 松篁、梅津 道雄、大橋 翠石、大山 忠作、岡 信孝、小川 芋銭、奥田 元宋、奥村 土牛、小倉 遊亀、小野 竹喬、尾竹 国観、小茂田 青樹、片岡 球子、堅山 南風、加藤 栄三、加藤 東一、金島 桂華、狩野 芳崖、鏑木 清方、加山 又造、川合 玉堂、川端 龍子、菊池 契月、北野 恒富、吉川 霊華、木村 武山、工藤 甲人 、小泉 淳作、小杉 放庵、児玉 希望、小林 古径、小松 均、郷倉 和子、郷倉 千靱、酒井 三良、榊原 紫峰、佐藤 太清、柴田 是真、下田 義寬、下村 観山、杉山 寧、千住 博、高山 辰雄、竹内 栖鳳、竹久 夢二 、田中 一村、土田 麦僊、寺島 紫明、徳岡 神泉、富岡 鉄斎、冨田 溪仙、堂本 印象、堂本 元次、中島 千波、中村 岳陵、中村 貞以、中村 不折、西村 五雲、橋本 関雪、橋本 雅邦、橋本 明治、浜田 昇児 、濱田 台児、林 功 、速水 御舟、東山 魁夷、菱田 春草、平川 敏夫、平福 百穂、平松 礼二 、平山 郁夫、福井 爽人、福王寺 法林、福田 平八郎、堀 文子、前田 青邨、牧 進、松尾 敏男、松岡 映丘、松林 桂月、宮廻 正明、三輪 良平、武藤 孤舟、村上 華岳、森田 りえ子、守屋 多々志、安田 靫彦、山口 華楊、山口 蓬春、山本 丘人、山元 春挙、横山 大観、横山 操、渡辺 省亭
など、ご所蔵の作品がございましたら、無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。
日本画の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!

常盤大空(ときわたいくう)1913年(大正2)~1983年(昭和58)
福島県出身。本名を政男といいます。川端画学校卒。
川端画学校卒業後は、1940年に第27回院展にて初入選となる。
以降、入選、奨励賞などを重ね、62年に日本美術院賞・大観賞を受賞する。
この頃から堅山南風に師事。
また68年に同人に推挙され、74年には院展文部大臣賞を受賞となる。
日本や中国などの風景や仏画をよく研究してオリエンタル溢れる独自の画風を展開。

東京都目黒区八雲にて、伝統工芸春日部桐箪笥、お着物、掛け軸、人間国宝近藤悠三の柘榴文染付壷をお売りいただきました。

東京都目黒区八雲にて、伝統工芸春日部桐箪笥、お着物、掛け軸、人間国宝近藤悠三の柘榴文染付壷をお譲りいただきました。

解体前の片付け整理にてお呼びいただきました。染付の技法で人間国宝になられた近藤悠三さんの作品をお譲りいただきました。共箱などはありませんでしたが、当社で買い取りを強化している作家のお品でしたので、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けさせていただきました。素敵な作品をお売りいただき有難うございました。仕事帰りに志木の市場の仲間たちと朝霞市にあるがってん食堂 大島屋さんへと寄りました。春の新メニューでうな重にタコチジミ、白エビと桜エビのかき揚げ天ぷらをいただきました。いつもお世話になっているT橋社長のおごりとのことでしたので、がっつりと頂いてしまいました・・・ごちそうさまでした!

ただいま人間国宝、作家物の陶芸作品を強化買取りしております。
作家のないお品も多数扱っておりますので、処分される前に一度お問い合わせください。
たくさんの御見積お待ちしております。

陶芸(人間国宝)  色絵磁器 - 富本憲吉、加藤土師萌、藤本能道、十三代今泉今右衛門、十四代酒井田柿右衛門、鉄釉陶器 - 石黒宗麿、清水卯一、原清、民芸陶器 - 濱田庄司、志野 - 荒川豊蔵、萩焼 – 三輪休和(十代三輪休雪)、三輪壽雪(十一代三輪休雪)、備前焼 – 金重陶陽、藤原啓、山本陶秀、藤原雄、伊勢崎淳 唐津焼 – 中里無庵、染付 – 近藤悠三、白磁・青白磁 -塚本快示、琉球陶器 - 金城次郎、鉄絵 - 田村耕一、練上手 - 松井康成、白磁 - 井上萬二、三彩 - 加藤卓男、民芸陶器- 島岡達三、青磁 – 三浦小平二、中島宏、彩釉磁器 - 三代徳田八十吉、常滑焼(急須)-三代山田常山、釉裏金彩(ゆうりきんさい)-吉田美統、無名異焼(むみょういやき)-五代伊藤赤水

近藤悠三(こんどうゆうぞう)明治35年(1902)2月8日~昭和60年(1985)2月25日 83才没。は日本の陶芸家。1977年に人間国宝に認定。本名は近藤雄三。
1914年、京都市立陶磁器試験場付属伝習所轆轤科に入所。同試験場で勤務。当時、河井寛次郎と濱田庄司が東京高等工業を卒業して技手として陶磁を研究しており、近藤は濱田から窯業科学などを学んだ。
1928年の第9回帝展で初入選を果たし、以後13回連続で入選する。
1956年、「山水染付壺」が第3回日本伝統工芸展で日本伝統工芸会賞を受賞。
1956年には岐阜県多治見市にて志野焼の研究し、ザクロや梅などをモチーフとして絵画的な表現。 1960年以降、呉須染付に併用して赤絵や金彩の技法を用いる様になり、更に独特の作風を確立した。
1970年、紫綬褒章。
1973年、勲三等瑞宝章、京都市文化功労者章。
1977年、重要無形文化財「染付」の保持者に認定。
1985年、歿、83才。

東京都世田谷区三宿にて、桐箪笥、お着物、火鉢、掛け軸、茶道具、南部盛岡三厳堂名人星山直正の鉄瓶、南部岩鋳 清末作 桜花尽文砂鉄急須 をお売りいただきました。

東京都世田谷区三宿にて、桐箪笥、お着物、火鉢、掛け軸、茶道具、南部盛岡三厳堂名人星山直正の鉄瓶、南部岩鋳 清末作 桜花尽文砂鉄急須 を買取させていただきました。

旧家解体前の片付け整理にてお呼びいただきました。お忙しい中、当社のご指名有難うございました。人気の鉄瓶ですが、ごく一部のものに砂鉄を原料として造られている砂鉄鉄瓶があます。砂鉄は素材自体が高価なうえ、とても硬い素材のため加工も難しく、非常に希少なものとなり骨董的価値がございます。お売りいただきました急須は、砂鉄製の物でしたので、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けました。桜花尽文が素敵ですね。砂鉄の場合、炭素の含有量が低くそれ故に、構造がより緻密です。緻密ゆえに、叩くと、チーーーンと高い音がします。またお湯が沸くと、チンチンチンとがしてとても素敵ですよ。

現在六角堂では、鉄瓶、急須、銀瓶、金瓶を強化買取りしております。強化買取中の鉄瓶は、以下となります。
龍文堂、亀文堂、金龍堂、金寿堂、祥雲堂、瑞雲堂、雲色堂、光玉堂、蔵六造、大国造、日本梅泉造、秦蔵六、畠春斎、 般若勘渓、石黒光南、角谷一圭、鈴木盛久、長野垤志、中川浄益、名越弥五郎、宮崎寒雄、小泉仁左衛門、佐藤清光、菊池政光

六角堂出張買取地域
東京都
世田谷区・港区・中央区・渋谷区・杉並区・目黒区・千代田区・大田区・品川区・新宿区・文京区・豊島区・中野区・練馬区・足立区・荒川区・板橋区・江戸川区・葛飾区・北区・江東区・墨田区・台東区・武蔵野市・昭島市・小金井市・三鷹市・あきる野市・日野市・調布市・府中市・小平市・国分寺市・国立市・武蔵村山市・清瀬市・東村山市・西東京市・福生市・青梅市・東大和市・羽村市・立川市・町田市・多摩市・稲城市・狛江市・八王子市・東久留米市
神奈川県
横浜市(鶴見区・中区・緑区・港北区・戸塚区・神奈川区・西区・栄区・泉区・旭区・南区・保土ヶ谷区・港南区・筑紫区・金沢区・瀬谷区・磯子区・青葉区)・川崎市(多摩区・川崎区・中原区・幸区・高津区・宮前区・麻生区)・相模原市(緑区・中央区・南区)・小田原市・平塚市・横須賀市・藤沢市・厚木市・大和市・秦野市・鎌倉市・茅ヶ崎市・伊勢原市・座間市・三浦市・海老名市・綾瀬市・逗子市・南足柄市
千葉県
千葉市(稲毛区・中央区・緑区・花見川区・美浜区・若葉区)・我孫子市・市川市・市原市・印西市・浦安市・柏市・香取市・鎌ヶ谷市・木更津市・君津市・佐倉市・山武市・白井市・匝瑳市・袖ヶ浦市・東金市・富里市・流山市・習志野市・成田市・野田市・富津市・船橋市・松戸市・茂原市・八街市・八千代市・四街道市・八潮市・大網白里市・神崎町・栄町・酒々井町・芝山町・長生村・長南町・長柄町・睦沢町・横芝光町・白子町
埼玉県
さいたま市(大宮区・南区・西区・北区・中央区・見沼区・岩槻区・浦和区・桜区・緑区)・川口市・越谷市・川越市・所沢市・熊谷市・草加市・春日部市・東松山市・狭山市・三郷市・上尾市・深谷市・富士見市・入間市・朝霞市・鳩ヶ谷市・本庄市・坂戸市・戸田市・飯能市・ふじみ野市・加須市・鴻巣市・鶴ヶ島市・新座市・桶川市・北本市・久喜市・行田市・蓮田市・羽生市・幸手市・蕨市・秩父市・日高市・志木市・八潮市・和光市・吉川市・比企郡・北葛飾郡・大里郡・児玉郡・入間郡・南埼玉郡・北埼玉郡・秩父郡・北足立郡
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その他、箱根、伊豆方面や軽井沢にも無料にて出張致しております。骨董品類に関しては全国出張買取致します。お気軽にご相談ください。

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東京都町田市にて、お着物、絵画、掛け軸、お茶道具、金工師 鶴岡鉦次郎の錫製ぐい呑みをお売りいただきました。

東京都町田市にて、お着物、絵画、掛け軸、お茶道具、金工師 鶴岡鉦次郎の錫製ぐい呑みをお譲りいただきました。

お引越し前の荷物整理にてお呼びいただきました。ジュエリーデザイナーでもある鶴岡鉦次郎氏の錫製ぐい吞み、とてもお洒落ですね。こんな素敵なぐい呑みでわたしも一杯やりたいものです。
錫は金・銀に次ぐ高価な金属として知られています。 起源は古く、紀元前の3000年頃にはすでに銅と錫との合金である「青銅」が使われるなどし、紀元前1500年頃の中国殷王朝では錫が使用されていたと言われています。 長く日本各地でも採掘されていた錫ですが、昭和40年代を最後に国内での採掘がなくなってしまった為、古い錫製品は希少となっています。 茶道具においては「茶筒」「茶釜」「茶壺」「香合」「水指」などにも使われています。

六角堂では、金工作家の作品を探しております。買取り強化している金工作家は以下となります。

荒木東明 一宮長常 飴谷有珉 石黒光南 初代魚住為楽 内島青鳳 海野盛寿(凌雲斎) 海野勝珉 二代海野美盛 海野清 圓鍔勝三 大澤光民 大島如雲 大森雪峰英友 岡崎雪声 奥山峰石 香川勝広 鹿島一谷 鹿島秀広 桂盛仁 加藤忠三郎 香取秀真 香取正彦 門脇喜平 金森映井智 金谷五郎三郎 加納夏雄 鴨下春明 菊池政光 北村静香 黒川栄勝 黒瀬宗康 黒瀬宗世 高玉斎一久 後藤一乗 小林親光 駒井音次郎 齋藤明 佐々木象堂 澤田宗味 正阿弥勝義 須賀松園 須賀月真 関谷四郎 紹美栄祐 鈴木長翁 鈴木盛久 高村豊周 田口壽恒 玉川宣夫 帖佐美行 塚田秀鏡 豊田勝秋 内藤四郎 中川衛 中杉与三七 二橋美衡 根来実三 野上龍起 般若勘渓 羽原秋芳 本間琢斎 蓮田修吾郎 増田三男 丸谷瑞堂 三好三治 村田整珉 米光光正 和田美之助 山田宗美 角谷一圭 角谷沙村 角谷与斎 宮崎寒雉 吉羽與兵衛 高橋敬典 大西清右衛門 中川浄益 金森浄栄 一之瀬宗辰 秦蔵六 長野垤志 西村道仁 西村道也 金谷五郎三郎 金谷浄雲 門脇喜平 畠春斎 和田美之助 佐藤清光 菊池正直

お品をひとつひとつ丁寧に拝見し、お話させていただきます。
その上でご納得いただけた場合のみお買取りさせていただきます。お気軽にご相談くださいませ。

鶴岡鉦次郎(つるおかしょうじろう)金工家 1936年生れ。1958年・東京芸術大学彫金部卒業。1960年東京芸術大学鍛金部副手。生活工芸展協会賞他受賞2回。1961年・雑貨デザインコンクール通産大臣賞他受賞2回。1975年クラフト展・‘75賞受賞。1976年~日本創作七宝展出品。1990年・銀座松屋個展。1994年。金沢、富山個展。1995年銀座個展。1997年・銀座 銀と漆の文具展。2000年・銀座個展・金工この道50年記念展。

東京都品川区南品川にて、古い和家具、関西長火鉢、鉄瓶、お茶道具、岩田藤七の銀製コンポートをお売りいただきました。

東京都品川区南品川にて、古い和家具、関西長火鉢、鉄瓶、お茶道具、岩田藤七の銀製コンポートをお譲りいただきました。

旧家解体前の片付け整理にてお呼びいただきました。たくさんの古道具や骨董品をお売りいただきましたが、中でも岩田藤七の銀製コンポートは大変珍しく、いっぱいいっぱいの頑張り査定額にてお譲りいただきました。岩田藤七はガラス工芸の一人者ですが、このような金工作品が出てくるのは本当に稀でございます。藤七は東京美術学校(現東京芸術大学)金工科にいた経歴がありますので、このような作品をつくられたのでしょうね。お客様にもご満足いただけて良かったです。最近体の疲れがたまってますので、帰りに埼玉スポーツセンター内にある、彩の湯へと寄りました。入浴前にがっつりと石焼ビビンバなどを食べてしまったので、サウナで絞ろうと頑張りました。約一時間ほどでしょうか、水風呂と繰り返しサウナへと入りました。疲れを取りに行くつもりが逆に疲れてしまったようです・・・明日も三件の出張買取や見積もりが入っておりますので、すぐに爆睡しますZzz

六角堂では「岩田藤七」の作品を探しております。
ご所蔵の作品がございましたら、無料にて誠意査定評価のうえ、
即金で高価買取りさせていただきます。
岩田藤七作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非出張買取専門店六角堂までお問い合わせください!

六角堂では、ガラス工芸作品の買い取りを強化しております。岩田藤七、その長男・岩田久利、その妻・岩田糸子、孫・ガラス造形家イワタルリなどの岩田ガラスをはじめ、藤田喬平や黒木国昭の作品をご売却の際には、是非六角堂をご指名ください。専門の鑑定士が、査定、買取をさせていただきます。また、ルネ・ラリックやバカラ、エミール・ガレ、ドーム・ナンシーなど海外のガラス工芸作品も随時買い受けさせていただきます。

岩田藤七(いわたとうしち)
1893年 宮内庁御用達呉服商・初代岩田藤七の長男として生まれる
1900年 父藤七死去。二代目藤七を襲名
1909年 四条派日本画家稲垣雲隣からつけ立てを習う
1911年 白馬会洋画研究所にて岡田三郎助に師事
1912年 東京美術学校(現東京芸術大学)金工科入学
彫金を海野勝、平田重幸などに学び、漆芸は六角紫水に薫陶を受ける
1918年 東京美術学校金工科卒業。西洋画科に再入学
1922年 建畠大夢に師事し、彫刻を学ぶ
第4回帝展「深き空」(彫刻)を初出品
1923年 東京美術学校西洋画科卒業
橘ガラス工場社長今村繁三にガラス製法の手ほどきを受ける。
1925年 商工省第12回工芸展(金工)褒状
長男久利生まれる
1926年 商工省第13回工芸展(金工)3等賞
1927年 葛飾区小菅町に工房を設置
第8回帝展からガラスを出品
1928年 第9回帝展より連続3回特選
以後帝展、文展、日展へ毎年 出品
1929年 帝展無鑑査出品者となる
1931年 岩田硝子製作所を設立
1935年 第1回個展開催
以後毎年 個展開催
1936年 昭和11年 文部省美術展覧会・招待展出品
1937年 第1回新文展審査員、出品作政府買上
1938年 パリ万国工芸展銀賞受賞
1940年 紀元2600年 奉祝美術展出品
1941年 東京府芸術保存審議会委員、東京工芸総合展美術工芸部展審査員
1943年 商工省の重要工芸技術保存資格者として、硝子製造残留工場に指定される
1944年 第10回個展、戦争激化のため以後個展を一時中断
戦時特別文展出品、政府買上
1946年 第2回日展審査員。以後審査員を続ける
1947年 戦後初の個展(第11回)開催
1951年 日展出品作「光りの美」が対象となって25年 度日本芸術院賞受賞
1954年 日本芸術院会員
1957年 高村豊周、山﨑覚太郎、楠部彌弌らと葵洸会創設
1958年 ブリュッセル万博出品、グランプリ
草月会館玄関ホールのシャンデリアをつくる
脳梗塞また胃の手術で闘病生活に入る
1961年 個展第25回の記念展
「岩田ガラスのコロラート展-ガラス工芸の近代建築への発展-」開催
近代建築でのガラス造形の展開をめざす前衛的な試みとして
新作「コロラート」製作
横浜髙島屋食堂大壁面に「コロラート」を製作
1962年 ホテル・オークラの建設時に照明装飾プランに参加
日本伝統工芸展受賞選考委員、以後も続ける
ローマに開館した日本アカデミーに作品が展示される
1963年 日本生命ビル内日生劇場入口正面壁面に「コロラート」を製作
1964年 千葉・扇屋百貨店に「コロラート」製作
1965年 「新しい工芸の茶会展」開催。
ガラスによる茶碗、茶入、水指類を出品、独自の新分野を開く
ロイヤル・ホテル正面入口にガラス・オブジェ「光瀑」を製作
1966年 千代田生命ビル(現目黒区総合庁舎)に「コロラート」を製作
1967年 宝塚カソリック教会にステンド・グラスを製作
第2回日本芸術祭に「神話」が選ばれる
1968年 大回顧展「ガラスとともに40年 ・岩田藤七展」開催
皇居新宮殿にコロラート壁面「大八洲」を製作
1969年 第10回毎日芸術賞受賞
1971年 文化功労者に選ばれる
1972年 日本ガラス工芸協会が設立され、名誉会員となる
1975年 この頃から「貝」をモチーフとした作品を数多く発表
1980年 8月23日87歳で死去