月別アーカイブ: 2016年5月

東京都目黒区中目黒にて、アンティーク家具、佐藤忠良のブロンズレリーフ『アカンサス』をお譲りいただきました。

 

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東京都目黒区中目黒にて、アンティーク家具、佐藤忠良のブロンズレリーフ『アカンサス』、桐たんす(桐箪笥)をお譲りいただきました。

お引越し整理にてお呼びいただきました。他にも尺八や三味線などの和楽器などをお売りいただきました。有難うございました。

ブロンズ彫刻の査定・買い取りは六角堂にお任せください。東洋彫刻、西洋美術品、現代美術品など幅広い作品をお取り扱いしており、できる限り市場に相場に沿った買取り価格をご提示させていただきます。まずは一度ご相談くださいませ。現在の強化買取彫刻作家は、以下となります。

秋山信子(あきやま のぶこ)朝倉響子(あさくら きょうこ) 雨宮敬子(あめのみや けいこ)朝倉文夫(あさくら ふみお)市橋とし子(いちはし としこ) 圓鍔勝三(えんつば かつぞう)岡本太郎(おかもと たろう) 荻原碌山(守衛)(おぎわら ろくざん(もりえ)) 鹿児島寿蔵(かごしま じゅぞう)加納銕哉(かのう てっさい) 北村西望(きたむら せいぼう)木内克(きのうち よし)後藤貞行(ごとう さだゆき) 佐藤忠良(さとう ちゅうりょう)佐藤朝山(さとう ちょうざん) 澤田政廣(さわだ せいこう)清水多嘉示(しみず たかし)高田博厚(たかた ひろあつ)高村光雲(たかむら こううん) 高村光太郎(たかむら こうたろう)富永直樹(とみなが なおき) 中原悌二郎(なかはら ていじろう)野口園生(のぐち そのお)林駒夫(はやし こまお)平櫛田中(ひらくし(ひらぐし) でんちゅう) 平田郷陽(ひらた ごうよう)平野富山(ひらの ふざん) 舟越桂(ふなこし かつら)舟越保武(ふなこし やすたけ)堀柳女(ほり りゅうじょ) 松本喜三郎(まつもと きさぶろう)宮本理三郎(みやもと りさぶろう) 安本亀八(やすもと かめはち)柳原義達(やなぎはら よしたつ) 籔内佐斗司(やぶうち さとし)

佐藤忠良(さとうちゅうりょう)明治45年(1912)~平成23年(2011)

宮城県黒川郡で生まれる。 大正8年に北海道夕張町に移る。 昭和9年に東京美術学校彫刻科に入学した同期に舟越保武等がいる。 3年生の時先輩の柳原義達の勧誘で国画会に舟越保武と出品し二人とも入選し受賞する。 この事が忠良の方向を決める事となった。その後、戦争になりソ連での捕虜生活を余儀無くされた。復員後、千葉の夫人の実家に滞在していたが、単身上京し彫刻の制作を始めた。 忠良は、対象を深く観察し、その人間性格まで写し取る様な的確な表現をしている。 言い換えれば、生活感情まで含めて対象の個人を練達した造型力で捉えるが、そればかりでなく、より抽象的なもの、典型的なものを強く求めている。

昭和20年 東京美術学校彫刻科卒。同41年 第3回高村光太郎賞受賞。同49年 第15回毎日芸術賞受賞。芸術選奨文部大臣賞受賞。同50年 第6回中原悌二郎賞受賞。同56年 パリのロダン美術館で個展開催。フランスの美術アカデミーの客員会員に推挙される。同59年 イタリア、サン・ルカ美術アカデミー会員に推挙される。

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その他、箱根、伊豆方面や軽井沢にも無料にて出張致しております。骨董品類に関しては全国出張致します。お気軽にご相談ください。

東京都世田谷区豪徳寺にて、千家十職大西清右衛門の唐銅袋形建水、李朝期の会寧茶碗、桐たんす、長火鉢の買い取り。

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東京都世田谷区豪徳寺にて、千家十職大西清右衛門の唐銅袋形建水、李朝期の会寧茶碗、桐箪笥、長火鉢をお譲りいただきました。

会寧とは:朝鮮半島咸鏡北道会寧郡にある古窯。豆満江を隔てて中国と接しており、その創始期には中国陶窯の影響が強いのではないかと推測されているが、李朝時代になって独特の形式を備えた。灰釉を中心とした海鼠釉を好んで用い、朝鮮半島で藁灰釉を使った唯一の窯といわれる。

大西清右衛門(おおにし せいえもん)は、千家十職の釜師。大西家は、室町時代後期から400年以上続く京釜師の家。四代目当主が清右衛門をなのり、六代目以降九代目をのぞき、代々の当主は清右衛門という名を継いだ。京都市中京区の三条釜座(かまんざ)に工房があり、「大西清右衛門美術館」も併設されている。現在は十六代清右衛門が当主。十五代の長男として京都に生まれ、大阪芸術大学美術学部彫金科卒業。父が隠居の後、1993年に十六代清右衛門を襲名した。      1590~1663年 初代・浄林、1594~1682年 2代・浄清、1630~1684年 3代・浄玄、1645~1700年 4代・浄頓、1647~1716年 5代・浄入、1689~1762年 6代・浄元、1720~1783年 7代・浄玄、1747~1785年 8代・浄本、1749~1881年 9代・浄元、1777~1852年 10第・浄雪、1808~1875年 11代・浄寿、1841~1869年 12代・浄典、1866~1943年 13代・浄長、1888~1960年 14代・浄中、1924~2002年 15代・浄心、1961~ 16代・大西清右衛門

当社では、千家十職をはじめ、作家物のお茶道具からお稽古用のお茶道具まで幅広く買い取りさせて頂いております。千家十職は 表千家、裏千家、武者小路千家の茶道三千家で使う茶道具を作ることを業とした職方の事であります。茶碗師 楽吉左衛門 釜師 大西清右衛門 塗師 中村宗哲 指物師 駒沢利斎 金物師 中川浄益 袋師土田友湖 表具師 奥村吉兵衛 一閑張細工師 飛来一閑 竹細工柄杓師 黒田正玄 土風炉焼物師 永楽善五郎の各家が千家の道具をまかなっています。 沢山のご依頼お待ちしております。六角堂は、東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。数量が多い場合、他にも美術品・骨董品などの鑑定物がある場合は全国出張可能です。 お気軽に、ご相談ください!!

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栃木県宇都宮市にて、青木龍山作天目酒器、桐たんす、日本人形、ちゃぶ台や座卓などの古家具をお譲りいただきました。

 

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栃木県宇都宮市にて、青木龍山作天目酒器、桐箪笥、日本人形、ちゃぶ台や座卓などの古家具をお譲りいただきました。

青木龍山の作品売却は買い取り実績多数の弊社にお任せくださいませ。壺、花瓶、花器 、茶碗、茶器、香合、皿、鉢、酒器、ぐいのみ、徳利、懐石道具他。天目釉の大型作品は特に買い取りを強化しております。
時代家具、古道具、骨董・美術品をご処分の際には、六角堂までお問い合わせください。六角堂は、東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。数量が多い場合、他にも美術品・骨董品などの鑑定物がある場合は全国出張可能です。 お気軽に、ご相談ください!!
青木龍山(あおきりゅうざん)
佐賀県出身の昭和~平成時代に活躍した日本の陶芸家です。
染付や色絵の焼物として知られる有田の地で、一貫して広口の磁器の張りのある豊かなフォルムを追求し続け、漆黒の天目釉に鉄砂、銀砂、青、翠などで条線文様を施したモダンなデザインで、花器を中心に新境地を展開した有田焼の代表的作家として知られています。
1926年 佐賀県で生まれる
1951年 多摩美術大学日本画科を卒業する
1954年 日展で入選する
1971年 日展で特選を受賞する
1972年 第1回佐賀県芸術文化賞を受賞する
1973年 日本現代工芸美術展で開院賞、
文部大臣賞を受賞する
有田町文化功労章を受章する
1981年 日本現代工芸美術家協会理事に就任する
1982年 日展会員となる
日本伝統工芸展展で入選する
1988年 日本現代工芸美術展で文部大臣賞を受賞する
日展評議員に就任する
1991年 日展で日本芸術院賞を受賞する
日展理事に就任する
1992年 日本芸術院会員となる
1993年 西日本文化賞を受賞する
日本現代工芸美術家協会副会長、
日展常務理事に就任する
1999年 文化功労者となる
2000年 佐賀大学美術歌の客員教授となる
2005年 文化勲章を受章する
2008年 4月23日逝去

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東京都渋谷区広尾にて、人間国宝加藤卓男、三代徳田八十吉(正彦銘)の花生、桐たんすをお譲りいただきました。

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東京都渋谷区広尾にて、人間国宝加藤卓男、三代徳田八十吉(正彦在銘)の花生、桐タンスをお譲りいただきました。

数年前に骨董品の買取りでお呼びいただいた時からお付き合いのある骨董のコレクター様より、在庫処分にてお呼びいただきました。今回で四度目の買取りとなります。何度も在庫処分とのことでお呼びいただいておりますが、伺う度に骨董品・美術品が増えている気がします…今回お売りいただきましたのは、人間国宝加藤卓男の青釉金彩花生、同じく人間国宝三代徳田八十吉(正彦銘)の彩釉花生、春日部総桐箪笥、お着物の買い取りをさせていただきました。次回は掛け軸のご処分とのこと、またのご依頼お待ちしております!

加藤卓男 1917(大正6)年~2005(平成17)年
加藤卓男は5代加藤幸兵衛の長男として岐阜県に生まれました。
1934(昭和9)年に岐阜県多治見工業学校を卒業後、
京都国立陶磁器試験所陶芸科へ入所しました。
1945(昭和20)年に徴兵された広島市で残留放射能に侵され、
約10年間の闘病生活を送りました。
1949(昭和24)年、父の岐阜県陶磁器試験場長就任に伴い、幸兵衛窯の運営を務めました。
1961(昭和36)年にフィンランド政府より招聘を受け、
意匠と技術交流の為にフィンランド工芸美術学校に留学しました。
留学中にイラン古窯跡やイラン国立考古博物館を歴訪した事を機とし、
幻の名陶と呼ばれたペルシア・ラスター彩の復元を決意しました。
1962(昭和37)年、日展で特選北斗賞を受賞しました。
朝日陶芸展で朝日陶芸賞を受賞しました。
岐阜県芸術文化顕彰に推奨されました。
1963(昭和38)年、現代工芸美術展で工芸賞を受賞しました。
美濃陶芸協会初代会長、朝日陶芸展審査員に就任しました。
日展で特選北斗賞を受賞しました。
1965(昭和40)年、日展で特選北斗賞を受賞しました。
1966(昭和41)年、日展審査員、現代工芸美術展審査員、現代工芸美術家協会評議員に就任。
1967(昭和42)年、日展審査員に就任しました。
1968(昭和43)年、日展会員となりました。
1969(昭和44)年、東京・帝国ホテルのメインロビーに志野陶壁を制作しました。
1970(昭和45)年、中京競馬場のシンボルタワーに陶壁を制作しました。
1972(昭和47)年、古代ペルシア陶器研究により東海テレビ文化賞を受賞しました。
朝日陶芸展審査委員長に就任しました。
1973(昭和48)年にイラン王立パーラヴィ大学附属アジア研究所に留学し、
イラン国立考古博物館の発掘調査に参加しました。
この発掘調査で織部に似た陶片を発見して織部の源流をペルシアに探る調査を進めます。
中日国際陶芸展審査員、愛知県陶磁資料館準備委員に就任しました。
1974(昭和49)年、多治見市役所新庁舎貴賓室に陶壁を制作しました。
中日国際陶芸展の海外作品選定委嘱を受け、欧州8ヶ国を歴訪して作品を選定しました。
1975(昭和50)年、ペルシア釉の研究と美濃陶芸展の指導育成により中日文化賞を受賞しました。
美濃焼卸団地会館に陶壁を制作しました。
日本オリエント学会より三笠宮殿下に贈るラスター彩兎文方壷を制作しました。
日展審査員、現代工芸美術展審査主任に就任しました。
1976(昭和51)年、東京大学イラン・イラク遺跡発掘調査団の現地発掘調査に参加しました。
1978(昭和53)年、外務省より委嘱され、ラスター彩鶏冠壷を制作しました。
1980(昭和55)年にイラン文化省より招聘を受け、
バグダッド大学で客員教授として陶芸指導を行いました。
宮内庁正倉院より正倉院三彩の復元制作を委嘱され、三彩を本格的に手掛けます。
1983(昭和58)年、岐阜県重要無形文化財に認定されました。
1986(昭和61)年、駐日トルコ大使館、イスタンブール国立トプカプ宮殿博物館で個展開催しました。
1988(昭和63)年、正倉院事務所に三彩鼓胴を納入しました。
新工芸展で文部大臣賞を受賞しました。
紫綬褒章を受章しました。
1989(平成元)年、正倉院事務所に二彩鉢を納入しました。
1990(平成2)年、日本工芸会正会員となりました。
1991(平成3)年、美濃陶芸協会名誉会長に就任しました。
1992(平成4)年、伊勢神宮の御神宝「陶猿頭形御硯」を制作しました。
1995(平成7)年、重要無形文化財「三彩」の保持者(人間国宝)に認定されました。
1996(平成8)年、岐阜県名誉県民の称号を受けました。
2005(平成17)年、故人として織部賞の特別賞を受賞しました。
加藤卓男は江戸時代から続く名門窯の跡継ぎとして生まれ、
当初は志野、織部、瀬戸、油滴天目等の伝統的技法に基づいた作品制作に取り組みました。
世界的陶器であるペルシア古陶の斬新な色彩や独創的造形に魅了され、
ラスター彩、青釉、色絵、三彩等を現代に再現したペルシア陶器の第一人者です。

3代 徳田八十吉 1933(昭和8)年~2009(平成21)年
3代徳田八十吉は2代徳田八十吉の長男として石川県に生まれました。
本名を正彦といいます。
1954(昭和29)年に金沢美術工芸大学を中退し、
祖父・初代徳田八十吉に釉薬の調合や上絵付け技法を学び、
父より九谷焼の上絵付け等に対する現代陶芸の革新的な創造精神を受け継ぎました。
1966(昭和41)年、一水会委員に就任しました。
1967(昭和42)年に小松市立博物館で開催された「九谷古陶磁名品展」を契機とし、
青手古九谷に範を求めて各色釉の微妙な濃淡の変化を追及する表現技法に取り組みます。
1971(昭和46)年、NHK会長賞を受賞しました。
1972(昭和47)年、日本工芸会正会員となりました。
1977(昭和52)年、日本工芸会総裁賞を受賞しました。
1979(昭和54)年、日本伝統工芸展鑑査員に就任しました。
1984(昭和59)年、日本伝統工芸展の出品作品が文化庁に買い上げられました。
1985(昭和60)年、北国文化賞を受賞しました。
1986(昭和61)年、日本陶磁協会賞を受賞しました。
石川県九谷焼無形文化財資格保持者に認定されました。
日本伝統工芸展の出品作品が重要無形文化財資格保持者選賞を受賞しました。
1988(昭和63)年、藤原啓記念賞を受賞しました。
日本伝統工芸展の出品作品が文化庁に買い上げられました。
3代徳田八十吉を襲名しました。
1990(平成2)年、高円宮殿下に御来窯御台臨を賜りました。
’90国際陶芸展グランプリー、小松市文化賞を受賞しました。
1991(平成3)年に日本陶芸展の出品作品が秩父宮賜杯を受賞し、
近代美術館に買い上げられました。
外務大臣表彰を受けました。
1992(平成4)年、日本伝統工芸展監査主任・審査員に就任しました。
一水会陶芸部運営委員に就任しました。
1993(平成5)年、大英博物館に碧明燿彩花瓶等が収蔵されました。
紫綬褒章を受章しました。
スミソニアン・サックラー美術館に作品が収蔵されました。
1994(平成6)年、日本工芸会理事に就任しました。
1996(平成8)年、石川県陶芸協会会長に就任しました。
1997(平成9)年、MOA岡田茂吉賞大賞を受賞しました。
重要無形文化財「彩釉磁器」の保持者(人間国宝)に認定されました。
小松市名誉市民の称号を受けました。
1998(平成10)年、メトロポリタン美術館に燿彩線文壷が収蔵されました。
彩釉磁器は初代以来の伝統的技法を基盤に独自の創意工夫を加え、
色釉の濃淡や対比によって煌びやかで濃艶な美しさを表現するところに特色があり、
国内のみならず海外においても高い評価を受けています。

 

東京都品川区戸越にて、北大路魯山人の志野鉢、お茶道具や桐たんすの買い取り。

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東京都品川区戸越にて、北大路魯山人の志野鉢、お茶道具や桐たんすの買い取り。

遺品整理にてお呼びいただきました。某百貨店の美術部で働いていた方のようで、多数の骨董品がございました。今回は、魯山人の鉢、お茶道具を多数買取りさせていただきました。徐々に骨董品をご処分されるとのこと、またのご依頼お待ちしております。

北大路魯山人  (きたおおじろさんじん) 1883(明治16)~1959(昭和34)

北大路魯山人は上賀茂神社の社家・北大路清操の次男として京都府に生まれました。 本名を房次郎といいます。生後すぐに養子に出されて養家を転々とする逆境に生い立ちました。後に陶芸家、書家、美食家、料理家。初め書家として名声を博す。 1888(明治21)年、木版師・福田武造の養子となりました。 1893(明治26)年に梅屋尋常小学校を卒業後、 京都の漢方薬専門店「千坂わやくや」の丁稚奉公に出ました。 ここで三年間勤めますが、竹内栖鳳の絵に啓発されて日本画家を志望します。 1903(明治36)年、書を本格的に勉強する為に上京しました。 1904(明治37)年に日本美術展覧会で一等賞を受賞し、 受賞作品が宮内大臣・田中光顕子爵に買い上げられました。 1905(明治38)年、岡本可亭に師事しました。 日本美術展覧会に「福田可逸」の名で入選しました。 1907(明治40)年、書道教授として独立し、「福田鴨亭」と名乗りました。 1909(明治42)年、韓国統監府(後の朝鮮総督府)印刷局に勤務しました。 1910(明治43)年、朝鮮総督府の設置に伴い、書記として勤務しました。 東京に戻ってからは雑誌の題字書きに携わり、 滋賀県長浜の紙問屋・河路豊吉にその力量を見出されて同地に赴きます。 柴田源七や近隣豪商の食客となりながら、 「福田大観」と名乗って書を揮毫し、篆刻看板、印章等を彫って評判を高めます。 1911(明治44)年、柴田家で竹内栖鳳と親交し、栖鳳の落印を彫るきっかけを掴みます。 1915(大正4)年、長男・桜一に福田家の家督を譲り、自らは北大路姓に復しました。 金沢の文人・細野燕台の世話となり、 石川県加賀市山代温泉の須田菁華窯で作陶への興味を覚えます。 1919(大正8)年、東京京橋に中村竹四郎と共同で大雅堂芸術店を開業しました。 1920(大正9)年、大雅堂芸術店を大雅堂美術店と改称しました。 1921(大正10)年、大雅堂美術店の二階で会員制の美食倶楽部を発足しました。 自ら厨房に立ち、店の古陶磁に手造りの料理を盛って出したところ評判を呼びました。 1922(大正11)年、正式に北大路家の家督を相続し、「北大路魯山人」と名乗りました。 1923(大正12)年、須田菁華窯で美食倶楽部用の食器を制作しました。 関東大震災で大雅堂美術店が焼失し、芝公園内の花の茶屋で美食倶楽部を再開しました。 1924(大正13)年に京都の初代宮永東山の指導で青磁を制作し、 東山窯にて荒川豊蔵と知り合いました。 東京の日枝神社境内にあった星岡茶寮を借り、料亭に改築して会員を募りました。 1925(大正14)年、会員制料亭・星岡茶寮を開始しました。 中村竹四郎が社長、魯山人は顧問として料理、接待、器に対する卓抜な演出で評判を取り、 官、財、政界の社交場として急激に会員を増やしていきます。 1926(大正15)年、神奈川県北鎌倉山崎に星岡窯と邸宅を築きました。 1927(昭和2)年、荒川豊蔵を窯場主任に迎え、魯山人窯芸研究所の看板を揚げました。 「坐辺師友」をモットーに織部、志野、黄瀬戸等の美濃焼系を始め、 乾山、仁清、道八等の京焼系の物にまで造形の理想を求めた幅広い作陶を展開しました。 1928(昭和3)年、久邇宮両殿下に御来窯御台臨を賜りました。 1930(昭和5)年、荒川豊蔵の美濃古窯跡調査を援助し、月刊誌『星岡』に成果を掲載します。 1935(昭和10)年、大阪に星岡茶寮を開業し、関西の食通人に好評を博しました。 しかし、理想に走り過ぎて経営は放漫化し、社長・中村竹四郎との間に溝を生じます。 1936(昭和11)年、放漫経営を理由に星岡茶寮の顧問を免ぜられました。 以後は星岡窯を拠点に作陶一本で進む決意を固めます。 1939(昭和14)年、東京白木屋本店地階食料品部に特選食料館・山海倶楽部を開業しました。 1942(昭和17)年、金沢の遊部外次郎、山中の辻石斎達と専ら磁器制作に専念しました。 1945(昭和20)年、空爆にて星岡茶寮が焼失しました。 1946(昭和21)年、東京銀座に魯山人工芸処・火土火土美房を開業しました。 魯山人窯芸研究所を魯山人雅陶研究所に改称しました。 1951(昭和26)年にパリのチェルヌスキー美術館で現代日本陶芸展が開催され、 この展覧会はヴァロリスに巡回され、ピカソも魯山人の作品を賞讃したといわれます。 1952(昭和27)年、イサム・ノグチ達と備前焼の金重陶陽を訪ね、作陶を行いました。 1953(昭和28)年、金重陶陽に依頼して備前焼の窯を魯山人雅陶研究所内に築窯しました。 1955(昭和30)年、重要無形文化財「織部焼」の保持者(人間国宝)に勧告を受けるも辞退しました。 画家、篆刻家、書道家、料理家、陶芸家、漆芸家として幅広く独自の美の世界を追求し、 各方面において優れた実績を残しました。 焼物本来の実用性を重視した見識が近年の食や器への関心に導いた功績は多大です。

神奈川県茅ヶ崎市にて、神居民芸家具のライティングビューロ、火鉢、煎茶器など。

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神奈川県茅ヶ崎市にて、神居民芸家具のライティングビューロ、火鉢、煎茶器をお売りいただきました。

お引越し整理にてお呼びいただきました。神居民芸家具のライティングビューロに草宗作と作家の銘があったので、お客様にご満足いただける見積もり、買い受けができました。帰り道の圏央道厚木PA(パーキングエリア)内に、B‐1グランプリというお店があり、八戸せんべい汁、北上コロッケというものを食べました。八戸せんべい汁、野菜たっぷりでせんべいのモチモチ感がとっても美味しかったです!「B-1グランプリ」は、「ご当地グルメでまちおこし」を理念として開催されているグルメイベント。地域独特の食文化や、その地域の人々に広く親しまれているメニューに触れることができる、大人気のイベントです。「厚木パーキングエリア」は、高速道路初のB-1グランプリ公認スポット。高速道路上で、各地のご当地グルメが食べられるスポットとして人気を集めているようです。一定期間でメニューが入れ替わるようで、来るたびに全国さまざまな場所のご当地グルメが楽しめるということ。また出張買い取りの帰りに寄るのが楽しみな場所です。圏央道厚木PA(パーキングエリア)へお寄りの際は、B‐1グランプリ、お勧めです!

桐たんす、和たんすなどの和家具をはじめ、骨董品、お茶道具、掛け軸、絵画、お着物などがございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。ぜひご利用ください。

東京都西東京市にて、上村松篁のリトグラフ「白桃」、柏木工のダイニングテーブルセットをお譲りいただきました。

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東京都西東京市にて、上村松篁のリトグラフ「白桃」、柏木工のダイニングテーブルセットの買取り。

不動産屋さんのご紹介で、引越し前の整理にてお呼びいただきました。六角堂では絵画作品の査定・鑑定・出張買取を致します。
ご所蔵の作品、リトグラフがございましたら、無料にて誠意査定評価のうえ、現金で高価買取りさせていただきます。上村松篁作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非とも六角堂をご利用下さい。

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その他、箱根、伊豆方面や軽井沢にも無料にて出張致しております。骨董品類に関しては全国出張致します。お気軽にご相談ください。

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上村松篁(うえむらしょうこう)1909-2001年

日本画家・上村松園の長男として京都市内に生まれる。奥村厚一、秋野不矩、福田豊四郎、吉岡堅二、山本丘人らとともに創造美術協会(新制作協会日本画部を経て現在創画会)を結成した。伝統的な円山四条派の写生を活かしながら、近代的な構成を持つ新しい花鳥画として蘇らせた作品を生み出す一方で、昭和11年から43年の定年退官まで母校の京都市立絵画専門学校(後、京都市立美術大学となる)で後進の指導にあたります。近現代の京都画壇において格調高い花鳥画を描き続け、母子二代での受章となる文化勲章を受章。

1909年 京都市に生まれる。本名は信太郎。
1921年 京都市立絵画専門学校本科入学。第3回帝展に初入選、画号を「松篁」とする。
1928年 第9回帝展で「蓮池郡鴦図」が特選となる。
1930年 京都市立絵画専門学校研究科修了。京都市立美術工芸学校講師となる。
1981年 日本芸術院会員となる。
1984年 文化勲章を受章。
1994年 上村松園、上村松篁、上村淳之の作品を収蔵する松柏美術館が奈良市に開館。
2001年 死去。享年98歳。

 

東京都足立区梅島にて、十三代中里太郎右衛門の絵唐津茶碗や銀摘み、斑紫銅蓋の霰鉄瓶などのお茶道具や桐たんすの買い取り。

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東京都足立区梅島にて、十三代中里太郎右衛門の絵唐津茶碗や銀摘み、斑紫銅蓋の霰鉄瓶などのお茶道具や桐タンスをお譲りいただきました。

生前整理とのことでお呼びいただきました。お忙しい中、当社をご指名いただき有難うございました。ただいま六角堂では、お忙しい中茶碗、水差 、棗、茶入、香合、風呂、釜、花入、茶杓、菓子皿、銀瓶、鉄瓶、 茶棚、炉縁などのお茶道具を強化買取りしております。裏千家、表千家、武者小路千家、裏千家久田家、表千家堀内家、藪内家、遠州流、宗偏流、松尾流、江戸千家、大日本茶道学会などのお道具、作家物からお稽古用まで、お茶道具に関して幅広く取り扱っております。お茶道具の専門スタッフか、お見積もりに伺います。たくさんのお問い合わせお待ちしております。

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その他、箱根、伊豆方面や軽井沢にも無料にて出張致しております。骨董品類に関しては全国出張致します。お気軽にご相談ください。

中里太郎右衛門(13代) なかざと-たろうえもん 1923-2009 

昭和-平成時代の陶芸家。 大正12年5月31日生まれ。12代中里太郎右衛門の長男。弟に中里重利,中里隆。昭和26年陶彫「牛」で日展初入選,33年叩(たた)き壺「牛」で同特選。古唐津を研究し,叩きの技法を基本に独自の作風をきずく。44年唐津焼中里家13代をつぐ。59年「叩き唐津手付瓶」で芸術院賞。平成12年日本工匠会(日工会)会長。14年太郎右衛門の名を長男忠寛にゆずり,庵号の逢庵(ほうあん)を名のった。19年芸術院会員。平成21年3月12日死去。85歳。佐賀県出身。東京高等工芸(現千葉大)卒。本名は忠夫。著作に「唐津焼の研究」など。

千葉県千葉市花見川区にて、花梨の瘤付き花台、飾り棚、桐たんす、日本人形、書道具をお譲りいただきました。

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千葉県千葉市花見川区にて、花梨の瘤付き花台、飾り棚、桐タンス、日本人形、書道具をお売りいただきました。

引越し前の整理にてお呼びいただきました。六角堂では、花梨や紫檀、黒檀やタガヤサンなどの唐木で出来た中国家具を強化買取りしております。唐木とは中国家具に使われている紫檀・黒檀、白檀や黄花梨などの木材のことで日本での呼び方を指しており本来は紅木といわれます。遣唐使が唐から持ち込んだことから唐木と呼ばれるようになりました。唐木は虫に強いため、かなり古い時代から家具の材料として中国では使われてきました。清の時代になり、唐木家具にはさらに装飾が施されるようになったとされています。中でも数100年前のものはその政策に大変な時間と手間がかかっているため、中国骨董の中でも特に高い値で売買されている一品です。唐木で出来たキャビネット、飾り棚、テーブル、椅子、文机、花台、香炉台などがございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。「これは中国家具かな?買取ってもらえるかな?」と疑問に思う家具がございましたら、お気軽にお問合せ下さい。中国家具以外にも、桐箪笥や古い和家具、英国アンティーク家具や北欧家具など、幅広く買取りしております。出張費などの費用を頂く事は一切行っておらず、買い取り不成立の場合でも、査定料などの費用を頂く事は一切ございません。安心して六角堂までお問い合わせください!

東京都練馬区平和台にて、日名子実三作 ブロンズ像 陸軍大臣御下賜品、金鵄勲章や旭日章などの勲章、銀盃の買い取り。

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東京都練馬区平和台にて、日名子実三作 ブロンズ像 陸軍大臣御下賜品、金鵄勲章や旭日章などの勲章、銀盃をお譲りいただきました。

日名子実三は、金鵄を意匠とする昭和六年乃至九年事変従軍記章や、八咫烏を意匠とする支那事変従軍記章、旧陸海軍の戦傷奉公杖などのデザインを手がけたことで知られる、大変に高名なブロンズ彫刻家です。大日本蹴球協会の「シンボルマーク」に関しては、現在の「日本サッカー協会」にも受け継がれ、日名子実三がデザインしたシンボルマークをもとに「日本代表エンブレム」が作られ、日本代表のユニフォームなどに使用されています。 「昭和六年乃至九年事変」とありますので、満洲事変・第一次上海事変に関連するものになります。陸軍大臣の名のもとに御下賜された特別な品は、特に顕著な功績のあった者に限られるのが常です。

日名子実三 ひなこ-じつぞう 1893-1945 

大正-昭和時代前期の彫刻家。 明治26年生まれ。朝倉文夫に師事。大正8年「晩春」が帝展初入選。15年斎藤素巌(そがん)らと構造社を設立。外遊後,帝展無鑑査となる。昭和10年帝展の改組で第三部会(のち国風彫塑会と改称)を組織した。昭和20年4月5日死去。53歳。大分県出身。東京美術学校(現東京芸大)を主席で卒業。

六角堂では、軍服等の軍装品、大礼服、勲章や記念品はもちろんのこと、戦前戦時中の御苦労が偲ばれる御品物や文献資料等を幅広く買い取り致しております。汚れていても大変資料価値の高いものかも知れません。整理の際には是非六角堂まで御連絡下さい。