山梨県甲府市にて奥村土牛、藤曲和の絵画、井上萬二の壷、唐木衝立など。

         

山梨県甲府市にて奥村土牛の「くわい」、藤曲和の「舞妓」、井上萬二の壷、唐木衝立、茶道具、贈答品、化石などをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。山梨県の遠距離出張でしたので、前日からビジネスホテルへ泊まり午前中にお伺いさせていただきました。お売りいただいたお品は、現代日本を代表する日本画家 奥村土牛(おくむらどぎゅう)の「くわい」、藤曲和(ふじがねかず)の「舞妓」、三尾公三(みおこうぞう)のリトグラフ、人間国宝 井上萬二(いのうえまんじ)の白磁彫文壷、唐木衝立、茶道具、贈答品、化石など。一点一点丁寧に査定し、たくさんのお品をお売りいただきました。ご家族が絵画がお好きだったようで、たくさんの絵画がございました。保管されるお品、ご処分される絵画を分けながら、買取させていただきました。残される絵画にも素晴らしものが多くございました。大切にされてください。本日はお忙しい中、六角堂をご指名くださり誠に有難うございました。
帰りに甲府駅にある武田信玄公の銅像を見て、ほうとうで人気のお店「小作」さんへ行きました。甲府に来たからにはほうとうを食べない訳にはいきませんね。野菜がたくさん入っており、とっても美味しかったです。

奥村土牛(おくむらどぎゅう)1889~1990年
1889年 東京の京橋に生まれる。本名は義三。
1905年 梶田半古の門に入り、塾頭の小林古径に師事。
1907年 東京勧業博覧会に「敦盛」を出品し入選。
1911年 約5年間、逓信省貯金局統計課に勤務してポスターなどを描く。
1920年 あらためて小林古径の画室で指導を受ける。
1923年 中央美術社第5回展で「家」が中央美術賞受賞。
1927年 第14回院展に「胡瓜畑」を出品し初入選。
1929年 第16回院展に「蓮池」を出品、日本美術院院友に推挙される。
1932年 日本美術院同人に推挙される。
1935年 帝国美術学校(現在の武蔵野美術大学)日本画科教授に就任。
1936年 第1回帝展で「鴨」が推奨第1位。
1947年 帝国芸術院会員となる。
1959年 日本美術院理事となる。
1962年 文化勲章受章。文化功労者に顕彰される。
1978年 日本美術院理事長に就任。
1990年 死去。享年101歳。

井上萬二(いのうえまんじ)1929年~
1929年 3月24日 佐賀県有田町生まれ
1945年 十二代酒井田柿右衛門の元で働き始める。
1952年 奥川忠右衛門門下生となり白磁や轆轤の技法を学ぶ。
1958年 酒井田柿右衛門窯を退社し、県立有田窯業試験場の技官として勤務。
1969年 ペンシルバニア州立大学から有田焼の講師。
海外での活動はドイツなどでの個展や2002年3月のモナコ国王の在位45年記念の展覧会など。
1968年 第15回日本伝統工芸展で初入選。
1977年 全国伝統的工芸品展通産大臣賞。
1987年 第34回日本伝統工芸展で文部大臣賞を受賞。
1995年 5月31日に重要無形文化財「白磁」保持者(人間国宝)に認定。
1997年 紫綬褒章を受章。
2003年 旭日中綬賞受賞。
現在、日本工芸会参与、有田町名誉町民。